ノート:千菅春香/過去ログ1
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過剰な出典主義について
本日、「出演作品 テレビアニメ 2015年 響け! ユーフォニアム(吹奏楽部員、川島琥珀)」の部分につきまして、利用者:わしがみねさんより、出典として「青春な - 千菅春香オフィシャルブログ「ちすがたり」 2015年4月14日」が追記されていたのを確認しました。そもそもこのblogエントリでは、役名も記載されていないし、その時点で「(吹奏楽部員、川島琥珀)」という役名に対する出典として不適当なわけです。既に今日は5月28日ですし、5月27日放映分までを反映してるこの記述部分の出典に4月14日のblogを持ってくるのも時系列としておかしい。ですから、リバートを行ったのですが、わしがみねさんより、WP:TVWATCH及びWikipedia:コメント依頼/H ichi34およびWikipedia:井戸端/subj/速報投稿についてを理由にリバートのリバートが行われました。
さて、はたして、このように出演作の本放送エンディングクレジットで確認できた出演作品記述を、WP:TVWATCHを理由に別の出典を要求すべきものなのでしょうか。売れっ子声優だと年間20役こなすこともありますが、そうしたら毎年20の出典が必要になるんでしょうか。記事が出典だらけになりますね。wikipediaのサーバも大変です。
そもそもWP:TVWATCHの主旨としては、「後から疑問を持った人がその発言などを確認しようとしても確認できる手段がない、だから出典としては無効である」ということです。後日誰からも確認が可能であるか否か、そこがポイント。ここを無視してはいけません。で、「響け! ユーフォニアム」のようなテレビアニメ番組ですと、数日~15日ぐらいの時差があることはありますが、dアニメストア・バンダイチャンネル・ニコニコ動画などのビデオ・オン・デマンドで無料または有料で配信も行われ、たとえ放送を録画していなくても誰でも視聴して本当かどうか確認しようとすれば可能です。本作では7社がVODを行っていますね。他の声優等の記事の出典においても、ネットラジオなどで一定期間(1ヶ月等)アーカイブ配信が残るものについては、それが永続的なものでなくても出典としては有効でありWP:TVWATCHを根拠として出典無効・記述削除はしないという判断が大きくなってきています。つまり、声優のテレビアニメ出演作品の記述は放送時のエンディングクレジットが出典にならない、という主張は、VODが行われていなかった以前ならともかく、幅広く行われている現在にはそぐわない古いものになっているのです。
この点についてご理解いただいて、過剰な出典主義はつつしんでいただき、必要とされない出典をわざわざ後から書き加えるのは避けていただければと思います。--SuperTheSonic(会話) 2015年5月28日 (木) 00:39 (UTC)
- コメント ならSuperTheSonicさんは、Wikipedia:出典を明記する、Wikipedia:検証可能性といった方針・ガイドラインを無視するということでよろしいのですね。私は、アーカイブ(ブルーレイやDVD)化されれば検証可能性が満たされるわけですから、あなたの編集やH ichi34さんの編集がダメだなどとは言ってません。ですが現状検証可能性を満たしていないのですから出典が必要です。不可欠です。--washigamine(会話) 2015年5月28日 (木) 00:47 (UTC)
- コメント なぜそのような解釈になるのか困惑しております。7社でVOD(すなわちアーカイブ)が行われており、検証可能性を満たしている。したがってそれ以上の出典は過剰である。分かりにくかったでしょうか。円盤形状の固形物のみがアーカイブではなく、インターネットを通じて誰でも引き出そうと思えば引き出せる状態にあるものはすでにそれはアーカイブです。これは私だけがこう主張してるわけではなく、既に書いたように、他のさまざまな記事の編集において、多くの編集者から「webで一定期間アーカイブされている/いたものは検証可能性を満たしているよね」とみなされているわけです。--SuperTheSonic(会話) 2015年5月28日 (木) 00:54 (UTC)
- コメント Wikipedia:検証可能性の解釈が私とSuperTheSonicさんでは異なるようですね。一応私はWikipedia:井戸端/subj/速報投稿についてやWikipedia:コメント依頼/H ichi34において、テレビのエンドロールを見ての編集は無効との解釈を他編集者様方から得ておりますが、あなたの意見に応じ私の編集を取り消しました。あとは他編集者がどのように判断されるかにゆだねます。--washigamine(会話) 2015年5月28日 (木) 01:01 (UTC)
- 出典が除去されていたので機械的に差し戻したのですがここの議論をみると双方の主張に問題がありますね。まず出典そのものは当人のブログとはいえ出演しかわからず役名がわからないため微妙ですし使えないでしょう。ただ時系列に関しては古くても出典として使えるなら問題ありませんが。あと出典過剰という理由に関しては疑問符を付けざるを得ません。1つの件に対して4つも5つもついていたら過剰といえるでしょうが2つついているだけでは過剰といえないでしょうしそれを理由に除去しているのは問題です。--Aquamarin456(会話) 2015年5月28日 (木) 04:07 (UTC)
- Aquamarin456 論点は2つあります。
- まず1つめは、テレビ放映されたアニメのエンディングにクレジットされた出演の声優名と役名はwikipediaの記事に記載可能な出典として検証可能性を満たしているか、という点ですが。この点については既に述べたようにソフトの発売を待つまでもなくVODで検証可能になるものですから、満たしています。
- 2つめは記述そのもののにエンディングにクレジットされていた以外の出典が必要かですが、Wikipedia:空が青いということに出典は要らない問題かと思います(誤字や誤記があり、それを公式ツイッターやwebサイト、該当人物自身や監督・スタッフのツイッターあるいはblogで言及と訂正があれば別ですが)。エンディングにクレジットされていたものを上回る他の出典が存在する(たとえばクレジットされていなかった兼役が発表されている等)場合はそれを出典としてさらに情報の上積みができますけれど、クレジットされたことそのままあるいはそれ未満の情報しかない出典は付ける必要が無いです。記事サイズを無駄に肥大させないことも考慮する必要があります。wikipediaのサーバ資源も、利用者1人1人がページダウンロードに要する通信資源も無料の無限じゃないのですから。付けなければいけない、必要な出典はもちろんすべて付けるべし、しかしあえて付ける必要がない出典までべたべた貼るのも避けるべし、その両立が求められるでしょう。--SuperTheSonic(会話) 2015年5月28日 (木) 05:16 (UTC)
- [[番組名]](役名)<ref>出典</ref>
