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ノート:外人

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Wikipediaの方針とこの項目の在り方

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Wikipediaの方針とガイドラインによると中立的な観点検証可能性独自の研究は載せないが記事執筆の基本ルールです。現時点での「外人」に関する記事にはルール違反が多いと思います。例えば、「差別用語」のところには「また英語における英語のJapなどの表現と略語の「外人」がよく比較されるが、これは文法的には誤りである」とありますが、この書き方は上記の三ルールに違反しています。まず、「文法的には誤っているとの主張がある」という書き方ではなく、「誤りである」と書くことで、中立的な観点に違反しています。つまり、異論があるにも関わらず、「文法的には誤りである」という主張だけが正しいという書き方になっています。また、出典が明記されていないという点で検証可能性というルールに違反しています。出典明記がないのは、編集者自身の意見であるからと考えられますが、そうであれば、独自の研究は載せないに違反していることになります。この「文法的にあやまりである」というところは1つの例ですが、同様の記述が多々あります。この記事のルール違反の部分や項目を削除する必要があると思いますが、まずここで議論としてもらい、ルール違反をできるだけ直してからにすべきでしょう。--Masden 2007年2月28日 (水) 02:46 (UTC)[返信]

3年越し近くになりますが、確かにルール違反は多いですね。調べ物に参照しても、役に立たないだろコレというレベルです。さんざん外人が差別用語かどうか議論した挙句「「外人」は語義・成り立ちの上で明らかに差別用語でないので・・・」と書かれていて、明らかに中立的ではなくさらに出典がひとつも明記されていない。Wikipediaの記事としては甚だ不適当というべきでは。--ベン 2010年1月19日 (火) 22:19 (UTC)[返信]
ありがとうございました。ベンさんのご指摘のとおりです。ルールやノートでの議論を無視して、好き勝手に編集されていると思います。私自身はどうしたらいいかがよくわかりません。記事のほとんどを削除して再出発したいと思いますが、そうしても、議論の進展がないまま、今までに記事を書いてきた人たちが復活させるだけで終わってしまうだろうと思います。Wikipedia編集の経験がほとんどありませんので、こういう状況の打開するにはどうしたらいいかをどなたかに教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。--Masden 2010年10月30日 (土) 01:23 (UTC)[返信]
これはやはり、出典のしっかりした記述でもって、書き換えてゆくのがいいと思います。反対したい人がいても、出典がある限りはうかつに消せなくなりますので。--Ks 2010年10月30日 (土) 11:40 (UTC)[返信]
さっそく、ありがとうございました。もう少し時間的余裕ができたら、やってみたいと思います。逆に出典のないところ(現在の記事のほとんど)を削除していいでしょうか?--Masden 2010年10月30日 (土) 13:39 (UTC)[返信]
一気にやると、反発がすごいと思います。文ごとにコメントつけたり、ノートに挙げたりしながらするしかないでしょうね。--Ks 2010年10月30日 (土) 14:39 (UTC)[返信]

有道出人の写真

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このページに有道出人の写真を使って、不相応だと思う。 Exploding Boy 2005年10月18日 (火) 19:45 (UTC)[返信]

ドイツ語から採ったものだが。Sionnach 2005年10月19日 (水) 00:50 (UTC)[返信]
私も不相応だと思う。特に自称「人種差別と闘う『活動家 activist』」なのでいっそのこと。また、ドイツ語(のヰキ)の記事は明らかにこの人のドイツ人仲間によるものであり、英語のヰキでも有道出人を絶賛記事があり、どれも自作自演の事件を喧伝する胡散臭いものすら感じる。「外人」という表現についての、外国人の感じ方も代表的なものではなく、この人たちの「政治的正しさ」(politically correct, 日本でいう「言葉狩り的な」)捉え方に囚われた記述になっていると感じる。まず写真の削除を提案したい。JALockhart 2005年10月20日 (木) 01:38 (UTC)[返信]
ではドイツ語版や英語版にも知らせなければ。先ほど話し合いによらない画像の削除を戻してしまったが、どうぞ戻して呉れ給え。Sionnach 2005年10月20日 (木) 12:36 (UTC)[返信]
英語版でのひどいものは、有道出人ご本人についての生地。「外人」の記事は、英語版、ドイツ語版、日本語版ともに内容が酷似しており、相互参照の気配があるように思う。(これ自体、悪いことではないが。)写真削除については有道出人の写真削除のみを提案したつもりだが、ドイツ語版では「人権推進の活動家・有道出人」のことを取り上げ「白人系日本人として『外人』という言葉の逆説性(孕む矛盾)を体現している」("Der Bürgerrechtler Arudou Debito, ein weißer Japaner, ist die personifizierte Antithese zum Wort Gaijin")と評価し、「外国人ではないのに白人に対する差別を日常的に受ける」("Er erlebt Diskriminierung als Weißer, obwohl er doch nicht Ausländer ist."と括っているため、ドイツ語版では写真掲載は内容と関係ないといえないかもしれない。
この、偏った思想の持ち主が“自分を被害者にしたてて、そのつもりのまったくない相手を貶(おと)して騒ぐ”、いわば「おとり」的な姿勢と、そうする自分があたかも勇気ある活動家であるかの自賛とに、少々抵抗を感じる。そのためか、「外人」の記事は三本ともあまりにも偏屈な解釈が勝っているように思われる。(もっとも、英語版では異論のあることに触れるくだりもある。)JALockhart 2005年10月20日 (木) 14:38 (UTC)[返信]

英語版でExplodingBoyと編集合戦になったついでに日本語版の書き直しをしました。ExplodingBoy氏は外人=差別用語の主張のようです。Vapour

有道出人氏の個人写真は本人の了承でも悪いのですか。詳細に読んでないので変なことを言っているかもしれませんが。

この項目の映像等に関する編集方針

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項目の冒頭に「この項目では日本語の単語の『外人』について説明しています。日本に居住する外国人については日本の外国人をご覧ください。」と書いてあります。単語の「外人」に関する項目の中に、現在のように留学生の写真などを載せることは項目の趣旨に合わず、混乱を招いていると思います。逆に、「外人」という言葉が印刷物等の中で、映像と一緒に使われている例ならいいと思います。異論がなければ留学生の写真を削除しようと思っています。また、後日「外人」の使用例となる映像を載せていきたいと思います。--Masden 2007年3月4日 (日) 08:06 (UTC)[返信]

異論がなかったので、留学生の写真を削除しました。--Masden 2007年3月6日 (火) 11:45 (UTC)[返信]

220.106.213.88の主張

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「非東洋系の外国人の日本語の能力が低いことによる誤認」など、この記事は全体的に「外人=非差別用語」という観点から書かれており、議論の双方の主張をまとめることを自ら放棄しているようにしか見えません。 一部の日本人の主張のみを擁護する場ではないことを理解した上で記事を書けよ。 220.106.213.88

