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ノート:大東亜戦争/過去ログ1

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終戦の日の日付について

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8月15日でなくて9月2日なのですか?誰か詳しいこと分かる? -- TakuyaMurata 05:04 2003年2月24日 (UTC)

太平洋戦争にも記述してありますが、9月2日が日本軍においてミズーリ号において降伏文書に調印し、この時点で正式に日本軍は降伏しました。御前会議で降伏を認めた日が8月14日。8月15日は降伏を一般民に知らせた玉音放送が行われた日です。G 05:08 2003年2月24日 (UTC)

なるほど。ありがとございます。 -- TakuyaMurata 05:15 2003年2月24日 (UTC)

質問です。↑の話とは逆に現在の本文では8.15までとなっています。法的には9.2までだと思うのですが、何故でしょうか。--218.45.99.212 2007年1月10日 (水) 11:57 (UTC)

「大日本帝国の憲法制度(第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス)によりその詔がラジオで発せられた以上、その日が戦争の終わりの日(終戦)となる」とするのが最も有力な解釈です。もっとも、その後も戦闘は各地で継続しており、現実に戦争が終結した日が8月15日となるかは別の問題です。なお、9月2日は降伏の申し込みと受諾の文書が調印された日ですが、最後に署名したニュージーランドはカナダの手違いから欄外に署名していますので、法的といえば問題もあります。なお、玉音放送は単なる告知ではありません。--ZUIKAKU

記事の位置づけについて

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あの戦争を評価する人物の証言が載せられていますが、百科事典にこれは必要なのだろうかと考えます。このページは「大東亜戦争」の名前の由来や、なぜその名が現代に定着せず、あたかも封印されたようになったのかなど、知識探求の場にするべきでは無いでしょうか。戦争評価について語るのは、どこか他の場所で行ったほうがいいのでは? 研究者や趣味人ではない現代人にとって、あの戦争の名前は「太平洋戦争」であるので、「大東亜戦争ってな~に?」という人のための辞典であるほうがよいと思います。

あと、ノートでは署名することを推奨されています。編集ページで使用するボタンの右から2つ目を、自分の文章の最後に押すと、投稿したときに時刻付きで署名されますよ。--218.229.119.231 2004年10月28日 (木) 12:52 (UTC)

百科辞典らしかぬ部分はコメントアウトしました。--218.229.124.243 2004年11月25日 (木) 06:45 (UTC)
評価の部分が復活されていますが、評価と言うからには否定派の言説も載せなくてはいけません。それが追加されるまではコメントアウトしておきます。—以上の署名の無いコメントは、らりた会話履歴)さんが 2004年12月11日 (土) 02:39 に投稿したものです(Cave cattumによる附記)。

開戦の日の日付について

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1939/9/1までは第二次世界大戦とは言わないのでは? 太平洋戦争では 1945/9/2までを期間としているので記述を合わせるべきでは? 大東亜共栄圏は目的というより名目では? --61.24.28.80 2005年12月2日 (金) 17:21 (UTC)

  • 名目なのか目的なのかは議論が分かれるところです。ただ『最近の研究でその考えはかなり本気だったことがわかってきている』みたいな記述を見た事があります。おおまかに218.229.119.231氏に賛成です代言人 2005年12月8日 (木) 06:33 (UTC)

定義について

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ちょっとよろしいでしょうか。現状では大東亜戦争は「日本が中心となって大東亜共栄圏の形成を目的として行われた日本と連合国との戦争の、閣議決定された日本側の正式呼称。」という定義になっております。一方、太平洋戦争では、「大日本帝国の大日本帝国海軍、大日本帝国陸軍などの日本軍とアメリカ合衆国、イギリスなどの連合国のアメリカ海軍などのとの戦争を指す。太平洋戦争とはアメリカでの呼称であり、一方の交戦国であった日本側は支那事変と合わせ大東亜戦争と呼称した。」となっております。この二つを素直に信じれば、東~東南アジアに形成を計画した大東亜共栄圏の形成を目的として、わざわざハワイまで出向いて真珠湾攻撃を行ったという、にかわには信じがたい結論が成立してしまうのですが…--6144 2006年1月10日 (火) 05:00 (UTC)

>東~東南アジアに形成を計画した大東亜共栄圏の形成を目的として、わざわざハワイまで出向いて真珠湾攻撃を行った
その通りですね。何か問題でも?202.233.244.6 2006年7月22日 (土) 06:47 (UTC)

盧溝橋事件以降について

「それ以前の段階において、中国大陸における軍事行動は「支那事変」が正式呼称である。」のに盧溝橋事件以降を含めるのは矛盾していませんか?池田隼人塵 2006年9月16日 (土) 04:37 (UTC) 投稿ブロックの方針3.3.5により削除。--大六天 2008年3月5日 (水) 00:58 (UTC)

保護解除のお知らせ

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保護を解除しました。今後はノートでの議論をお願いします。KMT 2006年1月18日 (水) 20:17 (UTC)

出典の明記のテンプレートの件

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履歴を見るとhonkouさんにより、"出典の明記"のテンプレートが貼られていましたので、このノートを見ましたが、それらしい議論はありません。現在のままでは、honkouさんが何に疑問を持たれているか不明で、改善の方法もわかりません。このままでは、テンプレートの存在により、この記事の信憑性がただ貶められている結果になりますので、honkouさんに議論に参加していただきたいと思います。honkouさんの利用者ページのノートにも同様のことを書いておきます。--Kk8998982 2007年2月11日 (日) 03:15 (UTC)

Honkouさんは無期限ブロックとなってます。

:{{unreferenced}}テンプレートを貼った当時2006年11月20日 (月) 12:32版については、「GHQによる禁止令」の節が存在することです。具体的には、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムという存在したことが疑わしいものを、本記事を補強するために引用していることによるものです。

さて、本記事の現在の版2007年2月11日 (日) 23:27版を拝見しましたが、「日本政府の公式見解」の節が設けられていることにより、テンプレートの必要性はさらに増したものと考えます。
閣議決定・閣議了解などは、内閣の政策の方向性の意思表示です。その効力に、法的な裏付けはありません。ある閣議決定が行なわれたのと同じ内閣において閣僚が、その閣議決定に反する行動をすれば、「内閣不一致」などの批判は当然に出てくるでしょう。しかし、違反したからといって刑罰が科されるのではありません。また、ある内閣での閣議決定が全てそのまま、将来に渡っていつまでも有効、でもありません。むしろ、時間が経過して首相が代替わりするとともに、過去の閣議決定が無視され覆される例が見られます。過去の内閣の閣議決定を引き継いで支持するのであれば、その旨を新たに閣議決定したり見解を表明するなどして、現在の内閣として追認する姿勢を明確にするのが通例です。
以上の答弁ではただ単に、「過去に大東亜戦争の呼称についての閣議決定は存在した。他方、太平洋戦争について内閣・政府として定義したことはない」と、事実を紹介したものでしかありません。安倍内閣として、先の戦争をどう呼ぶか、などの態度について何も述べていません。これをもって、
>日本政府は(中略)先の大戦について昭和16年12月12日の閣議決定による「大東亜戦争」が正式な呼称
とするのはどう考えても無理です。--Honkou 2007年2月17日 (土) 00:58 (UTC) 投稿ブロックの方針3.3.5により削除。--大六天 2008年3月5日 (水) 00:58 (UTC)
Honkouさんご回答有難うございます。前者のGHQ禁止令の件については、確かに明確な出典はすぐには見つからないようです。(アメリカの公文書などをあたる必要がありそうです。)
後者については、確かに"政府見解"、"閣議決定"なるものは、政権が変わるたびに変わりうるものですから、根拠としては、弱いと思います。ただ、今回の鈴木宗男衆議院委員の下記の内容の国会における質問
(引用はじめ)
平成十九年一月二十六日提出
質問第六号


