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ノート:人種差別/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

出典のない部分

>(しかし、これもまた、記事を書いた記者による偏見であることに注意しなければならない)部分に関して根拠がない為、削除します。Torannep

常識的なことを書いているだけなのでソースは必要ないと思いますが。--以上の署名のないコメントは、210.147.5.199会話/Whois)さんが 2007年2月2日 (金) 01:12 (UTC) に投稿したものです。

>常識的なことを書いているだけなのでソースは必要ない

これを本気でおっしゃっているとしたら、Wikipediaの記事編集資格が無いですね。ルールをよく参照してください。要出典を貼っておきましたので、反応が無い場合、当該箇所を削除します。--121.103.224.76 2008年11月16日 (日) 02:00 (UTC)

一方的観点での「日本人差別」について

一方的な観点で、テキストを除去するのはおやめください。この手の問題は、一方的にどちらが悪いと決められないものがあり、お互い様であるともいえます。他国による日本人差別の問題を削除するのであれば、日本人による差別の記載も削除されるべきでしょう。逆に日本人の差別意識を記載するのであれば、その反対側にある差別も記載するべきです。 --はま 2007年1月13日 (土) 15:44 (UTC)

編集合戦の問題部分について

編集合戦となった問題部分ですが「日本には近代以降、中国人や朝鮮人に対する差別意識が根強く存在するが」と一方的に決め付けるから「その原因は中国・韓国側の態度だ」という話しになります。そもそも、日本人以外の日本における地位が低い(または疎外されている)ということを問題にするのであれば、特定民族に対して言及する必要はないはずです。従って、以下のように変更を提案します。

これら外国人の地位の問題は民族差別の問題であり、人種差別の範疇ではないとされる。しかし、国際法上や英語圏などでは日本で民族差別と呼んでいるものは「racism(人種差別)」と同義として扱われており、民族差別と人種差別の区分は未だ明確化されていない。

--はま 2007年1月13日 (土) 17:06 (UTC)

まもなく、一週間になりますが、特に意見はありませんでしょうか?なければ、上記で合意とさせて頂きますが…。--はま 2007年1月19日 (金) 10:28 (UTC)
あまりにも低レベル。
記事冒頭で「人が自らとは異なる人種、民族に対して形質的差異をもって差別すること」と定義して、国連の定める人種差別撤廃条約における「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するもの」という定義まで引っ張りだしておきながら、「民族差別と人種差別の区分は未だ明確化されていない」などと記述するのは論理的に矛盾している
「民族差別と人種差別の区分は未だ明確化されていない」と書きたいなら、冒頭の人種差別の定義部分を修正するべきである。記事全体が矛盾するような文案を投稿するのは、根本的に頭が悪いとしか思えない。
全削除が妥当と考える。--124.100.25.190 2007年8月23日 (木) 17:25 (UTC)
全削除にはむしろ賛成ですよ。ただ、どういう経緯(どんな編集合戦があり、相手方がどんな考えをしたのか)への目配りなしに「低レベル」「根本的に頭が悪いとしか思えない」と言うのは、あまりレベルが高いとは言えませんがね(苦笑)。私のこの節に対する考え方は、とっくに区切り線の下に書いてあるんだし。--はま 2007年8月23日 (木) 17:43 (UTC)
いや、その文案が出された1月13日の時点で、人種差別が「人が自らとは異なる人種、民族に対して形質的差異をもって差別すること」って明確に定義されてたのにもかかわらず、これを修正することなく「民族差別と人種差別の区分は未だ明確化されていない」などという記述をしたら記事全体が論理的に矛盾するのではないかという話である。
なお、私の不穏当な発言については陳謝させていただきます。ごめんなさい。--124.100.25.190 2007年8月23日 (木) 18:09 (UTC)
IP:222.225.180.195会話 / 投稿記録の履歴を辿っていたらここにたどり着いた。はま氏の挙げた文で問題ないと思う。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2007年1月21日 (日) 23:45 (UTC)
できれば上記文章の出典がほしい。だが”明確でない”というのを証明するのはむずかしいかな。--220.159.181.2 2007年1月30日 (火) 00:17 (UTC)