外人が差別用語だと言う主張の根拠が「外人さんが嫌がる」以外に存在しない。ここ三十年間もしつこく外人は差別用語との主張は聞くがいまだにその理由が掲示されていない。
理由は必要ないでしょう。大事なのは実体ですね。外人が差別用語と、そう呼ばれる人々に感じられる何かがあるとすれば、それがすなわち、その言葉が差別用語として機能している、ということです。実際、家を借りる場合などに、「外人さんお断り」という表現、何か困ったことがあった場合に「外人さんだからねー」という表現など、「外国人」にはないニュアンスを表現する意図で使われてると思いますよ。かつまた、この項の文章は、「外人という言葉は差別用語」という意見の存在を前提に書かれています。でなければ、こんなに長文は必要ないでしょう。--Ks 2006年9月28日 (木) 08:29 (UTC)[返信]
私は外人さんに外国人以外のニュアンスが含まれているから別物という意見には賛同できません。例に挙げられた文章を外人から外国人に書き換えて、「外国人お断り(職業が不安定だったり、保証人が居ない無い日本人と同じくトラブルが怖い)」、「外国人だから(日本の事情をよく知らない)」としても日本語の意味が変わるとは思えません。そしてニュアンスという主観的な感覚で語ることを許すとしても、敬称つきの外人さんの方が、外国人より差別的なニュアンスが含まれているとは思えません-Littlefox会話2012年7月11日 (水) 13:09 (UTC)[返信]

外人

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外人という言葉は差別用語なんですか。日本人が差別用語になる日が近い将来やってきそうな雲行きですね。それにしてもこの「外人」は二文字だけでスタートしていますが、削除されずに良かったと思う。--210.155.77.50 2006年9月18日 (月) 00:39 (UTC)[返信]

「外人」は、日本において、日本人が大多数であることを前提にした上で、差別用語として機能していると思います。その意味で、「日本人」が差別用語になることはあり得ないでしょう。沖縄ではある時期ヤマトンチュにそれに近いニュアンスがあり、それを強調する際にはヤマトゥと呼んだ例があります。昔に国外においてジャップが差別用語であったようですね。--Ks 2006年9月28日 (木) 08:32 (UTC)[返信]

英語の短縮語と漢字圏の略語は全く意味合いが違います。英悟は原則として短縮語を用いず、イニシャルで略すので特別な意味を持ちますが沖縄を含む漢字圏では差別的な意味はありません。はっきりって的外れです--Tabunoki

少子化で日本人が減り、外人が増えると日本人が大多数とはいえない状況になりつつあるので日本人が「外人」扱いされるというのも、大袈裟ではない。実際、地区によってはそうなっているらしい。へたをすると、外人のほうが日本語もよく操るし、礼儀もある。最近の例では、ある外国人に「つまらない物ですがお歳暮に持って来ました」と言われた事がある。これにはショックを受けた。つまらない物という意味が理解されているようだ。参考にされたい。検証も良いが、馴染まない内容もありうると思う。その意味でもこの「外人」項目は一部の者の言う”検証”に馴染むものではない。--210.155.77.50 2006年9月28日 (木) 11:25 (UTC)[返信]

興味深い例ですね。そういうこともあるのですね。私は田舎住まいなので、そういうのはよくわからない。ただ、百科事典の記事は過去を元に現在を書くものでしょう。過去にあったことはそれなりに書く意味があるのでは、と思っています。--Ks 2006年9月28日 (木) 11:28 (UTC)[返信]
自分の国なのに、外国人に遠慮して暮らしなさいと強制されている様な気持ちになりますね。--124.97.226.117 2006年9月29日 (金) 12:40 (UTC)SSST[返信]

日本国民=日本人(日本民族)とするのが差別であると主張されるようになるかもしれませんね。現時点では比率的にみて日本国民=民族は大まかに正確といえますが。Vapour

