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ノート:創価学会/過去ログ2

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過去ログ化

事前の告知通り、ノートでの議論を過去ログ化しました。--Mait 2007年7月6日 (金) 11:27 (UTC)

役職

現時点での役員ぐらいは更新してもいいのではないでしょうか?--しのみや 2007年7月11日 (水) 16:44 (UTC)

2005年から保護されっぱなしか・・・これはひどい。--121.83.2.52 2007年7月15日 (日) 11:28 (UTC)
フランスのカルト対策に関する記事に間違っている部分があるので訂正したいし、新聞記事のこととか他にも色々加筆したいんだけど。保護解除したらモラルが期待できないよな。
フランスのカルト対策については朝日、読売、毎日、産経新聞で取り上げられた、これらの記事は有料の新聞記事データベースG-Searchで読むことが可能とか色々加筆したいんですけど。
--125.194.170.29 2007年8月19日 (日) 15:33 (UTC)

その他

日本大学が買い取るインターネットの噂を書き込みたい 以上のコメントは122.133.124.230会話/履歴/whois)氏が[2007年7月31日 (火) 1:22 (UTC)]に投稿したものです(Avanzareによる付記)。

そういった噂を書き込んでよいかどうかについて、Wikipedia:検証可能性を是非ご一読頂ければと存じます。--Mait 2007年7月31日 (火) 08:37 (UTC)
わかりました。署名の仕方がわからないので、偽署名となっていますが、悪意的ではありませんので、偽署名の部分は削除していただいてけっこうです。申し訳ございませんでした--125.192.105.147 2007年8月17日 (金) 02:08 (UTC)
役職はかえていいだろうとかおもうです。--こっぽ 2007年10月3日 (水) 07:46 (UTC)

創価学会を批判したら、連中に敵と認識されて誹謗中傷冤罪、口裏合わされて出鱈目な噂ばら撒かれたんですが。 こういうのは流石にWikiでは書いちゃダメですかね? 1人で冤罪流しても効果は薄いが10人で口をそろえれば誰でも騙せるというのは怖いことですね。--以上の署名のないコメントは、125.193.102.3会話/Whois)さんが 2007年10月14日 (日) 00:42(UTC) に投稿したものです。

Wikipedia:検証可能性をご覧頂くと、個人的な体験は記述できないことが分かると思います。--Mait 2007年10月16日 (火) 11:31 (UTC)

保護の解除について

情報が古すぎます。 保護の解除をしてきちんとした記事を書けるのならそれが一番良いとは思います。しかし、それは無理だと思います。

本文が多すぎなのではないでしょうか? 偏った(マニアックな)記事が多数載っているために、編集合戦が起こるのだと思います。

一回全部消して、誰がなんと言おうと事実であること(役職や歴史など)のみを書くようにして、コンパクトにするべきだと思います。

まずはそれからではないでしょうか?--パソたく 2007年8月3日 (金) 08:54 (UTC)

そういう編集方針なら反対。出典を求めて、しばらく待ってもでなかったら削除というのならいいですけど。--Monaneko 2007年8月5日 (日) 12:52 (UTC)
まだ保護のままなのですね・・・これでは百科事典としての意味を成さないような気がします。だた「~の噂を書き込みたい」などというwikipediaの方針を理解されないまま編集しようとする方が多数いらっしゃる以上、保護解除は難しいですね。いっそのこと、こちらのノートで1項目ずつ検証しつつ別の場所で確定事項から書き上げ、検証終了後に差し替え→そのまま保護というのはできないのでしょうか?また、「~と言う話はあまりにも有名である。」や「~は言うまでもない。」、「無論~」という表現は摩擦を起こす可能性があるので控えた方がよいかと思います。保護中なのでどうしようもありませんが。あまりwikipediaに詳しくないので思ったことの提案で申し訳ないです。--121.94.11.8 2007年12月2日 (日) 16:25 (UTC)

提案

外部リンクが一部リンク切れになっているとInfo-jaにメールがあったので見てみました。

  • 噂、風評は書かない (Wikipedia:検証可能性に反するため)
  • 主観的な記述や感想を一旦コメントアウト・簡素化し、または{{要出典}}を貼り、百科事典としてどこまで書くべきかノートで議論する(中立的な観点に反するため)
  • 外部リンクは、公式サイトのものだけ残し、一旦コメントアウトして、百科事典の外部リンクとしてふさわしいかどうかノートで検討する。

という合意ができれば、保護解除も可能になるのではないでしょうか。--miya 2007年8月8日 (水) 08:41 (UTC)

  • (反対)信者もアンチも多い団体ですから、保護解除だけ先行させても編集合戦が再発するのが目に見えています。ノートで議論して合意を形成することを優先させるべきです。多忙な管理者の手を煩わせるのは恐縮ですが、リンク切れ等の瑣末な問題はWikipedia:管理者伝言板#保護ページの編集依頼で対処していただきましょう。--Dojo 2007年8月8日 (水) 08:51 (UTC)
  • それでは漠然と反対するのではなく、「1」「2」「3」のそれぞれについて、具体的な箇所をご指摘いただけますか?--miya 2007年8月8日 (水) 10:03 (UTC)
(1)「噂、風評」と考えられる箇所
(2)「主観的な記述や感想」と考えられる箇所
(3)「除去したほうがよい」と考えられる外部リンク
  • (反対)「除去べき箇所が見当たらないので、コメントアウトありきのご提案に反対しているのですが。ただ問題視しているユーザーもいるでしょうから、保護解除の前に具体的な箇所を指摘してもらうのは良いことだと思います。--Dojo 2007年8月8日 (水) 10:44 (UTC)
体 験談が多くまとめられているとはいえ、やはり個人サイトであり主観に基づいたものでしかないため、百科事典として掲載する妥当性には疑問が残ります。
また、ニュースサイト、雑誌等の記事へのリンクはどういった基準で張られているのでしょうか。たとえニュースサイトであり客観性を意識した記事であるとはいっても、それを取り上げリンクを張るという時点で恣意性が入り込むことはさけられないと思いますので、こちらも多少疑問です。
やはり一度公式サイト以外のサイトへのリンクをコメントアウトし、何が百科事典のリンクとして相応しいかを議論すべきだと思います。Yghwtrrl 2007年8月8日 (水) 11:28 (UTC)
  • 個人サイトソースの排除については、賛成。ただ個人サイトでも、海外のニュースや公的サイトなどの翻訳記事であるなら、参考翻訳として原本の横に添えるのはOKだと思います。ニュースサイトについてですが、公式サイトへのリンク以外貼らないというのも恣意的なので賛成できません。--Monaneko 2007年8月8日 (水) 14:50 (UTC)
  • (反対)「噂、風評」「主観的な記述や感想」「外部リンク」等に基づく正確性の低い情報は除いていく、という点にはおおむね賛成。ただし、創価学会の公式サイトや公式見解に重きを置きすぎることには反対。創価学会の公式サイトだって相当「主観的な記述や感想」がありますし、創価学会側の情報についてもそれなりに厳しく選別しないことには、百科事典としての質を維持できないのでは。余程ノートで突っ込んだ議論を行って合意を形成しない限りは、これまでのノートに見られるような編集合戦は避けがたいので、保護解除には慎重にならざるを得ませんね。--3丁目の男 2007年8月20日 (月) 14:40 (UTC)
  • (コメント)
  1. まず、「噂、風評」と考えられる箇所は特にないのではないかと。
  2. 「主観的な記述や感想」については、確かに文章の言葉尻をみるとそのような箇所も見受けられますので(例「~半ば力尽くでねじ伏せられてしまった。」「~と言う話はあまりにも有名である。」「~である事は言うまでもない。。」等)、それらは、「批判者は○○と主張している」「批判的な文献によれば○○であるという」といった文言に改め、出典を必ず付けることを義務づける必要があるように思います。ただし、そういった言葉尻以外の中身に関しては批判者側の見解が多いとは感じますが、それは学会側の見解を付け足して行くことにより均衡を図るべきであり、一旦コメントアウトすることには反対です。
  3. 「外部リンク」に関して、「幸せ発信基地usa」は体験談が主な内容となっていますが、こういった体験談をまとめた書籍は学会からいくつか出版されているため検証可能性を満たさないとはいえないのかもしれませんが、体験談自体が百科事典に掲載するに相応しいとはいえない類であると考えられ、除去が妥当ではないかと考えます。公式サイトに関しては、Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載してよい外部リンクにおいても1番目に掲げられていることからも、外部リンクの中では最も尊重されるべきだと考えます。そして、Wikipedia:外部リンクの選び方#中立的な観点に従い、学会側のリンクとアンチ側のリンクの数は同数にすべきでしょう。これが守られるならば、現在の保護は外部リンクが原因でなされたものではないことからも、公式サイト以外をコメントアウトにする必要は特にないのではないでしょうか。学会側のリンクで除去すべきものはこれでよいとして、アンチ側のリンクで除去すべきものはありませんでしょうか?
話は変わりますが、履歴を見るに現在の保護の原因は、アンチ風の記述もさることながら、それを中立的表現に変えることなく一方的に削除しようとするシンパの方々によるところが大きいということもできますね。現在でも学会関連の記事の学会側にとって都合の悪い部分が、一方的に除去されたりしていますし。保護が解除された際には、そのような一方的な削除をするのではなく、要出典を張るか中立から見た表現に修正するなどして欲しいものです。--Mait 2007年8月29日 (水) 15:03 (UTC)
  • wikipedia初心者です。見当違いなことをしていたら、すみません。この「創価学会」の項目については、いろいろ見直すべきところがあるように思います。
しかし、いろんな障害があるようです。少しずつ変えていくしかないと思います。
そこで、提案なんですが、
(1)現在、「本文」に載っている内容がいかなる資料を根拠に書かれているのかを、「履歴」などで見直し、資料明示のないものについては一旦白紙にする。
現時点では、私の意見の詳細は言いません。おそらく、議論は深まっていると推測するからです。--オースさん 2007年12月28日 (金) 04:43 (UTC)
桃太郎でした。以上のコメントは、59.140.54.46会話投稿記録)さんが[2008年1月6日 (日) 17:55(UTC)]に投稿したものです。
  • (コメント)
  1. まず、「噂、風評」と考えられる箇所について、「 公称の学会員数も約1000万人と言われているが、NHK等の出口調査などから実数は400万人強であると推察されている。」(推測の話なので)「強烈な布教活動」(強烈という言葉があいまい)「190ヶ国」(190ヶ国・地域にすべき)「法論に出席した多数の学会員に半ば力尽くでねじ伏せられてしまった。」ソースを示すべき)「藤原弘達の葬式に学会員からの祝電が絶えなかった」(ソースを示すべき)
  1. 「主観的な記述や感想」については、「「三代会長」への絶対的な尊敬と、とくに池田と会員との間にみられる師弟観、および創価学会が支持する政党である公明党との政治活動である。」(絶対的な尊敬かどうかはっきりしない。師弟観という言葉がわかりにくい。公明党の支援は宗教活動ではない)「ルーマニアの国旗と同一である」(書く必要のない内容)「中心に学会の紋章や創価学園の校章が入ることもある」(学会の紋章という表現があいまい、創価学園の校章が入っている場合は創価学会の旗ではなく、創価学園の旗のはず)「誹謗が残る」(表現がわかりにくい)「と言う話はあまりにも有名である。」(有名でない。主観的)「この法案の目的は『週刊新潮』などの反創価メディアへの牽制である事は言うまでもない。」(主観的)などのような部分があげられると思います。
「組織」の項には規定されていない内容が書かれていますし、「フランスでの「カルト報告」」「その他」「創価学会を取り巻くメディア」の項は批判的内容が多くあるため中立とはいえないと思います。
  1. 「外部リンク」に関して、今は特に意見はありません。--123.193.9.196 2008年2月16日 (土) 06:15 (UTC)

テンプレートの追加

とくに問題がなければ、「創価学会」テンプレートを本文末尾に追加していただけないでしょうか?--Giwa 2007年8月26日 (日) 15:17 (UTC)

このまま保護の解除がなされないようであれば、Wikipedia:管理者伝言板#保護ページの編集依頼にて申請しましょう。単純な修正に該当するかどうかは分かりませんが。--Mait 2007年8月29日 (水) 12:38 (UTC)
本文中にある連続した句点(。。)についても修正して頂きましょう。さて、保護解除が見送られたため、そろそろ依頼を上げようかと思いますが、他に単純な修正をして欲しい箇所がありましたら皆さんお申し出下さい。まとめて申請した方がよいと思いますので。--Mait 2007年8月31日 (金) 10:18 (UTC)
「創価学会」の項目は保護状態ですが、「創価学会テンプレート」は保護状態でも半保護状態でもありません。新たな編集合戦の火種になりそうなので、じゃっかん依頼には躊躇しています...。Giwa 2007年8月31日 (金) 12:42 (UTC)
テンプレートでは、まず編集合戦は発生しないのではないかと考えます。現在のところ、議論が起きる可能性があるところは各種グループぐらいで、あとはほぼ議論を差し挟む余地のないものだと思われます。逆に当記事にテンプレートを挿入することにより、より一層の内容の充実が期待できるのではないでしょうか。IPユーザーによる荒らしはありえる話ですが、そのときは適宜対応して行きましょう。--Mait 2007年8月31日 (金) 15:35 (UTC)

右のテンプレートもよかったら一緒に本文末尾に追加していただければと思います。 --Giwa 2007年9月7日 (金) 05:32 (UTC)

了解です。Template:Commons#使い方に従い、節「関連項目」の1行目に挿入といった形で依頼したいと思います。連休明けにもまとめて修正を依頼する予定でいます。--Mait 2007年9月7日 (金) 11:35 (UTC)
上記3点まとめて依頼を上げておきました。--Mait 2007年9月10日 (月) 16:00 (UTC)

問題勧誘と軟禁行為

過去に創価学会信者に喫茶店で6時間近くに渡り軟禁され、入信を薦められました。なんとか逃げてきましたが、そういった問題勧誘についても入れるべきです。2007年8月28日 (火) たこやき協会以上のコメントはたこやき協会会話履歴)氏が[2007年8月28日 (火) 15:13 (UTC)]に投稿したものです。

過去に、アンチ創価学会の人間に、「創価学会員は職場をやめろ」とメールが来たことを皮切りに、ほぼ1ヶ月、携帯には1日10件の電話、職場のパソコンメールには老若男女や警備を装った中傷メール、携帯メールには朝職場でおきたことが夕方に逐一報告&中傷、実家には中傷文章、出身大学関係者には中傷文書、を送りつけられました。そういった問題弾圧についても入れるべきです。—以上の署名の無いコメントは、124.103.39.165会話/whois)さんが[2007年8月29日 (水) 13:57 (UTC)]に投稿したものです。
ウィキペディアは告発する場所ではありません。アンチであれ信者であれ、検証可能性に欠ける個人的な体験談の記述はお止めください。--Dojo 2007年8月29日 (水) 15:16 (UTC)
創価学会信者の方は嘘を言うのはやめてください。また、自作自演行為をこの場で開陳するのはやめてください。私は現に創価学会信者から軟禁されたことがあります。創価学会信者の言うことは信用できません。たこやき協会 2007年9月6日 (木) 13:41 (UTC)

嘘あつかいされるとは、その時点でやはり警察に突き出しておくべきでしたね。 過去の中傷についてはそして、そのことが自作自演でなかったことを証明して 頂ける方々も外部の方でいますよ?124.103.39.165以上のコメントは、124.103.39.165(会話/投稿記録/Whois)さんが[2007年9月11日 (火) 13:21(UTC)]に投稿したものです。