まぁ、そうなんですが、編集合戦以前の文章はもっと酷くて

なお、日本には近代以降、中国人朝鮮人に対する差別意識が根強く存在するが、これは民族差別の問題であり、人種差別の範疇ではないとされる。しかし、国際法上や英語圏などでは日本で民族差別と呼んでいるものは「racism(人種差別)」と同義として扱われており、日本に強く存在するこれら差別意識を、人種差別と別次元で考える点にこそ、日本の人種差別意識の根深さが現れているという意見もある。

でしたから。さすがに編集合戦の相手も「日本に強く存在するこれら差別意識を~(略)~日本の人種差別意識の根深さが現れている」は拙いと思ったのか、最後には「明確でない」まで和らげたという経緯があります。--はま 2007年1月30日 (火) 04:44 (UTC)


そろそろ保護から 6 ヶ月ということで、はま さんと編集合戦になった IP 氏はその後ノートにも出てきませんが、単に「沈静化」だけでは保護解除には弱いので、「合意」したいところです。本節冒頭の はま さんの提案に関しては、その少し下にある 220.159.181.2 氏の御意見にある「出典」が私にも引っかかります。「これら外国人の地位の問題」が「人種差別の範疇ではない」という出典があれば はま さんの提案に賛成します。出典に難があるようであれば、この一文丸ごと削除でも、記事としては成り立ちそうです。--Panpulha 2007年7月19日 (木) 16:23 (UTC)

うーん。それを言ったら『国際法上や英語圏などでは日本で民族差別と呼んでいるものは「racism(人種差別)」と同義として扱われており』『日本には近代以降、中国人や朝鮮人に対する差別意識が根強く存在する』にだって出典を求めるべきでしょう?。そもそも、こんな日本人(に限らず、どの民族でも同じですけど)を主観で誹謗するような主観的な節は全部取っ払ってしまえば良いのですよ。ただ、あくまで「日本人は中国人や韓国人を差別している」と主張したくて堪らない人がいるから、当方も妥協して上記のような文章を提案しているのですから。その妥協点に問題があるなら、全削除すれば良いだけの話です。--はま 2007年7月21日 (土) 19:35 (UTC)
そもそも、日本人と、中国人や韓国人との関係を「民族差別」と決め付けるのも単に主観的な主張に過ぎないでしょう。民族間の対立があるのは事実でしょうが、対立と差別は必ずしも一致しません。--はま 2007年7月21日 (土) 19:37 (UTC)

消えた要約レビューの続き。 そもそも主に人種とはコーカソイド、モンゴロイド、ネグロイドの三大人種(さらに言えばオーストラロイドとカポイドを加えた五大人種)であり、日本人に対する差別など個々に関する限定した描写は要らない。これを入れると中国人に対する差別やフィリピン人に対する差別など際限なく広がる。

まず意見を表明したいなら署名を忘れないように。
その三つは「代表的な」人種であってその定義がすべてではありません。合意を形成せずに独断で記事を抹消する事はwikipediaの理念に反します。この記事にふさわしくないと思うのならば転載や分割提案をして新たな場所を探すべきでしょう。私も最初民族差別のページに転載しようかとしたのですが、該当ページが保護状態になっていたためこのページに残しました。人種の定義は移ろいゆくものですからこの記事に含めよという人の意見も理解できます。もっとも、あなたが編集合戦の矛を下さなければ本記事もも保護されてしまうでしょう。私はそれを避ける為に半保護申請をしてあなたのような人を排除する必要に迫られているのかもしれません--Tabunoki 2008年2月19日 (火) 22:42 (UTC)
Tabunoki氏に同意します。各論的記述が必要かどうかは、IP氏一人で決めるような話ではありません。自分が不要と思うからと言ってバッサリ削除するのは自分勝手だし、Wikipediaの方針に反します。私は、記述の方向性は現状のままで良いと思います。つまり「一般論として人種差別がどんなものであるか記載すること」と「各論として、誰が誰をどう差別したかを記述すること」の両輪で行く、ということです。「民族対立による差別」と「人種差別」は区別して考えるべきですが、人種差別を原因とした差別の各論であれば、人種差別の項に記載するべきでしょう。--はま 2008年2月20日 (水) 03:15 (UTC)

日本人という人種はないから日本人に対する差別は不要ということ。民族差別にしても、中国人に対する差別、韓国人に 対する差別、ロシア人に対する差別など全て書き連ねるべきで、日本人に対する差別のみ書き記すのはおかしいということです。削除が妥当でしょ。--210.153.179.220 2008年2月20日 (水) 13:10 (UTC)