「日本人が大多数であること」は前提でなく事実でしょ。ついでに人口の割合の変化と国民と外国人の判別に何の関係があるのか不明ですね。移民の多いアメリカでもForeignerという言葉は健在ですよ。ついでにJapは欧米語におけるApocapation(短縮語)で日本語の国連(U.N)などの略語とは別の用法です。漢字の略語は英語のAcrynomによる略語に当ります。Vapour
すみません。Vapour様、時間軸にそって議論を並べましょうよ。それから。「日本国民=日本人(日本民族)とするのが差別である」は、その通りであり得ます。中曽根総理の単一民族発言がどれだけの批判を引き出したのかを思いだして、あるいは調べてみて下さい。明らかに日本人=日本民族は成り立ちませんよ。これは立場や視点の問題ではなく、事実誤認ですからね。--Ks 2006年10月1日 (日) 14:03 (UTC)[返信]
オッサンなのであの当時のことは調べるまでもなく覚えていますよ。中曽根首相の発言が大問題になったのは単一民族論を展開したときにアメリカの黒人や移民の民度(識字率)が低いと発言したからです。単一民族発言そのものがあの当時の世論で叩かれたとするのは適当な表現ではありません。ついでに日本人は単一民族という発言がどれほど正確なのかは、どのような政治的あるいは学術的な立場を取るかで見解が分かれるというのが現実でしょう。例えば自分の部屋の壁は白いんですが、それを誰かが、「細かく見れば完全に白ではないから君の発言は間違えている」と言えば揚げ足取りの感があります。細かく言えば日本在住者と日本国籍保有者で分かれますが日本における非大和民族といえば在日、アイヌ、沖縄(琉球)です。在日は表向きは同化。ついでに日本人ではない。アイヌは余にも少ない。現在の沖縄が異民族なのかはこれまた政治的立場によって判断が異なるというのが実情でしょう。琉球語は言語学的には薩摩弁を含みますし、実際に琉球語を話せる人間は現在では少ないのが現状です。日本人は単一民族という率直な第一印象は外国人でも感じることです。もちろん少数民族の存在の配慮あたりの政治的な判断が加わる場合は白に見えるが細かく見るとそうではないという論が主張されますが、例えば日本人(日本国籍保有者)で大和(日本)民族と異なる伝統を保有している、あるいは日本語以外の言葉を第一言語、あるいは第一言語と同等に話せる人間の割合なんて考えたら1%どころか0.000....%って感じでしょ。アイヌや沖縄や在日の同化や帰化は現在も進行中ですから。もちろんこれがいい事なのか悪いことなのかは別の問題ですけどね。これを悪い事とする人の間では特に日本人は単一民族でないとの論が主張されますが、「日本人は事実上は単一民族」という発言に突っかかれば言葉狩り的との批判がでるのは仕方が無いでしょう。中立的見解で書く場合は論争においてどちらの立場も取らず前述の細かい事情を説明するべきでしょう。「日本人は単一民族」と「日本人は単一民族でない」の両方が間違っているようで間違っていない、あるいは間違っていないようで間違っているというのが現状だと思います。Vapour
おっしゃる事はある程度は現実にそっているのは分かります。しかし、アイヌに関してだけ言っても、現実にその文化を維持しようと努力している人々が存在する、その事実があるにも拘わらず、「あまりにも少ない」「同化が進行中」と言ってしまうのはどうかと思いますよ。少なくともその人達は激怒するでしょうね。たとえばアイヌの人口が減少した事に、日本の主たる民族は無罪ではないと思うのですが、それをさておいて、事実の上にあぐらをかく姿勢は、多数派の横暴と言われても仕方ありません。
それに、事実を書くのが百科事典であれば、小数派の存在は、その価値判断はおいて、存在する、と書くのが筋です。中曽根氏の場合、あの発言が国内に於けるアイヌ民族の立ち位置の見直しに大きく働いたのは間違いない。つまり、国内においても、大きな影響があった。それはつまり、日本が単一民族でない事を確認した事だと思います。
それから、「日本語以外の言葉を第一言語、あるいは第一言語と同等に話せる人間の割合なんて考えたら1%どころか0.000....」はやっぱり間違いでしょう。たとえば沖縄では多分50才以上であればウチナーグチかその方言を喋れると思いますよ。40代でも数割は行けるんじゃないかな。そしたら1%未満かもしれないが、0.000…と言う事はあり得ませんね。
最後に「中立的見解で書く場合は論争においてどちらの立場も取らず前述の細かい事情を説明するべきでしょう」これは間違いです。Wiki的にですが。対立する場合は両論併記だそうです。--Ks 2006年10月2日 (月) 00:43 (UTC)[返信]
アイヌ文化復興の努力をしている人たちのことを「思いやる」記述は百科事典に相応しい記述ではありません。これが「事実の上にあぐらをかく姿勢」として非難されるなら仕方ありませんね。「学術は人に対する思いやりがない」なんて主張を言論界でするのは勝手ですが、これと学術誌の編集方針は別なのと同じです。ついでに、確かに、事実を書くのが百科事典ですから、その価値判断はおいて、日本における小数派の存在は、「存在する、しかし極めて少ない」、あるいは「稀だが存在する」が正解ですね。ウィキペディアは日本単一民族論やアイヌ文化復興や琉球民族論を応援する場所ではありません。ついでに琉球語・沖縄弁を日本の文化の外に置くかどうかをここで結論するべきではないと思います。薩摩弁は言語学的には琉球語族・沖縄弁の系統です。標準語や他の日本の方言と琉球語・沖縄弁が同じ語族であることは事実なのですから日本民族・日本文化をどう定義するかでこれまた判断が分かれると思います。それに昔の方言は本土のものでもドイツ語とオランダ語ぐらい違いますよ。それに台湾でもそうですが年配の方ほど「天皇陛下万歳」なところがあるそうですから沖縄の高齢者は日本民族ではないと断言するのも問題があるでしょう。「日本人は単一民族ではない」と「日本民族は単一民族である」との両方の記述を避けるのが正解でしょう。
私は沖縄の人を琉球民族であると断定したことはありません。別民族として扱うに足る独自性があるとは思いますが、それを快く思わない沖縄の人もいるのは承知していますし。そして、その判断に地元の人の考えも重要になると思います(つまり自分たちが独立民族であると思っているかどうか)から、私が書く場合には「独立民族と考える立場もある」とまでしか書かないでしょう。ですから、それにと同様に、「アイヌは同化しつつある」も私はとても言えないですね。それと、現状がどうあれアイヌが独立民族であることはまず認められ、そう呼ばれる人間が実在する以上、その1点において、「日本民族は単一民族である」が誤りであるのは明白です。ここは譲れない。いずれにせよ、先に述べたように、ここでの議論をこれ以上続ける気はないです。--Ks 2006年10月5日 (木) 12:09 (UTC)[返信]

すいませんが、外人の話のところに、アイヌや沖縄を引合いに出すのは止めて貰えませんか。外人とは、外国籍の人間ですよね。--SSST 2006年10月3日 (火) 07:51 (UTC)[返信]

SSST様、前後の議論の流れをお読みください。外国人の例として「アイヌや沖縄」を取り上げているわけではないのです。ただ、どちらかといえばこの項に関する議論からは離れているのは確かです。Vapour様に異論がなければ、ここでのこの話は終わりにして良いですね?--Ks 2006年10月3日 (火) 08:14 (UTC)[返信]
外人・外国人が非日本(東洋)人の感覚で使われることを考えれば無関係でないと思いますよ。ついでに「在日は外人か」なんてあたりは民族論ですね。Vapour

「外人」の起源

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外人が外国人の略ではない可能性がありませんか?外国人を略して外人と言うようになったという点に何か根拠があれば教えてください。少なくとも広辞苑の表現は別の語であるように感じました。--Ks 2006年11月27日 (月) 05:07 (UTC)[返信]