- と私は普段からこのように記載しますが、出典にしたブログ記事に役名は無く出演の旨のみ書かれていたことから
- [[番組名]]<ref>出典</ref>(役名)
- というように記載し要約欄に「役名までは不明」と記述したのです。--washigamine(会話) 2015年5月28日 (木) 04:25 (UTC)
- SuperTheSonicさんの意見とほぼ同じです。ただ同格の出典に関しては複数つけた方がいいというケースもあるようですので一律除去ではなくケースバイケースで判断すべきでしょう。今回は出典が未満の情報ですので除去で問題ありません。--Aquamarin456(会話) 2015年5月28日 (木) 10:34 (UTC)
- コメント 「空が青いということに出典は要らない」が引き合いに出されておりますので、コメントいたします(私は、その私論を訳出した者なのです)。
- 「響け! ユーフォニアムにおける川島琥珀役とは、千菅春香である」ということは、「空が青い」と同等と言える程の「誰もが知っていること」なのでしょうか。それならば出典は必要ありません。しかしそうでないならば、「Wikipedia:検証可能性」に従って出典を提示する必要があります。「調べればわかること」は「誰もが知っていること」ではなく「調べなければわからないこと」なのです。もっと言えば、「響け! ユーフォニアムを見ればわかること」は、「響け! ユーフォニアムを見なければわからないこと」なのです。そして出典提示がない場合、出来れば出典を補記することが望ましい。そうすれば、せっかく書かれた記述を残しておけるからです。記述の出典が見つからなければ、記述ごと除去です。washigamineさんによる出典は、「あえて付ける必要がない出典」ではありません。この出典で、役名は不明ながらも出演していることは担保できます。確かにビデオオンデマンドでの出典があれば不要ですが、その出典を誰も付けない間は必要です。
- 「売れっ子声優だと年間20役こなすこともありますが、そうしたら毎年20の出典が必要になるんでしょうか。」その通りです。毎年20の出典を付けてください。
- 「テレビ放映されたアニメのエンディングにクレジットされた出演の声優名と役名はwikipediaの記事に記載可能な出典として検証可能性を満たしているか」テレビ放映単体では、満たしません。これはご承知の通り、WP:TVWATCHにある「事実確認の機能を欠く情報源」だからです。
- 「ソフトの発売を待つまでもなくVODで検証可能になる」出典として記載可能です。ビデオオンデマンドを出典として、出典を差し換えてください。出典をただ消して、検証可能性を満たしているなどとは言えません。
- 「空が青いということに出典は要る」もご覧ください。
- 記事には手を付けませんけれどね。私は「響け! ユーフォニアムにおける川島琥珀役とは、千菅春香である」を常識とする世界にいませんので。--LudwigSK(Talk/History) 2015年5月29日 (金) 03:40 (UTC)
- コメント すくなくとも、およそwikipediaにおいて声優やアニメーション制作スタッフの個人を扱った記事が現在の記述フォーマットに定まって以降、それが明文化されていなくても「出典が明記されていないアニメ出演歴やアニメの仕事歴は、セルメディアやテレビ放映のオープニングまたはエンディングにクレジットされていたことで確認されている」という前提が暗黙の了解として共有されてきています。そういう暗黙の了解をよしとしない方が過去何度かいくつかの記事において編集合戦になったり全部に出典つけないととノートで議論したりしましたが(その一部がWikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ6#テレビ番組の出典の書き方やWikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ6#出演リストへの出典の明記は「無差別」かに残ってたりするわけですけども)、議論はその場限りで立ち消えになったみたいで、そういう分野の編集者に一向に支持をされずに今もずーっとその暗黙の了解が慣習化しているわけです。それを変えたいとお思いでしたら、支持を得られる形で適切な場所でなんらかの提案をしないと無理だと思います。
- あと、もいっこ問題がありまして、LudwigSKさんなどの出典に対する厳密さをすべて満たすようにたとえば今回問題になった1行に出典をつけようとすると、「響け! ユーフォニアム(吹奏楽部員<ref>「響け! ユーフォニアム」2,3,5話クレジット</ref>、川島琥珀<ref>「響け! ユーフォニアム」8話クレジット</ref>)」という形式で注釈をつけていくしかなくなります。これを全声優・全アニメ関係者につつがなく適用すると、これってwikipediaで禁じている記事のデータベース化、WP:NOTCATALOGに抵触するだろうと私は考えます。そもそもアニメや声優を中心としたサブカルチャー分野の記事は、データベース化したがる編集者が多い素地がありますから、出典主義を今より強く持ち出すことはこういう記事のデータベース化を行ってもWP:NOTCATALOGに抵触しないからどんどんやってヨシだって出典つけろって強制されたんだもんというお墨付きを与えることになってしまいかねません。今まで、クレジットで確認できれば出典つけなくていいからという暗黙の了解があり、何話に出てたという出典をあえてつけようとしても全部削除を食らってきたことがあって、記事のデータベース化が強く抑制されwikipediaが望まない方向に記事が肥大するのを防止できていたという側面は無視できないと思うところです。
- 暗黙の了解では日頃その分野の編集をしてないとわからないしそんなの認められないっていうんでしたら、今のその暗黙の了解をプロジェクトのローカルガイドラインとして明文化してもいいんじゃないかと思いますけどもね。「テレビ放送やソフトのクレジットで確認できるものについては、その記述そのものが出典明らかであるから、あえて出典として明記する必要はないし、出典として書くこともしてはいけない(←データベース化抑制のため)」というふうにですね。いかがでしょう。--SuperTheSonic(会話) 2015年5月29日 (金) 14:19 (UTC)
- ご意見が検証可能性の例外事項という、一記事のノートに収まる話ではなくなっているものと思量します。コメント依頼を出し、他の方のご意見を聞いてみることにしましょう。--LudwigSK(Talk/History) 2015年5月30日 (土) 00:56 (UTC)
- コメント コメント依頼から来ました。そもそも根本的に思うことですが、ある記載が「出典を付けることで」WP:NOTCATALOGに該当するようになる、なんてことはありえないと考えます。むろん、(1クール内で声優が変わるような特殊事情がある場合は置いておいて)入手可能なアニメを出典にする場合も、基本的に1話分の出典で充分で、出演した全話分をリストにする必要はないとは思いますが。むしろ、出演したものを大から小に渡るまですべて挙げていく、という内容そのものがWP:NOTCATALOGから考えて問題だと判断します。インタビューやメディアでの紹介などといった第三者言及で、本人と関連付けられた役柄だけで充分だと考えますが、それについてはいかがでしょうか。--Jkr2255 2015年5月30日 (土) 01:50 (UTC)
