ノート:南京大虐殺論争/過去ログ1
このページは以下にある保護解除以前の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合はノート:南京大虐殺論争で行ってください。
このページは編集しないでください。
昨年から諸氏の抗議を無視し本文保護解除の合意議論を妨害されているTobey氏に対して改善の見込み がないようですのでWikipedia:投稿ブロック依頼 2005年1月;させて頂きました。--World 2005年1月11日 (火) 15:09 (UTC)[返信]
下記のwikiルールと当タイトル参加者の間で合意したルールを遵守して早急な本文保護解除を妨害しないように してくださいね。--World 2005年1月23日 (日) 10:31 (UTC)[返信]
はじめまして、Serenoboyと申します。戦争犯罪等に関する項目における、編集合戦による編集保護には賛成できません。なぜなら南京大虐殺や従軍慰安婦、ホロコースト等、立証責任があるのは肯定派のはずだからです。たとえば南京大虐殺を「否定するな」「30万人虐殺を矮小化するな」というならば、「非戦闘員」が「30万人」虐殺されたことを証明する第一次資料・第二次資料・第三次資料を提出する義務があるはずです。もしそうでなければ、いかなる荒唐無稽な主張でも好き勝手に言いつのる事ができるのに対し、否定する側が「そうではないこと」を証明しなければならないという不公平な重荷を背負うからです。彼らは否定派に悪魔の証明を要求するのでしょうか?また、彼らは南京における日本兵のレイプに関しても、「証明するのは難しいが、レイプ事件を否定することはできないと主張しています。証明できないのであれば、最悪無実ではなくても無罪です。通常の刑事事件ならば、弁護側に被告人の無実を証明する義務はないのに、どうして日本の戦争犯罪においては「疑わしきは罰せず」の大原則が適用されないのでしょうか?私には理解できません。彼らには、歴史修正主義を非難する前に、物的証拠を提出する義務があります。編集保護は、肯定派が否定派の動きを封じるための道具となっているのではないでしょうか。
否定派が生き残りを嘘吐き呼ばわりして名誉毀損で提訴され、最高裁で原告勝訴となったのは記憶に新しいところです(李秀英名誉毀損訴訟)。これでは“修正主義”と批判されても仕方がないのではありませんか?--211.13.148.214 2005年4月30日 (土) 09:55 (UTC)[返信]
はじめまして、らんでといいます。Serenoboyさんへ。まず、なぜ「30万人」が虐殺された事にこだわるのでしょうか。現在では日本のまともな学者では誰もこの説を支持していません。それなのに、その「30万人虐殺説」の証拠を求める意味は果たしてあるのでしょうか。要求するならその説を主張している人たちに向けないと意味はないと思います。 「疑わしきは罰せず」はあなたも書いていますが、あくまでも「刑事事件」の原則であって、たとえ裁判であっても民事事件などでは適用されません。さらに言うと、この南京大虐殺事件の論争は刑事事件でも民事事件でもありません。歴史検証の問題でしょう。その歴史検証の問題に刑事事件並の厳しい基準を設けたら、歴史はほとんど記述できないことになってしまうでしょう。
久しぶりに戻って見ましたが、全然進展がないようで残念です。
ついでですが、、211.13.148.214氏が主張する李秀英名誉毀損訴訟の判決は、
- 『岡久幸治裁判長は
- 「一見して食い違いがあるように見える資料の、どちらが信用できるのかの検討を殆どしていない」
- と述べ、
- 「松村さんには、李さんが嘘を言ったと信じる相当の理由はなかった」
- と結論付け、150万円の慰謝料を支払うよう命じた。』
と、いうことで、実際に事件が起こったかどうかは判断されていませんので、否定派が“修正主義”と批判される心配はありません。それよりも、判決を自分の都合のよいように捻じ曲げて解釈する行為は、批判されても仕方がないように思います。--Neigh 2005年8月27日 (土) 21:16 (UTC)[返信]
Wikipediaのルール
[編集]- Wikipedia:基本方針とガイドライン
- Wikipedia:中立的な観点
- Wikipedia:個人攻撃はしない
- Wikipedia:ウィキペチケット
- Wikipedia:出典を明記する
- Wikipedia:ページの編集は大胆に
- Wikipedia:事実を確認する
- Wikipedia:論争のある記事に関するガイドライン
- Wikipedia:ノートページ
- 当タイトルの最重要懸念「長期にわたる本文保護について」は異存なく全会一致を確認しています。
トップ固定としました。
▼合意形成の最終段階として、具体的な項目名にしていますので「項目名」を変更されないようにお願いします。以後に同様の行為が行われた場合は、議論妨害として投稿ブロック申請などの処置を取りますので、予めご了承下さい。Zeek 2004年12月22日 (水) 16:01 (UTC)[返信]
本文修正の合意は、Zeek氏と誰かの個人折衝ではかるものではなく、この議論に参加されている方々と広く議論を交わし合意をはかるべきものでしょう。それともZeek氏は、DIGITAL氏やPeace氏から本文修正の全権委任を託されてでもおられるのでしょうか?本文修正議論の項目に私の個人名を掲げる事により、Tobey氏をはじめ南京大虐殺論争の編集に長く関わってこられた他の方々の議論への参加が阻害されるような事になっては、自由な参加を旨とするウィキペディアの趣旨からも外れかねません。また、Zeek氏の「学会の反応」修正についてのご提案あってそれに応える形でこちらの書き込みをいたしました、そういった対比を重ねていく事こそ肝心の筈ですが、それを後付で分断した項目分けをなさる理由がZeek氏にとっての分かりやすさという事では、正直言って少々の身勝手さを感じます。本文修正はこちらに参加されている方々の間で、広く互いに議論されて然るべきものです。本文「学会の反応」修正最終合意にむけて、以前の項目と区分けに戻して頂けるようお願いいたします。
「Tobeyさんとの合意形成について」
他の方の書き込みを排除なさろうとする時点で勘違いがあるとも思いますが、配慮した上でこちらに書かせて頂きます。そもそも本文保護に至ったのはZeek氏の議論合意を待たずに、修正および議論対象に無い項目の一括削除を行ってしまった事が原因であり、保護解除に至れないのはZeek氏のそういった行為に対して、今後そういった事は行わないようにお願いしますというこちらの要望に、Zeek氏が返答くださっていない事が原因なのです。その点をZeek氏がご理解くださり、今後は議論提起し合意をはかってから修正すると明言くだされば、保護解除に何の問題も無かった筈なのですが、それら合意を待たずにDIGITAL氏が保護解除を申請なさった結果、管理側から更なる編集合戦の可能性の指摘を受け、修正内容にまで合意した上で無ければ保護解除は望めない状況になったという事なのです。
Zeek氏がご自身の行動を省みられないと仰るのであれば、今回は本文修正で合意が得られたとしても、再度編集合戦へ至る事は確実です。まず「保護処分の原因」の確認と再発防止の合意があって、その上で本文修正の合意あって、はじめて保護解除に至れるのだとご理解ください。--Tukasa ryo 2004年12月23日 (木) 06:26 (UTC)[返信]
Tukasa ryo氏の見解に賛成です。私が項目名を変更したのも、その議論に相応しい「具体的な項目名」として変更させていただきました。Zeek氏は、項目名に具体的なアカウント名を入れ、他の方が議論に参加するのを阻害するような行為をお止めください。
この件に関しては、Zeek氏ご自身で、今回、再修正した項目名を、適当な項目名(Tukasa ryo氏の指摘にご留意を)に修正されるようお願いします。
また、Zeek氏は、このような無意味なことで時間を費やすのではなく、wiki利用者のためにも、一刻も早い保護処分の原因を解決を目指すようお願いします。--Tobey 2004年12月23日 (木) 07:56 (UTC)[返信]
履歴を確認しましたが、「Tobeyさんとの合意形成について」という項目名のほうが実態をあらわしていると思います。得に変更が必要なものとも思えませんから、項目名の変更は荒らし行為に該当すると判断します。TobeyさんとZeekさんとの問題は複数の項目で議論され、Tobeyさんに問題があるという意見が多数です。Tobeyさんが多数意見を無視しているのですから、あとは当事者間で話あってください。DIGITAL 2004年12月23日 (木) 13:59 (UTC)[返信]
DIGITAL氏の見解を見る限り、Tukasa ryo氏の問題点の指摘が理解できていないように思われます。もう一度、議論を読み直すことをお勧めします。
なお、Zeek氏にしても、DIGITAL氏にしても、議論の基礎となる事実確認さえ拒否しているのですから、保護原因の問題点に関しては、ほぼ結論は出ていると言えるのでないでしょうか?反論があるようでしたら、事実関係の確認を拒否せず、保護原因の解決に向けた実質的な議論をなさいますようお願いします。--Tobey 2004年12月23日 (木) 14:14 (UTC)[返信]
Tobey氏とTukasa ryo氏はわざわざ議論が脱線する行為や投稿で本文の保護解除を妨害しているように しかお見受けできません。ここまで長引くと茶番もそろそろ通用しないでしょうね。--World 2004年12月23日 (木) 21:41 (UTC)[返信]
保護処分の解決にむけてについて
今回まではZeek氏の意向を尊重いたしますが、この後は「保護処分の解決にむけて」に書き込ませていただきます。
Zeek氏、他ならぬあなたが当事者なのです、他の方から指摘云々でなくZeek氏自身がどうお考えなのかが問題なのです。ウィキペディアにあって「失礼で、反生産的な行為」とされている一括削除と、議論の途中で合意を待たず一方的な修正を行うといった一般社会常識を欠いた行為を、Zeek氏が省みる必要など無いと仰るなら、再度の編集合戦の可能性を管理側から指摘されている現在、保護解除には至らない事をご理解ください。--Tukasa ryo 2004年12月26日 (日) 00:41 (UTC)[返信]
「本文保護解除を妨害」されているTukasa ryo氏とTobey氏はわざわざZeek氏の提案する建設的な「編集ルール」の合意を妨げ、議論が脱線する行為や投稿を繰り返しているだけですな。
そうではないと言うならばTobey氏がデボートする前の本文に戻した上で現在の行為をなされる
べきですな。そのような姑息な手段は大東亜戦争でも暴かれていますので悪ふざけもボチボチ潮時だと思いますがな。--Peace 2004年12月26日 (日) 08:15 (UTC)[返信]
▼編集合戦の原因が、不正確な記述を修正なく執拗に差し戻したTobeyさんにあるという指摘も多数存在します。私の削除は、資料が存在しないことを確認した上でのことで、題名の修正を提案していました。Tobeyさんが修正に応じればそれで済む問題だったのではないでしょうか?(現在Tobeyさんは記述の不正確さを認め修正に応じている)。題名の修正に応じない以上は削除する以外に方法がありませんので、削除は妥当だったと思います。
今後については、すでに提案され大方の合意を得た、編集のルールに私も合意していますので、Tukasa ryoさんとTobeyさんが合意されれば編集合戦は防げると思います。合意を形成するという意味を再度考えられてはいかがでしょうか?Zeek 2004年12月26日 (日) 16:36 (UTC)[返信]
編集合戦の経緯について、Zeek 氏が議論を行うというのでしたら、歓迎します。Zeek氏の問題点については、何度も指摘済みですので、そちらにて反論をお願いします。
なお、Zeek氏は、保護解除の解決を拒否するような態度を改め、速やかに正常な状態に戻すようお願いいたします。みなさんが、Zeek氏の行動を待っていますよ。--Tobey 2004年12月27日 (月) 15:17 (UTC)[返信]
誰かの指摘でなく、Zeek氏がどう思われているのかが問題だという事なのです。一般社会常識を明らかに欠いた、議論途中での一方的な削除修正を敢えて断行なさった、それもZeek氏自身も削除しなくても良いと考える箇所すら一括削除してしまった行為を、自分に従わなかった相手こそが悪いのだとZeek氏が省みる必要など無いとお考えなら、今後再度の編集合戦に至る可能性は充分にあるでしょうし、また管理側に再度の編集合戦の懸念あるかぎり、保護解除される事もないと考えます。今回の本文保護に至ったそもそもの原因行為の当事者は自分であるという自覚を、まずお持ちください。それなくしては議論が巡るばかりで、何時までも保護解除に至ることは無いと考えます。 --Tukasa ryo 2004年12月27日 (月) 15:45 (UTC)[返信]
▼まず保護処置の問題(編集合戦)については、以下の項目で十分に議論された問題です。これ以上議論しても、議論に参加されたそれぞれの方の意見は変わらないと思います。
- 保護解除を妨害するTobey さんの行為について
- 冬休みまでの保護解除のためのTobey氏がすべき最終的な確認
- Peace氏の提案
- 編集合戦の問題点について
- 保護解除についての合意形成の提案
- 「学会の反応」の削除について
- 保護解除について
- Zeek氏とTobeyとの編集合戦の経緯と問題点
保護処置の原因がTobey さんにあるという結論を出しているのは、Peaceさん、Neigh さん、私Zeek、DIGITALさん、他IPユーザーの方となります。この事実にTobeyさんの反省はないのでしょうか?。これら方の意見は不正確な記述を修正なく執拗に差し戻したTobeyさんの編集が中立性、公正性を欠くという内容に凝縮されると思います。実際に記述が不正確であったことはTobeyさんも認められたわけですから、Tobeyさんがリブートせずに、「学会の反応」という題名を修正していれば編集合戦にはならなかったわけです。ちなみに現在は題名の修正にTobeyさんを含めた全員が合意しています。
編集合戦の原因は「編集ルールの恣意的な解釈」にあると考えられるので、編集のルール化が提案され、管理者の方の意見を参考にルールが作られ、そのルールに私は合意しています。暫定ルールにTukasa ryoさん、Tobeyさんが合意されることで、編集合戦はなくなるものと思います。Zeek 2004年12月28日 (火) 05:08 (UTC)[返信]
まずは、Zeek 氏が、保護処分の原因について議論をなさろうという態度を見せてくださったことに敬意を表します。私は、保護処分の原因を解決するいかなる議論にも賛成です。
とりあえず、議論の基礎となる事実関係のご確認をお願いいます。
【本文「学会の反応」の構成】
(A)否定説に関する学会の動向
(B)中国政府を刺激することで研究の遅滞が生じる危惧の声
(C)社会学・心理学研究者の研究に関して
(D)旧説(肯定説)からの脱却と、真実探求の学問的流れ
【議論の経緯】
(1)ノート「学会の反応」において、Zeek氏は、当初、上記(A)に関して疑問の提示と削除の要請を行っていました。
(2)(A)の記述は、私は通常の学術的動向として妥当であるので削除すべきではない、と反論を行いました。
(3)この議論は「2004年11月5日 (金) 14:22」~「2004年11月7日 (日) 06:50」の間続けられましたが、合意点には至っていませんでした。
(4)Zeek氏は、「2004年11月7日 (日) 12:04」に本文「学会の反応」(A)~(D)のすべてを削除しました。
(5)私は、議論中にもかかわらず削除することは不当であるとして、「2004年11月7日 (日) 12:25」にrevertを行いました。
(6)この後、編集合戦に陥り、「2004年11月7日 (日) 12:43」に保護処置がとられました。
(7)保護処置後もノートにおいて議論が続けられたが、私は、「2004年11月13日 (土) 04:58」に(A)に関する具体的資料を追加して提示しました。
(8)Zeek氏は、直後の「2004年11月13日 (土) 16:06」の記述から、論点を、それまで議論されていた(A)から、一度も触れていない(B)に変えました。
(9)以降、Zeek氏の議論の論点は(B)となりましたが、私は、この点に関しての賛否は一切行っていません。
ルールについては、「2004年12月27日 (月) 21:07 (UTC)」の記述で、私の見解を述べてありますので、そちらをご参照ください。--Tobey 2004年12月28日 (火) 17:17 (UTC)[返信]
間違った本文保護と言う異常事態を早急に解除するには管理者の方の意見を参考に作られた包括的なルールに諸氏が合意を誓う事によって成されます。Tobey氏はこれまで議論して来たにも拘らず未だに合意に至らない(至るわけも無い)過去の保護処分の原因についての決着に執拗に粘着されておりますがこれ以上続けてもループし無駄ですな。果たしてそれで間違った本文保護という異常事態を早急に解除しようと言う意思を本当に持っておられるのでしょかな?むしろ我々が当初から彼の真意を危惧していたように、永久に間違った本文を維持しようとされているような動議にしか思えませんな。--Peace 2004年12月28日 (火) 20:19 (UTC)[返信]
▼いろいろと議論が錯綜していますが、保護解除について反対意見というのはないようです。編集のルールについては置いておいて、とりあえず問題の本文を修正した後に保護を申請するということなら合意が早いと思われますので、反対派のTukasa ryoさん、Tobeyさんは是非ご検討下さい。
問題の本文
(A)学会の反応
(B)否定説はほとんどの歴史家の間では受け入れられる傾向はない。
(C)現在では歴史研究者の間では南京事件の有無を問うことは、中国政府をいたずらに刺激し、研究活動に支障が出るという声も聞こえてくる。
(D)また一部の社会学や心理学の研究者の間では、「なぜ大衆が非学術的な言述を信用するのか」という研究の対象となっている。
- (A)「学会の反応」=学会の反応ではないので題名を変更(合意済み)。
- (B)「ほとんどの歴史家」=という表現に合意が成立していない。根拠が歴史辞典であれば、歴史辞典の名称と記述者を紹介する。同時に否定派の研究者名を併記するという修正案が提示されている。(記述の具体化に反対しているのはTukasa ryoさん、Tobeyさん)
- (C)特に議論になっていないので今回は修正外。しかし誰がそのような主張をしているのかが不明確なので資料待ち。
- (D)該当する心理学の研究資料が提示されていない。南京関係の研究資料では否定論を非学術的としたものは提示されていないので根拠不明として削除。Tobeyさんも削除に反対しない方針を提示。
ということで合意が成立していないのは(B)だけですが、管理者でウィキペディアのルールに詳しいAphaea*さんは以下のように説明していますので、「ほとんどの歴史家」という曖昧な表現ではなく、具体的に文献名と否定派の研究者名を提示する方向で問題ないと思われますが、いかがでしょう?
