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ノート:九州の役/過去ログ3

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「九州征伐」への再改名提案

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「九州平定」への改名議論(九州平定という記事は九州平定事象全般の記事として、議論中に作成されてしまいました)は未だに終了していませんが、私はこの項目を「九州征伐」という項目名に戻すことを提案します。Wikipedia:記事名の付け方にある、「認知度の高さ」「見つけやすさ」において「九州の役」より適切であると感じるからです。「九州征伐」を、豊臣氏による島津氏攻撃・天下統一事業の一環として使用している書籍を以下に数点挙げます。

  • 図解戦国史     成美堂出版  2009
  • 豊臣秀吉と天下統一 双葉社    2008
  • 豊臣秀吉事典    新人物往来社 2007
  • 大辞林       小学館    2006 
  • 大辞泉       小学館    1998
  • 万有百科大辞典   小学館    1973
  • 豊臣時代史     明治書院   1925

そもそも「九州の役」への改名は、以下の2点を動機として行われていました。

  • 「征伐」という言葉が中立的でない。
  • 記事をより戦役として厳密に定義するためには「九州の役」が最適である。

しかし、前者は「中立的な観点」の履き違えであり、後者に関しては「この記事を純粋な戦役記事とする」という前提が合意されてないように思われます。対して「九州征伐」は戦役的な意味合いも歴史事象的な意味合いも持っています(この点は九州平定も同様ですが)。したがって、この記事名の根拠は非常に脆弱なのです。改名提案に当たって、みなさんの意見を求めます。--秋田城之介 2010年10月30日 (土) 15:06 (UTC)

反対 戦役としての経緯を無視した上で、わざわざ差別的な言葉に言い換える必要はない。Yasumi氏も指摘していますが、流行語大賞を決めているわけではないのです。定義に関して深く考えることもせず、出典だけ挙げればいいというものでもないでしょう。--三階菱 2010年10月31日 (日) 05:17 (UTC)

賛成 「差別的な言葉だ」という理由に根拠が出ていないのですから手続きに則って粛々と改名しましょう。--プリズム11 2010年10月31日 (日) 05:51 (UTC)

反対 差別的かどうかは抜きにして、100%豊臣側視点に立つ用語であり、少しも中立的でないことは明白でしょう。詳細な理由は後で書きますが、とりあえず反対の意思表示をしておきます。--Chokorin 2010年11月1日 (月) 01:12 (UTC)

コメント - 態度表明まで行かないのですが、ちょっと永原慶二監修『岩波 日本史辞典』(1999年10月)で調べてみました。「小田原攻め」は「関東平定」の項で、「紀州平定」、「九州平定」(秀吉が島津を破り、九州を政権の支配下に置いた)、「四国平定」と「平定」に揃えています。つまり、上にあげた戦いは、秀吉の全国平定事業の一環として行われたという観点・見方・考えのようです。--Sashimu 2010年11月2日 (火) 01:08 (UTC)

提案 以上のように改名反対が多数を占めていますし、中立性に問題のあるレベルの低い改名提案であるので、早期終了を提案します。--三階菱 2010年11月3日 (水) 07:52 (UTC)

現状は、とても改名反対が多数を占めているとは言えないでしょう。--秋田城之介 2010年11月6日 (土) 08:04 (UTC)
反対 「九州征伐」への新改名提案を読んだ上で、今まで通り「九州の役」の項目名を支持します。「九州征伐」への改名は「九州平定」と変わり映えせず、更に退行しているように思えます。
さて、現在も継続中の改名議論にて、つい先日まで「九州平定」をアクティブに推していた小判キングさん、秋田城之介さん、プリズム11さんの三人の内、二人が宗旨替えをして「九州征伐」へ転向されたことに驚いています。当然ですが、従来主張の「九州平定」案との整合性・優位性について以下の説明が必要かと思います。ご回答下さい。
Q1.項目名として「九州平定」と比較した場合の「九州征伐」の優位性がどこにあるのか?
Q2.項目名として「豊臣秀吉の九州征伐」と比較した場合の「九州征伐」の優位性がどこにあるのか?
Q3.項目名が「九州征伐」に改名されたとして、九州平定#豊臣秀吉の九州平定の項目との違いはどこにあるのか?
また、現在、この項目の定義は「豊臣と島津の戦争」ですが、提案者の秋田城之介さんは 2010年10月30日 (土) 15:06 (UTC) に記事を「豊臣氏による島津 氏攻撃・天下統一事業の一環」と定義づけています。同時に提示された「九州征伐」の出典も戦争定義ではなく秀吉による征伐と定義されたものが選ばれています。
Q4.従って、秋田城之介さんの改名提案は記事の定義を「豊臣と島津の戦争」から「豊臣秀吉が九州を征伐したこと」に変更することを伴うのですか?
Q5定義変更が前提であれば、秋田城之介さんは2010年8月29日 (日) 07:43 (UTC)に「歴史的にも被平定側(島津・秋月等)の行動は平定とは言い難いでしょう」と仰られていたので、被征伐側の行動は九州征伐とは言えず、削除の対象とするということでしょうか?
なお、前回の改名は合意が形成された結果であり、それなりの尊重をいただきたいと思います。そして、記事が中立的描写された戦争であるので、記事名も戦争名として中立的なものが相応しいというのはとても論理です。改名当時、反対はありませんでした。そのまま適用されるわけではありませんが、プロジェクト:軍事史#記事のガイドラインの方針にも則っていると考えます。
この議論をどうするかについて、問い合わせをさせて頂きましたが、今だ合意形成に到るプロセスの提示をいただいていません。私は、以前提案した通り、ノート:九州の役/過去ログ2#改名提案の論点整理の様な形で、双方の主張をまとめ、最後は調査投票でコミュニティの支持に従うべきではないかと思います。改名を進める立場の方から、同意または別提案による合意プロセスが表明されることを望みます。--Yasumi 2010年11月7日 (日) 11:06 (UTC)
「九州平定」に対する「九州征伐」の優位性も「九州の役」に対する「九州征伐」の優位性も証明されないために、今回の改名案はどう考えても正しい提案でないことは明らかですね。--三階菱 2010年11月8日 (月) 07:20 (UTC)
  • 「「九州平定」と比較した場合の「九州征伐」の優位性がどこにあるのか?」 - これまでの議論の中で「どれが正しいということはないが、少なくとも九州の役という用語は明らかに文献の中で使用例が少なく、不適切である、ということだったと思いましたが。
  • 九州平定#豊臣秀吉の九州平定の項目との違いはどこにあるのか?」 - 違いはないでしょう。例えば九州征伐に移動するなら移動後に九州平定#豊臣秀吉の九州平定の内容を一部移動すれば済むことと思います。
  • 九州の役が使用例として少ないことはすでに根拠を出して頂いていますので、まず「九州の役からの改名に賛成なのか」どうかの確認を取った上で反対の方には九州の役の方が使用例が多いという根拠を出して頂き、それが賛成多数となった上で「何に改名するのか」を議論する、という風に論点を2つに分けた方が良いようにも思えます。--プリズム11 2010年11月9日 (火) 00:08 (UTC)
文献の中で使用例が少ないというプリズム11氏の所感で述べられても無意味ですね。文献中でどのように使われているかも問題だし、九州の役の何が不適切なのでしょうか。九州平定の記事と違いが無いのであればなぜ改名する必要が有るのでしょうか?記事の定義変更に対してはどういう意見なんですか?問題を都合良く単純化しても議論したことにはなりません。--三階菱 2010年11月9日 (火) 10:05 (UTC)

コメント Yasumi氏への返答です。「九州征伐」や「九州平定」は共に、「九州の役」と違い多くの事典に項目が存在する点では同じですが、「九州征伐」は「九州平定」に比較すると秀吉のものとしてより限定されます。九州平定の豊臣秀吉の項目はある意味、ダイジェスト的なものであるべきと考えます。また定義変更と言われますが、この記事は元々「九州征伐」であり、「九州の役」へ改名する前に定義に関する議論と合意が不十分である点は指摘しておきます(「九州の役」への改名プロセスとは別ですが)。--秋田城之介 2010年11月13日 (土) 07:06 (UTC)