検証可能性に欠ける個人的な体験談ではソースとして不十分です。百科辞典の編纂と直接関係のない議論はよそでやってください。--Dojo 2007年9月11日 (火) 13:29 (UTC)
申し訳ありません。適切な指摘をうけながら、確信犯でしておりました。
ではこの項目すべて削除してかまいませんね?
たこやき協会殿の記事を削除するなら、私は一向に構いません。--以上の署名の無いコメントは、124.103.39.165会話投稿記録)さんによるものです。
議論の相手方の署名つきコメントを無断で除去すれば、荒らしと看做されます。ご自身のコメントを除去するのは自由ですが、相手方のコメントが放置されている状態では議論を寸断するだけなので推奨しません。--Dojo 2007年9月11日 (火) 16:22 (UTC)

検証できる事実を述べましょう。

ある事件で白山信之という学会員が 新潮社を相手どって民事提訴98年3月に最高裁で確定しました。 結果は被告新潮社に当時最高額の110万円の損害賠償が命じられました。 さらに、国会質問で白山さんの名誉を傷つけた国会議員(自民党)も、 判決が確定してまもない98年5月白山夫妻に直接謝罪しました。

事件の概要です。 白山氏はセンターラインを超えてきた車と正面衝突、残念ながら、センターラインを こえた方は亡くなりました。この方は大石寺の僧侶でした。 当然、警察が白山氏に過失がまったくないことが確認されました。 ところが週刊新潮は「大石寺僧侶を衝突死させた創価学会幹部」との大見出しを出し 正体不明の人物のコメントを並び立ててデマをでっちあげ、さらに、白山氏のコメント まで捏造しました。

裁判所は「故意により衝突させたとの印象をあたえるもの」 「取材はあらかじめ決められた創価学会批判の方向に沿ってされた」と認定 最高裁は新潮社に当時最高額の110万円の損害賠償が命じ悪辣な報道を糾弾しました。

正体不明な人間をよそおい、無実の人を、社会的に抹殺するまで、 繰り返し攻撃を実行する、これがアンチ創価学会の方法です。 検証できる事実です。 たこ焼き協会さんの指摘が、真実で、繰り返されているのであれば、 必ず事件になり、検証できる事実が残るはずです。124.103.39.165 2007年9月12日 (水) 11:51 (UTC)

判例・裁判例は検証可能な出典といえるので、感情的な評論抜きで今後も例示してください。議論を整理しようとする私のコメントが「中立を装った悪質な書き込み」であるか否かは、「見識のある人」の判断に委ねます。--Dojo 2007年9月12日 (水) 14:32 (UTC)
他人の信じる道を侮辱し、折伏折伏と狂気の池田大作教学。
そのやり方でも、アメリカ議会下院で「危険な組織」指定されている創価学会。
上院でもそうなるのか!?
フランス・チリ・ベルギー・オーストリア・ドイツでも、カルト・セクト・危険な組織指定されている創価学会。
創価学会を「カルト・セクト・危険な組織」指定している国は増加しています。
創価はイスラム社会でも同じ事をやってみなさい!
即、イスラムに滅ぼされます。
創価は世界では実行不可能な事をヤワな日本で狂気の折伏をしているのです。
世界では通用しない3流カルト。
それが創価学会。
創価新世代は、組織内部の忌まわしき事を改革しましょう。
悔い改めましょう。 http://www3.ezbbs.net/15/momo7/ 桃太郎以上のコメントは、59.140.54.46会話投稿記録)さんが[2008年1月7日 (月) 20:06(UTC)]に投稿したものです。

この場は、記事の編集に直接関係のない個人的な主張・宣伝を書くところではありません。まずは己を悔い改めましょう。--依音 2008年1月8日 (火) 07:35 (UTC)

世界で実行不可能なことを日本でしている と主張するならば少なくとも各国の創価学会員の人数の経時間変化くらい必要でしょう。
池田大作氏は国連平和賞を受賞、毎年の提言により、持続可能な開発のための10年が国連でも採択され、
アナン元国連事務総長、チョウドリ前事務次長、からも信任を得ています。
アメリカからは、80歳の誕生日を祝福してブッシュ大統領が慶祝のメッセージを寄せています。
ローマクラブのホフライトネル名誉会長、ゴルバチョフ元ソ連大統領、も祝福のメッセージを寄せています。(これ以上は読みにくくなるので記しませんが・・・。)
イスラムのローマクラブ会員のマジッドテヘラニアン教授は池田大作氏と対談集を編んでいます。
在京アフリカ外交団が2007年12月25日に感謝状を、送られています。
これが、世界の見識、で、すべて、検証可能な事実ですが、ですが、一言添えておきます。210.248.188.164 2008年1月9日 (水) 13:48 (UTC)
まあ、水掛論ですな。
世界は正統派と、創価学会や統一協会の様なカルト派に二分されていくわけですな。
事実は事実ですから。
私からの提案は、創価学会の悔い改めです。
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/ 桃太郎以上のコメントは、59.140.54.46会話投稿記録)さんが[2008年1月27日 (日) 12:20(UTC)]に投稿したものです。

その他(2)

批判的、偏見的な記述が多い。中立性に欠けていると思う。NHKの出口調査による会員数なども信頼性に乏しい。そんな出口も聞いたことがない。出口調査とは、選挙等で行われることで、それで宗教団体の会員数を把握するなど、正確性・信頼性に乏しいし、非現実的である。この一点を挙げても、名誉を下げる意図を感じる。本当はもっと、世界的な、平和・文化・教育運動が活発に行われているのに、それらには一切触れておらず、批判的な内容が中心となっており、公平性に欠けている。--以上の署名のないコメントは、125.52.206.25会話/Whois)さんが 2007年8月29日 (水) 11:18(UTC) に投稿したものです。

公立性にかけた、偏った記述が多くみられます。
>この法案の目的は『週刊新潮』などの反創価メディアへの牽制である事は言うまでもない。
いうまでもない、までの論拠ありません。
週刊新潮は、最高裁で数多くの断罪を受けています。
政教一致について、憲法上、問題がないことは一つ一つの事実を積み上げれば判明します。
ガンジーは社会の七つの犯罪のうちの一つに、哲学なき政治を挙げています。
宗教、そして哲学をもち、公明党は、循環型社会形成法、がん対策基本法、子育て支援の充実を実現してきました。
公明党について記載をするのであれば、どれだけ日本人の生活が守られてきたか、きちんと記述をして頂きたい。
フランスでの評価について
フランス学士院は、池田SGI会長に学術栄誉を与えられました。
また、ナポレオン家の党首の方も池田SGI会長に会談を求めました。
一方的な記述やめてください。
例えば、フランスの首相が若者に大して「社会のくず」という表現をすると、
フランス政府は内外から批判されますよね?若者の反感も買いますね?
これらの批判は感情的で恣意的な表現ですか?
同じように、他の団体からも認められ、世界的な地位を築いている、※1
創価学会に対して非難をするのであれば、そればまた内外から非難をされますよね?
会員からも反感を買いますよね?これらの批判は感情的で恣意的な表現ですか?
※1 世界の頭脳、ローマクラブの会長から創価学会に期待する声が、国連から国連平和賞が、
ノーベル平和賞受賞者、ライナスポーリング博士、ミハイルゴルバチョフ元ソ連大統領、
ワンガリマータイ博士から、友愛と尊敬が、寄せられています。)
裁判所の話を紹介するというのは結構ですが、いつ、どこで、だれが、どのように、
マージンを撮っていたのか、具体的に記述をしてください。
それが出来ないならば、裁判所の紹介もしくは記述自体が作り話です。
アメリカでの評価について
アメリカでは、ハーバード大学で池田SGI会長が「ソフトパワーの時代へ」題して
講演をしています。モアハウス大学などで、ガンジーキングイケダ展と題して、
展示が行なわれています。
出展の記者に思想的な偏りがあります。
物事にはかならず、賛否両論あるものです。
きちんと誰もが納得のいく、出展を出してください。
署名を加えますShall-we-share-happy? 2007年9月3日 (月) 15:54 (UTC)
このままその他の節に書き込みが続くと見通しが悪くなりそうでしたので、勝手ながら新しい節を作り最下部へと移動させていただきました。また、ノートページでは署名をお願いいたします。--Tommy6 2007年8月29日 (水) 15:11 (UTC)
この意見はアンチ層化への援護としか思えませんね。怖い怖い--218.43.171.184 2007年8月29日 (水) 15:45 (UTC)

「怖い怖い」とは個人の感想ですので書くのはおやめください。

例えばリンクが貼られているTIME誌、東村山市議関連の取材が掲載されています。 この事件をめぐる裁判は8件起こされています。 8件全件が創価学会が勝訴しました。

01年5月に東京地裁で週刊新潮の敗訴が確定、 01年12月に東京高裁で東村山市民新聞の敗訴が確定、 02年10月に最高裁で週刊現代の敗訴が確定、 02年11月8日に最高裁で、02年11月13日に東京高裁で、 03年10月に東京地裁で、04年1月に東京地裁で、 朝木氏および矢野氏の敗訴が確定、 05年7月に東京高裁で矢野氏の敗訴が確定しています。

これは事実です。事実を記載するのがウィキペディアの役割です。 敗訴した側からの意見しか載せていない取材は意味をなしません。 中立性が保たれているかどうか、真実であるかどうか、検証なされたものが記載されるべきです。Shall-we-share-happy? 2007年9月3日 (月) 15:50 (UTC)

裁判官が創価学会信者であるという可能性はないですか?たこやき協会 2007年9月6日 (木) 13:43 (UTC)
日本は法治国家であり裁判には個人の信条は入る余地はない、と思うのですが、念のため、万が一、東京地裁、東京高裁、の判決が信じられないというのならば、山崎正友が学会員への人権侵害で06年1月18日に大阪高裁で、06年2月27日横浜地裁で有罪判決がなされている事実を書き加えます。
感情や憶測ではなく、確認できる事実を書きましょう。124.103.39.165以上のコメントは、124.103.39.165(会話/投稿記録/Whois)さんが[2007年9月11日 (火) 13:43(UTC)]に投稿したものです。
創価学会のかかわる裁判は判例データベースを漁っても出てこないか、極めて探しにくい状態ですからどうしても水掛け論になります。
ただ創価学会の勝率はあまりよくないというのが妥当な所ですね。それと勝訴にも色々あります。裁判というのは複数の要求を入れるものです。
そのなかで本当にどうでもいい確実に勝てる要求を1つ2つ混ぜて勝訴に持ち込むという手法を見かけました。
それ以外が全滅でも一つでも要求が通れば勝訴は勝訴ですね、勝訴というのも多分嘘では無いでしょう。本当に調べたかったら判決を下した裁判所に行ってください。裁判所の職員は親切ですのできちんと対応してくれるでしょう。
裁判には判決に番号つけてますから、創価学会もそれを公開してくれたら一発で調べられるんですけどね。
調べにくく発表する創価学会の体質何とかなら無いでしょうかね。--以上の署名のないコメントは、125.193.102.3会話/Whois)さんが 2007年10月5日 (金) 00:56(UTC) に投稿したものです。

創価学会のかかわる裁判は極めて探しにくいのであれば、なぜ、勝率はあまり良くないと、 記載が出来るのでしょう?確認できる事実ではなく、感情、憶測、の域を出ていませんよね?210.248.188.164 2008年1月9日 (水) 13:53 (UTC)

カルト組織との水掛け論は空しいですな。
フランス・チリ・ベルギー・オーストリア・ドイツ・アメリカ議会下院で、カルト・セクト・危険な組織指定されている創価学会。
創価学会を「カルト・セクト・危険な組織」に指定する国は増加しています。
事実は事実。
世界は粛々と淡々と成長しています。
創価学会や統一協会は強引にカルト論を展開します。
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/ 桃太郎
人類の歴史です。以上のコメントは、59.140.54.46会話投稿記録)さんが[2008年1月27日 (日) 12:29(UTC)]に投稿したものです。
現在の状態は中立であると思えない(批判的内容が多すぎる)ので、このまま保護するのはよくないと思います。--123.193.9.196 2008年2月16日 (土) 06:15 (UTC)

一部表記への疑問

Shinsekaiさんからの提案(その1)

ウィキペディアのような半公共性のあるサイトでは、第三者から見た意見が最も重視されるべきものだと承知はしているが、一部表記での書き込みはその書き込む団体なり、企業なりが使う正式名称が使われるべきではないか。創価学会関連のページでは創価学会会員のことが信者と表記されているが、ここは、創価学会が公式に使う会員もしくは学会員を使うべきだと私は思う。

また、同じように創価学会関連のページで「新興宗教団体創価学会」という表記が見られる。これについても「宗教法人創価学会」であるとか単に「創価学会」という表記でいいのではないか。これについても正式な表記をすべきだと思うし、一部の人間によってわざと品位の落ちるような表記をする動きがあるように思われる。このような人物にはウィキペディアを編集する者として断固反対すべきではないか。

次に述べたいのは、創価学会に入信していると思われる有名人や公明党に所属する国会議員等に対して創価学会員だとか、創価学会信者といった表記、もしくは「カテゴリ:創価学会」や「カテゴリ:創価学会所属の国会議員」といったものは表記すべきではないだろうということである。信教の自由というものがあるし、そういった表記をわざとしてその人物への名誉を傷つけるような行為が見られる。例えば、浄土真宗や真言宗や創価学会と今は敵対する日蓮正宗など、創価学会以外の宗教に入信していると思われる人物に対して、浄土真宗信徒だとか、真言宗信者だとか、日蓮正宗を信仰する者である、といった表記をしているだろうか。実際はしていないではないか。創価学会員だからと表記する動きがあるのは誰が見ても理解できるのではないだろうか。

最後に、よく週刊誌など明らかに偏りのある雑誌や書籍を元にした書き込みを見かけるが、これは止めるべきではないか。週刊誌の内容が高く評価できるものではないことはみなさんよくご存じではないか。また、創価学会を明らかに敵視した書籍が数多くあることもご存じだと思う。このような雑誌、書籍は中立性を欠くものばかりである。もちろん、創価学会側に強く味方するような記事を書く必要もない。しかし、創価学会の行った平和活動や、活動したことによって得た実績はある程度評価すべきであろう。これは、誰もが見ることのできる百科事典として当然である。

以上のことについてウィキペディアを編集するみなさんに客観的に見た眼で判断、議論していただきたい。 また、主観的なことや明らかに偏った内容を書く者、このような公共性を伴うサイトを編集する者としてふさわしくない者の書いた意見は無視すべきものとして議論をお願いしたい。私は、ウィキペディアが未来永劫中立性があり、利用者にとって分かりやすく、載っている内容を公的な場で発表しても全く問題のない百科事典として集成することを願っている一人のウィキペディアンである。 --shinsekai 2007年9月20日 (木) 13:38 (UTC)

Maitさんの回答

ご提示下さった論点のうち、1.「学会員」「会員」か「信者」か、2.「新興宗教団体」という表記について、3.週刊誌などの媒体を信頼できる情報源としてよいか、について意見を述べさせて頂こうかと思います。

