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ノート:大チベット/過去ログ1

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大チベット」の様々な用例と典拠

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記事で引用した用例を、前後の文脈もふくめてピックアップします。

そして、ダライラマの提出した「中間道路」や「大チベット区」をいかに評価するかという質問に対し、シンツアー団長は、「いわゆる『中間道路』の核心的内容の一つは『大チベット区』を建設しようとするものだ。チベットは中国領土の分割できない一部分である。『大チベット区』という言い方はそのほかの少数民族を『大チベット区』から撤去させるだけではなく、そこに駐屯する中国解放軍の撤去も要求している。これは国家の主権にかかわっている。『大チベット区』は中国の主権を無視するものだ」と述べた。(報道③)
當《現代日報》記者問到如何評價達賴提出的“中間道路”和“大藏區”的問題時,新雜.單增曲扎指出,達賴提出的“中間道路”乍一聽很誘惑人,但是如果仔細分析所謂“中間道路”背後的內容,就會發現很多“東西”。所謂“中間道路”的核心內容之一就是要建立所謂的“大藏區”。只要稍微懂一點西藏歷史,就會發現“大藏區”的提法非常荒謬。西藏是中國領土不可分割的一部分,而“大藏區”這一提法,不僅要求其他民族從“大藏區”撤離出去,還要求駐扎在那裏守衛國土的解放軍撤離出去。這些都關係國家主權。如果按照達賴所謂“大藏區”的提法,還談得上什麼國家主權?(報道④)

「大チベット」の様々な用法について

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中央チベットを含まない、「アムドカムを合わせた範囲」だけを指すチベットの伝統的な用法で立項してみました。中央チベットもふくめたチベット全体を指す用語としての「大チベット(大西蔵, Greater Tibet)」の紹介も大歓迎です。だれによる用例か、典拠もふくめてご紹介いただけることを大歓迎します。--Dalaibaatur 2009年11月8日 (日) 05:19 (UTC)[返信]

つい先日の2010年9月5日より一週間、上記のClarin氏の提起により、「Wikipedia:削除依頼/大チベット区」の議論が行われ、氏の削除依頼は却下されました。発言者の一人ButuCC氏の発言に次のような一節があります。
(前略)第二、作成者の意見が全てではないです。作成者がどうこう言おうと別の方が正しい定義を提示できる可能性があります。『大チベット区』という呼称・使用例があること自体は(当該記事の出典を信じれば)事実であり、それを『ダライラマ14世を非難する用語』と定義づけることが争点であって、作成者の主張を無視して定義文を訂正すれば有用になる可能性があります(後略)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年9月6日 (月) 17:43 (UTC)[返信]
上記は「大チベット区」をめぐる議論の一節ですが、「大チベット」の定義・用例にもあてはまります。『大チベット』という呼称・使用例が実在すること自体はまぎれもない事実であり、私の「独自研究」や「主観」、「プロパガンダ」、「用例集?」etc.などでは決してありません。この事実についての記事を、ClarinさんはWikipediaのルールを独自解釈した不思議理論にもとづき「除去」すべきと強弁しておられますが、Clarinさんが今後いくらこのご持論をヴァージョンアップなさろうと、たぶん私には同意できないままであると思いますので、そんなことに情熱をそそがれるよりは、Clarinさんが『大チベット』という呼称・使用例があるという事実をふまえた上で、現在の文面について、ここが気になるとか、自分ならこう書く、こんな典拠を発掘してきたからこのようにあらためるべき等とご提案くださったほうがよほど生産的かとおもいます。--Dalaibaatur 2010年9月13日 (月) 19:49 (UTC)[返信]

独自研究、プロパガンダ、用例集の除去に関する件

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Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触するため、以下の記述の出典の明記、および削除を求めます。

>これに対し、チベットを「大西藏」「大西藏区」「大蔵区」等と呼ぶ呼称は、中国政府(あるいは中国のマスコミ等)が、チベット全体を単一の自治的行政単位として統合するよう求めるダライラマ14世やチベット亡命政府に対し、自治区の部分(西藏の部分)だけを「チベット」とする立場からこれを非難、批判する際に用いられる特別な用語である。

また、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんに基づき、大チベット#「大チベット」のさまざまな用法節の除去を求めます。尚、それらの用例が促進している観点に関する出典が出される場合は、その限りではありません。ウィキペディアを用例集にし、それに関するウキペディアンの分析を付け加えて記事にするのは、ウィキペディアの正しい使い方ではありません。--Clarin 2010年9月12日 (日) 02:56 (UTC)[返信]