- ご意見が検証可能性の例外事項という、一記事のノートに収まる話ではなくなっているものと思量します。コメント依頼を出し、他の方のご意見を聞いてみることにしましょう。--LudwigSK(Talk/History) 2015年5月30日 (土) 00:56 (UTC)
- コメント コメント依頼から。論外です。
- WP:Vより “検証可能性は、三大方針の一つです。議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。”
- まず、「データベースかどうか」から離れて「過剰な出典要求」に絞って言うと、「響け! ユーフォニアム(吹奏楽部員<ref>「響け! ユーフォニアム」2,3,5話クレジット</ref>のように1行毎の出典はまさに必要です。それを省略していい理由など全くありません。過剰でもなんでもなく、妥当です。もしかすると可読性はいくらか低下するかもしれませんが、それがウィキペディアのルールであり、可読性と検証可能性を天秤にかけたら、問答無用で検証可能性が優越する、というものです。
- 出演作品を列挙するためにはいちいち出典を書いていたらやりにくい、なんて意見は、検証可能性・WP:NOTCATALOGから一番遠いところにある発想です。
- 理想的なのは、『声優Aさんの生涯』みたいな出典を使って、1出典で「出演作品」をカバーできることです。もしも『声優Aさんの生涯』に、「主な出演作」として3つしか書かれていなかったら、その3つだけ書けばいい。「それ以外は書くに値しないものだ」「全体を俯瞰した時にこれが書くに値することだ」という判断が行われているということです。
- これに対し、無差別に、出演した作品を全部列挙しようとするのが「データベース」です。
- 記事全体として十分な文章・説明がある大きな記事で、充実した「出演作リスト」も添えられているのは悪くはないでしょう。しかし、出演作リストを優先させて記事を疎かにし、1話放送するたびに慌ててスタッフロールをもとに加筆し、検証可能性を軽視するというのは、ウィキペディアが「やるなよ」と言っているものどまんなかです。どこか別の場所でやるなら、立派なサイトとして評価されるでしょう。
- 一般に趣味者の世界では、「情報源が稀少なこと」が「貴重な情報」と評価される傾向がありますが、ウィキペディアでは「情報源が豊富な情報」が「重要な情報」であり、「情報源が乏しい情報」は「些末な情報」であるとみなす、というのが基本的なスタンスであると考えます。--柒月例祭(会話) 2015年5月30日 (土) 02:55 (UTC)
- コメント コメント依頼で議論に参加してくださってる皆様、ありがとうございます。ぜひ、これまでの議論を十分に読み込んで、特にSuperTheSonic 2015年5月28日 (木) 05:16 (UTC) 及び SuperTheSonic 2015年5月29日 (金) 14:19 (UTC)へのご理解を深めていただきたくお願いいたします。
- その2つのコメントで説明済でありますように、声優等の分野の記事において「出典が明記されていない」ということはなんら「検証可能性を否定して」はいない実情があるわけです。それが明文化されていないローカルな暗黙の了解であっても。「出典が明記されていない」記載については、ほぼ自動的に「出演作のクレジットで確認可能である」という類推が行われるので、検証を行いたい人は誰でもそこの明記されている出演作のビデオソフトなりビデオ・オン・デマンドなりでいつでも検証できるわけで。つまり、記事本文のその行そのものが出典を明示しているゆえ、「他に出典を書かずともwikipediaで求められている検証可能性は十分に満たされている」状態です。
- また、これらの記事においては、その暗黙の了解で成立している検証可能性を維持する努力も続けられています。アニメなどでは兼役と言って、クレジットでは役Aとして出演したと明記されているものの他に、同時に役B・役C・役Dで出演もしているがそれらはクレジットされない、ということがしばしば発生します。目立つ声だから分かる人が聞けば誰がクレジットされてなくても演じたか分かるとか。しかしこれらは、それだけではwikipediaの記事に記述を許されていません。仮に記述した編集者が居れば「出典不備&独自研究」として即リバートされています。作品公式や監督個人などのblogやtwitterなどで「実は兼役は誰それがB役とC役もやってて」といった出典があって初めて許容されています。そういったクレジットされていない事柄の出典を省くことは(これも明文化されていませんが)許されない実運用がされていると理解しています。
- これら運用上の実態をご理解いただき、「出典が書かれていない=検証可能性を満たしていない」といった即断は避けていただければと思います。
- もちろん私が既に書いているように「暗黙の了解はプロジェクト外の人間に分かるわけない、問題だ。ローカルルールを運用したいなら明文化しろ」という要求は当然のことだと思いますので、今後議論を発展させるのはそういう方向になるのかなとも思いますが。--SuperTheSonic(会話) 2015年5月30日 (土) 05:09 (UTC)
- 「原則・建前」と「実情」、「目標」と「現状」、「目指す方向」と「過去・経緯」、というのを区別したほうがいいと思います。
- ウィキペディアは変化し続けています。検証可能性や出典明記に関するルールもその例外ではないです。Wikipedia:検証可能性は、2006年4月以前には文書として存在しませんでした。2006年3月の時点ではWikipedia:方針とガイドラインの一番上にはWikipedia:あなたが精通していること、または学習しようとしていることについて寄稿するがあり、「検証可能性」「出典の明記」なんてありませんでした。しかし今は違います。過去の「慣習」がいつまでも通用するとは限りません。
- アニメやテレビに限らず、ほとんど全部の分野で、かつてウィキペディアは記事に飢えていて、とにかく記事を増やすことが求められていました。しかし数が増えた今は、検証可能性・記事の品質を高めることに重点がシフトしてきています。
- 歴史を考えれば、これまではそれでよかったし、そうやってきたわけで、今日いきなり「ルール違反だから今すぐ全部消しますね」ということもないでしょう。しかし、これからは、いまままでよりも品質を高めたり、過去の記述を見なおして検証可能性を確保する、ということをやらざるを得ません。
- 「暗黙の了解」というのは脆いもので、そんなの知らないよ、という人が正論を持ち込んだら簡単に崩壊します。もとからいた人には「秩序の破壊者」に見えるかもしれませんが、より俯瞰的な立場からは「暗がりを明かりで照らす人」とみなされるかもしれません。