  1. まず、「学会員」「会員」か「信者」かの問題についてですが、中立的な観点からの表記が望まれるウィキペディアにおいては、創価学会もその他の新宗教団体と同列に扱う必要があり、創価学会もひとつの宗教である以上「信者」という表記の方が中立的であるように思えます。ウィキペディアは創価学会に関する知識が全くない読者も閲覧するわけでそういった方が「学会員」「学会」なる表記を見ても「どこの学会だ」という話になりかねません。
  2. 「新興宗教団体」という表記について。百科事典というものはある概念に関して学術的な分類をするもので、例えばネコであれば「動物界 - 脊索動物門 - 脊椎動物亜門 - 哺乳綱 - ネコ目 - ネコ科・・・」といった分類になります。「新興宗教団体創価学会」という表記に関しても、確かに創価学会は新興宗教に分類されるわけで、学術的で客観的な表記に思えます。ただ「新興宗教」は「新宗教」へのリダイレクトになっているというのにわざわざ「新興宗教」という表記にする必要性は感じられません。「新宗教団体創価学会」とすると中立性の問題も解消されると思います。なお、創価学会の正式名称が「宗教法人創価学会」であるならば、それは尊重されなければならないと思いますが、それでも「新宗教団体」である事実を併記することを妨げるものではないと思います。なお、宗教法人法に基づく届出名が団体の正式名称とは異なるケースもあるようです(例:冨士大石寺顕正会)。なお創価学会の基本情報はこのようになっています。
  3. 週刊誌は信頼できる情報源か否かについて。学会員の方は週刊誌の情報は信頼できる情報源としては断じて認めたくないのでしょうけれど、世間一般も同様の考えかというとそれはちょっと違うと思います。Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源では、夕刊紙やスポーツ紙は信頼性に乏しい情報源と断定していますが、週刊誌に関しては言及していません。また、創価学会関連の書籍は学会出版によるものかアンチによるものでほとんど占められ、中立的立場から書かれたものは少ないという状況です。私の知っているところでは島田裕巳氏の書いた本などは比較的中立的でしょうか。しかしながら、ウィキペディアの定めるWikipedia:中立的な観点というのは、別段偏った意見を排除するものではなく、「中立的な立場から書く」つまり「学会側はこのように主張している」「敵対する立場の人々はこのように主張している」といった風に、異なる立場の意見各々に関して、どちらかというと好意的な立場で書くというものです。アンチの主張は認めないというのであれば学会側の主張も載せてはいけないということになり、「中立的な意見しか載せてはいけない」ということになってしまいますが、これはウィキペディアの方針とは異なるものです。Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」という方針も熟慮すべき重要なポイントだと思います。--Mait 2007年9月22日 (土) 05:13 (UTC)
池田先生が間違ってるという表現は聖教新聞では一度もなされたことが無い。--222.148.121.29 2007年9月30日 (日) 09:53 (UTC)

依音さんの回答(その1)

Wikipediaを始めたばかりなので、正当性(Wikipediaの方針など)にかけるかもしれませんが、少し意見を述べたいと思います。

  1. 記述は「学会員」「会員」にすべきか「信者」にすべきか
    まず、「学会員」「会員」という表現ですが、創価学会の存在を知らない第三者が見たら、Maitさんの意見にあるように「どこの学会だ」と思うかもしれません。それならば、より正確に「創価学会員」と記述すべきだと考えます。次に「創価学会員」と「創価学会信者」という表現ですが、どちらもほぼ同一のものを表しているものであり、どちらの表現でも良い、と考えます。例えば、キリスト教では「キリスト教徒」と「キリスト教信者」は同じものを表すものとして両立しています。但し、「信者」という表現はより信仰への依存度が強い印象(あくまで私個人の印象です)を受けるため、正確性を求めるのであれば、「創価学会に所属している人」を表すものとしては「創価学会員」がより適しているのではないかと考えます。
  2. 「新興宗教団体」という表記について
    まず、分類として「創価学会」が「新興宗教」であることは事実であり(新興宗教の分類にも含まれていますし、定義にも当てはまります)、問題無いと思います。では「新興宗教団体創価学会」という表記はどうなのかというと、それは「創価学会」という言葉に対する「新興宗教団体」という言葉の必需性の問題だと思います。つまりは、「新興宗教団体創価学会」という表記の後に、『「創価学会」が「新興宗教団体」である』という事実が必要である記述があるのならばそう表現すべきであると考えます。もしも、そうではないにもかかわらず「新興宗教団体創価学会」という表記を推し進めるのであれば、それは「新興宗教」という用語に対する悪いイメージ(新興宗教の記事より)を付与しようとしているのではないかとも取れます。また、Maitさんの意見にある「新宗教団体創価学会」という表現も良い考えであると思います。
  3. 中立的な観点について
    まずは「週刊誌は信頼できる情報源か否か」についてですが、私の意見としては「週刊誌は信頼性できる情報源ではない」と考えます。また、誤解を恐れずに言うならば、「信頼できる情報源など無い」とも考えます。もしも、中立的な観点から記述をするのであれば、「週刊誌Aでは、○○と記述されている」「創価学会出版の書籍Bでは、△△と記述されている」といったように、それらの情報は事実であるかは不明だが、そのような情報が存在するという事実を、脚色・省略せずに記述すべきであると考えます。
  4. 「創価学会員である」という記述について
    まず、「その人物が創価学会員である」という記述に関しては、それが事実であるならば記述しても良いと考えます。但し、例えば「創価学会員であると思われる」といったような「思われていること」は事実であっても内容が憶測にしか過ぎないものについては記述すべきではないと考えます。次にカテゴリに関してですが、私には「カテゴリに関する指針」の知識が無いため、なんとも言えません。ただ、「日本の国会議員」を「創価学会員」か否かで分類することには疑問を感じます。

長文となってしまいましたが、以上となります。--依音 2007年10月3日 (水) 18:59 (UTC)

Aaluluさんの回答

  1. 「学会員」「創価学会員」か「信者」か
    創価学会が公式に使う呼称を使用すること自体、非中立的で偏向でしょう。中立性を求められる百科事典においては「信者」という呼称が最も妥当だと思います。また、「~会員」という表記ではそれが宗教信者を指していることを連想しにくいのでは無いでしょうか。創価学会についての知識に浅い閲覧者がいることも考慮してください。
  2. 「新興宗教団体」という表記
    「新興宗教団体創価学会」と表記したのは私です。「創価学会」表記のみでは、それが文字通り何らかの「学会」であるとの誤解を招きかねないと思ったので、定義を明確にすべく「新興宗教団体」と付け加えました。学会の品位を貶める意図は寸毫もありません。
  3. 週刊誌の信頼性
    客観的なソースのみを求めるのであれば、アンチ学会側だけでなく、学会シンパ側(聖教新聞等々)のメディアも情報源として使えなくなります。極論を言えば、一般の新聞各紙も中立的とは言えないでしょう。依音氏の仰る通り、両者の意見を記述する形にすれば全体的な中立性を保てると思います。--Aalulu 2007年10月4日 (木) 09:45 (UTC)

依音さんの回答(その2)

書き込むか迷ったのですが、どうしても気になったので書き込みます。 先日、『「創価学会」が「新興宗教」であることは事実であり』と発言したのですが、他の記事を参照したところ、この自分の発言に疑問を感じました。何をどう疑問に感じたのか、以下の事柄を確認したうえで、述べようと思います。

  • 「創価学会」は団体名である
まず、創価学会が「宗教法人」であることは周知の事実だと思います。また、「宗教法人とは、法人格を取得した宗教団体の事である。」と定義されていますので、創価学会は「宗教団体」であると言えます。そして、「宗教団体は、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、および信者を教化育成することを主な目的とする礼拝の施設を備える団体をいう。また、これらを包括する団体でもそうである。」と定義されています。つまりは、「創価学会」という名称は団体名であると帰結できます。

そして、ここで疑問です。

  • 「創価学会」は宗教名なのか?
この創価学会のページ(記事)のトップには、「創価学会とは、日蓮正宗系の新宗教(新興宗教)。」と書かれています。そして、『新宗教』のページでは「新宗教もしくは新興宗教は、近年創始された新しい宗教のことをいう。」と書かれています。つまりは、この文章からは「創価学会」は宗教名であると読み取れます。

しかしながら、「宗教名と団体名が同一である」というのは、どうにもしっくりこないのです。 まぁ結局のところ何を言いたいのかと言うと、『1.「学会員」「創価学会員」か「信者」か』についてなのです。「信者」という言葉は、『信者』のページでは「特定の宗教を信仰する者。」と書かれているため、もし「創価学会」が宗教名であるならば、Aalulu氏の仰る通り、「信者」という表現が知識に浅い閲覧者にも分かりやすく、適切であると思います。逆に「創価学会」が宗教名でないのならば、「創価学会」を信仰しているわけではないので、「信者」という表現は不適切なのでは? と思った次第です。 私は宗教学などには無知な上に、情報源がWikipedia内のみのため、抜けている部分が多々あるのかもしれません。誰か詳しい方がいらっしゃいましたらご教授いただけませんでしょうか?--依音 2007年10月5日 (金) 18:10 (UTC)

3丁目の男さんの回答(その1)

1.「学会員」「会員」か「信者」か、についてですが、客観的な観点から言えば学会員よりも会員のほうが良いかと思います。まあ妥協点としては創価学会の会員は学会員と自称している、という説明も加えておけば問題はないのではないかと思います。また会員か信者かの問題ですが、依音 さん御指摘のように宗教名か団体名か複雑で私も良く分からないのですが、世間一般には創価学会は団体名のみならず宗教名としても認識されているように考えますので、どちらでも良いんじゃないかと思います。

2.「新興宗教団体」という表記について、shinsekaiさんのおっしゃるような「一部の人間によってわざと品位の落ちるような表記」であるとは私は思えませんね。どうして新しい、ということが品位の低下につながるのかが分かりません。むしろ戸田城聖のページにあるように、創価学会シンパの皆さんは「伝統的仏教団体」とは違うんだ、という点をアピールする傾向があるのですから、新興という表現がマイナスイメージになるというのは納得できません。近代以後に成立した歴史的には比較的新しい宗教である、という事実を記述する上で使うのは何ら問題がないと私は考えます。

3.週刊誌などの媒体を信頼できる情報源としてよいかと言う点ですが、週刊誌等の雑誌、書籍等の創価学会に批判的な情報は除外する、というのならばそれはそれで結構ですが、その場合は聖教新聞、潮、グラフSGI等の創価学会系の情報も除外することになると思います、あまりにも批判的で偏っているから信頼がない、ということを認めるのならば、あまりにも肯定的で偏っている物も信頼がないことにしなければ中立性が保てません。従って、どの程度信頼性を認めるか(一切削除するか、両論併記で残すか)の問題はともかく、どちらか一方の情報のみを尊重することはあまり好ましくないと思います(個人的な見解ですが週刊誌も創価学会系メヂィアもさほど信頼性が置けないと言う点では同程度だと思います)。

4「創価学会員である」という表記について、正直言ってshinsekaiさんは創価学会の皆さんに非常に失礼なことを言っていると思います。誰々が創価学会の会員である、ということがその「人物への名誉を傷つけるような行為」にあたるのではないか、とshinsekaiさんはおっしゃいますが、それこそ「創価学会員であることは不名誉なことではないか」といっているようなもので、中立性の重要性を訴えておられるshinsekaiさんの中立性を疑います。事実である場合や本人が積極的に会員であることを訴えている場合は、記述しても何ら問題はないと思います。それとshinsekaiさんは他の宗教の信者ではそんな記述は無いじゃないかとおっしゃっていますがそれは誤りで、反証としてクリスチャンである将棋棋士の加藤一二三のページを挙げておきます。--3丁目の男 2007年10月7日 (日) 03:44 (UTC)

熱心な編集大変にご苦労様です。一点だけどうしても気になったので拙論申し上げる次第です。「創価学会員である」かどうかの表記についてですが、この場合、私が考えるWikipediaの重視すべき基準は「検証可能であるかどうか」と「プライバシーを侵害していないかどうか」です。すなわちその人本人が公開しているプロフィールや略歴において「創価学会員である」ことが明言されていればそれは記事に加えることが可能だと思います。しかしそうでない場合、たとえば仮に、現公明党代表の太田昭宏のプロフィールにおいて「創価学会員である」ことが明言されていない場合、たとえ太田自身が青年時代に創価学会の役職を歴任していようと、たとえ現在公明党の代表であろうと、今現在創価学会員である根拠にはなりえません。すなわち今現在創価学会の信者であるかどうかは推測の域を出ないと考えます。Wikipediaにそういった証拠のない記事を載せることは不可能です。これには本人にとって不名誉であるとか、失礼であるとかいったあいまいな議論の入る余地はないと考えます。また本人のプロフィールや略歴に創価学会員であることが明記されていたとしても、新たに公表されたプロフィールからそのことが削除されていたのなら、記事も修正されてしかるべきだと考えます。プライバシーに属する事柄であり、Wikipediaは個人の過去やプライバシーを暴露したり、告発したりする場ではないのです。同様に、芸能人やスポーツマンが聖教新聞に載ったり、創価学会系の広報ビデオに出演していたとしても、そのこと自体は記事になったとしても本人が創価学会員であるかどうかは別の問題だと考えます。3丁目の男さんのあげられた加藤一二三の例は反証としては不十分ではないかと思います。乱文ながら以上の点、ご検討下されば幸甚です。--Easyman 2007年10月8日 (月) 12:18 (UTC)
ご意見の有りました点についてお答えいたします。まずプライバシーの問題についてですが、「事実である場合や本人が積極的に会員であることを訴えている場合は、記述しても何ら問題はない」と書きましたように、プライバシーの侵害や誤りが明白である記述は好ましくない、という立場をとっていますことをご理解いただきたいと思います。
次に「創価学会の会員である」という記述は「今現在創価学会の信者であるかどうかは推測の域を出ない」のではないかという問題ですが、それはその通りだと思います。ウィキペディアが現在進行中の事象を速報するものでない以上、ウィキペディアの全ての情報はたとえどれ程最近のものであろうとも「過去の」情報に過ぎず、「今の」情報ではない訳です。その観点から「創価学会の会員である」という記述も全て過去についての情報と認識しております。
ただEasymanさんに逆にお聞きしたいのは、Easymanさんはどの程度「現在」においては推測に基づく記事をお認めになりますか、ということです。結局のところ、例えば太田昭宏氏が衆議院議員である、という過去においては疑いない客観的事実も、「現在」「今」においては必ずしも正しいとは言い切れません。今私がこの文を書いている時に太田氏が辞職したり突発的な事故が起これば、その記述は誤りになってしまう訳です。しかし我々は太田氏が辞職したりしたらそれについて報道がなされてそれに基づいて誰かが書き込むだろう、という「推測」の基に「現在」において太田氏が衆議院議員である、という記述は正しいと認めているわけであります。「創価学会員である」という記述を「今現在創価学会の信者であるかどうかは推測の域を出ない」という理由で認めないというのならば、「誰々の夫は歌手の何々」という記述だって、妻が離婚届を出したと言う情報はないから多分現在でも二人は夫婦なのだろう、という「二人が夫婦かどうかは推測の域を出ない」記述に過ぎず、これも削除すべし、ということになってしまうと思うのですが如何でしょうか。--3丁目の男 2007年10月10日 (水) 06:24 (UTC)
ご回答ありがとうございます。下のほうではさらに議論が進んでいるようですが、3丁目の男さんに敬意を表し、私見を述べさせていただきたいと思います。まずプライバシーについての件ですが、私自身3丁目の男さんと意見が食い違っているとは思っておりません。言葉足らずでご心配をおかけしたのであればお詫び申し上げます。
ついでご質問の件、「どの程度「現在」においては推測に基づく記事をお認めになりますか」ということですが、はっきり言って「認めない」と申し上げておきます。この点誤解されても困るのですが、「疑いない客観的事実」は「太田昭宏が衆議院議員である」ことではなく、「太田昭宏がいついつの選挙で当選し衆議院議員になった」ことだと私は考えます。選挙で当選したことは過去の確定した事実であり、ソースが明らかである限り、Wikipediaに記事として記述可能なわけです。同様に「太田は議会でこれこれについて発言した」「太田は議員の立場でこういった活動をした」「それに対してこういう評価を受けた」という記事は記述可能だと思います。全て確定した過去の事実であり、それを否定する新たなソースが提示されない限り、Wikipediaの記事となりうるわけです。一方で、現在進行中の問題、たとえば「中東問題にこう取り組んでいる」といった類いの記事は、太田の個人サイトでもない限り、記述することは出来ないし、する必要もないと思います。
このことから繰り返しになりますが、「青年時代、太田は創価学会の役職を歴任した」とは書くことが出来ても、「太田は創価学会の信者である」とは書くことは出来ないし、書く必要もないと考えます。仮に太田自身が「創価学会の信者である」と明言しているソースがあったとして、そのときは「○○において太田は創価学会の信者であることを明言している」と記述するべきであって、そのためにカテゴリーやタグを貼るような編集は意味を成さない、と考えます。
まあ、そうは言っても定義の部分で太田昭宏とは何者かとなれば、「衆議院議員」と書かざるを得ないのも事実なのですが。少なくとも私の言いたいことは御理解いただけたかと思います。--Easyman 2007年10月10日 (水) 18:12 (UTC)

