ノート:史的イエス/過去ログ1
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過去ログ1
- 情報 当ページは「ノート:史的イエス」への投稿を転記して作成されたアーカイブページです。投稿の履歴は転記元の「ノート:史的イエス」に保存されています。主ページが2011年(平成23年)2月3日に記事「ナザレのイエス」へ統合される(差分/36175243・差分/36175278)までの、旧記事「史的イエス」についての議論を収録しています。--Yumoriy(会話)
節「地上のイエス」を加えた理由
[編集]イエス・キリストについては、その前の「時代背景」と「イエス伝」間の繋がりとか、この後に彼の思想とか新約聖書におけるイエスとか、色々継ぎ足すこと考えると、どうしても別項じゃなくて、こちらに歴史上のイエスを書かねばならないと思ったので、加えました。二つのイエス像には未分化の部分も多いし。英語版でもそのようになっています。--以上の署名のないコメントは、218.226.241.30(会話/Whois)さんが 2003-05-05 11:22:57 (UTC) に投稿したものです。
ユダヤ名
[編集]イエスのユダヤ名が「ヨシュア」であることが記されていないが・・・・・ --以上の署名のないコメントは、43.244.43.212(会話/Whois)さんが 2004-01-31 04:47:16 (UTC) に投稿したものです。
- 「イエスとキリスト」の項にしっかりと明記されていますよ。--Sampo 05:11 2004年1月31日 (UTC)
触れていないイエス伝
[編集]イエス伝についてですが、
- ダーヴィット・シュトラウス Das Leben des Jesu については触れないのですか?
- Q資料・『トマスによる福音書』には触れないのですか?
とりあえず二点。 KIZU—以上のコメントは、Aphaia(会話・投稿記録)さんが[2004-02-07 06:55:49 (UTC)]に投稿したものです。
- 様式史以前のイエス伝については、研究史以外の文脈で、いまさら触れる必要はあるんでしょうか? 研究史でシュトラウスに触れるなら、パウルスやらルナンやらワイスやらにも触れなければなりませんが、そちらに通じてらっしゃるなら、是非執筆どうぞ。--以上の署名のないコメントは、218.225.96.169(会話/Whois)さんが 2004-02-14 14:29:22 (UTC) に投稿したものです。
記事と記事編集への疑問
[編集]語義の部分も、改行の仕方も間延びしているだけで、良いとは思えません。それと、重要な部分をノートに理由も書かず削除するのは止めましょう。この編集は、例の部分を削除するためのものと思われても仕方ありません。--以上の署名のないコメントは、218.225.96.169(会話/Whois)さんが 2004-02-14 15:16:56 (UTC) に投稿したものです。
もう一つ追加。「彼の教えはキリスト教と呼ばれる世界宗教となった」は不正確です。例えば、キリスト教の根幹であるパウロのキリスト論は、福音書のイエス語録の中には殆ど見られないものです。これだけでも、イエスの宗教と、後のキリスト教を同一視するのは無理な話です。--以上の署名のないコメントは、218.225.96.169(会話/Whois)さんが 2004-02-14 15:27:16 (UTC) に投稿したものです。
- ウィキは自論を展開する場ではありません。イエスの教えがキリスト教なのは常識。--以上の署名のないコメントは、Sweepers(会話・投稿記録)さんが 2004-02-15 01:06:58 (UTC) に投稿したものです。
- では、パウロの原罪と結びついた贖罪論、信仰義認説がイエス語録のどこにあるのか教えてください。それと、ごく初期に「キリスト教」なるものが、存在した証拠を教えてください。
- 今日、イエスの教えがキリスト教に直結しないのは常識です。あなたの信仰心と学術を混同しないでください。手に入りやすいものを挙げておけば、荒井献『イエス・キリスト』、森安達也『キリスト教史』、それと諸々の史的イエス本(荒井、田川、八木、大貫、松永、クロッサン、マック etc)、どれか読んでから言ってもらえません? それと箇条書きは、お互いの概念の有機性がなおざりになるし、文字組からいっても、間延びしすぎです。英語版でもこのような処置は取られていません。「ウィキは信仰を展開する場ではありません」。--以上の署名のないコメントは、218.225.96.169(会話/Whois)さんが 2004-02-15 01:24:32 (UTC) に投稿したものです。