- 一般論としてですが、英語版やドイツ語版などでは、学説について代表的な研究者の名前を出して「○○の研究によれば……」(○○『なんちゃら』XXXX年)、など記述するのは議論のおこりやすいところではわりとよく見られる手法です。記述自体が議論のまととなる(本当にそういうことをいっている研究者がいるのか)場合には、そうしたリファランスは有効だと思います。どれだけ広範囲に支持されているか、また反論としてどのようなものがあるかが述べられているとなおよいのでしょうが。--Aphaea* 2004年11月29日 (月) 11:45(ここまで引用)Zeek 2004年12月21日 (火) 13:47 (UTC)[返信]
■こちらの議論は、保護解除の原因を解決するものではありませんので、「保護処置の原因除去のための合意形成について」において、保護処置の原因の事実と問題を確認し、合意を形成し、一刻も早い保護処置の解除を目指すことを提案します。--Tobey 2004年12月21日 (火) 15:59 (UTC)[返信]
tobeyさんとTukasa ryoさんは個人攻撃まがいの提案ばかりして議論拡散させて本当に一刻も早い保護処置の解除を目指しているとは誰も思ってませんよ。(笑)--Doc 2004年12月23日 (木) 18:05 (UTC)[返信]
Zeek氏、ご提案ありがとうございます。
- (A)「学会の反応」(D)で多方面の研究者についても言及されていますから、「学者・研究者の反応」で良いかと考えます。
- (B)「ほとんどの歴史家」という表現は間違いではありません、否定説は歴史事典・辞書にその記述が無く、また歴史学者で否定説を採られている方が居ないというのが現状です。それを踏まえれば、学者・研究者を含むほとんどの歴史家に否定説が受け入れられているとは到底考えられないでしょう。文言が不正確であるというなら、「否定説は、一部研究者が論じているが、歴史事典・辞書に記載もなく、また歴史学者で否定説を採るものも居らず、ほとんどの歴史家の間では受け入れられる傾向はない。」とすればより正確な記述になると考えます。また「主な見解」で、各主張とも人数に見解の相違はあれど、虐殺はあったとされる学説を支持される学者や研究者が紹介されており、それに対して虐殺は無かったという説=否定説を採る研究者もすでに紹介済みですのでこの項目で再度列挙する必要は無いと考えます。
- (C)前回の提案で削除を提案しましたが、私もこれが明確な誤りであると指摘できるだけの資料を持ち合わせていませんので、削除提案を撤回いたします。このまま残すという案で同意いたします。
- (D)削除なさりたいなら、そういった研究はなされていないという資料が必要です、上記(C)で資料待ちで削除しないとされながら、同じく資料待ちのこちらを削除するのではダブルスタンダードでしょう。よってこの文言も残すべきです。また、否定説を掲げる研究者の中には、一次資料を捏造したという疑惑を取りざたされている方も居られ、その捏造資料に基づいたその研究は非学術的であるとされているのも事実です。文言が不正確であるというなら、「また否定説の中には、研究の元となった一次資料の捏造を取りざたされ、その研究自体が非学術的であるとされるものもあり、一部の社会学や心理学の研究者の間では、「なぜ大衆が非学術的な言述を信用するのか」という研究の対象となっている。」とすればよいと考えます。
Zeek氏、加えて「主な見解」2004年11月12日 (金) 17:59 最終案でご同意頂けているかの再確認も、合わせて宜しくお願いいたします。また、議論途中の一括削除ではなく、こういった形での検討を提案し合意をはかりながら修正をしていただければ、問題がこじれる事もなく、本文保護に至る事もなかったと考えます。どうかこれからもノートでの議論提起、合意を念頭にご参加くださるようお願いいたします。--Tukasa ryo 2004年12月22日 (水) 01:52 (UTC)[返信]
▼Tukasa ryoさんへ
- 表題は、「学者・研究者の反応」で問題ないと思います(合意成立)。
この題名だと「肯定派」の反応と「否定派」の反応を分けて記述する形が適当だと思われますがいかがでしょうか?
>削除なさりたいなら、そういった研究はなされていないという資料が必要です
ということですが、これは「悪魔の証明」ですからウィキペディアのルールにより悪魔の証明の強要は禁止されております。記述について質問があれば資料を提示するのがウィキペディアのルールです。再度、ルールをご確認下さい。Zeek 2004年12月22日 (水) 15:29 (UTC)[返信]
歴史学だけでなく多方面の学者・研究者に言及しているという意味での表題ですから、問題はないと考えます。また、各説については「主な見解」で充分に紹介もされており、こちらの項目で採録する必要は無いでしょう。
研究がないという証明は確かにできませんね、これは勇み足でした申し訳ありません。ですが、否定説の中には非学術的であるとされている研究が、確かにある事はZeek氏もご理解なさっているでしょう。よって、(D)も(C)同様資料待ちとして削除はせず残すべきです。無論否定説の研究者にも諸氏が居られ、否定説の研究すべてが非学術的だと証明されている訳でもありません、非学術的とされる研究は否定説の一部であると解る文言の追加は必要だと考え、上記修正文を提案しています宜しくご検討ください。--Tukasa ryo 2004年12月23日 (木) 06:29 (UTC)[返信]
▼題名が「学者・研究者の反応」ですから、各説を紹介するのではなく、
- 肯定論側から見た「否定論批判」
- 否定論側から見た「肯定論批判」
という形でどうでしょうか?。中立性の観点でも両説の併記が推奨されています。
私は一通り南京関係の研究所は目を通していますが、個別の論点についての批判はありますが、「否定論全体を非学術的」とした研究はありません。ですから、否定論を非学術的とした心理学の研究というものが存在するとは思えませんし、誰もそういう心理学の研究資料を提示できないのですから、ウィキペディアのルール上、本文としては不適切ということになります。Tobayさんも削除に反対されないということですから、Tukasa ryoさんが資料を提示できなければ削除で問題ないと思います。
Tukasa ryoさんが歴史関係の編集をする時は、資料を確認しながらだと思いますし、存在が確認できない研究を「存在する」と記述することはありませんよね?Zeek 2004年12月23日 (木) 15:13 (UTC)[返信]
「非学術的」の意味について
[編集]【資料】月刊誌『諸君』2003年7月号P169・原剛「南京大虐殺はあったか?」
①三十万人説 中国側の主張(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館)
②二〇万人以上説 南京事件調査研究会(洞富雄、藤原彰、本多勝一、笠原十九司など)
③約四万人説 秦郁彦
④一~二万人説 板倉由明、偕行社『南京戦史』
⑤虐殺否定説 鈴木明、田中正明、阿羅健一、東中野修道など
現在においては、多くの史料や関係者の証言などによって研究も進み、①の三〇万人説や⑤の虐殺否定説(まぼろし説)は、実証性に欠けていることが判明してきた。(略)
※小虐殺説である原氏が三十万人説を否定するのは解りますが、否定説を否定するというのは、見るに値すべき記述と思われます。--Tobey 2004年12月23日 (木) 15:32 (UTC)[返信]
【資料】週刊『金曜日』2002年12月20日P50・笠原十九司「反学問的な”学会”の年報」
拙稿「南京虐殺否定派の”新旗手”」(拙著『南京事件と日本人』柏書房、二〇〇二年)において、「南京事件の記憶の抹殺者たち」として厳しく批判した東中野修道・亜細亜大学教授が会長をつとめる日本「南京」学会(二〇〇〇年一〇月結成)が、学会誌を装った本を出版した。
同学会は、学問的には成り立たない南京虐殺否定説を「立証」することを目的にしていることにおいて、学問的には無意味な学会である。
--Tobey 2004年12月23日 (木) 15:43 (UTC)[返信]
▼Tobeyさんが引用された原剛氏は、否定派の東中野教授が会長を勤める『日本「南京」学会』で論文の審査にあたっている方です。
平成14年9月の学会の年報よれば、原剛氏は、笠原教授などによる一般的な虐殺説「20万以上説」も実証性に乏しいとしています。
- 「現在において、多くの資料や関係者の証言によって研究も進み、①の30万以上説や、②の20万以上説、⑤の虐殺否定説は、実証性にかけることが判明し、研究の焦点は、虐殺の規模、様態、要因などの問題に移っている。」日本南京学界年報、南京虐殺の研究最前線、P45
以上を要約して原氏の意見として本文に提示することに問題はないと思います。
また、虐殺肯定派の笠原教授の意見として、「同学会は、学問的には成り立たない南京虐殺否定説を「立証」することを目的にしていることにおいて、学問的には無意味な学会である」、という意味の記述を本文に提示をする事に問題ありません。「笠原教授=ほとんどの歴史学者」ではありませんから、出典を正確に表示すればOKです。こういう形で、具体的な資料にそって記述を改めるのが「資料主義」です。Zeek 2004年12月23日 (木) 16:40 (UTC)[返信]
当面、確認すべきことは、これらの記述を載せるかどうかではなく、「否定論全体を非学術的」という認識を、論争相手である肯定説はもちろんのこと、最もシンパシーを感じている小虐殺説の原氏も持っているということです。この点は、合意していただいたと理解してよろしいでしょうか?--Tobey 2004年12月23日 (木) 16:56 (UTC)[返信]
南京大虐殺について中国側の主張と日本でいい加減に用いられる意味のギャップを利用した一種の 撹乱から来る誤解ですが、「否定論全体を非学術的」とするのは「まぼろし論を非学術的」とした方が「南京大虐殺否定論」と混同した誤解がないくていいでしょう。 これは同じく実証性に欠けることが判明している20万人説や30万人説のいわゆる「南京大虐殺」について「肯定論全体を非学術的」とした場合に「虐殺肯定論」と混同した誤解が生じる可能性と同様で、 これも「大虐殺論を非学術的」とすると良いでしょう。 研究の進んだ現在では「虐殺否定論者」と「大虐殺肯定論者」は実証性に欠けると批評されていて、 その両極端以外の「大虐殺否定論者」(虐殺肯定論者)の間で、虐殺の規模、様態、要因などの研究に焦点が移っている、と言うことでいいでしょう。 ところでいちROM者の印象として、一刻も早い本文保護の解除に向けてZeek氏の打ち出される提案は建設的で具体的なもので全面的に賛同できます。ただTobey氏の投稿は敢えてZeek氏の保護解除の合意提案から逃避されているように伺われますので目標に矛盾した姿勢は改めるべきだと思います。--World 2004年12月23日 (木) 21:28 (UTC)[返信]
意見を記述すべきでないと仰っていたのは他ならぬZeek氏です。互いから見た相手の批判など百科事典に載せる必要など無いと考えます。さらに、両論はすでに「主な見解」で充分紹介されてされており、「学会の反応」に再録する必要は無いと考えます。
Zeek氏、南京関係の研究書は目を通しておられるというなら、否定説の一部に一時資料の捏造を指摘され非学術性を指摘されている研究がある事は、充分にご理解ある筈です。更に、その非学術的な説に傾倒されている方も実際に居られる訳で、捏造に基づいた説を信じてしまえるのは何故なのか、その目的と心理について社会学や心理学の観点からは充分な研究対象でしょう、「学会の反応」を記述された方が何らかの資料に基づかれて記述された可能性は充分にあると考えます。そういった資料をZeek氏が探せないから削除すべきだというのは誤りであるとご理解ください。
また、否定説全体が非学術的であると証明はされていないと申し上げています、明確に非学術的を指摘されている研究は否定説の一部であると記述文の精査をし「また否定説の中には、研究の元となった一次資料の捏造を取りざたされ、その研究自体が非学術的であるとされるものもあり、一部の社会学や心理学の研究者の間では、「なぜ大衆が非学術的な言述を信用するのか」という研究の対象となっている。」と提案させて頂いている事をご理解ください。--Tukasa ryo 2004年12月24日 (金) 00:58 (UTC)[返信]
World氏の意見に賛同致します。読者に出鱈目を流布しないと共に、誤解を与えるような表現も
避けるべきですね。その視点でさらに言いますとTukasa ryo氏の「(大虐殺)否定説全体が非学術的であると証明はされていないと申し上げています」についても表現がおかしいですね。政治的数字と中国側が認める20万30万と言う「大虐殺肯定説」は「虐殺否定説」同様に非学術的であって「研究の進んだ現在では、(虐殺)否定説、つまりマボロシ派と大虐殺肯定説は非学術とされている」が正しいわけですな。また「大虐殺肯定説の場合、無理な証拠作りの為かこれまで数々の捏造資料や写真が暴かれている。」と言う事実も除外できないでしょう。
最後に「両論はすでに「主な見解」で充分紹介されてされており、「学会の反応」に再録する必要は無いと考えます」との事ですが、「主な見解」と言いますとその主たる見解は「学会」「研究者」ですから
敢えて「学会の反応」を再録する必要は無いと言う方が妥当でありしょう。--Peace 2004年12月24日 (金) 12:51 (UTC)[返信]
▼Tobeyさんへ、原剛氏は、虐殺説とまぼろし説の両方を「実証性に乏しい」と論じています。これを原氏の見解として本文に反映させるのは賛成です。
原氏の見解に準拠するならば、虐殺説も「実証性が乏しい」という部分を提示する必要があります。 ちなみに「実証性に乏しい」と「非学術的」というのはイコールではありませんので、再度ご確認下さい。Zeek 2004年12月25日 (土) 14:15 (UTC)[返信]
▼Tukasa ryoさんへ
>「学会の反応」を記述された方が何らかの資料に基づかれて記述された可能性は充分に
>あると考えます。そういった資料をZeek氏が探せないから削除すべきだ
>というのは誤りであるとご理解ください。
私だけではなく、Tukasa ryoさんも、Tobeyさんも見つけられないわけです。それ以前に否定論を火学術的とした資料も提示されていませんから、存在しない前提を基にした研究がされることはまずないでしょう。資料が出てきたら本文に反映させるのは問題ありませんので、発見されるまではコメントアウトが妥当でしょう。これはウィキペディアのルールに詳しい管理者の方の意見も同様です。間違っているのはTukasa ryoさんだと思われますがいかがでしょう?Zeek 2004年12月25日 (土) 14:38 (UTC)[返信]
互いが「主な見解」の分類の項目に準拠して諸説を議論している事は、こちらに参加なさっているならとうにご理解の上でしょう。Peace氏、勝手なおまけをつけて文章を読み解かないようお願いします。
諸説の各研究者がそれぞれ一次資料を精査し、互いの解釈で研究なさっておられます、分類上の「否定説」もその全体が非学術的であると証明されている訳ではありません。ですがZeek氏自身「否定説」研究者の中にその一次資料を捏造し、それに基づいた研究を行ってしまった方が確かに居られる事もご存じの筈でしょう。そのような最低限のモラルすら欠いた研究が、非学術的であるのは言うまでもないと考えますが、Zeek氏はそのような研究が学術的なものであるとでも仰るのでしょうか?「否定説」の中に非学術的な研究であるとされる物は確かにある以上、社会学や心理学の研究対象には充分なり得ると考えます。よって(D)の文言は残すべきであり、否定説全体が非学術的であると受けとられかねない文言は精査すべきという観点から、修正文を提案しています、宜しくご検討ください。--Tukasa ryo 2004年12月26日 (日) 00:37 (UTC)[返信]
【Zeek 氏に回答】原氏の指摘は、「実証性に乏しい」のではなく「実証性に欠いている」ということです。学説において実証性に欠けているということは、その学説が、科学的ではないことを意味します。つまり、「非科学的」という結論を出すのが妥当でしょう。
また、私がなぜ、原氏の見解を提示したかというと(本来は、笠原氏の見解も提示したのですが、Zeek 氏は見落としているのでしょうか?)、小虐殺説というのは、元来、虐殺否定説にシンパシーを持っていると考えられるからです。
この点については、Zeek 氏自身も「2004年12月23日 (木) 16:40 (UTC)」の記述で指摘しているとおり、小虐殺説の原氏は、「否定派の東中野教授が会長を勤める『日本「南京」学会』で論文の審査にあたっている方」であることからも推測できます(一方で、肯定説の笠原氏は、この「学会」の欺瞞性について指摘しています)。また、小虐殺説の代表的研究者である板倉由明氏は、そもそも否定説として、田中正明氏とともに論陣を張っていた経緯もあります。[返信]
以上のことから、小虐殺説論者は、元来、否定説にシンパシーを感じているにもかかわらず、その小虐殺説論者から、非科学的とい評価を受けているところに、その評価の信憑性があると言えるわけです。--Tobey 2004年12月26日 (日) 02:56 (UTC)[返信]
Tukasa ryo氏が何やらピンボケ反論を寄こしていますが意味不明ですな。わたしが言っているのはこういう事ですので反論があるならキチット的の得た返答をお願いします。 原剛氏は、大虐殺説とまぼろし説の両方を「実証性に乏しい」と論じておりこれを原氏の見解として本文に反映させるのは賛成です。「大虐殺肯定説の場合、無理な証拠作りの為かこれまで数々の捏造資料や写真が暴かれている。」と言う事実も除外できないでしょう。 最後に「両論はすでに「主な見解」で充分紹介されてされており、「学会の反応」に再録する必要は無いと考えます」との事ですが、「主な見解」と言いますとその主たる見解は「学会」「研究者」ですから 敢えて「学会の反応」を再録する必要は無いと言う方が妥当である。--218.42.223.15 2004年12月26日 (日) 08:39 (UTC)[返信]
自分も「学会の反応」は「主な見解」と中身が重複しているので削除するのが妥当だと思います。「主な見解」を充実させれば済む話です。
「学会の反応」を存続させるにしても、中国側が主張している「30万人説」も併記するべきでしょう。記事の中立性が疑われます。--矢刺幹人 2005年1月21日 (金) 07:36 (UTC)[返信]
現在の項目「学会の反応」は、その内容が歴史学ばかりでなく多方面の研究者についても言及されていますので、「学者・研究者の反応」といった項目名変更で概ね合意をいただいています。また、下記で218.42.223.15氏にもお答えしておりますが、否定説の一部に一次資料捏造に基づいた明らかに非学術的な研究があり、それでもその研究を支持する方々が居る、この事は歴史学だけでなく諸方面から研究対象にあるという記述は、あってもおかしくないものだと考えます。--Tukasa ryo 2005年1月21日 (金) 14:15 (UTC)[返信]
しばしば発覚する肯定論に用いられる捏造写真や資料価値の無いものを根拠とした 肯定論について、それらが南京大虐殺の事実の信憑性が年々疑われ、虚構とさえ言われる傾向に至っている事は記述として注記すべきでしょうね。一部の信者は別として「学会の反応」と言う表記はTobey氏の思い込みと合意が出来ていますので、その内容とTobey氏の意見表明とは相容れないものとして訂正すべきですね。矢刺幹人のおっしゃるように存続するにしても、中国側が主張している「30万人説」が併記されるべきは当然です。いずれにせよ百科事典を根拠にしたTobey氏の的外れな個人的意見は全面削除が妥当ですね。 --World 2005年1月23日 (日) 10:09 (UTC)[返信]
論理性と実証性について
[編集]Tobeyさんは論述の基本的な知識が欠けているのではないでしょうか? 実証性に欠けるけれども科学的な研究というのも存在します。Tobeyさんは理論と実証は別という学問の基本をごぞんじないのでしょうか? 前々から思っていましたが、Tobeyさんは歴史辞典を学会の反応とするなど論述のルールを知らなすぎる方です。Tobeyさんの中学生レベルの理屈で本文を編纂するのは難しいのではないのでしょうか?DIGITAL 2004年12月26日 (日) 13:47 (UTC)[返信]
▼Tobeyさんへ
既にDIGITALさんが指摘されていますが、「実証性に欠く」と「非学術的」はイコールではありません(これは常識)。Tobeyさんは「学会」やら「非学術的」という言葉の意味を理解していないことがはっきりしたわけですから、今後はTobeyさんの解釈を提示するのではなく、資料にそった記述を心がけるようにして下さい。Zeek 2004年12月26日 (日) 16:27 (UTC)[返信]
▼Tukasa ryo さんへ
要するに「否定論を非学術的とした心理学の研究」を本文に反映させたいのであれば、Tukasa ryoさんがそういう文献を探してくることで解決する問題です。現状で誰も探せないものであるならば、存在しない確立が高いので削除がコメントアウトというのが正確性を期するという意味でウィキペディアのルールと言えます。Tukasa ryoさんも資料に基づいた正確な記述を心がけるようにして下さい。Zeek 2004年12月26日 (日) 16:27 (UTC)[返信]
申し訳ないのですが、「実証性に欠いている」学説が、どうすれば科学的な見解となりうるのかをご説明ください。また、笠原十九司氏の見解もご確認いただくようにお願いします。--Tobey 2004年12月27日 (月) 15:20 (UTC)[返信]
218.42.223.15氏はPeace氏なのでしょうか?