あなたの主張する「除去」については一切同意しません。理由は次節で。--Dalaibaatur 2010年9月13日 (月) 01:56 (UTC)[返信]
  • 「大チベット区」についてのお尋ねは、ノート:大チベット区でお答えいたします。
  • 中国における「大チベット」の用法について典拠に則して紹介することは、「有為な情報」の発信にあたり、ゆえに「削除のもとめ」には応じられません。私が提示したのとはことなる傾向でも使用されている「ダライ集団が提出した」「歴史上存在しない」等の非難として以外の用法について、典拠に則して増補すればよいと思います。
  • Clarinさんが「用例集」と呼んでいる文面は、読者に対しこの項目の知見を深める役割とともに「典拠」の役割もはたしているので、残しておくべきと考えます。--Dalaibaatur2010年9月13日 (月) 01:56 (UTC)[返信]
日本語版の公式な方針で「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場」ではないとうたっています。ですから、「有為な情報」だから、「知見を深める」から公式な方針に反して用例集を作ってよいということにはなりません。また「ダライ・ラマが大チベット区を主張した」という報道は、(その報道の信頼性は別として)ダライ・ラマが大チベット区を主張したとする典拠にしかなりません。非難する際に用いる特別の用語としたいのなら、「非難する際に用いる特別の用語」であるという信頼のおける情報源を提示してください。全ての例で中国政府がダライ・ラマを非難する際に用いていたとしても、中国政府は大チベット区もダライ・ラマも認めていないのだから、大チベット区とダライ・ラマ非難がたまたま同時に声明に出されただけかもしれません。個々の用例を総合した記述というのは、そのような「たまたま」の可能性を排除できず、検証不可能です。これを中国政府のプロパガンダだとあなたが信じているのなら、ウィキペディアの外で主張してください。--Clarin 2010年9月13日 (月) 08:49 (UTC)[返信]
新たにご提案の「ウィキペディアの外で主張」については、ご遠慮もうしあげます。理由は次節で。--Dalaibaatur 2010年9月13日 (月) 12:06 (UTC)[返信]
  • 地図で示された領域に対し、中国の当局者やマスコミがダライラマへの批難を行う際に使用する用語の実例については「用例1-5」にて典拠を明示してあります。また対ダライラマ用の批難用語でない、この領域の総称として通常使用される場合の用語が「蔵区」「蔵族地区」「西蔵和其他整個蔵区」等であることも典拠とともに提示済み。
  • 私が提示したものも、そうでないものも、【中国における「大チベット」の用法】について典拠に則して紹介することは有為な情報の発信にあたります。ノート:大チベット区でもまず述べておりますように、典拠が示され、その典拠に則した増補・改訂・修正のご提案は大歓迎です。--Dalaibaatur2010年9月13日 (月) 12:11 (UTC)修正。1項目追加。[返信]
意図的にとぼけておられる様なので、何度でも言います。「非難する論調で使われた≠非難するための用語」です。Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成を読んでください(それとも、方針要熟読の欄にリストアップされることを待っているのですか?)。「有為な情報の発信」は発信しているあなた本人による主観です。あなたの主観は、公式な方針に優先しません。それと、一々新たな節を作って反論している合理的な理由を説明ください。議論の論理性を断ち切るためにわざとやっているように見えます。--Clarin 2010年9月13日 (月) 12:46 (UTC)[返信]
●「 2010年9月13日 (月) 12:46 (UTC)」のご投稿の「非難する論調で使われた≠非難するための用語」です。」という一節を拝見。「何度でもいいます」とのことですが、このように、この記事の現在の文面・語句から問題だとお考えの記述を具体的に指摘し、代替案までご提案いただいたのは初めてだと記憶しております。さっそく検討のうえ、ほぼそのまま採用して記事の文面を修正いたしました。Wikipediaのルールを独自解釈した不思議理論にもとづく「除去」論は、すいませんがもうお腹いっぱいなのですが、このようなご提案は大歓迎です。ほかにも気になる箇所がありましたら、ご遠慮なく、どしどしご指摘ください。
●Clarinさんが、ほんとうに「議論の論理性」とかが大事であるのなら、まずご自身が「一々新たに作った」節タイトル「独自研究、プロパガンダ、用例集の除去に関する件」をみずから除去し、次のご自身の投稿を、次節の私の発言の後ろに投稿してください。私のほうでは、次節のタイトル「中国における「大チベット」の用法」をとりのぞきます。--Dalaibaatur 2010年9月13日 (月) 17:48 (UTC)[返信]
  • ダライラマや亡命政府は、上記の地図で示された領域をたんに「チベット」とよんでおります。多田等観日本チベット学会のいう「チベット」と同じ範囲です。
  • Clarinさんから記事の文面に対する具体的な指摘が1点ありました。さっそくこのご指摘を取り入れ、記事の文面を「非難するための」→「非難する論調で使われる」と改めました。-- 2010年9月13日 (月) 17:48 (UTC)修正。2項目追加。
Dalaibaaturさん、Clarinさん、こんばんは。いくつかの議論でご一緒しました、Ashtrayです。削除依頼が提出された頃からウォッチしていたのですが、西蔵関連は門外漢なもので、口を出すのは控えていたのですが…。
記事をザッと拝見した限りでは、他の地理記事と比べ、少々「異質な記事」となっていると思います。独自研究とは申しませんが、やはり用例が主要部分と化しており、WP記事としてはヨロシクナイ状態と言えましょう。
具体的な提案ですが、用例部分は全て大胆に、脚注化しては如何でしょうか。例えば、本文では「199x年頃より、新華社通信・人民日報などの政府系メディアで、ダライラマを批難する声明に用いられ始めた」とし、脚注で「新華社通信(199x年x月x日付)の記事では、○○○との用例がある。」という感じで。
あと、古代チベットの国号と、現代の政治地理用語は、分割して別記事にした方が良いと思います。名称は共通していても、全く異なる概念なのですから。前者は大チベット_(国号)、後者は大チベット_(政治用語)とか。あるいは前者は吐蕃王朝に統合しても良いかもしれません。
以上、素人の思いつきによる提案ですが、ご検討いただければ幸いです。--Ashtray 2010年9月14日 (火) 17:41 (UTC)[返信]
Ashtrayさん、現在の文面に対する具体的なご指摘ありがとうございます。 Cralin氏が主張している二つの問題点(「発表済みの合成」・「用例集」)のうち、前者は、氏がはじめて行ってくれた「現在の文面に対する具体的な指摘」をさっそくほぼ全面的にとりいれて修正してみました。後者も、Ashtrayさんのご提案にしたがって修正すれば、Clarin氏の不満も解消されるでしょうか。引用記号の処理が案外面倒なのでちょっと時間がかかりますが、ご提案に則して修正する準備をはじめます。--Dalaibaatur 2010年9月14日 (火) 20:23 (UTC)[返信]
  • Clarinさんは、中国の当局やマスコミ等による「大チベット」の呼称・用例について記事としての特筆性を否定しておられるので、記事の冒頭の「議論の要点」として、私からも一点追加させていただきました。--Dalaibaatur2010年9月15日 (水) 02:53 (UTC)修正。一項追加。[返信]
Clarin 氏の主張する「議論の論理性」のための第一歩として【Clarinさんが新たに作った「節タイトル」を「2010年9月12日 (日) 02:56 (UTC)の投稿のタイトル」に変更する。私が作った次節のタイトルは除去する。Clarin氏による問題提起のあった9日13日よりあとの投稿(9日14日分から)を、現在次節にある投稿の次の位置に移動する。】と提案します。--Dalaibaatur 2010年9月16日 (木) 00:43 (UTC)[返信]
  • Clarinさんにとって一番重要そうな部分についてのご指摘は、ほぼ全面的に取り入れて文面を修正してみました。ほかにも「独自研究のおそれ」にあたる文・語・句があるとご主張でしたら、具体的にご指摘ください。また「用例」の処理に関するAshtray案について問題点があるとお考えでしたら、ご意見の表明を。--Dalaibaatur2010年9月16日 (木) 00:32 (UTC)修正。一項追加[返信]