2/19 23時のリバートについて

まず、要約欄でノートに誘導するつもりで忘れたことを謝罪します。23時のリバートについては、以下の理由によります。

  • 「白人が有色人種を差別したことが歴史上では顕著」であるからと言って、白人同士の差別が存在しないということにはならないから、敢えて書く必要がない。逆に、数件の白人同士の差別が存在することは「白人⇒有色人種の差別」が顕著であることの反証にはならない。
  • スラブについては、Tabunoki氏の編集で既に本文に組み込まれたため、改めて記述する必要なし。
  • 「人間の所業の中で最も悲惨と言える戦争」は、大多数が感じていることとは言え、単なる主観であり、百科事典の文章として馴染まない。
  • 「白人同士の戦争」が「白人同士の差別」の一例とは言えない。

ということで、全体にわたって、不適切・不要な記述と考え、リバートしています。 なお「文章的に変」とは、上記、1,3,4番目の理由によります。特に「顕著」に対して「希少な例」を反証として挙げて「~とは言えない」としている点を指しています。--はま 2008年2月19日 (火) 14:51 (UTC)

差別問題は立場によって意見の相違が大きく極力双方の意見を取り入れたいのですが、あの文章は政治的主張が前に出過ぎているように思いえます。差別が戦争の要因になっても戦争が差別のある証拠にはなりません。また戦争が最も悲惨というのは誤りです。ある特定民族にとってもっと悲惨な事はたくさんあります。戦争をせずとも民族浄化や粛清によって抹殺されてしまう事は歴史上珍しいことではないのです。人によっては他民族に同化されてしまう事も最悪の結末とみなすかもしれませんね。戦争をしてるということは少なくとも対等の立場で向き合ってるという事なのですよ。少なくとも自分の足で立っている間は。--Tabunoki 2008年2月19日 (火) 17:10 (UTC)

日本における人種差別

日本人に対する人種差別、日本における人種差別の歴史の削除削除前の版)の編集についてですが、大航海時代以降ヨーロッパの有色人種差別のなかの1つ、という意味で、意味のある記述だと私は思います。削除された版にはあやしい記述もありましたが、ここノートに記しておきます。Uryah 2008年2月20日 (水) 13:32 (UTC)

(どんな「人々」でも良いですが)ある「人々」が、人種を理由に差別されたのであれば、人種差別にそれを記載するのは筋の通ったことです。今回の件で言えば、日本人が黄色人種であることを理由に差別されたのであれば、人種差別の一つの例として記載することに、疑問を挟む余地はありません。仮に、日本民族であることを理由に差別されたのであれば、削除という意見にも妥当性はあるかもしれません。しかし、冒頭に「民族差別と人種差別の区別は明確でない」という文があることを考えれば、一概に「削除が妥当」と決め付けられるものでもないでしょう。まして、自分一人の意見で削除を振りかざすIP氏は、ただの荒らしであると断定して良いと考えます。--はま 2008年2月20日 (水) 13:48 (UTC)
そうですね、私もIP氏を荒らしと断定します。Uryah 2008年2月20日 (水) 13:52 (UTC)

保護依頼およびここでの合意から、IPさんの編集について、除去自体ではなく、対話の姿勢が適切でないとして半保護としました。IPさんは、内容についてノートでの対話を続けてください。また、可能なら、ログインして議論に参加するようお願いします。ついでなのですが、比較的論争を招きやすい項目でもありますし、情報源を積極的に加えていくよう、合わせてお願い申し上げます。--Ks aka 98 2008年2月20日 (水) 19:16 (UTC)

改めて、内容はどうあるべきか

記事が半保護になったので、申請者として、一応、議論の場を提起しておきます。

私個人の意見としては、既に上記に述べた通り、現状の構成で何も問題はないと考えています。個々の記述内容については、様々、異論が出る可能性はあるかと思いますが、章・節の構成としては現状を支持します。--はま 2008年2月21日 (木) 02:59 (UTC)