こちらは諸説の研究者の互いへの評価から判断し、否定説の一部に非学術的なものがあるなどと言ってはおりません。否定説の一部に一次資料の捏造を指摘される研究あると事実を指摘しているだけです。そのような研究は当然非学術的なものであると218.42.223.15氏もご理解なさっているでしょう。また、肯定説の研究者は、真偽が取りざたされている写真に基づいて肯定説を採られている訳ではありません。さらに、肯定説を採る研究者が自ら一次資料を捏造したという話も聞き及んでおりません。否定説の一部の一次資料捏造に基づいた研究があり、これを支持する方々が居る、この事は歴史学だけでなく諸方面から研究対象にあるという記述は、あってもおかしくないものだと考えます。
Zeek氏、「一部の社会学や心理学の研究者の間では、「なぜ大衆が非学術的な言述を信用するのか」という研究の対象となっている。」否定説の一部にある一次資料捏造に基づいた虐殺は無かったという研究、明らかに出任せであるそんな研究を信じ傾倒してしてしまう大衆の心理を、歴史修正主義に至る心理や歴史修正主義が台頭する社会的要因といった観点から研究しているものはあるようです。いくつかの大学の研究室での論文もあるようで、現在内容を確認させていただくようお願いをしております。また、歴史修正主義者の心理研究について関連の書籍や講演もあるようなので、そちらも随時精査していく予定です。研究として存在している確立は、充分に高いものだと考えます。--Tukasa ryo 2004年12月27日 (月) 16:22 (UTC)[返信]
歴史、物理では理論を立てた後に実証という手順を踏む事はよくあります。実証が難しい研究もありますから、実証性に欠けることで、その研究が学術的に間違った研究ということにはなりません。実証性に欠けるを、非学術的と解釈するような論文は一般レベルでは通用しないということです。DIGITAL 2004年12月27日 (月) 17:44 (UTC)[返信]
「実証が難しい」のではなく、「実証性に欠けている」というのが、原氏の評価です。既に30年近く行われている研究が「実証性に欠けている」ということですので、そのような学説を未だに支持するのは非科学的と言わざるを得ません。最も、学術的な研究者である笠原教授によれば、非科学的であることに間違いはないようです。
しかし、私が最も重要視するのは、そのような評価を下したのが、否定説に最もシンパシーを感じているであろう研究者だったということです。立場からの否定が困難である点、辛いものがあると思われます。
DIGITAL氏の評価との違いは、この問題に関する一般的な知識に違いあるという点であり、そのため評価が変わってくるのだと思われます。--Tobey 2004年12月27日 (月) 20:25 (UTC)[返信]
▼Tukasa ryoさんへ
資料がみつかりそうということなので、資料を確認されるまではコメントアウトして、資料確認後に本文に反映ということで問題ないと思います。すでにルール化されているように、一般に広く知られていないものは資料として不適当ですので。一般の方が公式に確認できるものならばOKです。Zeek 2004年12月28日 (火) 04:44 (UTC)[返信]
▼Tobeyさんへ
>申し訳ないのですが、「実証性に欠いている」学説が、どうすれば科学的な
>見解となりうるのかをご説明ください。
説明いたします。「論理性」と「実証性」というものがありますが、仮説の段階では「実証性を欠いている」場合があります。しかし理論的に考えて学術的に「有力な仮説」というものも当然存在します。先に理論があってあとから実証されるものもありますよね?。ですから「実証性に欠ける=非学術的ではない」ことは常識と言えるわけです。Tobeyさんの解釈は中学生レベルと言われてもしかたないと思われます。
笠原教授の見解についてはすでに説明したように、出典を明確にして(笠原教授の見解)として正確に(Tobeyさんの解釈を交えずに)提示されることに問題はありません。Tobeyさんの解釈は間違っていることが多いので、なるべく相談するようにして下さい。Zeek 2004年12月28日 (火) 04:44 (UTC)[返信]
論理性と実証性は学問の基本であるのみならず、論述の基本的なルールでもあります。以前も指摘しましたが、Tobeyさんはおそらく論文を書いたことがないので、論述の基本的なルールを知らないのだと思います。大学で、Tobeyさんのような実証性と論理性を混同した論述を行えば指導され間違いを理解するはずですが、Tobeyさんはそういった機会がなかったのでしょう。
中学生レベルのTobeyさんにしか通用しないうような理屈をゴリ押しして本文を編集されるのは、ウィキペディアの信頼性を大きく損なうとしか言いようがないと思います。DIGITAL 2004年12月28日 (火) 16:00 (UTC)[返信]
原氏の見解によれば、30年も研究が続けられた「否定説」は、その研究期間を以てしても「実証性に欠ける」ということです。つまり、30年たって、「仮説」は未だに「実証性に欠いている」ということは、30年間の「否定説」における研究の意義を否定しているということになります。
Zeek氏の見解のとおり、仮説を立て、そのことを実証するのが科学の一手法ですが、30年もの研究期間を経た学説に対し、「実証性に欠ける」という評価を下したということは、仮説の存在意義を否定していると言わざるを得ません。この場合、仮説とは「否定説」を意味しますので、原氏の評価というものは、「否定説」を学問上、否定しているということになります。よって、非科学的という表現が妥当ということになります。
残念ですが、「否定説」に最もシンパシーを持っているであろう原氏の見解からしてこうですので、他の学説からすれば、当然の結論ということになるでしょう。--Tobey 2004年12月28日 (火) 17:45 (UTC)[返信]
Zeek氏、既にある記述の資料を探すつもりはない上に資料は無いと想像するから取り敢えず削除しろ、という感覚こそ誤りであるとご理解ください。
高橋哲哉氏ほか、歴史修正主義の心理を研究している幾つかの書籍がありますが、最も手頃なところでは岩波のブックレットでも確認できます。一次資料捏造に基づく虐殺は無かったという明らかに出任せである研究に傾倒してしまう方が居る、高橋氏は北海道大学で行われた戦争責任を語るシンポジウム記録の中で、70年代にとっくに潰れた議論である「南京大虐殺はでっち上げだった」をもう一回持ち出したりするそれら歴史修正主義に至るのは、戦争犯罪で断罪されることは日本人が子々孫々に至るまで犯罪者扱いされるという強迫観念からくるものではないか、といった心理分析を語られています。(D)を裏付ける資料として充分なものと考えます。--Tukasa ryo 2004年12月29日 (水) 02:46 (UTC)[返信]
▼Tobeyさんへ
Tobeyさんの中で整合性があったとしても、一般的なレベルでは認められない理論があるということを理解されたほうがよいと思います。端的に言ってしまえば、「実証性の有無が論理性を否定するとは限らない」ということです。意味がわかりますか?。Zeek 2004年12月29日 (水) 05:22 (UTC)[返信]
▼Tukasa ryoさhんへ
>資料を探すつもりはない上に資料は無いと想像するから取り敢えず削除しろ、
>という感覚こそ誤りであるとご理解ください
記述がいったん削除されても、資料が出てくれば記述の復活は可能ですから、「あると主張される方が資料を探せば」解決する問題です。誰も根拠を提示できないから「存在しないと現時点では推定される」のであって、根拠はないけれど「存在すると推定する」というのは論理的に間違っています。
例えば、資料を探すつもりもない上に「あるはずだから削除するな」というほうが非論理的ということです。ご理解いただけたでしょうか?
例えば今回提示された資料ですが、高橋氏の意見(出典を明確に)として、(解釈を交えず)正確に提示する分には何の問題もありません。ただし中立性の観点から、否定論側の田中氏が、松井日記を改竄したという疑惑があるが、否定論そのものは松井日記に依存しているわけではないという事実を説明する必要はあると思います。Zeek 2004年12月29日 (水) 05:22 (UTC)[返信]
議論というのは、ご自身の中の一般性を根拠にするのではなく、論理的に説明しなければならないことをご存知でしょうか?「否定説」30年間の研究を否定している原氏の評価というものは、厳しいものと思われますが、原氏の立場を考慮すると、受け入れざるを得ないでしょう。つまり、非科学的というのは、小虐殺説からも出されている評価だということになります。--Tobey 2004年12月29日 (水) 12:32 (UTC)[返信]
「30年もの研究期間を経た学説に対し、「実証性に欠ける」という評価を下したということは、仮説の存在意義を否定していると言わざるを得ません。」それより更に研究期間が長い「肯定説」がどうなるのですかな?結局Tobey氏は「南京大虐殺肯定論そのものが非科学的で非学術的だ。」と言う結論を導き出してしまったようですな?ご苦労さん。(笑--Peace 2004年12月29日 (水) 22:51 (UTC)[返信]
これまでの文章から、Tobeyさんが論述の基本ルールを身につけていない、つまり論述の方法を学んだことがないことはあきらかです。論述の基本については高校でも教えるところはありますから、Tobeyさんの論述レベルが中学生と同程度と判断いたします。
一般教養だと思うのですが、「実証性の有無が論理性を否定するとは限らない」というZeekさんの説明は学問の基礎です。特に歴史の分野では、学術的に正しい論理で導かれた仮説が、常に史料により実証されているとは限りません。また、新しい史料により通説が覆され、新説が実証されることもあります。この場合でも古い通説が学術的に正しい方法で導かれている以上、実証性に欠けることで、非学術的という評価を受けることはありません。
非学術的という批判や評価は、論理性に対する批判で、実証性に関する評価ではないことは一般常識です。Tobeyさんが常識を知らないのは残念なことですが、ウィキペディアは、Tobeyさんの中学生レベルの理論で導かれた非学術的な結論を提示する場所ではないことをご理解下さい。DIGITAL 2004年12月30日 (木) 15:24 (UTC)[返信]
感情的な文章に反応するのも、いろいろと問題が有りそうなので、簡潔にお答えします。
DIGITAL氏の見解は、ほぼ、Zeek氏の主張の繰り返しのようですので、反論になっているとも思えませんが…。
近代史において、論理・仮説先行の学説というもの自体の存在を主張する点からして、だいぶ問題があるようです。おそらく、歴史学というものに、あまり理解がないのだと思われます。また、通説が、新史料によって覆されることがあるというのは、正しい解釈だと思われます。ただし、この場合も、史料による実証性が重要となってきます。新史料により、実証性を提示できない以上、仮説は、ただの仮説でしかありません。
原氏は、「否定説」30年間の研究を、「実証性に欠ける」という評価を出しています。つまり、30年間行われた否定説の研究を、否定していることになるわけです。科学的な結論として出している「否定説」の結論が否定されているわけですから、「否定説」の結論は、非科学的と言わざるを得ないのです。--Tobey 2004年12月30日 (木) 15:42 (UTC)[返信]
▼客観的にみてもTobeyさんの理屈は「論理性と実証性の区別がつかない」中学生レベルのものですよ。これまでかなり丁寧に説明されていると思いますが。仮にですが原氏が「否定論を非学術的」と判断しているならば、非学術的な研究を行っている南京学会で論文の審査を行うことはありえないでしょう。Zeek 2005年1月3日 (月) 06:25 (UTC)[返信]
論理性と実証性の区別がよくわからないで書き込みをされているTobeyさんの教育水準は、中学、もしくは高校レベルです。学問の基本すら知らないTobeyさんが歴史学を語るのは無理ではないでしょうか。近代史でも現代史でも史料が見つからない部分は推測する以外にありませんから、仮説として論理が先行することはあります。また、歴史学においては新史料によりそれまでの通説が覆ることもありますが、そのことで以前の研究が「非科学的」という評価を受けることはありません。Tobeyさんの説明は常識に反するものと言えるのではないでしょうか? DIGITAL 2005年1月7日 (金) 14:21 (UTC)[返信]
Zeek氏・DIGITAL氏ともに、中傷表現はお止めになった方が良いでしょう。冷静になっていただくよう、お願いします。
同じことの繰り返しになりますので、簡単に述べさせていただきますが、原氏の評価は、「論理性や実証性の違い」ということに関係なく、否定説30年の研究成果に対する評価として「実証性に欠ける」ということです。結局は、非科学的であったという評価とならざるを得ないわけです。--Tobey 2005年1月9日 (日) 05:54 (UTC)[返信]
▼Tobeyさん独自の「まちがった理論」を繰り返されても議論にならないと思われますが。これまでの経緯を簡単にまとめます。特に反論はなかったと思います。
- 論理性と実証性というのはあらゆる学問の基本である。
- 歴史学においては、新史料による実証によりそれまでの研究結果が覆ることがあるが、その場合でも従来の説が「非科学的」とか「理論的に間違っている」という評価になることはない。
- 原氏は、虐殺説も「実証性に欠ける」と評価している。
- 原氏は「南京」学会で論文の審査を行っている。理論的に間違った非科学的な研究を行っている学会で論文の審査を行うことは常識的にありえない。
ということで、一般的なレベルで原氏の記述を読めば、「虐殺説も否定説(まぼろし説)も歴史学の理論にそって研究が行われてきたが、最近の史料発掘によって、20万虐殺説も、虐殺はなかったという説も史料により証明することは困難である(実証性に欠ける)」という意味の記述となります。
歴史学においては「実証性に欠けること=論理的に間違っている」という図式は成り立たないことを理解するべきでしょう。Zeek 2005年1月9日 (日) 14:13 (UTC)[返信]
同じ主張を繰り返しても無意味です。Zeek氏が挙げられた主張は、内容的には「2004年12月28日 (火) 17:45 (UTC)」で説明され尽くしています。再度、ご確認になるようにお願いします。--Tobey 2005年1月9日 (日) 14:42 (UTC)[返信]
▼真に勝手ではございますが、Tobeyさんと私Zeek間の合意形成ですので、議論の混乱を避ける為にTobeyさん以外の方の書き込みはご遠慮願います。Zeek 2004年12月21日 (火) 15:33 (UTC)[返信]
保護解除をするのは賛成ですが、
- (1)なぜ保護処分を受けたのか
- (2)その問題はどのように解決したのか
をハッキリさせ、その点について合意すべきだと思われますが、如何でしょうか?
結局、この点の合意を形成しなければ、また、同じような行為(端的に言うと、議論を無視した本文編集、議論をしない本文編集)が行われてしまうと思われます。
そういう意味で、「護解除依頼のための最終的な確認」で示した事実関係および問題点の合意をお願いします。
これは、保護処置の原因の当事者であるZeek氏の合意があれば十分ですので、早急な対処をしていただくようにお願いします。--Tobey 2004年12月21日 (火) 14:31 (UTC)[返信]
▼Tobey さんに確認です。
>保護解除をするのは賛成ですが、
>(1)なぜ保護処分を受けたのか
>(2)その問題はどのように解決したのか
>をハッキリさせ、その点について合意すべきだと思われますが、如何でしょうか?
ということですが、私が提示した(B)の修正案に合意して保護の解除には同意される。 記述の修正後に再度保護を申請する。保護処分の経緯について別途議論するということで合意としてよろしいのでしょうか?
Tobeyさんが、保護解除に合意しなかった理由は、保護処分の経緯を問題として「編集合戦」を考慮されたということですから、編集合戦が発生しない以上、編集合戦と理由とした保護処分の経緯について合意をする必要はないと思われますがいかがでしょう?。Zeek 2004年12月21日 (火) 15:33 (UTC)[返信]
「保護解除」が目的であるならば、第一に「保護」された原因を取り除く必要があるのではないでしょうか?特に、現在、問題となっているのは編集方法ですので、編集内容より先に解決すべき問題であることは明らかかと思われます。その問題を解決した後に、別の議論として、編集内容について議論をするのが妥当かと思われます。
「原因」を取り除かなければ、また保護処置を繰り返してしまうことになるでしょう。それでは、保護解除する意味がありません。
Zeek氏は、「保護解除」のため、「保護」の原因を取り除くべく最善の努力、つまり「護解除依頼のための最終的な確認」での事実確認・問題点の解決を行い、早急に保護解除のための合意を形成するようお願いします。--Tobey 2004年12月21日 (火) 15:52 (UTC)[返信]
▼「保護処分の原因」と「本文の記述が不正確である」という問題は別の問題です。ウィキペディアでは記述の正確性が求められていますから、不適切、不正確な記述は早期に修正の必要があります。Tobeyさんも「不正確な部分の修正が必要と合意」されたから、保護解除に賛成されたのですよね???
不正確な記述を修正して、その後ノートでの合意として保護を申請することで編集合戦は避けられます。Tobeyさんの心配も回避されることになります。ですから編集合戦や保護処置は本文修正の反対理由になりませんので、合意の形成にご協力下さい。Zeek 2004年12月22日 (水) 15:57 (UTC)[返信]
少々、文意を把握しかねる部分がありますが……基本的な誤解をしているようですので、簡単に説明させていただきます。
- 「本文の記述が不正確である」という問題を解決するには、本文を編集しなければなりません。
- 本文を編集するには、保護を解除しなければなりません。
- 保護を解除するには、保護となった原因を解決しなければなりません。
- 保護となった原因を解決するには、事実関係を確認し、問題点を抽出し、問題点を解決しなければなりません。
誤解のないようにお願いします。
なお、「本文の記述が不正確である」という問題を解決するには、「議論を行い、結論を出し、本文の修正を行う」という階梯を踏まねばなりません。
仮に、「本文の記述が不正確である」という問題を解決したとしても、その階梯(編集方法)についての問題を解決できなければ、「本文の記述が不正確である」という問題の解決を反映させることはできません。つまり、本文を編集する方法についての問題を解決しない限り、どのような内容的な問題も意味を持たないわけです。
この問題は、Zeek氏が、今後、wikiにおける編集参加をする限り、必ず解決しなければならない問題です。また、南京大虐殺論争における全ての編集参加者にも、この点を再確認してもらうことは、wikiにおいて大きな利益となることと思われます。
Zeek氏には、保護処分の問題を解決するために、ぜひ、保護処分の原因を解決するようにお願いします。--Tobey 2004年12月23日 (木) 07:36 (UTC)[返信]
▼”永続的”な保護解除と、”一時的”な保護解除の違いを理解してくださいね。
永続的な保護解除であれば、編集合戦を避けるためのルールが必要になりますが、一時的な解除であれば問題になりません。最小限必要な部分を修正する為に”一時的に保護は解除される”わけですが、そこで修正されるのはノートで合意が形成された分だけです。その後にノートの合意として保護を申請すれば編集合戦になることはありませんよね?
本文が不正確なことはTobeyさんも認めているのですから、どのように修正するのかを議論されてはいかがでしょう?Zeek
保護が解除されなければ、本文の修正は行えませんので、「”永続的”な保護解除」や「”一時的”な保護解除」といった存在しない制度について語るのは意味がないと思います。
本文の保護解除は、利用者のほとんどが願っていることだと思われます。今、Zeek 氏が行っていることは、そのような願いを裏切るものでしかないでしょう。「”一時的”な保護解除」などということは誰も望んでいませんので、「”永続的”な保護解除」となるように、Zeek 氏は努力するべきだと思われます。--Tobey 2004年12月23日 (木) 14:43 (UTC)[返信]
▼項目名を繰り返し改竄されたようですので、議論の経過をみて必要な処置をとりたいと思います。予めご了承下さい。
Tobeyの主張がよくわかりませんので質問です。
- 本文の修正に反対なのですか?
- 本文の修正に反対する理由はなんですか?