「「九州征伐」は「九州平定」に比較すると秀吉のものとしてより限定されます」とおっしゃいましたが、その根拠は何でしょう。「源範頼」の記事でも用いられているようですが。--Chokorin 2010年11月14日 (日) 01:30 (UTC)
記事文中では平氏討伐や九州進軍という表記もありますが、その項の「九州征伐」の出典はどういったものでしょうか?--秋田城之介 2010年11月14日 (日) 03:06 (UTC)
プリズム11さんも秋田城之介さんも、改名提案をすのであれば私の5個の質問に一々回答願えませんでしょうか?特にQ4は議論の根幹に関わることなので、避けて通れず、どうしても回答していただく必要があるように思います。
定義がどうでも良いのであれば、「九州征伐」より「征伐」の頻度の方が格段に上でしょう。しかし、我々がいま議論している記事は中立的に描写された「豊臣と島津の戦争」であり、一方的に描写された「秀吉が九州を征伐したこと」ではありません。一方、後者の事例を持ち出して使用頻度が高いと主張されるのは、記事の定義をそのままにしているとすれば、論題のすり替えです。
ですから、記事の定義を「秀吉が九州を征伐したこと」へ変更した上で「九州征伐」へ改名するのか?それとも、記事はそのままで「九州征伐」へ改名するのか、提案内容の照会を行っているのです(逆に言えば、「平定したこと」「征伐したこと」を「九州の役」と呼ぶ例は無いと思います)。
ちなみに、『日本戦史』『大日本戦史』『近世日本国民史』では、戦争名として「九州の役」を使っている他、平定したことについては「九州平定」としていますし、秀吉の名分であれば「九州征伐」という言葉をそれぞれ選んで使用しているように思います。議論の対象を取り違えているのであれば重大な問題です。
なお、秋田城之介さんのコメントに対しては更に質問があります。
  • 「「九州征伐」は「九州平定」に比較すると秀吉のものとしてより限定されます。」 >根拠は何ですか?限定度で比較すれば両者は他の事例を差す場合もあり、「九州の役」の方が更に秀吉のものとして限定されて優位性がありますよね?
  • 「九州平定の豊臣秀吉の項目はある意味、ダイジェスト的なものであるべきと考えます。」 >根拠や必要性は何ですか?秋田城之介さんは「九州平定」と「九州征伐」を同定義と認識しているように思えます。
  • 「定義変更と言われますが、この記事は元々「九州征伐」であり」 >上記で再照会していますが、定義を変更するのか否か、改名の大前提はずですので、ご明言をお願いします。
  • 「「九州の役」へ改名する前に定義に関する議論と合意が不十分である点」 >そのように思いません。改名前後で定義は変わっておらず、戦争記事に中立的な戦争名称を付けるという合意が形成されています。--Yasumi 2010年11月14日 (日) 09:14 (UTC)
秋田城之介・プリズム11両氏がYasumi氏の問いに答えかねているのは、中立性と定義などの核心を突かれたくないからでは?と勘ぐってしまいますね。逃げないで答えてほしいものです。--三階菱 2010年11月16日 (火) 09:56 (UTC)
私が何に対して「答えかねている」のでしょうか?理解に苦しみます。--秋田城之介 2010年11月16日 (火) 11:27 (UTC)
Yasumi氏の質問に対して正面から答えないから、答えかねていると捉えられるのですがね。--三階菱 2010年11月19日 (金) 05:53 (UTC)
コメント まず、Yasumi氏の形式に則ってYES/NOで回答する義務は私にありませんが、Yasumiさんの言われる定義が「純粋な戦役」ならば、私の提案は定義変更になりえます。「征伐」というのは上下関係・大義名分を字の如く示し、実際そのように使用されているから「限定」されるのです。Yasumiさんが「九州征伐と征伐の比較」を例に出す意味が全くわかりません。九州平定の豊臣秀吉の項目はある意味、ダイジェスト的なものであるべきと考える理由は、まず一般に「豊臣秀吉の九州平定」は結果のみを定義として書かれていないため、九州征伐と多く重複してしまうのは仕方ないことです。また、当該項目はこの項の改名議論途上で作成された経緯もあり、両ページ間の整合性は改名議論に対して本質的には無関係です。
「改名の前後で定義は変わっていない」と言われますが、九州の役へ改名前の定義文変更の際、議論・合意が無かったようですが、改名によって追認されたと言うのでしょうか?また、Yasumi氏・三階菱氏・Chokorin氏は共通して「中立的呼称」を誤解しているように感じます。戦争当事者間に対しての中立性と、出典・識者間論争に対しての中立性は全く違うものです。戦争当事者間に対しての中立性を保たなければいけないのであれば、「島原の乱」、「承久の乱」、「長州征討」も中立的ではないということになってしまいますが、いずれに対してもこのような「中立性」の適用は誤りだと考えています。--秋田城之介 2010年11月16日 (火) 11:27 (UTC)
2点ほど質問。「九州征伐」は秀吉に限定されず、源範頼などにも使用されるという共通理解で議論を進めてよいのでしょうか。戦争当事者間に対しての中立性と出典・識者間論争に対しての中立性は全く違うというのは、そりゃそうだろうと言うしかありませんし、秋田城之介さんが「戦争当事者間に対しての中立性は保たない方がよい」というふうにお考えなのはよく理解できましたが、ということは、当該記事は完全に秀吉側に立って書き直されてもよいというふうにお考えですか。--Chokorin 2010年11月16日 (火) 12:32 (UTC)
源範頼などにも使用されるという理解はしておりません。また、Chokorin氏がおっしゃっている「戦争当事者間に対しての中立性」というのは「考慮の外」であり、「保たない方が良い」とは思っていません。秀吉側に立った改訂に近いかたちになるでしょう。--秋田城之介 2010年11月20日 (土) 08:10 (UTC)
秋田城之介氏は、かなりはぐらかしているように見えます。今までのコメントを見ると、結局この提案が、Wikipediaの中立性指針に反していると公言をされているだけのようですね。--三階菱 2010年11月19日 (金) 05:53 (UTC)
私としては、私の質問にしっかり答えて頂きたいです。つい最近まで「九州平定」を推していた人はそれなりの根拠があったでしょうに、急に「九州征伐」に乗り換えたのですから、それなりに比較優位の理由があるのでしょう。私の質問にたえられない理由はなんでしょうか?
そして改名の前提として、定義変更があるのにそれを提案者がはっきり提示しないのは、議論対象を誤らせて混乱を招くため大問題です。提案者は今後の記事をどうするつもりなのか具体的に説明する必要があるでしょう。むしろ、定義変更を行うかどうかについて合意を取り付けるのが先です。この記事を豊臣視点のみで描写された征伐事業に編宇するのであれば、記事の定義・被征伐側の描写などが影響を受けますし、なにより「豊臣秀吉が九州を征伐したこと」を「九州の役」と呼称する事例は見かけたことがないので、そもそも記事名の候補に挙がらないと言うことになります。そして少なくとも、私は現在のこの記事は「豊臣と島津の戦争」であると認識しています。--Yasumi 2010年11月19日 (金) 22:50 (UTC)
私の回答をお読みになっていますか?質問には11月13日・16日のコメントでも答えています。何度も同じような回答はしたくないのですが、「九州平定」では「豊臣秀吉の~」をつけるべきという見方もあり、実際「豊臣秀吉の九州平定」でも良いかと思いましたが、各種事典類に多く、「豊臣秀吉の~」を付与しなくとも済む「九州征伐」を推すに至っています。また、「九州征伐」と「九州平定」の比較をするのはあまり意味が無いことだと思います。「九州の役」から「九州征伐」へ改名しようとしているのですから。
定義変更といいますが、前回の定義変更は合意を経たものではなく、その合意なき定義変更を根拠に改名が行われたので、その是正の意味でこの記事を定義変更するべきだと思っています。Sashimu氏も指摘の通りですが、九州征伐とそれに伴う戦いの通史は、通常の歴史事典などでは秀吉側視点のものが多く、その意味でも適切だと考えています。また、私は定義変更・改名をセットに考えております。--秋田城之介 2010年11月20日 (土) 08:10 (UTC)
本記事の定義変更には反対です。前回の定義変更は合意を経たものだと理解しておりますし、前回の改名から何ヶ月も経過してから「前回の定義変更は合意を経たものではない」というのは、後出しジャンケンもよいところです。また、個人的には、本記事に何度か加筆しておりますが、秀吉と島津氏のあいだの戦役記事であることを前提にして加筆しています。したがって、加筆者のひとりとしては、定義変更をともなわない改名(たとえば「九州攻め」)には賛成できますが、再び定義変更をおこなっての改名には賛成できません。もとより、「九州の役」改名前に巻き戻すことについても反対です(他の加筆者にも伺いを立ててください)。また、「九州攻め」「九州平定」ともに「秀吉視点」であるといえば、確かにそうは言えます。しかし、「九州征伐」では島津氏の行為や立場は一方的に断罪されてしまいます。以前も書きましたが、それを理由に「征伐」の語を使用することに関しては、専門家からも根強い批判があります。すなわち、単に戦争当事者間の中立性ばかりではなく、一定の価値観の強制をともなうゆえに回避すべきということです。「九州征伐」については、源範頼についても「源範頼#九州征伐」という用法がなされていることもあり、本記事へのリダイレクトではなく「九州平定」へのリダイレクトがより適切と考えます。異論なければ、そのように変更したいと思いますがいかがでしょうか。--Chokorin 2010年11月20日 (土) 13:42 (UTC)
「九州征伐」が議論無く定義変更されたことには変わりなく、これを看過することは私にはできません。改名自体の無効を言っているわけではありませんが、厳密なる定義にこだわる方が、議論無き定義変更を肯定することは、私には理解できないことです。中立性に関しても、当事者間の中立性は考慮外であるべきだと以前示しましたし、歴史事典類から秀吉視点の事象名に問題があるとは思えません。「九州征伐という名称を避けるべきだ」と主張する学者が居たとしても、ごく少数でしょうし、各種事典でも見られせん。また本件提案者の立場から、Chokorin氏のリダイレクト案にも反対を表明します。--秋田城之介 2010年11月29日 (月) 06:18 (UTC)
(秋田城之介さんの 2010年11月20日 (土) 08:10 (UTC) について)
「各種事典類に多く」 >この観点だけで見れば、比較優位にあるのは「九州平定」であり、「九州征伐」は優先できないはずです。
なお、本記事に使われる出典で殆ど見かけない用例ながら、秋田城之介さんが提示した事典類の定義は「豊臣と島津の戦争」であり、だからこそ「九州の役」と競合していたわけです。しかし、今回の秋田城之介さんが提案しているのは定義を変更して「豊臣秀吉が九州を征伐したこと」ですので、別定義の事例の混入であり、改名の根拠としては不適切ですし、議論の混乱の元です。提案内容と異なる根拠は削除し、提案内容に沿った根拠の取捨・提示をお願いします。
「「豊臣秀吉の~」を付与しなくとも済む「九州征伐」」 >Chokorinさんも指摘していますが、「九州征伐」はほかの事例でも使われていますので、秋田城之介さんの改名論理では「豊臣秀吉の~」は付与した方が正確性は優勢となるでしょう。
「「九州征伐」と「九州平定」の比較をするのはあまり意味が無いこと」 >いままでの議論や他人の意見を無視しないでください。小判キングさんなどは改名候補として「九州平定」を推しています。「九州の役」から「九州征伐」へ改名提案するのであれば「九州の役」現状維持案とともに「九州平定」案とも競合しますので、当然比較を行って優位性のある記事名にする必要があります。また、秋田城之介さんも先だっては「九州平定」を推していたので、根拠や理由無しに宗旨替えをしたのであれば新提案にも説得力を欠きます。
「前回の定義変更は合意を経たものではなく」 >これについても、私の認識だけでなく「前回の合意はあった」(少なくとも反対はなかった)という論者が居られます。もし今後の議論で秋田城之介さんの取りつけた合意が踏みにじられたらどう思うでしょう?前回の合意を踏まえた上で、変更すべきであるなら新たなる合意を取り付ける必要があります。
「(秀吉側視点からの)九州征伐とそれに伴う戦いの通史」 >そのような記事が書きたいのであれば、そのような出典から別の記事を書けばよいとおもいますし、その記事は九州平定のように思えます。
当初議論の対象だった後半に付属記事として定義された「戦いの通史」についても、『九州の役』以上に質量共に単著で研究された出典はありません。本記事は「豊臣と島津の戦争」を専門的に取り扱った参謀本部『九州の役』より、テーマ・構成・内容を基幹出典として作成された記事であり、その他にも各部に「九州の役」を呼称とした出典群を擁する記事です。
部分記事の出典ならともかく、『九州の役』以上に重点的にこの戦争を扱った基幹出典が見込めない以上、『九州の役』より作られた「豊臣と島津の戦争」の記事名として「九州の役」は妥当だといえるでしょう。
改名議論に見えましたが、異なる定義を対象にするのであれば、議論がひっくり返ってしまいます。本記事の定義を 「豊臣と島津の戦争(中立視点の戦争記事として描写として現状維持)」or「豊臣秀吉が九州を征伐した事(秀吉視点で一方的描写として変更)」 のどちらかにする。 その上で、「九州の役」or「九州平定」or「九州征伐」or「その他の案」へ改名するという二段階の整理になると思いますが、いかがでしょうか?(なお、定義が後者の場合は「九州の役」呼称は該当しなくなると思われます)
--Yasumi 2010年11月27日 (土) 06:55 (UTC)
各種事典類に多いという観点だけで推しているわけではありませんし、「九州平定」案に反対していたYasumi氏が、本案議論時に限って九州平定を引き合いに出すのはご都合主義だと思います。
現状の事典類を参照すれば、九州征伐や九州平定、九州征討などの表記の揺れはあるものの、戦役的意味と事象的意味があり、改名したとしても戦役的意味がなくなるわけではありません。「異なる定義を対象にするのであれば、議論がひっくり返ってしまいます。」とおっしゃいますが、ならばなぜ九州征伐を九州の役へ改名したのでしょうか?--秋田城之介 2010年11月29日 (月) 06:18 (UTC)

(コメント)まったくもってYasumi氏に同意です。そもそも提案者は根拠もない提案をしたばかりか、反対者の質問に対してマトモに回答をしていないままです。秋田城之助氏は、中立的観点に立たず根拠も薄い「九州征伐」への改名を諦め、早いうちに提案を撤回したほうが良いと思います。--三階菱 2010年11月28日 (日) 08:07 (UTC)

あなたは偏った視点で議論を俯瞰しているようですね。「マトモに回答をしていない」というのはあなたが私の発言を読んでいないか、あるいは曲解しているのではないでしょうか。--秋田城之介 2010年11月29日 (月) 06:18 (UTC)

報告 私の提案からおよそ一ヶ月経ちましたが、未だ議論は平行線ですので、合意形成に向けられるようコメント依頼/要合意形成案件として掲示しました。--秋田城之介 2010年11月29日 (月) 06:18 (UTC)

(秋田城之介さんの 2010年11月29日 (月) 06:18 (UTC)について)
どういうことでしょうか?現在の記事の定義は、
  • 羽柴秀吉(1586年9月9日、豊臣賜姓)と島津氏との戦いの総称である[1]。
です。2009年3月31日 (火) 12:17 に蚯蚓さんが行った征伐から役への改名移動時の記事の定義は、
  • 羽柴秀吉(1586年9月9日、豊臣賜姓)と島津氏との戦いの総称である。
とあります。このように本記事の定義は現在も前回の改名時も、戦闘の上位概念である戦争であり、改名の前後で記事の定義は変更されませんでした。
記事の内容についても、豊臣方・島津方の双方の動きを客観的中立的に描写した戦争自体の推移・開戦経緯・戦後処理など戦史記事に相応しいものです。
また、これまでの議論も戦争記事を前提として何度も繰り返されたものですし、秋田城之介さんご自身が改名の根拠として提出した「事典類」の定義も戦争です。
また、前回の改名議論時も、
  • やっぱり、戦役なんだから役が適合・・・--蚯蚓 2009年3月9日 (月) 08:16 (UTC)
  • 戦役名称として公刊戦史や論文タイトルなどに使われてきた名称・・・--yasumi 2009年3月26日 (木) 11:40 (UTC)
と、戦争記事であることが確認されれて改名が合意されましたし、合意に対して反対はありませんでした。過去の合意を尊重し、それを覆すのであれば新たな提起と合意を形成して下さい。
  • 「中立性に関しても、当事者間の中立性は考慮外」 >秋田城之介さんが中立性を考慮しなくても構わないと主張されること自体は理解しました。まあ、私は当事者間の中立性に留意しても良いと思いますが。しかし、この意見は対話のポイントを外しています。ここで注目されている中立性とは記事を描写する視点であり、秋田城之介さんは 2010年8月29日 (日) 07:43 (UTC)に「歴史的にも被平定側(島津・秋月等)の行動は平定とは言い難いでしょう」と言われていますので、おそらく同様に被征九州伐側の行動は九州征伐とは言わないので、それらは本記事から排除されて秀吉視点の征伐行為のみ残されるのでしょう。しかし、現在の記事は中立的な描写をした戦争記事なのです。
秋田城之介さんの次々なるコメントを読んでいると、当初はこの記事の定義を「中立視点の戦争記事」と見て戦争定義の事典類を根拠に提出していたり、いやそうでなく記事の定義を変更して「中立視点の戦争記事」から「秀吉視点の征伐記事」へ変更する主張であるといわれてみたり、どうも定義には戦争の意味も残すようでもあり、変遷しているように見えます。
改名に先立って、定義を変えるのであれば、
  • 1.明確に変更提案に伴う定義文を明示する。
  • 2.そして定義と異なる根拠は取り下げる。
と、現状維持との対立点を明確に示さねばなりません。
  • 各種事典類に多いという観点だけで推しているわけではありませんし、「九州平定」案に反対していたYasumi氏が、本案議論時に限って九州平定を引き合いに出すのはご都合主義だと思います。 >改名提案なのに比較的優位な名称を選ばない、そして自己の提出した論理の検証から眼を逸らしている方がご都合主義だと、私は思います。この記事が「秀吉視点の平定記事」であるならば「豊臣秀吉の~」が頭に付くほうが良いという意見を私は当初から述べています。しかし、前述の通り本記事は戦争記事ですし、戦争として扱った最大の基幹出典(主題・構成・内容)と同じ呼び名の「九州の役」が最も適していると思います。この主題を扱った単著は他に見当たりませんし、質量共に『九州の役』以上に典拠した出典はないと思います。
  • 九州征伐や九州平定、九州征討などの表記の揺れはあるものの、戦役的意味と事象的意味があり、改名したとしても戦役的意味がなくなるわけではありません。 >それで、定義文に戦争であると残すのですか?残さないのですか?記事名や記事をいじるのであれば、変更提案は具体的にお願いします。
  • 「異なる定義を対象にするのであれば、議論がひっくり返ってしまいます。」とおっしゃいますが、ならばなぜ九州征伐を九州の役へ改名したのでしょうか? >戦争記事の戦争名として項目となっていた「九州征伐」を、より戦争記事の戦争名として相応しく・出典との整合の取れた「九州の役」へ合意形成を以って改名されています。
--Yasumi 2010年12月3日 (金) 21:10 (UTC)