私も、構成については現状に賛成です。内容については、慎重を期して、節そのものに{{出典の明記}}を貼っておくことを提案します。
で内容については、
  • 節<日本における人種差別の歴史>について、記述そのものについては、いまのところ、日本人が奴隷として輸出されたこととサン=フェリペ号事件についてのみしか典拠を示せません。大航海時代以降世界に進出したヨーロッパ人によって、現地の住民が奴隷として輸出された多くのケースの1つということです。典拠:「詳説日本史」井上光貞・笠原一男・児玉幸多 山川出版 1984年3月5日 P159、「詳説日本史研究」笠原一男 山川出版 1983年12月15日 P226,227。 そのほかについてはにわかに典拠を示せませんが、ウォーレン・クロマティうんぬんは、とりわけ{{要出典}}を貼りたい記述です。
  • 節<日本における人種差別>についても、にわかに典拠になりそうな何かを知りません。ただ、「日本における人種差別の特徴は」で始まる1段落目と「近年では、年長世代と若者世代との間に」で始まる4段落目は、もし同一人物が書いたのだとすると、黒人文化=低い・白人文化=高いという書き手の価値観を見事に表現していて、なにか字面と矛盾している感じというか、あるいはまさに「日本における人種差別」を表現した含蓄のある書き手というか、という皮肉な感じを感じてしまいます。ああ待った、1段落目には典拠を示せます。典拠:ほぼ日刊イトイ新聞 - 婦人公論 井戸端会議 いまやご近所で国際交流の時代。日本人、ここがヘンだよ! から、自分たちでは気づかない長所まで 2001年。
  • 「また明治以降、」で始まる最後の段落は、私見では、「遅れた文明とみなす風潮」は、偉大だった(今でいうアメリカのようだった)中国がイギリスにやられずぶずぶと沈下していく様子を見て、差別・被差別関係になかった朝鮮半島が包囲してくる欧米列強に対して何の手も打てないでいる様子を見て、まず苛立ちが在って、どうしてそうなるのだという困惑が在って、でも自身にも尻に火がついていくのでたまらず立ち上がった後に生まれた風潮、と見ています。ただいかんせん、にわかに典拠は見つかりません(ので、この旨を本文には書きません、出典が見つかるまでは)。
Uryah 2008年2月21日 (木) 11:46 (UTC)
異論はないので、まずは、{{出典の明記}}を貼っておきます。Uryah 2008年2月23日 (土) 08:21 (UTC)
ここに報告を忘れました。上記に挙げたものを、とりあえず、付しました。2008年2月23日 (土) 23:39の版Uryah 2008年2月25日 (月) 14:02 (UTC)

記録

求む出典

1つめ

この典拠付けについて質問します。

「MO' URBAN DICTIONARY RIDONKULOUS STREET SLANG DEFINED Compiled by Aaron Peckham ISBN 0-7407-6875-1 Copyright 2007 by Aaron Peckham」手に入れました。この本は全部で231ページまである本で、アルファベット順にインデックスが振ってあります。本には表紙にURLが書いてあり、そのwebサイトはWikipediaのように、広く人々が書き込んで作っていく趣旨のようです。

でですが、

  • 本のJの項は150ページから始まりますが、「job job」の次は「jones」で、「Jock」はありませんでした。
  • 本のTの項は209ページから始まりますが、「thespian lesbian」の次は「thinspiration」で、「They think they are black」はありませんでした。

つまり本では“ジョック的な白人の若者達が黒人志向を持つ”旨の記述を見つけられませんでした。

ので、本のどこに書いてあるか提示がなければ、典拠を書き換えます。Uryah 2008年3月19日 (水) 22:52 (UTC)

書き換えました。Uryah 2008年3月24日 (月) 10:09 (UTC)

2つめ

ここで付けられた典拠について質問します。

『別冊宝島584 音楽誌が書かないJポップ批評13』ISBN 4-7966-2223-3 2001年6月17日発行 を読みました。石井恒はP32-からの勝手に十番勝負には書いておらず、P68-からの浜崎あゆみ全曲解説をほかの何人かと書いています。

でですが、

  • 「更には、その若者世代のなかにも各々の特質による認識の差が見られ、『好みの外国人』や『憧れの外国人』を調査対象とした場合において、いわゆる『リア充(日々が充実している層/多くの場合はいわゆるイケメンや美女)』と呼ばれる層ほど黒人のアイコン(有名人)を挙げることが多く、容貌の冴えない層や『文化系』に代表される地味な層ほど白人のアイコンを挙げることが多い、という結果が多方面から示されている」旨の記述は見つけられませんでした。

が、(私には)目がまわる演出が施してある本で、読み過ごしているかもしれません。 ので、218.222.86.188さん、あるいはご存知の方、何ページに記述があるか、教えてください。Uryah 2008年3月19日 (水) 22:52 (UTC)

