ノート:南京事件論争/過去ログ5
事件の存否については議論になっていませんよね?
[編集]記事の冒頭に、
南京大虐殺論争(なんきんだいぎゃくさつろんそう)とは、1937年(昭和12年)から始まった日中戦争(支那事変)初期に南京事件があったとされる件に関して、事件の存否、規模などを論点とした論争である。
とありますが、記事を読んでみても、論点になっているのは規模とその裏付け資料の信憑性についてであって、事件の存否については論点になっていませんよね?! そもそも、「なかった」ことを証明するのは、「あった」ことを証明するよりもずっと難しいと思います。 なにしろ、「あった」ことをいうには1件でもあったことを証明すればよいのですが、「なかった」ことを証明するには、全ての「あった」という証明に対して反証しなくてはならないのですから。 南京事件は証人が多い(加害者、被害者のほかに、戦闘中も南京市内にとどまった外国人が証人になった)事件ですので、「あった」ことを否定するのは難しいと思いますが、いかがでしょうか。 ご異見なければ(「なかった」ことを証明していただけないのであれば)、記事の内容と合致するよう、2014年3月3日17:00以降、下記のように修正したいと思います。 また「あったとされる」という言い方は、まるで事件が本当はなかったかのような誤解を与えかねない表現なので、あわせて修正します。 また「支那事変」は戦前の呼称であり、「支那」という呼び方は中国人に対して不快感を与える言い方で失礼ですし、現代の日本では一般的な言い方ではないので、削除します。 (そういう呼び方もしていた、的な説明が、日中戦争のトピックにあるので、ここで書く必要はないと思います。)
記
南京大虐殺論争(なんきんだいぎゃくさつろんそう)とは、日中戦争中の1937年(昭和12年)12月に起きた南京事件(南京大虐殺事件)に関して、事件の規模などを論点とした論争である。
以上Aburakass(会話) 2014年2月28日 (金) 15:47 (UTC)
その文章には出典が付与されていますので、ご確認ください。--さんぽーる(会話) 2014年3月2日 (日) 13:32 (UTC) 失礼しました。出典は続く文章でした。--さんぽーる(会話) 2014年3月2日 (日) 13:34 (UTC)- 反対 中国共産党の公式見解であるところの「南京大屠殺」の真偽(あったかなかったか)が現実に論点となっているのですから、正しく記述しておくべきでしょう。ここでいう「あった」とは「南京軍事法廷の結論である30万人虐殺=南京大屠殺があった」であり、「なかった」とは「多分にプロパガンダでありそのようなものはなかった」という論点です。これは東京裁判でパール判事が批判した「南京でなんらかの暴虐行為がなされたという点を弁護側は否定しているのではなく、その論じられていることの多くが誇大に表現されており実態を表していないと抗弁しているにすぎない(云々)」という意見に象徴される立場に立つものです。参考ノート:南京事件 (1937年)#「南京大虐殺」とも呼ばれ、その真偽や程度などが論議されている--大和屋敷(会話) 2014年3月2日 (日) 14:18 (UTC)
- 賛成 「真偽」についてはー「あった」こと自体はー日中政府間の合意に基づく「日中有識者による歴史共同研究」により決着済みで、歴史学の分野ではあるなしは論争されていないため(なかったと思いたい人達はさまざまに言い募っておられますが)、ウィキペディアとしては歴史学の立場から、その点を明確にすべきです。日中歴史共同研究報告書(事務局:日本国際問題研究所、中国社会科学院近代史研究所。2010年)、中国人研究者の報告書における「南京大虐殺」の節から引用します:
本軍は後方支援の準備が不十分で、捕虜の数が多すぎるために安全面を憂慮し、いくつかの部隊で「基本的に捕虜政策を実施せず」、大量の中国軍人が捕虜になった後、日本軍に集団で虐殺された。(中略)南京を攻略した後も、日本軍は相変わらず捕虜をまとめて虐殺しつづけた。第13師団の山田支隊は日本軍の入城式の前日、揚子江沿いの幕府山の麓で数回に分けて約2万人を虐殺した。現在発見されている日本軍の南京戦闘詳報においては、その戦果として具体的な殲滅人数はほとんど列挙されているものの、捕虜の人数はほとんど記載されていない。日本軍が南京戦で、上から下まで捕虜の虐殺政策を徹底的におこなったことは間違いない。—栄維木、第二部第二章 日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争、日中歴史共同研究報告書・翻訳 2010年
- 上記「捕虜」の虐殺に続いて、「敗残兵」と「民間人」の殺害について記述されていますが、長くなるので省略します。--miya(会話) 2014年3月2日 (日) 16:04 (UTC)一部、記述を修正、上の引用が中国側報告書の翻訳であることを明記しました。--miya(会話) 2014年3月2日 (日) 16:58 (UTC)
- (追記)日本人研究者の報告書は、外務省サイト検索で見つけられなかったので、立命館大学のサイト日中歴史共同研究における南京大虐殺(27-28頁)で参照しました。中国側報告書よりはるかに抑えた書き方ですが、それでも
日本軍による虐殺行為の犠牲者数は,極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井司令官に対する判決文では10万人以上),1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ,中国の見解は後者の判決に依拠している。一方,日本側の研究では20万人を上限として,4万人,2万人など様々な推計がなされている。—波多野澄雄・庄司潤一郎、第2部第2章日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦、日中歴史共同研究報告書 2010年
- と、日本側報告書でも「2万人」が最小であることにご留意ください。--miya(会話) 2014年3月2日 (日) 16:58 (UTC)
- 肝心の「決着済み」という意見がmiya氏の独自研究なので議論に成りません。「決着済み」と確認できる外部の信頼できる情報源を持ち寄ってください。また特定の研究者の見解をもって結論とみなすのは中立性の観点から問題があります。以上2点。--大和屋敷(会話) 2014年3月2日 (日) 22:15 (UTC)
さんぽーるさん、Miyaさん、大和屋敷さん、ご意見どうもありがとうございます。大和屋敷さんのご意見は、「中国共産党の公式見解」における「その論じられていることの多くが誇大に表現されており実態を表していない」点が論点になっていて、だから「事件の存否」について論点が存在する、という論理展開かと思いますが、前段と後段がつながる、という日本語の解釈はおかしい、そう読めない、というのが私の意見であり、前に同じことを指摘した方のご意見だと思います。 この記事の冒頭の文章を読んだときの一般的な日本語の解釈は、 「事件の存否」=パール判事が否定していないところの「南京でなんらかの暴虐行為がなされたという点」であり、 「事件の規模など」=「その論じられていることの多くが誇大に表現されており実態を表していない」点 になると思います。今の記事は読む人に「南京でなんらかの暴虐行為がなされたという点」が論点になっている、という誤解を与えます。しかし記事の中ではその論点は議論されていません。大和屋敷さんも「パール判事と同じ立場」と言及されてますので、「南京でなんらかの暴虐行為がなされたという点」は論点にされておらず、日本語の問題かなと思っておりますが、そうではなくて、故意にそう誤解させようとしているのであれば、それは悪質だと思います。
したがって原案どおり「事実の存否」は削除したいと思いますが、大和屋敷さんの問題意識はお察ししますので、「事件の規模など(およびそれが誇大に表現されている場合があること)が論点となっている」のように修正してはいかがでしょうか。そう書いておけば、中国の人も余計な誤解はせずに済んで、多少は意思疎通が図りやすくなると思います。この点については更にご意見をお待ちします(3月7日17:00目処に修正)。 特段ご意見なかった点(「あったとされる」という表現と「支那事変」)は修正します。Aburakass(会話) 2014年3月3日 (月) 18:56 (UTC)
"日中政府間の合意に基づく「日中有識者による歴史共同研究」"が全てだとしてしまうのは、間違ったアプローチだと思います。政治・政府の歴史への介入を危惧されている (多分)Aburakassさんならお分かりのはずだと思っていました。「存否」の件はそれほど難しい問題ではなくて、論点になっているのは「事件の存否」ではなく「虐殺の存否」なのです。例えば、「否定派」(新マボロシ派)の「代表選手」の一人である東中野氏は「私自身に南京事件を否定しようという意図は全くありません」と言っています (「本 著者に聞く〜東中野修道氏[亜細亜大学教授]証拠写真は1枚もない」『日経ビジネス』第1279号、2005年2月14日、83頁。) しかし、虐殺については無かったといっています。ちょっと大ざっぱな言い方をすれば、便衣兵や捕虜の殺害はあったけれども不法殺害ではないし、不法殺害でない以上、それらは虐殺ではないよっと言っているのです。Takabeg(会話) 2015年7月14日 (火) 14:17 (UTC)
2行目の引用内容は
[編集]論争は日中関係を背景に政治的な影響を受け続けた[1]。 1^秦郁彦 2007, p. 184
としていますが、引用元の資料を参照したところ、「南京事件は東京裁判いらい日中関係の変転を背景に、歴史学の対象としてよりも政治的イシューとして扱われる不幸な運命を担ってきた。それにマスコミの煽情主義と商業主義がからんで、混乱をさらに深めた観がある。別に「南京事件論争史」とでもいうべきジャンルをまとめる必要があるのかもしれない。」となっていました。記事は、原文そのままの引用ではないし、また引用元に「論争が政治的な影響を受けた」と書いてあるわけでもありません。「南京事件は歴史学の対象としてよりも政治的な問題として扱われてきた」くらいならわかりますが、この文章は解釈の域を逸脱していると思います。更に、記事のこれに続く文章は秦2007には準拠していないので、この一文は削除しようと思います。支障ありましたら、3月7日17:00までにご意見ください。Aburakass(会話) 2014年3月3日 (月) 19:18 (UTC)
- ご紹介いただいた引用元と本文についてですが、削除には反対します。Aburakassさんが原文引用にこだわるようでしたら、「南京事件は東京裁判以降、日中関係を背景に、歴史学の対象としてよりも政治的イシューとして扱われてきたという指摘もある[1]」と変更したらいかがでしょうか。日中関係と南京事件の歴史認識論争との関係は他の文献でも確認できることです。--さんぽーる(会話) 2014年3月4日 (火) 10:07 (UTC)
さんぽーるさん、ご意見ありがとうございます。もとの引用文を読んで私が最初に思ったのは、秦が「南京事件=政治的問題、南京事件≠歴史学上の問題」としているのに引用文が「政治的問題 が 南京事件 に 影響した」と書いているのはおかしい、ということだったのですが、ご指摘いただいて秦の本を読み返してみたところ、どうもそういうことを言いたいわけでもなさそうだということが分かりました。しかし秦がこの一文で何を言いたいのか、私にははっきりと理解できませんし、秦の著書のこの一文に続く文章を読んでも、あまりこの一文とはつながってこないように感じました。だから明確化のためは、秦の文章を引用せずに南京大虐殺論争の何たるかを説明した方がいいと思っています。ただしかしもとの引用文よりは正確に引用した方がいいと思うので、とりあえずご指摘の路線で修正しておきます。Aburakass(会話) 2014年3月7日 (金) 14:22 (UTC)
- 歴史学での議論というよりも、日中外交等を背景にした政治的な議論の議題となってきたということが云われてるのでは。論争の場所が歴史学内部の議論に限定されたものではないということは冒頭に前置きとしてある方が親切であると思います。冒頭で誰の見解かを書くと見通しが悪くので編集しました。また、この文は論争の内容よりも、論争の背景、文脈についての説明であるので、冒頭文の最後に位置を変えました。--さんぽーる(会話) 2014年3月8日 (土) 22:53 (UTC)
さんぽーるさんへ。さんぽーるさんが「~と云われているのでは}と書いておられることからわかるのは、それが秦の二次資料に対する解釈であるということです。確かに最初の一文を読むと日中の外交問題が影響していて・・・と読めますが、それに続く文章で説明されているのは、「南京大虐殺のまぼろし」は表題は「事件の存否」を問うているようだが読んでみたら否定しているのは「百人斬り競争」のことくらいで大筋事実関係は認めていて、内容と表題が一致していないのが混乱のもと、みたいな内容です。それは、外交問題というような大げさなことではなくて、ただ「南京大虐殺のまぼろし」が出版物としての誠実さを欠いているから議論になっている(おおげさな表題が反発を招いているが、中身は総論賛成)ということですよね。だから、秦の最初の一文は、あとに続く文章の内容と合致していないし、何がいいたいのかよく分からない、とそういう風に私は解釈しました。ただしかし、最初の一文だけを読めばさんぽーるさんのように解釈されることも理解できます。結局原因はあいまいさを含んでいる秦の文章にあり、二次資料に対する解釈は独自研究とみなされるので、wikipediaにおける掲載は適切ではありません。解釈を必要とするような文章を根拠にしなければ問題ない話なので、一文を削除する、というのがもとの私のスタンスです。出典を不明確にするのは検証可能性の観点で問題がありますので、「そのまま引用」が適切でないようなので、一文を削除したいと思います。(3行目とあわせて修正予定)Aburakass(会話) 2014年3月10日 (月) 13:41 (UTC)
自己レス失礼します。いったん削除してみたのですが、記事の2.論争史の部分は秦2007によっているところがあるので、やっぱり復元しておきます。Aburakass(会話) 2014年3月10日 (月) 14:56 (UTC)
- まず、『南京大虐殺のまぼろし』や「事件の存否」の問題は本件の議題ではありません。よって「外交問題というような大げさなことではなくて、ただ「南京大虐殺のまぼろし」が出版物としての誠実さを欠いているから議論になっている」というあなたの「解釈」に同意を求められても困ります。南京事件論争についてはその事実認定について議論が継続していますし、例えば「虐殺数」の問題に矮小化することはできないし、中国政府と日本政府・両国マスメディアで周期的に論争、外交上の争点になっていることは否定できない事実です。この論争が歴史学内部に限定されていない、ということはご理解いただけませんでしょうか?