あなたの理屈からすると、まず最初の定義文の変更の際に議論(定義もそうですが、記事の方向性に対して)が無かったというのは由々しき事態のはずです。繰り返しになりますが、「なぜ九州征伐を純粋な戦役記事と定義し、その後その問題が省みられることなく改名に至ったのか」これは定義論を振りかざせば大問題でしょう。理由も述べられていないし、この点に目を向けないで現状維持を主張するのは理解できません。
私としては各種事典類における九州征伐の定義が事象・戦役双方の意味合いを持っているため、それに沿ったコメントをしていますが、変遷しているというのは誤解だと思います。
また、私のほかにSashimuも指摘していますが、このような事象・戦役は歴史学的に豊臣氏側から触れられていることが多く、そのような中あえて「中立的な戦役記事」を推し進めるのは独自研究の度合いを強めるものであります。--秋田城之介 2010年12月8日 (水) 07:56 (UTC)

前回の改名時に記事の定義の議論はありましたし、すでに説明済みです。また、「純粋な戦役記事」とは秋田城之介さん独特の定義でしょうか?私には意味不明であり、説明が必要でしょう。この記事は、普通に開戦経緯から終戦処理までを中核として扱っている戦争記事です。
「九州の役」の改名前のタイトルが「九州征伐」で合った時も
記事定義は戦争でしたし、
記事内容も戦争でした、
そこで項目名に使われていた「九州征伐」も当然戦争の意味であり、
改名議論中にも取り沙汰され、
最終的に「戦争記事には戦争名称が一番相応しい」という論理で合意しています。
秋田城之介さんがこの記事の定義を変化させるのであれば、定義文の案を提出すべきだし、ハッキリさせる必要があるでしょう。
その上で、「定義を何にするのか?」「記事名を何にするのか?」の二つの結論を導く必要があるでしょう。
いずれにしろ、秋田城之介さんは、
「歴史的にも被平定側(島津・秋月等)の行動は平定とは言い難いでしょう」と仰られたり、
「私としては各種事典類における九州征伐の定義が事象・戦役双方の意味合いを持っている」と仰られたり、
一方的に秀吉の事績を描写した名称を持ち出したり、中立的に戦争を描写した名称を持ち出したり、両方であったり、と提案内容に含まれる前提や変更点は総て明示する必要があると思います。
私としては、この記事のテーマ・構成・内容で質量共に最も詳しい出典が『九州の役』であり、記事本文も「九州の役」の呼称で扱っている出典群に比重を置いて記事が生み出されている以上、この記事と最も適合する呼称は「九州の役」であるという結論は動かせません。
さて、コメント依頼から一週間以上が経過しましたが、秋田城之介さんは合意に向けて、この議論をどのようにするつもりですか?:私は前回の改名と同じように、議論で出た意見を集約の上、調査投票の多数で決着をつける他に案を持ちません。--Yasumi 2010年12月10日 (金) 20:54 (UTC)
前回の議論に定義変更のための議論なんてどこにもありません。定義が変更されたような前提で改名議論を進める利用者がいたのは確かですが、議論なしに定義文が置き換わっています[[1]]。なぜ定義文を置き換えたのか、あるいはそれを理由を述べること無く追認したのか、Yasumiさんからの説明は未だに無いようですが?あと、「中立的に戦争を描写した名称を持ち出したり・・・」とは私のどこの発言をさしているのでしょうか?私が主張しているのは、「各種事典類における九州征伐の定義が事象・戦役双方の意味合いを持っている」点と「秀吉の事績として描写されたケースが多い」という事実を以って主張しているまでで、事典類において事象・戦役の区分が必ずしもハッキリしないものに対して、定義を一本に絞らなければならない理由はありません。
最終的な調査投票に関して反対はしませんが、Yasumi氏でさえ私の発言をミスリードされている部分もあり、不安要素が多く残りますが、まずは以上に述べた点に対してコメントしてほしいです。その上で、第三者に対してもわかりやすくするのがベストでしょう。--秋田城之介 2010年12月15日 (水) 03:54 (UTC)
何度も書いていますが、最も詳しい出典が『九州の役』であり、記事本文も「九州の役」の呼称で扱っている出典群に比重を置いて記事が生み出されている以上、この記事と最も適合する呼称は「九州の役」という論理が全く理解できません。なぜそうなるのか、ルールに則って説明して頂けませんか。--プリズム11 2010年12月10日 (金) 23:04 (UTC)
Wikipedia:記事名の付け方に基づいて、対象となる記事を最も正しく捉えているのが「九州の役」だからです。「九州征伐」や「九州平定」には戦争以外の意味があり、対象外の意味に対する根拠を出されても記事との関係が正確ではありませんよね?--Yasumi 2010年12月10日 (金) 23:20 (UTC)
Wikipedia:記事名の付け方に基づくのであれば、最初の定義文変更の時点でひずみが生じているわけで、Yasumiさんがそれを意図的に無視しているしているようにしか思えません。また、Wikipedia:記事名の付け方には「認知度が高い」「見つけやすい」という項目が有りますし、事典など出典数の重み付けも考慮すべきだと思いますが、現行「九州の役」にそれらがあるとは思えません。--秋田城之介 2010年12月15日 (水) 03:54 (UTC)

(コメント) 秋田城之介氏は中立性を無視し、Wikipedia:記事名の付け方について理解していない、そこでYasumi氏に対して「ミスリードしている」というのは責任転嫁にもほどがあります。わざわざ中立的じゃない差別的な名称のどこに利点があるのか、はっきりとした説明をしてくださいね。いまのところまったくないです。--三階菱 2010年12月18日 (土) 15:22 (UTC)

三階菱さんは「征伐は差別的な用語」というご自分の主張についてノート:征伐で反論されて再反論できていないのですから、それを放置したまま他でその主張をしないで下さい。またコメント依頼/三階菱も放置したままにしないでちゃんと対応下さい。--プリズム11 2010年12月19日 (日) 02:01 (UTC)
(秋田城之介さんの2010年12月15日 (水) 03:54 (UTC)へ)
定義は変更されていないので、定義変更の議論もありません。ただし、前回の改名時には(今も同じですが)この記事は戦争記事であるとの確認がなされています。現状を認めずに過去を否定するのであれば、変更議論をしっかりして下さい。今の記事定義をどうするのか?今の記事をどうするのか?が議論されてきたのですから。
「事典類において事象・戦役の区分が必ずしもハッキリしない」 >それはおかしいですよね。戦争の意味だけしか定義されておらず事象の説明は無い事典項目もあれば、戦争の意味に使われず秀吉が征伐したという事象のみの出典もあり、それを同一に提示しているのに「戦争・事象の両方の意味を持つ根拠」足り得るとは言えないでしょう?ある出典では戦争の定義をし、ある出典では事象の定義で使われている、つまり記事名としては曖昧な名前であり減点材料です。
(プリズム11さんの2010年12月19日 (日) 02:01 (UTC)へ)
九州征伐を支持しているプリズム11さんは秋田城之介さんと同意見なのでしょうか?どのような論理と論拠で改名を支持するのか問い合わせに対しては意見を開陳して下さい。
--Yasumi 2010年12月19日 (日) 12:22 (UTC)
何度も書いておりますが、現状の項目名はWikipedia:記事名の付け方に沿っておりませんので、それに沿う項目名への移動提案を支持します。これまで△11が意見を書いていないかのような書き方はご遠慮下さい。--プリズム11 2010年12月19日 (日) 15:11 (UTC)
[[2]] の行為が定義変更でないというのですか!驚きです、それは到底理解できない意見です。失礼ですが、それこそ現状を認めずに過去を否定していると思えてしまいます。
ある出典では戦争の定義をし、ある出典では事象の定義で使われている そうです。それが現状です。学者・著者の間でも定義は定まっていないのです。誤解を恐れずに言えば、それをあなたが無理矢理分けて考えようとするのは独自研究の域に入ることです。--秋田城之介 2010年12月24日 (金) 07:31 (UTC)
(秋田城之介さんの 2010年12月24日 (金) 07:31 (UTC)へ)
まさかとは思いますが、秋田城之介さんが異議を論じているのは2005年の記事の征伐から戦争への定義変更のことなのですか?通常の異議申立期間である1週間を優に越え、既に5年の時を経て現状の定義は戦争になっています。異議があるならば2005年の変更時にするべきでした。もう一度言います。現状の記事の定義は豊臣と島津の戦争です。我々は現在、その記事のタイトルをどうするかの改名議論をしているのです。
独自研究の域に入ること' >そうではないでしょう。独自研究でもなくでもなく「九州征伐」と呼ぶ場合、戦争と秀吉の行為という二つの意味があるのです。秋田城之介さんまでが「定義は定まっていない」と言われるほど曖昧な「九州征伐」という項目名ではガイドライン的にも優先されません。その点、記事内容と記事名が一致しており、また出典に於いても単著があるため、「九州平定」や「九州征伐」にはない優越性が「九州の役」には存在します。
(プリズム11さんの 2010年12月19日 (日) 15:11 (UTC)へ)
現状の項目名はWikipedia:記事名の付け方に沿っておりません >今までの議論で、改名推進派の方でさえ「九州の役でも間違っていない」という点は一致していたはずです(同じく、「九州平定」も「九州征伐」も間違ってはいない)。その中で比較優位が議論されておるのですが、途中参加されたプリズム11さんの「現状の項目名は・・・沿っていない」とのご発言は、どういう意味でしょうか?具体的にご説明下さい。具体的に沿っていない点が指摘できるのであれば明示して下さい。論理も論拠も提示しないでレッテルだけ貼られても困ります。仮に他者と同じであるとすれば、その旨を述べるべきでしょう。--Yasumi 2010年12月26日 (日) 10:46 (UTC)
Yasumiさんは<『豊臣時代史』大正14年には「第十五章 九州征伐」の章に「秀吉の九州征伐」という表現があり、この「九州征伐」は「秀吉の」行為であって戦争名称の表現ではないことが分かります。>と言っていますが、それだけでは「九州征伐」が複合的意味を持つ事実は否定されません。また同様に、私が過去に指摘した『九州役原文には、「豊臣ノ九州役ハ・・・」がある』という件を指摘したにもかかわらず、これも意図的に無視されているような気がします。
もともと「九州征伐」であった項目をわざわざ戦役として定義する理由とは何でしょうか?過去の改名議論が無効だと言っているのではありません。定義変更に関してもそれ自体が無効とは思いません(定義変更の根拠が無いのは由々しきことですが)が、私は一から考えた上で、定義を戻すべきだと申し上げているのです。出典というのは執筆者の恣意的な選択も受けますので、「何を出典としているか?」よりも「何が学問上・通俗上の主流か?」を重視すべきですし、そのために「認知度が高い」「見つけやすい」「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称」といった点が記事名において重視されるのです。--秋田城之介 2011年1月9日 (日) 08:44 (UTC)

話の腰を折るように感じられるかもしれませんが、小判キングさんによる「九州平定への改名提案」は終了ということで合意がとれているんでしょうか。記事「九州平定」が「九州の役」とは異なる対象・定義を扱うということで合意がとれるのであれば、提案されるべきは、「この記事の九州征伐への改名」ではなく、「九州平定の九州征伐への改名」になるでしょう。「九州平定」を単独記事として認めるかどうか、まずはそれを先に話し合われてはどうでしょう。そこが曖昧なまま、全然別の提案をされても、まったく無意味だと思います。--Chokorin 2010年12月25日 (土) 02:00 (UTC)

発言の趣旨がわかりませんが、Chokorin氏が執筆した「九州平定」には「九州征伐」とは言えない要素(事象・人物・時代それぞれバラバラ)が含まれており、これを直ちに改名できるとは思えません。--秋田城之介 2011年1月9日 (日) 08:44 (UTC)