(インデント戻す)ここで第三者の方から有意なご提案をいただき、一呼吸置けましたので今一度周辺の記事や外部サイトを見てまいりました。重要で明らかな点は、この用語をめぐって、中国政府とチベット亡命政府の二つの政治主体のあいだで対立があるということです。中国は、チベット亡命政府が主張する範囲を「大チベット区」としています。チベット亡命政府は、チベットに大も小もなく中国のプロパガンダだとしています[1]。左のリンクの演説の日付が2009年8月となっているように、まさに現在進行形の政治的対立事項であり、Dalaibaatur氏の記述はまさにチベット亡命政府を代弁しているようです。

またもう一つの点として、「地理区分用語としての「大チベット」」はプーと大プーと重複、「中国における用法」はチベット#中国人による「吐蕃」と「西藏」、「蔵区」、「大西蔵区」、「大蔵区」と重複しているということです。大チベット区はさらに3本目の重複記事です(さらには、総合した内容のチベットの領域に関する認識と主張もあります。)。「大チベット」の意味を総合して解説した信頼のおける第三者からの典拠は、今のところ示されていません。ですから、これらの重複部分を集積し、用例で補強して独立項目としなければならない必然性は、ありません。

では、大チベットをどう記述すべきなのか?ご提案のあった「用例の脚注化」はベターな方向としては賛成なのですが、独自研究や用例集部分を排除するのは当然のこととして、中立性、記事重複、記事立項の必然性にも問題があり、それらに対処するためには大チベットは信頼のおけない用語として曖昧さ回避とし、吐蕃王朝プーと大プーチベットへリンクすることがベストではないかと考えます。定義を作る場合にも、現在のようなチベット亡命政府の代弁ではなく、

「チベット亡命政府が本来のチベットの領域であると主張している地域で、チベット自治区に加え、青海省の全域と、甘粛省、四川省、雲南省の一部を含む。ただし、チベット亡命政府は「造語であり、中華人民共和国がチベット亡命政府の主張を歪曲するものだ」としている。」

のように中立的な内容にすることを求めます。

尚・・・政治的に一方に偏った記事が重複して何本も立てられているうえ、独自研究の指摘や対立は今に始まったことではありません。現在のチベットにせよ意見対立の解説ばかりが異様に大きく、普遍的な内容の「地理」「文化」節は非常に貧しいままです。近い間に、このような執筆者の活動をコミニュティ全体の問題として考える必要に迫られているのかもしれません。--Clarin 2010年9月16日 (木) 05:10 (UTC)[返信]