大東亜戦争の定義等に関する質問主意書
提出者  鈴木宗男

大東亜戦争の定義等に関する質問主意書
一 大東亜戦争の定義如何。
二 太平洋戦争の定義如何。
三 大東亜戦争と太平洋戦争は同一の戦争か。


 右質問する。
(引用終わり)
という内容の質問に対し、政府答弁では、
(引用はじめ)
一について
 昭和十六年十二月十二日当時、閣議決定において「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とされている。
二について
 「太平洋戦争」という用語は、政府として定義して用いている用語ではない。
三について
「太平洋戦争」という用語は政府として定義して用いている用語でもなく、お尋ねについてお答えすることは困難である。
(引用おわり)
としています。この内容を踏まえれば、
1.昭和十六年十二月十二日「支那事変を含め対米英戦争を『大東亜戦争』と呼称する」と閣議決定した。
2.政府としては、『太平洋戦争』という名称の戦争の定義を行ったことが無い(=『大東亜戦争』を『太平洋戦争』と呼び変えるという決定をしたことが無い)
3.政府として公式に『太平洋戦争』の定義を行っていないのであるから、『大東亜戦争』=『太平洋戦争』とすることはできない。
となると思います。Honkouさんの"安倍内閣として、先の戦争をどう呼ぶか、などの態度について何も述べていません。"とは、上記"3"をさすと思われますが、上記流れを普通に解釈すれば、"昭和16年12月12日に『大東亜戦争』を名称を決定して以降、今日まで『太平洋戦争』という名称の戦争については、日本政府として公式に定義したことは無い。すなわち、『支那事変』+『対米英戦争』=『大東亜戦争』というのが、日本政府が公式に定義している唯一のこと"となると思います。またこれでは、『太平洋戦争』=『大東亜戦争』という解釈も成り立たなくなるのではないでしょうか。(『太平洋戦争』には『支那事変』は含まれていないのですから。)--Kk8998982 2007年2月17日 (土) 10:03 (UTC)

(タグを戻します)
{{unreferenced}}テンプレートは、Template メッセージの一覧で、"将来廃止される見込み"とありました。テンプレートを、より穏やかな表現のものに変更しました。--Kk8998982 2007年3月2日 (金) 21:41 (UTC)
一部修正。--Kk8998982 2007年3月2日 (金) 21:50 (UTC)

[1]の四、「呼称しなくなった。」を入れないのは片手落ちかと。--Los688 2007年3月8日 (木) 11:38 (UTC)
Los688さんコメント有難うございます。ただ、上のご指摘は、"平成十八年十二月八日受領答弁第一九七号"で、私の引用したものとは別の答弁だと思います。--Kk8998982 2007年3月10日 (土) 23:11 (UTC)

中立的と思えない

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2007年8月に入ってから、熱心に編集しておられる方がいらっしゃるようなのですが(IPが近いので、多分1人なのでしょう)、いささか特定の観点に偏っているように感じられます。とりあえず{{観点}}を貼りましたが、私の知識では対応できそうもありません。日本近代史に詳しい方による補正を御願いします。 -- NiKe 2007年8月21日 (火) 09:26 (UTC) :下のIPユーザーさんの「失礼してます」での意見と同感です。どこが中立的でないかも説明しないで{{観点}}を貼り付けるなら荒らしユーザーでもできます。というわけで{{観点}}は不適切と判断しました。Mr.magic 2007年8月21日 (火) 13:28 (UTC) 投稿ブロックの方針3.3.5により削除。--大六天 2008年3月5日 (水) 00:58 (UTC)

本人様の説明を待っています。Mr.magic 2007年8月21日 (火) 16:37 (UTC) 投稿ブロックの方針3.3.5により削除。--大六天 2008年3月5日 (水) 00:58 (UTC)

失礼してます

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一人ではないと思います。私は何回か続けて編集しました。実は、操作に習熟しておらず、勝手がよくわからないところがあり、失礼があったかもしれません。すみません。 また、当方に間違いあれば、修正されて当然かと思っております。

しかし、どこが問題かも特定されないまま、個人の印象だけで、いきなり「中立的とは思えない」と張られるのは、ちょっとアンフェアではないでしょうか?百科事典の編集の根拠が、偏っているように「感じられる」ではひどすぎます。

繰り返しますが、はっきりした問題があれば改めるに何の躊躇もありません。ただ、とりあえずのレッテル貼りはご勘弁ください。

失礼あればご容赦を。--以上の署名のないコメントは、218.217.155.61会話/Whois)さんが 2007年8月21日 (火)20:55 に投稿したものです(Izuminによる付記)。

まず、江藤淳氏関連はかなり削除せざるを得ません。ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムのノートにもあるように、江藤淳氏の正確性に大きな疑義が出ています。疑義が出ている記事をフォーカスして、さも正しいように記載することは、未検証記事を検証されたかのように見せかける行為であり、あまり容認できません。この件はウォー・ギルトの記事の件が解決すれば、こちらにも十分に記載できるでしょう。(なお、この部分についてはこのノートでこれ以上議論する余地はあまりありません。ウォー・ギルトのノートの方にお願いします。)あと、戦後の節も不適切な面があります。一般的な節の名称を取りながら、保守系の雑誌をメインに取り上げ、しかもそれが増加していることを取り上げている。21世紀日本の主要メディアであるテレビ・ラジオではほぼ使用されず、ほとんどの新聞でも使用していないことを「明記」せず、一部での使用の「増加」のみ記載することは、この語の使用を肯定的とする政治的な意図ありの文と取られてもやむを得ません。(個人としては、この節は不要と思いますが、修正の可能性はあるかもしれません。)この記事はセンシティブです。長文の追加はかなり、反発を受けます。少しでも中立でないと思われたならば、差し戻しを受けるでしょう。お気をつけ下さい。--Los688 2007年8月21日 (火) 15:21 (UTC)
IP様とNiKe様には横レス間議論で失礼します。江藤淳氏関連は「文藝評論家の江藤淳によれば、占領軍が、日本軍の戦争犯罪を強調するために行った宣伝政策は、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と呼ばれたという。」だけで事実を客観的に記載されているぶんには問題はないと思うが。「未検証」の貼付について提起しているのでノート:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムを見て欲しい。あと戦後の節も最近の「日本の右傾化」とともに主に保守系の雑誌で大東亜戦争の名称の使用が増加しているのは客観的な事実として否定できないので政治的な意図と捉えるのは不適切だと思う。文章削除のベクトルではなく「主要メディアであるテレビ・ラジオではほぼ使用されず、ほとんどの新聞でも使用していないこと」を加筆する方向で要らぬトラブルは軽減されるのでは?Mr.magic 2007年8月21日 (火) 16:37 (UTC) 投稿ブロックの方針3.3.5により削除。--大六天 2008年3月5日 (水) 00:58 (UTC)