単純に省略形であるとは言えません。小学館の『日本国語大辞典』の「外人」に関する項目は参考になります。最初の定義は「家族、親戚、仲間などの範囲の外にいる人」となっています。最初の用例は平安中期の漢詩の『扶桑集』です。これに対して、2つ目の定義である「外国人。特に、欧米人をいう場合が多い」の最初の用例は福沢諭吉の『文明論之概略』です。「外国人」を指す言葉としての「外人」は「仲間などの範囲の外にいる人」という使い方よりずっと後に確立した用途という意味合いで単純な省略形であるとは言えない訳です。「『外国人』の省略のつもりで使われることが多い」ならいいのではないかと思います。「省略形である」という記述を修正することに関して異論があれば、単なる省略形であるとする説の他の問題点を挙げることができますが、歴史的な経緯だけでも十分な根拠ではないでしょうか。--Masden 2007年2月28日 (水) 09:40 (UTC)[返信]
ありがとうございます。少なくとも、本文のこの部分の断定には完全に誤りとは言えないまでも問題あり、ということですね。--Ks 2007年2月28日 (水) 10:04 (UTC)[返信]
こちらこそ、ありがとうございます。では、修正してみたいと思います。ちょっと後回しになってしまうかも知れませんので、私より先にKsさん、あるいは他の方が修正するのも大歓迎です。少しずつ、この「外人」という項目から根拠のあやふやな記述などを削除し、ちゃんとした客観的な情報を載せていきたいと思います。一人ではたいへんですので、いろいろな方に参加してもらえれば幸いです。--Masden 2007年2月28日 (水) 23:28 (UTC)[返信]
「外人」が単に「外国人」の省略であるかどうかに関する結論は、この言葉の意味や問題性(差別性)をめぐる解釈に深く関わっているようです。今までの記事を読み直すと「歴史」の項目には「この場合は現代の『がいじん』とは別物である。」と書かれていますね。ただ、根拠などはまったく挙げられていません。まったく「別物」であるかどうかについて議論の余地等は同然ありますし、後の用途がまったく前の用途に影響されずに誕生したというのであれば、言語学的に考えて異例のこととなりますので、裏付けが特に必要です。また、「意味」のところでは「一般には日本語の『外国人』の略語である」としながらも、「一般に非東洋系の外国人、特に西洋人に対して使用される」と書かれています。つまり、「略語だ」と言いながら、「単なる略語ではなく、用途、意味やニュアンスにおいて『外国人』と異なる点がある」ということになると思います。「差別用語」のところでは「英語のJapなどの表現と略語の『外人』がよく比較されるが、これは文法的には誤りである」という形で、外国人が今まで「外人」という言葉の使用等に抗議してきたことは「日本語の略語(例:国連)」に対する誤解であると編集者が主張しています。こういう訳で、「略語」であるかどうかに関する訂正はこの記事の全面的な書き換えにつながると思います。「Wikipediaの方針とこの項目の在り方」で書いたように、「Wikipediaの方針とガイドラインによると中立的な観点検証可能性独自の研究は載せないが記事執筆の基本ルール」に沿って編集し直す必要があると思います。そのためにはまずこの3つのルールに合わないところの削除から始めることになると思います。「差別用語」の項目は全面において検証可能性独自の研究は載せないに違反していると思います。この項目で書かれていることがどっかの本や論文等に載っていれば、1つの見解として紹介してもいいと思いますが、このWikipediaの記事が編集者の発言の場、発表の日になっていることは許されないと思います。そういうことで、特に異論がなければ、数日後に「差別用語」の項目を削除したいと思います。削除してから、差別用語であるかどうかに関して、他でなされてきた議論を注釈をつけながら、紹介していきたいと思います。この方針を認めていただきますよう、よろしくお願いします。なお、念のために現在の「差別用語」の記述を保存して、復活させるべき部分があれば、復活できるようにします。--Masden 2007年3月2日 (金) 04:10 (UTC)[返信]
現在「差別用語」のところは百科のようにみえるでしょうか。私には「外人は差別用語ではない」という論文にしか見えませんが。221.19.211.122 2007年7月16日 (月) 15:43 (UTC)[返信]
現在のこの項目が「外人は差別用語でない」というかなり寄せ集めな論文である、という感を持っています。書き換えていただけるなら、それはいいことでしょう。もちろん、新しい内容については改めてですが、やっていただけたら良いと思います。--Ks 2007年7月17日 (火) 01:11 (UTC)[返信]

[For now I'll comment in English. I may translate this into Japanese later, if I feel like it.]

Salutations. I find this entire discourse, the article and the discussion, to be utterly without merit in the places it is not comically ridiculous. I would be laughing if the subject were not such a sore one for me.

I will not address the usage of the term 外国人, which as the article points out lives also as a legal definition for perfectly valid reasons. However, 外人 is a term used and perpetuated by Japanese people exclusively for racist, exclusionary, discriminatory purposes. The term as it is used by Japanese people today must necessarily be so, and I hope that my personal experiences will help illustrate why. (I do concede that many Japanese people may be well-meaning or not fully conscious of their own, racist, perspectives; even so, the discriminatory function of the word is not lessened in any way).

I am an American citizen and live in Hawaii, which is a unique environment to observe the functions of the Japanese language because it is among the most ethnically and culturally diverse locales on the planet, yet large Japanese communities exist here, yet it is not within the legal jurisdiction of Japan. Here, I am referred to as 外人 with unceasing regularity, indirectly in the third person, or directly (e.g. ミスター外人さん) by nearly every Japanese person I've met, from all social strata and levels of experience in the USA, including my girlfriend. Let's consider the implications of this fact.

Clearly, these people calling me 外人 do not mean to imply anything about my legal status as a national of my own country! One would have to be quite ignorant and foolish indeed to travel to a foreign country and begin insinuating to strangers that they are outsiders or foreigners in their own land. Consequently, any assertions made by Japanese people that the word 外人 has any connection at all with nationality would begin to reflect rather poorly on their compatriots here in Hawaii. 外人 must instead be functioning here as a term meaning something like non-Japanese, something closer to 非日本人.

If so, then on what basis have these people decided that I am not Japanese? Insofar as Japanese people have decided that I am a 外人 by my looks, they are making an entirely racist distinction. And based on the number of times my ethnically Japanese, or even Chinese or Korean, yet 100% USA-grown, friends have been taken for 日本人 (to their profound offense, I must add) I do not see any room for debate on whether the distinction is being made on the basis of one's outward appearance.

As for whether this racist distinction is being made in a discriminatory way, those with any experience dealing with Japanese people will need little convincing on this point. Simply put, the word 外人 in a conversation with a new acquaintance is followed up with comments on one's ability to use chopsticks, speak Japanese and eat natto with such unerring regularity that those comments are becoming referred to among non-Japanese communities as "the trifecta". Japanese people find it difficult to understand how offensive and degrading this line of inquiry can be. It is discriminatory because the underlying assumption is like this:

1. Looks not Japanese 2. Therefore not Japanese 3. Therefore not expected to be capable of things we, justified or not, identify as culturally Japanese

Well, this comment has likely been neither thorough nor convincing, but this is all the time I have for it at the moment.

現在の日本語で外人がよそ者あるいは外部の者との意味で使われている事例は存在しません。外人は常に外国人の意味で使われています。英語版で過去にガイジン=よそ者よって差別用語との論でGaijinの記事の編集を試みているものが英語版におりましたが削除されています。現在の英語版の記事内容は元々は差別用語ではなかったが用法的に差別的に外人が使われることが多かったので差別用語としてみなされるようになったとの内容が日本の学者の発言を出典として記述されています。古語においてはよそ者・外部者との意味でこの場合はぐわいじんと発音するという辞典に記述されている内容にとどめておくべきだと思います。Vapour 2008年7月11日 (金) 20:49 (UTC)[返信]

この項目は「外人」は「外国人」の「省略形」であるかどうかの議論ではじまりました。去年以前は「単なる省略形」であるという立場でかかれていました。去年、このノートでの議論をふまえて、次のように変えました。

「外人」(がいじん)は、「外国人」の略語であると主張されることもあるが、語源も、現代語における使用法も「外国人」と異なる。「外国人」よりも否定的な意味で使われることが多い、また人種を指す意味で使われることが多いので、差別用語とされることもある。

その後、「外人=省略形」という単純な形に戻されました。しかし、その変更の理由や根拠はこのノートで示されていません。重要な変更点については、ノートで議論した上で行うべきです。以上の形に戻すべきだと思いますが、その前にはここで議論したいと思います。--Masden 2008年7月24日 (木) 07:59 (UTC)[返信]