  • 典拠から石井恒 十番評/九番 (ISBN 4-7966-2223-3) をはずしました。違う号なんでしょうか。見つけたら、どの号何ページにあるか、広くみなさん、教えてください。
  • 夏ムスメ50のSOS (SEVENTEEN) 第39号 通巻1405号 は何年何月何日号か、その何ページに記述があるか、218.222.86.188さん、あるいは広くみなさん、教えてください。Uryah 2008年3月24日 (月) 10:10 (UTC)

「日本における人種差別」の要出典箇所について

人種差別#日本における人種差別に一箇所要出典テンプレートを貼りました。一部の外国人は「外人(ガイジン)」を蔑称とみなすことがある。一般に漢字圏では略す事は蔑称とはみなされず、アルファベットのイニシャルに相当する。しかし外国人が珍しい日本ではよく投げかけられる言葉であるため疎外感を受ける言葉の代表となってしまい嫌う人がいる。特に移民国など人種的に多様な国の出身者ほどそう感じるものが多い。の部分です。

  1. そうみなすのが「一部の外国人」であるという出典を明記して下さい。無論辞書的・字義的には別称ではないものの、実用上は「外国人」よりは「外人」の方が差別的ニュアンスは強いはずです。日本語のニュアンスをよく知らないで「外人」を使う日本人はありますが、そういった勉強不足の用法が一般的であるとは思えません。例えば、「良識ある」(と思われる)大学教授や国家公務員、弁護士などが好んで「外人」というような単語を使うことはあまりないといえます。それは、略語だからではありません。差別の要素がありえるからです。
  2. 「漢字圏では略す事は蔑称とはみなされず、アルファベットのイニシャルに相当する」についても要出典。もちろん蔑称ではないのでその部分はよいのですが、漢字の略語はアルファベットのイニシャルに相当するというのはどの研究書に書かれていたことですか。また、略す事は蔑称ではありませんが、偉いものについてはふつうは略しませんよね。やはり、略称には軽んじているニュアンスはあると思うのですが(一般に軽んじているというほどは軽んじていないと思いますが、軽んじている場合に略称を使うとより一層軽んじる度合いが強まるのではないでしょうか)。
  3. 「外国人が珍しい日本ではよく投げかけられる言葉である」という点にも出典が必要。「よく投げかけられる」とは具体的にどのくらいですか。「よく」という表現は主観的であり(どのくらいなら「よく」なのか、客観的に判断が付きません)、百科事典では避けるべき言葉です。出典元に「よく」と書かれていたというのならまた別ですが、一般には、このような程度問題を記載する場合には具体的に割合等の数値を示さなければなりません。
  4. 「特に移民国など人種的に多様な国の出身者ほどそう感じるものが多い。」は文章のつながりの意味が不明です。具体的にはアメリカ合衆国のような国を指しているのですか? その上で、これも上と同様に本当に移民国などの出身者ほどそう感じるものが多いのか、具体的な数値や割合といった出典が必要です。それに、どの程度日本語を理解している人間を対象として調査したのかも明記しないと、あまり意味をなしません。「日本人より知っているくらい日本語をよく知っている人」と「こんにちは知らない人」とでは、感じ方が違うでしょう。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月13日 (日) 16:10 (UTC)


どうもこんにちわ。回答します

  1. 著作でそう主張する外国人はかなりいます。いくつか探して載せておきますね。「良識ある人」が外国人と呼ばなくなったのはそれこそ外人を差別語だという主張がされるようになったことへの配慮だと考えるのが自然だと思います。悪い言い方をすれば「事なかれ主義」です。
  2. 「略称には軽んじているニュアンスはあると思うのですが。」思い込みだと思います。たとえば政府の公的な発表で普通に中華人民共和国の事を中国、大韓民国の事を韓国と普通に略しますが、これは軽んじているのでしょうか?以前、テレビで英語圏の人が中国は差別語じゃないかと主張した時、中国人は否定してました。日本人と同じく、そんな発想すらないという風でしたね。英語等では単語を途中で切ったり短縮したりする事をしない(イニシャルで略す)ので特別な意味を持ちますが漢字圏ではそうではありません。外車や日系人は差別語ですか?
  3. 外見が日本人と違うのですから日本人に外国人と認識される割合は有意に高いでしょう。表現などを改編する用意はあります。
  4. これについても99%アジア系の日本と、人種的に多様な移民国では外見的な目立ちかたが違うのは自明でしょう。人種の比率についての統計でも出典としましょうか--Tabunoki 2008年4月23日 (水) 01:51 (UTC)