Wikipedia:記事名の付け方に沿って下さい

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Yasumiさんは「今までの議論で、改名推進派の方でさえ「九州の役でも間違っていない」という点は一致していたはず」と仰っておられますが、単にちゃんとWikipedia:記事名の付け方を読まれていた方がおられなかったのだと思います。ルールを知らずに議論して来て合意に至ったと言う事実があったからといって、引き続きルールを無視する理由はありません。「具体的に沿っていない点が指摘できるのであれば明示して下さい。」とも書かれていますが、Wikipedia:記事名の付け方に書かれているそのままですよ。ここにWikipedia:記事名の付け方のほぼ全文をコピー&ペーストする意味があるとは思えません。--プリズム11 2010年12月26日 (日) 11:22 (UTC)

これまでにもすでに秋田城之介さんによって指摘されていますし、△11も再三注意を喚起して来ましたが、重複を覚悟で関連しそうな箇所を要約してみましょうか。Wikipedia:記事名の付け方によれば「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」が基本的なルールです。そのために「正式な名称を使うこと」「略号・記号・片仮名語を使わない」、さらに歴史的事件については「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称」というルールが挙げられています。

以上のルールをここの記事に照らすと「正式な名称」はないと思いますので「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称」ということになります。この観点からは過去の議論で「少なくとも九州の役が不適当であることは明らか」という結論になっています。

それで、Yasumiさんが主張している「最も詳しく、また一番利用している出典が使用している名称」という理由は、Wikipedia:記事名の付け方のどこに拠るのですか?--プリズム11 2010年12月26日 (日) 11:36 (UTC)

この観点からは過去の議論で「少なくとも九州の役が不適当であることは明らか」という結論になっています。 >プリズム11さんの説明は主観的な結論付けしかなく、途中の論理展開・論拠提示・比較対照がなく、「九州の役」が不適当である理由が説明が全然なされていません。つまりこれはプリズム11さん主張が主観論であった言うことでよろしいのでしょうか?
「最も詳しく、また一番利用している出典が使用している名称」という理由は、Wikipedia:記事名の付け方のどこに拠るのですか?--プリズム11 2010年12月26日 (日) 11:36 (UTC)
今一度、Wikipedia:記事名の付け方を引用してまとめてみましょう
  • 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を現すのに最も著名であると考えられるもの。
    • 記事を構成する信頼できる出典より、「九州の役」が量的にも質的にも最も顕著な名称として優越性が認められます。記事の内容を最も正確に表した名称のうち、記事の内容を最も一般的に表しています。
    • 一方、「九州征伐」を呼称に冠する出典は記事には使われていません。それどころか、出典には『九州の役』を冠する著作がありますが、『九州征伐』を名に冠する著作は一冊もありません。
  • 見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの)。
    • 「九州の役」は中立的な呼称であるため、被征伐側の島津氏や秋月氏、その他中立勢力の戦争への関わりをリンクするために無理なく使え、優越性があります。
    • 一方、「九州征伐」は一方的な呼称のため、被征伐側や中立勢力の戦争に関わった部分のリンクを貼るには適した名称ではありません。
  • 曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。
    • 「九州の役」は記事定義の通りの戦争名称であり、曖昧さが少なく、的確な名称のため、優越性があります。
    • 一方、「九州征伐」の征伐には元来戦争の意味が無く、的確ではありません。代名詞的用法として事典類で「豊臣と島津の戦争」という定義をされる場合もありますが、その他に「豊臣秀吉が九州を征伐した行為」の省略形や「豊臣秀吉が利用した政治的な大義名分」など戦争名称以外の意味を持つ呼称のため、曖昧な名称です。
  • 簡潔 - 短く、要点を突いているもの(曖昧さ回避の場合でも、カッコ内を短く保つことは必要です)。
    • 「九州の役」といえばこの記事のことを示すので優越性があります。
    • 一方、「九州征伐」は「秀吉の~」という主語を省略してしまっているため、別のいくつかの歴史事象の呼称に使われており、現時点で曖昧さ回避の可能性があります。また、九州征伐では「行為」・「結果」・「大義名分」・「目標」などの用法が多岐に渡るため、直感的にも戦争記事であるとの理解が難しくなります。
  • 首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。
    • 「九州の役」は関白由来の惣無事により→「小田原の役」→「文禄・慶長の役」と並んで中立的に戦争を描写した記事名に使われていている点で優越します。
    • 一方、「九州征伐」には、類型に「武田征伐」「紀州征伐」などの用例がありますが、改名提案が出ている場合もあり、戦争名称に「征伐」を使う記事は縮小傾向にあります。
  • 「正式な名称を使うこと」
    • 無闇に権威化する者ではありませんが、公刊戦史として『九州の役』があり、他の候補と比較して優越性があります。
    • 一方、「九州征伐」が正式であるという根拠は示されていません。なお、プリズム11さんも「「正式な名称」はないと思います」とコメントされているように「九州征伐」は正式な名称で無いと認識されており、「九州征伐」には正式名称という点に於いて「九州の役」を代替または優越する要素が現時点で示されていません。
  • 「略号・記号・片仮名語を使わない」
    • 上述とラップしますが、「九州征伐」は「秀吉の~」の主語が省略されています。
  • 歴史的事件 出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。
    • 記事が定義の通りの戦争である点に注目すれば、上述の通りに「九州の役」が「九州征伐」に優越します。
  • プロジェクト:軍事史#記事名
    • 記事の命名には中立的な用語が一方的な用語より好まれるとされており、「九州の役」が「九州征伐」に優先されます。
  • その他
    • 事典類では「九州の役」より「九州征伐」が優勢な点 >この基準で客観的に注目すべきなのは、圧倒的な呼称は無く呼称が一定していないということ。また、最も優勢なのは「九州平定」であり、この基準では劣位にある「九州征伐」は優先されません。
    • 「九州征伐」の用法 >更に記事に関する出典を探せば「九州征伐」を戦争名として使っておらず、例えば秋田城之介さんが提出した田中義成著『豊臣時代史』大正14年には「第十五章 九州征伐」の章に「秀吉の九州征伐」という表現があり、この「九州征伐」は「秀吉の」行為であって戦争名称の表現ではないことが分かります。
    • 避けられる「九州征伐」という表現 >藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』1985年では、p42「いわゆる九州征伐」のような回り込んだ表現があります。また、「征伐」という目標・結果に対して戦争を表すための「征伐戦」という回り込んだ表現もあるため核心を衝いた名称とは思えません。
--Yasumi 2010年12月31日 (金) 10:43 (UTC)
残念ながらあなたの書かれたものを全部読んでも「最も詳しく、また一番利用している出典が使用している名称」という理由がWikipedia:記事名の付け方で正当化されるとは思えませんでした。申し訳ありませんが、過去ログをもう一度読み直して頂けませんか。冒頭から、なぜ「九州の役」ではいけないのか、根拠を添えて皆様が延々書かれていますので。--プリズム11 2011年1月1日 (土) 00:18 (UTC)
こんにちは。このノートは過去ログ以来かな。
今までの経過読みました。どうやら私の拙速な改名投票が原因の一つですね。すみません。
ところで結局今何をしているのですか?後半になって議論というより意地の張り合いになっていますよ。折れるべきところはしっかり折れて「改名議論」をしましょうよ。これでは議論も終わらないし、かといって強制的に多数決をとっても禍根を残すだけです。
一度(過去ログを含めた)今までの議論をすべて読み直されてはいかがでしょうか。--蚯蚓 2011年1月5日 (水) 03:04 (UTC)
プリズムさんと同意見です。歴史上の当事者間での中立性はWikipediaの方針に存在しないにも関わらず、未だにそれを主張されていたり、公刊戦史だから他の資料を優越するなどといった主張も受け入れがたいものです。--秋田城之介 2011年1月9日 (日) 08:44 (UTC)
(プリズム11さんへ)これ以上Wikipedia:記事名の付け方と議論を読んでも、ご理解がいただけないのであれば、どうしたらよいのか途方に暮れそうですが、もう一度説明します。
記事の付け方より、「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を現すのに最も著名であると考えられるもの。」
  • ↑で太線強調したとおり、当たり前ですが記事名は「その記事の内容を現す」必要があります。記事名は記事を現す必要があり、「最も詳しく、また一番利用している出典」での呼称は記事との同一性・正確性からして重視すべきでしょう。
  • 一方、定義された記事が依存しておらず、かつ定義も一致しない出典を持ち出して「最も一般的」といっても、主語(記事)を無視して対象を違えているのであれば論理が成り立ちません。以前に「九州平定」よりもただの「平定」の方が「使用頻度が高い」ことを理由に記事名に優先されないことは合意されていたように思います。
  • そして「九州の役」は原義通りの戦争名称のため、出典に見かける使用例は全て戦争を表していました。
  • 一方、「九州征伐」は代名詞で在るが故に、その改名根拠に提出された出典が「現在の記事定義である豊臣と島津の戦争名称」を現しているかどうか疑惑が残ります。例えば秋田城之介さんが提出した根拠の『豊臣時代史』を検証しましたが「秀吉の九州征伐」という表現があり、この「九州征伐」は「秀吉の」行為であって、戦争名称の表現ではないことが分かりました。『九州征伐』を出典として「九州征伐」という記事が書かれていれば、(たとえ中立性が無くとも)そのような問題は出典と記事の一致により解消されていたでしょうが、現状は違いますよね。
  • そしてここで同時に浮かび上がるガイドラインの「曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。」に「九州征伐」が抵触することも瞭然となります。
  • 更にもう一言、添えれば、「豊臣秀吉の九州征伐」を呼称とする出典から記事を作ってみれば、より判然とするような気がしますが、プリズム11さんや秋田城之介さんの話を聞けば聞くほど、その「九州征伐」とは九州の役よりも九州平定#豊臣秀吉の九州平定により近似したものになっているようです。
(蚯蚓さんへ)お久しぶりです。強引に投票に持ち込むべきとは思いません。しかし、まさかこれまで改名提案と謳われていた議論が、現状の中立的観点から戦争を描写した記事を、一方的に豊臣方視点から見た征伐記事に変更する、そのような定義変更が密かに盛り込まれているとは思っていなかったのです。しかし、他の方にも含めて問いますが、それもこれも各論出尽くしているのであれば、調査投票の多数を以って現時点での呼称を落ち着ける他に手段はないと思います。他に合意に至れそうな代替の解決案があればご教示願いたいものです。
--Yasumi 2011年1月8日 (土) 05:09 (UTC)
「最も詳しく、また一番利用している出典での呼称は記事との同一性・正確性からして重視すべき」がどこから出て来たのかを毎度お聞きしています。--プリズム11 2011年1月8日 (土) 05:25 (UTC)
既に複数回述べた通りです、「その記事の内容を現す」という条件に合致しているからです。この記事を示さない「九州征伐」呼称の使用例を改名提案に持ち込まれても、「その記事の内容を現す」に該当しません。
それと、ここまで説明してご理解いただけないことに責任を感じないのですが、他に言うこともなく、合意への代案がなければ、多数決での決着を提案します。如何ですか?当然、コミュニティの支持に対しては合意願えますよね?--Yasumi 2011年1月8日 (土) 05:38 (UTC)
小田原、九州、四国で議論をし、結果同じ結論として役に変更しました。ここでの改名or現状維持はその他の記事にも少なからず影響すると思います。議論がまとまらないという判断は理解できますしそうするのが妥当でしょうけど、僕はもう少し時間を取り話し合いによって理解しあえるようになればいいなという希望を抱いております。
あるいは以前の改名議論(征伐の議論、および小田原や四国)などで参加された方々の主張を拝聴し、なにか分かりあう方策を探れればいいかもしれませんね。あとでノート等でそれらの方々に呼びかけてみます。
あまりにノートが伸びすぎたので本当ならそろそろ終わらせるべきなんでしょうけど。--蚯蚓 2011年1月8日 (土) 12:45 (UTC)
(秋田城之介さんの2011年1月9日 (日) 08:44 (UTC)について回答します)
参謀本部『九州役』1911年の冒頭にある「豊臣ノ九州役ハ猶ホ織田ノ中国役ノコトク・・・」の指摘については特に問題点とも思ってませんでした。普通に解釈しても同じなのですが、今一度検証してみても現代語訳版『小牧・九州・小田原の役』1965年の同個所にもある通り「豊臣秀吉が起こした九州の役は、織田信長による中国の役に似ていて、・・・」と九州の役の基因を説明しているのであって、対象は内容と同じく中立的に描写した戦争を示しています。論理展開上でもなんら瑕疵にならぬことと存じます。
秋田城之介さんが既に変更されて一週間以上経過した以前の状態をぶり返しても、それは現時点での議論とは異なる話であり。我々は現状の記事をどうするかについて話しています。
(今後について)
秋田城之介さんだけでなく、プリズム11さんや「九州平定」を推す小判キングさん他の議論参加者全員に再度確認します。今までの議論で対立点はほぼ明確となっていると思います。いずれにしろ、同じ事や主観の繰り返しをし続けたり合意に向けた代替案がないのであれば、「投票によるコミュニティの支持に従って当面の解決とする」という提案にご同意願いたいと思います。方法に異論があれば代案と共にご提示ください。
--Yasumi 2011年1月9日 (日) 23:06 (UTC)
△11の考える最善の「代替案」はYasumiさんがWikipedia:記事名の付け方をちゃんと読んで理解することです。--プリズム11 2011年1月9日 (日) 23:15 (UTC)
結局、「九州征伐」が複合的意味を持つ事実を、否定する根拠は持たないということですか?また、もともと「九州征伐」であった項目をわざわざ戦役として定義する理由などについてお答えください。--秋田城之介 2011年1月13日 (木) 15:23 (UTC)
残念ながら、現状ではプリズム11さんの代替案には説得力が無く同意できません。あしからず。しかし、投票による多数案であれば、それに従う準備があります。プリズム11んの理解や解釈がコミュニティの支持を受けるものであれば何ら問題のない解決を見ると思いますが、いかがですか?--Yasumi 2011年1月9日 (日) 23:26 (UTC)
「九州の役」は、出典と照らしても通説と照らしても第一候補であるににも関わらず、あえて「九州征伐」を推すプリズム11氏や秋田城介氏の意見は破綻していますね。彼らは自分たちの意見が、投票でコミュニティの支持が得られないとわかっているから、投票の実施に反対するのではないでしょうか?--三階菱 2011年1月12日 (水) 15:36 (UTC)
様子見でコメントを控えておきましたが、投票に賛成です。UTC1月9日のYasumiさんおよびPrism11 VYB05736さんの会話を見るに、この議論の論点がずっと変わらずこれからもそうなりそうなので、投票によって一度この議論を打ち切るべきだと思いました。
ただし、投票は最近の議論参加者で行ってはいけないと思います。期限はできるだけ長く取り、できるだけ多くの方に投票をしていただけてはじめて結果が今までの議論を反映したものになると思います。--蚯蚓 2011年1月13日 (木) 09:36 (UTC)