若干のコメントを:

  • 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」についてはまず当該記事で江藤の主張が信憑できるのか否かの検証が進んでから記載すればよく、今すぐ直ちにこの記事に記載しなければならない必要性はない。なにしろ、Los688氏が述べているように正確性に疑問の残る論点だからである。
  • “「大東亜戦争」の名称の使用が「増加」している”という節も(私は不必要と考えるが)それでも記載するというなら、大幅な刈り込みが必要。一見した限りでも、
    • 「戦後の「大東亜戦争」を巡る状況」の節の第3段落第1文は出典を必要とする類の因果論を述べている。
    • 同第3段落の後半部についても一部の状況を全体に及ぶものと誤認させる類のミスリーディングな表現である。ただし、仮にそれを改めて、局所的な現象であることをわかる形に改稿した場合、“とるに足らないこと些事”のために“なぜこんなにスペースが割かれているのか”と不自然さを感じさせるようになるのは避けられないように思われる。
    • 同第3段落最終文では、「一目瞭然」のような方針に照らして問題のある(関連方針文書)表現を用いている。

要するに(どちらかと言えば)ない方が良い加筆と考えられます。--ikedat76 2007年8月22日 (水) 14:04 (UTC)typo--ikedat76 2007年8月22日 (水) 14:05 (UTC)

江藤淳の「WGIP」に関しては、ノートにあるような、インターネットの中の材料だけで議論しないで、もっとちゃんと調べた方がよいと思います。

「大東亜戦争」の呼称についての戦後の問題は重要だと思います。連合軍の占領が解除されても何故日本人がこの言葉を使用しなくなったのかを、説明する必要があると思います。(戦中派の国民の多くは戦後も「大東亜戦争」を使用し続けたのに、マスコミや公教育、政府文書、出版業界からは何故一掃されてしまったのか)。

また、近年保守層を中心に一部でこの呼称が復活し始めた経緯も説明する必要があるのではないでしょうか。

部分的な表現については、問題があれば修正すべきだと思います。--以上の署名のないコメントは、218.217.155.61会話/Whois)さんが 2007年8月23日 (木) 11:29

に投稿したものです(Izuminによる付記)。

皆様のご意見を取り入れながら編集させていただきます。更にあれば、またご意見を下さい。ハヤセ(前の無記名の者です) 2007年8月23日 (木) 19:09218.217.155.61会話履歴)による偽署名、投稿日時は2007-08-23 10:02:22 (UTC)。

当時の資料です

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議論の参考になると思うので、大東亜戦争という呼称を定めた閣議決定とその内閣が作成した文書を呈示しておきます。


『今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ』(昭和16年12月12日 閣議決定)
一、今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス
二、給与、刑法ノ適用等ニ関スル平時、戦時ノ分界時期ハ昭和十六年十二月八日午前一時三十分トス
三、帝国領土(南洋群島委任統治区域ヲ除ク)ハ差当リ戦地ト指定スルコトナシ
但シ帝国領土ニ在リテハ第二号ニ関スル個々ノ問題ニ付其他ノ状態ヲ考慮シ戦地並ニ取扱フモノトス


『「大東亜戦争ノ呼称ヲ定メタルニ伴フ各法律中改正法律案」説明基準』(昭和17年1月 内閣作成)
一、今回各法律ヲ改正スルコトニ依リ当該法律ノ今後ノ適用上別段ノ変更ヲ来スモノニ非ズ。(対米英戦ノ目的ハ大東亜新秩序ノ建設ニ在リ、其ノ目的ニ於テ又、其ノ本質ニ於テ従来遂行セラレ来レル支那事変ト何等異ル所ナク従テ大東亜戦争ナルモノハ支那事変ノ生成発展シタルモノト謂フヲ得ベシ。此ノ点昭和十二年ヨリ昨年迄ノ間ニ於ケル支那事変ノ過程ニ於テ幾多ノ発展段階アリタルト性質上撰ブ所ナシ。)
従テ
(イ) 臨時軍事費特別会計法ノ如キニ付前議会ニ於テ特ニ之ガ改正ノ措置ヲ執ラザリシ次第ナリ。
(ロ) 又、昭和十三年法律第八十四号(支那事変ニ際シ召集中ノ者ノ選挙権及被選挙権等ニ関スル法律)等ニ関シテモ「従前ノ支那事変ニ際シテノ召集ハ大東亜戦争ニ際シテノ召集ト看做ス」ト云フガ如キ規定ヲ設クルノ措置ヲ執ラザリシ次第ナリ。
二、「支那事変ヲモ含メ」云々ト謂ヘル閣議決定ノ趣旨ハ左ノ如シ。
(イ) 今次勃発ノ対米英戦ノミヲ支那事変ト区別シテ大東亜戦争ト称スルモノニ非ザルコトヲ示ス。
(ロ) 更ニ、右決定ハ、今後大東亜戦争ナル呼称ヲ用フル場合ニハ昭和十六年十二月八日前ノ支那事変ヲモ包含スルモノナルノ意ヲ含ム。
従テ臨時軍事費特別会計法ニ依ル会計年度ノ始期ニモ何等変更ヲ来スコトナシ。
(ハ) 尚「大東亜戦争」ノ「戦争」トハ包括的ノ呼称トシテ用ヒラレタルモノニシテ帝国憲法ニ謂フ「戦」、或ハ国際法上ニ於ケル「戦争」ト云フ如キ厳格ナル意味ノモノニ非ズ。従テ大東亜戦争ナル呼称ニ包括セラルル事態ニハ、国際法的ニ見テ厳格ナル意味ノ戦争ノ部面アリ又然ラザル部面アリ。
故ニ本呼称ノ決定ハ対重慶軍事行動ガ、法上ノ戦争ニ為リタルコトヲ示スモノニ非ズ。


『「大東亜戦争ノ呼称ヲ定メタルニ伴フ各法律中改正法律案」説明基準追補』(昭和17年1月 内閣作成)
一、今回各法律ヲ改正スルコトニ依リ当該法律ノ適用上差異ヲ生ズルカ、現行ノ儘放置シテモ実質上支障ナキモ呼称ガ改メラレタ為体裁ヲ整ヘル丈ノ意味カ。

適用上差異ナシ。条文上ノ措辞ニ付名実一致セシメタルニ止マル。

二、「支那事変ヲモ含メ」云々ト謂ヘル閣議決定ノ趣旨如何。

別紙説明基準二、ノ通。

甲(イ) 「支那事変ヲモ含メ」トハ事変勃発当初迄遡及シテ爾リト観念スルノ義ナリヤ。

今後大東亜戦争ナル呼称ヲ用フル場合ニハ、昭和十六年十二月八日前ノ支那事変ヲモ包含シ指称スルノ意ナリ。(尚次項参照)