チベットを「チベット」と呼ぶと「チベット亡命政府の代弁」である「政治的に一方に偏った記事」とか、私の投稿姿勢が云々とか、氏独特の「オレさま中立」にもとづく新奇な主張をあらたに提示してこられたので、その新主張につきましては、次々節にてお答えします。--Dalaibaatur 2010年9月16日 (木) 12:35 (UTC)[返信]
  • Clarinさんから、「中国の当局やマスコミ等による「大チベット」の呼称・用例」に関する文面の提案があらたにありましたが、「日本ではどのような範囲をチベットと認識してきたか」についてのご理解がスポッと欠落しておられる点が大きな問題です。ゆえに今回のご提案については、申し訳ありませんが却下とさせていただきます。これに懲りず、再度のご提案にとりくんでいただきますよう期待します。--Dalaibaatur 2010年9月16日 (木) 06:18 (UTC)修正。一項追加。[返信]
百科事典は、意見の対立について、とりわけ現在進行している政治的対立について、どちらか一方の肩を持つべきではありません。Dalaibaatur氏が、チベット亡命政府の主張は日本の伝統的なチベット理解に近いと主張することと、Dalaibaatur氏がチベット亡命政府の肩を持っていないとすることは、全く結びつきません。--Clarin 2010年9月17日 (金) 08:37 (UTC)[返信]
  • Dalaibaatur氏が、チベット亡命政府の主張は日本の伝統的なチベット理解に近いと主張する
↑こんな「主張」なんてしてません。「チベット亡命政府の主張は日本の伝統的なチベット理解に近い」というのは、Clarinさんご自身の「理解」か「解釈」であって、私自身の投稿じたいには「チベ(中略)近い」という箇所(とくに「近い」という語)は存在しておりません。
  • Clarin氏の主張する「肩を持つ」の概念は、やっぱりとってもヘン!
↑明治・大正以来、日本で「この地理的範囲は西蔵人が自分の国として考えている国土」をチベットと呼ぶ(多田等観など,次節参照)という伝統的な用法は、19世紀末-20世紀初頭にチベット入りした紀明治・大正の先人たち自身が決めて以来の用法です。日本にこのような用法が出現したころ、Clarin氏のいう「対立する両者」(1949年建国の中国政府と1959年発足のチベット亡命政府)はまだこの世には存在しておりません。
●私は「肩入れ」とは、「対立する両者」の一方に「正しい、間違い」という価値判断を付すことだと考えます。そのような「肩入れ」を、百科事典では行うべきではない、というなら、賛同できなくもありませんが。--Dalaibaatur 2010年9月17日 (金) 11:04 (UTC)[返信]
  • 一般論としては【意見の対立について、とりわけ現在進行している政治的対立について、どちらか一方の肩を持つべきではありません】というClarin氏の主張には大賛成です。このノートで議論となっている「チベット」と「大チベット区」「大チベット」の記事の場合でいうと、中国とチベット亡命政府のそれぞれのいいぶんを、しっかりとした典拠にもとづき、読者に誤解の生じないよう正確に、「近い・遠い」とか「正しい・間違っている」などの解釈・価値判断を一切加えることなく、百科事典の書式に則して正しく紹介すれば、それで「百科事典としての中立性」は保たれると考えます。--Dalaibaatur2010年9月17日 (金) 11:04 (UTC)修正。1項追加。[返信]
独自研究と記事重複についてのご返答がありませんので、なるべくそちらの点にもご返答ください。色々と誤解が多いようですが、「多田等観のような日本の伝統的なチベット理解にしたがっている記述なのだから、チベット亡命政府によりそってない」と主張されているということで、よろしいですか。まず多田等観ですが、今生きていない人に現在のチベット亡命政府と中国政府の対立について解説させることは不可能です。「日本の伝統的なチベット理解」だとしても、日本の誰が主張しているのか、わかりません。誰がそのように指摘したのか不明のまま「非難する論調で使われる用語」と記述されているものは、ニュートラルに読むしかありません。中立とは、中に立つと書くとおり、どちらにも寄っても中立ではありません。「非難する用語」ということは、普遍的用語ではないといっているのですから、その記述をニュートラルに読めばチベット亡命政府と中国政府のどちらに近いかといえば、チベット亡命政府の主張に近いでしょう。チベット亡命政府が、「造語」「プロパガンダ」と主張しているのは事実なのですから。--Clarin 2010年9月18日 (土) 13:09 (UTC)[返信]
●「重複」については当該記事のノートで回答ずみ。実際に取り組むのは、こちらでの議論が決着したあとということになります。「独自研究」については、「中立」の議論を続けることで、「独自研究」に対するClarinさんのオレ様解釈っぷりが(少なくとも読者諸氏には)ますますいっそう明瞭に明らかになってくるので、いましばらく「日本における伝統的なチベットの枠組み認識」が「チベット亡命政府の代弁」「政治的に一方に偏る」「一方の肩を持つ」にあたるかどうかの問答におつきあいいただければ、と思います。
●チベットの枠組みに関するA「日本の伝統的な用法」とB「チベット亡命政府の主張」、C「中国政府の主張」に対するClarinさんによる「代弁」「偏り」「肩持ち」の使い方が以下にコッケイであるか、別の単語に入れ替えてみると、とてもクッキリと示すことができます。たとえば「天皇」ということば。韓国では、日本の天皇をどのように呼ぶかについて天皇をもちいるべきという主張と、現在多数派である日王をもちいるべきという意見の対立があるわけですがこれを模式化して記号で示すと、A「日本の伝統的な用法」:天皇。B「韓国マスコミB紙の用語:日王」、C「韓国マスコミC紙の用語:天皇」となります。これをClarin式「中立」にもとづくと、A日本の伝統的用法「をニュートラルに読めばB紙とC紙のどちらに近いかといえば、C紙の主張に近いでしょう」という理由で、Wikipedeiaで天皇に対して「天皇」と表記すると、「C紙の立場を代弁」し、「政治的に一方的に偏り」、対立する両者のうちの「一方の肩を持つ」ことになるのであります。嗚呼。
●私自身の「主張」としては
×「多田等観のような日本の伝統的なチベット理解にしたがっている記述なのだから、チベット亡命政府によりそってない」
→○「チベットのことを日本の伝統的なチベット理解(サンプル:多田等観)にしたがって「チベット」と呼ぶとそれだけでナニカの「立場を代弁」したり、「政治的に一方的に偏」ったり、対立する両者のうちの「一方の肩を持つ」ことになるというClarinさんのオレ様「中立」は、トッテモおかしい。
としてください。「チベット理解」、「天皇という用語」もふくめて、一般論として、日本の伝統的な用法は、それ自体が独立した用法でありまして、どこかよその世界であらそっているダレやらの一方の主張とたまたま「近かっ」たり、たまたま「よりそっ」たり、あるいはたまたま丸ごとピタッとあてはまったとしても、それはその世界での争い。日本の伝統的な用法に対して、ダレやらを「代弁」したり「政治的に一方的に偏り」、対立する両者のうちの「一方の肩を持つ」と決めつけて、中立とか独自研究だとかと強弁する態度のほうが、百科事典の編集者としては大問題であると思います。--Dalaibaatur 2010年9月18日 (土) 19:10 (UTC)[返信]
  • 「自治区の部分だけでなく、青海省や甘粛・雲南・四川などのチベット人居住地帯全体」を「チベット」と呼ぶ「日本の伝統的なチベット理解」について、日本の誰が主張しているのか、わかりません。とのこと。次の節で、日本の多田等観という人が1945年以前に執筆し、のちに本人(1967年没)または多田明子(遺族)・山口瑞鳳(チベット学者)の誰かが(旧朝鮮、台湾を含む)と付け加え、2005年に出版刊行された文章を、実例として引用紹介しておりますので、じっくりとごらんください。--Dalaibaatur 2010年9月18日 (土) 19:10 (UTC)修正。1項追加。[返信]
李明博大統領は2009年9月15日に、「天皇」と表現しています。日韓の政府間で呼称をめぐって対立中であるとも聞いていません。したがって、天皇の例は当てはまらないかと思います。ちなみに、ko:일본 천황も「日本天皇」という表記であり、韓国人自身も必ずしも「日王」で正しいとは思っていないようです。また、中立性に問題がある記述が「たまたま」であろうが意図的であろうが、関係がありません。意図せずして政治的対立のどちらかの側に寄ることになったのなら、配慮する必要があります。また、「日本の伝統的なチベット理解」にしてがっているというのなら、同じ考えにより「大チベット」に言及している典拠を示してください。独自研究により、自分の正しいとする主張を別の場所の特定の対立に援用することによって、結果としてどちらかの側を利する行為は公正ではありません。--Clarin 2010年9月19日 (日) 00:50 (UTC)[返信]
世界のどこかで何やら対立が生じる(BとC)と、日本の伝統的用法(A)がWikipedeiaの「中立」上もんだいになるというClarinさんの論法には、どんなに長広舌をおふるいになっても、どうしても賛成できません。「チベット」の「日本の伝統的用法」(次節では多田等観の文面を実例のひとつとして引用)に対して、チベット亡命政府を代弁している、政治的に一方的に偏る、一方の肩をもつ、意図せずしてどちらかの側による、結果としてどちらかの側を利する、トカの感想をお持ちになるのはClarinさんの自由ですが、ぜんぶ単なるClarinさんの個人的主観ではないですか。そんなものを「Wikipediaの中立」の基準と称してもちだされてもねぇ。「対立する両者への配慮」についてはこちらでに言及ずみで、いまのところこれにつけ加えることはありません。--Dalaibaatur 2010年9月19日 (日) 05:44 (UTC)[返信]

(インデント戻す)一つ、議論の誇張が見られます。現在は「チベットの用法」について議論しているのではありません。「大チベットはチベット亡命政府を非難する用語だとしていること」について議論しています。それから多田等観ですが、下の例によれば「西蔵人」「支那」と両方の認識を紹介したわけでしょう。その「西蔵人」「支那」の主張は、基本的に現在のチベット亡命政府、中国政府と全く違わない。であるなら、あなたが「チベット亡命政府寄り」だとする指摘を躍起になって否定しようとする意図がわからない。なぜって、多田等観は「支那」に対し「西蔵人」の認識を「西蔵」としており、それが「日本の伝統的なチベット理解」だというのでしょう?ならば、チベット人(チベット亡命政府)を支持することが「日本の伝統的なチベット理解」だと堂々と主張なさればよいでしょう。「青海省や甘粛・雲南・四川などのチベット人居住地帯全体を「チベット」と呼ぶ」「チベット亡命政府を支持していない」という、本来両立し得ない主張を、堂々と詭弁でまかり通そうとする。Dalaibaatur 氏による「オレ様中立」という誹謗が、まったく滑稽に映ります。--Clarin 2010年9月19日 (日) 12:14 (UTC)[返信]