「九州征伐」であった項目をわざわざ戦役として定義する理由、Wikipediaの方針における中立性の誤解など答えて頂きたい点は多々あります。しかし、Yasumi氏には、投票を推すだけでなく答えるべき点に回答して頂きたく思います。--秋田城之介 2011年1月22日 (土) 05:21 (UTC)

(秋田城之介さんの2011年1月13日 (木) 15:23 (UTC)について)
おかしなことを言われているように思うのですが、「九州征伐」には「中立的な視点の豊臣・島津戦争」と「一方的視点の豊臣秀吉が九州を征伐したこと」の意味があることは私と秋田城之介さんの間では合意点でしょう?議論の対象となっている本記事は本文で「戦争」と定義されている状態にあり、前者に相当します。それは過去に「九州征伐」が記事名であったときも、「九州の役」に改名された時も、そしてこの議論も「記事で定義された通りの戦争」であることが前提です。 また、秀吉の行為という定義に対しては九州平定という記事が既にあります。二つの意味がある言葉は記事名として曖昧であり、使いにくく私が前述した通りガイドラインの比較で言えば減点材料です。
(秋田城之介さんの2011年1月22日 (土) 05:21 (UTC)について)
本記事が戦争であることは本文に明記されています。又、それは議論を開始する以前からの状態であり、議論の基点です。これは既に説明済みですし、本文を読めば自明なことでしょう。
改名議論における、中立性の誤解とはなんのことでしょうか?方針の解釈についても投票によるコミュニティの支持で解決可能です。これ以上、改名議論を進める上で何を回答する必要があるのでしょうか?必要があるのであれば、質問は的確にお願いします。
秋田城之介さんの改名提案には定義変更(追加して2義とする)が隠されていたようですが、変更定義案は提示されていません。説明不足は提案者ないまま議論をについても、投票に代替する解決案が無く、これ以上議論を新展開させないのであれば、投票解決にご同意をお願いします。--Yasumi 2011年1月23日 (日) 04:27 (UTC)
なぜ「九州征伐」を純粋な戦役定義とする必要が有ったのか、「九州征伐」より「九州の役」の方が広範にわたって使用されているのか、「九州征伐」が複数の意味を持つからと言って、それが記事名要件として不適格なほど「曖昧」なのか、それぞれの点についてお答えください。また、Yasumiさんの誤解とは、学問上の中立性と当事者間の中立性を混同している点です。以上のような点を無視しての投票踏み切りには反対です。--秋田城之介 2011年1月30日 (日) 03:43 (UTC)

調査投票による合意提案

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コメントは繰り返され、議論は尽きている状況と考えます。方針の解釈の違いについてはコミュニティの支持するものを採択すべきであり、調査投票を実施して多数案を結論とすることを提案します。反対のための反対はいつまでも「納得」しないにあたり、コミュニティを疲弊させます。:再度確認をしたいと思います。改名議論に対して、調査投票の多数による解決をはかることに対し、反対意見はございませんか?反対であるならば合意に至れる建設的提案と推進をお願いします。--Yasumi 2011年1月23日 (日) 04:27 (UTC)
項目名の決め方は明文でルール化されております。無論ルールはルールのために存在するのではないので、ルールが実情と合わなければルールの方を変更する、もしくは特例として運用していく方向もあるでしょう。しかし今回の件でルールは特に実情に反しません。いつまでも「納得」しないのはYasumiさんであると思っております。投票をするのであればWikipedia:記事名の付け方のノートですべきでしょう。すなわち、「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」より「主に利用した参考文献で使われている」が優先するかどうかについてです。--プリズム11 2011年1月23日 (日) 04:37 (UTC)
プリズム11さんの合意のためのコメント依頼については、一方的な解釈に基づくコメント依頼文面となっており、とても遺憾に思います。方針に準じるという点については、プリズム11さんも私(yasumi)も共通しており、Wikipedia:記事名の付け方に従った記事命名を行うべきという点では一致しているはずです。
しかし、プリズム11さんは、記事(の定義)を対象としない呼称事例を根拠として「一般性」による優越を主張されました。ですので、当たり前なことですが、記事(の定義)に対して正しく呼称している事例を以って「一般性」他の優越する要素をガイドラインで比較して記事名が策定されるべきと説明したのです。
当方としてはコミュニティの投票による多数の支持を以って改名提案を決着することを提案しています。つまり、多数案であれば歩み寄るということです。プリズム11さんに投票に代替する解決案が無く、これ以上議論に新展開が望めないのでありれば、投票解決にご同意をお願いします。また、現時点に於いてプリズム11さんは投票に反対しておらず、投票に代わる合意提案も提出していないことを確認いたしました。--Yasumi 2011年1月23日 (日) 05:21 (UTC)
「プリズム11さんの合意のためのコメント依頼については、一方的な解釈に基づくコメント依頼文面となっており」って何のことですか?
投票には条件付きでしか賛成致しません。まずWikipedia:コメント依頼/三階菱をご覧になって、三階菱さんが投票された場合その投票を有効とするかをお知らせ下さい。--プリズム11 2011年1月23日 (日) 05:53 (UTC)
(コメント)あらためて「九州征伐」への改名に反対します。秀吉政権が全国政権となる1590年以前の段階で「征伐」の語を用いるのは、非常に問題だと思います。「(九州内のすべての勢力が)臣従を誓ったにもかかわらず反抗した」というのであれば「(九州)征伐」でもよいでしょう。しかし、この戦役はそういう性質のものではありません。むしろ、「この戦役の結果、(九州内の勢力が)臣従した」というのが史実の指し示すところですので、「九州征伐」としたのでは歴史の因果関係を見誤るでしょう。その点では「紀州征伐」も問題です(こちらについては、あとで改名提案をしておきます)。もし、Yasumiさん、プリズムさん、秋田城之介さんが「九州攻め」への改名に合意できるのであれば、そのあたりで合意をとりませんか。2010年6月21日の秋田城之介さん御自身の調べでは、「九州平定 6件、九州攻め 3件、九州征討、九州征服、九州出兵、島津攻め、九州の陣 各1件」ということでしたので、一般的使用も「九州攻め」が比較的多いようです。これで合意がとれないようなら、投票もやむを得ないと思います。--Chokorin 2011年1月28日 (金) 22:53 (UTC)(誤記の修正、差分添付、微加筆)--Chokorin 2011年1月29日 (土) 05:13 (UTC)
△11が九州征伐への改名に賛成しているのは、「九州征伐が一番適切であるから」ではなく「九州の役が一般に使用されていないことが明らかになっているから」であり、一般に使用されている中で九州征伐より項目名として適切なものがあればそちらへの改名に賛成します。紀州征伐の問題に関しても参加させて頂きたいと思います。--プリズム11 2011年1月29日 (土) 23:18 (UTC)
コメントありがとうございます。「九州攻め」への改名には反対しないという御意見と判断してよいでしょうか。--Chokorin 2011年1月29日 (土) 23:22 (UTC)
意見を確定する前に確認したいのですが、九州平定#豊臣秀吉の九州平定に「豊臣秀吉は天正13年7月に関白に就任、10月に九州停戦令を出し島津はこれに従ったが、天正14年3月に秀吉が九州国分案を出すとこれに島津が到底承服しがたいとして戦闘になった」と読める一連の記述があります。天皇の意向を代理する関白として出した指示命令に従わなかった者を討ったのであれば「征伐」の文言も問題ないようにも思えますが、如何でしょうか。--プリズム11 2011年1月30日 (日) 02:47 (UTC)
良いところにお気づきになられました。確かにおっしゃる通りです。ただ、秀吉としては九州停戦令を出して島津・大友の国境相論に介入した以上、裁定をくださなければいけません。それが九州国分案なわけです。停戦令は国分令を前提としていますので一連のものと見た方がよいでしょう。島津が飲めるような国分案を秀吉が出せば戦争にはならなかったのですね。また、天皇命令としての九州停戦令にはしたがったが、秀吉に臣従を誓ったわけではありません。したがって、おっしゃる通り、なかなか微妙なところだと思います。ここで「征伐」という言葉を使ってしまうと、明瞭に島津が反逆者だという立場に立ってしまうので、それはどうかなというあたりです。--Chokorin 2011年1月30日 (日) 03:53 (UTC)
私は「九州攻め」への改名には反対します。また、この時代の豊臣氏からみての「征伐」表現は不適当でもなんでもありません。--秋田城之介 2011年1月30日 (日) 03:43 (UTC)
「征伐」表現が「不適当でない」のはわかりましたが「九州征伐」が「最適である」理由がわかりません。「悪い者や反逆者を攻めること」=「征伐」でしょう。ならば、最大公約数的に考えれば「九州攻め」の方が「九州征伐」よりもずっとよいことになりませんか。大は小を兼ねるわけです。このあたりで合意できませんか。--Chokorin 2011年1月30日 (日) 03:59 (UTC)
「九州攻め」では、結果として九州を制圧したかどうか、九州を攻めた勢力がどのような状態であったか不定であり、「九州平定」よりも列挙記事になりえます。九州征伐への改名根拠としては提案当初で述べたとおりです。--秋田城之介 2011年1月30日 (日) 04:52 (UTC)
質問2点。
  1. <「九州攻め」では、結果として九州を制圧したかどうか、九州を攻めた勢力がどのような状態であったか不定>とおっしゃいましたが、記事名だけで結果や攻撃主体まで説明しなくてはならないというルールはありますか? どこにそういうルールがあるのかお示しください。
  2. 「九州征伐」という名前でも、「九州攻め」同様、九州制圧が成功したか攻撃勢力がだれであるかは不定であるわけですが、そのへんについてはどう考えますか。--Chokorin 2011年1月30日 (日) 06:23 (UTC)
記事の重複を避けるためです。秀吉時代の「九州征伐」という事跡を九州攻めに改名するということは、他の時代の「本州勢力による九州攻撃」も記事に含むことになります。「九州征伐」という呼称は織豊時代以外で用いられることはほとんどないでしょう。九州征伐は戦役としても事象としても使用されており、また「征伐」というのは征伐した側が為政者かそれに近い強大な勢力と言うことになりますからある程度限定されます。--秋田城之介 2011年2月1日 (火) 09:30 (UTC)
4つほど質問。
  1. 「他の時代の「本州勢力による九州攻撃」」とは具体的には何を指していますか。
  2. 「他の時代の「本州勢力による九州攻撃」も記事に含」んで、具体的にどんな問題が考えられますか。
  3. 「九州攻め」が「他の時代の「本州勢力による九州攻撃」も記事に含む」ことで何か問題があるとしたら、「九州の役」のままでもよくないですか。
  4. 「「九州征伐」という呼称が織豊時代以外で用いられることはほとんどない」ということですが、もし、織豊時代以外に「九州征伐」の呼称が用いられることがあるとしたら、その場合は、「九州征伐」への改名提案は取り下げるというふうに理解していいですか。
以上。--Chokorin 2011年2月1日 (火) 10:48 (UTC)
  1. 本州勢力による九州攻撃です。源範頼、足利尊氏もあてはまるでしょう。もちろん、結果として敗退しても「攻め」ていることには変わりませんから、日本語的には「九州平定」よりずっと適用範囲が広くなります。
  2. 九州平定との差別化がなくなります。
  3. 「よくないですか」という真意がわかりません。「九州の役」よりは「九州征伐」の方が使用例が多いので適切です。
  4. 全ての書籍を確認することは不可能ですから分かりませんが、それで正当性がゆらぐのは「九州の役」でも同じです。ただ一つの出典や著述のみで意見を変えようとは思いません。
以上。--秋田城之介 2011年2月7日 (月) 03:57 (UTC)
ノートページも重くなりましたことですし、とりあえず征伐への改名提案について可否を問うのが先決だと思います。一度過去ログ化した後で再度「九州攻め」への改名提案をするべきと思います。--蚯蚓 2011年1月30日 (日) 07:59 (UTC)
個人的には「九州の役からの改名の是非」と「是とすれば何に改名するか」は一連の話であると思いますので、いちいち九州征伐への改名について是非を問うより、ここでまず九州の役から改名することの是非と、何に改名するかまで議論してしまった方が良いと思いますが。どちらにせよまず「九州の役からの改名」については賛成多数であるように思いますが、如何でしょうか?--プリズム11 2011年1月30日 (日) 08:27 (UTC)