- 一次資料、二次資料の問題については資料記事にも説明がありますが、井戸端でも過去に幾度か議論になっています。例えば、Wikipedia:井戸端/subj/「一次資料」にもとづいて書く?など。井戸端で検索して過去の議論をご覧になってはいかがでしょうか、また井戸端で相談されてもいいと思います。それから、Wikipedia:検証可能性には「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が明記されています。簡単にいいますと、秦の著書にせよ他の著書にせよ、引用の要件を満たすならば、wikipediaにおいてはいわば一次資料です。一次資料を独自解釈で記載することよりも、研究論文などの二次資料の方がwikipediaへの記載にあたっては有効です。したがって、あなたの「二次資料に対する解釈は独自研究とみなされるので、wikipediaにおける掲載は適切ではありません。」という言明は間違っています。あなたのスタンスからの「正しい研究」を記載するのはいいのですが、あなたが「間違っている」と考える研究について「間違っている」ことを理由に削除するのはWP:NPVに抵触します。
- また、冒頭であなたが考える「正しい研究」を披露させた編集をなさっていますが、これに対しては直ちにWP:NPVから、他の見解を列挙していくことになりますので、それを避けるには、本文に移動なさるべきです。もしあなたが秦を出典とした「歴史学よりも政治的イシューとして扱われてきた」という文章が、WP:NPVから冒頭にあるとおかしいと考えるのであれば、それも本文のどこかに移動されてはいかがでしょう。--さんぽーる(会話) 2014年3月10日 (月) 17:01 (UTC)
さんぽーるさんへ
- 私は、秦の著作に関する私の解釈に同意を求めているのではなく、秦の著作の中の一文を冒頭に記載して、論争の内容を一文で表すものとみなす、という解釈に反対しています。「「南京大虐殺のまぼろし」を読んでみたら、南京大虐殺は否定していなかった、事件の一部の事実の存否を争ってるだけだった」というのは、秦の著書に書いてあることで、解釈というほどのことではありません。私が解釈したのは、「秦は、冒頭では「南京大虐殺は、歴史上の問題ではなく、外交上の問題として取り扱われてきた。」と書いているが、それに続く文章では「論争になっているのは本の表紙と中身が一致していないからだ」といっている。最初の一文と、それに続く一文の関係性がよく理解できない。論争の内容を適切に言い表しているのかどうか、秦の著作を読んでも明確に分からない」ということです。これは、「秦の一文は、一文で論争の内容を的確に言い表している」という独自解釈に対する反論です。
- 私が「二次資料」として言及しているものは「一次資料」だ、とのご指摘は不正確だと思います。「一次資料を解釈したものが二次資料である。中立性を持っていて、信頼性のおける出版元から出版されている二次資料は検証可能性をみたすので根拠とすることができる」ということではないでしょうか。二次資料はあくまで一次資料を解釈したものであり、一次資料ではありません。そして、一次資料に対する独自の解釈も、二次資料に対する独自の解釈も、独自研究であることには変わりありません。したがって、「二次資料に対する解釈は独自研究とみなされるので、wikipediaにおける掲載は適切ではありません。」という私の言明は間違っていない、と考えます。
- 私は「「虐殺数」の問題に矮小化」しているのではなく、「虐殺数」に関する論争しかなされていないのに、最初の一文にだけ「事実の存否が論点になっている」と書くのは事実誤認でなければ悪質な行為だ、と指摘したものです。
- 「冒頭であなたが考える「正しい研究」を披露させた編集をなさって」いるとお書きいただきましたが、私はもともと書いてあった文章が記事の内容とそぐわなかった点、もともと書いてあった引用文が、原文どおりでなかった点を修正しただけです。さておき、「他の見解を列挙する」にあたっては、この記事の厳格な運営ルールに従って、事前に変更内容についてノートで議論していただきますよう、よろしくお願いいたします。Aburakass(会話) 2014年3月12日 (水) 17:44 (UTC)
- 既に申し上げておりますが、引用が不適当であれば引用を厳密にしたり、また、冒頭の位置が問題であっても同様に削除に頼らず解決できるでしょう。あなたが原文を理解できないのであれば、それはあなたが解決なさるべきです。一次二次資料については、あなたの解釈も一解釈(独自解釈)ということです。しかし互いに「独自解釈」だと主張すると議論は解決しません。引用に基づく本文が的確かどうかでいえば、私の文案で私は十分だと思いますが、本件が外交問題となっている指摘については他の出典を含めていずれ補いましょう。
- また「もともと書いてあった引用文が、原文どおりでなかった点を修正しただけ」というあなたの編集も冒頭の説明としては不親切です。研究者や出典の詳細を書きたいなら冒頭でなく本文でスペースをきちんととって記載すれば解決します。また、あなたは他の編集者の編集については「事前に変更内容についてノートで議論」を要求なさっていますが、他の編集者からの反論が出されていることに対しては例外的に扱えというような編集態度は独断的で不適切です。--さんぽーる(会話) 2014年3月13日 (木) 13:12 (UTC)
さんぽーるさんへ
- ご指摘のとおり、引用が不適当であったから、引用を厳密にしました。
- 原文を理解できないのは自分の理解力のせいもあるかもしれないと思い、秦の一文の削除は取り消しました。
- 出典については冒頭に詳細を書くつもりはないので脚注に飛ばしています。
- 本文中には冒頭の文章は出てこないので、本文中にスペースをとって記載する、という解決方法は想定していませんし、出典の詳細は本文中ではなく脚注に記したほうがいいと思います。
今の版ではまた削除されていますが、これは私がやったことではありませんので、復元しておきます。
さんぽーるさんへ
- いま復元していたら、削除されたのはさんぽーるさんでしたね。
- 冒頭の一文で、「規模、犠牲者数」と追記いただきましたが、「規模」は冒頭の一文に関して大和屋敷さんからパール判事の発言についての言及があったため、それに依拠して記したもので「犠牲者数」と同義です。ただ「規模」というのもあまり分かりやすい表現ではないと思いますので、カッコ書きを付しました。Aburakass(会話) 2014年3月15日 (土) 16:27 (UTC)
- 議論が終了していないのに差し戻しをするのはやめてください。編集合戦を誘発するだけです。あなたの編集に異議があるので、合意形成の努力をなさってください。--さんぽーる(会話) 2014年3月15日 (土) 16:30 (UTC)
- 引用の明確化、削除の件は了解しました。しかし、「出典については冒頭に詳細を書くつもりはないので脚注に飛ばしています」という言明は、私の異議を理解されていないことの現れです。また、脚注に飛ばすとはどの編集のことを指しているのですか?「解決方法は想定していません」ではなく、冒頭でやたらと各論を紹介していくときりがないので、本文で書きましょうという提案です。また、規模、犠牲者数の件には異論なしです。--さんぽーる(会話) 2014年3月15日 (土) 16:34 (UTC)
- 削除とは?私の編集をみていないのですね。まず、あなたにおかれましては他の編集者の見解と、編集内容を査読されるようお願いします。私は削除してません。本文内に移動したのです。--さんぽーる(会話) 2014年3月15日 (土) 16:46 (UTC)
- 履歴を閲覧されればご理解いただけると思いますが、2010年の共同研究云々は「主な論点」の冒頭に、秦の見解については「論争に対する評価」に移動しました。--さんぽーる(会話) 2014年3月15日 (土) 16:49 (UTC)
さんぽーるさんへ
- 私は、あなたの編集を見たと思います。見た上で、さんぽーるさんが、私が議論を経て修正した状態から、「冒頭の文章を削除した上で、本文に追記する」という変更を議論なしに行った、と判断しました。上記で初めて「削除してない、本文に移動した」と言及されていますが、ここで言及する前には議論を提起しておられなかったと思います。文章も推敲されていなくて、また「歴史学者で南京事件研究も刊行している」と突っ込みどころの多い記載をされていますが、こうした記載についてノートで意見を求めた履歴はありませんよね?
- 他にも見出しや構成の変更を、ノートで断り書きした上で実施したのに取り消されたのは納得できません。さんぽーるさんからは(他の方からも)何もご意見はいただいていないと思います。
- 規模=犠牲者数だからカッコ書きにすると言明した点についても無視されています。
- 「冒頭でやたらと各論を紹介していくときりがない」とありますが、紹介した「論」は私が編集する前から2つであり、私が編集した後も2つで、全く増えていないので、「きりがない」というご指摘はあたらないと思います。
- さんぽーるさんは「研究者や出典の詳細を書きたいなら冒頭でなく本文でスペースをきちんととって記載すれば」とされていますが、私は、「研究者や出典の詳細など書いていない、最低限のことしか書いていない、詳細は(もともとあった)脚注を参照するようにしている(=飛ばしている)。と言明しています。また本文に記載を追加することは、冒頭の文章を削除する理由になりません(冒頭の一文は概要だから、本文と重複があっても支障ないと思います)。それに、仮に冒頭で主体を明らかにしないのが正当だったとしても(それは検証可能性の観点からよくないと思っていますが)、そのことが引用文の内容を私が修正する前の内容に差し戻す理由にはなりません(修正前の引用文の内容は、不正確なため)。
議論を経るまでは私が編集した後の版が最終版ですから、勝手にページを編集しないようにして、もし何かご不満な点がありましたら、ノートで問題提起してください。Aburakass(会話) 2014年3月15日 (土) 18:47 (UTC)
- あなたは順序を間違っています。あなたのこの編集に異議があるのですから、この編集を合意なく強行されないでください。冒頭の概要が必要最小限であるべきことはご了解いただけませんか?誰が〜といっている。を冒頭から書いてしまうと、文章の見通しが非常に悪く、閲覧するうえでも不自然です。--さんぽーる(会話) 2014年3月15日 (土) 22:58 (UTC)
さんぽーるさんへ
- 順序は間違っていません。私は、冒頭の引用文を原文に近くなるよう修正しただけ。しかも修正することはノートで問題提起済。冒頭の文章を削除して、本文に移したのはさんぽーるさん。そのとき勝手に文言もなおした。そのことについてノートで問題提起もしていない。
- 「異議がある」とおっしゃいますが、さんぽーるさんは最初「じゃあ自分の責任で秦の文章をそのまま引用すれば」というお立場でしたよね?そこから逸脱したつもりは全くありません。しかも、さんぽーるさんの文章はいくらなおしても、原文どおりに書くことができていませんね。なぜ原文をそのまま書き写すことができないのですか?何か、意図的に原文をねじ曲げたいのですか?
- 私が修正する際にはノートへの編集を求めるのに、なぜさんぽーるさんはノートで編集を提起せずに修正することが可能なのか。それは片務的ではありませんか?
しかも、この議論と無関係な私の修正まで取り消している。それはこの記事を専横している、といわれてもしょうがないことだと思うのですが、違いますか?あなたはいったい、何様ですか?