- 追記:「救世主イエス・キリスト」を復活させたので、キリスト教徒の理解するイエス像はそちらにかいてください。--以上の署名のないコメントは、218.225.96.169(会話/Whois)さんが 2004-02-15 01:47:36 (UTC) に投稿したものです。
記事名からして“キリスト教徒の理解するイエス像”のためのもの
[編集]何を、独断で走っているのかね。匿名IPさん。
>「イエス・キリスト」とは「救済者としてのイエス」を意味し、厳密に言えばキリスト教徒のみに意味のある言葉である
と記事本文にあるのがただしいなら、この記事は記事名からしてキリスト教徒の理解するイエス像のためにもの。
史的イエスについて書きたいなら、イエスの方に展開しろよ。--アンチクリスト—以上のコメントは、アンチクリスト(会話・投稿記録)さんが[2004-02-15 01:56:05 (UTC)]に投稿したものです。
- そういうあなたは、自分の都合の良い文章しか読めない方ですか?(あなたが引用しているくだりも、すべて私が書いたものですけどね) 現象的には、「キリスト」は「イエス」の別称として認識されていることも書いたはずです。事典も学問も、規範的なものではなく、現象的・記述的なものです。「イエス・キリスト」という項目であるならば、どのように人々がイエスをキリストとみていったのか、それを歴史的に記述するのが、学問ですよ(信仰は非歴史主義であって、またそこにこそ意味がある)。ブリタニカ事典を始めとする、私が見た限りの第一級百科事典も、すべて「イエス・キリスト」の項目にこれらを載せています。 wikipedia の英語版も同様です。まだ前掲の荒井献は、その著書に『イエス・キリスト』という題をつけ、これを福音書の批判的分析を通した イエス像、キリスト像を書き出しています。--以上の署名のないコメントは、218.225.96.16(会話/Whois)さんが 2004-02-15 02:07:08 (UTC) に投稿したものです。
主張が混乱している。自分の主張は自分で整理せよ。
結局、キリスト教徒の理解するイエス像のためにものであると自分で主張している「イエス・キリスト」の記事を、「史的イエス」の記事で乗っ取ろうというつもりかね。
論理的にしたがえば、史的イエスは史的イエスの記事にかけばよかろう。--アンチクリスト—以上のコメントは、アンチクリスト(会話・投稿記録)さんが[2004-02-15 02:16:37 (UTC)]に投稿したものです。
- はい? エホ証のコピペなんかしてる暇があったら、ちゃんと文章読んでもらえませんか? K.M. & Sweeper さん。それと、私の質問にもちゃんと答えてね。この記事は『「史的イエス」の記事で乗っ取ろう』となどしていませんよ? そもそも史的イエスの意味さえご存知内容ですが。この記事は、まず歴史的なイエス像を載せ、次に、「新約聖書とイエス」の項目で(これはかなり誤謬があるので、直さなければなりませんが)イエスがどのように「キリスト」になっていったのか、歴史からみた「イエス・キリスト」の受容を載せる構造になっています。--以上の署名のないコメントは、218.225.96.169(会話/Whois)さんが 2004-02-15 02:26:17 (UTC) に投稿したものです。
記事を「イエス・キリスト」から「史的イエス」へ移動 20040215
[編集]無駄な論争をしても無意味なので、記事を移動しときました。これで匿名IPさんも心置きなく史的イエスの記述ができるであろう。--アンチクリスト—以上のコメントは、アンチクリスト(会話・投稿記録)さんが[2004-02-15 02:28:17 (UTC)]に投稿したものです。
エホ証のコピペって何じゃ? --アンチクリスト—以上のコメントは、アンチクリスト(会話・投稿記録)さんが[2004-02-15 02:33:08 (UTC)]に投稿したものです。
俺はエホ証云々と同一人物ではない、そもそも無神論者である。
暴れているステハン利用者:K = 218.225.96.169 か?