- 「出典の示し方」そのものは、工夫の余地はあると思います。絶対に逐一、一行ごとにrefを入れなければ、それ以外の方法論は全部だめということではないです。別のスタイルで、各記述の検証可能性を確保できるのであれば、それでもいいはずです。一行ごとにrefをいれるのは、読者からはその場で情報源を確認できて楽だったり、編集者からすると情報源と情報を近い場所にかけるので編集しやすい、というメリットはあります。しかし、そのメリットを捨てても、なにか別の方法があるなら、それもまたありでしょう。
- 最後に紹介をしておきます。私は競馬分野の執筆者なんですが、競馬分野でも全く同じような問題は起きています。たとえば中山記念の「歴代優勝馬」という節では、この表の出典として、記事の一番下の方に「各回競走結果の出典」節を設けて、そこにまとめています。よくみると、1936年 - 1997年は1文献、それ以降は1年につき1URLというふうになっています。この「出典」は去年から整備中でして、まだ全部の記事・年度は整備されていません。また、URLの「閲覧日」の示し方は少し拙いところがあります。「出典の示し方」がまだ洗練されていないんです。中には、表に1年ずつrefが記述されている記事もあります。サンデーサイレンスは2011年から「秀逸な記事」でしたが、「血統表」節には出典がありませんでした。当時の基準では、そこには出典がなくてもよかろうということだったんでしょうけども、つい最近そこにも出典が整備されました。この血統表を見ていただくと(競馬をご存じなければなんじゃこりゃというものかもしれませんが)、サンデーサイレンスの祖先30頭の名前がずらずらと並んでいますが、1頭づつにはrefがありません。Aの父はB、Bの父はC、Cの父はD・・・という風に1情報づつ出典を用意するという方法もありますが、ここでは「血統表そのもの」の出典1つによって、30頭分全部の根拠とできるものを使っています。こうしたやり方が理想的な最終形とは言わないのですが、試行錯誤しながらやっている真っ最中、というところです。
- いますぐ全部消せ、ということはないんですが、より良い状態へ改善し続けることは必要です。--柒月例祭(会話) 2015年5月30日 (土) 06:01 (UTC)
- 「売れっ子声優だと年間20役こなすこともありますが、そうしたら毎年20の出典が必要になるんでしょうか。」
- >20役の記載には20役分の出典が必要なのは当然周知のことと思います。ただし役の記載数と出典の数は必ずしもイコールという意味ではなく、複数の出演歴を包括的に記した情報源があればその記載内容に対する出典は1つで可。逆に、情報を補完する目的や複数の媒体の情報源を組み合わせてアクセス性を向上させる目的など(閲覧に便利なウェブサイトの出典と保存性の高い紙媒体の出典を併用する等)で、1つの情報に複数の出典が付く場合もあり。
- 「記事が出典だらけになりますね。」
- >本来はそうなるはずです。なっていないのが問題。ただし、声優記事の出演リストに関しては従来より、作品がVODなどで入手可能になっていれば作品内のスタッフロールを一次資料の出典とみなすことも許容されており、その場合は脚注などの書式を使った出典の別記は省略可(リスト中の作品名の記載が出典提示を兼ねるものと理解しています)、二次資料などの高次出典が確保できているものは脚注で付記、というのが現状でのオーソドックスな運用実態。
- 「記事のデータベース化が強く抑制されwikipediaが望まない方向に記事が肥大するのを防止できていたという側面は無視できないと思うところです。」
- >だとすればなぜ、第8話だけ出演の端役で挨拶程度の台詞しかない「川島琥珀」の役名自体が除去されていないのでしょうか? 他の役名を見てもとくに抑制にはなっていません。どこまで書くべきかはこの記事だけで簡単に結論を出せる問題とは思いませんので、直ちにそれらの出演歴を消してしまうことは支持しませんが、仮に「望まない方向に記事が肥大するのを防止」するという効果を期待されているのだとすれば明らかに逆効果でしょう。
関連する過去の議論としては「Wikipedia:井戸端/subj/出演作品の出典について」あたりが参考になるかもしれません。
およそ記事全体を含めて「雨宮天」や「花江夏樹」ぐらい出典が確保されていれば、出演リストの出典記載(の一部に二次資料の出典記載がないこと)だけを理由に「Wikipedia:検証可能性」の面で問題視されるものではないと思いますが、さらに欲を言えば、記事「逢坂良太」のように出演話数も書かれてあると非常に便利です。過去の議論(この件と若干関連するかもしれません)の中でこの方の出演リストをチェックする作業をしたことがあったのですが、話数が書かれているのといないのとでは確認の手間が雲泥の差で、確認作業が非常に手早く楽に済んだという実体験があります。--ディー・エム(会話) 2015年5月31日 (日) 04:04 (UTC)
コメント 検証可能性については他の方々が述べているので、なぜ「過剰な出典主義」と感じるのかについて。
「売れっ子声優だと年間20役こなすこともありますが、そうしたら毎年20の出典が必要になるんでしょうか。記事が出典だらけになりますね。wikipediaのサーバも大変です。」とのことですが、サーバーを気遣うならば、百科事典であるウィキペディアで、一声優の出演作品を逐一取り上げる必要性はありません。記事の特筆性は「対象とは無関係な二次資料」の存在によって決まります。記述内容の特筆性も「対象とは無関係な二次資料」に基づくものが高く、「対象と関係がある二次資料」や「一次資料」の特筆性は高いとは言えません(客観的な判断材料にならないからです)。
ある作品に出演したことが、「対象とは無関係な二次資料」で毎年20も取り上げられる声優はそうざらにはいないでしょう。実際、このページの声優の記述内容も、出典の大半は「一次資料」か「対象と関係がある二次資料」であり、それらの特筆性が高いとは言えません。つまり、大して特筆性が高いとは言えない「一次資料」や「対象と関係がある二次資料」に基づく記述を、取りとめもなく過剰に書きこむから、それに対応する出典も過剰に思えるのです。--123.220.9.32 2015年6月1日 (月) 06:18 (UTC)
質問 おおむね皆様のご意見が出揃った様ですので伺いますが、結局のところ、私が出典(千菅はるかのブログ記事)を記載した行為はWikipediaの方針・ガイドラインに照らし合わせて正しいのでしょうか?間違っているのでしょうか?--washigamine(会話) 2015年6月6日 (土) 09:23 (UTC)
- コメント 全く適切です。出演作品のリストですから、役名は確認できなくとも、その作品に出演したと言う出典にはなります。それを考慮して、作品名の後、キャラの前に脚注を持ってきたのも適切な処置です。一つ適切でないのは「役名不明」は要約欄でなく脚注自体に書くべきことです。よって、その点を訂正して、再び掲載しておきました。
- なお、ディー・エム氏の補足になりますが、作品がDVD化等で検証可能となっている場合でも、二次資料による出典があれば付けたほうが良いのは、①検証しやすさが高まる、だけでなく②特筆性も高まるからです。今回のは「対象と関係がある二次資料」ですから大して高くはなりませんが、無いよりはマシです。現状よりマシになるのを取り消すことはありません。--123.220.9.32 2015年6月7日 (日) 10:32 (UTC)