(もともと私が書いた文章ではありませんが)そんなに冒頭に書くのがいやなら、消して差し上げます。 これで「さんぽーる」さんがコミットしていた議論は解決済みですね。Aburakass(会話) 2014年3月16日 (日) 10:22 (UTC)
- 非難する前に、他人の異議を理解するよう努力してください。悪口や非難は不要です。私の異議は、冒頭で情報の詳細を書き始めると収拾がつかなくなる、と繰り返しいっています。それは大和屋敷さんも指摘されています。冒頭の件は本文への移動ということで終了です。秦については復帰しておきます。--さんぽーる(会話) 2014年3月16日 (日) 14:41 (UTC)
3月7日17:00はとうに過ぎてしまいましたが (何故4日程度で締め切ったのかは分かりませんが)、コメントします。2行目にあるのは唐突の感は免れられないような気もしますが、"秦郁彦は「○○○」と指摘している"とより正確な形で書けばいいのではないでしょうか? Takabeg(会話) 2015年7月14日 (火) 12:18 (UTC)
1 主な論点の見出しと構成の修正
[編集]「1 主な論点」の見出しと構成に関して、下記のとおり修正したいと考えています。
- 1. 「主な論点」は「犠牲者数」とあらためる
- 1.1 「虐殺数」は「犠牲者数に関する諸説」とあらためる
- 1.2 「主な論点」は「『虐殺』(不法殺害)の定義」とあらためる
- 「1.6 史料批判」以下 は、「2. その他の論点」の節(2.1~)とする
理由は、構成に関しては、論点を明らかにする上で、「事件の規模」と「その他」(資料や証言の信憑性の受け皿)に分けたほうが分かりやすいと思うこと、 見出しに関しては、内容と見出しが一致するようにしたほうがよいと思うこと、です。特に、「1.主な論点」の中の1つの節が「1.2主な論点」という見出しになっている点はおかしく感じます。特段ご異見なければ、3月12日17:00をめどに修正したいと思います。
また、「 1.12 強姦被害者の存否について」の記述(妊娠したことが証明されなければ強姦されたことの証明にならない、等)は、人道的な観点から問題があると思います。既に要出典が付されていますが、信憑性が疑わしく、かつ非常に有害な場合の対応は即刻削除で差し支えないというきまりですので、削除します。#晒しておくと、日本人の品格が疑われると思います。
コメント 上記の提案に関しては無効です。まず、署名がなされていないため、提案者や提案時刻が不明であり、議論対象者が不明のままでは議論になりません。Wikipedia:署名のルールに違反していますので、上記編集はいったん取り消さざるをえません。この提案をされたい方は、署名を添付した上で再度ご提案ください。--Husa(会話) 2014年3月27日 (木) 04:21 (UTC)
「1 主な論点」の見出しと構成に関して、下記のとおり修正したいと考えています。
- 1. 「主な論点」は「犠牲者数」とあらためる
- 1.1 「虐殺数」は「犠牲者数に関する諸説」とあらためる
- 1.2 「主な論点」は「『虐殺』(不法殺害)の定義」とあらためる
- 「1.6 史料批判」以下 は、「2. その他の論点」の節(2.1~)とする
理由は、構成に関しては、論点を明らかにする上で、「事件の規模」と「その他」(資料や証言の信憑性の受け皿)に分けたほうが分かりやすいと思うこと、 見出しに関しては、内容と見出しが一致するようにしたほうがよいと思うこと、です。特に、「1.主な論点」の中の1つの節が「1.2主な論点」という見出しになっている点はおかしく感じます。特段ご異見なければ、3月12日17:00をめどに修正したいと思います。
また、「 1.12 強姦被害者の存否について」の記述(妊娠したことが証明されなければ強姦されたことの証明にならない、等)は、人道的な観点から問題があると思います。既に要出典が付されていますが、信憑性が疑わしく、かつ非常に有害な場合の対応は即刻削除で差し支えないというきまりですので、削除します。#晒しておくと、日本人の品格が疑われると思います。Aburakass(会話) 2014年3月27日 (木) 13:01 (UTC)
- 一方的に編集宣言をされて、合意形成のないままに強硬に編集されることは、おやめください。WikipediaはAburakass氏の独自研究の発表の場ではありません。コミュニティーの合意に基づいた編集をなさってください。上記に関連した強硬編集は明らかに合意形成が認められません。また、編集合戦も当然にWikipediaに負担をかける行為ですので、リバートの繰り返しもおやめください。忠告を受け入れずに、強硬編集やリバートを繰り返されると、ブロックの対象になりますので、お気をつけください。--Husa(会話) 2014年3月27日 (木) 16:20 (UTC)
- 見出しの再構成は必要だと感じています、が資料や論者によって、加害者を明示していなかったり、犠牲者数だったり死者数だったり、まちまちなので、簡単ではないのですよね。範囲や期間までまちまちですし、単純に比較するのもどうかなぁとも思いますが、それは研究者たちのせいですよね。それぞれの研究者が主張している「数」については「虐殺行為の犠牲者数」だけカウントして、それ以外は脚注で処理すればいいような気がしています。いずれにしても、内容を加筆しつつ、考えていきましょう。まずは論者全員の「計算式」を明示させるのが得策ではないかと思います。Takabeg(会話) 2015年7月14日 (火) 12:28 (UTC)
「1.犠牲者数」直下の一文をコメントアウトします
[編集]「1.犠牲者数」の直下にある
- 当時の上海軍は、南京防御線攻撃より南京城完全攻略にいたる間、我が方戦死八百、戦傷四千、敵方遺棄死体八万四千、捕虜一万五百、鹵獲品小銃十二万九百・・・であったと発表している[3]。
という一文については、前後の文章とのつながりがないように思いますので、記載した方、適切な位置に移動願えませんでしょうか。3月19日17:00までに修正いただけないようでしたら、コメントアウトしておきます。Aburakass(会話) 2014年3月15日 (土) 16:44 (UTC)
2014年3月19日 (水) 16:57 大和屋敷さんの編集で1.の冒頭に記載位置が変更され、
当時の上海派遣軍は、南京防御線攻撃より南京城完全攻略にいたる間、我が方戦死八百、戦傷四千、敵方遺棄死体八万四千、捕虜一万五百、鹵獲品小銃十二万九百・・・であったと発表している[1]。 これにつき、2010年1月に発表された第1期日中歴史共同研究の報告書の中で、 波多野・ 庄司は、・・・
となっていますが、波多野・庄司の文章は全然「これにつき」述べたものではありません。大和屋敷さんの編集はでたらめで、編集者というよりは編集を妨害しているだけのように感じます。波多野・庄司を少し前から引用すると、
中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では 20 万人以上(松井司令官に対する判決文では 10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では 30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では 20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている 24 。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している 25 。 24 秦郁彦『南京事件』中央公論社、2007 年増補版、317-19 頁。 25 日本で刊行された最も包括的な資料集は、南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集Ⅰ、Ⅱ』(増補改訂版、偕行社、1993 年)であり、第 16 師団長・中村今朝吾の日記、上海派遣軍参謀長・飯沼守の日記、歩兵第 30 旅団長・佐々木到一の手記、中支那方面軍司令官・松井石根の陣中日記などを収めている。
となっています。問題にしている文章は、文面どおりに読めば犠牲者数は4万人以上10万人未満になると考えますので、見出しを追加して場所を移しておきます。Aburakass(会話) 2014年3月24日 (月) 11:44 (UTC)
コメント 上記のAburakass氏の編集に関して、2014年3月24日 (月) 11:44 (UTC)に一方的に宣言して編集を強攻されており、合意形成が一切なされていません。Aburakass氏の編集以前の状態に戻される必要があります。--Husa(会話) 2014年3月27日 (木) 04:18 (UTC)
現在の文章についての問題点を指摘し、反対意見が出るまで一定期間をとりました。大和屋敷さんの編集は、上述のとおり出典とした資料からの引用内容が不正確であり、またこの話題と無関係な内容まで編集されていたので、編集の妨害とみなしました。他に反対意見もありませんでしたので、編集しました。編集するまでの手続きとしては、それで十分だと考えています。Husaさん、コメントするのはかまいませんが、それより先に編集を差し戻すのはやめてください。その編集の仕方の方が、乱暴です。なぜHusaさんは、ノートでの回答を待たずに、勝手に記事を編集するのか。そのやり方は一方的だし、おかしいです。Aburakass(会話)
またHusaさんの編集は、大和屋敷さんのおかしな編集を復元してしまっています。
当時の上海派遣軍は、南京防御線攻撃より南京城完全攻略にいたる間、我が方戦死八百、戦傷四千、敵方遺棄死体八万四千、捕虜一万五百、鹵獲品小銃十二万九百・・・であったと発表している[1]。 これにつき、2010年1月に発表された第1期日中歴史共同研究の報告書の中で、 波多野・ 庄司は、・・・
となっていますが、波多野・庄司の文章は全然「これにつき」述べたものではなく、もともとの文章では順序が逆です。波多野・庄司は、…。当事の上海派遣軍は、…。という順番です。Aburakass(会話) 2014年3月27日 (木) 13:39 (UTC)
- 一方的に編集宣言をされて、合意形成のないままに強硬に編集されることは、おやめください。WikipediaはAburakass氏の独自研究の発表の場ではありません。コミュニティーの合意に基づいた編集をなさってください。上記に関連した強硬編集は明らかに合意形成が認められませんので、認められません。始めにお伝えしておきますが、編集合戦も当然にWikipediaに負担をかける行為ですので、リバートの繰り返しもおやめください。忠告を受け入れずに、強硬編集やリバートを繰り返されると、ブロックの対象になりますので、お気をつけください。--Husa(会話) 2014年3月27日 (木) 16:22 (UTC)
- 波多野・庄司の両氏は、上海派遣軍発表を受けて、何かを述べているわけではないですから、「作話」(捏造かな)のようになってましたよね。上海派遣軍発表には第10軍のものも入っているのか否かも分かりませんし、入っていたとしても、防衛研修所戦史室の『戦史叢書』でも偕行社の『南京戦史』でも、上海派遣軍発表の数字の信憑性は否定されていますし、そもそもWikipedia:信頼できる情報源を照らせば、これを単独でトップにもってきてしまうのは、読者にとって百害あって一利なしです。このページの下のほうでも指摘・提案しましたが、当然ながら外しました。この発表は南京攻略戦にありますし、南京事件 (1937年)でも『戦史叢書』、『南京戦史』などでの扱いを含めて有効活用しようと考えています。Takabeg(会話) 2015年7月14日 (火) 12:38 (UTC)
1.6 として「埋葬記録」を追加します
[編集]日中歴史共同研究報告書の中で波多野・庄司は犠牲者数の議論に関して、「埋葬記録」の資料の検証の相違も論点になっている、としていますが、見出しの中にないので追加しておきます。問題ありそうでしたら、削除を提起願います。
- こちらの提案についてはWikipedia:署名のルール違反が見られますので、提案は無効とせざるをえません。再度、署名を付した上で再提案してください。--Husa(会話) 2014年3月27日 (木) 04:23 (UTC)
日中歴史共同研究報告書の中で波多野・庄司は犠牲者数の議論に関して、「埋葬記録」の資料の検証の相違も論点になっている、としていますが、見出しの中にないので追加しておきます。問題ありそうでしたら、削除を提起願います。Aburakass(会話) 2014年3月27日 (木) 13:00 (UTC)
- 一方的に編集宣言をされて、合意形成のないままに強硬に編集されることは、おやめください。WikipediaはAburakass氏の独自研究の発表の場ではありません。コミュニティーの合意に基づいた編集をなさってください。上記に関連した強硬編集は明らかに合意形成が認められませんので、認められません。始めにお伝えしておきますが、編集合戦も当然にWikipediaに負担をかける行為ですので、リバートの繰り返しもおやめください。忠告を受け入れずに、強硬編集やリバートを繰り返されると、ブロックの対象になりますので、お気をつけください。--Husa(会話) 2014年3月27日 (木) 16:23 (UTC)
- 埋葬記録は南京事件 (1937年)に、論争 (崇善堂による埋葬能力がそんなにあるはずがない、とか)とともに手短に書いておいて、その論争の詳細をこの記事に書くのが適切であると考えます。Takabeg(会話) 2015年7月14日 (火) 12:03 (UTC)
30万人説
[編集]30万人説に出典としてあげられているマンチェスター・ガーディアン氏特派員のメモには、南京だけではなく、上海なども含む長江デルタ地域全体の数字としてかかれています。しかし、本件記事では、南京30万人説の根拠であるかのようにかかれ、正確性に大きな問題がありますので、除去するべきです。また、30人説でたった一人の人物(孫宅巍)の非科学的な想像を羅列した記述は、冗長であり意味をなしません。簡潔に、「孫宅巍は30万人以上と推計している。」で十分です。--Husa(会話) 2014年3月26日 (水) 20:25 (UTC)
- 共同通信の記事ですよね。Husaさんはこの編集で除去しちゃったんですよね。「南京30万人説の根拠であるかのようにかかれ」とおっしゃいますが、私などは「ティンパーリは、この段階で既に宣伝活動をしていたのか」と受け取りました。読むものによって受け取り方は違いますよ。30万人説の根拠であるかのような誤解を生じさせてしまうのは問題でしょうが、「彼が電報を打った」ことに関しては「正確性に大きな問題」はないと思います。まぁ、所詮報道記事なので補強ソースは必要であると思います。南京事件 (1937年)で活用してもいいですけど。ところで、これの続報ってあったのですか?スマイス報告もコメントアウトしているようですが、この記事の他の箇所に移すなどの工夫は思いつかなかったのですか?Takabeg(会話) 2015年7月7日 (火) 10:31 (UTC)
保護依頼の提案
[編集]提案 方針無理解の利用者により、一方的な強硬編集宣言と同時に中立的な観点と検証可能性に反する破壊行為が行われ、編集合戦が続いていることを確認しました。この記事はしばらく編集保護することを提案します。保護する版は、方針無理解の利用者が編集を始める前の 2014年2月28日 (金) 14:36 UTCにまで遡らないと、版の破壊箇所が不明であるようにも思いますがいかがでしょうか。ご意見いただけますと幸いです。--Husa(会話) 2014年3月27日 (木) 16:15 (UTC)
- 賛成 結果として現状の版では「そこまで破滅的な状況」にはなっていないと考えますが、Aburakass氏が編集に参加されました2014/3/1から現在の版までの変更履歴を見ますと、直近のAburakass氏の版まででも[1]それほど大幅な編集が行われているわけではありません。しかしここまで編集者間でトラブルになってしまっているのは①Aburakass氏の当テーマに対する知識があいまいであり逐次加筆や逐次修正をしている結果、全体をみとおさないため記事の中立性(表現や順序、情報の取捨選択等)に配慮がなく文旨を乱す結果となっている②Aburakass氏には政治的目的があり[2]Wikipedia記事上でその目的を達成しようとしているのではないかとの懸念を他の編集者に疑われている、ためだと考えます。Aburakass氏の持ち込まれたヴォートリンの「埋葬記録」は一次資料であり、東京裁判に検察側証拠として提出された15万5,389千体埋葬をふくめそれ自身が検証や論争の材料となっている素材ですので、安直にこの一次資料情報だけを採録するのは乱暴な切り取り採録と考えます(むろん他の一次資料含め遺体埋葬数に関する議論すべてを採録しても良いのですが、それはさすがに「百科事典」としての専門性の範囲を逸脱する分量になると思います)。ともあれ、ここまで編集競合が発生するのは【中立性に対する配慮】が無いためであるとご理解頂きたいのです。同様の主旨はノート:南京事件においても繰り返し投稿させて頂いております。--大和屋敷(会話) 2014年3月27日 (木) 20:26 (UTC)
大和屋敷さん、ご賛同ありがとうございました。その後、事態がおさまったので、現状、このままでよいかと思います。また、問題が発生しましたら、改めて提案させていただきます。--Husa(会話) 2014年7月21日 (月) 10:46 (UTC)
- Aburakassさんの利用者ページを読んでみましたが、政治の歴史への介入に危惧を抱いて再び戦争が起きるのではないかと心配いているのは分かりますが、特定の政治的信条を持っているようには読み取れませんでした。Aburakassさんのような考えの人もたくさんいます。それを表明するのは個人の自由であると思います。仮に、そこに書かれたことを「政治的」信条とみなしたとしても、その信条を実現する目的での編集があるかというと、そうした痕跡は見つかりません。もし私が見落としているのだとしたら、Aburakassさんの「政治的目的」が確認できるような編集の差分を示していただければ幸いです。Takabeg(会話) 2015年7月14日 (火) 13:33 (UTC)
主な論点
[編集]主な論点が主な論点の紹介になっていないような気がしました。 まず、「当時の上海派遣軍は、」から始まる箇所ですが、これは南京攻略戦の南京攻略戦#その他にも記載されていますし、戦史叢書でも南京戦史でも、これは正確な数字とみなされていませんし、これをそのまま踏襲している論者はいないようです。「上海派遣軍発表」の数字には第10軍のものも入っているのかどうか (中支那方面軍の発表だったらわかりやすいのですが)という個人的な疑問もありますが、とりあえず触れないでおきます。いずれにしても、「上海派遣軍発表」を、主な論点のトップに持ってくる必要はありません。また、これを単独で使うのは読者に誤解を与えるのでかえって有害であると思います。
つぎに、「この論争に様々な説があるのは、」から始まる箇所と「犠牲者数に諸説がある背景として、」から始まる箇所は、単に言い回しをかえているだけで同じ人々が書いた同じ内容を伝えているに過ぎません。どちらかを外してしまうか、両方外して一方を南京事件 (1937年)#論争に移植するのがよいのではないかと考えます。ただ、南京事件 (1937年)#論争は、外務省ウェブサイトの比重が過多であるような気がするので少し考えたほうがいいかもしれません。そのほかに、「日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では 20 万人以上(松井司令官に対する判決文では 10 万人以上)」から始まる箇所は、南京事件 (1937年)#論争にも記載されておりますので、外してしまってもいいですし、どうしても入れたいというのであれば、死者数のほうに持ってくるのが適切であると考えます。主な論点、「崇善堂による埋葬能力」、「歩兵第7連隊による便衣兵摘出と処刑の評価」、「歩兵第66連隊第1大隊の戦闘詳報の真偽」、「捕虜ハセヌ方針ナレバの解釈」、「山田支隊」などなど、結構あります。Takabeg(会話) 2015年6月10日 (水) 10:23 (UTC)
タグ
[編集]この編集で多くのタグが追加されていますが、理由が示されていません。私もこの記事には多くの問題があると考えていますが、理由や問題点が具体的に示されていない以上、解決は困難です。いったん、{{観点}}{{正確性}}{{内容過剰}}を外します。具体的に問題点を指摘してから付けてください。Takabeg(会話) 2015年6月10日 (水) 12:13 (UTC)
この編集で追加されたタグについても同様のことがいえます。Takabeg(会話) 2015年6月10日 (水) 12:22 (UTC)
信憑性?