以上明確な回答をお願いします。Zeek 2004年12月23日 (木) 16:55 (UTC)[返信]
私の見解は、全ての人が平等に行える本文の修正に賛成する、ということです。「”一時的”な保護解除」というような例外措置は、wikiとして認めるべきではないと考えています。なぜならば、このようなことを行えば、保護処置が行われたことの意義が無視されてしまうからです。
特に、保護処置の原因を作ったと考えられるZeek 氏が、保護の原因を解決せず、なおも保護原因となった本文を修正しようとするのは、保護の意義を軽視していると言わざるを得ないでしょう。
保護原因となった問題点を解決し、保護解除をすることが先決である、というのが私の主張です。--Tobey 2004年12月23日 (木) 17:09 (UTC)[返信]
▼Tobeyさんへ
>全ての人が平等に行える本文の修正に賛成する
ということならば、編集のルールについて議論する必要があると思われますがいかがでしょう?。
保護の原因がTobeyさんにあるという指摘も多数あります。このままだと保護の原因となった方が「俺は解除に同意しない」とゴネているという評価がされる可能性がありますよ。
私はすでに合意が形成されている「編集のルール」に同意しています。Tobeyさんも編集のルールに同意されることで、保護処置の原因となった編集合戦は防げると思いますがいかがでしょう?Zeek 2004年12月25日 (土) 14:28 (UTC)[返信]
当然のことと思われますが、「全ての人が平等に行える本文の修正」が行われる環境にするには、本文が通常の編集作業を行えるようにする必要があります。ところが、Zeek 氏の提案は、特定の人物のみによる修正であり、一方で、「全ての人が平等に行える本文の修正」の機会を蔑ろにするものと言わざるを得ません。
Zeek 氏は、ご自身で起こした問題を解決しないことで、すべての編集参加者の利益を損ねているという現状に少しでも留意していただきたいと思います。
それとも、Zeek 氏は、保護解除の早急な解決を望んでおられないのでしょうか?--Tobey 2004年12月26日 (日) 03:06 (UTC)[返信]
保護の原因となった方が「俺は解除に同意しない」とゴネていると言う現況は異常としか
言いようがありませんな。Tobey氏は悪ふざけもいい加減にしておかないと、南京関連掲示板で
ループを繰り返して総スカンを受けているk-kと同じ運命を辿る事になりかねません。
早急に諸氏が合意している建設的編集のルールに同意すると共に、出鱈目な本文の訂正し
これ以上読者の利益を損なわないよう行動を起こしていただきたいものですな。--Peace 2004年12月26日 (日) 08:55 (UTC)[返信]
▼編集合戦については、多くの参加者がTobeyさんに問題があると指摘されていますが、その点の反省はないのでしょうか?。回答をお願いします。
私の編集に対する批判は、「ウィキペディアのルールに従って、管理者の方の意見を参考にしながら作成された、参加者全員に平等に適用されるルール」に私も合意するという形で解決していると思います。これは参加者全員に平等に適用になる公平なルールですから、特定の人物のみが編集をできるというルールではありません。Tobeyさんも編集のルールに同意されることで、保護処置の原因となった編集合戦は防げることになります。
私は「編集合戦にならないルール」に同意していますので、Tobeyさんも「編集合戦にならないルール」に同意されるようお願いします。Zeek 2004年12月26日 (日) 16:13 (UTC)[返信]
私の認識している問題点については、この項目の最初に掲げた2点となっています。もし、私のrevertに問題があるのでしたら、具体的事実と問題点をご指摘ください。この点は、再三、Zeek 氏にお願いしているのですが、議論を拒否されています。
なお、どのようなルールが存在しても、それを実行できないのであれば、ルールの存在は無視され、編集合戦に陥ってしまいます。保護の原因も、結局は既存のルール(十分な議論を行い本文を編集する、議論を経ない恣意的な本文の削除しない)を、Zeek 氏が実行できなかったことでした。
問題はルールを作ることではなく、Zeek氏自身が過去の過ちお省みて、二度とそのような真似を行わないかです。--Tobey 2004年12月27日 (月) 21:07 (UTC)[返信]
▼まさにこの点がTobeyさんの勘違いと言えるでしょう。
>既存のルール(十分な議論を行い本文を編集する、
>議論を経ない恣意的な本文の削除しない)
まず、ウィキペディアにこういったルールは存在しません。編集を行う際に誰かの許可が必要というルールは存在しません。問題となるのは記述の正確性であって、編集に特定個人の許可は必要ないのです。それでも私は事前にノートで準拠資料の存在を確認しています。その結果資料が存在しないという返事を頂いたので、題名の変更という修正案を提示して削除したわけです。現在は全員が題名の変更に合意されています。つまりTobeyさんの修正反対が一番重要な問題だったわけです。
要するにTobeyさんは「Tobeyさんの許可がなければ編集できないというルール」があると思い込んでいただけのことですから、この点が解決され、資料の存在の有無が客観的な基準となれば、編集合戦も収まると思いますよ。Zeek 2004年12月28日 (火) 05:23 (UTC)[返信]
●何か誤解されているようですが、私は「編集を行う際に誰かの許可が必要」というルールがあると言ったことはありません。経緯を説明します。
Zeek氏は、この問題について36時間の議論を行った後、本文の編集を行いました。36時間という短時間では、議論が不十分であることは明白ですし、「学会の反応」の執筆者に対し、根拠の提示を求められているという認識をさせるのも無理があります。また、別の参加者からの資料提示の機会も奪うことになります。
私はこれらの事情を考慮し、その編集をrevertしました。その上で、「2004年11月7日 (日) 03:52 (UTC)」の記述で、revertの理由も明示することで議論を尽くすことを呼びかけました。
ところが、Zeek氏は、これらの対話を一切拒否し、本文の編集を行い続けました。
私としても不本意ながら、revertを行い、それが編集合戦と見られ、保護処分を受けたわけです。
●以上の経緯から、11月7日の時点で、論争となっていることは明白です。そのことがさらに明確化されるのは、私のrevertです。つまり、Zeek氏は、この時点で、論争となっていることを認識していたことになります。
論争の解決については、Wikipedia:論争の解決でルールが明確化されています。ところが、Zeek氏は、このルールを無視し、編集を続けたのです。
Zeek氏が存在しないルールだと主張する、「十分な議論を行い本文を編集する、議論を経ない恣意的な本文の削除しない」は、Wikipedia:論争の解決から導き出されるルールです。結局、保護原因となったのも、このようなZeek氏のwikiに関する認識の低さに原因があるかと思われます。誠実に自身の行為を反省し、今後、過ちを繰り返さないということを明示することで、保護の解除を依頼しましょう。私は、その点に関し、協力を惜しむつもりはありません。--Tobey 2004年12月28日 (火) 18:29 (UTC)[返信]
- 資料があるかどうかについて「ない」という回答(結論)が得られれば、修正、削除、コメントアウトのいずれかとなります(後から資料が出てきたら戻せばよいだけ)。私は南京関係の研究書のほとんどに目を通していますから、該当するような資料はまずないだろうと判断し、ノートで「学会の動向に関する資料がない」という確認を得た後に編集をおこなったわけです。現在ではTobeyさんを含めて全員が「題名の修正」に合意しているという事実があります。Tobeyさんが最初から題名を修正に応じていれば問題にはなりませんでした。Tobeyさんの強引なreverに問題があると言えるでしょう。
- また、私が資料に基づいて大幅に加筆した本文を、Tobeyさんはなんら問題点の提示も議論もなく削除されました。これは編集妨害であり議論の余地のない荒らし行為と認識しています。
- 以上から、編集のルールに関する行き違いがあったと思われるので、現在の暫定ルールにTobeyさんが合意していただければ、編集合戦はふせげるものと思われます。保護解除に向けてルールへの合意をお願いします。Zeek 2004年12月29日 (水) 04:58 (UTC)[返信]
「学会の反応」に関しては、Zeek 氏が修正するまでの間に、私は、教科書の記述(Zeek氏も提示)、辞典の記述などを資料としてあげています。
Zeek氏は、これらを「資料」と認めていないようですが、一方で、私はこれらを資料と認めていました。よって、ここで論争が存在しているわけです。
ところが、Zeek氏は、この論争の存在を無視し、恣意的な編集を繰り返しました。これは、Wikipedia:論争の解決に示されているルールに違反した行為です。
また、本文「主な見解」に関するZeek氏の加筆についての事実経過は、
(1)Zeek氏の案がノートで提示される(2004年11月6日 (土) 23:29 (UTC))[返信]
(2)Tobeyは、この案を検討する時間を求める(2004年11月7日 (日) 04:41 (UTC))
(3)Zeek 氏は、Tobeyの求めを無視し、本文の修正を行う(2004年11月7日 (日) 20:44)
(4)Tobeyは、本文をrevertする(2004年11月7日 (日) 21:21)
(5)Tobeyは、revertの理由をノートにおいて明示する(2004年11月7日 (日) 12:31 (UTC))[返信]
このような事実関係からしても、Zeek氏の編集が、議論の経緯を無視していることが解ると思われます。この点に関しては、その後、Poppy氏やIP氏などからも厳しい批判を受けています。
事実関係からしても、「なんら問題点の提示も議論もなく削除されました」というZeek氏の認識は間違っています。
以上の2点のいずれも、論争が存在していることが明白であるにも関わらず、Zeek氏は、wikipedia(Wikipedia:論争の解決)のルールを守っていないことが判ります。
Zeek氏は、反論があるのでしたら、しっかり反論するべきでしょう。反論できないのであれば、自身の行為を認め、誠実に反省し、過ちを繰り返さない旨を明示すべきだと思われます。
いつまでも結論を引き伸ばし、wikipedia利用者に迷惑を書けるのはお止めください。--Tobey 2004年12月29日 (水) 13:07 (UTC)[返信]
保護解除の申請をしたところ、Tukasa ryoさんから削除のルールについて反対意見が提示されました。削除のルール以外は反対意見はなく、管理者のTomos さん、Aphaea さんの意見を参考にしたものですから合意成立とします。
資料のガイドライン
- 一般に流通した書籍、雑誌は、発行元や内容、絶版かどうかに関係なく資料として扱う。
- 私家版や自費出版本は国会図書館で内容が確認できれば資料として扱う。
- 以上に該当しないものは資料として扱わない。
(合意成立)
記事作成のルール
- 資料にもとづいた正確な記事を作成する。ノートで要請があれば本文で出典を示す。
- 記述者の意見や資料分析などは論争の原因となるのでなるべく避ける。
- 記述者の意見、資料分析を本文にする場合はノートで合意を形成する。
- 資料にもとづく加筆はウィキペディアの精神から自由とするが、ノートで典拠となる資料の提示をすることが望ましい。(典拠資料が示されない時は削除対象)
(合意成立)
削除のルール
- 典拠資料がある記事の削除は、中立性の観点から原則としてしない。
- 典拠資料がある記事の削除についてはノートでの合意形成が必要。
- 記述者の意見、分析は、合意が形成されるまで本文としないこと。すでに本文となっている場合は本文からコメントアウト、もしくは削除してから合意を形成する。
- 削除のルール第2項、第3項に該当しない削除やrevertは原則として行わない。
(Tukasa ryoさんが反対)DIGITAL 2004年12月23日 (木) 13:40 (UTC)[返信]
明確なルールだと思います。記述を本文に残したければ自分で資料を探してくればすむことですから、削除のルールに反対しているTukasa ryoさんの意見には妥当性がないと言えます。資料がないという証明をすることは不可能ですから、典拠資料が不明な記述は削除が妥当と考えます。North 2004年12月27日 (月) 03:53 (UTC)[返信]
資料が示されない記述でも削除できない、というルールは記述の正確さを追求するという点で不都合が発生するだけではなく、ウィキペディアのルールにも反するものです。暫定ルールなら記述が削除されたとしても、資料が出てくれば本文に反映されるのですから公正性は保たれます。Tukasa ryoさんから公正で具体的なルール案が提示されなければ、合意成立と判断したいと思います。DIGITAL 2004年12月27日 (月) 14:31 (UTC)[返信]
Tukasa ryo氏との議論を無視するようなことにならぬよう、お気をつけてください。恣意的な結論を出すことは、議論を行ったことにはならないと思います。--Tobey 2004年12月27日 (月) 15:22 (UTC)[返信]
削除のルール3は、既にある記述に対して、それは意見や分析に過ぎないものだと勝手な判断をくだし、おそらく内容を裏付ける資料は無いと考えるから削除して良し、といった行為を追認するためだけのものでしょう。どなたかが記述された内容を削除したいなら、その記述が誤りであるという資料を、削除したい側がまず示すのが先だという事です。
削除のルール
3.すでに本文となっている典拠資料のない記事の修正は、資料を探しそれに準拠した加筆で対応する事。削除を求める場合は、記述の誤りを資料で示しノートでの合意形成が必要。
こちらを提案いたします。--Tukasa ryo 2004年12月27日 (月) 16:14 (UTC)[返信]
Tukasa ryoさんの提案がありましたので新しく項目を立てて議論したいと思います。DIGITAL 2004年12月27日 (月) 16:48 (UTC)[返信]
合意が形成されたルール
[編集]資料のガイドライン
- 一般に流通した書籍、雑誌は、発行元や内容、絶版かどうかに関係なく資料として扱う。
- 私家版や自費出版本は国会図書館で内容が確認できれば資料として扱う。
- 以上に該当しないものは資料として扱わない。
(合意成立)
記事作成のルール
- 資料にもとづいた正確な記事を作成する。ノートで要請があれば本文で出典を示す。
- 記述者の意見や資料分析などは論争の原因となるのでなるべく避ける。
- 記述者の意見、資料分析を本文にする場合はノートで合意を形成する。
- 資料にもとづく加筆はウィキペディアの精神から自由とするが、ノートで典拠となる資料の提示をすることが望ましい。(典拠資料が示されない時は削除対象)
(合意成立)
削除のルール
- 典拠資料がある記事の削除は、中立性の観点から原則としてしない。
- 典拠資料がある記事の削除についてはノートでの合意形成が必要。
4.削除のルール第2項、第3項に該当しない削除やrevertは原則として行わない。
(合意成立)
Tukasa ryoさんの修正案
[編集](暫定ルール)
- 3.記述者の意見、分析は、合意が形成されるまで本文としないこと。すでに本文となっている場合は本文からコメントアウト、もしくは削除してから合意を形成する。
(Tukasa ryoさんの修正案)
- 3.すでに本文となっている典拠資料のない記事の修正は、資料を探しそれに準拠した加筆で対応する事。削除を求める場合は、記述の誤りを資料で示しノートでの合意形成が必要。
(修正案に反対) Wikipedia:投稿ブロックの方針によれば、禁止行為として、6. 事実に反し、Wikipediaの価値や信頼を損ないかねない記事の投稿、8.1 ノートページや各種依頼ページにおける議論の拒否や妨害、があげられています。そして「また、編集や議論に際して他のユーザーからの質問や根拠の明示などの依頼に応ぜす、個人攻撃を行ったり話題を逸らすなどの行為を繰り返した場合にも議論が成立しにくくなります。」(太字引用) と根拠の提示が記述を行う方にあることが決まっています。これは根拠が不明な記述は削除されるというルールです。存在しない資料を探すのは無理ですから、削除を行う側が資料を提示するのは無理です。Tukasa ryoさんの修正案に妥当性はないと判断します。DIGITAL 2004年12月27日 (月) 17:29 (UTC)[返信]
DIGITAL氏の提案には無理があると思われます。全て記事に資料を提示することは不可能であり、また、全ての執筆者が、たえず自分の書いた記事の反応に注目しているとは限りません。つまり、本文執筆者が、ノートにおいて根拠が求められていることに気付かず、そのことによって有益な記事がコメントアウトされたり、削除されたりする可能性が出てしまいます。これはWikipedia:ウィキペディアで起こしがちな間違いであることは、すでにTukasa ryo氏に指摘されていると思われます。もう少し、議論相手の見解に耳を傾けるべきではないでしょうか?--Tobey 2004年12月27日 (月) 20:52 (UTC)[返信]
記述を削除したいがために、資料は存在しない筈だと探す事すら行わないといった方が、暫定の削除ルールを理由に既に記述されている内容を削除してしてしまうといった利用のされ方は、DIGITAL氏にとっても不本意でしょう。
記述を裏付ける資料が存在していない可能性があるなら、資料があると思われる範囲をどういう形でどこまで精査したが見つからないといった傍証を積み上げ、それを提示しノートで議論すれば良い事でしょう。 無いものは探せないのだから、探す努力もなくとりあえず削除といった、ウィキペディアの趣旨から正反対の削除ありきのルールではなく、積み重ねていく視点からルールをお考えください。--Tukasa ryo 2004年12月28日 (火) 00:09 (UTC)[返信]
▼(Tukasa ryoさんの修正案に反対)DIGITALさんの見解に同意します。
- Tobeyさんの意見ですが、すでに合意が形成されたルールとして「編集の前にノートで準拠資料を提示すること」がありますから、有用な記述を「該当資料なし」として削除する危険性はないと思われます。
- Tukasa ryoさんの意見ですが、資料を探すのは、記述を残したい方がするのが当然だと思います。いったん削除されても、資料が発見された場合には本文に反映させることが認められているからです。
Tukasa ryoさん提案のルールの場合、「一人でも反対者がいれば不正確な記述を削除できない」という状態になる点が問題です。特定個人による編集妨害を認めるルールに妥当性はありませんし、ウィキペディアのルールにも違反していることになります。Zeek 2004年12月28日 (火) 04:20 (UTC)[返信]
Zeek氏の見解は、既に存在する本文を見落としているようです。これでは、反論として成立しません。反対する点が解決されましたので、Zeek氏は、私の見解に同意していただいたと理解してよろしいでしょうか?--Tobey 2004年12月28日 (火) 18:33 (UTC)[返信]
Zeek氏、資料を探す気もない者が、資料は無い筈だと決めつけ既にある記述を削除する事を正当化するルールなど、まさにウィキペディアの趣旨に反するものだと考えます。 既に本文となっている記述が不正確であるなら、加筆して正しい記述になるべく積み重ねていく事こそがウィキペディアのスタンスです。そして、既に本文となっている記述が、資料に準拠していない明らかに誤りであるとして削除したいと仰るなら、削除を求める側が誤りであると証せるだけの資料を示す事は当然でしょう。--Tukasa ryo 2004年12月29日 (水) 02:51 (UTC)[返信]
▼Tobeyさんへ