ご回答ありがとうございます。

  1. そういう主張をする外国人がいるという事実関係は問題ないでしょう(しかるべき出典が載せてあるに越したことはありませんが)。問題は、本文でそれがあたかも「一部の」「外国人」だけの見解であるかのように記述されていることです。「外人」という単語がどちらかといえば差別的に使用されるようになったのは比較的最近のことであると思いますが、どのような経緯があったにせよ(事なかれ主義であったにせよ)、差別用語#差別用語の種類にあるように(気にする場合には)差別語として捉えられるというのが現状でしょう。最初どうだったかは知りませんが、今や、これは本文にあるような一部の外国人の主張ではありません。
  2. 略称には軽んじるニュアンスが含まれる場合も含まれない場合もありますので何とでも言えますが(というより、「略称は軽んじるニュアンスがある」というのは誤った書き方で、「略語には軽んじるニュアンスを持つものがある」と書くべきでした)、漢字の略語がアルファベットのイニシャルに対応するのかについてはきちんとした言語学的な出典を示して下さい。と思ったのですが、このページでそこまでの出典を求める必要があるのかについてはちょっと躊躇があり、歯切れの悪い書き方をしました。ですから、この文一文を抜き出して問題視することはありませんし、通常であればそれほど疑問視はしなかったと思うのですが、前後の文脈からあたかも「外人」を差別用語と捉えるのは誤りであるという根拠として「漢字の略語はアルファベットのイニシャル相当である」と記述しているかのように読めたので、疑問符を付けました。
  3. 感覚的にはわかります。が、本当に外国人は日本では珍しいのか(たんに日本国内での地域差ではないのか)、一概に「よく投げかけられる」とはいってもどのような意味で使用されているのか(発話者はたんに「日本人ではない」という事実関係について表現しているのか、「ガイジン」という差別的なニュアンスを含めて表現しているのか)、「外見が日本人と違う」とはある特定の民族だけにしか当てはまらないのではないか(外国籍を取得した日本人や日系人は無論のこと、東アジア人にも日本人とよく似ている人がいる場合があり、外見上の識別は厳密には外国人の識別には繋がらない)、など文意に不明瞭な点が多くありませんか? 恐らく仰るように表現の問題だとも思いますが、それでも表現の工夫によってどのくらい改善できるのか疑問があります。ここはひとつ、ストレートに「外人という言葉はどのくらいの頻度で外国人に対して使用されるのか」というデータを示していただくのが最善です。具体的データがあれば、それが「よく使われる」のか「まあまあ使われる」のかといった感覚的問題はデータの読み手の判断に委ねることができ、問題は根本的に解決します。
  4. ですから、「日本人が99%アジア系」であるというのは本当ですか?というようなことなんですよ。ここではその手のデータの話を問題にしているわけで、ノートであっても出典のない不確実な数値を示すのはいかがかと思われます(私が常識的なデータを知らないだけだったら、私の無知に起因する発言についてお詫びします)。で、私の質問の本題ですが、私が疑問視しているのは疎外感を受ける言葉の代表となってしまい嫌う人特に移民国など人種的に多様な国の出身者ほど多いのか、という点です。逆接すれば、移民国でない国の人ほど「外人」という言葉を疎外感を受ける言葉とは感じていない、ということですよね。本当ですか? 「出身国」という文脈上、人種の比率は関係ありませんよ。本文に書かれていて不明瞭なのは本当に移民国(具体的にどの国?)出身者のほうがそうでない国(具体的にどの国?)出身者より「外人」という言葉に疎外感を感じることが多いのか、という比率であり、これは恐らく出身国籍の問題であって人種の問題ではありませんよね。人種間で感じ方に違いがあるのでしたら、それはまた別の問題でして、ぜひデータがあれば記載していただけると勉強になります(例えば、ギリシャ人(民族)とトルコ人(民族)の間で、あるいはメキシコ系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人の間で「外人」に対する感じ方に相違が見られるのか、等)。なお、この問題については、私は出身国より個人の日本語環境や学習の問題の方が「差別されている感じを受けるか否か」に大きな影響を持つと考えます。