[編集]中島今朝吾日記「捕虜ハセヌ方針」の部分に幾つかの問題点を見つけました。まず、時系列的な問題があります。これは簡単に気づく問題なので詳細は書かなくてよいかと思います。次に、「釈放説を唱える大西一証言は、偕行社からさえも「シロだシロだというだけ」として、信憑性について批判を受けている」という一文がありますが、この編集で書き加えられています。当時は「捕虜ハセヌ方針」をめぐって、「南京事件-日中戦争 小さな資料集」所収というものがソースとして付けられいました (「なお大西氏は、実態以上に「否定」の方向を強調する人物であるようです。偕行社内部からも、このような批判を受けていました。」というウェブ管理人の意見が付されています)。「大西サンの一ページ余の論文ではシロだシロだというだけだから、これでは20万、30万説は破砕できない。遺憾ながらあったものはあったとして30万の数的虚構の解明に当たるべきであると、土屋サン は述べておられるのである。これが正に偕行が本問題をとりあげた目的である」 (9頁)。記事を書いたのは、高橋登志郎氏で、 陸士55期、1941年7月に陸士を卒業しているので南京戦には参加していません。『偕行』編集担当常任理事、『南京戦史』編集委員長。土屋正治氏は、陸士46期、南京戦時は第9師団で中隊長、『南京戦史』編集委員。 ところが、利用者は、読み違えをしたようで、「偕行社からさえも「シロだシロだというだけ」として、信憑性について批判を受けている」と書いてしまっています。「偕行社からさえも」というのはとてつもない拡大解釈で、偕行社編集員および会員の中にも様々な立場の人がいましたので、「偕行社の編集部と会員の一部から批判を受けた」というのが実際のところです。その批判の内容も「信憑性について批判を受けている」というようなものではありません。そもそも当該記事において大西論文の信憑性は云々されていませんし、スタンスを批判しているのです。さらに、同記事に掲載されている大西氏の投稿には、「私は派遣軍内地帰還後も南京に常駐し中国側の行政を援助しましたが、虐殺の話を聞かなかった、また見なかったとは言えない、見なかったからといって虐殺がなかったともいえない。若干あったことは肯定せざるを得ないでしょう」 (6頁)と書いています。また、『南京戦史資料集』にある「角証言の信憑性について」(記事に署名はありませんが、編集委員長が角を訪問し、その訪問者が「私」という一人称を用いているので、筆者は高橋氏だと思います)には、「大西氏の記事 (58年2月号)は真相である」 (759頁)、とあり、この記事にある「信憑性について批判を受けている」という一文も不適切であると考えます。夏休みに入るまでまとまった修正・補完作業ができないのでたいした修正はできないので、問題点の指摘と微修正をしばらく続けようと考えています。Takabeg(会話) 2015年6月14日 (日) 03:09 (UTC)
「最上限4万人」説、修正の背景?
[編集]この編集、この編集で追加された部分に問題があると考えます。まず、「曽根一夫氏の手記」の問題、北村氏の指摘 (ただし、スマイスは確信犯じゃないと思いますけど)、秦氏の「微修正」はそれぞれ真相ですが、秦氏が「微修正」を行った背景に「曽根一夫氏の手記」の問題と北村氏の指摘があるというのは、提示されているソースからは読み取ることができません。次に、秦氏が「政治的配慮」をしたというのにも根拠がありません。Takabeg(会話) 2015年6月16日 (火) 09:26 (UTC)
「十万人以上」説、修正の経緯
[編集]「20万人以上」から「20万人以下」へと「下方修正」して、中国 (中共)と「袂を分かつ」こととなった経緯を書く必要があると思いますが、いかがでしょうか?また、洞富雄氏は2000年に亡くなっていますが、「修正」する機会はあったのでしょうか?Takabeg(会話) 2015年6月16日 (火) 09:26 (UTC)
{{Wikify}}と{{正確性}}
[編集]誰の意見・解釈・主張であるかが明確になっていない部分に、{{誰}}や{{誰2}}を付けましたが、それが途轍もなく多いことと、時系列的におかしな部分が多いため、{{Wikify}}と{{正確性}}を付けておきます。タグの使用方法がおかしかったら指摘してください。Takabeg(会話) 2015年6月16日 (火) 09:26 (UTC)
学者・研究者の反応!?
[編集]「学者・研究者の反応」という表題はおかしいと思います。この記事自体が学者・研究者の「反応」から構成されているわけで、こんなのが突然出てきてびっくりしてしまいました。「論争に対する評価」という部分は問題ないのですが、その上の数行が浮いています。ソースのないものは削除して、ソースのあるものは、死者数のところにある○○説 (派)にはめ込むのがよろしいかと思います。Takabeg(会話) 2015年6月16日 (火) 10:21 (UTC)
- "「虐殺」否定説"の分量が多すぎるため、そこに東中野氏のものを入れると、さらにバランスを損ねてしまいそうでしたので、論争史に入れておきました。Takabeg(会話) 2015年7月14日 (火) 13:13 (UTC)
笠原十九郎氏
[編集]利用者:Husaさん、この編集 (2件分)についてご説明ねがいます。
- まず何故「虐殺数」を何故「死者数」としたのですか? スマイス報告であれば (加害者が明示されていない点は棚に上げにしておきます)、戦死者なども含まれているので「死者数」でいいのでしょうが、各論者の「算出」では「戦死者」などは差し引かれていますよね。これがベストというのが思いつかないのですが、「不法殺害数」などというのはいかがでしょうか?
- 笠原氏を「その他」に移した理由は何ですか?ここは下手をするとWikipedia:投稿ブロックの方針のうち虚偽情報の記載に引っかかる危険性 (即ブロックされるとは思いませんが)もあると思います。南京問題小委員会の調査検証の総括に騙されてしまったとしておけばいいかもしれません。Wikipedia:信頼できる情報源にはあたらないのですが、念のため読んでみましたがこれがかなりひどいのです。他人の文章を自分に都合のいい形にカットして論じているのです。どこぞのメディアみたいではありますが。。。具体的に説明しますと、笠原氏は[3]で「拙著『南京事件』(岩波新書)・『南京難民区の百日』(岩波書店)を読んで下されば分るように南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺はおこなわれていない。集団虐殺のほとんどが城外、郊外、長江岸でおこなわれたのである。」と書いています。また、この笠原氏の論文に反論する形で、東中野修道氏は「笠原十九司論文『日本軍による南京20万人虐殺』を徹底論破する」を執筆しています。つまり、東中野氏も「笠原氏が『20万人説』 (10万~20万)をやめた」などとは認識していないのです。死者数をカウントする領域を「上海から南京まで」に拡げたり、時期を延ばしたりするのには「おやっ?」と思いますが、私の知る限り、南京の都市部 (南京特別市)に限定して計算している研究者はいても、南京城内に限定している研究者はいないはずです。この地図を見てみれば、何がおかしいかイメージはつかめると思います。大虐殺派の人々も総数については南京都市部+郊外で計算しているので、笠原氏だけを別扱いにする合理的理由はみあたりません。
- 「中国側推定10万人、残留外国人推定5-6万人。」、「埋葬団体の埋葬記録 埋葬総数18万8674体(虐殺に当たらない死体、埋め直しによる重複がある一方、長江に流された多数の遺体があると指摘)。」、「スマイス調査市部(城区)殺害3250人、拉致後殺害された可能性が高い者4200人、農村部(近郊4県半)被殺害者数2万6870人」を除去したのは何故ですか? Takabeg(会話) 2015年7月7日 (火) 10:05 (UTC)
- 研究者により、死者の算出方法がまちまちであり、およそ「虐殺数」と断言できない数字も含まれているためです。日本軍ではなく国民党軍による死者や、その時期に埋葬された死者など、おそよ虐殺とは無縁である資料をもとに推計しておられる研究者も存在し、「死者数」と表現するのが適切な内容を含んでいると判断しました。文意としては、誤認を招く恐れはありませんし、「死者数」が適切であると思います。同様に、不法な殺害とは無縁である資料をもとに推計している研究者もおられますので、「不法殺害数」も不適切であろうと考えます。
- 笠原氏は、「長江岸の中国人軍人の死者も含めた総計を、10万人以上もしくは20万人に近いかそれ以上」と主張しており、長江岸の死者は、南京攻略戦における犠牲者とは断言できないと判断したためです。
- 「民間人虐殺」の項目は、単に推論を寄せ集めただけであるのに、完全に特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成となっており、編集者独自の歴史解釈となっていました。「中国側推定10万人、残留外国人推定5-6万人。」については、おそらく『南京の真実』の記載が「残留外国人推定5-6万人」であり、中国側の研究者が「推定10万人」と発表しているという意味であると推測いたしましたが、この書き方では、『南京の真実』で「中国側推定10万人、残留外国人推定5-6万人。」と書かれているように見える虚偽記載とも言えます。「埋葬団体の埋葬記録 埋葬総数18万8674体(虐殺に当たらない死体、埋め直しによる重複がある一方、長江に流された多数の遺体があることも指摘する)。」に関しては出典が記されていないので、即除去してかまわない内容です。が、おそらく笠原氏の調査結果に基づく記述であろうと推測いたしました。「スマイス調査 市部(城区)殺害3250人、拉致後殺害された可能性が高い者4200人、農村部(近郊4県半)被虐殺者数2万6870人」に関しては、笠原氏の調査結果であります。3つの資料と述べておきながら、提示されている出典は、『南京の真実』と笠原氏の推論の二つのみであり、また、「中国側推定10万人」の根拠が不明な虚偽記載となっています。特定の観点を推進する記述を残すことはできず、独自研究は排除しなければなりませんし、雑多な内容の箇条書きにも該当する恐れがありました。また、多数の研究者が存在する中、笠原氏の調査結果のみをクローズアップして大幅に記す記述は、細部に至るまですべて包括する詳細な解説に該当すると考えました。--Husa(会話) 2015年7月7日 (火) 11:21 (UTC)
- 速攻での回答ありがとうございます。まずは、笠原氏を「数万人以上」に戻す必要があると思います。また、「細部に至るまですべて包括する詳細な解説」は「南京問題小委員会の調査検証の総括」による印象操作を排除したうえで脚注にでも入れておけばいいのでは? ご自身で修正されますか? 1週間くらいしたら私も修正作業をお手伝いできると思います。Takabeg(会話) 2015年7月7日 (火) 11:35 (UTC)
- とりあえず笠原氏を戻しておきました。笠原氏の調査というより算出方法だけでなく、他の論者の算出方法もあれば (現時点では笠原十九司、秦郁彦の両氏の分だけ記載されています)全て記述したいと考えています。それと、バランスという点でいうと「虐殺」否定説の部分がもんげー突出していますよね。{{観点}}を添付しておきましょうか?Takabeg(会話) 2015年7月14日 (火) 13:00 (UTC)