(ロ) 昨年十二月七日以前ハ以前事変ノミ存在シタル義ナリヤ、或ハ遡ツテ戦争ト為リタル義ナリヤ。

呼称ノ上ニ於テハ大東亜戦争ト指称サルルモ、支那事変ガ遡ツテ国際法上ノ戦争ト為ルノ意ニハアラズ。
「大東亜戦争」トハ大東亜新秩序建設ノ為ノ軍事行動ノ総称ナリ。該呼称ニ包括セラルル事態ニハ、国際法的ノ戦争ノ部面アリ、又然ラザル部面アリ。

(ハ) 閣議決定ニ「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ」云々トアル意味如何。

閣議決定ノ趣旨ハ支那事変ニ始リ将来ニ及ブ大東亜新秩序建設ノ為ノ一聯ノ戦ヲ総称シテ「大東亜戦争」ト呼称スル旨ヲ明ニスルニ在リ。「今後生起スルコトアルヘキ戦争」トハ「大東亜新秩序建設ノ為今後新ニ生起スルコトアルベキ軍事行動」ノ意ナリ。

乙 支那事変ナル観念ハ可分ノモノトシテ大東亜戦争ノ一部ヲ成スモノナリヤ、或ハ支那事変ガ生成発展シテ大東亜戦争ト為リタルモノト認ムベキモノナリヤ。

後段ノ通ナリ。

(イ) 対蒋政権軍事行動ハ大東亜戦争ノ一部ト為リタルモノナリヤ。

対蒋軍事行動ハ大東亜新秩序建設ノ一手段タリ、而シテ大東亜戦争ナル呼称ノ中ニ包括セラルル一事態ナリ。

(ロ) 若シ然リトセバ事変ハ戦争ト為リ蒋政権ハ之ヲ交戦団体トシテ認ムル趣旨ナリヤ。

然ラズ。大東亜戦争ト云フ場合ノ「戦争」トハ前掲ノ如ク包括的ノ呼称ナリ。事変ヲ戦争ト為スノ積極的意味ナシ。大東亜新秩序建設ノ為帝国ノ執リタル軍事行動ニハ国際法的ノ戦争ノ部面アリ又然ラザル部面アリ。対蒋軍事行動ハ其ノ後者ニ該当ス。

(ハ) 然ラズトセバ、大東亜戦争ニ際シ依然中華民国ノ領域内ニ於ケル叛徒鎮圧ヲ為シツツアルモノナリヤ。

然リ。大東亜新秩序建設ノ一手段トシテ残存一政権ノ鎮圧ヲ為シツツアルモノナリ。

(ニ) 和蘭等ハ相手国ヨリ宣戦アリテ其ノ結果帝国トノ間ニ戦争状態ニ入リタルモノト解ス。而シテ重慶モ我方ニ対シ宣戦シタリ。此ノ場合ニ於テ重慶トノ間ニハ戦争ヲ生ゼズトスルハ如何ナル根拠ニ基クヤ。

法律的ニハ恰モ一匪賊ノ頭目ガ宣戦セルニ性質上同ジ、対米英宣戦ノ御証書ニモ「重慶ニ残存スル政権」トアリ。

(ホ) 右ノ場合ニ戦争法規ハ蒋政権トノ間ニ於テハ片面的ニ(即、我方ニハ適用ナクシテ重慶側ノミ)適用ヲ見ルモノナリヤ。

我方ニ適用ナキハ勿論ナリ。重慶側ト第三国トノ関係ハ彼等ノ主観ノ問題ナリ。我方ノ関知スル所ニ非ズ。

(ヘ) 蒋政権ヲ相手トセズト謂フ態度ハ今回擲スルモノナリヤ。

然ラズ。(ニ)参照。


『説明基準』・『追補』は、法律案の説明とはいいながら、実際には閣議決定-特に大東亜戦争の定義-の説明が大半を占めています。特に注目すべきは『追補』の「二、乙」で、問答の答え(「後段ノ通ナリ。」)は前段、つまり支那事変を大東亜戦争から区別できるという見方を否定しています。ですから、当時の政府による定義に基づけば、大東亜戦争が昭和16年12月8日に始まったとするのは無理です。

ただ、すでに戦時中から政府による定義とは異なる解釈があったのも事実で、終戦直後、昭和20年11月30日の貴族院における松本烝治国務大臣の発言もそのような異なる解釈の一つにすぎません(松本大臣は大東亜戦争の呼称を定めた内閣の一員でもありません)。ですから、当時の内閣による定義にこだわらずに別な定義を与えれば、太平洋戦争に代わる用語としての大東亜戦争に新しい可能性が開けると思います。--Mimizuno 2007年8月23日 (木) 12:50 (UTC)

すばらしい。これこそ前進的な意味のある議論です。ハヤセ2007年8月23日 (木) 22:05218.217.155.61会話履歴)による偽署名、投稿日時は2007-08-23 13:06:33 (UTC)。

百科事典のつとめは新しい知識を作り出すことではありません。Wikipediaではそうした「新しい可能性が開」くようなものをユーザーが勝手に作り出すことは、独自研究として排除されます。--ikedat76 2007年8月23日 (木) 14:55 (UTC)

利用者:Tencolarの名でまた荒らし

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利用者:Tencolarと利用者名を変えて、利用者:Mr.magicが、また荒らしをしています。Mr.magicはPeaceが複数アカウントの不正使用を目的に作成したソックパペット(別アカウント)として利用者:ジンベイの利用者名でも無期限ブロックを受けている常習者。履歴を読めば明らかなのだから、これ以上の荒らしはやめなさい。--Nahotoka 2007年10月11日 (木) 10:09 (UTC)

大東亜共栄圏

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名称由来の解説として「大東亜共栄圏」との関係が消えています。無関係なのでしょうか。そうは思えません。関係の有無について詳しい方に補筆をお願いします。無関係なら、その証明をして関連項目のリンクからも外すべきでしょう。用語として似ているので、読者に不親切と思います。--Memosa 2007年12月13日 (木) 22:33 (UTC)

「太平洋戦争」からの一部転記を提案中

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太平洋戦争」の記事から太平洋戦争#呼称に関する議論の節を「大東亜戦争」へ転記することを提案しています。議論はノート:太平洋戦争を参照してください。--Cave cattum 2008年1月8日 (火) 02:51 (UTC)

一部転記を実施しました。また、ノート:太平洋戦争より、関連する議論を下記の通り転記しました。--Cave cattum 2008年1月22日 (火) 01:06 (UTC)

2003年の議論

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呼称については、少し調査して修正しました。

連合国側で使っていた太平洋戦争を利用することとなった。

というのは、あまり正しくもないので、修正が要ですが、言葉は発明するものでもないし、難しいです。G 13:56 2003年2月18日 (UTC)

その後の言論統制により、「太平洋戦争」を利用することとなった。
と言うのはどうでしょう?Sketch 15:21 2003年2月19日 (UTC)

確かに分からなければ書かない。それが正解かもしれません。G 15:47 2003年2月19日 (UTC)