Shinsekaiさんの提案(その2)

しばらくの時が過ぎ、みなさんから多くの意見が寄せられたようだ。一人一人の意見を拝見させてもらいましたが、みなさんが大変にこのウィキペディアに熱意を込め、利用者の誰もがこのウィキペディアのページを引用したいと言ってくださるようなことにつながる素晴らしい意見を出されているようだと感じた。また、あなた方の意見を私はできる限り細かく考え、十分に参考になるものだと理解し、私も全力でみなさんに対して意見を述べたいと存ずる。

さて、本題に入りたいと思う。一つ目の私の意見についてだが、まず、信者、会員、学会員という表記についてのことであるが、なぜ創価学会が公式に使用する言葉が非中立的で偏向なのか理解に苦しむ。文意が変わるだとか、その内容を美化するようになるならば使用するべきではないが会員、学会員を使ったところで何ら文意が変わるとも思わないし、美化にもならないだろう。また、創価学会が創価学会という名義であるため、むしろ、会員、学会員だといった表記のほうが分かりやすいのではないだろうか。創価学会以外の団体で学会員という呼称を使う所はおそらく見受けられないだろう。これは、会社に対する社員であったり、ウィキペディアに対するウィキペディアンであったりするのと同義だと考える。他方では、どこの学会だというとらえ方になるという意見も出ているが、先に述べたことで解決できると思うし、一番初めに創価学会員という表記をすればそのあとの表記で単に学会員という表記をしても文意から理解できるであろう。また、テレビなどのメディアでも創価学会関係のニュースが流れた時に創価学会の人物には学会員という呼称を使用している。一方、会員についても、会を組織する人間という意味があり、創価学会という名にふさわしいものだと思う。他にも、会員という言葉には単独で教会等の会員という意味があり、宗教団体に使用しても全く問題はないと判断する。学会員、会員共々一切非中立的ではないだろう。

しかしながら、他には、宗教団体の一員であるため信者という表記をすべきだという意見が出ている。これについても意見を述べたい。まず、信者という表現自体であるが、これにはあまりいい意味を成さないように思える。この議論でも挙がったが、新宗教に対する新興宗教と似たようなものではないだろうか。これには名前を出すべきではないかもしれないが、オウム真理教やその他の一部の宗教団体が反社会的な行動をした経緯がある為か、テレビ、新聞等でオウム真理教の信者、その一部の宗教団体の信者といった報道がされたためだ。よって、世の人々の間にも信者という言葉にはいい意味を成さないといったようにとらえる方がおられるのではないかと思い記述した。

以上のことでまとめたいと思うが、納得ができないかもしれない方がおられるかもしれない。 そこで私は、新たに信徒という呼称を提案したい。世の一般の方々、創価学会の方々どちらとも納得し、理解されるものであると考えるし、宗教的なものだとすぐに分かる。これは、キリスト教を信ずる人々のことをキリスト教徒と言うが、創価学会信徒というのはキリスト教徒という呼称に近づけたものである。文章で表記する場合には信徒自体が文章用の表現とため、信者よりも信徒のほうが適しているようである。また、このウィキペディアでは信徒が信者という項目にリダイレクトされているようだ。よって、信徒という言葉に万一理解できずにおられる方がいても、すぐに理解できるようになるだろう。学会員、会員、信徒の3つで再び議論していただきたい。

次に、新興宗教団体という表記についてであるが、私は新宗連の方々が新宗教という表記にすべきであるとしている動きに賛同するのであって、新興宗教は一切否定しない。ウィキペディアに書いてあると通り、ただ新興宗教という表記にあまり良くないというイメージがあるということだ。何か新しい価値観、生き方が見つけられるということについては全員が一度は考えてみるべきである。ところで、肝心の表記についてだが、これにはみなさん新宗教という表記をすることで一致されたようだ。よって、これからは、新宗教と表記する方針で固めることができた。

しかし、ここでも意見を陳ずるが、あくまで新宗教と表記するのは創価学会のページだけにするべきではないだろうか。創価学会以外のページでは単に創価学会と表記するだけで十分だろう。なぜならば、ここは、百科辞典だ。一目ですべてが分かるようにする必要はない。ここには真面目に色々なことを調べたいと思って訪れる人々が大勢来るだろう。その人たちは、あくまで調べたいと思って来ているのであって一目見て理解しようと訪れているわけではない。これは、今では紙の辞書が使うことが少なくなったが、一つのことを調べていて、わからない、知らない単語が出てきた。ということが誰にでもあるだろう。そこで、みんなその単語をまた辞書を開いて調べようとするだろう。これこそが人間が調べることにおいて一番重要なことであり、深くまた別の物事について知ることができる。このことは、電子辞書に存在するスーパージャンプという機能にも言える。知らない単語があるからこそ知らない単語を選択、そして知らない単語のページに行くことで多くの知識を得ることができるのだ。以上のことは、当然ウィキペディアも含まれる。ウィキペディアで言うなればハイパーリンクであろう。ウィキペディアにはだらだらと余分な説明をした文が多すぎる。あくまでそのページに必要な文が成り立っていれば、問題がないため少しでも簡潔にしたらどうかと思う。そうすれば、むしろ訪れた方々のためになるのだ。例えば、いま議論している創価学会と関係のある、聖教新聞社からスタートしてみよう。最初の一行を創価学会の出版部門であるとすれば、知らない人は創価学会とは何か、という疑問が出てくる。創価学会のページへとべば、最初に日蓮正宗系の新宗教とある。ここでは、新宗教に興味を持ったとしよう。そこには、新しい宗教のこととある。そこで宗教という言葉に疑問が湧き、宗教とはそもそも何ぞやという意見が出てくる。このようにしてどんどん調べていくことで知識が増え、人間として成長するのだ。

本来、百科事典というのは、知的好奇心と言えばいいのだろうか、そのような事柄を触発させてくれるものである。訪れ、疑問になった単語があるのならば、またさらに調べる。そのサイクルは人間として当然の行為であり、より人間性を豊かにするものだ。現代人には表面だけみて判断する人間が多すぎる。このことは深く勉強、学習することで改善できるのだ。以上のことは誰にでも共通することであり、人間として重要なことだ。これは、いま議論していることだけではなく、ウィキペディア全体に訴えたい。もし、今私の述べた意見がウィキペディアの方針に引っ掛かる部分があるのならば、私はウィキペディア本体であろうが無論食って掛かっていくし、存分に反論を申したい。

その次の、有名人や、政治家に創価学会員等といった表記をすべきではないということについてだが、一部で誤解が生じているようだ。私が創価学会員等といった表記に反対する理由はその有名人が個人攻撃を受けるからである。例を出すならばわかりやすいのが2ちゃんねるである。2ちゃんねるではウィキペディアに書いてあるから、という理由ですべてを決める人間もいるようだ。また、ごくわずかな人間だと思うが、創価学会に入信しているというだけで個人攻撃している輩もいるようである。実におぞましき行為だが、ウィキペディアが創価学会へ入信しているといわれる人物、また入信している人物が個人攻撃を受ける一因となっている。百科事典ならば、事実を書くだけではなく、そのような事態が起こることもある程度予想しないといけない。これは一般のメディアと同様である。そのようなことが起こらないように一時的にしか役に立たないかもしれないが、削除してはどうかと申したかったのである。私は創価学会はいいものだと思っているし、そうでなければ日本で一番大きな宗教団体となることはできなかっただろう。だから、当然創価学会に入信されている人物の表記を消そうと提案しても、それは創価学会に入信することが不名誉なのではない。ひとつ聞きたいが、有名人でも積極的に創価学会員であるといった発言をしている人物はいるだろうか。創価学会関係の書籍に名前の表記があるのは全く問題のあるものではないし、宣伝目的のものではないのだから。これは、ウィキペディア全体に言えることだが、個人の信教についてウィキペディアに書く必要はないだろう。なお、「カテゴリ:創価学会所属の国会議員」といったものに対しては削除の方針が少し立っているようなのでこのまま進めたい。

最後の週刊誌等の雑誌の記事をウィキペディアに載せるかという議論であるが、私は、ジャーナリズムを否定する気はない。ただし、ジャーナリズムはその事柄に賛成もしくは反対することしかできない。特に、創価学会と敵対する週刊誌は創価学会の特に個人に攻撃ばかりしている。最近では、新興宗教有名人リストなどと言うおよそ憲法で保障された信教の自由を奪うがごとき、これまたおぞましき掲載行為をしているようだ。こういった行為をしている限り、週刊誌は信用できないと思ったまでだ。一方、創価学会系の書籍、雑誌では創価学会と敵対するメディア全体を批判しているようである。どちらもよくはないが、まだ創価学会系、もしくは創価学会寄りの雑誌や記事のほうが信頼できるようだと思う。これは、別に創価学会寄りの記事を多く載せるといった意図があるわけではない。しかし、聖教新聞のことがたびたび挙がるが、聖教新聞は公称550万部もある新聞だ。これは、読売、朝日に次ぐ第三位の数字である。数にすれば日本人の20人に1人は読んでいるといえる。ここまでの発行部数があるのならば当然ある程度信頼のおける媒体になるだろう。それに比べて、創価学会に批判的な新聞赤旗、週刊新潮はどうだろうか。赤旗は168万部であるし、新潮はたかだか数10万部である。数ですべてを決めるわけではないが、客観的に見てどれが創価学会関連に対して一番正確な記事を載せているかといえば聖教新聞ということになるだろう。池田大作が間違っているという記事が一度も載ったことがないとの記述があったが、それこそ週刊誌や赤旗はどうなのだ。一度でも創価学会に賛成、もしくは肯定的な記事を載せたことがあろうか。また、聖教新聞には載ってはいないかもしれないが、実際に池田大作や創価学会が問題行動を起こした時には、池田大作本人が人間革命やジャーナリストとの会談の際に謝罪や反省をしているではないか。その他、大事なものとして取り上げたいが、創価学会のページの下のリンクページに書いてある創価学会が阪神淡路大震災の時に行った復興支援、救援活動などこれこそ日本のメディアが報じないようなことがらは、ウィキペディアで取り上げるべきだろう。特に、これは海外のメディアが報じたようである。このような日本のメディアが報じない、目に見えない活動こそウィキペディアに必要な事柄ではないか。また、新聞が中立的ではないという意見が出たが、確かに中立的ではないかもしれないが新聞を信用しなかったら何も信頼できるものはない。新聞社は記事そのものが、それこそ自分たちの生命線なのだから、事実確認の取れたものが多いだろう。森羅万象の中で一番信用できないのはもちろんインターネットである。今や、犯罪の温床とまで言われ続けている。個人攻撃しかできない人間、ジャーナリスト気取りの人間が今までのいろいろなページを見た限りこのウィキペディアにまでもいるようである。断わっておくが、今言った人間だけが、問題なのではない。このページでは創価学会系と反創価学会系のメディアの記事の両方を載せればよいと言う意見が出ているが、これは実にナンセンスだ。両方の記事を載せるだけで中立性が保てるわけがないのだ。これは、新聞が右翼だとか、左翼だとか言われているが、その結果が、最近の憲法改正問題であったり、イラク問題であったりするだろう。これこそ、批判、個人攻撃を発生させているではないか。右翼気味の新聞、左翼気味の新聞、両方あったところで全く中立性は保たれていない。記事は信頼できようとも中立性はないに等しい。このような所から学ぶべき点があるだろう。現状では、創価学会関係のページは批判的な記事が多数あり、その創価学会に肯定的な記事が少ない時点で既に中立性を失っている。これでは2ちゃんねるとあまり変わらない。また、両方の記事を大量に載せる時点で百科事典としての機能が失われるのだ。例えば、本物のマイペディアと言う百科事典を見ればわかる。簡潔だが、どちらにもつかないはっきりつかない中立性のある状態となっている。両方の記事を載せたところでページが重くなり、肥大化するだけだ。私が言いたいのは両方載せたところで何も変わりはしないということだ。それに、記事自体検証可能かと言われても検証なんぞそう簡単にできるわけがないのだ。そもそも、検証とはあることがらを証明することだ。事実かどうかは関係がないといった方がいらしたが、証明できぬ限り事実にはならない。よって、推測の域を出ぬ記事、情報は載せるべきではない。これは、百科事典なら当然の行為である。だから、推測的な記事の多い週刊誌はいかがなものかと申したいのだ。週刊誌発行部数も見ても、内容を見ても広く信頼されている発行元からの意見、情報とは言えないのではないだろうか。また、百科事典とは基本的に記事のものごと、人物、団体について肯定的な記述をするべきものではないのか。広辞苑等の辞書、先ほど申したマイペディア等の百科事典を見た限り、たいていの物事には肯定的にとらえるのが一般的な解釈とされているようだ。一部の問題になった人物や団体についてはある程度批判的な記事を載せられるのは仕方がないかもしれないが、現在の創価学会に関しては特に問題があるとは言えないだろう。話を戻すが、検証可能かどうかについてわかりやすいのが宗教団体の会員数である。創価学会についてはNHKの出口調査といって400万人強と表記があるが、これをどうやって検証すればよいのだ。NHKがまずそのような調査をするとはとても思えないし、実際に公表もしていない。たとえ、調査をしたところでいきなり尋ねられて誰が自分は創価学会員だと答えるのか。まず、NHKだからといって全員が納得しはしまい。結局会員数はわからぬままだろう。そうなると、やはり、公称というものが信頼できるものになってくるのだ。あくまで、公称なのだから、信用する、しないは個人の自由である。ただし、参考資料程度には十分に使える。特に現代ではインターネット、雑誌をはじめ様々な憶測さえ頻繁に飛び交っている。創価学会はその代表と言っていいだろう。もし、反創価学会系の記事や情報をウィキペディアに載せて、それが事実ではないと証明された場合、創価学会等から公共性のある場所に堂々と事実でなない記事、情報を書かれ名誉を傷つけられたと言われて名誉棄損等で訴えられることになっても全く文句は言えないのだ。ウィキペディアはそのような事態になった場合、甘くはないだろう。

随分と長くなってしまったが、まとめとして言いたいのは、あまりにも極端な情報、記事は載せない。基本的に物事を肯定的にとらえる必要があるということだ。週刊誌の記事をなくせと言っているわけでは決してない。また、創価学会側に寄りすぎた記事は掲載しなくてもよい。ただ、あまりにも記事を増やしすぎてはいけないということだ。

最後に依音さんに私なりの意見を述べさせていただきたいと思うが、創価学会は宗教名、団体名を兼ねているのではないだろか。これは、別のものにたとえると、わかりやすいのが政党ではないだろうか。要は、自民や民主という政党名と同じということである。なぜかと言うと、政党というのはその呼び名の通り政治団体ということになる。たとえが悪いが、政党への献金は政治団体としての自民党、民主党として受け取るのである。しかし、別に、政党というのは同じ理念を持った人間の集まりであるといえる。これは、宗教で例えるならばいわゆる信仰ではないだろうか。政党と言うのは、団体として献金を受け取ったり、選挙活動もすることがあれば、一方で政治家の集まりとして、政治も行うものであるからと考えこういった結論に私は到りました。

以上、文章が長く、下手で申し訳ないが、今一度皆さんで議論していただけないだろうか。--shinsekai 2007年10月10日 (水) 16:02 (UTC)