--アンチクリスト—以上のコメントは、アンチクリスト(会話・投稿記録)さんが[2004-02-15 03:04:53 (UTC)]に投稿したものです。
- 利用者:K = 218.225.96.169 ですが、あなたは英語版 wiki を読んでますか? 英語版でも「イエス・キリスト」の項目では、史的イエス像と、キリスト像の受容問題がかかれ、信仰のイエスは Jesus Christ as the Messiah という項目に移動しています。ブリタニカの百科事典(本家&日本語版、)、コロンビアの百科事典、小学館の百科事典、平凡社の百科事典、すべて同様です。ちゃんと質問に答えてから、記事の移動をしてください。--K 03:13 2004年2月15日 (UTC)
- 追記:アンチクリストの「キリスト教徒の理解するイエス像のためにものである」云々、歴史主義の問題を全く理解されていないようですね。--K 03:26 2004年2月15日 (UTC)
論理で辻褄が合わないとなれば、こんどは権威主義ですか。呆れます。
火種はあなたから出したのですよ?
無駄な論争をなくすために、
- 史的イエスについての記述 →史的イエスの記事へ
- 信仰のイエスについての記述→救世主イエス・キリストの記事へ
こう誘導すれば、誤解はまずないでしょう。
両義性があるイエス・キリストを、あくまで史的イエスの記事で乗っ取ろうとするあなたの態度は傲慢です。アンチクリスト—以上のコメントは、アンチクリスト(会話・投稿記録)さんが[2004-02-15 03:51:39 (UTC)]に投稿したものです。
保護の報告 20040215
[編集]記事についてはいったん保護しました。しばらくしたら解除しますので、それまではノートで議論をお続けください。--0null0 03:56 2004年2月15日 (UTC)
- 「あくまで史的イエスの記事で乗っ取ろう」? この記事の後半は、信仰のイエス像ですよ? ちゃんと文章読んでからいってもらえませんかね? それと「論理で辻褄が合わない」は、あなたの単なる知識不足です。「イエス・キリスト」を学問的に扱うならば、イエスという人物と、イエスがキリストとして、どのように歴史的に(この意味を全く理解されて無いようですけど)受容されていったのか記述するものです。「イエスは救世主である」というのは非歴史主義(信仰的)、「『イエスは救世主である』と主張する人がいた」が歴史主義です。このような史学の基本も理解されてないとは呆れる限りです。
- 「イエスの教えがキリスト教と呼ばれる世界宗教となった」は、明らかに非歴史的です。なぜなら、原始キリスト教の最初期に、キリスト教なるものが存在した史料は無いからです。あるなら教えてください。特に『使徒行伝』に描かれるペトロ等の使徒の行動は、ユダヤ教の延長上にあるとしか理解できないものです。(ジャン・ダニエルー『キリスト教史 I 』にも明記されている。加藤隆『新約聖書の誕生』も参照) それと、イエスがキリスト教なるものものを意図していたとする証拠もあげてください。単なるメシア信仰は、パリサイ派にもあるのだから証拠になりませんね。パウロによって決定付けられたキリスト教をキリスト教さしめる競技は、イエス語録の中に存在しません。これもあるなら教えてください。
- 記事の保護の件、了解しました。--K 04:11 2004年2月15日 (UTC)
この場は、自説の展開をする場ですか? 何を血迷っているのです。
ここは百科事典です。
「この記事の後半は、信仰のイエス像ですよ?」-それでは、その部分を信仰関係の記事に移しなさい。
--アンチクリスト—以上のコメントは、アンチクリスト(会話・投稿記録)さんが[2004-02-15 04:15:38 (UTC)]に投稿したものです。
- 自説ではありません。近年の聖書学の定説です。前掲の文献、すべてに書いてあります。まさか、上記のような基本書を一冊も読んでいない語っているのではありませんよね? 私の質問に答えないのは、答えられないからですか?