外人が現在の日本語の用法においてよそ者あるいは敵と使われる事例は存在しません。外人は外国人を指す言葉として使われています。誰かが「くそ外人」と発言したときの意味は「くそのよそ者」や「くその敵」ではなく「くその外国人」であるのはあきらかです。現在の一般の日本人が聞いたこともない千年近く前の用例を辞典で持ち出して外人=よそ者・敵=差別用語との論を展開するのはあまりにも無理があるのではないでしょうか。外人=よそ者・敵が古語であるという記述はよいのですがこれを現代用法であると主張するのは論のために事実を曲げる行為ではないのでしょうか。 Vapour 2008年10月17日 (金) 19:45 (UTC)[返信]

現在の日本人が外部の(日本)人のことを外人と呼ぶことはないし、通じないでしょ。あなたが日本人だとして「外人は口を出さないで」といわれたら外国人と勘違いされたと思い、「いえ自分は日本人ですよ」と返すことでしょう。このような観点から差別語説を支持する日本人は自分に嘘つくのを止めましょう。--Littlefox 2010年11月8日 (月) 07:11 (UTC)[返信]

「チョン」は短縮語だから差別語である説について

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わたしは和語の「ちょん」から来ていると聞いていたのですが違ったのでしょうか?よろしければ出典をご提示ください。提示されないようでしたら、差し戻された説明を復帰して両論併記、もしくは両方削除を行います--2010年11月15日 (月) 23:46 (UTC)

出典無し、感想に近い文体、この記事に直接につながる内容ではない。そういうことで。--Ks 2010年11月16日 (火) 00:06 (UTC)[返信]
日本語でも短縮語が蔑称になるという言説を発表して、その例として「チョン」を挙げているんでしょ?でもチョンは朝鮮人を短縮して生まれた言葉だと決定しているわけではなく諸説あるし、類似の言葉があるわけではない。これじゃ独自研究ですよ--Littlefox 2010年11月19日 (金) 00:02 (UTC)[返信]
出典は?ただでさえ、出典がないのに、これ以上言葉を増やす必要がどこにあるのでしょう。それこそが独自研究ではないかと。--Ks 2010年11月20日 (土) 03:32 (UTC)[返信]
チョンが蔑称であることはまったく否定しないですよ。ですが、日本語における短縮語が差別語か否かという、外人問題に直接かかわるセンシティブな問題です。出典もなしに安易に断定する姿勢はいけないと思います。政治的な中立を保つようにお願いします--Littlefox 2010年11月20日 (土) 06:36 (UTC)[返信]
書き足そうとしている方が出典をつける、それが当たり前なのでは?私も、別にLittlefox様が書き足そうとなさっている文が間違いという気はないし、書き足そうとなさっている箇所の前に書かれている文が正しいと思ってる訳じゃない。かなり怪しい記事ではあります。しかし、それに出典のない記述をさらに付け足すのはどうか、と言ってるのです。これ以上文を追加するなら、それこそ出典をつけながらじゃないと、めちゃくちゃになるのでは?--Ks 2010年11月20日 (土) 06:42 (UTC)[返信]
最初から申し上げてる通り、両論併記か両方削除でお願いします。片方の主張のみ記載するのは誤解を招きます--Littlefox 2010年11月20日 (土) 07:09 (UTC)[返信]

外人は差別語か?賛否両論併記問題

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この編集 [1]は政治的に自分が好ましくないと思う意見のみを削除しているものと見做されかねないものだと考えています。出典が無いから削除してもよりはずだというのはそのとおりですが、そうであるならば「外人が差別語と見做されうる」という主張もやはり出典が無いため削除されても止む負えないのです。本当にksさんが削除の方針を貫くなら、私も記事の中立性を保つために削除を行います。もっとも、そういうやりかたは記事の分量を減らすだけで記事の有益性も減ってしまいさす。そこで、お互いに要出典要求をつけつつも、常識の範囲内で記事に残そうというのが建設的なやり取りでしょう。
私は「外資や外車という日本語に差別的な意味づけは無い」というのは日本語話者の常識だと考えているので、近日中に該当部分を復帰させます(どうしてもというなら国語辞書を出典に付けます)。他の部分は論説とみなされても仕方ないものもあるので削るなり改変するなりする予定です。そのあたりはノート上での合意形成を尊重します。--Littlefox会話2012年6月17日 (日) 21:09 (UTC)[返信]