  • これ→「大チベットはチベット亡命政府を非難する用語だとしていること」については、Clarin氏の指摘を取り入れて文面を改めたので、今後は「チベット全体を一つの自治的行政単位とするようもとめるダライラマ14世やチベット亡命政府を非難、批判する論調で用いられる用語」についての議論に切り替えていただきたいと思います。
  • 私自身もこんな→「青海省や甘粛・雲南・四川などのチベット人居住地帯全体を「チベット」と呼ぶ」「チベット亡命政府を支持していない」という、本来両立し得ない主張なんか主張した覚えがないのですが。たしかClarinさんには「合成の誤謬」で文句をつけられた覚えがあるのですが、ご自身も「他人の発言」と、「他人の発言を読んでご自身が連想したこと」の区別がよくついておられない模様。多田等観の文章も、なんか文句つけやすいように、切り張りとかへんな単語を追加して合成してるし。・・・・たいへん疲れます。--Dalaibaatur 2010年9月19日 (日) 18:08 (UTC)[返信]
「青海省や甘粛・雲南・四川などのチベット人居住地帯全体を「チベット」と呼ばない」旨表明があってしまったのですが、どうしたものやら。わたしは政治的話題でない場合にはチベット人居住区を「チベット」と読んで差し支えないと思いますよ。「大チベット」という政治的対立用語に、「日本の伝統」という名においてチベット人の観点を定義に刷り込ませようとする、その点を問題視しています。それを「チベットをチベット呼んで~」など論点の誇張とともにキレられるのはご自由ですが、それで勝手に疲れた原因をわたしに求められても困ります。そもそも日本の学説が伝統的にチベット人寄りであったとしても、「チベット人寄りであることは伝統的に許される」とすればいいわけで、「日本の伝統的な理解は中立性に問題ない」という、中立の意味を歪めるような意味不明を押し通そうとするから疲れるのでしょう。
またAshtray 氏の提案とDalaibaatur氏の同意を元に、「全て」「脚注化」しました。しかしとんでもない不都合に気づいてしまいました。「典拠」とされていたニュースソースから大量にコピペ、翻訳がされています。Dalaibaaturさん、報道各社や領事にいちいち了解をとったのですか?だいたい出典というのは外部リンクを提示した時点で済んでいるのに、どうしてわざわざリンク先の文章をコピペして、自前の翻訳文まで掲載するような親切丁寧なことをなさるのでしょう?これらの全貌の調査(他記事にも波及するおそれ)には時間がかかりますが、著作権侵害のうたがいで削除依頼に出される可能性については、あらかじめご了承ください。--Clarin 2010年9月20日 (月) 00:59 (UTC)[返信]
「青海省や甘粛・雲南・四川などのチベット人居住地帯全体を「チベット」と呼ばない」旨表明があってしまったのですが、どうしたものやら。
どの投稿で?「よばない」という発言が存在する「表明」の実物を引用してください。
多田等観青木文教がもちいた「西蔵(フリガナ:チベット)」の用法を、カタカナにあらためてそのままの意味内容で「チベット」ともちいると、【「日本の伝統」という名においてチベット人の観点を定義に刷り込ませ】る(←すいませんが意味不明)になるそうです。
この人による「中立性」についての指摘をよくみてみると、「典拠から客観的に読み取れる情報や記述そのもの」ではなく、ご自身の脳内で生成した「解釈」に対して文句をつけていることがわかります。たとえば、直近の上記投稿だと、「刷り込ませ」る「観点」。この人の、この種の論法については#「中立性」について議論するための節の3-5項にてコメント。
議論でも、「他人の発言そのもの」ではなく、ご自身の脳内でおおいに歪曲して生成したフレーズを製造し、そのご自身の作品に文句をつけて、他人を批判、論破したつもりになっています。
大変つかれます。--Dalaibaatur 2010年9月26日 (日) 08:25 (UTC)[返信]
  • 議論というのは、自分の意見と他人の意見のやりとりである、と私は思います。自問自答も、文学作品なんかで有為な場合がありますが、ウィキペディアのノートというのは「議論の場」であって、自問自答の場ではないのではないでしょうか?「議論の場」で、Clarinさんの作品について、私に向かって文句いわれるのが非常に迷惑。なんとかして。
  • Clarinさんが私の主張と称して今までに製造した(これから製造する)フレーズは、私自身が使用している語句とClarinさんが創作した部分が一読して判別できるよう色分けした上で、こちら→ノート:大チベット/Clarin氏が製造した「Dalaibaaturの主張」に掲載してまいります。--Dalaibaatur 2010年9月27日 (月) 01:29 (UTC)[返信]
Clarin氏が記事の冒頭に記入した個人的主張を除去、氏が除去した議論タグを増補した上で復活、その他のタグを、このノートでの問題提起の順番に則して配列を変更--Dalaibaatur 2010年10月3日 (日) 00:33 (UTC)[返信]
前回のコメントから1ヶ月、ずっと様子を見てきましたが、「呆れ果てた」の一言です。下らない議論(個人攻撃!)に終始し、肝心の記事は1mmたりとも成長していませんね。--Ashtray 2010年10月15日 (金) 11:22 (UTC)[返信]
>肝心の記事は1mmたりとも成長していませんね。
まことにもって汗顔の至りですが、Clarin氏の「削除依頼」が9月20日以来ほんじつ(10月15日)まで審議中でしたから、記事の文面について手をつけるのを意図的に差し控えてきたということもあります。私の立場からすると、Clarin氏の長文の多数の投稿のうち、記事の文面の改善に役立つ有為な指摘は、結局、【非難する論調で使われた≠非難するための用語」です。】(2010年9月13日 (月) 12:46 (UTC)」)という一点だけでした。Ashtrayさん からご提案いただいたことについては、気力が回復したら、着手しようと思っています。【典拠の有無、典拠から客観的に読み取れる情報の範囲で記述されているか、典拠からの読み取りや記述にあたって「政治的な偏り」が生じていないか】あるいはその他の点で、問題だとお考えのことが他にもあるようでしたら、あらたに節を設けてご指摘いただければと思います。--Dalaibaatur 2010年10月15日 (金) 15:44 (UTC)[返信]
とりあえず、一点だけ。他の記事ででもそうですが、記事の「スタイル」を守ってください。丸括弧の使い方とか、各節の見出し・順番とか。もはや、新入りの素人ではないのですから。
今記事の問題点は、Dalaibaaturさんの気力が回復した頃に、あらためて。--Ashtray 2010年10月16日 (土) 06:50 (UTC)[返信]
下記のこの節は、何なんですか。私の言葉を利用して良いのは、私自身だけではないのですか。他人の言葉を切り張りして、勝手なモノを創らないでください。
また、「スタイル」の件は、記事に対する提案ではなく、あなた個人に対して向けたものです。「随意に修正してください」とのセリフは、私にあなたの後始末をしろ、ということですか! ケツをふけ、ということですか! そうでないと仰るならば、とっとと取り消すなり、削るなりしてください。--Ashtray 2010年10月16日 (土) 16:58 (UTC)[返信]
「随意に修正してください」とは、通常ウィキペディアでは「ノートにおける発言」を他人がいじることは忌避されますが、未検討の諸問題を扱う節で、Ashtrayさんの投稿を「私が「整理提示」した箇所」については、ご自身の発言の趣旨とは違うとお考えになった場合に、「節タイトル」も含め、Ashtrayさんの手でご修正いただいてまったくかまわない、という意味です。別のある人とのやりとりでは、「Dalaibaaturの主張」なるものを勝手に製造されてたいへん不快な思いをしたので、自戒をこめて、自分の要約・整理が発言者の意図をゆがめないよう確認(「後始末」、「ケツを吹く」?)をお願いしています。Ashtrayさんの会話ページでのやりとりもふまえ、節タイトルを「未検討の各種の問題」とあらため、文面を変更しました。-- 2010年10月18日 (月) 14:30 (UTC)--Dalaibaatur 2010年10月20日 (水) 01:00 (UTC)増補[返信]