本文の見落としとは具体的にどの部分でしょうか?。歴史の問題ですから記述を行う際には資料を確認しながら行われるわけで、「ノートで記述の根拠となる資料を提示する」というルールが成立しています。提示の書式は若干の議論が必要でしょうが、今後はすべての記述に準拠資料が提示されることになるので、有用な記述が該当資料なしとして削除されることはないと思われます。Zeek 2004年12月29日 (水) 04:33 (UTC)[返信]
▼Tukasa ryoさんへ
「資料はないはずだ」という意見があっても、実際に資料が出てくれば本文に反映されます。何か問題があるのでしょうか?。資料を探す気もない方が「あるはずだ」と主張して、存在が証明されない研究が事実として本文に反映されているほうが非合理的だと思われます。「資料が存在しない」という証明はできませんから、削除の要件に「存在しない証明」をルール化することは無理です。Zeek 2004年12月29日 (水) 04:33 (UTC)[返信]
- (コメント)修正案の「すでに本文となっている典拠資料のない記事の修正は、資料を探しそれに準拠した加筆で対応する事」というのは、類似する資料を探して修正するという意味ですか?North 2004年12月29日 (水) 11:19 (UTC)[返信]
【Zeek氏へ回答】「2004年12月28日 (火) 04:20 (UTC) 」の反論では、すでに存在する本文を見落としているということです。すでに存在する本文について、その根拠を求めたとしても、すぐに対応できるはずもないでしょう。ですから、「2004年12月27日 (月) 20:52 (UTC)」に示したとおり、DIGITAL氏の編集方法だと、有益な記事が削除・コメントアウトされてしまうことになってしまうわけです。--Tobey 2004年12月29日 (水) 13:18 (UTC)[返信]
Tobeyさんは、Zeekさんが見落とされたという本文を具体的に提示して下さい。提示されない場合は議論妨害に該当すると判断させていただきます。DIGITAL 2004年12月30日 (木) 14:39 (UTC)[返信]
何か勘違いされているようですが、私が言及している「本文」とは、現在の本文のうち、根拠が提示されていない部分です。
DIGITAL氏は、「2004年12月27日 (月) 20:52 (UTC)」の私の指摘に反論が出来ないのであれば、潔く、誤った提案を取り下げるべきだと思われますが、如何でしょうか?--Tobey 2004年12月30日 (木) 14:58 (UTC)[返信]
▼具体的な説明が無いようですからTobeyさんの「議論妨害」と判断して構わないと思います。Zeek 2005年1月3日 (月) 06:14 (UTC)[返信]
削除の暫定ルールは管理者の方の意見を参考にしたものですから、間違った提案とは言えないと判断しています。
- (3)「資料の提示できない記述の削除」についても、Tomos さんの2004年11月28日 (日) 22:04 (UTC) 投稿で一部の方を除いて合意が形成されていると思われます。Tomos さんの投稿です。「例えば調査をする間だけでも、暫定的にコメントアウトしておくとか、除去しておく、というような措置をとるのもいいと思います。(その場合でも、ノートで予め一言断りを入れるとかいう風にする方が余計な摩擦を生まなくていいかとも思います。)また、あれこれ調べてみてどうも裏が取れないということであれば、そういう強い主張を含んだ記述ほど除去されるべき、と考えたらいいんじゃないかと思います。」
合意が形成されたルールとして記述を行う際にはノートで資料を提示するが義務となっていますから、有用な記述が資料なしとして削除される可能性はかなり低いと思います。仮に削除されても資料を提示すれば本文に反映されることになりますので、リカバリーは可能です。一方で、(Tukasa ryoさんの修正案)は、自分の意見と異なる編集の妨害を是認するルールですから、ウィキペディアの基本ルールに反することになります。これまでTukasa ryoさんの修正案が基本ルールに違反するという点には反論がありませんでした。削除ルールの議論については2004年11月28日 (日)の Tomos さんの投稿から、一ヶ月以上経過しています。一応、今から48時間まって、ルール違反に関する反論がなければ合意形成としたいと思います。DIGITAL 2005年1月7日 (金) 14:45 (UTC)[返信]
- (反対)「2004年12月27日 (月) 20:52 (UTC)」で指摘したとおり、私は、Wikipedia:ウィキペディアで起こしがちな間違いを根拠とさせていただいております。DIGITAL氏のご見解は、この南京大虐殺論争は、南京大虐殺から分離し、移行してきたという特殊性に理解がなされているようです。南京大虐殺の議論の経緯などを理解してから、ルールを提示する必要があろうかと思われます。--Tobey 2005年1月9日 (日) 06:03 (UTC)[返信]
▼暫定ルールがWikipedia:ウィキペディアで起こしがちな間違いに反するということはないでしょう。同ページにはこうあります。『偏っているなら偏りを取り除けばいいし、校閲されていないと言うなら校閲すればいい』'。資料と比較して、偏りがあるならそれを是正することは認められています。また、資料が存在しない記述を削除してはいけないとも書いてありません。管理者のTomos さんも、資料の調査中にコメントアウトを行うことを違法とは言っておりませんね。Tobeyさんは、Wikipedia:ウィキペディアで起こしがちな間違いのどの部分を理由に”資料の存在しない記述の削除に反対”しているのか明確にして下さい。Zeek 2005年1月9日 (日) 13:52 (UTC)[返信]
問題点が理解できていないのでは?再度、「2004年12月27日 (月) 20:52」を読み直すことをお勧めします。
それでも理解できない場合は、Wikipedia:ウィキペディアで起こしがちな間違いに”資料の存在しない記述の削除に反対している”と、私が主張している部分を探してみてください。探し出せない場合は、Zeek氏の反論は、私の主張に対する反論になっていない、つまり架空の主張に対する反論であるということになるでしょう。--Tobey 2005年1月9日 (日) 14:00 (UTC)[返信]
Tobeyさんが、資料の存在しない記述の削除に賛成ならば合意形成です。(Tukasa ryoさんの修正案)は編集妨害に該当し、ウィキペディアのルールに反するという点に反論がありませんでしたので(Tukasa ryoさんの修正案)は合意を得られず却下されたと判断します。DIGITAL 2005年1月9日 (日) 14:42 (UTC)[返信]
DIGITAL氏にお聞きしますが、Tukasa ryo氏の主張が”資料の存在しない記述の削除に反対している”という部分はどこにあるでしょうか?修正案を見ても判るとおり、”資料の存在しない記述の削除に反対している”のではなく、”【DIGITAL氏が提示する】資料の存在しない記述の【削除の方法】に反対している”だけのようです。--Tobey 2005年1月9日 (日) 14:54 (UTC)[返信]
▼削除の方法(暫定ルール)は管理者の方の意見を参考にしたもので、ウィキペディアのルールに合致している点についてTobeyさんの反論はありませんでした。一方でTukasa ryoさんの修正案はウィキペディアのルールに違反することになります。ということで、現在の暫定ルールを正規のルールとして問題ないと思われます。有用な記述が削除されるのではないか、というTobeyさんの疑問についてですが、削除されても、史料が提示されれば再度本文として反映されるルールですから、暫定ルールに反対する理由にはならないと思われます。Zeek 2005年1月9日 (日) 15:00 (UTC)[返信]
資料の存在しない記述の削除については合意が成立したことを確認します。削除の方法については管理者であるTomosさんの意見で問題ないと思います。資料の存在が確認されるまではコメントアウトか削除。典拠が判明したら、本文に反映するというルールです。Tukasa ryoさんの修正案は、編集妨害などwikのルールに違反するということで却下されましたので以上で合意形成で問題ないでしょうか?DIGITAL 2005年1月10日 (月) 12:52 (UTC)[返信]
▼Tobeyさんも、資料のない記述の削除に合意されているようなので合意形成の結論を出して問題ないと思います。管理者の方の意見として、準拠史料が不明な記述はコメントアウトなどが可能であることが示されています。もちろん準拠史料が提示された場合は本文に反映されることになるわけですから、暫定的なコメントアウトや削除は本来問題になりようがないものです。
暫定ルールはウィキぺディアのルールを具体化したものですから、合意形成に反対されるということはウィキペディアのルールに合意できないという事と同義になるでしょう。そもそもウィキぺディアのルールに合意できない方が編集に参加することそのものが不適切と言えるでしょう。議論の期間も一ヶ月を超えていますから、そろそろ結論を出して構わないと思います。Zeek 2005年1月10日 (月) 14:56 (UTC)[返信]
DIGITAL氏、資料の存在しない記述の削除を一切してはいけないなどと申してはいません。無論、資料の提示されていない記述は議論を踏まえる事無く独断で片っ端から削除して良し、などという考えにも到底賛同できませんし、DIGITAL氏自身もそんなおつもりは無いでしょう。
DIGITAL氏の削除の提案は、記述を削除したいだけの者が、記述を裏付けるだけの資料を探す事すらせず、多分無いだろうから取り敢えず削除しておけといった行為に、免罪符を与えるだけのもののように思えます。気に入らない記述だから、取り敢えず削除したいなどと考える者に、そのルールを利用される事はDIGITAL氏にとっても不本意な事でしょう。
取り敢えず削除ではなく、事前に記述が誤りであると裏付けできる資料を、あるいは記述を裏付ける資料を見いだすべくどのような方法で探したか、その上で発見できなかったといったと事柄をまず提示し、議論をした上で削除する事こそウィキペディアのあり方に添ったものだと考えます。--Tukasa ryo 2005年1月11日 (火) 07:54 (UTC)[返信]
▼すでに指摘していますが、資料存在の有無は議論では解決できませんし、議論するような問題でもありません。資料を探してくるしかないわけです。例えばTukasa ryoさんが記述の削除に反対されるならば、Tukasa ryoさんが資料を探してくることで解決する問題です。一旦削除された記述でも、資料が見つかれば本文に反映されるのですから実質的な問題は発生しません。
一方でTukasa ryoさんの提案は、準拠資料のないデタラメな記述でも、誰かが「議論しましょう」と言って反対を続ければ永遠に削除ができないルールですから、正確性が要求されるウィキペディアの基本ルールに違反する提案なわけです。Tukasa ryoさんはウィキペディアのルールに違反する提案をされていることをご理解下さい。Zeek 2005年1月11日 (火) 13:46 (UTC)[返信]
議論で資料の有無を解決せよなどと申してはいません、議論の場にただ資料を提示してくだされば良いのです。Zeek 氏は今回問題となっている心理学研究の記述に関して具体的にどのような範囲を探した上で、「存在しない確立が高い」とまで仰ったのでしょうか? 研究が無いと考える証左など出せないと仰るなら、Zeek 氏が問題の記述を裏付ける資料をいかに探したか、その経緯を議論で示してくだされば良かったのです。既にある記述が不正確であると加筆修正による正確化をはかるのでなく、ただ削除したいと言うなら疑義有りと申し立てる側がその疑義理由を示せなくては、ただの言い掛かり、因縁と同義でしょう。
Zeek 氏が準拠資料が見いだせない≠デタラメな記述である事をご理解ください。また、明らかにデタラメだと誰もが解る記述の削除に反対している訳ではありません。Zeek 氏やDIGITAL氏はデタラメな記述の扱いと不正確な記述の扱いを混同されているように思えます。あなた方が不正確だと考えるから取り敢えず削除しろというのは、あまりにも礼を失したお考えでしょう。ウィキペディアにあって、ただ削除するという行為は、失礼で非生産的な行いなのです。既にある記述が明らかなデタラメならこれを削除する事はウィキペディアのルールとしても当然ですが、不正確であると思うなら加筆による修正をまず試みるべきであり、記述を裏付ける準拠資料を探しもしないで無いに違いないと断じるべきでは無いという事なのです。取り敢えず削除すべしなどという考えは、それこそウィキペディアの精神に反するものだとご理解ください。--Tukasa ryo 2005年1月12日 (水) 02:59 (UTC)[返信]
- Tukasa ryoさん本人の書き込みがありましたが、資料の存在しない記述の削除には合意されたことを確認いたします。
- (Tukasa ryoさんの修正案)がWiKのルールに反するという問題点の指摘に反論がありませんでしたので却下されたことを確認いたします。
- 典拠の確認について問題提起がなされたので、「典拠に関する質問はノートで行う。48時間以内に典拠が示されない場合は削除となる」という一文を追加して合意形成ならどうですか?DIGITAL 2005年1月11日 (火) 14:24 (UTC)[返信]
▼確かに客観的な基準はあったほうがいいですね。準拠資料が不明の記述を残したい方は、議論と称してゴネるのではなく資料を探すのが筋ですから、48時間ルールで問題ないと思います。その後で資料が提示されれば本文に反映されるので実質的な問題は発生しないと思われます。Zeek 2005年1月11日 (火) 15:57 (UTC)[返信]
DIGITAL氏、どこをお読みになったのでしょうか、「資料の提示されていない記述は議論を踏まえる事無く独断で片っ端から削除して良し、などという考えにも到底賛同できません」と申し上げています。探しもしないで準拠資料が無いに違いないと、取り敢えず削除を求めるといった怠惰は到底容認できません。
さらに、DIGITAL氏の削除のルールは、気に入らない記述だから取り敢えず削除したいなどと考える者に免罪符を与える物になると明確な問題点も指摘してもいます。デタラメな記述への対処法と不正確な記述への対処法を混同したまま、削除こそが正し事のようなルール設定こそウィキペディアに反するものです。--Tukasa ryo 2005年1月12日 (水) 02:59 (UTC)[返信]
私は、DIGITAL氏やZeek氏が、「合意」という言葉だけにこだわっているように思えます。ですから、Tukasa ryo氏の見解を間違えてしまっているのでしょう。
「合意」という言葉で、保護解除の申請をするつもりなのかも知れませんが、このような「合意」という言葉を得るための「合意」では、「保護解除のための合意」とは成り得ませんのご注意ください。
保護解除のためには、(A)なぜ編集保護となったのか、(B)問題点は何か、(C)問題点を如何に解決できたか、の3点において合意を得る必要があろうかと思われます。DIGITAL氏やZeek氏は、有意義な議論を行うようにお願いします。--Tobey 2005年1月12日 (水) 06:32 (UTC)[返信]
▼反対派のTukasa ryoさん、Tobeyさんの書き込みがありましたが、48時間ルールに反対意見がないようなので、48時間ルール成立としていいと思います。Tukasa ryoさんの意見はウィキぺディアのルールに違反していますので、どうしても合意できない場合は、ウィキペディアの編集から離れたほうがよいのではないでしょうか。Tukasa ryoさんは、資料を元にした正確な記述をするように心がけてください。
ウィキペディアのルールです。よく読んで下さい。
>また、あなたは、あなたの関与したページなどがウィキペディアにおいて
>不適当と判断された場合(不適当と判断される理由があなたの関与による
>ものではない場合を含む)には削除されることに、予め同意を与えます。
Zeek 2005年1月12日 (水) 15:40 (UTC)[返信]
Zeek 氏、48時間ルールの前提である、DIGITAL氏の削除のルール自体に意義を申し上げている事を、失念なさらないでください。そもそも、資料提示を48時間以内になどとというルールを上げられる事自体、資料の精査をする意志どころか探そうとする意志も無い怠惰の言い訳のように思えます。
NETで入手できる資料のみを前提にお考えなのではありませんか?こちらに参加されているどなたもが、その研究に取り組む者にはポピュラーでも、一般にはあまり流通していない学術書や専門書や論文、価格や難易性から一般的な図書館に置かれていない書籍や資料といった物を、簡単に入手し精査できるものでは無いでしょう。不正確な記述をより正確な記述になすべく目指すなら、資料を探し精査するのに48時間などとという時間を設定する事自体考えられません。
気に入らない記述だから、不適当だと言い掛かりをつけ取り敢えず削除対象にしてしまえる、DIGITAL氏の削除のルールは、そういった失礼で非生産的とされる行為に免罪符を与える物であるとご理解ください。--Tukasa ryo 2005年1月13日 (木) 10:20 (UTC)[返信]
▼Tukasa ryoさんは過去ログを読まずに、自分の主張だけを繰り返しているわけです。提案されているルールは管理者の方の意見を参考にして、ウィキペディアのルール基づいたものですから、ルールに賛同できなければ、Tukasa ryoさんがウィキペディアに参加されることは無理だと思います。
記述の保護を要求してリブートを行うということは、記述に対して責任を持つということと同義です。48時間ルールにより削除されても、資料が見つかれば一週間後でも一ヶ月後でも本文に反映されるルールですから、Tukasa ryoさんは手間を惜しまずに、また怠惰な要求を繰り返さず図書館などで資料を探してください。少なくとも私はそうして資料を集めています。Zeek 2005年1月13日 (木) 13:56 (UTC)[返信]
▼Tukasa ryoさんはウィキペディアのルールに反する提案に固執されていますし、ルール違反の指摘についての反論はありませんでした。つまりTukasa ryoさんはウィキペディアのルールを理解されていない方なので、反対意見としてカウントする必要もないと思われます。基本ルールに違反するような編集行為は単なる「アラシ行為」となることをご理解くださいね。Zeek 2005年1月13日 (木) 13:56 (UTC)[返信]
Zeek氏の主張は、管理人(Tomos氏)の見解と、Wikipediaのルールとを混同しているように思われます。
私の見たところでは、Tukasa ryo氏の提案は、Wikipediaのルールに反するところはありません。Tukasa ryo氏の提案は、Tomos氏の提案より、慎重な編集方法を示している点が違うとは言えるでしょう。
私の見解としては、慎重な態度を示すTukasa ryo氏の提案の方が、この南京大虐殺論争の経緯からすると妥当であると考えます。
一方、このようらルールの問題も論じなければならないと思いますが、さらに問題なのは、今回示されたZeek氏の論法です。自身の見解に反対するものに対し、Zeek氏は以下のようなことを主張します。
- つまりTukasa ryoさんはウィキペディアのルールを理解されていない方なので、反対意見としてカウントする必要もないと思われます。基本ルールに違反するような編集行為は単なる「アラシ行為」となることをご理解くださいね。
自身の見解に反対するものの意見を汲み取ろうとしない態度が、如実に現れた記述です。
このような態度は、この南京大虐殺論争の記事が編集保護となった経緯を彷彿させるものです。つまり、自身の意見を一方的に主張し、論争が継続中であるにも関わらず、編集を強行しようとしたことで、編集保護となったという経緯です。結局、このような議論態度が改められない以上、保護解除をしても、同じ過ちを繰り返すことになると思われます。--Tobey 2005年1月13日 (木) 18:05 (UTC)[返信]