- 123.220.9.32さん他のご意見がよく分からないのですが。「出演作の本文記述そのものがクレジットで確認された出演していることの出典である」ということを否定する方はいらっしゃいませんよね。それを上回る、クレジットされていない兼役などの出典を記述することは必要であると最初から意見として明記してますし、本文という既存出典を上回る情報が無い出典表記は結局は不要であり過剰ですよね。同じ情報量しか掲載されていないのに複数の出典があると、両方見ないといけないのかと混乱をむしろ引き起こしますし、わざわざ見たのに同じことしか書いてないじゃないかってなりますから、「これだけ見ればいい」という出典が存在する場合はそれのみを示すのが利用者にとって最も親切ですし、この件の場合は出演作そのもののクレジットです。二次資料で言及された特筆性等は、人物であるとか代表される芸歴あるいは第三者からの評価という、出演作品歴とはまた別の項目に特記を行う場合に出典として必要とされるものですが、出演作品歴の出典としては不要と考えられます。そこは議論する上で混同してはいけないと思います。結局は、ガイドラインとして明記されていないことが混乱を起こしているので、現状の記事群の執筆状態をある程度担保する形でガイドラインに補足を行ったほうがいいのかなとは思うので、もうちょっと案を練ってみてからガイドラインに追記をする提案をしかるべき場所で行おうかなとは思います。
- ディー・エムさんの提示された「逢坂良太」の記述は、私にはwikipediaとして過剰に思われますが、いや過剰じゃないよ全体そうして行こうよっていう方向性でしたら反対するものではないので、それもガイドライン追記案に盛り込んで広めていくといいかなと思いますけど。--SuperTheSonic(会話) 2015年6月7日 (日) 17:28 (UTC)
- コメント
- 「『これだけ見ればいい』という出典が存在する場合はそれのみを示すのが利用者にとって最も親切」
- > 常に出典を一つに絞るほうが良いとは限りませんが、一つに絞ったほうが良い場合には、より良質な出典を優先的に選べば問題ないでしょう。通常は信頼のおける二次資料のほうがより望ましい優良情報源ですから、そちらの方をわざわざ消す理由はありません。今回のケースがたまたま特殊だった(今回の場合は後から追記された個人ブログよりも一次資料の方が優れているとみなせる点があったため、資料評価の意見が分かれて編集合戦に陥った)だけのことで。
- 「出演作品歴の出典としては不要」
- > 作品そのものが一次出典として使用可能な場合には、二次資料がなくても一応OKということではありますが、無い方が良いということにはなりません。もし優良な二次出典があるならそれに越したことはないでしょう。
- 記事「逢坂良太#テレビアニメ」節の話数表記について
- > 作品そのもののクレジット表記を出典として用いるのであれば、何話のエンドクレジットを参照すれば良いのかは最低限書いておいて欲しいというのが本音です。たとえば、シリーズものの書籍類を出典として記載する場合に、巻数まで明記するのは過剰だから必要無いという意見はウィキペディアとして受け入れられていないと思います。とはいえ、声優記事の出演リストの話数表記については既存のルールがあるわけではないので、現時点でことさら問題視する意思はありません。そもそも二次資料の出典が付いてさえいれば(作品クレジットを出典として参照する必要がないので)出典情報としては話数表記までは要らないわけですし。できればもののついでに出演話数も書いてくれてると正直便利でありがたいかな、という程度の話です。--ディー・エム(会話) 2015年6月8日 (月) 12:07 (UTC)
- コメント 人物など他の章ではなく、「出演作品」章の記述において、テレビ放送のエンディングクレジットが正確に行われている通常あるべき状態で作品そのものが適切な一次出典だったとき、「一次出典より優良な二次出典が存在しうる」状況というのが想定できません。具体的に過去どのどうな実例があったかご教示いただければ検討できると思うのですが。
- 何度も例示しているように、日本のアニメ出演時のクレジットは主たる役1つしか掲示されないのが通常ですから兼役があったときに兼役は表記されないとか、ある主の事故的に誤記があったり記載がまるごと欠落していた時に、本人のtwitterやblog、作品の公式twitterやblog、監督などスタッフのtwitterやblogといったところでその旨の補足があったりはしますが、それは仮にその記述を行うなら出典として示さねばならないものではあっても「もう1つの一次出典」であって「優良な二次出典」ではないことは確かですし。--SuperTheSonic(会話) 2015年6月8日 (月) 23:28 (UTC)
- コメント
「一次出典より優良な二次出典が存在しうる」状況
> 具体例で言えば、先に挙げた「逢坂良太」、「花江夏樹」、「雨宮天」の他にも「花澤香菜」、「瀬戸麻沙美」、「種田梨沙」、「茅野愛衣」、「早見沙織」、「松岡禎丞」、「石川界人」……など、現在は多くの記事でわりとマメに出演リストの出典確保が行き届きつつある状況かと思います。
一次・二次資料の扱いに関するウィキペディアのスタンスとしては
ブログなどの自己公表された情報源の扱いについては
などの方針・ガイドラインが参考になると思います。--ディー・エム(会話) 2015年6月9日 (火) 11:29 (UTC)
- 返信 「瀬戸麻沙美」等を見てみましたが、出典として公式サイトの類が書かれているものって、第1話放送開始前あるいは放送期間中の途中から加わってくるキャラクターの登場話数よりも前に、すなわち実際に放送が行われ出演していてクレジットされるよりも前に発表があって、それを根拠として実際の出演が確認される前から速報的に記述されたものの名残ですよね?またこれらも基本的に一次情報です。まれに新聞社の記事のリンクもありますが。そういった事前から発表されたものではない、クレジットで初めて知られた出演作品が記述されているものに対し、二次情報が出典として付いているものはざっと見ていった範囲では見当たりません。本記事「千菅春香」においても、主役級などであらかじめ公式サイトに情報が出ているものであれば出典として明記されてますし。そういう意味では、今回の発端となった既にテレビ放映されクレジットで確認が済んでいる、記述そのものが検証可能性を満たしているものにあえてより確度が低い一次情報である本人blogを出典として書き足す意味はなにもないということには変わりがないということになりますかね。--SuperTheSonic(会話) 2015年6月9日 (火) 13:02 (UTC)
- どのような場合でも「より確度が低い一次情報」を書き足す理由はなにも無いでしょう。少なくとも「より劣った方の情報源を書き足しましょう」と主張する編集者はいないはずですから、どの出典を優先的に採用するのかで意見が分かれた場合には、どの情報源を最も有用とみなすのかという点で見解の相違が生じている可能性が高いと考えられます。ですから、そのような場合には編集者間で意見調整をはかっていただき、どの情報源が最も出典として優れているのか結論に達したらそれを記事の出典として採用すれば良いですし、いずれの資料も甲乙つけがたければ両方を記載すれば何ら問題ないと思います。--ディー・エム(会話) 2015年6月9日 (火) 13:35 (UTC)