上記を受けて、「その後の言論統制により、太平洋戦争という呼称を利用することになった。」と変更しました。
あと、「名残が残り」は二重表現のようなので、「名残で」にしました。
ついでに「戦争の原因」は原因について語っていなかったので「戦争への経緯」にしました。
ご意見があれば是非お寄せ下さい。Sketch 14:15 2003年2月22日 (UTC)

「近年、太平洋のみならずアジアの大陸部をも含んだことから、この戦争をアジア・太平洋戦争と呼ぶことが提唱されている。」ではいけませんか。ある説の紹介は、その説の論者の意図をくんで要約するべきです。反対説は別の段落を立てて反対説として紹介すればいいのです。Wikipediaの中立的観点はそういうものだと思います。正反対の意見をなんとかしてまぜこもうと苦吟することはないでしょう。Kinori 21:46 2003年9月19日 (UTC)

無理に主観的な言葉を出す必要は無いですね。先ほどの文を読み返すと、右翼のプロパガンダみたいです。書きたい人は、後で「皇国史観」「自虐史観」のようなトピックを作ればよいことでしょう。この文言を最初に入れた人には悪いですが、削除して簡潔にします。220.97.67.251 22:47 2003年9月19日 (UTC)

『先ほどの文』が「日本の起こした戦争は、全体像として〜」に始まる、私の文章を指すならば、
そもそも「右翼のプロパガンダみたい」というレベルの理解不足な感想しか語れない方に批判してほしくないと思います。
ただし
>「無理に主観的な言葉を出す必要は無い」
には同意しています。この記事は「自虐史観」を語る場ではありません。だから、直接記事に書いていません。 右翼と言うより学問の領域で研究されている内容からの主張であって、右翼にも親米派・反米派など正反対な考えがあり、
侵略戦争がどうとかなど別にどうでも良い者や。タテマエはさておき神格否定した後の天皇などどうでも良い者さえ居ます。

上記は「日本が悪かった」を前提として、改めて歴史の検証をすること自体を反動的とするような、市民運動を名乗る
割には偏向した左翼みたいなプロパガンダを聞かされると、私も違和感があると言っているだけです。

「先ほどの文」というのは、私が書いた暫定案の文のことだと分かりませんでしたか?その文が右寄りの意見に偏っていると言ったのです。Kinoriさんとのやりとりなど、流れをよく読みましたか?
私は戦争関連の記事もこれから書くつもりですし、GHQの記事も(書きかけですが)書いています。「歴史の検証をすること自体を反動的」などとは微塵も思っていませんのでお間違いなく。220.97.67.251 18:17 2003年9月20日 (UTC)

2005年の議論

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戦後、「アジア全域で戦争をした」という印象が定着することを回避するため、太平洋戦争の名称を日本国民に占領期間を通じて定着させ、現在に至る。 という記述がありましたが、事実関係として正しいのでしょうか。そもそも、「定着させ」の主語は誰なのでしょうか。一旦コメントアウトしました。--にごう 2005年11月2日 (水) 23:01 (UTC)


”アジア太平洋戦争”という呼称は、主に左翼勢力が使用している名称であり、戦後長期にわたり”太平洋戦争”と呼称されていたのですから、一般的呼称としては”太平洋戦争”が適当であると私は考えます。以上の署名の無いコメントは、202.67.18.251会話/whois)氏が[ 2005年12月8日 (木) 13:38]に投稿したものです(Kk8998982による付記)。

この発言は私がIPユーザーの時に記入したものです。一部不穏当な表現があるため下記のように修正します--Kk8998982 2007年2月11日 (日) 02:34 (UTC)

”アジア太平洋戦争”という呼称は、主に左翼系の学者が使用し始めたとされる(何かの本で読んだと思いますがタイトルは不明です)名称です。戦後長期にわたり"太平洋戦争"と呼称されていたのですから、一般的呼称としては"太平洋戦争"が適当であると私は考えます。
現在、日本政府は『太平洋戦争』という名称の戦争は公式に定義しておらず、
鈴木宗男衆議院委員の下記の内容の国会における質問

(引用はじめ)
平成十九年一月二十六日提出
質問第六号


大東亜戦争の定義等に関する質問主意書
提出者  鈴木宗男

大東亜戦争の定義等に関する質問主意書
一 大東亜戦争の定義如何。
二 太平洋戦争の定義如何。
三 大東亜戦争と太平洋戦争は同一の戦争か。


 右質問する。
(引用終わり)

という内容の質問に対し、政府答弁では、

(引用はじめ)
一について
 昭和十六年十二月十二日当時、閣議決定において「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とされている。
二について
 「太平洋戦争」という用語は、政府として定義して用いている用語ではない。
三について
「太平洋戦争」という用語は政府として定義して用いている用語でもなく、お尋ねについてお答えすることは困難である。
(引用おわり)

しています。よって、日本政府の2007年2月6日現在の公式見解では、
『支那事変』+『対米英戦争』=『大東亜戦争』
であり、いわゆる『太平洋戦争』は
『大東亜戦争』-『支那事変』=『対米英戦争』
となると思います。したがって、この項目の名称は『対米英戦争』とするのが妥当なように思います。ノート:大東亜戦争#出典の明記のテンプレートの件参照。
本文の"呼称に対する議論"の冒頭の
(引用始め)
戦前において、日本では、アジア太平洋戦争を大東亜戦争と呼称していた。
(引用終わり)
の部分は、
(私案始め)
戦前において、日本では、支那事変を含め対米英戦争を大東亜戦争と呼称していた。
(私案終わり)
と修正するのが穏当と考えます。--Kk8998982 2007年2月11日 (日) 02:34 (UTC)一部修正--Kk8998982 2007年2月11日 (日) 20:43 (UTC)一部修正--Kk8998982 2007年2月17日 (土) 10:31 (UTC)


「指示」を「支持」に改めました。誤字と思われるためですが、もし何らかの意図があって「指示」になっていたのならお詫び申し上げます。たらこ 2005年1月22日 (土) 02:37 (UTC)

戦後、「アジア全域で戦争をした」という印象が定着することを回避するため、太平洋戦争の名称を日本国民に占領期間を通じて定着させ、現在に至る。 という記述がありましたが、事実関係として正しいのでしょうか。そもそも、「定着させ」の主語は誰なのでしょうか。一旦コメントアウトしました。--にごう 2005年11月2日 (水) 23:01 (UTC)

2006年の議論

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いやはや、なんとまあくだらない議論をしているのか・・・ 大東亜戦争は大本営政府連絡会議にて陸軍案として出されたものであり、 太平洋戦争は海軍案として出されたものである。閣議決定されたのは大東亜戦争の方だが、太平洋戦争も海軍部内では普通に使われたものである。 太平洋戦争が戦後使われたのは、単に対米戦争メインで記憶されたからだろう。 陸軍の株がさがったせいもあるだろうが。ともあれ、どちらも正しい名称である。言うまでもない事だがアジア太平洋戦争なる名称は何等の根拠も無い者であり、明らかに誤った名称であると断言できよう。以上の署名の無いコメントは、野狐会話履歴)氏が[2006年6月24日 (土) 22:17(UTC)]に投稿したものです(Kk8998982による付記)。