(インデント戻す)私は別段改名したい訳ではないです。「九州征伐」に改名するくらいなら改名しない方がマシだということであり、改名するとしたなら「九州攻め」がいいのではないかということです。「九州の役」という用語を使っている現代の学者(熱田公など)もいますし、決して、この用語が間違っているわけではありません。むしろ、この用語には長所もあります。用語にはそれぞれ一長一短があるわけですが、しかし、「九州征伐」はお話にならないと思います。この戦役を「征伐」と呼ぶのは、仮に「全面的」とは言えなくても、「少なくとも半分以上は」間違っていると思います。戦後の地方史研究の成果の否定だと思いますね。わたしからすれば、「九州征伐」に妥協できる要素は一欠片もありません。秋田城之介さんも、以前は「九州平定でなければダメだ」というお考えだったわけですが、今では「九州征伐じゃなきゃ絶対ダメなのだ」というお考えのようであり、上のコメントを読めば、他者に歩み寄るお気持ちは皆無のようです。だとすれば、投票で決着するしかないのではないでしょうか。Yasumiさんも投票を呼びかけていらっしゃるわけですし。ただ、投票で「九州征伐」が選ばれたのなら、私はそれには従いますよ。「適切ではないと考えながらも従う」という態度をとるしかありませんよね。しかし、「適切でないと考える理由」を表明する場は必要と考えます。なので、速やかに「九州征伐か、(現状をふくむ)それ以外か」で投票を組むべきでしょう。ついでに、小田原や四国も改名提案を出せばいいんじゃないでしょうか。--Chokorin 2011年1月30日 (日) 13:17 (UTC)

なぜ九州征伐が「お話しにならない」のでしょうか?差別的であるとか、中立的でないという理由であれば、それはYasumi氏や三階菱氏と同様、Wikipediaにおける中立性を誤解しているものと思われます。--秋田城之介 2011年2月1日 (火) 09:30 (UTC)
「お話にならない」理由は既に申し上げているので、もう一度お読み下さい。中立性がどうこうという以前の問題だということです。--Chokorin 2011年2月1日 (火) 09:48 (UTC)
「この戦役を「征伐」と呼ぶのは、仮に「全面的」とは言えなくても、「少なくとも半分以上は」間違っていると思います。戦後の地方史研究の成果の否定だと思います」 というのが理由だとすれば、Chokorin氏は独自研究的な見解を以って、九州征伐への改名に反対しているということになります。--秋田城之介 2011年2月7日 (月) 03:57 (UTC)
そろそろ投票に関する議論が必要な時期に思われます。プリズム11さんの、改名是非と改名先は根が同じという主張も理解できます。ただ、このページはあまりにも重くなりすぎています。とりあえず改名是非だけを問うべきです。もしそこで改名反対となれば議論は打ち切れますし、賛成となっても一区切り付きますので過去ログ化のチャンスはあるので。--蚯蚓 2011年1月31日 (月) 13:18 (UTC)
秋田城之介さんの主張は「『九州征伐』の名称に復す」ということと思いますが、それでよろしいでしょうか。その場合、当然「この版までの巻き戻しをともなうか」も問題になるはずです。これについても、秋田城之介さん御本人の御見解を明らかにしていただいたうえで、即刻投票に移りましょう。秋田城之介さんは投票に合意するかしないか(合意しない場合にはその理由も)を明らかにしてくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。--Chokorin 2011年1月31日 (月) 22:08 (UTC)
現時点では反対です。新案を出しながらも議論を尽くさず投票に移そうというChokorin氏の姿勢に、どうして同意できましょうか。--秋田城之介 2011年2月1日 (火) 09:30 (UTC)
どこがどのように議論が尽くされていないのでしょうか。もはや議論は尽くされていると考えます。具体的に、どこが、どのように話し合われていないとお感じになりますか。要するに、「九州征伐」の名称に合意しない限り、秋田城之介さんとしては満足しないということでしょうか? --Chokorin 2011年2月1日 (火) 09:48 (UTC)
ハッキリさせておくべきことがまだあります。これだけかみ合わない中で、「もはや議論は尽くされている」というのは暴論です。そこをとばしてしまうということは、理由はどうであれとにかく「九州征伐」に改名したくない、という態度だと受け取らざるをえません。--秋田城之介 2011年2月7日 (月) 03:57 (UTC)

(インデント戻す)改名先については議論が尽くされていないと感じますので、現時点での「改名先についての」投票に反対です。「九州の役」からの改名是非の投票に関しては秋田城之介さんはどうお考えになりますか。--プリズム11 2011年2月2日 (水) 00:45 (UTC)

それでは、2段階はいかがでしょうか。まず、
1.改名するとしたら九州攻めがいいのか、九州征伐がいいのかについて決定し、
そののち、
2.改名の是非について投票で決する
というのは、どうでしょう。これならば、大方の合意を得られそうですし、改名の必要性を感じない人も議論に参加しやすいでしょう。--Chokorin 2011年2月2日 (水) 01:40 (UTC)
「改名するとしたら」というのはおかしくありませんか?一刻も早く過去ログ化するべきでしょう。360,967バイトというのは最早危険水域、見る人に負担がかかる状況になりつつあります。いま、「現状維持」or「征伐への改称」が問われているのですから、まずはその是非を投票するべきです。そうでなくて、九州攻めへの改称がしたいのなら、いったん改名提案を取り下げてください。--蚯蚓 2011年2月2日 (水) 05:53 (UTC)
性急な投票には反対ですが、投票するのであれば、「九州の役」「九州攻め」「九州平定」全て平等に扱うべきです。もし二段階投票をやるしにても、Chokorin氏の案では順序が逆です。--秋田城之介 2011年2月7日 (月) 03:57 (UTC)
筋論としてはまったくおっしゃる通りなんですが、実際問題としては、「九州の役」か「九州征伐」かという二者択一になってしまっているから、これだけ揉めているのであり、それにまた、仮にここでどちらかに決まったとしても再び改名議論が起こるんじゃないでしょうか。現に、秀吉の四国戦役の場合、「『四国征伐』から『四国攻め』へ」の改名が成立していますからね。現実的には、わたしの案の方がスピーディーに決まると思います。過去ログ化には賛成です。本ノートの「#改名の是非」節から「#今後の議事進行について」節までがいいでしょう。--Chokorin 2011年2月3日 (木) 00:09 (UTC)(加筆修正)--Chokorin 2011年2月3日 (木) 00:35 (UTC)
すみませんでした。ここまでの議論が、すべて同一の提案によるものであると勘違いしておりました。途中で切れているんですね。まずそこまで過去ログ化できるならしてしてしまいましょう。そのうえで、Chokorinさんの議論進行論に賛成します。
しばらくウィキペディアやってなかったものですから、過去ログの作り方を忘れてしまいました。そのため私にはできません(汗--蚯蚓 2011年2月3日 (木) 07:48 (UTC)
一応、「九州平定」への改名提案はまだ閉じられていないんですね。閉じられるのを待たずに、秋田城之介さんが改名提案されたわけですので。あと一週間お待ちして、過去ログ化への異論がなかったら過去ログ作成作業は自分がとりたいと思います。--Chokorin 2011年2月3日 (木) 10:24 (UTC)
コメント 蚯蚓氏の過去ログ化提案には賛成です。今のノートは重過ぎるといえます。--以上の署名のないコメントは、秋田城之介会話投稿記録)さんが 2011年2月7日 (月) 03:57 (UTC) に投稿したものです(Chokorinによる付記)。
同意が得られたので、異論なければ過去ログ化の作業に着手します。確認しておきますが、秋田城之介さんの同意は「九州平定」の記事の現状を追認するものと見なしてよいわけですね? --Chokorin 2011年2月8日 (火) 03:42 (UTC)
報告合意により当該部分の過去ログ化をしました。--Chokorin 2011年2月11日 (金) 02:16 (UTC)
新たな提案もありましたが、まとめてこちらにコメントします。
(秋田城之介さんの 2011年1月30日 (日) 03:43 (UTC)について)
なぜ「九州征伐」を純粋な戦役定義とする必要が有ったのか、
まずは大前提として「純粋な戦役」が秋田城之介さんの独自研究の概念であるようなので、回答できません。次に記事を読めば理解できますが、この記事は既に「豊臣と島津の戦争」と定義されており、かつて「九州征伐」から「九州の役」に改名された時も記事の定義は「豊臣と島津の戦争」でした。その戦争記事を前提にした議論である以上、この戦争という概念を対象とした呼称を比較する必要があります。
「九州征伐」より「九州の役」の方が広範にわたって使用されているのか、
少なくとも、この記事を正しく呼称し、かつ形成する出典の中では優勢でしょう。そして、この記事を対象としない呼称を持ち出されても「広範である」とは言えません。特に「九州征伐」の場合は「代名詞として使われている豊臣と島津の戦争」よりは「原義として使われている豊臣秀吉が九州を征伐した事」の用法が多用されているように思えます。
「九州征伐」が複数の意味を持つからと言って、それが記事名要件として不適格なほど「曖昧」なのか、
ここにいる全員が引用しているWikipedia:記事名の付け方によると曖昧な呼称は記事名として減点材料です。:また、Yasumiさんの誤解とは、学問上の中立性と当事者間の中立性を混同している点です。
指摘が具体的でないため、どこが中立性の混同であり、どのような問題があるのか、説明ください。
'以上のような点を無視しての投票踏み切りには反対です。
どのあたりが、無視されているのですか?
(プリズム11さんの 2011年1月23日 (日) 05:53 (UTC)について)
コメント依頼文面については、Yasumi 2011年1月23日 (日) 05:21 (UTC)で前述した通りです。Wikipedia:記事名の付け方の解釈の違いとして、私は記事を正確に表現した呼称のうち適合したものに比重を置いているのに対し、プリズム11さんは記事を正確に表現していない場合でも耳に聞く頻度の高い呼称に比重を置いている点が違いでしょう。ルールの解釈と適用については、支持される解釈を採用すべきであり、現状を踏まえて投票による解決が望ましい状態だと思います。
後段の投票への条件付賛成について、プリズム11さんは三階菱さんを排除した投票であれば賛成するということでしょうか?私の意見としては、投票の有効無効は今後設定される「投票資格」の条件次第であると考えます。どのような条件であれば投票決着へ合意をいただけるのか、プリズム11さんの条件の提示をお願いします。
(投票について)
「九州の役」の現状維持、「九州平定」改名案、「九州征伐」改名案の他に、「九州攻め」の候補が増えましたが、基本的に同じような問題点を抱えているように思え、私としては合意できません。
本件は改名候補に誰もが納得できる決定的な落差が無い中で、比較的優位な記事名を選ぶ状況であり、段階的な投票にも合意できません。改名候補を並べて多数票を得た比較的優位な記事名で決着するのが良いと思います。
議論については殆ど尽きているように思えますが、必要だと思う方はごういに向けてそれなりの進行をお願いしたいと思います。
(過古ログ化について)
「九州の役」が優先される論旨については、今までもある程度まとめたつもりであり、対応する準備ができていますが、各改名候補を推す方々よる論旨のまとめができないと議論が何時まで経っても終わらないように思えます。
(この記事は何の記事なのか?について)
つらつら考えるに、この記事は豊臣と島津の戦争史であり、記事名は戦争名称となります。他の改名候補は原義が「豊臣秀吉の~」であるため、例文「豊臣と島津の戦争の戸次川の戦いでは島津勢が豊臣勢を大破した」の戦争名に「九州征伐」を置き換えるのは理解を妨げる表現となります。結局の所、余程の事情がない限り、出典『九州征伐』から作った記事は記事名「九州征伐」となり、出典『九州平定』から作られた記事は記事名「九州平定」となり、出典『九州攻め』から作られた記事は「九州攻め」となるのではないでしょうか?この記事は、出典『九州の役』や「九州役の陣立書」から作られた記事名「九州の役」なのです。--Yasumi 2011年2月3日 (木) 20:46 (UTC)
「純粋な戦役」が独自研究?戦役のみ意味する記事にすべきかどうかです。
>「既に「豊臣と島津の戦争」と定義」 ですから、その理由を聞いているのです。
「征伐が秀吉視点の一方的な描写」と言う、そういった考え方がWikipediaにおける中立性を履き違えていると指摘しているのです。ハッキリ言って、ここまでいっても自覚しないのは意図的なのでしょうか?--秋田城之介 2011年2月7日 (月) 03:57 (UTC)

容喙です。長い議論ご苦労様です。調査投票ということですが、私には投票資格があるのでしょうか。といいますのは、わたしはここでの議論に一回参加しただけですし、中世末関連の記事を編集したことも立項したこともありません。つまり部外者なのです。プリズム11さんも2011年1月23日 05:53(UTC)に同様な質問をされていますね。差しでがましいのですが、投票資格についてもある程度話し合っておいてもよいのではないかと思います。--Sashimu 2011年2月6日 (日) 07:55 (UTC)

一応どなたにでも投票の権利はあると思います。ただ、確認すべき点として
  • 今までの議論をすべて読み双方の主張を理解している。
  • 明確な賛成or反対の理由がある。
この二点は(当然)重要です。
三階菱さんの権利については、私はその辺詳しくないのでわかりませんが、被コメント依頼利用者の権利についての前例はどうなっているかによります。--蚯蚓 2011年2月6日 (日) 13:50 (UTC)

Yasumiさんや秋田城之介さんの御意向により、「九州の役」「九州征伐」「九州攻め」の3つを候補として投票するという方向性でよいのではないでしょうか。わたしもそれに同意します。ついては、投票権者にわかりやすいように、

  1. それぞれ自分の推す項目名候補について、それを推す理由
  2. 他候補を推さない理由ないし他候補に反対する理由

を、Yasumiさん、秋田城之介さん、わたしの3名が再度まとめてここで発表するということにしたいと思いますが、いかがでしょうか。--Chokorin 2011年2月7日 (月) 04:38 (UTC)

「この記事のテーマ・構成・内容で質量共に最も詳しい出典が『九州の役』」?