削除したいだけの者に免罪符を与えるようなルールに正当性を持たせるために、管理者のご意見を都合良く解釈し利用なさっているだけに思えます。そもそもどなたかが削除を行わなければ、リブートは行えないのです。削除理由が、ウィキペディアに記載されては不都合な記述を排除したいだけといった動機や、典拠資料を探すことすらせずただ無いだろうと考えるいったものであるなら、その根拠無き削除行為を元に戻すリブートされて当然でしょう。Zeek氏、あなたがノートでの検討中にも関わらず勝手に削除し、「存在しない確立が高い」とまで仰った心理学研究について、Zeek氏は具体的にどういった形で探されたのでしょうか。こちらは問題の記述の具体的修正議論以降、記述を裏付ける資料を探し既に提示しています。ろくに資料を探すことすらしないで後からリブートできるのだから、削除したって良いじゃないかという感覚は怠惰であり、意味ある記述を削除してしまう事に頓着しない失礼な行為であるとご理解ください。--Tukasa ryo 2005年1月14日 (金) 14:13 (UTC)[返信]
現在、Zeek氏、DIGITAL氏 、Peace氏、Tobey氏、Tukasa ryo氏に対して、直接会話による議論を提案しています。
皆様見てのとうり、議論が議論を呼んで収集不能に陥ってますので、 (もう過去ログ読む気もわかない・・・・(汗)) 発言の多い人から順番にチャット・メッセンジャー等による直接議論の提案を行っています。
開催の日時、また進行等は私が行おうと思っています。 参加を希望なされる方は私の利用者ページのノートの方にお願いします。 とりあえず参加者を決めて、決まった日時に一定の規制の規則の元に会話しないと見てのとうり収集不能に陥ってしまいますので(汗 (このページ見て、何が論争中で、何が話し合われて何が決まったかわかる方います?) ぶらっくさん
本文保護直前編集者のTobey氏は当然それが出鱈目で「読者利益」に反していようと、自身の編集が反映されている本文の「保護解除」に消極的であり、妨害していると言う事です。
なぜなら諸氏より「本文保護解除」に向けた前向きな提案に同意せず、敢えて水掛け論になるような
個人攻撃まがいの確認を蒸し返したり、平行線のまま「本文保護」を継続させようする意図が明確です。
問題点の提示なしに(議論すらなしに)以下のように大量のリブートをされたTobey氏こそ確認し、 そのような行為が編集合戦を招き、「本文保護」という異常事態をもたらした事を自覚すべきでしょう。 http://ja-two.iwiki.icu/w/wiki.phtml?title=%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E8%AB%96%E4%BA%89&diff=979018&oldid=979001
ただ、そのような異常事態をもたらし、さらに継続維持させているTobey氏個人の攻撃ばかりしていても らちが明かないことは明白ですからこそ長期間に渡って諸氏が「本文保護解除」に向けた前向きな一般的ルールを提案されてきたわけです。その合意が形成された今、過去の編集合戦の責任論原因論を蒸し返して不毛な個人攻撃を繰り返すような合意形成不可能な平行線議論に固執するのは明らかに「読者利益」 に反し、ウィキペディアの趣旨にも反している事です。 早急に「本文保護解除」し、間違った情報を読者に発信し続けている異常事態を回避するのがわれわれの 責任であることを自覚しましょう。--Peace 2004年12月19日 (日) 18:01 (UTC)[返信]
リブートは元に戻す行為です、それ以前に修正がなければ行う事ができません。リブートに至った修正が議論の渦中を省みず合意を待たずに行われたといった、常識を欠いたものであるなら、議論の合意あるまで元の状態にしておくのはむしろ当然の行為でしょう。
早急な本文保護解除は、それこそ互いが望むところだと考えます。その場合、ウィキペディアの観点とは正反対の、まず削除ありきといった観点でなく、積み重ねていく形での加筆修正こそ目指すべきものであると考えます。それを踏まえて、DIGITAL氏の出された保護解除の依頼への管理側からの解答を見る限り、問題箇所の具体的修正文の合意無しには、保護解除していただけるように思えません。Peace氏、出鱈目があると仰るなら、こちらから以前にもご提案しましたが、その出鱈目である箇所を示し加筆修正案をご提示ください。保護解除に向けての具体的な行動をはじめましょう。--Tukasa ryo 2004年12月19日 (日) 18:48 (UTC)[返信]
だからわ「早急な本文保護解除」を、わたしの具体的提案が気に入らないTukasa ryo氏に下記のようにお任せしたはずですよ。何度も同じ事を繰り返させて詭弁家のループ戦術にならないようにしてくださいね。
「概ねの同意有難う御座います。意見の違いはわたしの「議論継続中あるいは異論のある項目のものは一旦本文から削除しノートに移動して議論を継続する事」だけのようです。わたしは編集合戦を避ける為に「ノートに移動」する事を提案したわけですので「削除しない」という 方針で「本文上で議論する形」あっても反対は致しません。ただ本文のその項目が永遠と続く議論で埋め尽くされると危惧しての提案です。まあわたしの危惧も案ずるより産むが安しかも知れませんので、「現状ありのままの情報を伝えたい、早急に保護解除を強く望む」との宣言に添って、まず完全に同意が得られている「本文冒頭の訂正」をして頂いて、「議論継続中あるいは異論のある項目のもの」についてもとりあえず「削除せず本文での有りのままの議論継続」と言う形のTukasa ryo氏の意向に従った「本文保護解除」を早急にお進め頂きたいと 思います。これは「現状ありのままの情報を伝えたい」「早急に保護解除を強く望む」Tukasa ryo氏を含む我々の宣言を満たすものでこれ以上議論の余地は無いと思われます。当分得られる見込みの無い「すべての具体的修正案の合意」を本文保護解除の条件とするのは我々の宣言と矛盾していますし、それどころか「本文保護解除」を望む気など毛頭無いTobey氏と同罪の詭弁家と言っていいでしょう。 我々の宣言と完全に矛盾する「本文保護と言う異常事態」の打開に向けて、「本文保護解除」をとりあえずは上記Tukasa ryo氏の意向にお任せしますので速やかな対応をお願いしておきましょう。--Peace 2004年12月17日 (金) 21:08 (UTC)」--Peace 2004年12月20日 (月) 13:32 (UTC)[返信]
Peace氏の以下の記述は、以前の投稿を再掲載しているだけです。
- 「2004年12月20日 (月) 13:32」の記述 → 「2004年12月17日 (金) 21:08」の記述
この再掲載されている記述については、すでにTukasa ryo 氏が回答されています。
- Peace氏「2004年12月17日 (金) 21:08」
- → Tukasa ryo氏氏2004年12月18日 (土) 02:10
すでに議論が終わっていることを繰り返すことを、通常、ループと言います。この事実からすると、ループをさせているのは、Tukasa ryo氏ではなく、Peace氏の方だと言えるでしょう。
Peace氏は、このような無駄な記述をしてサーバーに負担をかけるようなことをしないようご注意ください。--Tobey 2004年12月21日 (火) 00:26 (UTC)[返信]
たいがいにしろよオマエら。ぶらっくさん
Tobey氏以外の方は、諸氏が建設的に提示された「本文保護解除」の為のルールを、議論に参加するすべての方が遵守する事で「読者利益」の為にも必要な「早急な本文保護解除」が可能であり同意されているわけです。これまでのTobey氏の投稿からは「資料提示のない個人的見解で編集したい」「諸氏は編集合戦になった原因がわたしにあると言うが、その結論を意地でも覆したい」」「読者利益よりもわたしの本文保護維持の方が重要だから、本文保護解除の条件に編集合戦の原因を絡めて合意を迫る事で一石二鳥だ」
このようなTobey氏の目論みが露呈していますね。
到底受け入れられるものではありませんのでこれまでの自身の行為を反省した上で速やかに
「読者利益」に添った諸氏の常識的且つ建設的な編集ルールを受け入れられますように勧告しておきましょう。--Peace 2004年12月21日 (火) 18:29 (UTC)[返信]
Peace氏には、多重アカウントについて利用者‐会話:Peaceで指摘しておりますのでお読みください。
今回、Peace氏が挙げられた私の「目論見」というのは、いずれも「編集内容」についてですが、保護の原因となったのは、「編集方法」を巡るZeek氏と私との見解の相違です。詳細については「護解除依頼のための最終的な確認」で確認してください。
お互いwikiの利益のため努力するようにやっていきましょう。--Tobey 2004年12月22日 (水) 03:03 (UTC)[返信]
うわべっつらの言葉だけではもはやTobey氏の行動を肯定される方はいないということです。 三光作戦や大東亜戦争でも自虐史観に基づいた反日的宣伝を繰り返そうと目論むなど あなたの行動は到底この事実に基づいた中立的視点に添ったウィキペディアの編集者としての 資格が無いという事ですので反省された上で改心されますように重ねて忠告しておきます。--Peace 2004年12月23日 (木) 13:45 (UTC)[返信]
保護解除について、いくつか合意形成をはかろうとする提案がなされています。そのことに関しては、非常に喜ばしいことだと思われますが、基本的なことを言うならば、「何が原因で保護処分を受けたのか?」「その原因は取り除かれたのか?」という点に関して、議論が足りないと思われます。
そこで、保護解除の合意を形成するために、具体的な問題の解決を図るべく、皆さんに提案をしたいと思われます。
すでに何度か指摘しましたが、そもそも保護処分となったのは、私(Tobey)とZeek氏との間で勃発した編集合戦が原因でした。その点の事実関係に関しては、「Zeek氏とTobeyとの編集合戦の経緯と問題点」において明示し、かつ議論がなされていますので、そちらを参照してください。簡単に経緯を説明するならば、本文「学会の反応」に関してノートにおいて議論がなされている途中(議論は3日も行われていませんでした)、Zeek氏が、議論を無視する形で本文の修正(「学会の反応」の全文削除)を行ったことに対し、議論途中であるという理由で私がrevertとをしたことが、編集合戦であるとみなされ(この判断はwikiにおける規定どおりと思われます)、保護処分となったということです。
この事実経過からすれば、Zeek氏は、議論の途中で、議論の内容を反映させない本文の修正を行ったわけですから、「ノートでの議論を十分経て本文を修正する」というwikiのルールに反したことになります。
よって提案としては、
第一に、今回のZeek氏のような「ノートでの議論を十分経て本文を修正する」というルールに反する行為は止める
第二に、このような行為を行ったZeek氏は、今回の編集合戦の原因を作ったことを真摯に反省し、今後、このようなことを行わない旨を明言する
という2点をもって、保護解除に対する合意とすべきかと思われます。
以上、事実を踏まえた合意点として皆様の合意を頂きたいと思います。--Tobey 2004年12月10日 (金) 01:13 (UTC)[返信]
まだわかっていないようですが、編集合戦の原因はTobeyさん、あなたの「具体的な資料を持ち合わせているわけではない」にもかかわらず、記述した主観的で根拠に乏しい「学会の反応」の内容にあります。今回の件では、根拠のない記述として削除したZeek氏の方が正しい行動といえます。
よって、上記に記述されているように反省し、今後、根拠のない編集を行わない旨明言するのは、Tobeyさん、あなたの方です。それに、この項目は明らかにTobey氏によるZeek氏に対する'個人攻撃'ですので、できれば早急にZeek氏に謝罪したうえ、項目ごと削除されることを願います。(事実を歪めたうえに、それをネタに反省を求めるなんて、まるでどこかの国のようですね)--Neigh 2004年12月10日 (金) 09:40 (UTC)[返信]
どちらが悪いとか個人攻撃のような議論をしていては、いつまで経っても保護解除の方向に向かわないと思います。Tobeyさんは、Zeekさんが「もうそのようなことはしない」と誓約すれば解決すると書かれているようにお見受けしますが、それはTobeyさんが納得できるか、できないかの本当に個人的な感情の問題だけのような気がするので同意できません。これから議論する上で妙な上下関係ができかねません。
ここまで長引くとTobeyさんも退くに退けなくなっているのかもしれませんが、削除された後でも議論は続けられたはずですし、Zeekさんの削除にもそれなりの正当性があったと思います。「学術上の歴史研究における動向」を知りうる客観的な資料を提供なされていなかったようなので、あの時点での削除は間違ってなかったと。Zeekさんは「歴史教科書の動向」などの項目名に変更する案などを提示し、解決策を模索されていたようです。お互いが妥協点を見出すなど努力をすれば、編集合戦にはならなかったかも知れません。
今更どちらが悪いとかという、この記事とは無関係な議論をしても意味がないと思うので、とりあえず「学会の反応」の議論を解決するように模索されてはいかがでしょうか?--矢刺幹人 2004年12月10日 (金) 13:24 (UTC)[返信]
私も、Tobeyさんに原因があると思います。Tobeyさんは議論の途中と思っていたようですが、第三者から見ると議論は終了しています。歴史辞典=学会ではありませんから、歴史辞典を元に「学会の反応」とすることは不正確な記述になりますので論述の方法として一般に認められません。歴史辞典が「ほとんどの歴史家」の意見を集約した物とはいいえませんが、南京学会など否定論側の学会の存在も指摘されています。以上から「学会の反応」という題名と記述が正確性を欠いていることが認められますので、削除は当然だと思います。Tobeyさんは必要な修正を行わずリバートされましたが、適切な指摘を無視されたTobeyさんの行為に問題があったと認定します。DIGITAL 2004年12月10日 (金) 15:01 (UTC)[返信]
諸氏の意見に賛同いたします。わたしの中でもこの項目についての議論は終わっているのですが、
また過去の反論を繰り返してループに持ち込まれるとますます「本文保護解除」が遅れるという
危惧がありましたので冒頭のような素人でも納得できるような提案をさせて頂きました。
学会にもいろいろな意見があるからこそ「論争中」なのですから、「具体的な資料を持ち合わせているわけではない」Tobey氏の単なる主観的願望を「学会の反応」としてしまう暴挙はこの「ウィキペディア」だけではなく公正などこの社会に於いても容認されるものではありません。
どうしてもゴリ押ししたいなら自ら抗議の強制排除可能なあなたのHPですべきだと思います。--Peace 2004年12月10日 (金) 15:48 (UTC)[返信]
まずご理解頂きたいことは、何が保護処分の原因となったか?という事実関係について、正確に認識すべきだということです。
矢刺幹人氏のご見解では、zeek氏の削除があっても議論が続けられたということですが、問題となるのは、その「zeek氏の削除」ではないでしょうか?その「zeek氏の削除」が原因となり、私がrevertしたことにより保護処分となったわけですから、保護処分の正当な解除理由としては、この問題点に関して何らかの合意を得る必要があるわけです。
私としては、「学会の反応」の内容に関して議論をするな、とも言っていませんし、その点に関して結論が出ているとも言っていません。
保護処分解除のための合意として、保護処分の原因を解決しようという呼びかけであるとご理解ください。
zeek氏にはさぞご不満があろうとは思われますが、事実として上記のとおりとなっていますので、この点の非を潔く認め、一刻も早く保護解除となるように努めていただきたいと思われます。
なお、いくつかの異論があるようですが、上記のとおり、何が原因で保護処分となったのかをご理解いただけるようにお願いします。
また、DIGITAL氏は、「議論は終わっていた」とのことですが、議論期間2日間しかなく、議論相手がまだ議論中であることを明言しているわけですから、どう見ても「議論が終わっている」と見なすことは出来ません。--Tobey 2004年12月11日 (土) 04:57 (UTC)[返信]
Tobey氏、「何が原因で保護処分を受けたのか?」「その原因は取り除かれたのか?」という点に関して、議論が足りないと言い出したのはあなたなのですから、あなたの私見を事実だと勝手に断定して議論を進めるのはやめるべきです。少なくとも第三者3人のうち2人はあなたに原因があると認識しているのですから、あなたは保身のためにzeek氏に罪をなすりつけようとしてるという立場でしかありません。あなたが反論し、各々の同意を得られるまでは事実などと言って勝手に話を進めるべきではありません。私はその原因について、あなたのそういう態度に原因があると思います。218.130.208.110 2004年12月11日 (土) 05:34 (UTC)[返信]
しつこいようですが、この問題の原因は、Tobey さん、あなた自身が認めている「具体的な資料を持ち合わせているわけではない」にもかかわらず記述し、誰も納得させることができない根拠で記述を続けた結果によるものです。議論も何も、あなた自身が学会の反応について、誰もが納得しうる根拠を示すことができない以上、あなたはこの南京大虐殺論争について議論するに相応しくないだけでなく、建設的な意見交換を阻害する存在でしかないことを十分自覚したうえで、Zeek氏に謝罪されることを望みます。--Neigh 2004年12月11日 (土) 08:13 (UTC)[返信]
▼Tobeyさんが勘違いされているようなので、上でウィキペディアの編集ルール抜粋したものを掲示してみました。ウィキペディアでは記述の”正確さ”が求められていますが、編集については自由となっています。正確な情報であれば、加筆・編集の前に誰かの許可や合意を得る必要はありません。
>第一に、今回のZeek氏のような「ノートでの議論を十分経て本文を修正する」という >ルールに反する行為は止める
ということですが、議論が必要なのは”記述の正確性”についてであって、資料が提示できるかどうかが問題です。”記述の正確性”について質問された場合には回答しなければなりませんし、準拠資料が提示できなければ議論は終了です。不正確な記述として該当部分は削除・修正される事になりますし、ルール上それを拒否することはできないのです。Tobeyさんの合意の有無に関わらず、不正確な記述(資料を提示できず事実関係を証明できない記述)は修正・削除の対象になるわけですが、再度「ウィキペディアの編集ルール」を確認して下さい。
ちなみに私は資料に基づく修正を提案していましたが、Tobeyさんが修正に応ぜず、資料の存在しない不正確な記述を執拗に差し戻し(リブート)されました。Tobeyさんが修正に応じていればこのような問題にはならなかったと思われます。Zeek 2004年12月11日 (土) 09:46 (UTC)[返信]
Tobeyさんは論文を書かれたことがないようなので分らないのかも知れませんが、一般に歴史辞典を何冊か引用して「学会の反応」として論述することは認められません。「学会の反応」として論述するならば、論文や会報もしくは「学会の反応」として紹介されたインタビュー記事などが必要です。Tobeyさんはこれらの資料を提示できなかったのですから、議論はすでに終わっていると判断します。Tobeyさんが納得されるまで説明する必要はないと思います。DIGITAL 2004年12月11日 (土) 16:35 (UTC)[返信]
今回のZeek氏の発言からすると、事実関係としてZeek氏が十分な議論を経ず(議論が始まって約36時間後)に本文の修正を行ったこと自体は、当事者としてのZeek氏も認めるということで構わないでしょうか?
なお、DIGITAL氏の見解は、個人的な見解として承らせていただきます。--Tobey 2004年12月12日 (日) 03:41 (UTC)[返信]
残念ながら、DIGITAL氏、Zeek氏、218.130.208.110氏、Peace氏の見解がほぼ一致(私も含めて)していることからも今回の事実関係として非があるのはTobeyさん、あなたであるということで一致したようですね。
それに、Zeek氏の発言のどこを読めば、そんな奇天烈な解釈が可能なのでしょうか?