- 「その部分を信仰関係の記事に移しなさい」。←これも甚だしい読解力不足です。後半に書かれているのは、歴史的観点からみた「信仰のイエス」です。これは「史的イエス」とも異なり、また単なる信者によるイエス像とも異なります。例えば、マタイがどのようにイエスを描き出しているか、そういうことが問題となるのです。こんなものを全て細分化していたら、単発的な記事が増えるだけで、「イエス・キリスト」という全体像がみえなくなるだけですね。
- あ、それと「キリスト教用語一覧」の質問にもちゃんと答えてください。まさかこの件の私怨からくるものではないと思いたいですね。--K 04:27 2004年2月15日 (UTC)
- 私が自説を説いてると主張するなら、原始キリスト教の最初期に「キリスト教」なるものが存在した証拠、パウロによって決定付けられたところのキリスト教が、イエスによってすでに説かれていたという証拠を、ちゃんと挙げてください。あなた、逃げてるばかりで話になりませんよ? --K 04:33 2004年2月15日 (UTC)
史的なイエスと信仰のイエスは同一人物
[編集]史的なイエスと信仰のイエスが異なるとははじめて知りました。しかし、どちらも同一人物なのですから、わざわざ分離する必要はないのではないでしょうか。また、わたしが訂正した部分は「エホ証のコピペ」ではなく、一般的に良く知られている点です。<sr>
- ヤハウェ=エホバ:「広辞苑」にも載っていることです。「広辞苑」の第一巻にはイエスの名の意味として「エホバは救いなり」と書かれていました。
- 地獄=シェオル、ハデス、ゲヘナ、タルタロス:英語版のWikipediaにも載っていますし、ネット上の「電網聖書」でもそう解説しています。
--K.M. 13:28 2004年2月16日 (UTC)
- >史的なイエスと信仰のイエスが異なる
- 逐語霊感説のかたがたには理解できないかもしれませんね。
- 本項に関しては史的イエスと関係ない記事が後半に集中しているとの批判に同感です。
信仰におけるイエス像(イエス・キリスト)と後者を統合し、本項では19世紀のイエス伝(およびそれにいたる神学および文献学的蓄積)・福音書とロギアを切り離す研究などに言及したほうがよいかと。 - パウロ書簡とイエス語録の関係についていえば、後者が文書化されるのはパウロ書簡以後ですから、パウロ書簡の内容をイエス語録から批判するというのはアナクロニズムだと考えます。--KIZU—以上のコメントは、Aphaia(会話・投稿記録)さんが[2004-02-22 06:22:20 (UTC)]に投稿したものです。
『真筆』問題
[編集]133.87.1.151 さまによる編集(12:29 2004年3月17日)のおかげで気付くことができたんですが、19:35 2003年5月13日の版(218.226.241.30)によると、『キリスト教における最古の史料は新約聖書内のパウロの真筆書簡』だとか……そんなはずはなく、マンチェスターのジョン・ライランヅ図書館にある475番の写本が最古で、これはヨハネ福音書の18章31節とされていて、書かれた年代は92年から127年までということになっているはずです(田川建三著『書物としての新約聖書』 p356 - 357)。つまり、最古の写本はパウロが死んでから少なくとも20年のちのことですし、さらに現在の通説によれば、パウロの書簡はほとんどが口述筆記だろうと推定されているわけですから、真筆など残っているはずがないと思うのですが。それとも真筆といわれる「写本」(?)が存在するのでしょうか? う~ん、謎。一瞬目を疑い驚きました。去年の5月13日という古い版ですから、ご本人がこれをご覧になる可能性は非常に少ないと思いますけれども、とりあえず指摘しておきます。
- Opponent 04:42 2004年3月17日 (UTC)
過去ログ
[編集]- 報告 上掲の履歴の固定リンク方式の過去ログ(2)「/2005/12/31まで」を、2024年(令和6年)12月4日に過去ログ(1)「/log-20040215まで」へ転写し、一本化しました(ただし、節《#新約聖書学の成果を豊かに発信できれば…》は現行ノートに存在するためログ転写から除外しました)。現時点の過去ログ《ノート:史的イエス/log-20040215まで》のページサイズは20,758バイトとなっています。--Yumoriy(会話) 2024年12月4日 (水) 12:11 (UTC)