2007年の議論

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議論の中身については詳しく無いので何ともいえませんが、 項目名は「太平洋戦争」となっているのにも関わらず、「呼称に関する議論」の部分でいきなり

>戦前において、日本では、アジア太平洋戦争を大東亜戦争と呼称していた。

「アジア太平洋戦争」という言葉が何の前触れもなく登場します。「アジア太平洋戦争」がリンクになっていますが、それをクリックしても同じ「太平洋戦争」の項目につながるばかりで、何の意味も成していないように思います。

さらに、「呼称に関する議論」の最後には

>また、主戦場がアジアと太平洋に広がっていた面から、近年ではアジア・太平洋戦争と呼ぶことが提唱されている。

と書かれています。これは不自然ではないでしょうか。 思想云々には興味が無いので呼称がどうなろうと全く気にならないのですが、この文には違和感を覚えました。 始めの「アジア太平洋戦争」のリンクを外し、「太平洋戦争」と書き換えれば違和感は無くなると思います。 --203.135.226.40 2007年3月4日 (日) 22:56 (UTC)

上記発言は、冒頭に有るのは不適切と思われたので移動しました。--Kk8998982 2007年3月11日 (日) 00:23 (UTC)

本文のこの項目が丸ごと削除されていましたので復帰しました。項目ごと丸ごと削除するのは、"荒らし"と取られかねません。内容に異議があるのでしたら、ノートで議論してください。--Kk8998982 2007年3月17日 (土) 14:22 (UTC)

よく見てください。現在のバージョンでは「呼称に関する議論」として全く同じものが2回書かれています。貴殿の自主的なリバートを所望します。--Cave cattumWikiMiniAtlasのご紹介 2007年3月17日 (土) 14:37 (UTC)
誤りを確認し、差し戻しました。Cave cattumさんに対し深く謝罪いたします。--Kk8998982 2007年3月17日 (土) 14:43 (UTC)

転記の提案

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本件に関しては#呼称に関する議論の転記を提案を提案しました。--Cave cattum 2007年8月26日 (日) 04:19 (UTC)

転記先の「大東亜戦争」の項目では正しく書かれてるのに、こちらの「太平洋戦争」の項目では未だに誤った表記がなされているようなのであえてここに書きます。「アメリカをはじめとする連合国側では、戦時中から太平洋戦争という呼称が使用されていた」というのは英語版の記事に照らしてみると明らかな誤りであり、連合国側は戦時中、この戦争を「World War II」(第二次世界大戦)の中の「War with Japan」(日本との戦争)ないしは「Pacific Theater」(太平洋戦線)と呼んでいました。既に書かれている方もいるように、「太平洋戦争」という名称は海軍による提案であり、戦争中も海軍内ではふつうに使用されていた単語であるわけで、このような状況を前提に考えれば、むしろ、英語の「Pacific War」のほうこそが、日本語の「太平洋戦争」の語を訳して戦後作られた語だと考えたほうが理に叶っています。このような「太平洋戦争」の語が「連合国側では戦時中から使用されていた」というのは明らかな誤りであり、訂正が必要と考えます。Choi migi 2007年10月18日 (木) 00:11 (UTC)
賛同いたします。--大六天 2008年3月5日 (水) 00:58 (UTC)

削除報告

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「投稿ブロックの方針3.3.5」に拠って削除しました。「投稿ブロックの方針3.3.5」とはWikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロック済みユーザーの別ユーザー名(ID)あるいは別IPアドレスに対する追加ブロックです。「この利用者による投稿は同一ユーザーであるという蓋然性を理由に差し戻すか、あるいは除去することができます。」とあります。本文は誰が何を書き込んだか精査していませんが、除去可能ですのでお気づきの点がございましたらお願いします。--大六天 2008年3月5日 (水) 00:58 (UTC)

「検閲による「大東亜戦争」の強制的な「太平洋戦争」への書換え」に対する削除ついて

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「「大東亜戦争」という用語は強制的に「太平洋戦争」に置き換えられていった。」から「強制的」の削除を繰返していますが[2][3]、出典要求に続いて出典の信頼性を理由として削除しています。出典の信頼性とは何でしょうか。又強制的ではなかったつまり任意であったとする説もあると読めるような記述を加筆していますが、これはどのような文献からそのようなお考えに至ったのでしょうか、参考までに披瀝いただければ幸いです。--廿粁 2009年5月28日 (木) 01:02 (UTC)