それこそ、Tobeyさん、あなたの個人的見解ではないですか。結局、人の発言をわざと曲解したり、求められている学会の反応とやらの説明もできないのであれば、一刻も早く、ご自分が建設的な意見交換を阻害する存在であることを自覚して、一個人として自分が犯した行為に相応しい対応をお願いします。(どうやら読解力が不足しているようなので、あえて記述しておきます。ここは誰でも自由に発言できる場であって、中国や韓国のように言論統制がしかれた場ではありませんので、他者から「協調性や読解力が不足しているから発言を控えるべきだ」とは言えませんので、あえてこのような表現にしました。カッコ内は問題があるようなら削除して下さい。)--Neigh 2004年12月12日 (日) 10:42 (UTC)[返信]
残念ながら、事実関係に関して明確な見解が提示されないにも関わらず、意見が一致するというのは、私の理解から外れるものです。もし、よろしければ、問題点を明らかにし、wikiのルールに則り、投票にかけたいと思います。そこで、編集合戦に陥った経過に関して、私の認識のどこが間違っているのか、明示してください。それを基に、投票にかける準備に入ろうと思います。--Tobey 2004年12月13日 (月) 02:44 (UTC)[返信]
私のまねをして頂いているということは、私の文章にも目を通して頂けているということですね。どうもありがとうございます。では、とりあえず、
- 問題点1
- Tobey氏は学会の動向を示す具体的な資料を持ち合わせていないにも関わらず、Zeek氏の十分な根拠を持った編集の妨害行為を行った。(Tobey氏は、その後10冊ほどの教科書、辞書等を根拠にあげていますが、学会の動向を示す根拠と成りえないどころか、教科書の場合については、数字的に減る傾向にあるようですね。)
- 問題点2
- さらに、その記事の内容が、wikipedia:言葉を濁さない#非中立性を隠蔽する例に該当し、中立的な読者がミスリードする虞があるにもかかわらず、そのままで編集保護とした。(Tobey氏にはwikipedia:言葉を濁さない#非中立性を隠蔽する例だけでなく、その頁の下にあるwikipedia:言葉を濁さない#基本的ガイドライン)を熟読して頂きたいものですね。)
- 問題点3
- わざわざこのような個人攻撃としか思えない項目を作成して、この一連の編集合戦があたかもZeek氏の責任であるかのように小細工を弄した。(実際に削除に至ったあたりを読めば、Tobey氏が、何ら根拠を示していないにも関わらず、「客観的な事実を提示しました。」と堂々と書き込んでいるところがすごいですね。)
というところでしょうか?--Neigh 2004年12月14日 (火) 06:26 (UTC)[返信]
私に関しての記述ですのでお答えします(署名がないのが遺憾ですが…)。問題点1に関しては、具体的資料はありませんが、間接的資料によって、学会の反応(歴史学に関する総体的な学術的動向)を示しました。議論をご確認ください。問題点2に関しては、私が「編集保護とした」ということですが、編集保護となったいきさつは別項にて証明済みですので、そちらをご参照してください。事実関係に誤認があるようです。問題点3に関しても、別項にて事実関係と問題点を明示していおりますので、もし、具体的な反論があるのでしたら、そちらにて議論を行うようにお願いします。--Tobey 2004年12月14日 (火) 05:46 (UTC)[返信]
追記・・・本人は署名したつもりだったのですが、消えていたようです。この件については申し訳ありません。しかしながら、Tobey氏の証明済みが、証明済みであった試しがありませんので、証明したいのであればここでお願いします。また問題3に関して別項で明示されてるとのことですが、同様にTobey氏の明示済みが明示済みであったためしがないので、具体的にどこで、どのように反論したのか明示願います。--Neigh 2004年12月14日 (火) 06:26 (UTC)[返信]
Neigh氏にお答えします。
重複する記述をするのは避けたいので、証明・明示した文章の日時を示すので、そちらをご参照ください。問題1=2004年11月13日 (土) 04:58、問題2及び問題3=2004年11月29日 (月) 03:11。その他の投稿でも、たびたび同様の内容を明示・証明しておりますので、お閑でしたら、ここでの議論をよくお読みください。--Tobey 2004年12月16日 (木) 01:46 (UTC)[返信]
2004年11月13日(土)04:58での発言について。ただ単に肯定的に捕らえているように見える文献を拾ってきているだけで、学会の動向を示す具体的な資料とは到底いえません。やっぱり、既に明示済みとかいいながら、明示されてませんでしたね。放置してもいいんですが、可哀相なので、Tobey氏の出したデータを分析してみましょう。
まず、「記述無し」と、具体的に南京大虐殺ではなく、南京事件を表題として記述している文献については、大虐殺があったことを主張しているとは言えないので、学会の動向は示せない。
次に、『歴史学辞典(第7巻 戦争と外交)』は、刊行にあたって、「歴史的事実を詳細に記載する『歴史事典』ではなく、あえて学の方法にかかわる『歴史学事典』を銘打ったのも、そのためです。」とあることから、史実を元にした資料ではない。
『現代アジア社会事典』政治・経済・法律に関する事典で、これから史実を分析するのは無謀である。
『アジア・アフリカ辞典』エドガー=スノーを根拠としているため資料には不適当(洞富雄氏も「スノーの記述は2次資料であり、したがって、まちがいもある」と言っている)。
『世界史を読む辞典』朝日新聞社発行という時点論外。
というわけで、Tobey氏が提示した資料で、学会の動向はおろか、南京大虐殺の実在を肯定する資料は1冊も発見できませんでした。
2004年11月29日(月)03:11での発言について。非中立性を隠蔽しているので、(2)のTobey氏の行動に問題がありますね。(3)で合意に至らない理由はTobey氏が根拠を提示できない(現在においても提示できていません。)からで、(4)の行為は一般常識から言って妥当ですね。(5)については、根拠を提示できない以上、議論になりません。(7)上で書いているとおり、根拠は提示されておりません。(8)そもそも項目全般にわたって非中立性を隠蔽しているので、どこを取り上げて云々は無意味です。
ということで、再度問題点。
- 問題点1
- Tobey氏は学会の動向を示す具体的な資料を持ち合わせていないにも関わらず、Zeek氏の十分な根拠を持った編集の妨害行為を行った。(Tobey氏は根拠を明示したと豪語するもその内容については、学会の動向どころか、南京大虐殺の実在を肯定することもできなかった。)
- 問題点2
- さらに、その記事の内容が、wikipedia:言葉を濁さない#非中立性を隠蔽する例に該当し、中立的な読者がミスリードする虞があるにもかかわらず、そのままで編集保護とした。(Tobey氏にはwikipedia:言葉を濁さない#非中立性を隠蔽する例だけでなく、その頁の下にあるwikipedia:言葉を濁さない#基本的ガイドライン)を熟読して頂きたいものですね。)
- 問題点3
- わざわざこのような個人攻撃としか思えない項目を作成して、この一連の編集合戦があたかもZeek氏の責任であるかのように小細工を弄した。(実際に削除に至ったあたりを読めば、Tobey氏が、何ら根拠を示していないにも関わらず、「客観的な事実を提示しました。」と堂々と書き込んでいるところがすごいですね。)
では、次にわたしが来るまでにきちんと、学会の動向を示す具体的な資料とやらを明示しておいてね。--Neigh 2004年12月23日 (木) 09:09 (UTC)[返信]
(1)歴史事典のうち「記述無し」に関しては、学会の動向を示していないという見解に同意します。
(2)「南京事件を表題」としている事典の記述が、「大虐殺があったことを主張しているとは言えない」というのは、意味が把握しかねます。「南京大虐殺」は「南京事件」とも表記されますので※1、「南京事件」の記述の内容が、「否定説」を述べていないのであれば、学術上が否定説が受け入れられていないという動向を示していると考えられます。
※1=『山川世界史小辞典(改訂新版)』「南京事件…南京大虐殺ともいう」、『角川世界史辞典』「南京事件 …南京大虐殺といわれる…」。
(3)『歴史学辞典(第7巻 戦争と外交)』ですが、「歴史的事実を詳細に記載する『歴史事典』ではなく、あえて学の方法にかかわる『歴史学事典』を銘打ったのも、そのためです」という記述からすると、『歴史【学】事典』とした由来として、学術方法にかかわる事典を目指したものを意図した事典であることが解ります。しかし、この記述から、「史実を元にした資料ではない」という意味を捉えることは出来ません。この事典に「否定説」が取り上げられないということは、「否定説」という学術方法が認知されていないことを意味するとも取れるかもしれません。いずれにせよNeigh氏の見解は不当なものと思われます。
(4)『現代アジア社会事典』ですが、南京大虐殺を社会事象として捉えているということでしょうか?もちろん、私がこの事典の記述で証明しようとしていることは、「史実の分析」ではなく、学術上の動向ですから、「史実を分析するのは無謀である」とするNeigh氏の見解は、的外れだと思われます。
(5)『アジア・アフリカ辞典』に関しては、歴史事典ではありませんので、歴史学上の動向を知るには不適当なのかも知れません。ただし、一般的な認識の動向を知ることは出来ると思われます。なお、ここで論じているのは、学術上の動向であり、歴史事実の証明ではありません。史料云々というNeigh氏の指摘は的外れです。
(6)『世界史を読む辞典』ですが、「朝日新聞社発行という時点論外」と仰るようですが、これは論理的な根拠とはなり得ません。
以上、一通りNeigh氏の指摘を検討してみましたが、その多くの見解は不当なものであると結論となりました。反論がありましたら、伺わせていただきます。
まずは「Zeek氏とTobeyとの編集合戦の経緯と問題点」について論じて頂いたことに関して、敬意を表させていただきます。
ただし、少し勘違いをなされているようですので、簡単に指摘させて頂きます。今回、(1)~(8)(本来は(9)までですが…)について反論を書いて頂いているようですが、ここで示している(1)~(9)は、事実関係の要約ですので、それに反論して頂く必要はありません。もちろん、反論を読ませて頂いたかぎり、いずれの事実関係についても否定をなさっていないようですので、(1)~(9)の事実関係については、合意して下さったと理解してよろしいかと思われます。もし、事実関係についてご反論がおありでしたら、ご指摘ください。
私は、「Zeek氏とTobeyとの編集合戦の経緯と問題点」で提示した(1)~(9)の事実関係から、(イ)~(ニ)の問題点を提示しました。もし、反論がおありでしたら、この(イ)~(ニ)について論じていただくようお願いします。
ご指摘いただいた点を一つ一つ論じるも構わないのですが、結局、問題点を論じて頂かねば意味がないので止めておきます。ただし、いくつか事実認識に誤りがあるようですので、簡単に指摘させていただきます。まず、(A)の根拠については、事典の記述や教科書の動向などで史料を提示しております。また、非中立性を隠蔽しているかどうかに関しても、当然、議論において確認をとらねばならないわけですし、Zeek 氏は、「非中立性を隠蔽している」ということを問題としていませんので、「非中立性を隠蔽している」かどうかは、保護処置の原因にはなりません。
なお、今回Neigh氏があげられた3つ問題点は、「2004年12月14日 (火) 06:26 (UTC)」に書かれた内容と同じものです。これに対しては、「2004年12月14日 (火) 05:46 (UTC)」「2004年12月16日 (木) 01:46 (UTC)」において回答済みですので、そちらを参照なさってください。--Tobey 2004年12月23日 (木) 11:30 (UTC)[返信]
ここまでくると、読解力が不足しているどころか、読解力が無いとしか言いようがないでしょうね。自分の書いた記述がまったく筋が通っていないことに気付いていないのでしょうか。例えば「否定説」を述べていないのであれば、学術上が否定説が受け入れられていないという動向を示していると考えられます。…いったいどこで日本語を学ばれたんでしょうか。無茶な解釈にもほどがあります。次にこの事典に「否定説」が取り上げられないということは、「否定説」という学術方法が認知されていないことを意味するとも取れるかもしれません。…断言します。とれません。
とりあえず、各々上げておきますので、日本語の勉強の足ししてください。
- (1)は説明不要ですね。
- 『新版世界史事典』(評論社、2001年)、『新版世界史事典』(評論社、1991年)、『世界戦争史辞典』(ジージ・C・コーン編、河出書房新社、1998年3月)、『世界の歴史・地理事典』(教育出版センター、1997年)
- (2)『山川世界史小辞典(改訂新版)』(山川出版社、2004年1月21日)、『角川世界史辞典』(角川書店、2001年10月10日)
- について、Tobey氏の国ではどうか知りませんが、ここ日本では数万~数十万規模の虐殺を○○事件などと表現することはないですね。ついでにいえば、日本語の文法上、「南京事件、あるいは南京大虐殺といわれる」という表現は、「一般的に南京事件と言われているが、南京大虐殺と言われることもある。」と解釈します。つまり、もし、ここから学会の動向とやらを強引に導き出すとしたら(また勘違いされるといけないので予め書いておきますが、これはこの辞書を解釈しただけですので、私の意見ではありせん。念のため。)「一般的には小規模の南京事件(一部に大規模な南京大虐殺と言う者もいる)があったと推測される。」であり、否定も肯定もしていないし、どう解釈しても否定説が認知されない方向にある、とは読めません。Tobey氏は、このようなところで無駄な文章を作っている暇があるなら、義務教育を受け直された方がよろしいかと。
- (3)『歴史学辞典(第7巻 戦争と外交)』(弘文堂、平成11年12月30日)
- やはりTobey氏は日本語が理解できないようですね。「歴史的事実を詳細に記載する『歴史事典』ではなく、あえて学の方法にかかわる『歴史学事典』を銘打ったのも、そのためです。」、つまり、歴史的事実や学会の動向とは別の観点から記されたものだということです。つまり、この事典は学会の動向と無関係であるということです。わかりますか?
- やはりTobey氏は日本語が理解できないようですね。「歴史的事実を詳細に記載する『歴史事典』ではなく、あえて学の方法にかかわる『歴史学事典』を銘打ったのも、そのためです。」、つまり、歴史的事実や学会の動向とは別の観点から記されたものだということです。つまり、この事典は学会の動向と無関係であるということです。わかりますか?
- (4)『現代アジア社会事典』(大和学芸図書、1975年12月10日)
- これも(3)と同様、歴史的事実や学会の動向とは別に、政治・経済・法律の観点から現代アジア社会を分析したものですね。学会の動向を示す根拠と成り得ません。
- これも(3)と同様、歴史的事実や学会の動向とは別に、政治・経済・法律の観点から現代アジア社会を分析したものですね。学会の動向を示す根拠と成り得ません。
- (5)『アジア・アフリカ辞典』(教育出版センター、1997年7月1日)
- (6)『世界史を読む辞典』(朝日新聞社、1994年1月30日)
ちなみに、(9)とは何のことかわかりません。
次に分散すると面倒なのでこちらに書かせて頂きますが、まず、最初の発端が誤っています。
- (_)Wikipedia:言葉を濁さない#非中立性を隠蔽する例に相当し、Wikipedia:投稿ブロックの方針#投稿ブロックの対象となる行為にあたる「6.事実に反し、Wikipediaの価値や信頼を損ないかねない記事の投稿」があった。
- (イ)Tobey氏は学会の動向を示す具体的な資料を持ち合わせていないので、その者の発言は議論の妨害でしかない。
- (ロ)(イ)の理由から、Tobey氏は、その削除について疑義を挟む余地がない。
- (ハ)以上から、Tobey氏が自主的に退出しないのであれば、ブロックすべきである。
- (ニ)(ロ)において、(B)~(D)の削除を問題としている以上、Tobey氏が相応の資料を提出すべきなのは当然である。
Tobey氏の称する「回答済み」を探し出したところ、下記ような結果となりました。
- 問題点1
- Tobey氏は、上記のとおり具体的どころか、間接的にも学会の反応を示せないにも関わらず、Zeek氏の十分な根拠を持った編集の妨害行為を行ったことが問題です。
- 問題点2
- また編集保護となったいきさつは別項にて証明済みとありますが、自らが編集した記述に固執したTobey氏が、学会の反応を示せないにも関わらず保護依頼を行ったことが問題です。
- 問題点3
- またまた別項にて事実関係と問題点を明示だそうですが、上記のとおり、Tobey氏の行動に問題があることは明白ですので、別にどこに明示していようが示さなくても結構です。
さて、以上のようにこの一連の騒動の最大の問題点はTobey氏の行動であることが証明されましたので、
- 自らが引き起こしたこの一連の騒動に対し、自ら非を認め関係者に謝罪の意を表する項目を作成する。
- 自らの読解力及び協調性が著しく欠如している点を自覚し、今後一切wikipediaへの書込みを自粛する旨の宣言をする。
この2点を迅速に行うよう、Tobey氏に求めます。--Neigh 2004年12月26日 (日) 05:15 (UTC)[返信]
昨年から諸氏の抗議を無視し本文保護解除の合意議論を妨害されているTobey氏に対して改善の見込み がないようですのでWikipedia:投稿ブロック依頼 2005年1月;させて頂きました。--World 2005年1月11日 (火) 15:09 (UTC)[返信]
当ノートでは、新しい項目を上にする方法で議論が進んでおり、これまで参加者の反対意見はみられませんでした。以上から新しい項目を上にすることはローカルルールとして合意が形成されていたと判断します。ノートの記載量が増えていますので、下までスクロールするのも手間がかかります。円滑に議論を進める為に項目の位置については項目作成者の判断に任せるということで進めたいと思います。項目名や項目、書き込み位置を変更する場合は、書き込んだユーザーの合意を得てから行ってください。位置を変更したり、項目名を変更すると議論の意味が不明瞭になる恐れがあります。各参加者はくれぐれも自分勝手な編集を行わないようにお願いします。DIGITAL 2005年1月14日 (金) 14:26 (UTC)[返信]
- 上方向に書き込むという方法は、Wikipedia:ノートページ#一般的なノートページの書き方とレイアウトという一般的な方針に反しますので、改めるのが妥当でしょう。この方針に、ローカルルールを設ける理由もありませんし、その必要性もないと思われます。目次もついてるページですので、可続性を妨げることにもなりません。ルール通りにレイアウトの変更を行いたいと思います。なお、DIGITAL氏は、ページの長さについて言及されているようですが、もし、このページが長いとお思いでしたら、ご自身でログ化の作業をなさってみては如何でしょうか?私は、ログ化を行っている視点からも、指摘させて頂いているのですが…。--Tobey 2005年1月15日 (土) 04:20 (UTC)[返信]
▼去年から新しい項目が上に来るルールで進行しています。もちろんDIGITALさん以外の方も上に項目を立てて進行させてていましたが、Tobeyさんも特に異論をはさまず進行していました。ログが膨大という理由からノートの使用者が使いやすい形で進行することに問題ないでしょう。本文の編集もそうですが、Tobeyさんは我が強すぎるのではないでしょうか。Tobeyさんのログ化行為は、結論が出ていない部分も含まれているので問題だと思います。一旦中止してください。Zeek 2005年1月15日 (土) 13:54 (UTC)[返信]
- Zeek氏やDIGITAL氏が、何でも感情的に否定するのは、これまでの経緯から理解できなくもないのですが…。私は、明白なルールを提示して、それに従うことを呼びかけているのですから、なぜ、そのルールに反対するのかが解りません。私も、それまでは一番上に項目を作るようなことをしていましたが、それは、Wikipedia:ノートページ#一般的なノートページの書き方とレイアウトというルールの存在を知らなかったからです。このような明文化されたルールが存在する以上、ルールに従うのが、今後の混乱を避けるためにも必要でしょう。
- 現在、編集ルールについて議論が行われているようですが、結局、「ルールを守る」という基本的なことが出来ないのであれば、どのようなルールを作っても無意味ではないでしょうか?特にZeek氏は、決められたルールを守らない傾向があり、そのことが編集保護の原因にもなりました(Zeek氏がWikipedia:論争の解決に記されているルールを守らずに編集を強行したことが、編集保護の原因でした)。私としては、ルールの議論をする以前に、このようなルール遵守の精神の欠ける人の問題を解決するべきだと思われますし、そのことこそが、保護解除の合意形成となるものと考えています。--Tobey 2005年1月15日 (土) 22:58 (UTC)[返信]
▼昨年の12月からですが、サーバーが重いことや、ログが増えたことが理由だと思われますが上に新しい項目を立てる形で議論が進行しています(ちなみに、最初に上方向に項目を立てて議論を進めたのは私でもDIGITALさんでもありません)。
また、Tobeyさんも上に項目を立てたことを認めて、異議を申し立てずに議論に参加していますから、上方向に新しい項目を立てることはTobeyさんも了承していたものと思います。ご自身で了承されたルールを今頃になって問題視されるのは何故でしょうか?。大きな問題があるならば、上方向に項目が立てられた時に指摘するべきだったと思います。
今から項目の位置を変更すると、可読性の問題がありログが混乱しまします。全ての参加者が納得していた上方向に項目を立てることについて、今頃になって異議を申し立て編集を強要する行為はアラシ行為ですね。Tobeyさんはもう少し「協調する」ということを学ばれたほうがよいと思います。今後についてTobeyさんが項目を立てられる時に下方向に立てることについては何の問題もありません。またTobeyさんのログ化行為については、なんら合意を得たものではないので、一旦中止して下さい。Zeek 2005年1月16日 (日) 14:14 (UTC)[返信]
可読性に関しては、ルールが徹底されて以降の少しの間の問題です。サーバが重いことと、記述を上方向に進めることとの関連性はありません。Zeek氏があげている理由は、既存のルールを遵守しないという理由にならないと思われます。
ログに関しては、Wikipedia:投稿ブロック依頼 2004年12月#World,Peace,Doc,Peace及びK-OPTICOMの広域ブロック依頼において、Kzhr氏から指摘がなされていますし、他の場所でも指摘されていました。このような重いページをいつまでも残しておくことはサーバの負担となるでしょうから、ログ化はやむ得ないことです。私がログ化を行っている項目は、最後の発言から1か月以上たち、議論の内容が終了しているか、ほかの項目に受けつがれているかしているものです。グース氏の一存のみでログ化を行うなというのは、不適当だと思われます。
既存ルールを遵守する必要が無い、と仰るのでしたら、然るべき理由を説明する必要があると思われます。Zeek氏が、これまであげられた理由は、いずれも既存のルール内で解決可能なものです。--Tobey 2005年1月16日 (日) 17:51 (UTC)[返信]
資料のガイドライン
- 一般に流通した書籍、雑誌は、発行元や内容、絶版かどうかに関係なく資料として扱う。
- 私家版や自費出版本は国会図書館で内容が確認できれば資料として扱う。
以上に該当しないものは資料として扱わない。
記事作成のルール
- 資料にもとづいた正確な記事を作成する。ノートで要請があれば本文で出典を示す。
- 記述者の意見や資料分析などは論争の原因となるのでなるべく避ける。
- 記述者の意見、資料分析を本文にする場合はノートで合意を形成する。
- 資料にもとづく加筆はウィキペディアの精神から自由とするが、ノートで典拠となる資料の提示をすることが望ましい。(典拠資料が示されない時は削除対象となる場合がある)
削除のルール
- 典拠資料がある記事の削除は、中立性の観点から原則としてしない。
- 典拠資料がある記事の削除についてはノートでの合意形成が必要。
- 典拠が不明な記述は、記述者個人の意見、分析と判断されるので合意が形成されるまで本文としないこと。すでに本文となっている場合はノートで典拠の確認を行い、48時間以内に典拠が示されない場合は本文からコメントアウト、もしくは削除すること。
- 削除のルール第2項、第3項に該当しない削除やrevertは原則として行わない。
Tobeyさん、Tukasa ryoさんの反対意見について