最後にもう一点、この問題はノート:外人で話題になっていたのですね。今気付きました。思うのですが、いっそこちらは「外人は本来は差別用語ではないが、現代では差別用語と考えられる場合がある」程度の記述に縮小し、詳細は外人に統合した方が記事スタイルとして親切かもしれません(私も今の人種差別#日本における人種差別を見ただけでは、外人というページがあってそこに詳しく書かれているということに気付きませんでしたし、誘導は設けた方がよいでしょう。あちらに詳しく書かれているのであれば、こちらで重複して詳述することもないでしょう)。事実関係として「外人」が本来は差別用語でないことは明白ですし(現代でも辞書的な第一義的な意味は差別用語ではありません。とはいえ、辞書的な意味というと「差別」という単語も単に「区別と同じ」なんて書いてあったりしますが)、また事実関係としてある一部の人々が(それがごく一部の外国人であるか日本語話者の大方であるかという程度問題はここでは不問とし)「外人」は差別用語であると考えているのも疑問の余地はないでしょう。ここでは原義(差別用語でない)と現況(差別用語と捉えられる場合がある)のふたつの事柄に絞って記述し、諸々の問題は外人に預けてしまった方が、人種差別というページにとっては無難なのではないでしょうか。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年4月23日 (水) 09:59 (UTC)

そうですね詳述は独立項目たる外人に譲るのが良いと思います。
>「日本人が99%アジア系」であるというのは本当ですか
本当です。帰化統計等から日本人の99%以上がアジア系であることは疑いがないだけでなく、以下の根拠から日本ではアジア系以外の人種がとても目立つということがいえると思います。人口統計によると在住外国人130万人の内、80万人は中国・韓国人で日本人と区別つきません。アジア系の範囲を東南アジア系まで広げると100万人を超えます。当然外国人旅行者や地域較差を考慮に入れる必要がありますが、見知らぬ他人種の人をみて外国人という第一印象をうけない地域は思いつかないです--Tabunoki 2008年4月24日 (木) 00:03 (UTC)

99%の話、教えていただきありがとうございます。勉強になります。見知らぬ他人種の人をみて外国人という第一印象をうけない地域は思いつかないですは私ももちろんそう思いますが、ただ、その受け取り方に地域差があるのではないかということを言いたかっただけです(中国地方の山中で地元の人が外国人を見たときと、東京のオフィス街で東京のビジネスマンが外国人を見たときではやはり受け取られ方は違うでしょうから)。

「外人」が差別語であるかですが、やはり私もこれは差別語には分類できないと思います(他の差別用語のようにどこかのしかるべき機関で「差別用語」に規定されているのでしたら別ですが、今のところそのような規定がされているということを私は知りません)。「外人」が差別用語であるかについては、「朝鮮人」という単語が差別用語であるのかと同程度に差別用語ではないと思います。用法上「朝鮮人」はしばしば差別的にも使われますが、「朝鮮人」そのものが差別用語であるということはありません。50年くらいしたら「朝鮮人」も「外人」も、ひょっとして「外国人」も差別用語に認定されるようになるかもしれませんが(50年前は今の差別用語の大半が差別用語には認定されていませんでしたから、50年経てば何が起こるかわかりませんよね)、今のところは「しばしば差別の気持ちを込めて使われることがある」というだけで、それ自体が差別を表す語ではないと断言できると思います。「外人」という言葉に差別感を覚える人がいるというのは無視できない事実であり、一部のおかしな外国人だけがそう感じているわけではないのですが、しかしそれはこの言葉自体が悪いのではなく、悪く使われるから悪くに感じるようになった、ということでしょう。沖縄なんかでよく「外人さん」という言い方をするという事例も挙げることができます(もし「外人」が差別語であったら、差別語に「さん」をつければ差別語でなくなって親しい呼びかけになる、なんてことになり、まあ個人間ではそのようなこともあるかもしれませんが、そんな用例が広く一般的に見られるとなると、それはちょっとあり得ない話だと思います)。この言葉から生じる差別感というのは、他の差別用語でない普通の言葉と同様「使われ方次第」で生じるものであり、「外人」を差別語と断定するのは現時点では誤りであると指摘することができるでしょう(差別用語#差別用語の種類でも、よく見ると「外人」を「差別語」とは断定せず、「差別的に使われる事が多い」用語に類別しています。多いか少ないかは議論の余地がありますが、要するにケースバイケースであり、程度問題でしょう)。