問題となっている記事の文面

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定義部
3 中国における用法(または中国政府が外国語で発信する諸言語による各種媒体における用法)では、チベット全体を一つの自治的行政単位とするようもとめるダライラマ14世チベット亡命政府を非難、批判する際に用いられる用語。
 
「大チベット」のさまざまな用法
中国における用法
中国において、チベット全体を指して通常用いられる用語は、「西藏和其他藏族地区[11]」、「藏族地区[12][13]」、「藏区[14]」等である。また、ふるくは元代・明代から清朝の康煕年間までは、チベット全域をさす地域呼称のひとつとして「吐蕃」が使用され続けていた[15]。これに対し、チベットを「大西藏」「大西藏区」「大蔵区」等と呼ぶ呼称は、中国政府(あるいは中国のマスコミ等)が、チベット全体を単一の自治的行政単位として統合するよう求めるダライラマ14世やチベット亡命政府に対し、自治区の部分(西藏の部分)だけを「チベット」とする立場からこれを非難する論調で使われている。

「独自研究」について検討するための節

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  • 「大チベット」の「定義」および「用法」について「独自研究」の指摘がありました。読者諸氏には、下記の観点から記事の文面をご点検くださいますよう、よろしくお願いします。
  1. 検証可能な典拠を有しているか
  2. 典拠から客観的に読み取れる情報の範囲で記述されているか。(典拠から客観的に読み取れる情報の範囲をこえた執筆者の解釈が付加されていないか)

  • 典拠
  1. チベット→このような、明治・大正以来の日本の伝統的な用法の具体例として多田等観青木文教の文章を「検証可能な典拠」として次節に提示
  2. 中国において、チベット全体を指して通常用いられる用語は、「西藏和其他藏族地区」、「藏族地区」、「藏区」等である→この典拠は、記事の注11~15で提示。
  3. 「大チベット」の3 中国における用法(または中国政府が外国語で発信する諸言語による各種媒体における用法)では、チベット全体を一つの自治的行政単位とするようもとめるダライラマ14世チベット亡命政府を非難、批判する際に用いられる用語
  4. チベットを「大西藏」「大西藏区」「大蔵区」等と呼ぶ呼称は、中国政府(あるいは中国のマスコミ等)が、チベット全体を単一の自治的行政単位として統合するよう求めるダライラマ14世やチベット亡命政府に対し、自治区の部分(西藏の部分)だけを「チベット」とする立場からこれを非難する論調で使われている。
これら3・4については、記事の用例1-5で典拠を提示。

  • 記事の文面そのもの、典拠から客観的に読み取れる情報についての具体的な指摘と修正
    • Clarin 2010年9月13日 (月) 12:46 (UTC)における指摘「「非難する論調で使われた≠非難するための用語」です。」[返信]
      • →上記指摘を踏まえ、「中国における用法」の文面を「自治区の部分(西藏の部分)だけを「チベット」とする立場からこれを非難、批判する際に用いられる特別な用語である。」→「自治区の部分(西藏の部分)だけを「チベット」とする立場からこれを非難する論調で使われている。」と修正。

以上のほかにも「典拠が欠けている」、「典拠から客観的に読み取れる情報」ではない解釈が文面に残っているとお考えでしたら、下記に、該当する語句を引用して具体的にご指摘ください。当然のこととして増補改訂削除修正について検討いたします。--Dalaibaatur 2010年9月28日 (火) 16:43 (UTC)[返信]

2010年9月16日 (木) 00:32 (UTC)の投稿(前節参照)で、「Clarinさんにとって一番重要そうな部分についてのご指摘は、ほぼ全面的に取り入れて文面を修正してみました。ほかにも「独自研究のおそれ」にあたる文・語・句があるとご主張でしたら、具体的にご指摘ください。(後略)」と呼びかけました。その後17日間にわたりClarin氏およびその他の方から「典拠の有無」「典拠から客観的によみとれる情報の範囲での記述」について新たな具体的箇所の指摘や疑義の提示はなされておりません。--2010年9月30日 (木) 20:05 (UTC)--2010年10月1日 (金) 14:58 (UTC)修正--Dalaibaatur 2010年10月3日 (日) 00:30 (UTC)再修正[返信]
新たなご指摘もなかったので、「独自研究」タグはいったん取り外します。--Dalaibaatur 2010年10月5日 (火) 03:11 (UTC)[返信]