[編集]

節分け--Watchdog daemon 2011年3月30日 (水) 07:31 (UTC)

確認。利用者:Yasumi氏の根拠のひとつが

この記事のテーマ・構成・内容で質量共に最も詳しい出典が『九州の役』であり、記事本文も「九州の役」の呼称で扱っている出典群に比重を置いて記事が生み出されている以上、この記事と最も適合する呼称は「九州の役」であるという結論は動かせません。 — 利用者:Yasumi、ノート:九州の役(2010年12月10日 (金) 20:54)

であると理解してよろしいか?--Watchdog daemon 2011年2月7日 (月) 15:40 (UTC)

当の質問相手から一向に返事がないわけだが、Chokorin氏のコメントの中で自分の名が出たのでひとことだけ。Chokorin氏が懸念するとおり、極論というかナンセンスでしかない。だが、それだけではなく別のことも問題ではないかと思っている、とだけコメントしておく。--Watchdog daemon 2011年2月15日 (火) 18:00 (UTC)
返信が遅くなりました。
(Sashimuさんの 2011年2月6日 (日) 07:55 (UTC)へ)
投票条件について、私が質問先となり回答元になるのか分かりませんが、私としては前述の「投票の有効無効は今後設定される「投票資格」の条件次第であると考えます。どのような条件であれば投票決着へ合意をいただけるのか、条件の提示をお願いします。」の通りです。一般的な投票資格については、Wikipedia:投票の実績を参照するに「○月×日△(UTC)の時点で編集回数が50回"以上"のログインユーザ。多重アカウントによる投票は禁止」などが叩き台になってくると思います。例えば、単純にこの条件ならば三階菱さんやSashimuさんには投票権があるものとなるでしょう。
後は、投票解決への合意にどのような条件を持ち寄るかによります。例えば蚯蚓さんは投票期間を長めに取ることを提言されていますので、投票期間を「通常の一週間から二倍とって二週間にする」などでしょうか?ただし、これらの実施には合意が必要です。改名提案者でない私が推進するのもおかしなことなので、調整は進行は改名提案者にお任せしたいと思います。もし「議論を尽くしていない」と思われるのであれば、現状を変えようとする改名提案者の方々には責任を持って議事の推進をしていただきたいと思います。
(Chokorinさんの 2011年2月7日 (月) 04:38 (UTC)へ)
小判キングさんの推す「九州平定」案について改名候補から取り下げられていないため、改名候補に残したほうがよいのではないかと思います。
投票解決については方針として賛成です。
なお、各論者はWikipedia:記事名の付け方に準拠した記事名にすることには反対していないため、各論比較にはノート:九州の役/過去ログ2#改名提案の論点整理のフォーマットを叩き台に4候補を記入する形が比較が明確と成って良いのではないかと思います。
(秋田城之介さんの 2011年2月7日 (月) 03:57 (UTC)へ)
秋田城之介さんの質問が分かりかねますので、質問は具体的に行って下さい。
1.「理由」とは、何の理由ですか?我々は「この記事」を対象に改名議論をしているのです。「この記事」の定義は戦争であり、出典に従って戦争であり、前回の改名の時点でも戦争でありました、この記事の主題は変更されていませんし、議論の前提です。記事のテーマを変えるのは改名ではありませんので、定義変更を伴う改名提案なのであれば提案者は隠すことなく前提の変更をしっかり述べて下さい。
2.「中立性を履き違えている」とはどういうことでしょうか?改名の議論は中立性だけを論点に展開されているわけではありませんし、Wikipedia:中立的な観点・史学的な中立性の現況・出典および記事の描写視点の中立性の状態・出典に於ける扱い等々、それぞれの要素があり、特に履き違えていないと思います。
3.「「征伐が秀吉視点の一方的な描写」と言う、そういった考え方がWikipediaにおける中立性を履き違えていると指摘している」>指摘するなら具体的にしてください。
(Watchdog daemonさんの 2011年2月7日 (月) 15:40 (UTC)へ)
まず、Wikipedia:コメント依頼/Watchdog daemonを提出させていただいたことをお知らせします。
ご質問について、そこは元となる主張との対比になるため、独立させて「根拠のひとつ」と切り離されてしまうと困ります。あくまでも「九州平定」や「九州征伐」の呼称用例が多いという主張があり、提出されたその根拠には本記事の「豊臣と島津の戦争」の意味ではなく、「秀吉の九州征伐」や「秀吉が九州を征伐した事」の呼称や省略形で表現されている用法が提示されています。そして「九州平定」や「九州征伐」の呼称用例は後者の原義が圧倒的な状況です。
つまり記事と一致しない呼称を持ち出されて「用例が多い」と言われるのに対し、記事と呼称の一致性において「九州の役」が優れているという比較になります。
(ソックパペット問題について)投票解決へ提案をし、賛同者も降りますが、議論に参加された利用者:Sashimuさん(および本アカウントの利用者:MUSASHIさん)は2011年2月13日 (日) 01:57 に無期限ブロックされた模様です。ブロックの詳細は利用者:Godaigoのブロック逃れアカウントの疑い、とのことです。投票を実施する場合には多重アカウントへの配慮と対策が必要な状態です。
--Yasumi 2011年2月19日 (土) 01:15 (UTC)

質問を差し上げる。

  1. 参謀本部本に対する「この記事のテーマ・構成・内容で質量共に最も詳しい」という評価の出典は何か。
  2. 「この記事のテーマ・構成・内容で質量共に最も詳しい」とあるが「量」はともかく「質」を挙げると言うことは、何を意味しているのか。同様に「質」において最も詳しいという評価の出典はどこにあるのか。
  3. 「史学的な中立性の現況」(2011年2月19日 (土) 01:15 (UTC))が《学説が一致を見ていない場合、両論併記とすること》を意味するならばWP:NPOVで既に事足りている。同じ事を重複して言う意味はどこにあるのか。同じことではないのなら、どういう意味なのか。また、違う意味の「史学的な中立性」を取り上げることの意味はどこにあるのか。
  4. 「出典および記事の描写視点の中立性の状態」(2011年2月19日 (土) 01:15 (UTC))とあるが、歴史上の出来事をどのように描くのかという意味での「描写視点」は出典となるべき文献を書いた歴史家(を主とする専門家たち)が決めることである。それを中立であるとかないとか、ウィキペディアンが云々しこのように描くべきだと決めるのは独自研究以外の何者でもなく不適切ではないのか。
  5. ご自分の意見に対する異論を示唆した相手に対し、「少なくともこのような参加姿勢が許されるのか?Watchdog daemonさんの参加姿勢や言動が、コミュニティから広く認められ、許容されるものかどうか」と投稿ブロックの可能性を示唆しつつ、コメント依頼を行なうことは許容されるものかどうか。対話拒否の一種と解する余地があると考えられるが如何か。

なお、利用者に対するコメント依頼は、あくまで「利用者の行為についてのコメントを募集する場ですので、現時点で被依頼者が依頼内容の不備を指摘するのは無用な混乱を招きそうなので避けたいと思います」。--Watchdog daemon 2011年2月21日 (月) 14:34 (UTC)

追加質問。

結局の所、余程の事情がない限り、出典『九州征伐』から作った記事は記事名「九州征伐」となり、出典『九州平定』から作られた記事は記事名「九州平定」となり、出典『九州攻め』から作られた記事は「九州攻め」となるのではないでしょうか?この記事は、出典『九州の役』や「九州役の陣立書」から作られた記事名「九州の役」なのです。 — 利用者:Yasumi, 2011年2月3日 (木) 20:46 (UTC)

参考文献に参謀本部本が追加されたのは2010年7月6日 (火) 10:23のこと。

  • 2010年7月6日 (火) 10:23の直前の版の容量は13,906バイト、この質問を書いている時点の最新版である2011年2月21日 (月) 11:02版は21,859バイト、で追加前・対・差分は7953バイト。
  • 参謀本部本が追加される以前の記事が参謀本部本を出典にしていないことは明白。したがって参謀本部本は単純に容量で考えても全記事の3分の2にわたって出典とされていない。
  • 定義部の注1を除けば、記事のどこにも参謀本部本のInline Citationが存在しない。General referenceだとしても2万バイトもの大型の記事では、出典の提示の仕方として著しく不明確。

記事の3分の2の成り立ちにおいてそもそも参考文献として名前を挙げられてすらおらず、どこにも参照したことが明記されていない。出典から記事を作るのだから出典にもとづいて記事名を選択するべきというご自身の論理と、記事の現況と、主張が矛盾している。これが整合的な主張だと言うのであれば、如何なる意味で整合性があるのか説明願います。--Watchdog daemon 2011年2月22日 (火) 15:16 (UTC)