依音さんの回答(その3)および提案

節サイズが優に32KBを越えているのですが、さらにshinsekaiさんへ意見を述べさせていただくのをお許しください。 1. 「創価学会に所属している人」の表しかたについて

まず、「学会員」「信者」という表現についてshinsekaiさんと同意見である事をご理解ください。次に、「信徒」という表現についてなのですが、私個人としては「信者」との受ける印象(イメージ)の差を感じません。但し、これはあくまで個人の印象の問題なのでスルーしていただいても構いません。
そして、ここからが本題なのですが、この時点で選択肢を「学会員」「会員」「信徒」に絞るというのは賛同しかねます。これまでの議論の中で『「信者」という表現は適さない』という結論に至ったわけではなく、あくまでshinsekaiさんの中で「信徒」という結論に至ったに過ぎません。より正しく議論を進めていくならば、『shinsekaiさんが新たに「信徒」という表現を提案し、「学会員」「会員」「信者」「信徒」(複数選択可)で議論していく。』とすべきだと思います。

2. 「新興宗教団体創価学会」という表記について

まず、「これにはみなさん新宗教という表記をすることで一致されたようだ。」と述べられていますが、果たしてそれは本当でしょうか。Maitさんが「新宗教団体創価学会」はどうかという提案をし、私とshinsekaiさんは賛同を示しましたが、3丁目の男さんのように「新興宗教団体創価学会」でもよいのではないかという意見も出ています。きちんと賛否双方の賛同を得た上で進めていくべきかと考えます。実際、皆様方は「新興宗教団体」ではなく「新宗教団体」と表記することをどう思いますでしょうか?是非ともご意見を述べていただければと思います。
また、『創価学会のページ以外は「創価学会」(内部リンクを含む)のみの表記とする』ことに関しては大いに賛同したいと思います。簡単に言ってしまえば、創価学会が何であるのかはリンクをクリックさえすれば分かることなのですから。ただ、この内容に関してはWikipediaの記事の方針に関わることだと思うので、後はそちらに詳しい方にお願いしたいと思います。

3. 「創価学会員である」ことに関する表記について

正直言いまして、この議論は私の手に負えそうにありません(脳が沸騰しそうになります)。これに関しては上でも議論されているようですし、shinsekaiさんの意見を含め様々な視点・観点から答えを導き出していただければと思います。

4. 「どこまでの情報をウィキペディアに載せるか」について

これに関しても正直言いまして、脳が沸騰しそうになっています。また、この問題はWikipedia全体の問題でもあり、なかなかに答えの導き出せない問題だと思います。私からの意見としては、一つの手法として各々の記事についてこのノートで議論し、必要最低限の情報まで要約した上で記述していくほか無いのではないか、と思う次第です。記述の自由度が失われますが、Wikipediaを中立的な観点に保つためには致し方無いのかなと思います。(これもスルーしていただいて構いません。)

0. 「創価学会」は「団体名」か「宗教名」か(議題項目ではないので0番です)

皆様の意見は共通して「創価学会」は「団体名」であり「宗教名」なようですね。私もしばらく考えていたのですが、「宗派」(「創価学会」は仏教の宗派である日蓮宗のそれまた宗派である日蓮正宗のそれまた宗派にあたるものだと記憶していたのですが)の場合も「宗教名」になるのでしょうか?しつこくて申し訳ないのですが、今一度ご教授のほどお願いします。(表現に関しては、現在「信者」でも構わないと考えています)
それと大変に申し上げにくいのですが、shinsekaiさんの「政党」の例えがいまいち理解できませんでした。『自民党』や『民主党』が政党名であり団体名であることは分かるのですが、shinsekaiさんの「団体として献金を受け取ったり、選挙活動もすることがあれば、一方で政治家の集まりとして、政治も行うものである」という例は、組織(団体)として比較的普通の内容なのではないかと思います。例えば、『創価学会』を団体名と扱ったときに対する「宗教」にあたると思われる「自民党の政治理念」等を『自民党』と言うのであれば、私は納得できるのですが・・・

最後に、そろそろ議論の取り纏めをと思ったのですが、あまりにも情報量が多いため私には出来ませんでした。さらに情報量を増やしてしまっていて申し訳ないのですが、どなたか取り纏めをお願いできませんでしょうか?--依音 2007年10月12日 (金) 20:17 (UTC) 文面修正--依音 2007年10月12日 (金) 20:20 (UTC)

3丁目の男さんの質問

聖教新聞につきまして、shinsekaiさんにお尋ねします。失礼ながらshinsekaiさんは聖教新聞をお読みになった事がないのではないでしょうか。shinsekaiさんは聖教新聞について「ここまでの発行部数があるのならば当然ある程度信頼のおける媒体になるだろう」「客観的に見てどれが創価学会関連に対して一番正確な記事を載せているかといえば聖教新聞ということになるだろう」と述べられていますが、私は聖教新聞は単なる一団体の機関紙に過ぎず、読売や朝日などに比べて著しく信頼度が劣ると考えています。

例えば以下は今朝の聖教新聞一面の「寸鉄」欄の文面ですが、以下のような記述が信頼できるとお考えでしょうか。

『77周年の「創立の月」へ名誉会長と共に幹部会!正義と勝利の大道を驀進

世界の大学から「222」の名誉学術称号。世界が仰ぐ偉人。焼餅日本は愕然。

「快活さと喜びは、高潔な心から生まれる」鉄人。気高き女子部に幸福あれ

竹入・山友ら反逆者は皆生き地獄。増上漫で狂った提婆「現身に阿鼻の炎」

本山、寺無し坊主がゴロゴロ。財政ボロボロ。日顕ウロウロ。憎悪ドロドロ。』

一般の新聞ならば、ニュースソースのない情報や主観的で議論を要するような表現を載せることはあまりありません。つまり記述の根拠となる情報に基づいて記事を作成しているわけですが、聖教新聞に関してはその点が甚だ疑問です。 信頼できるかどうかという問題は別にしても、このように主観的な記述がごく当たり前のものとなっているように、聖教新聞に多数の購読者がいるからといって、必ずしも信頼できる媒体とは限らない、という点は明白かと思います。そのあたりを考慮して情報の選別をお考え頂きたいと思います。--3丁目の男 2007年10月14日 (日) 01:41 (UTC)

サイズが大きくなったので見出しをつけました。--Easyman 2007年10月15日 (月) 14:53 (UTC)
お疲れ様&ありがとうございます。見出しをつけるという手は思いつかなかった。--依音 2007年10月15日 (月) 17:51 (UTC)

Maitの回答(その2)

shinsekaiさん、貴重なご意見ありがとうございました。依音さんと3丁目の男さんが指摘して下さったことは省略するとして、それ以外のことで私も意見・指摘させて頂きます。初めに、信者や新興宗教云々といった表記に関しては、さすがに意見が全員の一致を見るのは難しいでしょうから、「信者」「新興宗教」といった表記を続けてこられたAaluluさんとそれに反対するshinsekaiさんとの議論により合意形成されるとよいのではないでしょうか。私はお二方の合意の結果がどうであれ了承したいと思います。

さて、shinsekaiさんは「創価学会系と反創価学会系のメディアの記事の両方を載せればよいと言う意見が出ているが、これは実にナンセンスだ。両方の記事を載せるだけで中立性が保てるわけがないのだ。」と仰っておられ、「あまりに記事を増やしすぎてもいけない」といった主張をされていますが、Wikipedia:中立的な観点をまだ全てお読み頂いていないようにお見受けられます。なぜならshinsekaiさんの主張は、ウィキペディアの運営者が決めたものであり利用者同士の合意によって覆されることのないこの方針と、各論部分で齟齬するものだからです。Wikipedia:中立的な観点から一部を引用しましょう。

「偏りのない記述は、最も普及している観点だけを提示するものではありません。また、最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。全ての観点を提示するということは、p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というようなの記述をすることです。全ての観点を提示するにあたって、誰がどのような理由で p や q を信じており、どちらがより広く支持されているか、といった背景の説明を大量に供給できることが理想です。(広く支持されていること=正しい、とほのめかすようなことのないように気をつけてください。)」(引用終わり)

また、shinsekaiさんはウィキペディアにおける「検証」の意味をまだ理解されておられないようです。ウィキペディアにおける検証可能性とは、文献などの資料を確認することによる「検証」であって、真実を究明する「検証」ではありません。ウィキペディアに参加される以上、最低限当ノートページの最上部のテンプレートにある「記事の編集方針」以下の方針は全て読破し理解して頂けないでしょうか。次回意見をご投稿されるまでによろしくお願い申し上げます。ウィキペディアの3つの基本方針「Wikipedia:中立的な観点」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:独自研究は載せない」は利用者間の合意によって覆されるものではないことも何卒ご理解頂ければと存じます。

ウィキペディアの編集をするにあたり批判者の意見を取り上げる際に、名誉毀損にならないように気をつける必要があるかと思いますが、方針は最大限守られるべきだと思います。

なお、聖教新聞と週刊誌などの批判的メディアのどちらが信頼できるかで議論になっていますが、その問題はシンパとアンチはどちらが正しいかを論じているようなもので、中立的な観点が求められるウィキペディアでは論じるべきではない問題のように思われます。それから、「推測の域を出ぬ記事、情報は載せるべきではない」という意見がありましたが、それには賛成したいと思います。シンパ系・アンチ系問わず週刊誌などで「○○は○○に違いない」「○○ということなのだろう」などといった推測風の記述を出典として記事を書くべきではないと考えます。

最後に、shinsekaiさんが前述の「記事の編集方針」以外に、読んでおいた方が良いと思われる文書を3つ紹介しておきます。

--Mait 2007年10月16日 (火) 11:31 (UTC), 2007年10月18日 (木) 10:58 (UTC)

Aaluluさんの回答(その2)

shinsekai氏の主張に気になる点があったので、意見を追記させて頂きます。まず、学会側媒体の信頼性について。

shinsekai氏の仰るとおり、公称550万部を誇る聖教新聞は確かに週刊誌より規模は大きいですが、宗教団体の機関誌という性質上、教団側の主観が多く介在しており内容の客観性、中立性は一般の全国紙と比べて雲泥の差でしょう。一般的な認識では、聖教新聞の信頼性は週刊誌と同じか、それ以下だと思います。(信者の方々は内容を妄信しているようですが。)また、そもそもメディアの信頼性と発行部数は必ずしも比例の関係にありません。たとえば、全国紙の発行部数は読売(約1000万部)が最も多く、産経(約300万部)は最も少ないです。しかし、だからといって信頼性が「読売>産経」と見なされているわけではないですよね。

それと、「会員」か「信者」か「信徒」か、について。

「創価学会が創価学会という名義であるため」に「会員」という呼称がわかりやすく妥当だというならば、「~研究所」という教団の信者は「所員」、「~団」という教団の信者は「団員」と呼称できるようになります。しかし他の宗教団体の項目を見た限りでは大半は「信者」という表現に統一されているようなので、創価学会も特別扱いせずに、「信者」とすればいいのではないでしょうか。ちなみに「信徒」という表現は見当たりませんでした。 --Aalulu 2007年10月16日 (火) 11:41 (UTC)

見出しを付けさせて頂きました。--Mait 2007年10月16日 (火) 13:19 (UTC)
「信徒」という表現が見当たらないということですが、検索してみると、キリスト教関連および日蓮正宗関連ではわりと「信徒」という言葉が使われているようですね。--Giwa 2007年11月5日 (月) 02:48 (UTC)
創価学会員の多くが「信者」という表現を不快に思うのならば、「会員」にしたほうがいいのではないかと思います。
「創価学会」の項であるため、「会員」を他のものと誤解する恐れは低いと思うからです。また、創価学会員以外の人が「会員」という表現を見て、創価学会の意見に偏っていると感じる人は逆に少ないと思うからです。--123.193.9.196 2008年2月16日 (土) 06:15 (UTC)

まとめに向けて

Maitの回答(その2)の節において、「Aaluluさんとそれに反対するshinsekaiさんとの議論により合意形成されるとよいのではないでしょうか。私はお二方の合意の結果がどうであれ了承したいと思います。」と申し上げましたが、shinsekaiさんからのコメントが一向につかず、Aaluluさんも最近ウィキブレイクのご様子なので、上記の発言を撤回し、議論に復帰することと致します。以下2つの表記問題に関してはそろそろまとめに入るべきかと考えております。--Mait 2008年2月19日 (火) 09:13 (UTC)

「新興宗教団体」「新宗教団体」問題に関して

依音さんの「実際、皆様方は「新興宗教団体」ではなく「新宗教団体」と表記することをどう思いますでしょうか?是非ともご意見を述べていただければと思います。」の提案にその後どなたからの異議がないことからも、「新宗教団体創価学会」という表記にすることで合意は取れたと判断してよいのではないでしょうか。

問題は、この表記を記事「創価学会」のみに記述するか、それとも他の記事にも適用するかについてですが、この件に関しては依音さんの仰せの通りウィキペディアの記事の方針に関わることだと思い、方針文書を読み返していたのですが、Wikipedia:完璧な記事内の「その記事自体の中であっても、必要不可欠な専門用語について説明しないままにはしません。」という項目にその解答を見出せたような気が致します。以下引用します。

主題自体にとって、いくつかの専門用語が「必要不可欠」ならば、たとえ他のページでも説明されていたとしても、それについて記事内で説明すべきです。読者がその主題の解説に欠かせない部分を見るために他のページを訪れなくてもいいようにすべきです(その記事のほとんどが他の記事を列挙するだけの高度な紹介ページでなければ)。

つまりは、「ハイパーリンクで辿れば内容が分かるのだからいちいち説明の表記をする必要はないのだ」という主張はウィキペディアの方針にはそぐわないということが分かります。よって、この問題に関しては「創価学会以外の記事においても『創価学会』の表記の前には『新宗教団体』の表記を付け加える」ということに落ち着くのではないでしょうか。--Mait 2008年2月19日 (火) 09:13 (UTC)

では、異論もないようなので上記の内容で合意形成されたと判断します。このノートでの合意が、創価学会関連の記事以外の記事にまで及ぶかは分かりかねるため、創価学会関連の記事にのみ合意結果を反映させていく予定です。今後表記の変更をお考えの方がいらっしゃいましたら、変更の前に本ノートにて提案し、合意を得て下さい。--Mait 2008年3月25日 (火) 14:06 (UTC)

「学会員」「会員」「信者」「信徒」問題に関して

Aaluluさんの回答(その2)の節におけるAaluluさんの「しかし他の宗教団体の項目を見た限りでは大半は「信者」という表現に統一されているようなので…(以下略)」という「他の宗教団体」というのは新宗教団体のことを指しておられるのではないでしょうか。新宗教団体において「信徒」という表現はなかなか見つけることができません。「信徒」と表記するくらいであれば「会員」という表記の方がまだよいと個人的には考えています。また、シンパだけではなくアンチも「会員」という表記を結構使っているようです(註1.これは、アンチ関係者の一部が元創価学会員であることも関係していると思われます。註2.ただし「信者」という表現もそれなりに使われているようです。)。創価学会の信者を指す言葉として「会員」という表記が最も一般的であり、別段誤解を招く表現ではないということも事実です。Aaluluさんの回答(その2)の節における123.193.9.196さんの意見は一理あります。また、会員の中にも内部アンチや中立・無関心な方もそれなりにおられることも考慮すると「信仰している者」を指す「信者」よりも「会員」という表記の方が実態を突いた表現かもしれません。

ただひとつ感じたのが、学会員の多くが不快に思うならという理由で「会員」を推すというのは如何なものでしょうか。ウィキペディアにおける「中立的な観点」とはシンパの立場とアンチの立場の中間をとる「中間的な観点」とはちょっと違います。ウィキペディアの精神を厳格に適用するとなると、あくまでもシンパとアンチ、どちらの干渉・圧力にも左右されない純粋な用語、各新宗教団体に一括して用いることのできる平等な用語を用いるべきでしょう。実際シンパの方々が他の宗教団体の方々に比べ「信者」や「新宗教」といった表現を嫌う本音のひとつとして「他の新宗教団体と一緒にされたくないから」という思いがあるのではないでしょうか。しかしそれは本当に自身の属する宗教から一歩距離をおいて傍観・俯瞰できる(つまり学術的分類のできる)立場に立てているでしょうか。