任意であったとする説があるかどうかわわかりませんが、現状の出典から明らかになっていることは「強制的であったとする説がある」というだけです。江藤淳氏や勝岡氏が強制的に書き変えられた事実について主張しているのではなく、強制的に書き変えられたと主張しているのだから、そう書くのが適切でしょう。--彩華1226 2009年5月28日 (木) 03:05 (UTC)
大東亜戦争から太平洋戦争へと書換えられた事実を研究の結果明らかにし、それを指摘していることから「主張」や「説」などには全く当らず、このような記述は不適切であると考えます。--廿粁 2009年5月29日 (金) 02:02 (UTC)
>大東亜戦争から太平洋戦争へと書換えられた事実を研究の結果明らかにし、それを指摘している
「大東亜戦争から太平洋戦争へと書き換えられた事実」については手を加えていませんが[4]。あくまで「強制的に」は主張に過ぎないと申し上げています。--彩華1226 2009年5月29日 (金) 04:06 (UTC)
検閲は強制ではないと読取れる内容の書方になっていますが、「「大東亜戦争」という言葉をすべて「太平洋戦争」と書き換えさせた。」は主張ではなく事実として書いています。これは何の文献を参考とされ事実としたのか、この区別はどうつけたのか、被占領期に行われた検閲は強制ではないというお考えはどの文献からかなのかご説明いただければと思います。--廿粁 2009年5月30日 (土) 00:35 (UTC)
「被占領期に行われた検閲は強制ではない」って私の編集のどこに書いていますか? そもそも、「検閲が強制ではない」事実や「検閲が強制ではないと主張されている」事実についての論拠・出典はありませんから、検閲が強制ではないなんてWikipediaの性質上、書けるわけないし、書くわけないんですが。
問題は出典により示されている事実が「(江藤氏・勝岡氏らが)検閲は強制であったと言っている」である以上、「検閲は強制であった」ことが事実であるように書くことに問題があると一貫して述べています。--彩華1226 2009年5月30日 (土) 15:01 (UTC)
出典もなく、当記事の文献が「江藤淳著 『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』 文藝春秋〈文春文庫〉」や「勝岡寛次著 『抹殺された大東亜戦争―米軍占領下の検閲が歪めたもの』 明成社」に拠っている以上、このような他の意味を持つ含蓄的な記述は不適切であり、差戻しが適当であると考えます。--廿粁 2009年6月1日 (月) 00:16 (UTC)
ですから、「強制的に書き換えられたことが事実」って書きたければ論拠を示してくださいよ。出典が示していることが「大東亜戦争が太平洋戦争へ書き換えられた事実を勝岡氏が論証した。書き換えは強制的だと江藤氏や勝岡氏が言ってる」ていう状況は何も変わってませんよ。論証された事実と論証した上での主張は全然違います。まさか、「強制でない」とするいう根拠を私が示さなかったから強制だと、付会されるわけではないですよね? --彩華1226 2009年6月1日 (月) 15:26 (UTC)
既に示されているように「江藤淳著 『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』 文藝春秋〈文春文庫〉」、「勝岡寛次著 『抹殺された大東亜戦争―米軍占領下の検閲が歪めたもの』 明成社」です。二つの出典に代表されているとおりです。彩華1226さんの言う検閲の事実は「江藤淳著 『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』 文藝春秋〈文春文庫〉」や「勝岡寛次著 『抹殺された大東亜戦争―米軍占領下の検閲が歪めたもの』 明成社」のようですが、「強制的」は主張になる論拠を示して下さい。--廿粁 2009年6月2日 (火) 00:22 (UTC)
結局「大東亜戦争が太平洋戦争へ書き換えられた事実を勝岡氏が論証した。強制的な書き換えだと勝岡氏が言ってる」以上の論拠は示していただけないのですね。もし、事実と主張と意図的に混同しようとされているのでしたら、看過し難い問題です。
で、江藤氏は「日本人自身によって行われたと想像される」って言っているので、強制的な書き換えだと主張しているのは勝岡氏だけになります。そう編集させていただいてよろしいですね。--彩華1226 2009年6月2日 (火) 03:58 (UTC)
検閲が、ポツダム宣言に明記された言論の自由に反する占領軍の武力を背景とした実力行使であることを当時の資料を基に論証しています。又発行禁止処分の実例も紹介しており、何等主張などと言うべきものではありません。これをどのように読めば主張になるのでしょうか。ご説明下さい。彩華1226さんは江藤氏の「日本人自身によって行われたと想像される」を引いていますが、これは何頁のことを言っているのでしょうか。ご説明下さい。検閲に関する書籍は沢山ありますので、検閲の実態について一度調べてみたら如何でしょうか。--廿粁 2009年6月3日 (水) 00:51 (UTC)
(インデント戻し)差分を読んでいただければわかるように、「呼称に対するGHQの検閲」の章は要約した上で「GHQによる「大東亜戦争」使用の禁止」に組み込んでいます。2009年6月2日 (火) 23:23(JPN)時点における編集で「呼称に対するGHQの検閲」の章を除去したのはその理由からです。ですので、江藤氏の主張についての記述は既存の記述の要約です。
それから、勝岡氏が「検閲が、ポツダム宣言に明記された言論の自由に反する占領軍の武力を背景とした実力行使であることを当時の資料を基に論証」し明成社から出版した書籍は広く(それこそウヨサヨ問わず)査読を受けた上で(保守派論壇以外からも)信頼性を担保されているんでしょうか? そうでなければ、結局「勝岡氏の主張」(保守派の主張と読み替えてもよい)を克服することはできません。
また、検閲の実態が書きたいんだったら適切な項目(日本における検閲プレスコードウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)で述べ、そちらへのリンクを貼れば良く、わざわざ「大東亜戦争の呼称の禁止」で詳述する必要がないのではないでしょうか。--彩華1226 2009年6月3日 (水) 19:07 (UTC)
私の質問へは回答せずに、議論を無視して強行したご自身の編輯[5][6]の正当化を図るのは止めて下さい。彩華1226さんは事実と主張を分けているようですが、「保守派の主張」という彩華1226さんの主観を持出してその本自体を主張としています。主観で判断するのもおかしいですが、「大東亜戦争が太平洋戦争へ書き換えられた事実を勝岡氏が論証した。」はどの本になるのでしょうか。これは論点をずらす行為であり、不誠実であると指摘せざるを得ません。勝岡氏の著作は実際に検閲された出版物などの検閲された資料を基に紹介したものです。勝岡氏の著作に疑問点があるなら、それに対して意見がある著作の中から具体的に紹介し指摘することが建設的な議論ではないでしょうか。それと、私が言っている「検閲が」の下りは勝岡氏ではなく江藤淳著作の方です。--廿粁 2009年6月4日 (木) 01:21 (UTC)
お答えします。
>事実と主張を分けているようですが、「保守派の主張」という彩華1226さんの主観を持出してその本自体を主張としています。
事実と主張を分けるのはWikipediaですから、当たり前です。「保守派の主張」が主観というのであれば、保守派以外が「強制的に書き変えられたことは事実だ」って記述・主張してるのを出してくださいよ。それがないから、保守派の主張以上の展開をしていないじゃないのかと疑問を呈しているだけです。(個人的な感覚としては明成社から出てる本を保守派以外が読むとは思えませんし)
>「大東亜戦争が太平洋戦争へ書き換えられた事実を勝岡氏が論証した。」はどの本になるのでしょうか。
だから2009年6月3日 (水) 19:07 (UTC)の回答と編集の差分をちゃんと読んでもらえませんか。私が編集を行う前の版にあらゆる出版物が「事前検閲」を受け、「大東亜戦争」という言葉はすべて「太平洋戦争」と書き換えられた、(中略)勝岡寛次著『抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪めたもの』(明成社、2005年)が、原資料に基づきかなり多くの検閲の実例を挙げてこれらについて論証しているとあります。何度も申し上げているように、私の編集は「呼称に対するGHQの検閲」の章を要約して「GHQによる「大東亜戦争」使用の禁止」に組み込んだもので、一切自身の主観も主張も入れておりません。
>私が言っている「検閲が」の下りは勝岡氏ではなく江藤淳著作の方です。
2009年6月3日 (水) 19:07 (UTC)の回答で返答していますが、見落とされているようなので、もう1回書きます。江藤氏の主張についての記述は既存の記述の要約です。
>勝岡氏の著作に疑問点があるなら、それに対して意見がある著作の中から具体的に紹介し指摘することが建設的な議論ではないでしょうか。
勝岡氏の著作が史実として定着しているか、学術的に批評されているんだったら、いくらでもあるんでしょうけど、そんなに無い(ざっと検索をかけてみましたが保守系ブログでの書評が出てくるぐらい)ってこと自体、勝岡氏の主張は勝岡氏の主張はにとどまるのではないかと思いますよ。
最後に言わせてください。議論を行っている最中の相手を削除依頼にかけて当人に通告も行わないという行為は、対話拒否ではないんですか?--彩華1226 2009年6月4日 (木) 10:53 (UTC)
勝岡氏の本自体が「結局「勝岡氏の主張」(保守派の主張と読み替えてもよい)」[7]と彩華1226さんが言っているが、「勝岡寛次著『抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪めたもの』(明成社、2005年)が、原資料に基づきかなり多くの検閲の実例を挙げてこれらについて論証している」[8]や「「大東亜戦争が太平洋戦争へ書き換えられた事実を勝岡氏が論証した。」[9]と言っていることと矛盾していませんか。これに対して私は[10][11]に於いてこの区別はどうつけているのか質問しているが、全くこの矛盾に対して何等回答がされていません。そればかりか、「保守派以外が「強制的に書き変えられたことは事実だ」って記述・主張してるのを出してくださいよ。」[12]として保守派だからというニュアンスで批判している。彩華1226さんから見てこれは保守派だからという理由で主張になるというのは主観でしかないでしょう。
彩華1226さんの発言「>私が言っている「検閲が」の下りは勝岡氏ではなく江藤淳著作の方です。 2009年6月3日 (水) 19:07 (UTC)の回答で返答していますが、見落とされているようなので、もう1回書きます。江藤氏の主張についての記述は既存の記述の要約です。」[13]は、彩華1226さんが言った「それから、勝岡氏が「検閲が、ポツダム宣言に明記された言論の自由に反する占領軍の武力を背景とした実力行使であることを当時の資料を基に論証」し明成社から出版した書籍は広く(それこそウヨサヨ問わず)査読を受けた上で(保守派論壇以外からも)信頼性を担保されているんでしょうか?」[14]に対する私の回答「それと、私が言っている「検閲が」の下りは勝岡氏ではなく江藤淳著作の方です。」[15]への回答ですが(検閲が、ポツダム宣言に明記された言論の自由に反する占領軍の武力を背景とした実力行使であることを当時の資料を基に論証しています。又発行禁止処分の実例も紹介しており、何等主張などと言うべきものではありません。[16])、これも矛盾していますね。江藤淳や勝岡寛次の記述内容を取違えている上、私の質問「彩華1226さんは江藤氏の「日本人自身によって行われたと想像される」を引いていますが、これは何頁のことを言っているのでしょうか。ご説明下さい。」[17]にも答えていない。彩華1226さんは江藤淳や勝岡寛次の本を読んで反論しているのか全く疑わしい状況です。実際に本を読んで貰えれば分るが、江藤淳の著作は実際に検閲が行われる準備段階から史料を基に掘下げ、勝岡寛次は検閲が行われた原史料を基に分析された書籍です。保守派だからなどという理由で忌避する理由は見あたりません。さらに文献として「発禁・近代文学誌、學燈社」を挙げます。検閲の文献として「新聞の歴史3、日本図書センター」も挙げます。新聞の歴史の方は豊富な写真付で検閲の実態がよくわかります。
対話拒否について、対話拒否であるのは彩華1226さんではないですか。[18](6月2日)で一方的に編輯を宣言し、議論中にも拘らず当該項目の編輯を強行[19][20][21](6月2日)、6月3日[22]の議論ではそれを援用し、4日の議論でもそれを基にしていますよね。5月28日より始った議論はこれによって捩じ曲げられ、6月2日以前の議論を無視した恰好になっています。(Wikipedia:投稿ブロック依頼/彩華1226 20090603
以上私が出した新たな文献も合わせて吟味した上で、論点をすり替えることなく誠実な回答を期待します。--廿粁 2009年6月5日 (金) 01:40 (UTC)
回答がないようですので戻したいと思います。--廿粁 2009年6月10日 (水) 00:02 (UTC)
戻しました。--廿粁 2009年6月17日 (水) 00:58 (UTC)