- 報告 過去ログ「/log-20040215まで」を「/過去ログ1」へ改名移動しました。旧ページは移動先「/過去ログ1」へのリダイレクト(転送)となっています。--Yumoriy(会話) 2024年12月12日 (木) 08:21 (UTC)
新約聖書学の成果を豊かに発信できれば…
[編集]中立を強調することで何も書けないのは、自分で自分の首を絞めることと思っています。 むしろ、新約聖書学の成果がいろいろある場合、併記して、豊かさを伝える方が良いと思っています。 つまり、別の見解の人がありましたら、「見解?」として追加すれば良いと思います。
ただその場合、この史的イエスの場では、最低限、新約聖書学の成果を根拠として行う必要があり、その上で、批判する必要があります。 前に、荒井さんと弟子筋の大貫さんとが目の前で批判するのを聞いたことがあります。 その場合でも、新約聖書学という共通の土台で、真理を求めるという共通の目的をもって批判しあっており、ある意味で安心して、聞き、学ばせて戴きました。 このウィキペディアッデのキリスト教の場では、その様でありたいと願っております。 by イエスチャン --以上の署名のないコメントは、イエスチャン(会話・投稿記録)さんが 2006年4月6日 (木) 10:59 (UTC) に投稿したものです。
ウィキペディアは真理を求める場ではありません
[編集]イエスチャン さん、多数の文章の投稿、ご苦労様です。ただ、疑問があります。ウィキペディアにおける原則は、ここは個人の意見や個人の独自の研究を発表する場ではないというのがあります(参照:Wikipedia:ウィキペディアは何でないか)。「イエスの思想」として、(2)として長い文書を記されていますが、これは一体、誰の学説でしょうか。また、史的イエス研究の専門家たちのあいだで共通に認識され承認されている学問的な成果なのでしょうか? そもそも、この記事のような主題の場合、「参考文献」が必須になります。誰の著書に基づいて、ある記述を行っているのか、出典が明らかでなければなりません。色々な本を読んで、自分はこう考えている、というのは、それは「個人の独自の意見・主張」です。新約聖書学者荒井献の述べるところでは、こうであるとか、専門家の学説・理論であることを(かつその学説が、史的イエスの研究で、多くの専門家の賛同を得ているものであることを)明らかにしなければなりません。イエスチャン氏の記述は、残念ですが、そういう典拠の明記がありません。イエスチャン氏の独自の意見の表明・演説の類としか読めません。従って、記述はすべて削除させて戴きます。再度掲載される場合は、参考文献・出典を明示して戴きたく思います。--Maris stella 2006年5月23日 (火) 04:51 (UTC)
- 私も内容や文体から同じ危惧を抱いております。今後、編集される方には、特に下記の点をご留意いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。
- --Album 2006年12月6日 (水) 01:24 (UTC)
J・ヴァイスおよびユリウス・ヴェルハウゼンの主張の論拠について
[編集]本文中に、
「アルベルト・シュバイツァーは・・・イエスは終末論的世界観の中に生きておりメシアとしての自覚を持っていたと言う見解を表明した・・・その後、J・ヴァイスはこのような教会神学の所産である福音記者の編集部分を取り除くことでイエスの歴史像を解明しようと」したとあり、
J・ヴァイスが、福音書にみられる "1.イエスが終末論的世界観を持っていた" ,"2.メシアとして自分をとらえていた"ことを示す記述を「教会神学の所産である福音記者の編集部分」であるとしたと読み取れるのですが、J・ヴァイスはどのような論拠でこのような結論を導き出したのでしょうか。
また彼がマルコの分析を行なったものの、「伝承の編集は予想以上に複雑な過程を経ている」と結論するに至ったのはなぜですか。
同様に、
ユリウス・ヴェルハウゼンが「マタイとルカにおけるQ資料の編集においてすらも、教会神学が作用している」という説を唱えたとありますが、これも、どのような論拠でこの説が発表されたのですか。
以上のような見解は、厳密な考証を経て主張した上で、明確な論拠が提示されたものなのでしょうか? 反論や批判に対して、どのような反証が行われたのですか? --Ointment2 2009年5月2日 (土)