出典がない記事を消すのは大賛成です。現状では、それぞれ思いこみを書いてあるだけですから。
あと。外車や外資が差別用語でない、を辞書から出典としてつける、ということですが、駄目だと思います。理由は以下の通り。
  • 辞書にはその語が差別用語かどうかなどは書いてありません。従って、そこに書いていないことは、それを否定する役に立たないです。
  • 外車や外資が差別用語であるからといって、外人が差別用語でない、というのは独自研究ではないでしょうか。たとえば黒人が差別用語として使われることはあるわけですが、白人はどうです?あるいは黒板は?どちらも色と一般名詞の組み合わせな訳で、そういった一般化は無理だと思います。
以上です。--Ks会話2012年6月18日 (月) 02:15 (UTC)[返信]
黒人は差別用語ではありませんよ。英語のニガー、日本語のクロンボなどが差別用語に相当します。もちろん言語は時代によって変化するものです。現代では黒人という言い方を避けてアフリカ系と呼ぶほうが好ましいとされるようになってきましたし、逆に歴史上ではニグロ(黒人)の方がニガー(クロンボ)より侮蔑的な意味をもっていた頃もあったようです。貴方の理屈こそ思い込みではないでしょうか。--Littlefox会話2012年6月18日 (月) 12:09 (UTC)[返信]
私が辞書を出典にするというのは一般化云々の話ではなく、ピンポイントに外資の項目に外国資本にたいする差別用語という用例が載っているのか?外車の項目に外国製自動車に対する差別用語という用例が載っているのか?ということを明示していく作業です。もし、外資や外車は差別用語であるという出典が存在するならばそれはまた別に反証として掲げればよろしい事です。--Littlefox会話2012年6月18日 (月) 12:14 (UTC)[返信]
失礼しました。確かに「黒人が差別用語」は変でしたね。では、クロンボとアカンボではどうです?
論点は変わりません。まず、外車や外資がどうして外人という語の説明に必要なのでしょう?その意味はそれぞれの項目でやればいい。それに、辞書はそれが差別用語であるかどうかの出典たり得ない、というのは、ごく当たり前の話です。もっとあからさまな差別用語であたってみてくださいな。多分、差別用語だとは書いていないと思いますよ。少なくとも、広辞苑の「めくら」にはそんなことはちらりとも書いていませんでした。とすれば、その辞書であなたのおっしゃる言葉が差別用語に使う旨書いてなくても、そんな風には使わない、という証拠にはなりません。--Ks会話2012年6月18日 (月) 12:26 (UTC)[返信]
黒ん坊[2]や毛唐人[3]は早い時期から差別用語として認知されていたので辞書にも差別用語としての用例が普通に載っていますよ。「めくら」についてはごく単純な話で、最近まで差別用語とはされていなかったからです。私が子供の頃に買った図鑑にはメクラウオという魚が載っていますが、最近は差別用語とされるのでwikipediaではブラインドケーブ・カラシンという項目名がつけられています。同様にメクラウナギという和名をもっていた魚はごく最近(2007年)にヌタウナギと名前を変えました。おそらく貴方が閲覧した広辞苑は昔のものだったのでしょう。このように差別語かどうかというのは出典を提示できるものであり、差別語であるという立場のみ立証責任を回避できるという理屈はなりたちません--Littlefox会話2012年6月18日 (月) 13:24 (UTC)[返信]
私が外車や外資について言及することに特筆性を主張するのは、日本語ではこの種の省略に蔑視の意味合いは存在しないということを示すためです(同様の省略法をもつものなら別に外貨でも外債でも構いません)。このあたりの事情は発音を省略することが侮蔑的な意味をもつ英語話者の人たちには説明する必要があるようです。できればこのことをはっきりと書いた出典があればよいのですが、手元にないので辞書を出典に語意を列挙するという書き方をしています--Littlefox会話2012年6月18日 (月) 13:31 (UTC)[返信]
私は「差別語であるという立場のみ立証責任を回避できる」などと主張した覚えはないな。もっとまともな出典で主張してほしいと言うつもりだったんですが。
「日本語ではこの種の省略に蔑視の意味合いは存在しない」こういうのを一般化というのだと思います。で、クロンボが差別語ならアカンボも差別語?作り方が同じですが。
まあ、頑張ってくださいな。どうぞお好きに。ただ、やるならまっとうな出典でお願いします。あと、出典のない主張は消していいですよ。その方が、くだらない反論をだらだら書くよりは建設的です。--Ks会話2012年6月18日 (月) 14:15 (UTC)[返信]
やっとおっしゃりたいことが理解できました。私と貴方は論理の捉え方に違いがあります。私は「短縮後=差別語である」という英語的な論理が前提としてあって、それにたいして日本語の用法においては「短縮語=差別語である」という法則を当てはめることができないということを外資や外車といった反証例を列挙することで証明しているのです。言い換えると私は英語の論理をそのまま当てはめて短縮後=差別語と一般化すべきではないと主張しているのです。
余談になりますが、貴方の反論についても言及しておきましょう。貴方が白人は差別語でないじゃないかとおっしゃるが、時と場合によっては差別語になりえます。紀元前の欧州では中近東や地中海世界が文明の中心であり、北部ヨーロッパは未開の地でした。自然と金髪碧眼といった北部ヨーロッパ人の特徴は蛮族の象徴とみなされていました。東洋においても「中原から離れるほど文化が劣っている」といういわゆる中華思想から南から渡来したヨーロッパ人は南蛮人と定義されました。そして彼らの白人の特徴である色の薄い毛を差して毛唐人と呼ぶ時、それには侮蔑の意味があったのです。もう一つの例としてあげられている赤ん坊については、人は例外なく乳児として生まれてくるのですから、特定の人種や民族を差別する事は不可能です。更に言えば赤ん坊は世話をしないと死んでしまう無力な存在です。これは自明の事実ですので差別ではなく区別です。ただし、大人に対して「貴方は大きな赤ん坊だ」などと言うのは赤ん坊のような無力な存在であるという侮蔑の意味あいがこめられています--Littlefox会話) 2012年6月18日 (月) 15:11 (UTC)--Littlefox会話2012年6月18日 (月) 15:29 (UTC)[返信]

(インデント戻します)私には、あなたの主張が始めっからわかりません。そもそも、「外人」が「外国人」の略だと言うこと自体、独自研究じゃないですか?ついでに言えば、異人を異国人の略というのもそう。それを根拠に、「『外人という語は短縮語だから差別語である』は誤りである」と主張しても、砂上の楼閣に屋上屋を重ねるだけのこと。まず、そちらの出典を探されたい。
それから、アカンボの件、白人の件は確かにその通りですね。でも、それはつまり、言葉はその構成や内容より、状況と使われ方で差別語となる、ということですよね。では、「短縮語だから差別語」を否定しても、なんの意味もない、のではないかと思います。
いずれにせよ、どのような加筆がなされるか、そこそこ楽しみに待ちます。もちろん、こちらも出典は探しますけどね。それでは--Ks会話2012年6月18日 (月) 23:04 (UTC)[返信]