「中立性」について議論するための節

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以下の2点で議論になっています。

  1. 日本における「チベット」の伝統的な用法が「チベット亡命政府の主張への代弁、肩入れ」にあたるか
  2. 定義部・中国の用法における現在の文面が中立性の面で問題ではないのか

日本における「チベット」の伝統的な用法について

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Clarin氏は、前節「2010年9月16日 (木) 05:10 (UTC)」の投稿で、「現在の記事で用られているチベット」の用法について新たに「中立性」を云々しはじめました。[返信]

(前略)中国は、チベット亡命政府が主張する範囲を「大チベット区」としています。チベット亡命政府は、チベットに大も小もなく中国のプロパガンダだとしています[1]。左のリンクの演説の日付が2009年8月となっているように、まさに現在進行形の政治的対立事項であり、Dalaibaatur氏の記述はまさにチベット亡命政府を代弁しているようです。(後略)--Clarin 2010年9月16日 (木) 05:10 (UTC)[返信]

氏が問題としている「Dalaribaatur氏の記述」の実物(定義文・本文の2010年9月15日 (水) 11:44の版における文面)は上に引用されているとおりです。 上記に出現している「チベット」が、「チベット亡命政府を代弁」したり「政治的に一方に偏」っているというClarin氏の主張は、上記で議論している「中国当局および中国マスコミ等による大チベットという用語の使用」をめぐる「特筆性」あるいはClarin氏のいう「独自性」「用語集」の問題とはまったく別のテーマであるので、節をあらためて論じていくべきでしょう。ということで新たに節を設けました。--2010年9月16日 (木) 13:00 (UTC)---2010年9月19日 (日) 05:44 (UTC)一部修正。--Dalaibaatur 2010年10月5日 (火) 07:20 (UTC)記事の引用部を統合[返信]

さっそく問題提起。前節でClarin氏はDalaibaatur氏の記述はまさにチベット亡命政府を代弁していると主張しておられますが、このご発言をみると、日本で伝統的にチベットと呼ばれてきた範囲がどのような範囲であるのかについて、ご存じなかいのか、意図的に目をそむけておられるのかどちらかは存じませんが、以下に信頼できる典拠にもとづく、「日本の伝統的なチベットの用法」を紹介しておきます。
多田等観「西蔵事情」(多田明子・山口瑞鳳編『多田等観:チベット大蔵経にかけた生涯』春秋社、2005、pp.233。刊行自体は最近ですが、朝鮮・台湾をふくめて「日本全土」を計算しているところから、1945年以前に書かれた文章でしょう。
西蔵の境域は、東経七十八度から百三度、北緯二十七度から三十九度に至る地域を占めている。面積は大略七十五万マイル、日本全土(旧朝鮮、台湾を含む)の約二倍半である。南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東はインドシナ山脈、この三つの山脈によって押し上げられた高原国である。この地理的範囲は西蔵人が自分の国として考えている国土の面積である。青海や喀木(カム)をも併せた広い意味での面積である。支那では青海省西康省を除外した部分を西蔵と称している。
念のためまず青海省西康省の位置と領域をご確認ください。日本では明治・大正のころから、英語Tibetの訳語として、「西蔵」と漢字表記し、「ちべっと/チベット」とルビを振る呼称が使用されておりました。多田等観は大正の初期にチベット入りした数人の学者・冒険家の一人で、日本のチベット認識を形成した最初期の学者のひとりです。去年表記が変更となった「日本チベット学会(旧表記日本西蔵学会)」の創設者の一人でもあります。
(以下は2010.9.27に追加)「日本の伝統的用法」として青木文教の例として『秘密の国 西蔵遊記』(中央公論社,1990より。初版は大正9年(1921),内外出版社。こちらは未参照)の節を紹介しておきましょう。
第一章 西蔵地理概説
北方には新疆省との境に千古の雪を頂ける崑崙山脈あり、西と南のインド境には堅氷に鎖されたヒマラヤの連脈を控え、更に東の方には甘粛、四川および雲南三省との域に重畳せるカムの群峰がある。(p.131)
ヤルツァンポの流域とカム地方とは西蔵のうちで最もよく開けた地方で、(p.132)
カム地方については、カム地方を参照。以下はかむ地方に対する青木の説明。
而して東境のカム地方にはチャムドの巨邑あり、リタンバタンの諸邑もまた名高いが、今は殆ど支那の勢力範囲に屬している。(p.133)
以上の多田(および青木)の認識は、特殊な例ではなく、日本では伝統的に、明治・大正以来、上記地図の領域が「チベット」として認識されてきたのであります。
日本の伝統的用法にしたがっていると、「チベット亡命政府の代弁者」にみえたり、「政治的に一方に偏った記事」にみえてしまうというのは、Clarinさんの「中立」の軸が歪んでいるのでしょう。
「このような執筆者の活動をコミニュティ全体の問題として考える必要」があるとのこと、Clarinさんが、私の(そしてご自身の)「中立」を認識しなおすよい機会になるとおもいますので、ぜひご遠慮なくご提起をどうぞ。それにしても、全文にみちあふれる「上から目線」、この人いったい何さま?--Dalaibaatur 2010年9月16日 (木) 06:13 (UTC)[返信]
現在は「チベットの用法」について議論しているのではありません。--Clarin 2010年9月19日 (日) 12:14 (UTC)[返信]
あれれ?本節の冒頭でも引用したご発言のなかで、しっかりと「チベットの用法」の中立性について「議論を始めている」でしょ?Cralinさんの「中立」「独自研究」のオレ様っぷりがますますあきらかになるので、私自身はさらに「チベットの用法」に関する議論を続行します。
  1. 明治・大正以来の日本の伝統的用法は、明治・大正にチベット入りした学者・冒険家と彼らの報告を読んだ当時の人々が独自に、主体的に定めたものです。
  2. 1949年に建国した中国政府と1959年に発足したチベット亡命政府が、チベットの領域としてどんな領域を主張するかは、彼らがそれぞれ主体的に判断して採用し、将来、彼ら自身の損得・有利不利の判断によって変化する可能性があります。
  3. 日本における伝統的用法と、チベット亡命政府の主張を見比べて「同じだ」「基本的に全く違わない。」と思うのは、Clarin氏さんの判断が加わっています。つまりClarin氏の理解であり、解釈です。
  4. 日本における伝統的用法やチベット亡命政府の主張から直接読み取れる情報ではなく、ご自身の理解・解釈からさらに連想をふくらませての「チベット亡命政府を代弁するもの」「政治的に一方に偏っている」「対立する一方に肩入れしている」という理解、解釈は、ご自身の2次的な解釈・判断を脳内でさらに判断・加工を加えた3次的なもの。もはやClarinさんだけの独自のご理解であり、解釈にすぎません。
  5. 日本における伝統的用法それ自体は、対立する両者のいずれに対しても「正しい、間違っている」、「近い、遠い」等の判断なんか、まったくひとことも語ってはおりません。
  6. 「日本における伝統的用法」が中立性に欠けるとお考えでしたら、まずブログなりWebサイトなり立ち上げて広く世間に訴え、日本における用法を変えてください。Clarinさんの努力が実って用法が変化したアカツキには、百科事典ではその変化した用法に則して記述の変更が行われることでしょう。
●百科事典は現実の用例を反映する場所。明治・大正以来の日本における「チベット」の伝統的用法に不満を持つのは自由だが、ウィキペディアの場を慣用の変更運動の運動場に使用すべきではない。-- 2010年9月19日 (日) 18:08 (UTC)--2010年9月26日 (日) 22:21 (UTC)追加・修正--Dalaibaatur 2010年9月28日 (火) 20:49 (UTC)削除・修正[返信]