- わしがみね ディー・エムさんも『どのような場合でも「より確度が低い一次情報」を書き足す理由はなにも無いでしょう。』とおっしゃってて、3日ほど待ってみましたがそれに反論する方もまったくいらっしゃらなかったので、今回の「最も信頼できる検証可能な一次情報であり記載そのものが出典とイコールである放送のクレジットを根拠に記述された出演情報」に対して、より劣る一次情報である本人blogを出典として追加する意味は無かった、ということで合意がとれたということになると思います。--SuperTheSonic(会話) 2015年6月12日 (金) 16:23 (UTC)
- コメント この案件はいくつかの側面があると思います。
- 一般論としては記事の情報源として複数の選択肢があればその中から一番良い情報源を選んで記載することも可能ですが、この件に関して5月27日の編集時点ではwashigamineさんが本人ブログ以外の情報源を確認できていなかったと推測できますので、だとすれば編集者自身が実際の確認作業に用いたその情報源を出典として記載するのが鉄則であり、総合的に判断して妥当な編集対応だと思います。これに対して過剰な出典だから除去せよという主張は方針上明らかに誤りであり、その点に関して他の複数の方々から異論が出ていることは十分に認識いただく必要があると思います。
- 確固たる出典のない役名の記載自体を除去せよというのであればある意味では正論かもしれませんが、今回の件の実情としては、声優本人の個人ブログにしか記載のない出演情報をwashigamineさん自身が積極的に加筆しようと企図したわけではありません。あくまで他ユーザーが加筆した無出典の記載内容を救済するためにあえて努力を払って、おそらくその時点で唯一用意できた出典を緊急避難的に追加されたのであり、washigamineさんの対処方法はむしろ厳格な出典主義(役名ごと除去もしくは{{要出典}}貼付)よりも穏当に現実的な判断を優先したものと捉えるべきでしょう。
- 作品本編の出典としての有効性(アーカイブの存在)について、私個人は2つの動画サイトを利用していますが、そのいずれも5月28日時点では『響け! ユーフォニアム』8話の配信は開始されておらず、まだアーカイブとして参照できる状態にありませんでした。バンダイチャンネルでの配信は5月31日に配信開始(現在も配信継続中)、dアニメストアの場合は5月31日(各話毎週日曜)から1週間の期間限定配信となっており現在その放送回は試聴できません[1]。SuperTheSonicさんが5月28日時点で出典として使用可能な本編アーカイブを実際に用意された上でwashigamineさんの出典への批判や除去を行っておられたのかどうか疑問が残ります。作品本編を出典とする場合に、リストの掲載作品名と重複する出典情報の脚注表示は省略するという分野内の書式慣行があるとはいえ、個別分野内のルールによって方針に反した無出典の加筆を許容できるわけではありません。わずか数日のタイムラグですからあまり厳しく問題視しすぎるのは考えものかもしれませんが、もしも代わりの出典を用意せずに既存の出典を除去したということだとすれば、方針上望ましい判断とは言いがたいでしょう。
- しかし少なくとも現時点では既に同作品第8話の動画配信は行われているため、個人ブログよりも信頼性のある出典として使用可能であるという主張自体は理解できますし、それによって既出の出典記載を省略することを提案されるのは別に問題ないと思います。ただしその場合には上記の点などを踏まえた上で、ウィキペディアの方針上でも単純なデータの情報源としては作品の一次資料でも問題なく使用可能であること、現在出典とされている本人ブログには役名の記載がなく情報が完全ではないことなど、従前の出典に比べてどのようなメリットがあるのかを具体的に説明した上で、出典の除去ではなく出典の改善として、改めて適切に提案していただくのが良いと思います。作品自体を出典とする場合には声優記事の慣行として脚注での出典提示は省略されるのが通例となっていることも含め、他の方から反対がなければ個人的には当該の脚注を省いて頂いても問題は無いかと思います。
- 当記事の個別の問題とは別途に、声優の出演リストの記載方法が現状のままで良いのかどうかといった分野全体としての包括的な問題は残ると思います。個人のブログやSNSなどしか情報の無い役名の記載、「村人A」的な端役の役名記載、有名声優だと年間数十作品程度のペースで長大化していく出演作品リストなど、情報を見つけたからといって即座になんでも自由に書いて良いというわけにもいかなくなってくるだろうとは思いますので、今後は特に、情報源の評価も含めてリスト全体の取捨選択を考えることがむしろ必要かもしれません。--ディー・エム(会話) 2015年6月13日 (土) 04:09 (UTC)
- ディー・エム いえ、washigamineさんが貼り付けた本人blogのエントリは4月14日のものでその1ヶ月以上後の第8話のことを書いているわけがありませんし、役名もありませんし、「吹奏楽部員」という役名で出演した複数の回(記載の当時2話と3話でしたっけ、後で確認して本文明記します、今週10話も出てましたけど)はもうビデオ・オン・デマンドで確認可能な時期でした。アーカイブ期間や放送からの遅れは提供会社によってまちまちですが、ニコニコチャンネルは放送4日後からの配信で無料期間は1週間ですけど個別に話数課金すれば現時点ではいつでも全話視聴可能ですね。逆にあとちょっとすればセルソフトで出演回が収録されたBD・DVDも出るからそちらでも検証可能になるわけですし、発売後はそちらで確認していただければビデオ・オン・デマンドの提供が終わってもまったく問題なくなる、と。--SuperTheSonic(会話) 2015年6月13日 (土) 04:30 (UTC)
- 返信 本人ブログが「川島琥珀」の役名の出典になっていない件は了解しました。
- しかしその部分の出典が欠けていたのはSuperTheSonicさんも同じことですから、あの時点であえて手を加えるのであれば、「川島琥珀」の役名ごと除去するか「要出典」を貼付すべきだったはずです。ニコニコチャンネルでも8話放送が5月30日23時半となっていますから動画配信はそれ以降(5月31日0時頃)のはずです。その3日間のタイムラグ自体はことさら強調して問題視する必要はないと思いますが、総合的な状況判断としてあの時点でH ichi34さんの無出典加筆の版に戻されたのは軽率でした。