- 笠原氏の記述の移動については、ありがとうございます。ただ、「民間人虐殺」の項目は、単に推論を寄せ集めただけであるのに、完全に特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成となっており、編集者独自の歴史解釈となっていますので、同じ記述を戻すのはどうかと思います。確かな出典に基づき中立的な観点による記述に修正したのちに記述するのであれば、異論ありません。また、虐殺否定説と肯定説というバランスで見れば、肯定説のほうがはるかに多くを費やしていると思います。--Husa(会話) 2015年7月22日 (水) 07:07 (UTC)
- どういたしまして。ただし、少しましになったかどうかという程度の作業しかしていません。それと、Husaさんがおっしゃるように民間人のほうは不確かですよね。スマイス調査以外に当時のまとまった科学的調査は存在しておらず、後は埋葬記録と証言になってしまいますよね。以前から思っていたのですが、ある程度、公式文書の裏打ちのある捕虜、逃亡兵、便衣兵などを前に (上に)もってきて、確かな証拠が少ない民間人は後に (下に)もってきたほうがいいような気がします。スマイス調査については、"大虐殺派"からも"新マボロシ派"からも余りよく思われていないみたいですが、それらの批判なども含めて、南京事件 (1937年)にスマイス調査 (英語版ウィキソースにはスマイス調査 (報告)があります)に関する記述を加えるといいと思います。『南京戦史』367~375頁あたりを参考にして加筆したいなぁと思っています。南京事件 (1937年)で基数を出しておいて、この記事で、X氏がどこをどれだけもって△△万人にしている、とか、Y氏はどこからどれだけ削って▽▽万人にしている、Z氏はどこで起きたどれだけの殺害を戦闘中の行為であるとみなして▲千人にしている (具体例ではなくて例えばの話です)、とかが明確になるとわかりやすい記事になるのではないでしょうか? どれが真実に見え、どれが破綻してそうに見えるかについては、読者の方々におまかせ、という具合になるとベストです。先は長そうですが頑張りましょう。Takabeg(会話) 2015年7月22日 (水) 09:59 (UTC)
- 笠原氏の記述の移動については、ありがとうございます。ただ、「民間人虐殺」の項目は、単に推論を寄せ集めただけであるのに、完全に特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成となっており、編集者独自の歴史解釈となっていますので、同じ記述を戻すのはどうかと思います。確かな出典に基づき中立的な観点による記述に修正したのちに記述するのであれば、異論ありません。また、虐殺否定説と肯定説というバランスで見れば、肯定説のほうがはるかに多くを費やしていると思います。--Husa(会話) 2015年7月22日 (水) 07:07 (UTC)
- とりあえず笠原氏を戻しておきました。笠原氏の調査というより算出方法だけでなく、他の論者の算出方法もあれば (現時点では笠原十九司、秦郁彦の両氏の分だけ記載されています)全て記述したいと考えています。それと、バランスという点でいうと「虐殺」否定説の部分がもんげー突出していますよね。{{観点}}を添付しておきましょうか?Takabeg(会話) 2015年7月14日 (火) 13:00 (UTC)
- 速攻での回答ありがとうございます。まずは、笠原氏を「数万人以上」に戻す必要があると思います。また、「細部に至るまですべて包括する詳細な解説」は「南京問題小委員会の調査検証の総括」による印象操作を排除したうえで脚注にでも入れておけばいいのでは? ご自身で修正されますか? 1週間くらいしたら私も修正作業をお手伝いできると思います。Takabeg(会話) 2015年7月7日 (火) 11:35 (UTC)
改名提案
[編集]まず、google books をみてみますと、南京大虐殺論争 最少23件~最大511 (数えまちがえているかもしれませんし、見るたびに件数が変わっているようなので、ご自身で確認してください)。南京事件論争は2380件。google books などあてにならない、という方もいるかもしれませんので、ci.nii.ac.jp を見てみますと南京事件論争は3件で南京大虐殺論争は0件です。なお、"大虐殺派"といわれる笠原十九司氏の著書に『南京事件論争史』があります。"中間派"とされる秦郁彦氏の『南京事件 増補版』の最後の2つの章 (第9章と第10章)も「南京事件論争史 (上)」「南京事件論争史 (下)」となっています。という理由から、南京大虐殺論争から南京事件論争への改名を提案します。これで南京事件 (1937年)との整合性もとれます。南京事件 (1927年)に関しては、独立記事として立項できるほどの論争はありませんので、"南京事件 (1937年)論争" とする必要はないと考えます。なお、別件で改名を提案した際、 歴史修正主義者呼ばわりされてしまいましたので、念のため申し上げておきますが、私個人は否定説を支持しているわけではありません (どの「説」も特に支持していません)。というわけで、議論するにあたって、Wikipedia:礼儀を忘れない、Wikipedia:エチケット、Wikipedia:個人攻撃はしないはもちろんのこと、「利用者についてではなくトピックについてコメントする」というのも守っていただければ幸いです。Takabeg(会話) 2015年7月22日 (水) 05:40 (UTC)
- 賛成 「南京事件論争」と題した著作数のほうが多く、より一般的なネーミングと言えることより、改名に賛成いたします。--Husa(会話) 2015年7月22日 (水) 07:01 (UTC)
- 済 - 改名しました。Takabeg(会話) 2015年7月29日 (水) 11:05 (UTC)
提案
[編集]提案ですが、犠牲者数は、まず、捕虜がこれくらい、一般人はこれくらい、根拠は、とか、そういった記述に修正したほうがいいです。また、学者の学説紹介のときも余計な情報はかえって混乱します。例えば、以下は本文からですが、何を言ってるのかよくわかりません。 「歴史学者秦郁彦の説。秦は「おそらくアトローシティに関する一般理論の構築は無理で、外的な要因だけで無く、兵士たちの集団心理を組み合わせて内在的に追従しないと結論は出ないだろうと思うが、この点で参考になるのは、曽根一夫氏の近著と早尾軍医の報告書であろう」と述べ[15]、曽根の著作を「類書に無い特色を持つ」と高く評価していた。秦は「筆者としては、スマイス調査(修正)による一般人の死者2.3万、捕らわれてから殺害された兵士3.0万を基数としたい。しかし不法殺害としての割引は、一般人に対してのみ適用(2分の1か3分の1)すべきだと考える。つまり3.0万+1.2万(8千)=3.8~4.2万という数字なら、中国側も理解するのでは無いか、と思うのである。」[16]として、中国側に政治的配慮をしつつ[要出典]曽根の著作に依拠しながら[要出典]4万人説を導き出した。その後、曽根の「手記」そのものがまったくの創作であることが判明[17][18]し、さらに北村稔の調査でスマイス調査の隠された実態[19]が明らかになるなど、従来の自身の説の根拠が大きく揺らいできたなかで[要出典]、2007年、自身の著書の増補版にて「なお旧版では特記しなかったが、この計数は新資料の出現などを予期し、余裕を持たせたいわば最高限の数字であった。この20年、事情変更をもたらすような新資料は出現せず、今後もなさそうだと見極めがついたので、あらためて四万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下回るであろうことを付言しておきたい」[20]と、それまでの自説から下方修正した。」
こう直したらどうでしょう。 「歴史学者の秦郁彦の説。秦は、一般人の死者2.3万(スマイス調査(修正)を参考)、(中国軍兵士は約10万人の中で)捕えられ殺害された兵士3.0万とした。一般人の不法殺害は、死者の2分の1か3分の1(1.2万(8千))とした。つまり3.0万+1.2万(8千)=3.8~4.2万という数字を算出した。中国側に政治的配慮をしつつ、4万人説を導き出した。以上は、曽根一夫の著書を参考にした。その後、曽根の「手記」がまったくの創作であることが判明[17][18]し、スマイス調査の隠された実態[19]が明らかになった後、2007年著書の増補で、再考察の結果、4万の概数は最高限であり、実数はそれをかなり下回るとした。」 その他も、虐殺数は、否定派以外の部分はこのように書き直す必要があります。
また、否定派の国際委員会の面々への批判とその論議は、ひとつの章まとめるべきです。説としてその是非は申しませんが、ここ20年くらいに出た新説のわりに大手を振っているので、是非をきっちり書いてまとめたいです__Japanese sincerity(会話) 2015年11月3日 (火) 02:39 (UTC)
「まぼろし派・中間派・大虐殺派 三派合同大アンケート 永久保存版」『諸君!』33巻2号 (2001年2月号)、文芸春秋社、pp. 164-203。から転記すればわかりやすくなると思います。戦闘による死者も含めて20万と言っていることも理解できると思います。南京事件 (1937年)には、スマイス報告を表にして貼り付けましょう。また、秦氏は『南京事件』で曽根一夫氏の著作から引用していますが、139頁を見る限り、曽根氏の著作を算出の根拠として用いていません。また、北村氏の『「南京事件」の探究』でも、スマイスはティンパーリと違って依頼主を知らされていない立場となっていますので、「スマイス報告の実態云々」というのはおかしいです。「以上は、曽根一夫の著書を参考にした。その後、曽根の「手記」がまったくの創作であることが判明[17][18]し、スマイス調査の隠された実態[19]が明らかになった後、」はという部分はWikipedia:独自研究にあたります。除去するのが妥当であると考えます。
「否定派の国際委員会の面々への批判とその論議は、ひとつの章まとめるべきです。説としてその是非は申しませんが、ここ20年くらいに出た新説のわりに大手を振っている」というのはJapanese sincerityさんのご意見として承っておきます。それと、ティンパーリについて《近代来华外国人名辞典》の477頁をご自分の目で確かめてください。盧溝橋事件後、国民政府が彼を英米に派遣し宣传 (プロパガンダ)工作に就かせ、そのあと、(1939年らしいのですが) 国民党中央宣传部顾问に任命されている、のがわかるかと思います。「陰謀説」という見出しは先入観のあるものですし、「しかし、この東中野の説には反論がある。」の後の文はちょっとおかしなことになっていますよね。ご自身が一方の意見を支持しているからといって「誤った認識である」のように断定調で書くのはWikipedia:中立的な観点に反してしまいますので、修正してください。さらに、「南京事件の存在については「不明」としているが[30]、笠原十九司は鈴木を「否定派の中心メンバー」と評している」というのが突然でてくるのですが、これは鈴木明の指摘に直接関係するものでなければ不要です。Takabeg(会話) 2015年11月3日 (火) 13:29 (UTC)
Takabegさんへ 修正には了解します。できるとこから取り急ぎ。--Japanese sincerity(会話) 2015年11月3日 (火) 14:19 (UTC)
- Japanese sincerityさんが2015年11月4日にWP:SOCKでブロックされたこと、同氏の編集が他の記事やネットからのコピペを中心とするものであり、同氏が検証を行ったものではないこと、それらのコピペを他の利用者が検証するよりも初めからソースを参照しながら書いたほうが有益であること (単にソックパペットによる編集だからということではありません)などを考慮して、同氏が編集を開始する以前の版まで差し戻しいたします。Takabeg(会話) 2015年11月13日 (金) 12:04 (UTC)
タグ貼りの理由は?