明治・大正期に成立した日本における「チベット」の用法は、Clarin氏の脳内では、50年の時空を超えて、1949年に建国した中国人民政府と1959年に成立した「チベット亡命政府」の「対立する両者の主張」の「一方」を「代弁」したり「肩入れ」することになっているようです。しかし、チベット亡命政府が各種の主張を提示しているなか、どの主張をどんなふうに「代弁している」のか、いまのところ氏はチベット亡命政府の実際の主張に則して具体的に提示することをなさっていません。
Clarin氏の「2010年9月20日 (月) 00:59 (UTC)」によれば、多田・青木らの「西蔵(フリガナ:チベット)」を完全カナ書きの「チベット」と表記変更すると、【「日本の伝統」という名においてチベット人の観点を定義に刷り込ませようとする】ことになるそうです。このカナ表記の変更によって、いったいどんな「観点」が「刷り込まれ」たと主張なさるのか、こちらもダライラマやチベット亡命政府自身の発言それ自体からの引用・提示をお願いします。--Dalaibaatur 2010年10月5日 (火) 16:31 (UTC)[返信]
14日間お待ちしましたが、明治・大正以来の日本の伝統的な「チベット」の用法が「代弁」したり「肩入れ」したり、「刷り込まれている」という、「チベット亡命政府の主張」の実例のご提示をいただけませんでしたので、観点テンプレはいったん除去させていただきます。--Dalaibaatur 2010年10月13日 (水) 15:12 (UTC)[返信]

「大チベット」の中国における用法について

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  • 「大チベットはチベット亡命政府を非難する用語だとしていること」について議論しています。--Clarin 2010年9月19日 (日) 12:14 (UTC)
  • Clarin氏の指摘を取り入れて(記事の)文面を改めたので、今後は「大チベット」は「チベット全体を一つの自治的行政単位とするようもとめるダライラマ14世やチベット亡命政府を非難、批判する論調で用いられる用語(という文面)についての議論に切り替えていただきたいと思います。--Dalaibaatur 2010年9月19日 (日) 18:08 (UTC)--Dalaibaatur 2010年10月1日 (金) 17:58 (UTC)(赤字)部分追加。[返信]
中国の政府当局やマスコミがチベットをさす通常の用語は、「独自研究」の節でも述べたように、「西藏和其他藏族地区」、「藏族地区」、「藏区」等です(Clarin氏が提案(2010年9月16日 (木) 05:10 (UTC))した「中立的な定義」では、この点が欠落しているので、その点で、私からみれば失格です)。記事の用例1-5で示したように、いまのところ私がみつけた中国での「大チベット」(大西蔵・大西蔵区・大蔵区.etc)の用例は、すべてダライラマや亡命政府を非難する論調でのみ用いられています。自分が集めた用例がすべてだとはむろん考えておらず、ノート:大チベット区において、2009年11月10日 (火) 01:09 (UTC)以来、「ダライラマや亡命政府を非難する論調」以外で使用されている実例が存在するのなら紹介してほしい、それにあわせて当然に定義部や記事の文面は変更する、と述べていますが、いまのところ、Clarin氏やその他の諸氏から、別系統の用例の典拠紹介はありません。
中国の当局やマスコミが、「チベットをさす通常の用語」としては「西藏和其他藏族地区」、「藏族地区」、「藏区」等を用い、「チベットを単一の自治的行政単位とするよう求めるダライラマやチベット亡命政府を非難、批判」する場合には「大チベット」(大西蔵・大西蔵区・大蔵区.etc)という用語を使用する。この使い分けは、中国の当局・マスコミがみずから主体的に選択して実行しているものです。したがって、現時点での記事の文面が、「用例で示した典拠から客観的に読み取れる情報に基づく記述」として、あるいは「中立性」の面で、問題があるとは考えません。--2010年10月1日 (金) 15:49 (UTC)--Dalaibaatur 2010年10月2日 (土) 23:49 (UTC)加筆[返信]
私が「典拠として示した用例」から客観的に読み取れる情報を、チベット亡命政府よりにゆがめている箇所があるとお考えでしたら、典拠の文面と記事の文面を対比の上でご指摘ください。--Dalaibaatur 2010年10月5日 (火) 03:11 (UTC)[返信]
質問に対して回答がなく、またとくに反論もないようでしたので、観点テンプレはいったん除去させていただきます。--Dalaibaatur 2010年10月13日 (水) 15:12 (UTC)[返信]

「過剰な加筆」について議論するための節

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Clarin氏の主張する「過剰」にはあたらず、したがって「削除」する必要はないと考えます。--Dalaibaatur 2010年10月13日 (水) 15:16 (UTC)[返信]

Clarin氏はもはや「大チベットの用法」をめぐる議論を放棄なさったようなので、「過剰」タグも除去させていただきます。--Dalaibaatur 2010年10月14日 (木) 22:27 (UTC)[返信]

「著作権の侵害」について

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こちら(Wikipedia:削除依頼/大チベット)で検討中?終了判定は管理人が行うとのこと。Clarin氏の問題提起に対し、2コメントがついています。--Dalaibaatur 2010年10月14日 (木) 22:27 (UTC)[返信]

「存続」で終了したようです。--Dalaibaatur 2010年10月15日 (金) 15:49 (UTC)[返信]