1.2.まずは、私がこの記事に加筆するために集積した出典のうちで質量共に最も詳しいと認識しております。各論はともかく、戦史をテーマに包括的に「豊臣と島津の戦争」を扱った研究の中で『九州の役』以上のものがありますか?お答えください。
 また出典ついては、例えば『国史大事典』吉川弘文館1983年では見出し「九州征伐」の参考文献に参謀本部編『九州役』が挙げられていますし、論文では小竹文生「豊臣政権の九州国分に関する一考察」2000年の註には「九州攻撃の詳細に関しては、参謀本部編『日本戦史 九州役』(村田書店、一九六九年一月)参照」とあります。
3.「九州征伐」を対象にした反駁部分であり前述ですが、政治性を伴う用語であるが故に藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』1985年などでは「いわゆる九州征伐」と表現されたり、カッコ付で「 「九州征伐」 」と表現されています。他にも、藤田達生『日本近世国家成立史の研究』校倉書房2001年では註で「藤木氏は九州征伐令とよぶが、「征伐」はあくまでも豊臣政権側からのものであることから、ここでは九州攻撃令と記した。」と言い換えています。このように史学分野で「征伐」が減少傾向にある流れについては独自研究に留まらず常識的に共通認識として合意いただける点だと思いますがいかがですか?お答えください。
4.「Wikipedia:独自研究は載せない (NOR) は、ウィキペディアの内容に関する三大方針の1つ」だそうで、「他の記事内容に関するルールと同様、独自研究の排除は記事にのみ適用され、ノートページやプロジェクトページには適用されません。ただし、ノートページで個人的な理論について議論することは、あまり歓迎されないでしょう。」とあります。
 常識的に史学分野の記事は中立性や客観性に配慮した書き方が選べるのであれば、それを選択したほうがよいと思います。そうは思わない、差別的・主観的に記事を書くべきだという考えがあるのかもしれません。また、信頼できる出典から客観的な根拠を導き出した問題解決は大ありでしょう。ここら辺は最終的にはコミュニティの常識に依存するしかないでしょう。プロジェクト:軍事史#記事のガイドラインについても同様の指向をしています。議論から独自研究を排除する根拠は何ですか?お答えください。
5.コメント依頼に書いた通りです。少なくとも、議論を始めるにあたって、対話相手の直近の編集を4連続で説明無しに機械的にリバートすることは、気持ち良く話し合いを始める状況作りとは思えません。どのような趣旨のリバートなのか説明を求めます。そして末尾で私の言葉を利用して当てこする行為も同じです。
追1.他の出典と『九州の役』を記事と見比べていただければ共通理解いただける点だと思います。記事の母体として『九州の役』以上に基幹出典と成り得る出典があるのであればご提示ください。
--Yasumi 2011年2月24日 (木) 21:33 (UTC)
ひとつとして回答になっていない
1・2. 貴殿の認識(「私がこの記事に加筆するために集積した出典のうちで質量共に最も詳しいと認識して」)など訊いてもいないし、そんなものは出典にならない。学説について貴殿がどう評価しようと自由だが、それは少なくともウィキペディアでは独自研究に過ぎない。訊いているのは「質量共に最も詳しい」という認識の出典
3. その「減少傾向にある流れ」があるとする出典の選択の妥当性は何で裏付けられるのか。言い換えれば、恣意的な文献の選択ではないと何によって裏付けられるのか。
4. 関係大あり。『九州の役』を「記事の母体として」位置づける以上、ここでの議論が今後の記事の成り行きに関係するのであれば、それは方針に従わなければならないのは当たり前。
5. 貴殿とてコメント依頼を出されながら、コメント依頼の場を無視し、コメント依頼の提出者に対する印象操作に努めている(ノート:取次 (豊臣政権))だろうに、なぜ人がやるとダメで自分なら良いのか。二重基準の極みとしか言いようが無い。
追. 明記されていないものを出典と主張するなど意味不明。何を言っているのか皆目分からない。将来どうするのかという未来形の話と、現状どうなっているのかという現在(完了)形の話を混同するのは議論の攪乱。現状の記事はどうなっているのか、と言っているのだから見当違いな上に事実に反する。
もう一度全問回答しなおされたい。--Watchdog daemon 2011年2月25日 (金) 16:48 (UTC)追記。--Watchdog daemon 2011年2月25日 (金) 17:18 (UTC)
1-2.ですからこの場合の出典とは『九州の役』以下の集積した記事用出典となります。私はまず記事を読み、そして『九州の役』等の記事用出典を読んで比較した結果を述べているのです。想定回答が来ないと言われても困ります。
3.「恣意的である」との御意見による批判であれば、その旨を根拠を添えて批判すれれば良いし、そうでないのであれば恣意性の有無による問題は無いのでしょう?そして記事を書くために出典に当たられた方なら、「征伐」の減少傾向は体感的にも理解いただけるものと思いますが?
4.記事と出典群をお読みになり、記事と出典の一致性を判断されれば良いのでは?
5.今のところ、直接対話で解決しそうにないからコメント依頼の場で第三者の意見を募っている状態です。
 よくわからないので確認しますが「なぜ人がやるとダメで自分なら良いのか。二重基準の極みとしか言いようが無い。」のダメなこととは、Watchdog daemonさんが「コメント依頼を出されながら、コメント依頼の場を無視し、コメント依頼の提出者に対する印象操作に努めている」をしていることですか?お答え下さい。
 それと、指摘の機械的リバートについて何処でご説明いただけるのでしょうか?お答え下さい。
 なお、私はコメント依頼の場を無視していませんし、印象操作に努めているつもりもありません。
追.第4項と同じです。記事と出典を読んで判断下さい。
--Yasumi 2011年2月27日 (日) 19:52 (UTC)
1-2.『九州の役』が参考文献として挙げられている例を求めているのではなく、「質量とも最大」と評価されている例を訊いている。後者がないのなら、「質量とも最大」という評価は貴殿の独自研究であり、その独自研究をもとに記事について何かを決めることは許されない。
3.つまり、恣意的に『九州の役』が優位であることを示す文献ばかりを選択したわけではない根拠は示せない、ということか。
4.出典の妥当性を示すのは、こちらの責ではない。『九州の役』を持ち出したのは貴殿。
5.貴殿は、ご自身に対するWikipedia:コメント依頼/利用者:Yasumi 2回目 20110103‎では一言も応答していない。その一方で、当のコメント依頼の発端になったノートでは、議論相手によるコメント依頼の内容を「予断を与えかねないもの」と非難する一方、その具体的な根拠については何も挙げない。こうした事実にもとづき、「コメント依頼を出されながら、コメント依頼の場を無視し、コメント依頼の提出者に対する印象操作に努めている」の主語は貴殿である。--Watchdog daemon 2011年2月27日 (日) 20:21 (UTC)
私が「もともとは九州征伐という記事であったものを九州の役に改名する理由は何か」とたずねても、「九州の役」が出典として「質量とも最大」と言うだけでしたが、ご指摘どおりにYasumi氏の意見には根本的な問題が見受けられます。--秋田城之介 2011年3月3日 (木) 04:08 (UTC)
「もともと九州征伐という記事」であったことはどうでもいいことです。現実には、この記事は「九州の役」なのです。蒸し返しはいい加減おやめになるべきでしょう。--Chokorin 2011年3月3日 (木) 07:04 (UTC)
(Watchdog daemonさんの 2011年2月27日 (日) 20:21 (UTC) へ)
1-2.何時から意見を述べるコメント表現に出典から一言一句の引用が必要になったのでしょうか?Watchdog daemonさんの認識・意見に独自研究があるように、私の認識・意見が独自研究である可能性は0ではありません。対話のために独自研究から共通認識と成り得る出典は示しました。検証可能性は示されたのでご検証下さい。
 今回で言えば、当方は「記事の出典として『九州の役』が一番近く詳しい」と認識しており、その根拠は当方個人による見比べた上での認識です。また「質量とも最大」との表現ではありませんが、小竹論文では「詳細に関しては・・・参照」と他ならぬ参謀本部本を引用しています。後者が「出典ではない」というWatchdog daemonさんの意見も独自研究になるのでしょうか?私は、他と比べて何もないよりはよほどマシな出典だと思います。出典は示したのですから、異議があるなら検証可能性を生かして判断ください。
 それに、よく読めばWatchdog daemonさんは「Yasumiの意見は独自研究であると独自研究の閾値で判断しているだけ」であって、別に「『九州の役』が質的にも最大の出典であるというYasumiの意見自体を否定」していませんよね?否定も反対もしていないのであれば問題ありません。
3.私は手に入る範囲での記事をテーマとした出典の入手・集積と読解をしたわけですが、そもそもこの場合に想定される「恣意的でない出典選択」とはどのように担保できるのでしょうか?比較がなければ批判にも否定にもならないように思えます。この件についても、Watchdog daemonさんの意見は「Yasumiの出典選択は恣意的だ、とは否定していない」わけですよね?否定も反対もしていないのであれば問題ありません。
4.Watchdog daemonさんが「九州の役」の優位性を判断しないというのは自由です。Watchdog daemonさんが「九州の役」に優位性が無いと主張していないことは確認しました。
5.Wikipedia:コメント依頼/利用者:Yasumi 2回目 20110103で一言も応答していない。 >今のところ、あちらでは模様砂漠2さんが第三者の意見を募集している展開です。現時点で、私に何を応答せよと言うのですか?
(秋田城之介さんの 2011年3月3日 (木) 04:08 (UTC) へ)
過去の改名経緯に関しては過去ログの通りですし、既に説明も済んでいます。また混ぜっ返しをするのですか?一体全体、秋田城之介さんは今現在の記事に対して改名提案を行っているのでしょうか?
--Yasumi 2011年3月6日 (日) 21:37 (UTC)
>1-2.何時から意見を述べるコメント表現に出典から一言一句の引用が必要になったのでしょうか?
何を言っているのか意味不明。出典を挙げるには書誌事項を挙げればいい。「一言一句の引用」なんて誰も言っていない。人の話を捻じ曲げて質問をそらそうとしないこと。
>それに、よく読めばWatchdog daemonさんは~
独自研究の疑いがあることは、ウィキペディアでは議論の根拠に出来ないのに、そんなものを「記事の母体」にするなんて出来るわけない。確かに賛成も反対もしないけれど、それは賛否のはるか手前でダメで、賛否の対象にすらなりえない。意見の存在自体を否定されていると言うのに、何を言っているのか。
>3.私は手に入る範囲での記事をテーマとした出典の入手・集積と読解をしたわけですが、
貴殿は学説史と言うものをご存じないのか。学説や文献の評価は学説史・研究史で調べるのだよ。それが無理なら書評でもいいが。そんな体裁で歴史を主たる執筆フィールドにしているとは理解不能。
話のねじ曲げとそらしに終始しないで本の1冊、論文の1本でも挙げたらいかがか。--Watchdog daemon 2011年3月8日 (火) 14:55 (UTC)追記。--Watchdog daemon 2011年3月8日 (火) 15:35 (UTC)

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wikipedia:コメント依頼/Watchdog daemon関連を提出いたしましたので、お知らせします。--Watchdog daemon 2011年3月12日 (土) 06:17 (UTC)

ですから説明済みです。私の意見の出典は執筆のために集積した出典群であり、その中には参謀本部本を「詳しい」と述べた「小竹論文」や『国史大事典』があります。検証が必要で在れば御検証下さい。
学説史を以て、私の意見を否定する意見を表明するのであれば、ご自身の流儀の通り、出典を以て否定すればよいでしょう?逆質問します、Watchdog daemonさんのご質問の出典
ノートは利用者の意見を調整・集約する場であり、利用者の意見を独自研究として退ける事はできません。この議論では終点の多少から言葉の解釈まで利用者の独自研究に満ちているわけですが、それを個人的な理論からコミュニティに支持される結論へ導くのが議論です。Wikipedia:独自研究は載せない(NOR)では「他の記事内容に関するルールと同様、独自研究の排除は記事にのみ適用され、ノートページやプロジェクトページには適用されません。」とあります。Watchdog daemonさんは独特のルール解釈で私のみならず、今までに意見を言った参加者を否定し議論を破壊するつもりですか?--Yasumi 2011年3月13日 (日) 21:03 (UTC)
>ですから説明済みです。
説明にも答えにもなっていないものをいくら繰り返しても済みにはなりません。
第1。文献の評価方法。
  • 「結局の所、余程の事情がない限り、出典『九州征伐』から作った記事は記事名「九州征伐」となり、出典『九州平定』から作られた記事は記事名「九州平定」となり、出典『九州攻め』から作られた記事は「九州攻め」となるのではないでしょうか?この記事は、出典『九州の役』や「九州役の陣立書」から作られた記事名「九州の役」なのです。」(同、Yasumi氏、2011年2月3日 (木) 20:46 (UTC))
→まったくもって、ごもっともです。
  • 「記事の母体として『九州の役』以上に基幹出典と成り得る出典があるのであればご提示ください。」(同、Yasumi氏、2011年2月24日 (木) 21:33 (UTC))
→『九州の役』を本項目の「記事の母体」「基幹出典」と位置付けられるとのこと。であれば、貴殿が繰り返し挙げる「史学的状況」とやらは、どのように考慮されているのでしょうか。逆に『九州の役』の位置付けとなった途端に、「自分の読んだ範囲」が「出典」となるのはどういうことでしょうか。そういうのは独自研究と言うのだと承知していますが?
  • 「この記事のテーマ・構成・内容で質量共に最も詳しい出典が『九州の役』であり、記事本文も「九州の役」の呼称で扱っている出典群に比重を置いて記事が生み出されている以上、この記事と最も適合する呼称は「九州の役」であるという結論は動かせません」(ノート:九州の役より、利用者:Yasumi氏、(2010年12月10日 (金) 20:54)
『九州の役』という約120年以上も前の明治26年(1893年)に刊行された本が、今も「質量共に最も詳しい」というのは、それ以後の研究全てが質の上でも量の上でも「詳し」くない、言い換えれば、120年前から研究は前進していないかあるいは後退しているという極めて驚くべき主張です。
この主張をしたのは私ではありません。『九州の役』を本項目の「記事の母体」「基幹出典」と位置付ける、というのであればその主張は記事をどのように書くかというと直結している。だから学説史的評価の妥当性には出典が必要です。特別な主張には特別な証拠が必要であり、その証拠を挙げる責任は主張をした側にあります。
それとも貴殿が何かと言うと口にする「史学的状況」は、たまたま貴殿の手の届いた範囲にある文献にどう書いてあったのか、ということを意味するのでしょうか。そういうものは小学生のリポートならいいでしょうが、まちがっても史学の流儀ではありえません。百科事典は学説史ではありませんし、小竹論文も学説史・研究史を主題として検討した箇所でそのように言っているわけではありません。
『九州の役』は「質量とも最大」の文献である、という命題の出典を必要としているのは私ではなく、貴殿の主張の構造のなさしめるところです。
2.現状の記事は『九州の役』
現状の記事は既に指摘したように『九州の役』を、記事名に関するただ1ヶ所を除いていかなる意味でも明示的に参照していません。現在の記事の量的に3分の2にあたる履歴には『九州の役』は影も形もありません。書誌のみが書き加えられた後も記事名を除けばどこがどのように参照されたのか、全く不明です。「記事と出典群をお読みになり、記事と出典の一致性を判断されれば良いのでは?」というのは全くもってWikipedia:検証可能性とその実現としてのWikipedia:出典を明記するを軽んじた発言であり、方針不理解を示すものとして看過できません。--Watchdog daemon 2011年3月14日 (月) 13:31 (UTC)

Chokorin氏の発言には対応しているのに、こちらには応答無し。対話拒否のおつもりかな?--Watchdog daemon 2011年3月30日 (水) 07:31 (UTC)