ノート:仰げば尊し
この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
|
歌詞を載せてもよいのでは?
[編集]発表が1884年で、関係者の没年が伊沢修二(1917年5月3日没)、大槻文彦(1928年2月17日没)、里見義(1886年8月12日没)、加部厳夫(1922年6月6日没)ということなので著作権はすでに切れていると思います。歌詞を載せてもよいのではないでしょうか。宝塚ファミリーランド 2007年12月10日 (月) 06:34 (UTC)
- そうですね。これで調べてみたところ、やはり著作権が切れているようなので、歌詞の掲載をしました。(この版のコピペです)--新幹線 2008年1月23日 (水) 11:52 (UTC)
歌われなくなった時期について
[編集]「しかし、その歌詞の内容が教師を崇めるものとして反発の対象となり、」とありますが、いつごろからのことか書いたほうが良いと思います。私もよく知らないのですが、少なくとも戦後であることは間違いないと思います。宝塚ファミリーランド 2007年12月10日 (月) 06:34 (UTC)
「大人のための教科書の歌」
[編集]記事の最下部に単独で
- イソップ社 「大人のための教科書の歌」
とだけ記載されていましたが、意図が不明だったためいったん除去しました(差分)。もしこれが本記事の参考文献であるなら、「参考文献」という節を作ったうえでそちらに記載してくださるようお願いします。--貿易風 2010年5月26日 (水) 02:46 (UTC)
作曲者について
[編集]- 個人的な話にはなるのですが、中学の時の音楽の先生が作曲者は滝廉太郎だと言うていました。——以上の署名の無いコメントは、Ko98989(ノート・履歴)さんが 2017年3月1日 (水) 16:49 (UTC) に投稿したものです(山田晴通(会話)による付記)。
- 念のためですが、滝廉太郎は、1879年生まれであり、この曲が発表された1884年には5歳児でした。また、原曲とされる「Song for the Close of School」の発表年にはまだ生まれてもいませんでした。--山田晴通(会話) 2017年3月1日 (水) 20:19 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「仰げば尊し」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月25日 (月) 13:24 (UTC)
情報提供?
[編集]「「仰げば尊し」が登場する作品」節、たしかぼくらシリーズ (宗田理)の何処かで替え歌が出ていた気がします。(替え歌なら掲載されないのか?と思い、どこだったか覚えていないのもあって、一旦加筆はせず、情報提供だけしておきます。)--mametofu(会話/投稿記録) 2024年3月20日 (水) 06:57 (UTC)変な部分修正--mametofu(会話/投稿記録) 2024年3月20日 (水) 07:00 (UTC)