以上「会員」「信者」のどちらかにすべきと考えている当方が、両表記のメリットに関して述べさせて頂きました。いまひとつまとまりに欠ける文章であることをご容赦下さい。上記を踏まえた上で、改めていずれの表記にすべきかご意見を承りたく存じます。--Mait 2008年2月19日 (火) 09:13 (UTC)

誤解を与えているのではないかと思い補記いたしますが、ここで私が「会員」「信者」の2つに候補を勝手に絞り込んで皆に「どちらか選べ」と言っているわけではありませんので。また、「学会員」という表記も一応候補としてあがっていたため見出しに付け加えました。不手際をお詫び致します。--Mait 2008年2月25日 (月) 11:19 (UTC)
創価学会の人たちが「信者」という表現を嫌う理由として思い出したのですが、創価学会の指導ではよく「法華経の行者たれ」という言葉が出てきたと思います。
創価学会で学んでいる日蓮仏法では「信・行・学」がそろってこそ、正しい信仰だという考えがあるので、信じているだけの「信者」ではだめで、「行学」がともなわないといけないということなので、「信者」では納得がいかないんだと思います。
また、「中立的な観点」という面から考えると、創価学会の人たちだけが納得のいかない「信者」という名称にするのは明らかに中立的でないと思います。さらにはMaitさんも指摘されたように、創価学会に入っているけど創価学会の信仰を信じていないという人もいるので、「信者」という表現より「会員」という表現が自然だと思います。
あと、他の宗教団体の項目では「信者」という表現で統一されているという指摘がありましたが、「○○会」という以上、「会員」という表現にわかりにくいところは何もなく、他の宗教団体も、たとえば「立正佼成会」や「霊友会」は「会員」が適切だと感じます。--123.193.9.196 2008年2月23日 (土) 00:47 (UTC)
123.193.9.196さんのご指摘で、「立正佼成会」「霊友会」での「会員」と「信者」の記述を確認しましたが、会に所属する方を指す場合の多くは「会員」と表記されておりました。
Maitさんが言われるように、シンパやアンチの中間的な立場ではなく、ウィキペディアとしての「中立的な観点」で言えば「会員」との表記が適切と感じます。--ななき 2008年2月23日 (土) 14:57 (UTC)
「会員」と「信者」の両メリットに記述したつもりが「会員」の表記に加担したような書き方になってしまい「信者」の表記のメリットに関しきちんと記述できていなかったと反省しています。
まず、「信者」という表現について「信仰している者」という意味で用いられることが多いですが、単に宗教団体に所属する人に対しても用いられています。それは記事信者にも記述されている通りです。宗教学上の用語として、新宗教に属している人を指す言葉として、「信者」はポピュラーなものとして知られています。
123.193.9.196さんへ。「「中立的な観点」という面から考えると、創価学会の人たちだけが納得のいかない「信者」という名称にするのは明らかに中立的でないと思います」とのことですが、#当たり前のことは掲載すべきでは?における「創価学会の人にとっても、そのほかの人にとっても共通の認識となっていることを記述すべきだという意見に賛成です。」との発言についてもそうですが、ウィキペディアにおける中立的な観点を誤解なさっているようにお見受けします。
根拠については#Maitの回答(その2)における「中立的な観点」の一部引用をご覧頂き、それでも理解できないようでしたらWikipedia:中立的な観点を全てお読み頂くことをお勧めします。単にシンパとアンチの共通項を採用すればよいのだとすれば、アンチも「会員」という表記を用いているため、「会員」で合意することで落ち着き、記事の内容に関しても双方の共通の認識のみを記述して行けばいいわけです。また、シンパとアンチのちょうど中頃の思想・ほどほどの思想を持っている人の観点から執筆するとなると、その人はシンパの気持ちにも配慮するであろうから、「信者」という表記は使えないということになり、記事の内容に関しても中間の観点に立った記述を平坦に繰り返すのみとなります。
しかし、この一風変わったウィキペディアという百科事典では、様々な観点からの意見を(検証可能である以上)もれなく記述しなければならないのです。しかもそのいずれの観点にも立っていない立場から。さて、この「いずれの観点にも立たない執筆者」にシンパであれアンチであれ中間派であれ、ウィキペディア上において行動する際にはなりきらなければなりません。そのような「いずれの観点にも立たないような人」が、宗教団体に所属する人を呼称する際にいかような用語を使うか?ここが最大のポイントです。宗教学上の用語を使うか、団体の正式名称を使うか(はたまた一般名詞である「構成員」という表記にするか)。(いずれも尊重するという心境になる人が多いのではないでしょうか。)
ななきさんが、ウィキペディアの「中立的な観点」で言えば「会員」の表記が適切と感じるに至ったプロセスと言いましょうか、なぜ信者よりも会員の方を選択したのかについて、披瀝して頂ければこのノートを閲覧している人にとっても参考になると思います。単に「立正佼成会」「霊友会」において「信者」よりも「会員」の方が多く使われていたという指摘では、『「中立的な観点」という方針上「会員」の方が相応しい』ことの理由にはならないでしょう。
なお、私はお二方が「会員」にすべきという意見に反対意見を述べているわけではありませんので。念のため。
私自身どの表記がいいのかと訊ねられれば、宗教学上の説明が求められる百科事典においては「信者」の方が相応しいと考えるが、「信者」という表記に統一されたとして今後「中立的な観点」や「百科事典性」を理解されない方が次から次へと現れて記述を「会員」に変更⇒ノートでの合意であるため差し戻した上でノートへ誘導⇒ノートで根気強く方針について御説明、といった苦労を強いられるであろうから落としどころとしては「会員」に帰結するのかなと考えています。--Mait 2008年2月25日 (月) 11:19 (UTC)

Mait様、短絡的に他の「○○会」との名称が付く宗教団体のページおいて「信者」よりも「会員」の方が多く使われていた事だけで、「中立的な観点」と思ってしまいました。単純に他のページが「そうだから」=「中立的な観点」とはなりませんね。

Mait様の言われるように、宗教上の説明では「信者」だと思いますが、シンパだけでなくアンチ側も「会員」との呼び方をする事が多いと思いますので、両者間では「会員」との呼称が落としどころだと思います。ただ、シンパとアンチの為のページではないので、他の「○○会」との名称が付く宗教団体を参考にして、「中立的な観点」としてしましました。--ななき 2008年2月29日 (金) 09:06 (UTC)

では、このまとめの節において、会員以外の呼称を主張される方が現れないため、「会員」で合意が形成されたと判断します。このノートでの合意が、創価学会関連の記事以外の記事にまで及ぶかは分かりかねるため、創価学会関連の記事にのみ合意結果を反映させていく予定です。今後表記の変更をお考えの方がいらっしゃいましたら、変更の前に本ノートにて提案し、合意を得て下さい。--Mait 2008年3月25日 (火) 14:06 (UTC)

単純な修正の依頼

見出しを付けてまとめさせて頂きました。--Giwa 2007年10月24日 (水) 13:30 (UTC)
三色旗画像のサイズに関して3日待って反対意見が出なければ、以下3つの依頼をまとめて上げる予定です。--Mait 2007年11月3日 (土) 02:52 (UTC)
依頼しました。--Mait 2007年11月6日 (火) 07:59 (UTC)
観点のテンプレート、学会本部画像、主要役員の更新、いずれも提案から3日以上経過しても反対意見が出なかったため、依頼を提出しました。--Mait 2008年2月25日 (月) 11:56 (UTC)

三色旗の画像について

SVGファイルがあるようなので、記事の「三色旗」の項目に画像を載せておきましょう。5816K 2007年10月5日 (金) 12:25 (UTC)

賛成です。画像サイズに関しては右の図程度でよいと思いますがいかがでしょうか?--Mait 2007年11月3日 (土) 02:52 (UTC)
三色旗

外部リンクのリンク切れについて

外部リンクにあるうちの以下の項目は、現在リンク切れになっているようです。

  • 池田大作氏の主な資料一覧
  • 池田SGI会長への栄誉
  • 創価学会ML
  • ふうふうさんのウエビナビ フランスにおけるセクト政策を巡って
  • 年表:戦後最大の宗教企業とその時代
  • 創価問題新聞

代わりになるものがない場合は、削除してもよいかと思います。--Giwa 2007年10月14日 (日) 23:41 (UTC)

削除に賛成です。--Easyman 2007年10月15日 (月) 14:56 (UTC)
削除に賛成です。--Mait 2007年11月3日 (土) 02:52 (UTC)

カテゴリの追加

「戦前までに日本で発祥した新宗教」のカテゴリを追加したいと思います。--Giwa 2007年10月24日 (水) 13:30 (UTC)

追加に賛成です。場所は{{創価学会}}と{{Buddhism stub}}の間が妥当でしょう。--Mait 2007年11月3日 (土) 02:52 (UTC)

Template:観点の追加

保護されてから2年以上も経過していて今更感も否めませんが、過去ログにおいても当ノートページにおいても中立的な観点に関する疑問が多数提出されているため、{{観点}}を追加すべきだと思いますがいかがでしょうか。--Mait 2008年2月19日 (火) 09:54 (UTC)

学会本部画像の追加

#画像を用意しましたにてGcGさんがよい画像を提供して下さったので、追加を提案いたします。サイズは以下でいかがでしょう。--Mait 2008年2月19日 (火) 09:54 (UTC)

創価学会本部

主要役員の更新

以前#会長交代についてにて、単純な修正には該当しないと発言しましたが、あくまでも該当するかどうかの判断をするのは管理者さんなので、複数のクレームがあがっていることを鑑み、現在の

===2005年現在の主要役員===
* 名誉会長:池田大作
* 会長:秋谷栄之助
* 理事長:青木亨
* 副理事長: 山崎尚見、西口良三、大野和郎、原田稔、大場好孝、山本武

から、

=== 2008年現在の主要役員 ===
* 名誉会長:池田大作
* 会長:原田稔
* 理事長:正木正明
* 副理事長:西口良三、大野和郎、大場好孝、山本武、長谷川重夫、原田光治、池田博正

に内容を更新する依頼を一応あげてみようかと考えています。なお、副理事長の順番は公式サイトに合わせています。--Mait 2008年2月22日 (金) 06:56 (UTC)

  • たしかに単純な更新には該当しません。しかし編集合戦や新たな論議の火種になるとは考えられない項目ですので、管理者さんによる更新に賛成です。--Nirvash 2008年2月25日 (月) 12:37 (UTC)

信濃町での創価学会関係者の職務質問類似行為について

東京信濃町に行った際、道を歩いていると創価学会の関係者から、「信濃町に何しに来たのか」・「政党はどこか」などの質問を受けました。警察官ですか?と質問しても答えませんでした。(警察官が警察手帳も見せずに政党はどこかと質問するはずもないですが)そしてその男は創価学会関係の施設に入っていきました。いったい何様なのでしょう? 他にも複数の人間が、通行者などに「信濃町に何しに来たのか」等の明らかに警察の職務質問に類似する行為をしていました。 これに関しても記載するべきと思います。--125.175.103.158 2007年10月31日 (水) 12:20 (UTC)

Wikipediaでは、個人の体験談について掲載することはできません。Wikipedia:検証可能性--Tommy6 2007年10月31日 (水) 12:46 (UTC)
上記の記述をそのまま本文に掲載するべきだとは思いませんが、「職務質問類似行為」そのものは非常に高い再現性で検証可能な事実ですので、Wikipediaの基準を満たしていると思われます。科学の法則も個人の体験として理解されるものですが、検証可能性という意味で通常の個人の体験と区別されます。--以上の署名のないコメントは、61.210.204.195会話/Whois)さんが 2008年04月12日(UTC) に投稿したものです(Easymanによる付記)。
失礼ながらまずノートでは署名をお願いします。それからWikipedia:検証可能性に再度目を通されることをお勧めします。Wikipediaでいう検証可能性は科学の実験論文でいう再現性ではなく、信頼できる第三者による情報の出典の明記です。--Easyman 2008年4月12日 (土) 05:45 (UTC)

会長交代について

会長は確か秋谷氏から原田氏に代わったはずですが変更はないのでしょうか?
また、批判精神を持たれるのは結構ですが、過多かと思います。 一度、誰が見ても納得できる位淡々と書いてはどうでしょうか?
    Lbfuvab 2007年11月1日 (木) 16:14 (UTC)

単純な修正には該当しませんので、現在の無期限の保護が保護解除依頼にて解除されない限り変更はありません。また、編集方針に関するご提案については、同様の意見が#保護の解除についてで出されましたが、反対意見が出ています。--Mait 2007年11月3日 (土) 02:52 (UTC)

この際削除を

保護の状態で記事はどんどん古くなり、正しくない情報を発信する恐れがあります。 また、たとえ保護が解除されたとしても、これまでに上記の議論のようにさまざまな表記に問題が出ており、根本的な解決は不可能です。 なぜ創価系ばかりこのようなこと(激しい編集合戦や表記問題など)になるのか分かりませんが、この際削除すべきだと思います。 偏った視点や意見を載せるくらいなら削除したほうがよっぽど中立です。 「Wikipediaは中立な立場を貫くため、中立的な立場を維持できないと思われる記事は書きません。あしからず。」 これでいいと思います。全国的に規模が大きい団体は全国的に意見の対立や偏見が生まれます。 だから信憑性の高いメディアはありません。すべて人間が作るのです。触れないことが一番です。--NIPO 2007年12月29日 (土) 02:38 (UTC)

それならそれで「Wikipediaから創価の記事が削除されているのは創価の圧力だ」という意見が出そうな気もしますけどね。--122.31.225.102 2008年1月3日 (木) 05:52 (UTC)
項目自体の削除に反対します。創価学会は報道もほとんどされず、創価学会に関する情報を得る機会がほとんどないのが現状です。
しかし、創価学会による被害を被った人間が多いなら、自然と批判的な記事になってしまうでしょう。
したがって、しかるべきローカルルールを追加した上で保護を解除するのが自然な流れなのではないでしょうか。笹姫 2008年1月4日 (金) 23:15 (UTC)
では、被害をこうむった人間が多いという確証はどこに。利益を被った人間はいないのですか。公平な立場で書けない記事は載せるべきでないと言っているのです。創価学会に関する情報を得る機会がないといいますが、情報がいるのですか?いるとしても、偏見で書かれた記事は新たな誤解を生むだけでしょう。そんなものはいっそない方がいいと思います。--NIPO 2008年1月5日 (土) 08:44 (UTC)

削除には反対。ある程度大きな団体は影響が大きいので、批判も止むを得ないと思います。ただ、批判の項が多すぎるので本稿では「創価学会」の概要にとどめ、批判や他組織との対立は別の記事に書く(たとえば創価学会に対する批判という記事へ分割する)というのも一つの手かもしれません。--Monaneko 2008年1月5日 (土) 14:45 (UTC) 追記。似たようなものでJavaに対する批判という記事が存在します。--Monaneko 2008年1月5日 (土) 15:00 (UTC)