[編集]Leowllさんのこの編集およびCcgxkさんのこの編集で{{観点}}、{{国際化}}、{{未検証}}、{{独自研究}}、{{大言壮語}}などが一挙に貼り付けられておりますが、具体的には何が問題だと感じたのでしょうか? また、利用者:花蝶風月雪月花警部さんによる直後の編集を見るに、同氏もタグ貼りを「追認」しているように見えます。具体的な指摘がなければ、他の利用者が何をどうしたらよいのかわかりませんので、非建設的な編集と考えられますし、WP:DISRUPTSIGNSと見做されることがありますのでご注意ください。また、まだ私論ではありますがWikipedia:タグ爆撃にもあたります。具体的な指摘がなされなければ除去させていただきます。Takabeg(会話) 2015年11月23日 (月) 14:44 (UTC)
- 済 一週間、何の説明もなされなかったので除去しました。Takabeg(会話) 2015年11月30日 (月) 16:36 (UTC)
- コメント何だこの上から目線。具体的な指摘について、ノートをしっかり読みなさい。
ユネスコ資料
[編集]記憶遺産に「南京大虐殺」「東京裁判」引用際立つ」毎日新聞2015.10.11朝刊では記憶遺産に登録された「外国人日記「南京占領-目撃者の記述」」と報じられていますが、これはジョン・ラーベの日記のことでしょうか?--さんぽーる(会話) 2015年12月19日 (土) 15:06 (UTC)
「主な論点」「虐殺の対象」
[編集]- 「2.虐殺の対象」とすると2.5以降の記述と整合しません。また当記事全体の構成として「1.犠牲者数(に関する議論)」「2主な論点」「3.論争史」という構成が適切です。もう一度検討してみてください。--大和屋敷(会話) 2015年12月20日 (日) 04:17 (UTC)
- 2.5以降の記述については、等号の数を配慮せず失礼しました。構成については大きくはそれでいいでしょう。また、資料(証言、写真、日記)ごとの構成にしたく思います。あらためて編集してみます。--さんぽーる(会話) 2015年12月20日 (日) 04:39 (UTC)
- 現状では等号の数が3つよりはじまっており、通常の記事は2本なので訂正します:Help:セクション参照。
- 「主な論点」ですが、虐殺数も論点の一つなので、これだけを別のセクションにするのは不適切です。内容からいって、論点についてセクションが分かれているのは読めばわかるので明記することもないとも思いますが、冒頭で「以下、主な論点について概説する」と書けば、「主な論点」セクションは不要となります。したがって「主な論点」はセクションとしては削除したいと思います。--さんぽーる(会話) 2015年12月23日 (水) 04:35 (UTC)
論争史の一部は「写真史料」へ
[編集]論争史の写真問題関連は「写真史料」節へ移動します。--さんぽーる(会話) 2015年12月23日 (水) 06:11 (UTC)
ティルマン・ダーディン
[編集]Japanese sincerity さんによる加筆「ただし、以上のティルマン・ダーディン通信員の証言は、以下に述べる本人の別証言があり、1986年9月(文春より以前)に笠原十九司が通訳を交えてインタビューしたダーディンの証言によると、「上海からは南の道をつかって行きました。戦闘に遭わずに南京に行くためです」ということであり、「上海から南京まで」の行程で虐殺を見ていないからイコール虐殺はない、というのは確実な情報ではない可能性がある」の中で、「「上海から南京まで」の行程で虐殺を見ていないからイコール虐殺はない、というのは確実な情報ではない可能性がある」というのは出典に書かれていない独自研究となります。「記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです」。文春でのティルマン・ダーディン証言について同様の指摘がなされている書籍があれば、それを元に加筆してください。--さんぽーる(会話) 2016年1月17日 (日) 08:24 (UTC)
否定派や反論が利用しているなら出典を出してください。改善されていません。--さんぽーる(会話) 2016年6月1日 (水) 15:02 (UTC)
この証言は、「(上海から南京へ向かう途中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたことは)ありませんでした。」という内容ですが、「イコール虐殺はない」というのは当然で、いわゆる南京虐殺を目撃していないという証言にすぎません。したがって、たしかにこの証言をもって南京事件がなかったとはいえないでしょうし、この種の証言は日本軍関係者の証言でもあります。否定派がこれをもって証拠とし、さらにそれに対して肯定派が反論しているなら、論争の争点として書いてもいいでしょうが、いずれの出典も提示されないなら、重要な証言でもなく、ここに記載する必要があるかも疑問です。証言内容からして単独の争点としてセクションにする必要もないので、セクションは外します。--さんぽーる(会話) 2016年6月1日 (水) 15:45 (UTC)
- 何の説明もなく差し戻されていましたが、ティルマン・ダーディンを文春と資料集を逆接つなぎは無意味です。3度目です。追撃戦で目撃せずというだけだし、笠原インタビューは1986年、文春は1988年。「追撃戦で虐殺がなかった」から、南京虐殺なかったという話ではないでしょう。それにダーディンは南京虐殺を報道しています。--さんぽーる(会話) 2016年7月6日 (水) 14:03 (UTC)
ティルマン・ダーディンを作ったので、ティルマン・ダーディンの移動経路について移動を提案。また追撃戦で虐殺を見なかったことについて、南京事件の論争とどこまで関わりがあるのでしょうか。この記述があるセクションでは「当時、国際報道があったか」であり、ティルマン・ダーディンは報道の第一人者なのですが、そのことが書かれず、このようなエピソードをこのページで長く説明する必要はありません。いずれもティルマン・ダーディンへ移動。--さんぽーる(会話) 2016年7月6日 (水) 15:27 (UTC)
便衣兵の殺害に関して
[編集]この項目は、ハーグ陸戦条約の「交戦者資格の四条件」の解釈や休戦の合意(ハーグ36・37条)などの国際法の解釈で、 1)交戦者資格の四条件にあてはまらないと即処刑なのか、そもそも交戦者資格の四条件に当てはまらなくても戦闘員でなければ(脱走兵で武装解除ずみなら)即処刑対象にならないか、また即処刑可能でも原則的に(現行テロ犯でなければ)処刑には裁判が必要か? 2)休戦の合意の位置づけ、休戦合意ないと戦闘は無限継続か? この1)2)に関して、双方解釈をきちんと説明していないので、よくわからない状況になっている。 戦時国際法上の課題をきちんと書きなおすことを提唱します。 ご意見を伺います。 --Japanese sincerity(会話) 2016年2月29日 (月) 14:09 (UTC)
便衣兵の殺害に関して 変更
[編集]特に意見ないので、当方の考えにそって修正します。反対意見はどんどん書いてください
--Japanese sincerity(会話) 2016年3月16日 (水) 14:39 (UTC)
2016年3月18日(金)00:07版編集について
[編集]信頼できないソースを重要な内容として編集されており一旦リバート致しました。この箇所だけ摘出してもよかったのですが体裁的に破綻すると考えて一旦リバートとさせて頂きました。--大和屋敷(会話) 2016年3月18日 (金) 03:30 (UTC)
2016年3月18日(金)00:07版編集について(ご意見お聞きします)
[編集]大和屋敷様大和屋敷(会話) こんにちは。ご意見ありがとうございます。私も専門的な戦時国際法は勉強していますので、自信はあったのですが、問題ありとのご意見、ぜひ、詳細に聞かせ願います。 --Japanese sincerity(会話) 2016年3月18日 (金) 14:36 (UTC)
- Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用をご覧ください。オンラインの情報源は作成した過程や人々に関する検証が必要です。Japanese sincerity氏の引用されたサイトは匿名サイトでありこの検証に耐える媒体とはいえません。仮にこの記述が真実であったと仮定したとしても、他の検証可能で信頼できる著者による公表済みの文書をwikipedia編集のさいの直接の参照元にすべきです。以上宜しくご検討頂きますようお願い申し上げます。--大和屋敷(会話) 2016年3月18日 (金) 15:18 (UTC)
了解しました。回答感謝します 考えを参考に再構築します--Japanese sincerity(会話) 2016年3月19日 (土) 08:40 (UTC)
一般人の殺害
[編集]これについては、安全区の欧米人の資料から、安全区の殺害行為そのほかの実数は確かに万には至らないが、資料の報告数で最大とも言えない。占領直後は別として、安全区での不法行為は欧米人の記録を信じた場合、もしくは最近の否定派の批判はこうと書いたほうが良いのでは。また、周辺農村部のより惨い不法行為が、ないがしろにされているので、南京事件の範疇ではないが、として記してもよいのでは。--Japanese sincerity(会話) 2016年3月20日 (日) 18:21 (UTC)
みなさんへ
[編集]私ばかり書き込みすぎているので、まずお詫びします。私が、このページを修正している意図は、別に政治的意図はありません。あえて言えば、1937-8年に起きたことと、その戦時国際法上の解釈、その国際的影響に関心がありますし、なるべく、事実に即して書きたいと思います。戦時国際法は、その当時、戦争の悲惨さの歯止めのために文明国家がつくったものですのであり、日本軍はその優等生として20世紀のはじめに知られていましたので、その違反は日本にとって人道的にも非常に問題と思います。日本にとっても残念です。 私は、南京事件か南京大虐殺か、とかそういう名称表記のことは気にしません。ただ、20万人しかいない市民を30万人も殺せないという説は、30万人もうそで、20万人も不明な事情があります。これからは、各学説・人口の事実を調べて、反論の所在も記して書き直します。 私は、日本が大好きです。単純平和主義者でもありません。しかし、過去の日本の所業に問題あったことを明確にすることは自虐でもなんでもありませんし、一方で事実でない虐殺も指摘したいと思います。日本は良い国でなんでも正しかったでは、事実を曲げて、かえって自虐的です。日本国はもっと誇らしい国です。知人の80歳以上の人が何人も、戦前の昭和時代は日本の軍人が威張るばかりで異常だった社会、といいました。それもふつうのひとが、です。そのような異常な時代を乗り越えて、今の日本があります。まず、事実と向き合いたい。未来をつくるためには、過去の事実を知るではないかと、作業しています。反論、歓迎します。--Japanese sincerity(会話) 2016年3月26日 (土) 13:10 (UTC)
提案 一部の記事のカット
[編集]このページの、「資料批判」、「証言」(うち日本側のみ)、「残虐行為の動機」、「陰謀説」、「事件前後における日本軍の軍紀について」、の記事は、全てカットしたいと思います。如何でしょうか?十分な時間をとって意見を聞きます。理由は、「資料批判」は意味をもたない記述、「事件前後における日本軍の軍紀」は南京事件のページに記載済み、残虐行為の動機と陰謀説も一部を除いて(一部は他に移し替える)他のこのページかもしくは南京事件のページに記載済み、というものです。そして、証言は、日本側の証言は怪しそうなのばかりずらずら書いていて、これなら、怪しいものも怪しくないものも証言にはあり、という記述で十分ではないでしょうか?ということが理由です。みなさんはどう思われます? --Japanese sincerity(会話) 2016年4月4日 (月) 13:44 (UTC)
反対 「証言」節の削除に反対。歴史研究者による論評や検証も提示されており、有益です。独自研究でもなく、検証可能性を満たしています。不十分であれば情報源を追加すればよいでしょう。--さんぽーる(会話) 2016年4月6日 (水) 13:58 (UTC)
さんぽーる(会話) さん 了解しました。ありがとうございます。 --Japanese sincerity(会話) 2016年4月7日 (木) 12:20 (UTC)
「物理的な「大量虐殺」の可能性について」もカットします。30万人説はありえませんので。--Japanese sincerity(会話) 2016年4月7日 (木) 14:07 (UTC)
コメント 原則に従い出典の付いていない記述は除去してください。そもそも最初の「犠牲者数の論議」に出典が付いてないのは読者、編集者の読む気を削ぎます。出典を見つけたら復帰し加筆してください。--Zakinco(会話) 2016年4月8日 (金) 02:24 (UTC)
Zakinco(会話)さま おっしゃるとおりです。すぐに出典をつけます。学術的に問題ないと油断していました。ありがとうございます。 --Japanese sincerity(会話) 2016年4月8日 (金) 12:29 (UTC)
他に過不足あれば、おっしゃってください。戦時国際法は、本文を読めばわかるので条文を書くことなどで、出典は一部書いてませんが、それも意見あれば工夫します。その他にもなにか??--Japanese sincerity(会話) 2016年4月9日 (土) 03:11 (UTC)
- 出典を付けていただいてありがとうございました。改善されたと思います。最初の出典が「秦郁彦 (2007), p.184-7」となっていますが、正確なページ番号を記述してください。--Zakinco(会話) 2016年4月9日 (土) 23:54 (UTC)
みなさんへ
[編集]今、少し反省しているのですが、否定派にきつくなりすぎているので、申し訳ないです。しかし、きちんと資料を調べると、そうならざるを得ないのですが。そのほか、意見あれば、なんでもどうぞ。 ちなみに、私は左ではありません。その証拠に、最近、この(南京事件論争)の英語版で、がんばって昭和天皇の濡れ衣を晴らしました。しかし、もともと軍部の統帥権の私物化と軍官僚主義が発端で日本を悲劇に巻き込んだことは、事実です。 --Japanese sincerity(会話) 2016年4月9日 (土) 13:46 (UTC)
コメント Japanese sincerityさんの加筆全文に目を通していませんが、出典のあるものとないものがあります。出典のないものは独自研究として削除されかねませんので必ずつけてください。情報源が追加されることは、否定派肯定派のどちらにも有益です。ただ、編集者の個人的な見解や政治思想の開陳についてはノートページのガイドラインにそのような演壇として用いられるべきではないとありますので編集に絞ってノートを利用してください。--さんぽーる(会話) 2016年4月10日 (日) 07:21 (UTC)
さんぽーるさん お気遣い感謝します。了解しました。 --Japanese sincerity(会話) 2016年4月10日 (日) 10:52 (UTC)
みなさんへ その2
[編集]みなさん、私、あといくつか、すでに申し上げた修正を終えたら、南京事件からてをひきます。
少し、恐くなりました。資料を忠実に読むと、中国政府だけならいいけれど、国際法学者や自民党の議員が間違った情報を流しているということに(しかも半ば故意かも)なりそうに、そのように結論がでてしまいます。そんな人たちを非難してよいものかと、思いました。事実を見るのはこわくなりました。 みなさん、どんどんわたしの書いたものの批判をしてください。。それはウエルカムです
なお、本文の以下の(その他 主に虐殺否定派の報道への疑念に係る論議)は、カットしてよろしいですか?本文で同様な主張は、きちんと別の欄に記載済みですし、たとえば、例をあげると、便衣隊あるいはそれと間違われた市民の処刑を見て誤解した、とすれば裁判なしの便衣兵殺害は立派な虐殺です。もし反対意見あれば、対応を変えます。