独自研究も何も「外人は外国人のこと」と辞書に載ってるでしょう[4]。まさか古語の外人(よそもの)から派生したとでも言うつもりでしょうか。まあ、ガイジンという言葉に疎外感を感じる外国人がいることは否定しませんので、そちら方面で出典を探されるとよいでしょう。もっとも、彼らのほとんどは本国で差別を受けた経験の無い白人男性であり、おおかた初めて少数派として扱われることに憤慨しているだけというのが実態なのですが。--Littlefox会話2012年6月19日 (火) 15:24 (UTC)[返信]
「独自研究も何も「外人は外国人のこと」と辞書に載ってるでしょう」。ふーん、「外人は外国人のこと」=「外人は外国人の略」なわけ?便利な日本語をお使いのようですね。もう飽きたので、ここでやめます。--Ks会話2012年6月19日 (火) 23:43 (UTC)[返信]
略語であることは自明なので書いてないだけですよ。もしかしたらKsさんの母語が日本語でないのかもしれないので、念のため略語の例として挙げられているwebpageへのlinkをおいておきます[5]--Littlefox会話2012年6月20日 (水) 03:53 (UTC)[返信]
KsさんによるLittlefoxさんによる版の取り消しは特に問題ないです。ウィキペディアにあるすべての記述はWP:Vを満たすという大前提があるわけであって、出典のない記述はそれだけを理由に削除してかまいません。政治的に自分が好ましくないと思う意見のみを削除しているなどと編集者の意図を勘ぐるのはやめてください。不毛な議論にしかならないです。WP:NPAも参照のこと。あと、このノートの冒頭にあるとおり、ここは、記事「外人」に関する議論をするためのノートページです。記事が掲げる主題についての全般的な議論をする場ではありません。外人というトピックに関する議論も不毛なものにしかならないです。その代わりに、自分の持っている資料に「外人」というトピックに関して何と書いてあるかを説明してください。もう一点、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありません。辞書にある定義に基づいて記述するのは百科事典の記事として不十分です。--Bugandhoney会話2012年6月25日 (月) 21:29 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。たしかにルールを厳密に解釈すればそうなります。止む負えないので外人の記事そのものを出典なしの独自研究として削除する方向で進めることにしましょう(出典がついてるフライジンだけは相応の記事に移動もしくは独立すべきですが)。私としてはせっかくの記事を消すのはしのびないので、妥協を提案しているのですが合意を形成できなくて残念です。
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありませんこれは用語を列挙することが目的になってしまうことを防ぐガイドラインではないのですか?本記事では「「外人」を「外国人」の略語でなく、文字通り「外」と「人」の組み合わせた語とみた場合、「外の人」つまり「よそ者」と解釈される」という主張が掲載されている以上、日本の用例からそれが誤りであることを掲載しないと中立性を保てません(両方共すべて削除が「正解」だったのでしょうけれど)。そこで辞書を出典として、外車や外資には差別語としての用例がないことを示しているのです。本来であれば、これは日本語の常識ですので本来は出典が要らないケースなのですが、論争になったので出典を示すことで解決をはかろうとするものです。私は相手の意見を最大限悪意に取らないように努力し、知らないからわからないだけと解釈して説明をしてきました。ただはっきりいって、このレベルの日本語の常識が無いと日常生活に支障がでるレベルですので、こんどはWikipedia編集能力を疑わなければいけません。私には、まだ政治的な意図から発言しているとするほうが相手の名誉のためではないかと思えてしまうのです。日本語を母語としない外国人の方への配慮があっても良いのかもしれませんが、それこそ>Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありませんに該当してしまう気もします--Littlefox会話2012年6月25日 (月) 23:48 (UTC)[返信]
要するに「外人は外国人の略である」という、まっとうな出典はお持ちでないし、出すことも出来ない、と、そうおっしゃっているわけですね?その上で、それが出来ないから、両論まとめて削除せよと?ずいぶん身勝手な話ですね。その上で他人の日本語能力の問題にしようと?
あれこれ言う前に、出典を出してしまえばいいのですよ。それも、外車や外資などからの類推でなく、ちゃんと外人に言及した奴を、ですよ。消す方は、もう一度言いますが、出典がない部分は消してくださっていいのですよ。
それから、私自身は、外人という語の由来や意味について、気にしたことはないです。問題は使われ方、ではないですか?語源にこだわり、「省略形が差別語になることはない」というよくわからない話でこだわり続けているのはどなたか、それははっきりしています。
ですから、あの削除部分を復活させるには、次の2点の出典が必要です。
  • 「外人は外国人の略である」という命題。
  • 「日本語では省略語が差別語となることはない」という命題。
現時点では、どちらも類例を挙げてあるだけで、そこから類推できる、と言う理論の展開しかないでしょ?そこを埋めることが出来るなら、それは成立するでしょうね。--Ks会話2012年6月26日 (火) 03:13 (UTC)[返信]
命題ときましたか。論理学を持ち出すなら、類推は帰納法の一種であり、反証がなければ証明されるという事はご理解していただけていますかね。私が「外人は外国人の略語ではない」という論拠を示せと言っているのは、この反証を出せと言っているのです。そもそも日本語のような自然言語は自然発生的に生まれたものですから、数学のような明確な法則に従っているわけではなく、言語学は類推の学問と言っても過言でありません。難しい言葉を使って理屈をこねたいなら、まず勉強することですね。--Littlefox会話2012年6月26日 (火) 06:30 (UTC)[返信]
出典要求中とはいえ「外人は差別語」という論説が掲載され続けているのは好ましいとは思えないので、出典をつけた上で一部記述を復帰します--Littlefox会話2012年6月26日 (火) 09:43 (UTC)[返信]
念の為に追記しておきますが、今回は、たまたま外人が外国人の「略」であるとはっきり書いてある辞書がみつかりました。類語の使いわけを書いた辞書なので詳しく書いてありました。一般の辞書には外国人のこととしか書いてないことが多いはずが、これは日本語の用例として略であることが明らかだからいちいち書いてないだけです。はっきり書いてないから出典にならないというのは、読み解くだけの日本語能力が無いか、難癖をつけて気に入らない記述を削除しているかのどちらかです。--Littlefox会話2012年7月8日 (日) 08:33 (UTC)[返信]
もう一つの「命題」なるもの、「日本語では省略語が差別語となることはない」についても回答しておきましょう。無いことの証明ははいわゆる悪魔の証明というやつで事実上不可能であり、求めてはいけないことです。まあ、ここはwikipediaなので、そう書いてある文献を探すことで記述可能という理屈は成り立ちますが、「信頼出来る情報源」を執筆したり、校正できる人はそういう間違いはあまりしないものです。書くとしても「一般にない」とか「通例ではない」とか、無いと言い切れないが普通はそうだ、という書き方をするのがものの道理を知っているものの良心というものです。もちろん厳密な論理性を必要とされる場面では、という意味ですが。
そういう理屈臭い事を抜きにしても、略語が蔑称になるという主張は、外国人が英語などの慣習をそのままま日本語に当てはめた勘違いからきている、筋の悪いものです。外人が蔑称であるという日本語での出典が見つかりにくいのは当然であり、外人の項目そのものの必要性が疑われるのは当然の帰結です。書くとしても外国人が(勘違いして)そう感じる現象、といういう書き方になります。--Littlefox会話2012年7月8日 (日) 15:05 (UTC)[返信]


さて上で書いた通り、記事そのものが出典不足として削除する方向で話を進めます。外国人もしくは日本の外国人に統合するのがよいでしょう。私はいきなり削除なんて喧嘩の元になることはしたくないので、一ヶ月程度猶予を設けますので、外人を独自項目として残すに値する出典を探してきてください。十分な量がないと分量不足としてやはり統合すべきという結論になるでしょう。--Littlefox会話