長期保護され記事として古くなっているから、この記事をいったん全面削除して新たに全面改稿して記事を作り直したらどうでしょうか?暫定的に創価学会/tempとして試し書きして推敲するとか。--123.223.57.12 2008年1月6日 (日) 12:57 (UTC)
削除には絶対的に反対。創価学会は新興宗教の代表格で数百万人の会員を有し公明党の支持母体でもあるという存在なのだから、このような重要な項目の執筆が困難で削除されたとあっては、不特定多数の人々による自由編集というウィキペディアの根本原則が揺らぎかねない。それは有識者の執筆による既存事典にウィキペディアが敵わなかったということを意味してしまうのではないだろうか。
それとNIPO氏が「なぜ創価系ばかりこのようなこと(激しい編集合戦や表記問題など)になるのか分かりませんが」とおっしゃっているのでお答えするが、それは批判派以上に創価学会系と思しき人々の非中立的な創価学会肯定にも一因があると思う。--3丁目の男 2008年1月11日 (金) 05:48 (UTC)
一旦削除して改稿しようという提案が幾度もなされていますが、どちらからか指示が出ているのでしょうか。邪推はともかく、現実的な提案ではないことを認識していただきたいと思います。--Dojo 2008年1月13日 (日) 02:27 (UTC)
削除に賛成・反対以前の問題として、どんな記事であれ記事自体を削除するためには「Wikipedia:削除の方針」に合致する明確な理由が求められます。方針に合致しないものは削除されませんので、それをご理解のうえ皆様議論なさって下さい。--ZERO 2008年1月13日 (日) 11:01 (UTC)
Wikipediaの削除の方針をみると、このような場合は編集で対応するようにしてほしいようですね。(具体的にマッチしている事例でないために、100%合っているとは言い切れませんが。)
しかし、記事が古いのも確かです。昔は正しかった情報も、いまでは間違いであるものもあります。(会長名など。)
間違いの情報をそのまま掲載しているのも、百科事典としては考え物です。
まずは、だれもが正しいと認める情報だけでも、訂正しなければいけないのではないでしょうか?
そのための作業に限って編集を認めるべきだと思います。--220.220.181.143 2008年2月9日 (土) 13:34 (UTC)

他の宗教団体の違い

よく、創価学会が悪い宗教団体と取り上げられるにはなぜでしょうか。他にも宗教団体があるのに、どうして創価学会だけやり玉にあげられるのか。他の宗教団体、特に日蓮正宗などの日蓮宗系宗教団体と比較してどんな点が違っているのか。--125.175.190.207 2008年1月11日 (金) 21:46 (UTC)

単純に思い出される(触れられる機会)が多いからではないでしょうか。たとえば、全国に支部や会館があって目に触れたり、宗教(創価学会)と政治(公明党)がくっついているからではないでしょうか。 --テンパわたる( ("ε") 会話/ φ(.. ) 履歴) 2008年1月13日 (日) 15:12 (UTC)
それだけ問題となることをやって日本が影響を受けているからです。--121.102.117.19 2008年1月23日 (水) 04:50 (UTC)
創価学会ほど、反対者が多い宗教は日本では珍しい。
これは事実です。
http://www3.ezbbs.net/15/momo7/ 桃太郎以上のコメントは、59.140.54.46会話投稿記録)さんが[2008年1月27日 (日) 12:32(UTC)]に投稿したものです。
単純に被害者が多いからではないでしょうか。うちの叔母も粘着な勧誘で軟禁まがいの目に遭いました。--61.193.87.166 2008年3月5日 (水) 10:43 (UTC)

当たり前のことは掲載すべきでは?

学会の役員なども変わっているので当たり前のことは掲載すべきである。このままではいつまでたっても保護及び解除ができないのでは--にむにむ 2008年1月22日 (火) 18:28 (UTC)

そう言う信者や学会にとって、都合の良いところだけを変更するのは問題があります。--121.102.97.25 2008年1月23日 (水) 04:46 (UTC)
学会の役員名を変えることが信者にとってプラスになるんですか?--203.138.85.51 2008年1月29日 (火) 12:38 (UTC)
役員の名前が書き換えられようがなかろうが、誰にとってもプラスではないし、マイナスでもない。ただ名前を書き換えるだけ。事実ではないことが、掲載されていることは異常である。事実はしっかりと載せるべき。--Jqyys663 2008年2月3日 (日) 12:21 (UTC)

それこそ「新興宗教」かつ「カルト宗教」という事実こそ掲載すべきでしょう。--58.138.12.182 2008年2月4日 (月) 14:32 (UTC)

創価学会は日蓮正宗だと言っているから新興宗教ではないともいえるし、もう破門されているのいるのだから新興宗教だともいえる。そのため記載は控えたほうが良い。また、カルト宗教というのは、フランスはそういったことを言っているかもしれないが、一般の考えではない上に、そういった類のものは、載せるべき特記事項ではない。--Jqyys663 2008年2月5日 (火) 12:05 (UTC)
創価学会の人にとっても、そのほかの人にとっても共通の認識となっていることを記述すべきだという意見に賛成です。--123.193.9.196 2008年2月16日 (土) 06:15 (UTC)

仲裁が必要でないか

2005年6月から長期保護されているけれど(一般記事としては最長)、何度も保護解除依頼されては合意されていないという理由で保護解除が見送られ、保護が長引いています。ノートでの合意がされないのなら、仲裁が必要でしょうか。今現在は日本語版においては仲裁のための 専門組織はありませんが、保護解除のため検討はどうでしょうか?--124.103.173.145 2008年1月24日 (木) 22:01 (UTC)

仲裁に関してですが、私は『大いに賛成』と言いたい所なのですが、それがなかなかに難しい記事となってきております。
まず、ルールを守らないノートはページの内容について利用者が議論するための場ですが、このノートは他に比べ『ノートの目的』や『記事の編集方針』を無視した書き込みが多いです(健全な書き込みが無いというわけではなく、そういった横槍が多いという意味です)。また、[[創価学会/temp]]のような一時的な書き込み場所を作ったとしても、多くの荒らしが行われるのが目に見えている現状です。
次に、感情的になりすぎる。宗教のように(人によっては)生活・人生の根幹に位置するものは、もとより感情的になりやすいものですが、ここではそれが顕著に出るようで、議論が進まず、感情的な水掛け論に発展し、最後には何かしら(創価学会やWikipedia、利用者など)の否定や立案者の無返答による放置が多いです。
そして、言い過ぎかもしれませんが相手を信用しない。上記の2つと被る部分がありますが、たとえば(本当に中立的な)仲裁役が現れ、取り纏めを始めたとしても、自分の意見が取り入れられなかった場合に『あいつはシンパだから』とか『あいつはアンチだから』と言ったような、仲裁役の批判に入り、努力の全てを無に帰すことになります。
まぁいろいろと言ってきましたが、仲裁すべきではないという意味ではありません。はっきり言って、ここは仲裁すべき記事です。しかし専門組織が無い以上、これらの現状を踏まえた上で仲裁役を買って出てくれる人が必要なのです。ちなみに私は自信が無く買って出ることができないです。--依音 2008年1月27日 (日) 13:45 (UTC)文面修正--依音 2008年1月27日 (日) 13:53 (UTC)
現在のjawpの糞制度だと保護解除後数時間で再び保護される可能性が高いです。--125.194.238.197 2008年2月28日 (木) 00:55 (UTC)

画像を用意しました

聖教新聞に本社(というべきなんだろうか)の画像があるのに、本家の創価学会に画像がないというのもどうかと思ったので、撮ってきたものを「画像:Soka gakkai honbu.jpg」にアップロードしておきました。保護解除なりされたら適当に張っておいて下さい。GcG / avatar of femtowaros 2008年1月27日 (日) 13:42 (UTC)

ローカルルールの提案

ただの思い付きなので落ち度も多々あるかもしれませんが、忘れないうちに提案だけでもしておこうと思います。
これをきっかけに、より心地よく、より良い記事が書ける状況になるための議論が進むことを祈りつつ・・・

  1. まず、[[創価学会/temp]]のような暫定版の記事を書き込むためのページ(面倒なので後は『tempページ』と表記)を用意し、このtempページを(不当な書き込みを防ぐために)保護ページにします(もちろん創価学会のページ(後は『本ページ』と表記)も保護されたままです)。このtempページは一番最初に保護をかけた時点で(保護表記を除いて)まっさらなページです。他に一切の文字・文章が入ってはいけません。
  2. 次に、tempページのノートにおいて書き込む内容の提案とその提案に対する議論を行います。本ページのノート(ここ)での提案・議論は無しとします。具体的な提案や議論の方法は下に別途記述します。
  3. 2.の結果、提案された内容を書き込んでも良いという結論が出た記事は、tempページに追加されます。本ページへの追加は行いません。
  4. 2.~3.の作業を繰り返し、記事がある程度の量(決まりはない)に達したら、tempページの記事を本ページに採用(上書き)するかどうかの提案・議論を行い、採用しても良いという結果が出たら、本ページをtempページの内容に差し替える(tempページはそのまま)。
  5. その後は、4.(2.~4.)を繰り返していく。

とまぁこういう流れです。2.で別途記述するといった提案・議論の方法については、以下な感じです。思いつきなのでいろいろな基準が曖昧です。

  1. まず、記事に追加したい内容(項目や文章をできるだけ具体的に)を提案する。また、提案するときは(見易さと秘密裏に話が進まないように)必ずセクション(節)の見出しをつける。加えて、必ず署名はWikipediaデフォルトのもの("--~~~~")を付ける。
  2. 提案された内容に対して意見があれば、(見易さと意思表示のために)番号つき箇条書き(文頭に#)で下に記述していくが、「掲載に賛成」といったような賛成意見は書かない。また、反対意見を書く場合は反対理由(『出典が不明である』等)を、修正・変更要望は反対理由と修正案を必ず明記する。また、1.と同様必ず署名をつける。
  3. 「提案に対する反対意見」に対して反論・補足等があれば、箇条書き(文頭に#*、#**、・・・)で意見したい文の下に記述していく。
  4. 提案から一定期間後(具体的な期間は未検討)、「提案に対する反対意見」に対して『その反対意見、反対理由が理に適っているか』について投票する。このとき『投票理由を必ず明記する』『署名を必ず行う』ことを絶対とし、投票結果は賛成(理に適ってる)票と反対(理に適ってない)票の関係が『賛成<<反対』(具体的な値は未検討)のときのみ『この反対意見、反対理由は理に適っていない』と判断する。
  5. 投票の結果、『反対意見、反対理由が理に適っている』判断されたものが1つでもあれば、tempページへの追加を見送り、その提案に対する議論を終了する(修正版などを再提案する場合は新節で行う)。『反対意見、反対理由が理に適っている』判断されたものが1つも無ければ、tempページへの追加を行い、議論を終了する。

という感じです。ちなみに、本ページへの採用(上書き)に関しても、同様の方法が好ましいと思います。

非常に大掛かりで面倒臭いローカルルールになりますけど、これなら『記事を最初から作り直す』『記事を削除しない』という双方の意見に対応できますし、本ページ(tempページ)から徹底して議論の種になる文を排除すると同時に、掲載理由の裏づけにもできると思います。
あとは昇華するなり抹消するなり、煮るなり焼くなり好きにしてやってください。--依音 2008年1月29日 (火) 15:15 (UTC)

よく練られた案だと思います。ただ、最近私の頭の中にひとつの妙案が浮かんできておりまして、ことは意外に単純に運ぶのではないかと楽観視しています。その妙案というのはある方に執筆を依頼するというものです(まだ確約が取れていない段階ですのでお名前は伏せます)。その方は、過去に宗教団体やスピリチュアル関連をはじめとした数多くの記事を大幅加筆なさった功労者でして、かつては一スタブ記事に過ぎなかった「池田大作」の記事をほぼ完璧に出典が付けられた状態で現在のボリュームに発展させた方です。私が彼による執筆を強く推奨するのは他にも理由があります。最大の理由は、彼の各種方針の理解が実にハイレベルだからです。ウィキペディアにおける長文の書けるライター(翻訳でない)で、かつ3大方針をはじめとした様々な方針・ガイドラインを熟知しそれに高度に則った執筆のできる方を私は他に知りません。それぐらい優れたウィキペディアンと私は評価しています。仮に彼抜きで我々だけで執筆を行ったとしても、彼一人の原稿にボリューム・方針の合致度・出典の明記の徹底のいずれも敵わないでしょう。もし創価学会の記事が保護されていなかったなら、池田大作を執筆された経歴からしても、彼はとっくに原稿を投稿されていたのではないだろうかと推察します。
もし仮に彼が創価学会に記事を投稿して下さるということであれば、それは保護解除に向けた大きな肯定要素となると確信しています。ひょっとしたら既に大まかな原稿は出来上がっていて、あとは投稿する下準備をすれば事足りるという状況なのかもしれません。その原稿が完成したら保護解除を提案し、保護解除明け直後に原稿を投稿して頂くか、あるいは彼に、彼の利用者ページの下にサブページを作成して頂きそこで執筆して頂いて、完成したら念のため皆で審査の上、合意が取れ次第保護解除を提案するという形になるかと思います。ともかく、近日中にこの件に関して、その方にお伺い・お願いする予定でいます。--Mait 2008年3月13日 (木) 10:18 (UTC)

上記の私の提案は、依音さんのローカルルールは少しづつ記事が出来上がっていくものであり非常に多くの時間を要すると思われ、民主的なやり方ではないけれども敢えて提案させて頂いたものでした。しかし、ひとりの優秀な執筆者に全部任せておけばそれで問題ないのだ、保護解除の根拠となりうるのだ、という考えは、誰もが自由に参加できるというウィキペディアの特質上あまり進歩的な考えとは言えず、要は執筆者一人ひとりが合意できるようなルールを制定し合意事項としなければ、保護解除しても問題のない状態→編集合戦が起らないのではないかと考えられる状態に達したとは言えないことに気づきました。

私の提案が出た背景として、依音さんによるローカルルールの提案があったわけですが、更にその背景には、一部ユーザーによる「記事が古くなっているから一旦削除してゼロから作り直そう」という意見と、「それは方針上無理があるから却下」という2つの意見の対立がありました。しかし、私の案も依音さんの案も保護が解除された後の執筆者が合意すべき指針がなく、当たり前のマナーさえ守られるのか定かではありません。当ノートを見ても、方針を理解せずに書き込みをされる方も散見されます。ですから、逆に言えばそういった当たり前のマナーが守られるのであれば、保護解除前にノートの閲覧者が納得できうる記事あるいは方針上ケチの付けようがない記事を必ずしも用意しなくてもよいのではないでしょうか。

執筆者の内一部が方針を理解していても、編集に参加される方みんなが方針を遵守することが確認できなければ、保護解除を提出したところで「編集合戦は避けられない」と却下されてしまうでしょうし、これから皆さんが守って頂くべき約束事を提示し、それについてご同意頂けたときこそ満を持して保護の解除を依頼できるときだと思います。約束事といってもごく当たり前のことで、守るのにそう難しいことでないことばかりの5項目です。

  1. 編集合戦をしない(削除・リバートするときはノートで議論する。もちろん荒らし(いたずら)投稿の除去は別)
  2. 一般に知られていて、疑問や異論が出ないと思われるもの以外は出典を持って記述する。(Wikipedia:検証可能性
  3. 肯定的な記述、否定的記述どちらにおいても断定的な書き方をしない。(Wikipedia:中立的な観点
  4. 個人的な分析、批評、総括などを書かない。(Wikipedia:独自研究は載せない
  5. 外部リンクは著名活動をしていない一般人のサイトは削除。(Wikipedia:外部リンクの選び方Wikipedia:検証可能性が外部リンク先の内容にも及ぶことが記されています))

ご同意頂けましたら、Wikipedia:保護の方針#保護を解除してもよい場合の「3. 仲裁にあたったり、忠告や提言などをしていた人が、解除することを提案した場合」を根拠とした、保護解除依頼を提出できる段階に達したと判断します。--Mait 2008年3月27日 (木) 15:04 (UTC)