- 当該箇所に対するwashigamineさんの編集意図は、無出典加筆を繰り返してブロック依頼が出されたユーザーへのケアであって、その旨は要約欄にも書かれているわけですから、わざわざそれをまた問題ユーザーの無出典状態の版に差し戻した上にそれが正当であるかのような言及をされたことは軽率であり、より慎重に避けていただきたかったと思います。かたや投稿ブロック依頼まで行って当該ユーザーの方に方針の再確認を行って頂こうと検討されている最中に、こちらのノートでの議論が誤った示唆を与えてしまうことでさらにまた同じ問題を繰り返すようなことにでもなればその方にとっても大きな不幸です。他の第三者、特に今後の新規編集者に対しても、このような過去の議論の記録を通じてそのような方針上の誤解を与えてしまうことは是非とも避ける必要があります。それゆえSuperTheSonicさんの発言や編集内容が方針上不適切な編集行為の根拠とされてしまわないよう、上記の応答の中で他の編集者の方々がそのためのケアの意味を込めて検証可能性の方針の重要性について念押しの指摘を行っていることをご理解いただき、その趣旨には協力いただきたいと思います。
- その上で、「Wikipedia:検証可能性」や「Wikipedia:出典を明記する」などの方針・ガイドラインの原則論にもきちんと則った形で、washigamineさんが提示している前段の議論に悪影響を与えないような配慮を交えつつ、既存の出典の不足を適切に補う方向でご自身の主張に沿った提案の仕方を検討して下さいとお願いしています。従前の個人ブログの出典の掲載があまり有効ではなく作品そのものを出典として当該記述を維持すべきという主張の趣旨自体は、より望ましい出典として代替可能な二次資料の存在がほぼ望めない中で、個人的には(現状のままでも特に支障はなさそうなので強いこだわりはないですが)十分に妥当性のある意見かと思います。--ディー・エム(会話) 2015年6月13日 (土) 10:09 (UTC)
- ディー・エム えっと、ディー・エムさんがそのときどきで書いてることがブレてる感じでこちらも少し困惑しておりますが。出演作品項目については、どこかで放送配信されて以降はその記述そのものが放送のクレジットを出典にしていることが特記無くして前提となるわけですから、他に情報量の乏しい一次資料を添付する必要がないというのはディー・エムさんが既に2015年6月9日 (火) 13:35 (UTC)にて肯定されたとおりで、VODやソフトでの確認も即座にではなくとも数日数週間数ヶ月後には確実に可能ですから、結局元の状態でなんら出典不足はしておらず差し戻しにも問題はなかった、そもそも他の声優記事の編集やノート等で行われたものもそれらの実情を正しい把握をしていないいちゃもんレベルの話であったことが、今回のように正しい認識をしている者が議論に参加しておらず看過されただけのことであるということですよね。--SuperTheSonic(会話) 2015年6月13日 (土) 11:08 (UTC)
- 返信 この時点[2][3]ではまだアーカイブが存在しておらず無出典(まだ無いわけですからアーカイブ出典の確認も物理的に不可能なはず)ですので本来的には方針違反ですよね、ということです。特段の事情がなければ放置しておけば自然解決する案件ですが、今回の場合は前段の事情があって対応しておられる方がいらっしゃるので方針順守についてより慎重にご留意いただきたいということです。
- 本来は行間を読んでいただきたかった事柄もほとんど詳らかに説明いたしましたので、そう難しい話ではないと思います。--ディー・エム(会話) 2015年6月13日 (土) 11:20 (UTC)
- ディー・エム 「川島琥珀 役」については多少グレーゾーンなところは否定できませんが、3日もすれば解消することなのでそれをとやかく言うのもどうなのってのはあるわけですが、そこは今回の問題では一切ありません。すくなくとも私の行った差し戻しは『方針違反な記述であった「川島琥珀 役」が削除されていたものを復活した』わけではないからです。
- 私の差し戻し時点では、たしかに「川島琥珀 役」についてはVOD各サービスで提供されていなかったかもしれないが、「吹奏楽部員 役」について、また「響け!ユーフォニアム」というテレビアニメに出演していたことそのものについて、既にVOD提供済の過去の話数でクレジットされていたことであって、検証可能性は満たしていました。既にそのように出典が存在し検証可能性を満たしていたことに対し、出典が不足であるとクレームがついてより信頼性の低く情報量が少ない古い本人blogのエントリが貼り付けられたわけですが、これは出典として用をなさない不要なものなわけですから削除となる差戻しをしたと。ここに何か問題がありましたでしょうか?--SuperTheSonic(会話) 2015年6月13日 (土) 11:57 (UTC)
- ディー・エム えっと、ディー・エムさんがそのときどきで書いてることがブレてる感じでこちらも少し困惑しておりますが。出演作品項目については、どこかで放送配信されて以降はその記述そのものが放送のクレジットを出典にしていることが特記無くして前提となるわけですから、他に情報量の乏しい一次資料を添付する必要がないというのはディー・エムさんが既に2015年6月9日 (火) 13:35 (UTC)にて肯定されたとおりで、VODやソフトでの確認も即座にではなくとも数日数週間数ヶ月後には確実に可能ですから、結局元の状態でなんら出典不足はしておらず差し戻しにも問題はなかった、そもそも他の声優記事の編集やノート等で行われたものもそれらの実情を正しい把握をしていないいちゃもんレベルの話であったことが、今回のように正しい認識をしている者が議論に参加しておらず看過されただけのことであるということですよね。--SuperTheSonic(会話) 2015年6月13日 (土) 11:08 (UTC)
- コメント この案件はいくつかの側面があると思います。
インデント戻します 「川島琥珀」の記述に手を加えたわけではないからその箇所の出典不備に対してSuperTheSonicさんに責任は無いというのはたしかにおっしゃるとおりだと思います。ただ、その理屈はwashigamineさんの側も同じことで、当該のブログ出典を「川島琥珀」の加筆に対する出典の補記とみれば(役名の記載が無いため)不完全な内容との批判はありうるものの、その役名の加筆部分とは無関係に単に番組出演歴の出典を加えただけと解釈するならば、出典として情報の内容面での不備は無く、あとは一般論としての個人ブログという媒体そのものの出典の是非ということになろうかと思います。
だとすれば役名の検証可能性の問題を切り離すということでもうすこし単純化して話を整理できると思います。
- 声優記事の出演リストへの出典の追記
- 一般論としては、有効な出典の増強は基本的に歓迎。近年の分野全体の状況としては、ネットニュースや番組サイトなどを通じて番組放映前にキャスト情報がリリースされており、それらを出典に用いる形でウィキペディアの声優記事に出演情報が反映されるという形が定着し、記事の品質向上面で奏功していると思います。出演情報を機械的に加筆するだけでなく、番組放送だけに依拠した性急な無出典加筆への出典追加や間違い修正等の対応を継続的に担っておられる編集者の方もいらっしゃいますので、その足を引っ張るような結論はどこの議論場所からも出てほしくない、というのが現時点での率直な感想です。ただ、情報をこのままのペースでどんどん加筆していって大丈夫なのかという根源的な心配は正直無くはないですが、それは分野全体の課題として改めて検討すべき事柄だろうと思います。
- 個人ブログなどは出典として有効か?