・南京陥落後の12月13〜15日は日本軍は掃討戦中であり、国際委員会に届けられた殺人事件もそれが全てではないにせよ目撃者のないものが5件のみである(国際委員会編「市民重大被害報告」)ので、スティールら外国人記者が見たという殺人事件の信憑性を疑う。 ・日本の外交官宛の「虐殺の外電」についても同様に「伝聞が情報源であり日本政府(もしくは軍部)は誤情報を報告されたのではない」としている[1]。 ・渡部昇一は、『ニューヨーク・タイムズ』やアメリカの地方紙の「大虐殺」の記事を、便衣隊あるいはそれと間違われた市民の処刑を見て誤解したと推定する[2]。 ・南京事件の欧米の報道の情報源はほぼ伝聞によるもので信憑性が乏しいし、無線を通じた報道も全て中国人からの伝聞をもとにしていたためその正確性には問題がある[3]。東中野らは当時の中華民国政府からの多額の献金により、これらのマスコミが買収された可能性を主張している[4]。 ・当時『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された「南京虐殺の証拠写真」とされる写真も虚偽写真の可能性が指摘されている[5]。たとえば日本兵の内地への手紙についても正確性や信憑性に疑問が呈されている(例えば、虐殺行為を手紙で内地へで伝えたとしても検閲で落とされるため)[6]。
--Japanese sincerity(会話) 2016年4月20日 (水) 13:31 (UTC)
山田支隊の捕虜処断の証言(戦時国際法上に合法か)を証言者に移しました、どうでしょうか?疑義あれば何でもお伝え願います。
--Japanese sincerity(会話) 2016年4月22日 (金) 15:30 (UTC)
- ^ 東中野修道 1998 [要ページ番号]
- ^ 渡部昇一『渡部昇一の昭和史 正 改訂版』Wac、2008年10月30日、ISBN 978-4-89831-592-7、第300頁
- ^ 東中野 (1998)[要ページ番号]
- ^ 東中野 (1998)[要ページ番号]
- ^ 東中野 (1998)[要ページ番号]
- ^ 東中野 (1998)[要ページ番号]
みなさんへ その3
[編集]日本人の証言についてですが、これをもともと挿入したかたは疑わしい証言者をピックアップしたきらいがあります。よって、これらは疑わしい、しかし、それ以外に、南京戦史などで証言している問題ないものを比較して紹介したいと思います。意見あれば遠慮なく。 --Japanese sincerity(会話) 2016年4月30日 (土) 06:48 (UTC)
議員支援者から苦情があって編集が行われた件について
[編集]Japanese sincerity(会話 / 投稿記録 / 記録)さんが行われたこちらの編集[4]ですが、「特定の個人(国会議員)の批判にあたるので修正(議員支援者から苦情あり)」との説明がされていました。私が知らないだけかもしれませんが、Wikipediaではあまり事例のないことのように思いますので、どのような苦情があったのか詳細を教えていただければと思います。--Zakinco(会話) 2016年5月20日 (金) 00:00 (UTC)
詳細は、ちょっと勘弁してほしいです。ただ、議員さん本人や秘書とかではなく、一般的な支持者から「ちょとあんまりにも直接的に個人名を出している」と指摘されたからです。そのうえで、学説として本を書き論陣をはっている人でない場合は、あまり直接名指すのもどうかと思い、修正しました。 --Japanese sincerity(会話) 2016年5月20日 (金) 14:06 (UTC)
- 教えていただいてありがとうございます。ついでに記事の内容についてお聞きしますが、ある議員が簡潔に述べていたというのは出典が存在するのでしょうか?「別冊正論26 80頁」に記載されているのでしょうか?--Zakinco(会話) 2016年5月20日 (金) 14:52 (UTC)
戸井田議員については、桜チャンネルにて自民議員の調査結果が出たときに、西川議員とともにyoutubeのTVに掲載されていたのです。そこでは、はっきり述べていました(当然、疑問を感じました)。あと、原田議員は、以下のサイトの以下の内容です。 http://www.tbsradio.jp/ss954/2015/10/post-313.html 「南京の、そのときの、あれだけのメディアだのマスコミだの入っているにもかかわらず、南京についてですよ、事件があった直後のあれについて、まったく国際的な情報が入っていないということ」「(インタビュアーの「もしそういった行為(虐殺)があったならば海外メディアは当時報じていただろう、と。日本のメディアも報じていただろうということになるわけですね」という言に)もちろんそう(つまり実際はそうでなかったという意味)」 以上の受け答えがそうです。
「ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神 著者: 水間政憲」の206頁では、西川京子議員が、ニューヨークタイムズもロンドンタイムズも虐殺など全く報道していないと、2013年4月の衆議院予算委員会で述べていると、書いています。 --Japanese sincerity(会話) 2016年5月20日 (金) 15:26 (UTC)
- Wikipediaで使えそうな出典があるのですね。お時間のある時に追加しておいてください。--Zakinco(会話) 2016年5月20日 (金) 23:07 (UTC)
引用については追記してもいいが、戸井田さんも西川さんも落選したし、原田さんもラジオのコメントなので、やはり大げさに言うのでなく、調査が事実に反する部分があるのに、無批判に情報宣伝するのはどうか?という表現に止めて、本文には議員名はできるだけ控えます。ただ、学者は、ロジックがおかしいところは命なので、追究します --Japanese sincerity(会話) 2016年5月21日 (土) 12:35 (UTC)
今回の荒らしについて
[編集]意見を述べることは、ときに偏ることはいつもあります。しかし、根拠ない一方的見解や荒らしは、混乱を与えるだけだと思います。実は、半年以上まえに、この項目を記載しはじめてから私も一時ブロックされましたが、そのときも常に批判を聞く姿勢でした。私も完全な人間でないのは周知のとおりです。ただ、この項目に取り組んだ動機は、事実を記載することしか、歴史の理解の一歩はありえないと思ったからです。当時のこのページは、何がなんだかさっぱりわからない、好き勝手書いて、根拠も特定の研究者が多く、そして何が正しいかよくわからない内容でした。その状況にだけはもう戻したくありません。これからも事実を書く、批判や対立意見を聞くことを怠らないで、このページを皆でつくっていきましょう。--Japanese sincerity(会話) 2016年5月27日 (金) 13:26 (UTC)
Wikipedia:スタイルマニュアル
[編集]膨大な記事であり、編集者の労力には敬意を表します。しかしながら、Wikipedia:スタイルマニュアルに沿わない表記が散見されます。そのため、書き方のせいで損をしていると思います。
- 「クリックで説明にリンク」という説明(が繰り返される)
- 丸数字(機種異存文字)の使用
- 全角数字(アラビア数字)の使用
- 一行改行の使用
- 同一リンクが繰り返される
- マークアップがされていない
などです。1については除去、2は(1)などで代用、3は半角に、4は段落にするか(改行2回)改行しない、5については少なくとも同じ節の中では1回に留めるべき、などと修正をお願いします(1つの節だけ行いましたが、残りが膨大なので諦めました)。なお、上記の説明リンク先としてはWikipedia:表記ガイド#数字、Help:箇条書き、Wikipedia:改行時の注意点などがあります。--124.108.255.218 2016年5月27日 (金) 14:49 (UTC)
すみません。時間をかけて、修正してみます。感謝します。。。 --Japanese sincerity(会話) 2016年5月27日 (金) 14:53 (UTC)
編集不備
[編集]しばらく様子を見ていましたが、記載が追加されるようで、同じ既存の記述が記事内で転載されたり、中立性をいいながら、本文で非中立的な書き方が進行してきました。とくに重複などは無意味なので控えてください。その他、出典のないものは除去します。また、特筆性の立証されていないもの(河村たかし市長の件は書くとしても本記事では要約にとどめ、別の記事に書くべきです)なども除去します。情報の無差別な収集は控えてください。記事内のsectionリンクもただ読みにくいだけのものとなっており、一向に改善される気配がありません。しばらく時間がかかりますが、疑問点を払拭できていないものは編集していきます。--さんぽーる(会話) 2016年5月28日 (土) 08:53 (UTC)
さんぽーる(会話) さん ご連絡ありがとうございます。編集の問題点や、中立性については理解できます。当時の資料を見た場合、いわゆる専門研究者の意見以外の評論家的な研究者の意見には問題が多いことがわかります。ただし、たとえば、否定派の文中に疑問点列挙は、私もやりすぎかもしれませんので、削除は納得しましたが、以下のような書き方の修正(削除)はいかがでしょうか?「秦郁彦の説:『①「中国兵の虐殺犠牲者」プラス ②「一般人の虐殺犠牲者」』 = 『①「3万人」プラス②「1万人」(南京城市のみ)』=4万人上限」これは、わかりやすさを強調したのですが。。 いずれにしろ、修正をどのようにするかは、事前にノートに記載願いたいと思います。私も、必ずしもノートに全部を記載したのではありませんが、可能な限り、利用しました。お願いします。--Japanese sincerity(会話) 2016年5月28日 (土) 12:21 (UTC)
人口推移については、元に修正しました。事実と言説のずれが多いのでこれを記載したので。--Japanese sincerity(会話) 2016年5月28日 (土) 13:07 (UTC)
- ①プラス②=の書き方ですが、足し算という数式を使うことでわかりやすくなるわけではありません。AとBの合計はCであると文章でかけるものは文章で表記する方が歴史学の著作では一般的です。また、「中国兵の虐殺犠牲者」というのは独自研究ではないですか。兵士は一般市民とは区別され、戦闘における死傷者です。公平にいえば、日本軍の犠牲についても「日本兵の虐殺犠牲者」と書かなければいけなくなります。公平な言い方では「中国兵の犠牲者」が適切です。また、「虐殺」の存否についても論叢は決着していないので、中立性にも違反します。本記事が「南京大虐殺肯定派による否定派への反論」という記事であれば記事の規定上問題はなくなりますが、そうじゃないので両論併記と中立性が原則です。否定派へ反論したいのなら、肯定派による反論でWikipedia:信頼できる情報源に合致する論文や著作を紹介すればいいでしょう。事前にノート記載についてですが、問題点が多すぎて編集しないとよく分からないででしょう。たとえば、証言sectionで松岡環が疑義のないものとして紹介されれていますが、東中野修道と阿羅健一(『諸君』平成14年11月号)、本多勝一と小野賢二が週刊金曜日平成14年12月20日号で酷評しています。否定派、肯定派両方から批判されている時点で、信頼性の証明も難しいですし、松岡環が集めた証言について研究者で肯定的評価をしている方はいますか?Wikipedia:信頼できる情報源に合致するような二次文献を提示できないのなら、松岡環の作品の紹介はできません。これは一例で、こうした議論をひとつひとつ確認していくのは無理なので、要約欄で最低のことは指摘したうえで、ノートも利用しましょう。しかし、全ては無理です。この二ヶ月の加筆は非常に問題の多い編集です。長らくここも出典のないまま放置されており、大幅に加筆される方が出てきて期待していたのですが、精査したところそうではありませんでした。外国人の証言などもわざわざsectionであるのに、それぞれの代表著作を反証に利用する目的で羅列されてもいますが、この羅列も否定派への反論としてそう書いた文献を提示しないなら独自研究になります。Wikipedia:独自研究は載せない。要約欄でも書いていますが、それぞれの疑問点については記載しています。意見の持ち主は明示されるべきですし、意見を具体的な事実に置き換えてはいけません。Wikipedia:言葉を濁さない。人口推移ですが、「人口が20万なのに、30万の虐殺はありえない」とだれが主張していますか?否定派の誰かがいっているでしょうけど、それも出典を明記してください。出典の明記については二ヶ月前にも注意しましたが配慮されていません。出典を示す責任は掲載を希望する側にあります(Wikipedia:検証可能性)。そうした責任を果たしていないものは削除します。--さんぽーる(会話) 2016年5月28日 (土) 13:46 (UTC)
--さんぽーる(会話) さん。ご連絡ありがとうございます。まず、基本的なことから申し上げます。中国兵の虐殺犠牲者、という表現は独自研究ではありません。戦時国際法違反による兵士の処刑、殺害は、虐殺犠牲者です。「「虐殺」の存否についても論叢は決着していないので、中立性にも違反します」とのことですが、だから、ひとつひとつ事実を積み上げているのではないですか。着手した動機にひとつは、戦時国際法の扱いや解釈が専門的な方でさえも、不十分だったからです。松岡環さんのことは、紹介程度にとどめましたが、その紹介した内容が事実と異なっているかどうかの検証をすべきであります。人口推移ですが、「人口が20万なのに、30万の虐殺はありえない」とだれが主張していますか、ですが、あえて、私もいろんな人が言っているので甘く考えていたので、すみません。でも、ご存知の通り、本屋にそのことが書いている本はいっぱいあります。この二ヶ月の加筆は非常に問題の多い編集です、とのことですが、その意見は伺います。しかし、たとえば「外国人の証言の羅列も否定派への反論としてそう書いた文献を提示しないなら独自研究になります」とは言いすぎです。外国人の証言の一部を都合よく、一部だけとりだすのが、悪いのです。私のやったことは、問題もあるますが、よかった部分もあると思います。冷静に考えてください。--Japanese sincerity(会話) 2016年5月28日 (土) 14:10 (UTC)
- ここで存否論争をしてもしょうがないですし、「事実」というなら最低でも出典は明記してください。--さんぽーる(会話) 2016年5月28日 (土) 14:32 (UTC)
- 松本重治の証言ですが、「上海時代(下)」中公新書,p251-253には新井正義、前田雄二、深沢幹蔵から聞いた伝聞とあり、直接の証言ではありません。--さんぽーる(会話) 2016年5月28日 (土) 14:34 (UTC)
- 虐殺の対象 の資料は資料sectionと重複しているので除去。各資料についての論争や批判は各記事で書くべきです。また、なぜ南京 (戦線後方記録映画)についての論争を長々と説明しているのでしょうか。要約程度にとどめるべきで除去します。また、Japanese sincerityさんが出典をつけて加筆されたもので、疑義のないものは除去していません。Japanese sincerityさんの編集が決定版ではありませんし、このような論争的な記事で出典もつけずに、肯定派を結論づけるような書き方ばかりで書くのは、非常に問題です。--さんぽーる(会話) 2016年5月28日 (土) 14:46 (UTC)
カメラマン白井茂の証言は銃殺があったという証言であり、何万人の虐殺があったという証言ではないですし、ひとつひとつの証言をこの記事で書くのは不適切ですので、短く一行にして映像資料sectionに移動します。--さんぽーる(会話) 2016年5月28日 (土) 14:56 (UTC)
--さんぽーる(会話) さん 南京事件は、ご存知のように個々の小さい虐殺の積算の結果です。たとえ虐殺が一部であっても、この映画のプロパガンダを否定する証拠のわけです。--Japanese sincerity(会話) 2016年5月28日 (土) 15:17 (UTC)
- 映画がプロパガンダかどうかは関係なくて、この記事に証言が長々と書かれる必要はあるか?といっております。その必要はなく、要点だけでいいです。また、書く場所もおかしいです。--さんぽーる(会話) 2016年5月28日 (土) 15:21 (UTC)
--さんぽーる(会話) さん おっしゃる部分で一部理解できるもには、自ら対応します。しかし、論議そのものの出典がなくても、明らかな事実関係の間違いが引用や出典から理解できるなら、それを記載することが独自研究ではありません。--Japanese sincerity(会話) 2016年5月28日 (土) 15:08 (UTC)
