コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:北条政子

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

出典の記法について。

[編集]

同姓の著者がいるわけでもないにも関わらず、出典を脚注で示す際に姓と名を記載するのはおかしいです。 Template:Harvなどを参照すると良いかと思います。 --Dassaim会話2022年1月17日 (月) 15:59 (UTC)[返信]

脚注に例えば高橋秀樹 2004, p. 2.と書かれているけれども「秀樹」は余事記載、ということでしょうか、これは賛成します。加えて言えば、脚注の書式を複雑化すると編集しにくくなるので個人的にはあまり好きではないです。--Cincleat2781会話2022年1月17日 (月) 22:09 (UTC)[返信]
賛同いただきありがとうございます。
今後修正していく必要がありそうですね。--Dassaim会話2022年1月18日 (火) 10:47 (UTC)[返信]

「後世の評価」の節について

[編集]

北条政子 § 人名の構造以下の記述は「北条政子」の項目内で記述する内容としては不適切ではないでしょうか。 夫婦別姓などの項目に移すか、この項目に残すのであれば、注釈として記述するのが良いと思います。 --Dassaim会話2022年1月17日 (月) 16:03 (UTC)[返信]

元々夫婦別姓(正しくは別氏)の項目に書いていたのが、北条政子夫婦別「姓」説を主張する活動家への共感を明言するユーザーによって削除・本頁に移動されたものです。転載するなら当該ノートページでの合意形成などの十分な準備が必要だと思います。1980年代から延々繰り返されたあげく直近の大学入学共通テスト(日本史B)でダメ出しされたもので、北条政子の「本名」がしばしば話題になっていることもあり、特筆性はあると思います。--Cincleat2781会話2022年1月17日 (月) 21:56 (UTC)[返信]
項目間の移動などについて教えていただきありがとうございます。荒らしが収まってから、夫婦別姓の項目に再度戻すのが良いかと思います。--Dassaim会話2022年1月18日 (火) 10:46 (UTC)[返信]

亀の前への攻撃は「後妻打ち(うわなりうち)」に該当しない

[編集]

後妻打ち」の定義として、夫がそれまでの妻を離縁して後妻と結婚するとき、先妻が予告した上で後妻の家を襲うというもの とありますが、北条政子の行為はこれに当たりません。源頼朝は北条政子を離縁してもいないし、北条政子は亀の前に対して予告もしていない。さらに、襲ったのは北条政子自身ではなく、牧宗親に命じて行わせているのだが、亀の前個人を襲ったのではなく、亀の前が住んでいた伏見広綱の邸を打ち壊させただけに終わっている。そして、平安時代末期のこれらの騒動の記載された「吾妻鏡」には、私の知る限りでは「後妻打ち(うわなりうち)」の用語は使われてはいない。北条政子の行為を「後妻打ち」とした見解には賛同できません。これが後妻打ちだという出典はあるのでしょうか?独自研究だと思いますが。ご意見をお寄せください。--BY7679会話2022年3月15日 (火) 13:08 (UTC)[返信]

出典を付けました。この件を記している歴史本では頻繁に触れられていることだと思うのですが、ご覧になられたことがないのでしょうか?--ロンドル会話2022年3月15日 (火) 14:18 (UTC)[返信]
出典をありがとうございます。私の読んだ書籍類では無かったのです。失礼いたしました。山本みなみ著『史伝 北条義時』小学館、2021年、P83 を読んでみます。--BY7679会話2022年3月15日 (火) 15:10 (UTC)[返信]