冒頭の定義について

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ノートでの議論を求めて、食事会さまの取り消しを再び取り消しさせていただきました。現代日本語による記事ですので、死語となった「支那」をわざわざ使って定義する必要はありません。--Nife 2009年9月12日 (土) 08:25 (UTC)

  • 支那中華民国かで編集合戦が生じているようですが。支那は「中国」の地域的呼称で、とくに当時は軍閥が跋扈しており統一政府が明らかでなかったこともあり、ここでは「連合国の一員として中華民国」を記述するほうが適切だと考えます。支那は地域名ですのであいまいにぼかされて良く分かりません(日本軍を日本列島、米軍を米国大陸、英軍をブリテン島と呼んでいるかのような印象)。「支那戦った」なら分かるが「支那(の連中)戦った」ではぼやけてしまいませんか?--大和屋敷 2009年9月12日 (土) 08:33 (UTC)
  • 皆さんのおっしゃるとおり、百科事典らしい解説文としては「米英、支那と戦った」よりも「アメリカ合衆国、イギリス、中華民国」としたほうが相応しいと思います。あえて当時は「支那」が日本政府の正式な呼称だったと示したければ中華民国(当時日本側からは支那と呼称)のような表記も許されるかと思われます。--紫泰斗 2009年9月17日 (木) 14:28 (UTC)
  • ところで「当時日本側は支那と呼称していた」と断定することができるんでしょうか?信頼できる検証可能性あります?たとえば僕は永雄策郎の「満州問題・太平洋外交の原理原則と満州事変の意義及其の帰結」という書籍を持っていましてそこでは満州における日本の権益を侵害する勢力として「支那」(中華民国ではない)と記述されているのですが、こういった個別・個別の書籍を列記するだけでいいのだろうか、という疑問がチトあります。--大和屋敷 2009年9月18日 (金) 16:05 (UTC)
  • すぐに思いつくのは石原東京都知事の「支那は支那」発言ですが、これ(近代日本の「支那」「満蒙」呼称:何為民:現代社会文化研究-新潟大学大学院[23])を見ると「当時は支那と呼んでいたんだから支那で良い」と安直に理解するのも軽率な気がしています。当時の日本人の「支那」に込めた差別的ニュアンスは無視するとしても、【近代日本においては、「清国」を大きく2つに分けている。ひとつは「支那本土」であり、・・もうひとつは、「満蒙」である。・・「支那」という名称の由来は、『辞海』(1938年中国語版)によるとヒンディー語である・・中国を支那・・また「脂那」「震那」とも称している・・・『広辞苑』では「秦」の転訛・・・初めインドの仏典に現れ・・江戸中期以来第二次大戦末まで用いられた」「江戸末期・・支那という名称はすでに用いられていたが、満蒙呼称の使用は稀・・・満州という呼称は清国全土を意味している。」「明治初期から日清日露戦争まで、日本の学界では支那・満蒙が清国本土のどの地域を指すのかは明確ではなかった。支那は清国全土をさし、満蒙は中国東北地域と内モンゴルの一部を指している・・・】(PDF-P9~P10)と江戸末期から明治期においても支那の定義は流動的で必ずしも明確ではありません。
  • 紫泰斗さんのご提案のように「あえて当時は「支那」が日本政府の正式な呼称だったと示したければ」まず日本政府の正式な呼称であったことが明確に確認できる出典(ないし法令)を挙げたうえで併記するのも手かとおもいますが、僕の片手間な調査ではそこまではチト手が伸ばせませんでした。--大和屋敷 2009年9月18日 (金) 16:49 (UTC)
  • あー支那の項目にありました。法令はこれですね[24]。大正2年6月の閣議で「支那国」「支那共和国」の呼称を用いるとして、同年10月6日の中華民国承認以降も使用しており、昭和5年10月31日に中華民国に統一すると閣議決定されていますね。あれ?とすれば、期間からして「支那事変」を含めるにせよ「中華民国」で問題ないんじゃないのか?--大和屋敷 2009年9月18日 (金) 17:00 (UTC)
  • どうしても「支那」が書かなければならない方向へ議論がすすめば紫泰斗さんの意見のように書くのがいいと思いますが、なんとしてでも「支那」と書かなければいけないというほどでもないみたいですね。--彩華1226 2009年9月18日 (金) 21:38 (UTC)