- 私の個人的な意見を言えば、記事全般を含めて個人のブログやSNSと言った情報源を元にした加筆は、それが関係者のものであったとしてもあまり歓迎しにくいというのが正直なところです。今回の件のように既に書かれている出演情報にブログの出典を加えるだけであればリストの件数自体は増えませんが、ブログ出典で出演歴の加筆がOKということになれば作品のエンドロールにも出ていないモブ役の情報まで安易に加筆されかねないという、特筆性の面での問題意識が主な理由です。「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」といった方針に照らせば、作品のエンドロールのキャスト情報を逐一加筆することだけでも厳しい面があるのに、さらに関係者のブログやらSNSやらの瑣末な言及を無思慮に加筆されるような自体になってしまうのは非常にまずいと思います。
- 個人ブログなどの出典除去の是非
- ただしそれら個人ブログやSNSの情報源を一律に否定するコンセンサスは存在しないので、ノートなどでの事前提案無しに機械的に除去編集を強行することは無益な諍いの原因にもなりかねないので避けたいところだと思います。また、今回のような場合、ブログの出典を除去すると見かけ上は出典の記載が消えてしまい、声優記事に馴染みの薄い編集者の方々からすれば感覚的に違和感のある書式になると思いますので、(良いか悪いかはともかく)それが当該分野の従来からの書式として定着しているということ、そしてそれはウィキペディアの基本方針を無視したり軽視したりするものではないということを予め十分に説明し、「Wikipedia:検証可能性」に一切の例外を認めないという共通認識を確認し、その点で誤解を招かないように配慮しておくことも必要だろうと思います。
- 他の記述箇所との整合性
- 特定の箇所だけに特殊な対応を行うことはあまり好ましいことではなく、同様の問題を抱えた箇所があればできるだけ一律に対処するのが望ましいと思います。具体的には、今回のケースでいえば「千菅春香#テレビアニメ」節・2014年『M3〜ソノ黒キ鋼〜』の役名も全て作品のエンドロールで確認可能なので、同作品の個人SNSの出典除去も『響け! ユーフォニアム』のブログ出典と同時に提案を行えればベターでしょう。その副次的な理由としては、それによって特定の編集者との対立という非生産的な図式を避け、より包括的な提案事項として議論を進められるというメリットもある思います。
問題を単純化できると言いながら結局ちょっと長くなりました、すみません。--ディー・エム(会話) 2015年6月14日 (日) 16:02 (UTC)
- ディー・エム 総論や一般論としては大変うなづけるご意見だと思います。ただ個人blogや個人twitterを出典とすることの是非は、今回のように即座にすっぱり100%異論なく除去できる場合はわりとすんなり除去で済んで編集合戦などにはなりませんが。載せる載せないの意見対立がどこかであるとしたら、それは特筆性と信頼性のせめぎあいで「特筆性が高いから載せたい」という意見が強くて起こりうるかな、そういう場合は一律なものさしでさっと分けられるものでもなくはないかなとも思われ、個々の記事における是々非々としてその編集の可否(個人blogや個人twitterを出典とした編集を行い本文に記述を残すか否か)はノートで合意形成を経て、それでということになるのではと思いました。--SuperTheSonic(会話) 2015年6月16日 (火) 08:19 (UTC)
- コメント VODが存在するから検証可能性を満たすというのは議論が荒くて、どのVODをみればそれがわかるのかの出典が明記されていない状態は不適切な状態です。現に示されていない出典の存在をもとに、多少質の低い出典を不要として除去するのは不適切と思います。「出典が存在し検証可能性を満たしていた」というのはダメで「出典が示され検証可能性を満たしている」と書ける状態にしていただく必要があると思います。響け!_ユーフォニアムのリンクを辿っても、小説を主とするページですし、VODがどこで参照できるのかすぐにわかりません。VODが出典であるとするなら、このページで脚註としてどこでそのクレジットが見られるのかを示すべきでしょう。--T6n8(会話) 2015年6月16日 (火) 01:49 (UTC)
- T6n8 T6n8さんの要求は、出典が映像作品ではなく本であった場合に、「Aという本」という出典記述に対し「どこの書店に行けばその本が買えるのか、どこの図書館に行けばその本が借りられるのか明記されてないのは不適切だ」とおっしゃるのと同種のクレームに見えますが?また出典は作品そのものであってVODは複数ある出典の視聴手段の1つに過ぎないので、VODは出典ではないのです。VODが普及したのがかなり最近のことなので混同する方が居るのも仕方ないことではあります。--SuperTheSonic(会話) 2015年6月16日 (火) 08:19 (UTC)
- 「『タイトルA』という本」という出典記述は、著者、出版社、出版年が示されなければ適切な記述ではありません。VODについてもURLなりが示されなければ、出典不備で検証可能性を満たさないと言われても仕方ないです。「作品そのもの」は出典にはなりません。作品を出版したものでなければならず、出版の情報が必要です。書籍で版まで示すことの必要性について最近議論になったWikipedia:井戸端/subj/オリジナルの書籍を出典とする際に、オリジナルと明記する必要があるのかについてなどもご参考に。--T6n8(会話) 2015年6月20日 (土) 00:55 (UTC)
- T6n8 過去の議論、たとえば柒月例祭さんの2015年5月30日 (土) 06:01 (UTC)やディー・エムさんの2015年6月8日 (月) 12:07 (UTC)は読んでご理解していただけてるのでしょうか。「本」について著者、出版社、出版年が示す必要があるのは、それらがなければ本を探せないからなわけですが、「出演作品 テレビアニメ 響け! ユーフォニアム」という本文そのものでそのリンク先記事響け! ユーフォニアムに飛ぶと記事冒頭Infoboxには「アニメ:響け!ユーフォニアム 製作「響け!」製作委員会 放送期間2015年4月 - 」とあり、放送局節にはたとえば「2015年4月8日 - TOKYO MX・サンテレビ・KBS京都」とあり、またBD / DVD節には「1巻 2015年6月17日 第1話 - 第2話 PCXE-50531 PCBE-54861」とありますから、これらで出演作品は探せますし1つに確定します。BD/DVDを買ったり借りたりすることもできます。つまり本について著者、出版社、出版年が示されていることと完全に同一の出典確定情報は示されていて、これが私達が書いている「本文そのものが十分すぎる出典である」という根拠です。そもそも「作品を出版したものでなければならず、出版の情報が必要です。」というのはどこのガイドラインに書かれていることでしょうか?WP:SOURCESやその次のWP:SOURCEACCESS、WP:PSTS、WP:CITE等を参照しても、どこにも書かれていないようですが。「参考文献を見つけるための情報を書け」としか要求されていません、そしてそれは今述べたように書かれています。「入手方法を示す」節に、「ウィキペディアに存在する関係記事(文献自体、あるいは文献の著者や出版社などの記事)にリンクする」ことでOKとも明記されてます。--SuperTheSonic(会話) 2015年6月20日 (土) 02:18 (UTC)
- 「『タイトルA』という本」という出典記述は、著者、出版社、出版年が示されなければ適切な記述ではありません。VODについてもURLなりが示されなければ、出典不備で検証可能性を満たさないと言われても仕方ないです。「作品そのもの」は出典にはなりません。作品を出版したものでなければならず、出版の情報が必要です。書籍で版まで示すことの必要性について最近議論になったWikipedia:井戸端/subj/オリジナルの書籍を出典とする際に、オリジナルと明記する必要があるのかについてなどもご参考に。--T6n8(会話) 2015年6月20日 (土) 00:55 (UTC)
- T6n8 T6n8さんの要求は、出典が映像作品ではなく本であった場合に、「Aという本」という出典記述に対し「どこの書店に行けばその本が買えるのか、どこの図書館に行けばその本が借りられるのか明記されてないのは不適切だ」とおっしゃるのと同種のクレームに見えますが?また出典は作品そのものであってVODは複数ある出典の視聴手段の1つに過ぎないので、VODは出典ではないのです。VODが普及したのがかなり最近のことなので混同する方が居るのも仕方ないことではあります。--SuperTheSonic(会話) 2015年6月16日 (火) 08:19 (UTC)