- いいえ、出典のないものはすべて除去に値します。特にこのような論争的な記事ではそうです。いつまでも納得しないのは妨害的編集とみなされ、荒らしともみなされかねません。私の出典明記要求がおかしいと考えるなら第三者にコメントを依頼されたらどうでしょうか。--さんぽーる(会話) 2016年5月28日 (土) 15:17 (UTC)
- 4月10日の私のコメント「情報源が追加されることは、否定派肯定派のどちらにも有益です」は記憶されていないようですが、そういうスタンスで私は編集しています。二ヶ月近く見守っていたら問題ばかりなので私も自らの責任を感じているところです。もっとはやく疑義を出せばよかったのかもしれません。発言を聞いていると議論をなさりたいようですが、ノートは編集者の政治主張で争う場所ではないこと、出典をつけて中立性を配慮すれば疑義を出されないこと、また出典があっても情報の合成の疑わしさがあるものなどはこの限りではないことが前提だと思います。議論をしたいなら、集会や寄稿やブログ、SNSなどウィキペディア以外にいい手段があります。ウィキペディアには独自のルールがあるので議論向きではありません。--さんぽーる(会話) 2016年5月28日 (土) 15:35 (UTC)
--さんぽーる(会話) 2016年5月28日 (土) 15:35 (UTC) 議論ではなく、厳密には意見を、それも編集についてのです。貴殿の考えが必ずしもベストでもありません。貴殿のノートを何度も見ていますが、今までに強引なやり方が批判されたこともあるようです。いきなり消す、書き直すでなく、十分に意見を述べて人の考えを述べてからにしてほしいです。いずれにしろ、これからひと月ほどかけて、自分で貴殿の意見をもとに修正・削除ができるものは行います。それをまず見て、ノートに書いてほしいです。--Japanese sincerity(会話) 2016年5月29日 (日) 01:41 (UTC)
白井茂氏の回想部分について私見を述べさせてください。映像作品には編集が入る以上、「撮ったものも切られたものがある」のは、ごく当然のことではないでしょうか。100分の映画を作る時に100分しかカメラを回さなかった、という方が非現実的でしょう。その他の証言についても、白井氏が「銃殺を見た」ことは確認できても、それが戦時国際法違反であったかどうか、この引用からはわかりません。したがって『明らかな事実関係の間違い』とすることはできないと考えます。具体的に証言を書くのであれば「南京 (戦線後方記録映画)」のページがより相応しいことは、さんぽーるさんと同意見です。--KUIDAORE2014(会話) 2016年5月29日 (日) 09:47 (UTC)
(上記の続きで)こういった論争を避けるためにもWikipedia:独自研究は載せないなどのルールがあるのではないでしょうか。また南京事件論争のページなのですから、いわば、どのような論争が行われているか・行われてきたのかといった事柄を中心に書くべきであって、一定の結論を出す方向での記述が求められる場ではないと思われます。Wikipedia:独自研究は載せないから引用すれば「信頼できる情報源を示すことで、読者が自ら調査・研究を行う際に参照することができる資料を提供します。実際のところ、人々は、リサーチの足がかりとして百科事典をひもとくのであり、調査・研究の最終段階として百科事典を参照するのではありません」。--KUIDAORE2014(会話) 2016年5月29日 (日) 19:45 (UTC)
「人口推移」を編集されましたが、繰り返します。出典の明記されないものは除去します。そして、出典を明記した場合は、意見の持ち主を明示してください。Wikipedia:言葉を濁さないは一度でも読まれましたか?学者の「主張」がただちに「事実」ではありません。肯定派の解釈が「事実」ならば、中立性からいって、否定派の主張もすべて「事実」になってしまいます。スマイス調査も完全な調査ではありません。要するに、否定派の主張は「事実ではない」と肯定派は主張するのですが、同様に、肯定派の主張もまた「事実ではない」と否定派は主張しますす。だから、論争になっているし、まだ決着はついていません。
- 「人口推移」についてのセクションですから、まず当時の南京の人口の推移を中立的に学術的に説明することを優先してください。そして、この人口について論争があれば記述する、という風にしてください。
- 百田尚樹の意見が書かれましたが、彼以前にもこの説は否定派で主張している人がいるのではないでしょうか。また「別冊正論26」がページ番号と論文名なしに書かれましたが、これは百田尚樹の論文ですか?それとも、別の人の論文ですか?明示してください。
- 「人口増があったとしても、周辺の農村部などより欧米人の管理する南京安全区のほうが治安がよいので移動して増えたのだという記録が残っており、南京の周辺も含むすべての治安が著しく改善されたかどうかを必ずしも示さない」が曖昧です。記録とはどの記録ですか。「南京の周辺も含むすべての治安が著しく改善されたかどうかを必ずしも示さない」とは誰の見解ですか?これはJapanese sincerity さんのスマイス調査とヴォートリン日記に対する解釈であり意見ではないですか?スマイス調査とヴォートリン日記に人口推移のことが書いてあればそれを書いてください。
- 「南京事件の犠牲者は、市民以外にも存在する」以降は、「人口の推移」のセクションでなく、「犠牲者数について」で説明するべき内容です。
問題点が改善されない場合は差し戻しますので、出典を明記し、またどこに書くべき内容か慎重に考えてください。--さんぽーる(会話) 2016年5月30日 (月) 13:20 (UTC)
「国際連盟の決議に関する論議」節について
- 戸井田徹の主張について出典なし。
- 後の説明も誰の意見か、明示すべきです。WP:AWW
- スペイン内戦の文章「そのころの欧州諸国はスペイン内戦のときもそうであるがファシズムとことを構えておらず」はここで説明する意味がわかりません。関連性を立証してください。
- 国連決議は争点でしょうか?否定派で批判している人はいますか?出典を明記してください。--さんぽーる(会話) 2016年5月30日 (月) 13:42 (UTC)
さんぽーる(会話さん そう感情的にならず、しかも貴殿も私もこれが本業でない以上、すぐには対応できないでしょう。もう少しゆっくり改善していきましょう。人口推移は、百田氏などの説があるので(貴殿もご存じだったですよね)、その言説と問題点は人口推移の中に論争として入れるべきと思います。 あまりリバート合戦は好きじゃないので、穏当にいきましょう。——以上の署名の無いコメントは、Japanese sincerity(ノート・履歴)さんが 2016年5月30日 (月) 23:06 に投稿したものです(さんぽーる(会話)による付記)。
リバート合戦は好きじゃないといいながら、リバートしているじゃないですか。他人から指摘された疑問点を改善してください。ゆっくり改善するというのなら、二ヶ月ほど私に編集させてください。引き続き、独自研究などは削除していきますが、改善しないままリバートしないでください。--さんぽーる(会話) 2016年5月30日 (月) 14:24 (UTC)
であれば、「南京市の人口は占領時に20万人なのに、30万人も虐殺されたのは嘘だ」の私が書いた部分も、人口推移に関係のないし、しかも間違いのある記述(それは貴殿もご存じでしょう)ですので、貴殿が消してください。--Japanese sincerity(会話) 2016年5月30日 (月) 14:28 (UTC)
- 人口推移と虐殺数の矛盾についての指摘なので関係はあるのではないでしょうか。出典が既出出典にありましたので加筆しました。2007年の南京事件の真実を検証する会が、国民政府国際問題研究所監修、南京安全区国際委員会記録 Documents of the Nanking Safety Zone(1939,上海)が元の出典ですね。そこに南京の人口は日本軍占領直前20万、占領1ヵ月後の1月には人口25万と記録されているそうです。この記録が「間違っている」とJapanese sincerityさんは主張していますが、その出典はありますか?ご自身の主張ではないでしょうか?肯定派も、この南京安全区国際委員会記録は批判しているのでしょうか?この記録は1939年と当時出版されているので、まずこの記録の説明からした方が順序はいいかもしれません。百田尚樹の発言は南京事件の真実を検証する会と同一内容の繰り返しですし、特筆性に欠けますが、注釈に納めましょうか。--さんぽーる(会話) 2016年5月30日 (月) 14:38 (UTC)
趣旨を理解しておられないようですね。出典、出典とおっしゃるが、ただここに書いてあると列挙すればいいというものではないのです。私を批判するのと、同じトラップにおられますね。主張されることをとおしたいために出典を並べればいいというものではないです。「南京市の人口は占領時に20万人なのに、30万人も虐殺されたのは嘘だ」の根本的な問題点は、この20万人の中にない戦時国際法違反があることをごまかしているのです。サイトを自分の勝手にしたいなら、してください。私も自分がベストだと思っていないので、他人の行動に寛容ですが、貴殿は少し考えが私のふだんお付き合いしている方と違うようです。ご勝手になさいませ。--Japanese sincerity(会話) 2016年5月30日 (月) 14:38 (UTC)
- 私や他の編集者の方も指摘していますが、Japanese sincerityさんは関連するウィキペディアの方針やガイドラインを理解されておられないようです。肯定派否定派の意見と、資料で書かれていることなど、分けて書くべきです。「根本的な問題点」があるなら、それを書いた肯定派の論文を探せばいいでしょう。加筆されたものをみると書籍を所持されているのでしょうから、それらを参照して出典を明記することは簡単なはずですけれど。--さんぽーる(会話) 2016年5月30日 (月) 14:48 (UTC)
ガイドラインの理解は、初心に帰ります。ただ、先に述べた理由で、貴殿とこれ以上やりとりするのをいったん打ち切ります。その二つの理由から自分の利用者ページに書いたようにしばらく休んでログインもしません。どうぞご勝手にされてください。--Japanese sincerity(会話) 2016年5月30日 (月) 15:00 (UTC)
- 「批判や対立意見を聞くことを怠らない」と書いてわずか3日で対話拒否ですか。Japanese sincerityさんは「主張をとおしたいために出典を並べればいいというものではない」といっていますが、Japanese sincerityさんの編集がまさにそれに当たるのです。Japanese sincerityさんがやったことは「いかに否定派は間違っているのか」の論証でした。ウィキペディアのすべての記事においていえることですが、一方の意見だけをピックアップして、結論を誘導することは禁止されています。出典を公平に並べていけば論点は明瞭に見えてきますし、また賛成派、否定派のどちらが正しいのかは読者がそれぞれ決めることです。--さんぽーる(会話) 2016年5月30日 (月) 16:06 (UTC)
さんぽーる会話さん 言い方きつくなってすみません。なお、貴殿の修正には一部は?もありますが、よく相手のことを考えていると思います。取り急ぎ、2か所ほど意見が今ありますが、貴方でやりたいようにやってみてはどうでしょうか。お詫びします。 --Japanese sincerity(会話) 2016年5月31日 (火) 12:22 (UTC)
- 出典があっても削除している編集は、情報の合成にあたるようなもの、たとえば2007年の否定派の見解について、2001年の本を「反論」として提示しても、書き方にもよりますが、やはり読んでいておかしいです。また、議員や作家(南京研究家をのぞく)の見解まで書いていったら、大変なことになります。原則としてこの記事は論争の当事者である学者研究者に限定して、資料などについて重要な見識がある場合はそれ以外の人も掲載する、とすべきではないでしょうか。それから、記載する場所はどこが適切かを丁寧に考えるほうがいいです。関係する資料のそれぞれの詳細についての論争のすべてを記載しようとするよりも、他の記事への記載を考えるほうがいいこともあります。たとえばスマイス調査、ヴォートリン、ラーベのそれぞれの資料の内容と論争をここでまとめてすべて書いていったら、どうなりますか?また、セクションごとに書くことも考えるべきです。各資料についての論争をすべてのセクションで繰り返し書いていったら、どうなるでしょうか。--さんぽーる(会話) 2016年5月31日 (火) 15:38 (UTC)
- 論争で話題になることや戦争にかかわる対象となる事由が限られているので、今の構成のほうがすっきりして混乱がないと思いますが。もう少し具体的に個々のことで「さんぽーる」さんなりの提案を示していただければと思います。私も自分が完全とは思っていません。貴殿に無礼な言い方もしたのでおわびもあり、少し大人して聞いてみたいと思います。--Japanese sincerity(会話) 2016年6月1日 (水) 13:57 (UTC)
- 例えば、「一般市民に関して」ですが、ラーベ、ティンパーリ、安全区国際委員会記録についての疑義は「資料」セクションで書かれるべきでしょう。資料の中立性が論争されているのですから。「虐殺の対象としての一般市民」は、敗残兵が便衣兵となったのか、便衣兵として一般市民が検証もされず殺害されたのではないか、といったことが論争になっており、これの詳細を書くだけでかなりの分量となるでしょう。つまり、前者では資料そのものが争点であるのに対して後者は「一般市民の殺害(虐殺)」が争点であり、区別されてしかるべきです。出典で補えるものがあれば補うこともしているので、整理には時間がかかります。しばらく時間をください。いま「一般市民に関して」の整理を終えつつありますが、これ以降のセクションでも出典のないものについて補ってくださいませんか?それとお詫びは不要ですよ。ウィキペディアでは毎日どこかでこういう編集議論がされています。--さんぽーる(会話) 2016年6月1日 (水) 14:13 (UTC)
- おきづかいありがとうございます 資料ですが、例えば、戦時国際法のハーグ条約の内容や、ジュネーブ捕虜条約での復仇の禁止などは、簡単に出典は探せます。しかし、佐藤和男氏の「一般に武器を捨てても(機会があれば自軍に合流しようとして)逃走する敵兵」という表現の問題点は、まさにこの()の部分の確認がないと理論体系が崩れるほどのことであるが、どうもこの部分の具体的な批判の本はすぐに探せないかもしれません。そして、佐藤氏が国際法の権威であるにも関わらずハーグ条約順守と最初に言っておいて、あとで実は無視していいと書いてある陸軍通達を、人道的としかも最初の部分だけのべて言っているのも、具体的な批判の本が出てくるかわかりません。しかし、このような巧みな部分はどうするかは、場合によっては私の手にあまるかもしれませんが、可能な限り、資料引用は追加します。バランスある貴殿の記述(本文修正結果もふくめ)には、再度感謝します。--Japanese sincerity(会話) 2016年6月1日 (水) 15:51 (UTC)
- よろしくおねがいします。佐藤説を批判したものがないなら、独自研究となります。(肯定派で国際法の方は少ない印象です)。余談ですが、既存の論文で指摘のないものを探すよりも、ネットでも肯定派による反論論文は公開されているので、そちらを充実した方が建設的かなとは思います。
- 国際認知と報道をセクション分離しました。また、アリソン事件は、これも争点なのか微妙な些末な事件なので注釈に納めました。--さんぽーる(会話) 2016年6月1日 (水) 16:19 (UTC)
- 瑣末とは語弊があるので。アリソン事件で発覚した日本兵十数名によるレイプ事件は、いわゆる「南京大虐殺事件」の規模と比較すると瑣末で、実際レイプよりもアリソンを投打したことが報道などでも重視されている、ということです。--さんぽーる(会話) 2016年6月1日 (水) 16:24 (UTC)
- 私も、ひとりで編集しているとき、「ひとりの考えでよいのか」と考えながら作業していました。多少追加しましたが、意見あれば、遠慮なく。--Japanese sincerity(会話) 2016年6月3日 (金) 14:53 (UTC)