[編集]以上の記述ルールについて合意が形成されました。このルールはウィキペディアのルールを具体的に説明したもので、管理者の方の意見を参考にしています。合意形成に反対しているTukasa ryoさんは、悪魔の証明を求めるウィキペディアのルールに違反する提案を行いましたが却下されました。こちらが問題点を指摘しても議論に応ぜず、同じ事を繰り返しているだけですのでこれ以上の議論は無意味と判断します。ウィキペディアのルールに賛同できない方は編集に参加する資格がないので、Tukasa ryoさんの合意は必要ないと判断します。
Tobeyさん、Tukasa ryoさんがウィキペディアのルールを理解できず、自分の思うがままの編集を行いたいのであれば、ウィキペディアの編集を行う資格はないものと判断します。これ以上保護解除の妨害をされることのないようにお願いします。DIGITAL 2005年1月13日 (木) 15:42 (UTC)[返信]
DIGITAL氏の削除のルールでは、既にある記述に対して、ただその記述を気に入らないから削除したいと考える者が、典拠に疑問有りと言い出すだけでその記述を削除してしまえます。ウィキペディアにあって失礼で非生産的と明言されている、意味のある記述を無根拠に削除するといった極めて非礼な行為に免罪符を与える物になると、明確な問題点を指摘しています。DIGITAL氏、それに対してのあなたのお答えは頂いておりません。勝手に合意に至っているといった勇み足でなく、合意にむけての誠実な対応をお願いいたします。--Tukasa ryo 2005年1月14日 (金) 14:07 (UTC)[返信]
保護処分の原因究明を理由としたTobeyさんの保護解除妨害について
[編集]すでに、多くのユーザーが保護処分の原因がTobeyさんあるという結論を出しています。この削除は間違いなくウィキペディアのルールに違反しています。[1]
今後の編集合戦はルールを守ることで防げますので、原因究明は保護解除を妨害する理由にはならないと思います。多くのウィキペディアの精神からも、不正確な記述のまま保護が継続するのは好ましくありません。
Tobeyさんは歴史辞典を学会の反応と論じたり、論理性と実証性を混同した記述を行うなど、あまりにも論述の基本ルールを知らないことが証明されています。論文を書くときに、学会の反応の典拠として「歴史辞典」をあげることはありえません。また論理性と実証性は学問の基本です。これを知らないということは教育水準が中学生のレベルであることを示しています。中学生でも小学生でも編集に参加することはできますが、間違いを指摘されたならば素直に応じて下さい。以上、まとめとして保護解除の依頼を出してみます。DIGITAL 2005年1月13日 (木) 16:05 (UTC)[返信]
- (コメント)私としては、このような冷静さの欠いた記述に反応するつもりはありません。DIGITAL氏が主張する「合意」というのは、ノート:南京大虐殺論争#Tukasa ryoさんの修正案の議論の経緯を追っていただければ理解していただけると思われます。なお、私はノート:南京大虐殺論争#ノートの使い方において、Wikipedeiaでの一般的なノートの記述方法を示しておいたのですが、DIGITAL氏は、このような簡単なルールを守ることが出来ないのでしょうか?48時間すればほとぼりも冷めるでしょうから、この項目と「長期にわたる本文保護について」を、ページの一番下(ログの除く)に移動しますのでご了承ください。--Tobey 2005年1月13日 (木) 18:22 (UTC)[返信]
- (コメント)Tobeyさんの判断で項目名の変更や項目の位置変更などを行うのは問題だと思います。一部の方がゴネていることでノートが膨大な量になってますから、可読性を考えると上にあっても問題ないでしょう。もちろんTobeyさんが項目を立てる時は下に立てて頂いて構いませんので。Zeek 2005年1月14日 (金) 12:25 (UTC)[返信]
- (コメント)言い争っても無駄だと思いますが…。私の指摘は、私の自身の判断ではなく、ノート:南京大虐殺論争#ノートの使い方に示されたWikipediaの方針に従っているまでです。誤解ないようにお願いします。--Tobey 2005年1月14日 (金) 12:45 (UTC)[返信]
まったく姑息なご都合主義に変化御座いませんな。Tobey氏に対する投稿ブロック依頼の隠蔽の為に そのような提案をされているのが誰の目にも明らかですな。自身に自身があるなら堂々とこれまでどおり 便宜上合意している事についてはイチャモンを付けないようにすべきでしょうな。 あなた自身都合のいい事は最上段に書いてきたわけですからな。そのままの態度を通されるならば 可哀想ですが私としてもあなたに対する投稿ブロックの投票での保留を賛成にさせて頂くしか御座いませんな。--Peace 2005年1月14日 (金) 16:05 (UTC)[返信]
ノートページの使い方については、Wikipedia:ノートページ#一般的なノートページの書き方とレイアウトをご覧ください。
- 下方向に進めましょう: 新しい発言が下に来るようにしましょう。新規の発言についても下に加えてください。
とあるように、新しい項目を作る場合は、ページの一番上に作らずに、ページの一番下に作るようにお願いします。ただし、現在、一番下はログを置いてあるので、その直上ということでお願いします。一番上に新しい項目を作ってしまっているケースを見かけた場合は、お手数ですが、一番下に移動するようにしてください。
また、ページの一番上の部分には、このノートページに記述する上で特に気をつけるべきWikipediaのルールを提示しようと思います。いずれも、今まで議論に挙がっているものですので、議論の参加者はこれをよく読み、ルールから逸脱しないように気を付けましょう。
- Wikipedia:基本方針とガイドライン
- Wikipedia:中立的な観点
- Wikipedia:個人攻撃はしない
- Wikipedia:ウィキペチケット
- Wikipedia:出典を明記する
- Wikipedia:ノートページ
- Wikipedia:ページの編集は大胆に
- Wikipedia:事実を確認する
- Wikipedia:論争のある記事に関するガイドライン
上記Tobey氏の自らの遍歴に対する反省と今後自らを律する決意の滲み出た投稿に敬意を表明したいと
存じます。是非ともルールを厳守され、二度と本文保護解除の妨害行為の無い様に期待しております。--Peace 2005年1月12日 (水) 23:40 (UTC)[返信]
論議に参加していない者が言うのもちょっと変ですが、項目によっては32キロバイトを大きく超えている物がありましたので小見出し化させて頂きました。32キロバイトを超えた場合、ブラウザによっては論議に参加出来ない方も出てきますので、見だし以降、長文化する様であれば小見出しを入れ、編集用のポイントを作ることをお勧めします。Miketsukunibito 2004年12月8日 (水) 01:11 (UTC)[返信]
現在、このページの議論が長くなっておりますので、議論が終わっているものをログ化していこうと思います。--Tobey 2004年12月29日 (水) 14:46 (UTC)[返信]
【論争の歴史の新設】ログ
議論期間(UTC)=2004年5月24日14:23~2004年11月25日 (木) 14:10
参加者=Tobey、Peace
要約=本文「論争の歴史」の新設告知、編集方針、「否定説について」を「事件の全容」に吸収させることへの問題提起
【主な見解の新設】ログ
議論期間(UTC)=2004年5月25日18:05~2004年11月25日 (木) 14:49
参加者=Tobey、Zeek、Peace
要約=本文「主な見解」の新設告知、編集方針、追加修正の予告、中立的な視点の確認
【主な論点の新設】ログ
議論期間(UTC)=2004年5月28日15:27~2004年11月25日 (木) 15:04
参加者=Tobey、Zeek、Peace
要約=本文「主な見解」の新設告知、編集方針、本文「論争の歴史」における松井日記問題について、中国側の虐殺数に上海戦以降の軍人の犠牲者が入っているという記述の根拠、東京裁判判決における南京大虐殺の地理的範囲、東京裁判の不当性
【東京裁判説】ログ
議論期間(UTC)=2004年8月30日 (月) 01:25~2004年9月17日 (金) 15:06
参加者=Poppy、矢刺幹人、Tobey
要約=東京裁判説をまとめて書くべきとの要請、「否定説」「肯定説」を「否定派」「肯定派」に変えるべきという提案、東京裁判説の別記事化の要請、南京大屠殺紀念館の見解の根拠とその性質に関する疑問、記事の中立性に対する疑問
【本宮ひろ志『国が燃える』】ログ
議論期間(UTC)=2004年10月5日 (火) 08:13~2004年11月25日 (木) 15:21
参加者=Tekken、Poppy、矢刺幹人、Peace
要約=「国が燃える」本宮ひろ志(週刊『ヤングジャンプ』)における南京大虐殺に関する議論の本文記事化の提案、その賛否意見
【外部リンクについて】ログ
議論期間(UTC)=2004年10月22日 (金) 16:21
参加者=Tobey
要約=本文「外部リンク」の新設告知、編集方針
【否定説と中間説の合併について】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月2日 (火) 03:37~2004年12月6日 (月) 18:01
参加者=Tobey、221.170.220.33、210.147.17.149、Zeek、202.246.252.97、Peace、Poppy
要約=本文「主な見解」における「中間説」を「否定説」に合併させるか否か、「小虐殺説」の新設、議論のログ化について、「主な見解」は東京裁判・南京大屠殺紀念館を基準として分類するべきか否か
【「主な見解」の修正】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月2日 (火) 04:04~2004年11月8日 (月) 16:30
参加者=Tobey、Zeek
要約=本文「主な見解」の修正(具体的な提案、修正者の能力・修正時期が不適当であるという指摘、類型について)、「主な見解」の全面的な修正案の提案、本文修正の可否、本文保護処置の原因
【その他】ログ
議論期間(UTC)=2004年10月15日 (金) 14:27~2004年10月20日 (水) 11:49
参加者=Poppy、210.237.85.2
要約=本文のコメントアウトとその理由、ログインしない書き込みに対する注意
【署名のない書き込み】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月25日 (木) 01:19 ~2004年11月28日 (日) 13:58
参加者=Poppy、Peace、61.205.94.166
要約=「捏造資料」の項目設置の提案とその是非
【学会の反応】ログ
議論期間(UTC)=2004年10月16日 (土) 00:51~2004年11月25日 (木) 15:50
参加者=Poppy、Anabis、NiKe、210.147.17.149、Tobey、Zeek 、202.246.252.97、矢刺幹人、Peace
要約=学会の反応に関連の無い記述の削除、「学会の反応」における「学会」とはどの「学会」かを明確にすべき、修正内容(「進歩的」→「ほとんどの」、「否定説を採る者」→「否定説を採る一部の者」)に関する疑問、否定説が受け入れられていないという記述の根拠提示要請、不明確な文章の削除要請、中立性の問題、学会の動向に関する根拠について(存否問題、提示された根拠が根拠となり得るか、教科書の記述、歴史事典の記述、日本「南京」学会について)
【編集のルール】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月16日 (火) 01:24~2004年11月26日 (金) 20:17
参加者=202.246.252.97、Tobey、61.205.94.135
要約=保護処置の原因について、編集ルールの提案、投稿者の資質について
【218.42.223.55氏の行動に関して】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月28日 (日) 14:52~2004年11月30日 (火) 05:39
参加者=Tobey、Peace、218.42.223.55、Poppy、Zeek
要約=悪戯行為・個人攻撃・侮蔑的記述について、IPユーザーとアカウントユーザーが同一であるかの確認、中立性に反する記述の指摘、南京大虐殺論争設置の経緯、編集保護について
【折衷案の提案について】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月29日 (月) 09:35~2004年12月1日 (水) 16:20
参加者=ぶらっくさん、DIGITAL、Poppy、61.205.94.247、Tobey、Peace
要約=折衷案(南京大虐殺論争の記事を否定説・肯定説に分ける)の提案とその是非
【否定説は非学術的だとする記述の是非と、その資料的根拠】
ログ
議論期間(UTC)=2004年11月25日 (木) 00:58~2004年12月5日 (日) 18:59
参加者=Tobey、Peace、Zeek 、Poppy、DIGITAL、61.205.94.201、Tomos、矢刺幹人
要約=編集保護の原因に関する事実関係の確認、編集保護の原因について、投稿ブロックに関して、否定説は非科学的であるという根拠について、「学会の反応」は必要ないという意見とその理由
【資料のない記述を認めるか】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月18日 (木) 01:31~2004年11月28日 (日) 21:36
参加者=202.246.252.97、Tobey、Poppy、Zeek 、Tomos
要約=編集ルールに関して(学説・史料以外は根拠とすべきか否か、中立的な観点に関して)、編集保護の原因に関して
【ルールに関する議論】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月16日 (火) 01:38~2004年11月17日 (水) 15:50
参加者=202.246.252.97、Tobey、Zeek
要約=編集ルールに関して
【本項「学会の反応」について】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月20日 (土) 06:39~2004年12月10日 (金) 12:41
参加者=Aboshi、Tobey、Poppy、Aphaia、矢刺幹人、218.130.208.110
要約=本項「学会の反応」の否定説の記述が曖昧かつ中傷に似ているという指摘とその是非
【「主な見解」の修正案について】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月6日 (土) 23:29~2004年11月28日 (日) 20:56
参加者=Zeek、Tobey、202.246.252.97、矢刺幹人、Poppy、200.79.91.5、Peace
要約=本文「主な見解」の具体的な修正案の提示、同最修正案の提示、学説分類について、編集保護の原因について、Wikipediaとして相応しい記述とは、Wikipediaの参加者の自覚を促す
【編集に参加するための心得(暫定ルール)】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月16日 (火) 01:24~2004年11月25日 (木) 14:54
参加者=202.246.252.97、Tobey
要約=編集にあたってのルール案
【Wikipedia:中立的な観点からの引用】ログ
議論期間(UTC)=
参加者=
要約=Wikipedia:中立的な観点からの引用
【折衷案】ログ
議論期間(UTC)=11:41 2004年5月22日~2004年12月1日 (水) 02:15
参加者=Poppy、pochicoco、Tobey
要約=ノートでの議論の整理ほか
【「学会の反応」の削除について】ログ
議論期間(UTC)=2004年12月7日 (火) 17:28~2004年12月9日 (木) 14:38
参加者=DIGITAL、Poppy、矢刺幹人、Zeek、Tobey、Snow steed、Peace
要約=本文項目「学会の反応」の削除の当否
【ページ冒頭での議論の禁止(読者利益のための早急に解決されるべき最優先課題を除く)】ログ
議論期間(UTC)=2004年12月3日 (金) 07:35~2004年12月10日 (金) 12:51
参加者=Tobey、Peace
要約=ページ冒頭での議論の禁止の呼びかけほか
【ウィキペディアの編集ルール】ログ
議論期間(UTC)=
参加者=
要約=編集に関するルールの抜粋
【冬休みの提案】ログ
議論期間(UTC)=2004年12月8日 (水) 04:43~2004年12月12日 (日) 03:45
参加者=Poppy、矢刺幹人、DIGITAL、Tobey、Peace、Zeek、Snow steed
要約=冬休み期間中の議論方法について
【Zeek氏とTobeyとの編集合戦の経緯と問題点】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月29日 (月) 03:11~2004年12月16日 (木) 01:39
参加者=Tobey、DIGITAL
要約=編集合戦の経緯と問題点について
【保護解除について】ログ
議論期間(UTC)=2004年11月8日 (月) 18:15~2004年12月13日 (月) 02:48
参加者=Zeek、Peace、利用者:218.42.223.25|218.42.223.25、Poppy、DIGITAL、Tobey、矢刺幹人
要約=保護解除の依頼について、定義文の変更の提案、本文編集方針について(参考ハイズビル事件)、保護原因について
【編集合戦の問題点について】ログ
議論期間(UTC)=2004年12月13日 (月) 02:39~2004年12月15日 (水) 23:38
参加者=Tobey、218.130.208.110、DIGITAL、Tukasa ryo、Neigh、Zeek
要約=編集合戦の原因について(議論は十分行われたか、非中立性を隠蔽しているか)
【総括】ログ
議論期間(UTC)=2004年12月12日 (日) 17:05~2004年12月16日 (木) 11:44
参加者=DIGITAL、NiKe、Tukasa ryo氏、Zeek、Neigh、Tobey
要約=保護解除に向けての合意形成議論のまとめ、否定説が学会に受け入れているか否か
【冬休みまでの保護解除のためのTobey氏がすべき最終的な確認】ログ
議論期間(UTC)=
参加者=Peace
要約=保護解除について
【護解除依頼のための最終的な確認】ログ
議論期間(UTC)=2004年12月17日 (金) 17:57~2004年12月21日 (火) 02:04
参加者=Tobey、Zeek、Tukasa ryo、Peace、61.205.94.223
要約=保護解除依頼について、保護原因の解決について
【保護解除を妨害するTobey さんの行為について】ログ
議論期間(UTC)=2004年12月18日 (土) 16:16~2004年12月21日 (火) 21:53
参加者=DIGITAL、Tobey、Tukasa ryo、Peace、Doc
要約=保護解除について、編集保護の原因について
参考文献「松井岩根大将『陣中日記』改竄の怪」(板倉由明)(「歴史と人物 1960年冬号」所収)
→これは、「1985年(昭和60年)冬号」の間違いですね。いくら編集保護中とはいえ、このくらいは直しておいた方がよろしいかと。
このページ、結構注目度が高いようですので、間違えて「1960年冬号」を買ってしまった方が出たら大変です。
Matunami 2005年1月27日 (木) 11:19 (UTC)[返信]
今更のこのこ出てきても肯定派の大量捏造も掲載していないんだから早く保護解除すべきだったんです。--61.205.94.153 2005年1月27日 (木) 15:45 (UTC)[返信]
ええと、私は、読者に迷惑をかけかねない明らかな間違いに気がつきましたので、それを指摘しただけなのですが・・・。私はとりあえずはこれ以上こちらに関わるつもりはありませんので、この指摘をどのように扱うかは、皆さんにお任せします。
しかし、61.205.94.153さんの文章も、何を言いたいのだか、日本語としてわかりにくいですね。こんな小さな指摘にいちいち噛み付かなくともいいでしょうに。「今更のこのこ出てきても」ということは、過去の参加者の一人が、名前を変えて出てきたわけでしょうか? この噛み付きぶりを見ると、こちらのノートが思い切り荒れている理由もわかるような気がしますね。
いずれにしても、61.205.94.153さんのコメントは全く無内容なものですし、この私のコメントもそれにお付き合いしただけの無内容なものです。異議がなければ、61.205.94.153さんのコメントとこの私のコメントは、削除することにしたいと思います。
Matunami 2005年1月29日 (土) 00:31 (UTC)[返信]
Matunami氏、有益な情報ありがとうございます。61.205.94.153氏の意見を削除する事により、また何かと議論を呼ぶ可能性もあるように思います。ご不快であるとは思いますが、削除はお待ちいただくようお願いいたします。--Tukasa ryo 2005年1月29日 (土) 02:15 (UTC)[返信]
削除する理由が無い。削除の繰り返しも抗議の一つで過ちをぶり返さぬように。 無関係なMiketsukunibitoとぶらっくさんコンビのよけいな干渉で残るのはTukasa ryo氏だけ だ。責任をもって間違いを訂正し南京大虐殺論争の事実のみを記述されん事を期待する。--Doc 2005年1月29日 (土) 07:29 (UTC)[返信]
誰のせいで無関係な自分らが関与せなアカンなったと・・・(汗--ぶらっくさん 2005年1月29日 (土) 09:08 (UTC)[返信]
ここの「ノート」、一体どうなっているんでしょうか?
私が行ったのは、「1960年」は「昭和60年」の間違いですよ、という、つまらない指摘。
それに対して「今更のこのこ出てきても」なんて悪態をつく人が出てくるわ、全く内容のないやりとりをしてしまったので削除しておきましょう、と提案したら、当事者でもないのに「削除する理由はない」なんて不思議なことを言い出す人はいるわ。
(私は、「残す理由がないし、スペースの無駄使いだから削除しましょう、と言っているんですけれどね。当事者の61.205.94.153さんからも異議はなかったようですし)
これでは、ここがまともな議論にならないのも当たり前。せめて、「悪態、中傷、罵倒の禁止」というルールは、作れないものですかね。これじゃあ、真面目な方は誰も議論に参加しなくなってしまいます。
Matunami 2005年1月29日 (土) 22:11 (UTC)[返信]
「今更のこのこ出てきても」の意味はよくわかる。そのような本文記述の間違いを正す必要があるから以前から保護解除を求めてきたのであり早々に解除に同意すべきものを、主要論客がほとんどブロックされた後での指摘では時期を逸している。ただそれでも過ちの指摘で有意義なものであるからMatunami氏の投稿も削除する必要は無いという意味である。またぶらっくさんが関与したのは誰のせいでもなく、氏が関与を行ないたいから干渉しただけのことである。--Doc 2005年1月30日 (日) 06:33 (UTC)[返信]
↑の方はブロック措置を受けました。以上でこのノートに参加していた連中はほぼ全員が投稿ブロックを受けましたので、今後はまともに会話できると思います。--ぶらっくさん 2005年1月30日 (日) 07:43 (UTC)[返信]
小さな指摘をひとつしただけで、わけのわからない話に巻き込まれてはたまりません。「ブロック措置」は、妥当だと考えます。ご苦労様でした。Matunami 2005年1月30日 (日) 08:41 (UTC)[返信]
Doc 2005年1月30日 (日) 06:33 (UTC)そのとおり、異議なし。[返信]
(上の書き込みは2005年1月30日 (日) 10:10 (UTC)に218.42.223.31氏が行った編集です。Docさんがログインして編集したものではありません -- NiKe 2005年1月30日 (日) 10:37 (UTC))[返信]
- すぐ上の署名そのまんまですね。ちなみに218.42.223.31もeonetですね。しるふぃ(おはなし)2005年1月30日 (日) 10:43 (UTC)[返信]
もうホストブロックかけて、Wikiから永久にお引取り願ったほうがエエんじゃないんですかね?コレ--ぶらっくさん 2005年1月30日 (日) 10:46 (UTC)[返信]
第三者から言わせてもらうと、嫌気さして仲介に入った者も結局は同じなんだよな。 おまえらみんなストーカー並み~--Bra 2005年1月31日 (月) 10:43 (UTC)[返信]
”はじめまして。”Braサン。 そういうアンタもココに書いてる時点で。同類。--ぶらっくさん 2005年1月31日 (月) 13:47 (UTC)[返信]
- 上の議論は保存されたものです。編集しないでください。新たな議論はノート:南京大虐殺論争で行ってください。