もう議論はやめます。対話が出来ない人物とわかったので。私はそちらの論述がどうすれば可能になるかを説明した、どちらかと言えば助け船を出したつもりだったのですが、それに対する返事が「論理学を持ち出すなら」「まず勉強することですね」ときた。しかもその次は「削除する方向で話を進めます」ですか。どこでそんなことが決まったんですか?自分だけが勝手にいってるだけですよね?さらに、その舌の根も乾かないうちに「出典をつけた上で一部記述を復帰します」とはいったいなんですか?しかも、それじゃあ駄目だよ、と言った形ですよね?出鱈目もいいところ。もう会話する気はありあせん。好きにやってください。こちらはこちらの考えで書くなり消すなりしますので。--Ks会話2012年6月26日 (火) 13:08 (UTC)[返信]
wikipediaにおいて対話の拒否を宣言することはあなたの為になりませんよ。それにあなたが「外人が外国人の略であること書いた出典を出せ」としつこいから、出典を探してきたのにひどい言いようですね。まあ本来は外人が外国人であることは日本語の常識なので、言及も類似例の列挙も必要ないのかもしれません。しかし今回のように自明すぎて明言する出典があまりないことをいいことに、(出典も無しに)自分の都合の良い解釈をに押し付ける人がでることを考えるとそういうやり方があってもいいじゃないかと思っています--Littlefox会話2012年6月27日 (水) 03:03 (UTC)[返信]
出典をつけたのに消した部分を復帰します。編集合戦を防ぐために、消す前にノート上で合意を形成してください--Littlefox会話2012年7月2日 (月) 05:21 (UTC)[返信]
そうですね。ちょっとこの記事は有用な記事に育つ見込みがないので、すべて削除して日本の外国人のリダイレクトページにするのが一番いいと思います。一応出典が付いている外人#新造語(一部メディアの主張)も、Japan Timesの記事を思い込みで斜め読みして、その感想を書きなぐっているという、見当違いな記述でしかないので、削除しても別に構わないと思います。出典となっている記事には、Flyjinという言葉をJapan Timesが作り出したなどということはまったく書いてなくて、大震災後に日本から逃げ出す外国人が(Flyjinなどというあだ名を伴って)非難されている(が、そういう非難は不当だ)、というようなことが書いてあります。東日本大震災福島第一原子力発電所事故やその関連記事で出典として使用するべき記事ですね。--Bugandhoney会話2012年6月26日 (火) 17:47 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。日本の外国人項目にリダイレクトする方向で、進めたいとおもいます。--Littlefox会話2012年6月27日 (水) 03:03 (UTC)[返信]
ここで私の立場を表明すると、外人という項目があってもよいと思っていました。外国人からガイジンという言葉が蔑称と誤解される事がありますし、人によっては疎外感を覚えるというのも嘘ではないでしょう。そして他国語版に外人(Gaijinなど)のページがありますから一定の特筆性を認めていました。しかし、出典がなかった上に、中立的な観点まで守られないのでは、存続する意義がありません。Wikipediaは特定の言説(今回は外人が差別語・蔑称であるという説)を広める場ではありません。--Littlefox会話) 2012年6月27日 (水) 03:03 (UTC)--Littlefox会話2012年6月27日 (水) 03:05 (UTC)[返信]
そうですね。リダイレクト以外には英語版からの翻訳もありかなと。語源・用例や「外人」がOffensiveにあたるのかどうかに関して出典付きでちゃんと書いてあるので。--Bugandhoney会話2012年6月27日 (水) 13:43 (UTC)[返信]
それは良い考えです。記事を再起稿する際には英語版の出典を引用したいと思います。古語の外人と混同されている問題などいろいろ思うところがありますが、誤解を解くには根気よく解説していくしかないでしょう。--Littlefox会話2012年7月2日 (月) 05:18 (UTC)[返信]

ks氏の編集姿勢について

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出典をつけた記述を今度は「無関係」という理由で削除を行なっているようです[6]。特筆性の有無かどうかはksさんの一存で決めれる問題ではないはずで、ノートで話し合いをと言っているのですが、対話の拒否(「もう会話する気はありあせん。好きにやってください。こちらはこちらの考えで書くなり消すなりしますので」)を貫いて、削除を実行し続けているのは編集合戦を仕掛けているということにはならないでしょうか。
私は編集合戦を起こしたくないので、今回は私がこんな自明なことを書かざるを得なくなった「「外人」を「外国人」の略語でなく、文字通り「外」と「人」の組み合わせた語とみた場合、「外の人」つまり「よそ者」と解釈される」という記述の方をを削除することでバランスを取ることにします。
英語版の出典を引用して、外人項目を再建してはどうかという道筋が見えてきたところですが、このような編集姿勢を取る方と一緒に記事を作っていけるかと考えると難しいと言わざるを得ません。このままいけば白紙化の上、日本の外国人リダイレクト記事に留めるしかありません。もともと出典がなかった記事なのでやむを得ないといえばやむを得ないのですが。--Littlefox会話2012年7月2日 (月) 09:13 (UTC)[返信]

今日までに記事を新たな出典が示されなかったため、一旦白紙化しました。--Littlefox会話2012年7月29日 (日) 09:02 (UTC)[返信]

議論する気はないので、事実を指摘するにとどめます。
「「外の人」つまり「よそ者」と解釈される」という記述の方をを削除することでバランスを取ることにします」
  • しませんでしたね。理由は簡単、そもそもそんな記述が存在しないから。
削除されたものを回復しませんでしたね。
  • まっとうな出典じゃなかったからですね。
それ以外の論旨にも、出典がつけられなかった。で、「出典がなく、中立性も保たれていないため」ですって。
  • 言葉は正しく使うべき。「出典が出せなくて、自分の納得できる論旨に誘導できないため」ですよね。ご苦労様ですな。この記事は、いずれ復活させましょう。もちろん出典をつけて、ですが。それでは。--Ks会話2012年7月29日 (日) 11:49 (UTC)[返信]
は?削除しましたよ差分。なぜすぐバレる嘘をつくのか理解できないです。
一応、言っておきますが、「敵」が私ひとりだと思ったら大間違いです。そもそも要出典タグを貼ったのは私ではありません。私ではなく、あなた自身が「出典が出せなくて、自分の納得できる論旨に誘導できないため」に、出典要求された文章に出典をつけるのではなく、それへの反論の方を削除してごまかそうとした差分 。これがこの論争の発端であることを自覚していただきたい。
「自分は悪くない相手がおかしいんだ」と思ってしまう感情は、人の弱さと理解できなくもありませんが、そのまま吐露しても現実はあなたに合わせてくれません、他人に対する説得力ももちません。もうちょっと自分が間違っているかもという疑念を持ってください。多分あなたは大人でしょう。捨て台詞を吐くにしても最低限の礼節は守ってください。あんまり他人を疲弊させることばかりするならコメント依頼を出しますよ。--Littlefox会話2012年7月29日 (日) 21:28 (UTC)[返信]

外人と外国人

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外国人(例えば、白色人種の人)が日本に帰化すれば、外見が変わりませんから、そういう意味では、場合によって外人と言われても仕方ないと思います。ただ、ある種のポリティカル・コレクトネスによって、外人の代わりに「外国人」と呼ぶのでしょうか。ただ、外国人とは、本邦において、日本の国籍を有さない人のことを指すわけですから、その人が帰化した事実を否定するに等しいです。それはそれで随分差別的な気がします。「外国人風」という表現はありますが、かなり長いですね。外人はもっぱら人種のことを指し、外国人は国籍のことだと理解していましたが、違うのでしょうか。ちなみに、当事者です。--Maidodo会話2021年6月7日 (月) 00:41 (UTC)[返信]