従って、上記の通り「外人は本来は差別用語ではないが」の書き方は適切だと思います。これを、時制を付与して「ではなかったが」なんて書いてしまうと言外に「昔は差別用語ではなかったが今は違う」という意味を明記することになってしまうので、一般論・定義としての時制を現さない「~ではないが」という書き方は最適であると思います。このスタイルに置き換えても構いませんでしょうか。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年5月3日 (土) 09:27 (UTC)

ご意見ありがとうございます。とりあえず私なりに改編してみましたが、PRUSKYNさんの意見を取り入れ、よりよい文章にすることに賛同します--Tabunoki 2008年5月5日 (月) 17:16 (UTC)

少し文章を修正しました(書いてある内容は根本的には同じです)。この問題を誰がどう考えるかといった「人」の問題ではなく、「言葉」を主語として文章を再構成しました。またその関係で他の「人」が主語となった事象の問題と分離して最下段に持ってきました(最上段でも構いませんが、最下段に持ってくる方が文章の改変が簡単だったため)。「ノート参照」の部分については、ちょっと恥ずかしかったのでコメントアウトの形に変更しました。--PRUSAKYN (ПРУСАКИН) 2008年5月10日 (土) 10:36 (UTC)

6年も前の話題にコメントするのもあれなんですが、国連人種差別撤廃条約では「国籍の有無による区別は差別ではない」と明言されてる以上、特定の人種ではなく「日本人以外」という意味でしかない「外人」という言葉は、人種差別ではないですよね。逆にこれが差別になるんだとしたら、特定の国籍だけを示して言う「アジア人」とか「アフリカ人」はなおさら差別用語ってことになってしまう。つまり「国連人種差別撤廃条約に基づけば差別にはあたらない言葉であるにも関わらず、これを差別用語だと言い張る人たちがいる」というのが正しい表現な気がします。まあそんなことを書くべきだとは思いませんけどね。Wingwrongʕ•ᴥ•ʔ 2014年8月28日 (木) 09:00 (UTC)

白人という呼称は定義が曖昧ではないか

白人とは何者ですか?コーカソイドなのか、近代化以後の西欧人なのか、ヨーロッパ人なのか。いわゆる西欧的歴史観で人種差別を語るのは無理が有る。十字軍の時代まではローマを滅ぼした西欧人はビザンツ帝国、イスラム世界からは蛮族と見なされていた。アンダルスの時代では、西欧人がコルドバに学問を学びに留学していた。全てが西欧的歴史観で記述されており、疑問を感じる。--Popons 2008年10月19日 (日) 12:48 (UTC)

在日特権を許さない市民の会に関して記述することは妥当でしょうか

国連人種差別撤廃委員会が、 日本政府に対して「第3回~第6回政府報告に関する人種差別撤廃委員会の最終見解(2010年3月)」の中で、 在日特権を許さない市民の会(在特会)の行為と考えられる事象に対して懸念を表明しているのですが、 このことを、「2 歴史事例」の「日本」の項目に、現在の状況に関する記述として追加することは妥当でしょうか。

本日4月7日から、少なくとも2週間以上の期間をおいて意見を頂き、もし妥当であるなら内容を追加したいと考えています。

#出典 「第3回~第6回政府報告に関する人種差別撤廃委員会の最終見解」 ※下記外務省のサイトに、日・英各文のPDFが掲載されています http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/index.html

#該当箇所 パラグラフ13 在日韓国・朝鮮学校(Korean schools)に通う生徒を含むグループに対する不適切で下品な言動、及び、インターネット上での、特に部落民に対して向けられた有害で人種主義的な表現や攻撃という事象が継続的に起きていることに懸念をもって留意する。

--118.243.250.201 2013年4月6日 (土) 18:32 (UTC)T.Iwasaka

期間が経過しましたので、人種差別撤廃委員会の見解を掲載致しました。ただし、3年前の出来事で「歴史事例」グループに掲載することは適切でないと考え、「近年の事例」という項目を追加して掲載致しました。
また、在日特権を許さない市民の会という団体様の名称は記載致しませんでした。理由は(団体様の公式ウェブサイトにこの見解に対して反論文「国連人種差別撤廃委員会提出書面(日本語原文)」を提出した旨の記事はありますが)厳密な形式で出典が明確にならなかったためです。--T.Iwasaka 118.243.250.201 2013年4月21日 (日) 13:46 (UTC)