Maitさんの提案を単純化すると
# Maitさんがお願いする方に、仲裁者(第三者)になっていただき、保護解除依頼を提出する。
# 保護解除後には、仲裁者に叩き台としての原稿を提示していただく。
# 編集に参加する方々は、上記のMaitさん提示の約束事5項目を遵守して編集をする。
と言うことでしょうか?--ななき 2008年3月27日 (木) 15:54 (UTC)
  1. Wikipedia:保護の方針#保護を解除してもよい場合の3項には、「仲裁にあたったり、忠告や提言などをしていた人が-」とありますように、既にノートページにおいて仲裁あるいは忠告や提言などをしていた人を指しますので、私自身が保護解除依頼を提出する予定です。
  2. 上記の5項目を守って頂けるのであれば、保護解除の前にも後にも、誰かに原稿を提示して頂くようなことはする必要がないと判断しております。誰もがノートに掲示する必要なく、自由に投稿して頂いて結構です。
  3. 仰る通りです。--Mait 2008年3月27日 (木) 16:38 (UTC)
遅くなりました、上記レスありがとうございます。Maitさんの提案に賛成いたします。--ななき 2008年4月13日 (日) 16:42 (UTC)
賛同ありがとうございます。さて、提案から2週間以上経ちましたが、反対意見がありませんので上記5項をローカルルールとして制定します。以下に新しい節を作成しそこに掲示しました。--Mait 2008年4月14日 (月) 12:05 (UTC)

ローカルルール

  1. 編集合戦をしない(削除・リバートするときはノートで議論する。もちろん荒らし(いたずら)投稿の除去は別)
  2. 一般に知られていて、疑問や異論が出ないと思われるもの以外は出典を持って記述する。(Wikipedia:検証可能性
  3. 肯定的な記述、否定的記述どちらにおいても断定的な書き方をしない。(Wikipedia:中立的な観点
  4. 個人的な分析、批評、総括などを書かない。(Wikipedia:独自研究は載せない
  5. 外部リンクは著名活動をしていない一般人のサイトは削除。(Wikipedia:外部リンクの選び方Wikipedia:検証可能性が外部リンク先の内容にも及ぶことが記されています))

「教義」について

概して、ウィキペディア(Wikipedia)の宗教団体の項目は、団体としての出来事の解説が多く、 肝心である教義の解説が極めて少ない。宗教団体は思想団体であることを忘れている方が多いようだ。 編集者は「その宗教団体が何を信仰しているのか」を最重要視するべきである。

ウィキペディアを利用する読者もそこが知りたいだろうし、宗教の研究をする人は先ず教義を調べるはずだ。

参考のために他の宗教団体の項目を見ても、沿革・歴史は非常に詳しいが、教義がほとんど分からないものが多い。

資料1(下記)をみると、特に「創価学会」の「教義」の節の内容が少ないことがわかる。しかも、「教義」の節には 実態や動向、その評価も含まれているので実質的な教義の内容は、120~150文字である。 これから得られる情報は小指の先ほどである。

本尊は何であるか、教典は何であるかは他の節を読んでも一切知ることができない。6000字弱の文章を読まされた挙句に 読者はそのことを知るのである。

したがって、読者は「日蓮正宗系」という言葉などをたよりに他の項目を調べなければならない。 しかも、「日蓮正宗」の項目は一般人には難解な仏教用語が説明のないまま多数使われている上、 「次第に創価学会側からの教義の変更が相次ぐようになり」とか「正規の信徒団体とはいえない」とか 「(創価学会は)宗内ではゲスト的に扱われていた」と記述されているので、 結局読者は「日蓮正宗」の内容をどこまで参考にしてよいのか分らなくなる。本尊すらよく分らない状況である。 以前、宗教の研究者がこのノートに「『創価学会』の項目は全く参考にならない」と言っていた意味がよく分かる。

次に、「教義」の記述方法が問題である。 先ほども述べたように、現在の「教義」の節は教義の内容が少ないだけでなく、 実態や動向、その評価も含まれているので非常に不親切な作りになっている。 一言でいえば「ごちゃまぜ」なのである。 第一に実態動向は新しい節に移すべきだ。 第二にあくまで教義は創価学会の視点から創価学会の主張するままに書くべきである。 読者はどこまでが創価学会の主張でどこまでがウィキペディア編集者の考えかを区別する必要が出てくる。 宗教の研究はその宗教の説くところをそのまま受け入れることから始まると考えるし、 その方が理解しやすいのである。 「公平性をたもてない」「偏向である」などの異論があるかもしれない。 しかし、そもそも教義に公平性や第三者の視点が必要だろうか。私はそうは思わない。 第三者の視点で書けば、どうしても余計な価値評価が入りこむだろう。 教義に対する批評は、基本的には読者が行うべきである。 参考だが日本の147の教団を収録している小事典(資料2)もそのような形式をとっている。

またこの事典に照らすと、今まで述べてきた広い意味での教義 は、「本尊」、「教典」、「教義実践」に分けられる(さらには「沿革」にも分けられるかもしれない)。 第三に「創価学会」の項目でも同様に分けてみることを提案する。 「教義実践」の所は創価学会の文献に拠るものとし、それに対する考察、評価は「実態動向」の節など別に 記述するものとする。

これらの具体的な中身をどうするかについては別段にしよう。 ただし、読者のためにも基本的で同意の得られやすいものについては早急に記述内容の変更を望む。

長くなってしまったが、これが私の提案である。一度、考察していただきたい。

これ以下は参考意見である。 資料1に示した項目のうち「霊友会」の「教義」の内容は入門者にも分かりやすくてよいし、霊友会側からの 単一の視点で書かれていて非常によいと思う(内容の真偽については考えていない)。 「日蓮正宗」のものは専門用語も交えながら、厳密さを感じられるが、やや難解であると思う。ただ、仏教に詳しい人にとってはよいかもしれない。 しかし、そのような人は専門書を読むのが本筋だと思うし、ウィキペディアのような一般向けの事典では分かりやすさを追求する べきであろう(本来、どのような宗派であれ教義を厳密に説明するには本一冊二冊では不可能であることにも留意したい)。 もし、「日蓮正宗」のような「教義」の説明を好むならば、事典としての利便性も考慮し、簡略した教義(広義)の説明と専門的な説明とを分離させた ほうがよいと思う。「日蓮宗」には本尊に関する記述がないし、「立正佼成会」については、分量が少なすぎて教義(本尊、教典も)が全く分からないと いえる。また、結果的に「霊友会」の項目を参照させてしまっている点で「創価学会」のものと共通している。 「崇教真光」のものは本尊(信仰の対象)が明記されているが、教典がいまいち分からない。また、教義が第三者の視点から記述されているのが 教義の理解を妨げている。「~であるとしている」ではなく、「~である」とした方が理解しやすい。 一方、「崇教真光の正統性」として教義に対する批評の節を分離している点は評価できる。

資料1 教義の節の文字数は「創価学会」が367、「霊友会」が1367、「日蓮正宗」が1504、「崇教真光」が1154、「日蓮宗」が387、 「立正佼成会」が128となっている。

資料2 『日本宗教総覧 2001年版』新人物往来社の記述は全団体に共通して、順に (1)創設者(2)現後継者(3)沿革(4)本尊(5)教典(6)教義実践(7)儀式行事(8)教勢(9)最近の動向になっている。--オースさん 2008年2月3日 (日) 13:52 (UTC)

興味深いご提案をありがとうございます。ただ少々長文にわたる為、焦点がぼやけ、議論の叩き台としては如何かなと思います。以下にオースさんさまの文章の要点を抜き出しましたことをお許し下さい。過不足があれば修正してください。また小見出し化しておきますのでご意見のある方は[編集]をクリックしてください。よろしくお願いします。--Easyman 2008年2月4日 (月) 15:01 (UTC)
Easymanさん、基本的に下記で結構です。とりあえず、他編集者の意見を待ちます。--オースさん 2008年2月5日 (火) 09:59 (UTC)
下記三節に異議なし。世界基督教統一神霊協会法輪功の項が好例。--122.249.116.150 2008年2月18日 (月) 06:01 (UTC)
特別:Contributions/122.249.116.150|122.249.116.150様
世界基督教統一神霊協会法輪功の項が好例」とのことですが、よくわからないのですが?詳しく教えてくださいませんか?世界基督教統一神霊協会は確かに記述が細かく区分されています。
一方、法輪功は節が少なく、あまりよいとは言えないと思うのですが。悪い例ということでしょうか?
なお、世界基督教統一神霊協会の項は、内容が明らかに多すぎます。これは、前にも述べたとおり、事典としてふさわしくないと思います。--オースさん 2008年2月29日 (金) 06:39 (UTC)

宗教団体の項目は、「その宗教団体が何を信仰しているのか」を最重要視するべきである

他の宗教団体の項目を見ても、沿革・歴史は非常に詳しいが、団体としての出来事の解説が多く、肝心である教義の解説が極めて少ない。宗教団体は思想団体である。

教義は創価学会の視点から創価学会の主張するままに記述するべきである

「公平性をたもてない」「偏向である」などの異論があるかもしれない。しかし、そもそも教義に公平性や第三者の視点が必要だろうか。

記述の分類

「本尊」「教典」「教義実践(創価学会の文献に拠るもの)」「沿革」「実態動向」「それに対する考察、評価」に分けることを提案する。

Grifoneさんのコメント

記事に中立性がない。 某コンビニをウィキペディアで調べると・・・ 「○○店の△△(アルバイト)は声が小さい」というような記事はない。 このような事実があったとしても、ウィキペディアに書く必要がない。 ・・・書いてあるのは、なぜ?

記事に社会性がない。 企業ホームページなどを見ると・・・ <○○○○年創業、○○○○年△△△へ移転、□□□□が×××賞受賞>―同じように「会社の事実」の羅列であるはず。 ウィキペディアのこの記事は社会で通用しない。 ・・・ここは社会の一員ではないのですか?

内容が大人げない。 明らかに悪い情報のみで、いい情報がない。 「あなたの親は悪いところしかないね」と言われて「そうですね」と言うのでしょうか?

ここに書かれるべき記事を例えて言うならば、「頼まれて」「他人の」「履歴書」を書くようなものでしょうか。 他人であっても、履歴書に「小学3年2学期、スーパーで万引き」とは書かないし、書かなくてはいけない決まりもない。そういうことを知りたいから履歴書が存在するのでもない。

―もし書く場合があるとすれば、履歴書を作る人が頼んできた人に恨みなどがある場合でしょう。 間違いなく感情が入った記事であり「原則」である中立を果たしていません。 「マスコミ」はこういう情報を流していいのでしょうか?ウィキペディアの信頼を落とす記事です。

--以上の署名の無いコメントは、Grifone会話投稿記録)さんによるものです。2008年3月5日 (水) 17:07 (UTC)

「○○支部の△△(学会員)は××だ」というような記事もまた存在しませんね。

もし学会そのものの不祥事記載についておっしゃってるなら、(コンビニの例で言えば)会社組織としての不祥事記載と対比させるべきです。思いつく会社名を適当に見て回ればわかると思いますが、世間の耳目を集める不祥事は団体の性質に関わりなく記載してあると思います。

それからなぜWikipediaの記事が履歴書的であるべきなのでしょうか。どこかにそのような規定なり指針がありましたか?またその理屈で言えば、どんな項目であっても不祥事は記載できないことになりますよね。ほかの記事は実際そのようになっていると思われますか?「創価学会だけが不当にそのように扱われている」と見えますか?--Sashi 2008年3月7日 (金) 08:02 (UTC)
Grifoneさんの意見はちょっと無理があるんじゃないかと思います。ここの記事が「履歴書」であるべきだ、という原則を適用したら、多くの記事が成立しなくなると思います。それこそ、ドイツの項目にヒトラーやナチスの話は書くなということになるでしょうし、防衛省の項目に前事務次官が逮捕された事だって書くな、ということになってしまいます。また哲学者のフランシス・ベーコンが汚職の嫌疑を受けたという話も書けませんよね。それから戦前に創価学会が弾圧されたという話は、それこそ創価学会の皆さんが良く持ち出す話ですが、これだって「戦前の日本」の「履歴書」には載せられないような話ですよね。Grifoneさんが言うようなことを皆が多くの記事について言い出したら、とても百科事典なんて成立しないのではないかと思います。
Grifoneさんのいう「履歴書」は、各組織なり人物の個々のサイトに掲載されているのですから何もウィキペディアがそれと同じ物を作る必要はないのではないでしょうか。会社の公式サイトには沿革が掲載されているし、歌手の公式サイトにはプロフィールが載っているのです。創価学会だって、それこそGrifoneさんのおっしゃるような、外部に知られたくないことは書かない「履歴書」のような公式サイトを持っているのです。
ウィキペディアの中立性は、このような「履歴書」にのみ信頼を置くことを回避することによって成り立つと考えます。「履歴書」的記事しか認めないということは、それこそ自由編集によって肯定的意見批判的意見の双方が寄せられるというウィキペディアの特性を大きく損ねかねないと言わざるを得ないのではないでしょうか。--3丁目の男 2008年3月14日 (金) 01:17 (UTC)

中立性・名誉毀損について

存命人物や企業、団体に対する名誉毀損的な記述は執筆者あるいはウィキペディアが裁判沙汰になる可能性があるので禁止されています。ナチスは既に消滅している上誰もが認める歴史的犯罪団体ですし、フランシス・ベーコンは400年前に亡くなっています。現在活動中の記事とは訳が違うのです。125.197.133.1 2008年3月18日 (火) 14:56 (UTC)

しかし名誉毀損的でなければ否定的評価を受けるような客観的事実も記載できるんでしょう?それこそ守屋前事務次官が逮捕された、というような。
企業なり団体なりが書いて欲しいことだけを書かねばならないのなら、現在活動中の記事なんて必要価値がなくなってしまうんじゃないですか。--3丁目の男 2008年3月21日 (金) 03:24 (UTC)
それを記すことにより該当団体が損害を被ること-名誉毀損と、書いて欲しいこととの区別をつけて下さい。例えばオウム真理教の記事に行ったテロ行為を書くことは名誉毀損にはなりません。しかし、オウム真理教にとっては書いて欲しい記述ではないでしょう。すなわち、名誉毀損的でない記述とはそれが絶対的な事実であり、なおかつ公共性のある情報である必要があります。現在の版は編集者が創価団体の悪事を告発するかの様な内容であるため、非常に問題があります。(ですから、これだけ沢山の人が当記事に違和感を感じ異議を述べるのだと思います。)--紅 美鈴 2008年4月10日 (木) 06:54 (UTC)

保護解除依頼提出のお知らせ

#ローカルルールの制定に伴い、Wikipedia:保護解除依頼#創価学会(ノート / 履歴 / ログ)を提出しました。皆さんふるってご投票下さい。お待ちしております。--Mait 2008年4月14日 (月) 12:17 (UTC)

過去ログ化

早いもので現在のノートは、過去ログ1の149キロバイトより多い163キロバイトにも達しているため、過去ログ化を実施予定です。保護解除以降に作成された節#選挙をめぐる問題に関する記述については残しそれ以外は全て過去ログ化する予定ですが、他に残すべき節があれば教えて下さい。数日後に実施します。--Mait 2008年5月3日 (土) 02:43 (UTC)

賛成です。現在の記事に対しても保護中の時から解消されていない問題点があると考える方もいるかもしれませんが、保護解除以降、記事内容はかなり修正されていますので、可読性の点からも過去ログ化し、まだ解消されていない問題があると考える方は新たに節を作ってもらうのがいいと思います。
なお、過去ログ化にあたり、各利用者の発言がわかりやすいようにインデントなどを整理させていただきましたのでご了承お願いします。「過去ログ2」のリンクも早速作っておきました。モトカル 2008年5月3日 (土) 09:23 (UTC)(修正)--モトカル 2008年5月3日 (土) 09:36 (UTC)
インデントなどのスタイル修正や「過去ログ2」の設置、ありがとうございます。ただ、3丁目の男さんの「3」は全角なのでそこのところだけ差し戻させて頂きました。--Mait 2008年5月3日 (土) 13:55 (UTC)