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Wikipedia:コメント依頼/三階菱

これまでの経緯

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コメント依頼後の行為

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被依頼者のコメント

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  • ご覧の通りの粗末な依頼なために、コメントする利用者も居ない状況ですね。依頼者はよく考えるべきでしたね。--三階菱 2010年11月3日 (水) 07:46 (UTC)[返信]
  • 自分自身冷静ではない部分もあったことは認めますが、征伐での編集に関してはジャムリン氏らも冷静では無かったと思われます。それにつきあってしまったことも反省すべきですかね。--三階菱 2010年11月5日 (金) 08:01 (UTC)[返信]
  • 依頼者のプリズム11氏は、「コメント依頼後の行為」として挙げているものには出典があり、これを不当と見なすのは一方的な考え方です。不備は認めますが、出典脚注を入れた上で再度復帰させました。いちいち問題行為かのように取り上げるのはやめてもらいたいですね。--三階菱 2010年11月9日 (火) 09:58 (UTC)[返信]
  • 私が強権的と言う意見に対してですが、プリズム氏にらによる強硬編集に対してエスカレートしてしまい、私も大人げない事をやったとして反省すべきですね、それはお互い様ですが。--三階菱 2010年11月19日 (金) 05:29 (UTC)[返信]
転載の件は言いがかりですし、実際、掲示板も理由にしているのは事実でしょう。こじつけで人を非難しないでください。--三階菱 2011年1月12日 (水) 15:10 (UTC)[返信]

コメント

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  • コメント 出典を軽んじ、ガイドライン・方針に則した編集することなく、その行為に対して注意を受けても、ただひたすら我意を通そうとする姿勢にはユーザーとしても問題があると思います。これは議論においても同様で、反論・疑問に対して有効な回答を返すこともできず、注意を受ければ己の行為をかえりみることなく、返って相手を批判・挑発・責任転嫁するなど、今のままのでは、おおよそ議論においても編集においてもwikipediaに参加するには不向きなように思えます。それは上記に被依頼者コメントからも、うかがえます。残念なことですが、ご自身の主張を理解させようとするに必要な、そして相手の言っていることを理解する能力・努力に甚だ欠けているご様子です。今までの行為からしますと、コミュニティを疲弊させるユーザーに該当すると考えます。--ジャムリン 2010年11月3日 (水) 09:14 (UTC)[返信]
  • コメント 根拠が不明確な発言や、自分の考えに都合のいいような解釈・発言が多いように見受けられます。「学術的に正確」「役は増えてきている」「適切」「学問上でも戦役を「の役」とすることが主流であることは自明」「近年多くなっている」などの明らかに論拠があってしかるべき発言をしているにも関わらず、それらの論拠を提示しませんでしたし…(本来最初から用意すべき根拠の提示を長期間(或いは全く)行わないのはどういうことなのか理解しかねます)。見たところ、Google書籍検索やNDL-OPACなどの検索結果を出すだけのことから、「実際に図書館などに赴いて本を手に取って調べる」ということを殆どしていないのでは、とも思えてきます。また、「既にこの名前で成立した記事なのに、延々と改名議論を続けるのは執筆者に対する妨害になりかねない」([1])、「まともな反論が無いので改名提案を早期終了すべき。項目名ばかりに拘るのは不毛」([2])というように、別のノートでの自分の姿勢と相反する言動をしていたり、つい最近ではノート:九州の役の再改名提案で、賛成2・反対2・態度表明なし1と拮抗している状況にも関わらず反対多数として早期終了提案をしたりと、勝手過ぎる所が目立ちます。それでいて、そういったことを指摘されても何ら自省する様子も無く、議論と関係の無いことについて相手に指摘したり、最終的には他者に責任転嫁したりと、まともに議論を行おうとしているように見えません。要するに、被依頼者には「他者との協調性」が欠けているのではないかと思われます。今後もWikipediaで活動を続けるのであれば、その点は是が非でも改善していただきたい。--松茸 2010年11月4日 (木) 12:58 (UTC)[返信]
  • (11/5の三階菱氏のコメントを受けて)私はガイドラインと方針に添った編集を行っていただけですし、どなたを付き合わせたわけではありません。三階菱氏がなぜ、ガイドラインや方針、そして私の編集の際の【編集内容の要約欄】の記述を理解したとは思えないような編集を繰り返していたのか、その理由・原因も知りません。ただ、再三の指摘にも関わらず、三階菱氏がガイドラインや方針を無視した編集・提案・議論を行っていたことを知るのみです。反省につきましては、三階菱氏ご自身に向けられた数々のコメントで指摘・注意されたことを反省の上で改善の意志を示し、実行なされることをお奨めします。--ジャムリン 2010年11月6日 (土) 02:58 (UTC)[返信]
  • コメント 少なくとも議論の場においては、被依頼者のスタンスに協調性や文言に対する解釈の仕方などの問題があるように思えます。本人も多少は自覚されているようですが、それが状況改善に繋がるかどうかは私にはわかりません。--秋田城之介 2010年11月6日 (土) 08:16 (UTC)[返信]
  • コメント 松茸さんのコメントにもある通り、ノート:関ヶ原の戦いノート:長州征討の議論を見てわかるように、要求されている先行研究・参考文献の提示をすることなく、改名を強行、さらに調査のために猶予を与えたにもかかわらずろくに調査もしないで他人に責任転嫁して議論終了という行動、また、該者のコメントを見てわかるように反省の色も見られないことは看過できるものではありません。--Wushi 2010年11月6日 (土) 11:57 (UTC)[返信]
  • コメント Wikipediaの執筆内容に相応しいのは、信頼できる情報源に記載されている事項であり、必ずしも「真実」「論理的に正しいこと」が相応しいとは限りません。従いまして、被依頼者におかれましては、他執筆者と議論される際には、自らの意見の論理的な正当性ではなく、いかに信頼できる情報源に掲載されているかを主眼に置いて主張されることが肝要かと存じます。なお、「真実」「論理的に正しいこと」であっても、信頼できる情報源に記載されていない場合、それは独自研究と見なされ、Wikipediaへの執筆内容としては避けるべき事項となる場合があります。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありませんも参考にしていただければと存じます。なお当方自身、被依頼者の主張が論理的に正しいとの見解を持っているわけではありません。念のため。--Snap55 2010年11月8日 (月) 15:26 (UTC)[返信]
  • コメント 三階菱さんはやや強権的な方かなと感じました。他の利用者があなたの主張や疑問に対しては何らかの出典を持って来て対応をすべきであると思います。対立している方が正しくないとわかっていてもそれを説得するくらいの心構えで編集には臨むべきであると思います。それなのに、強権的なまたは他の利用者に反発を買うような態度を取るのはいかがなものかなと思います。この行為をずっと貫き通すつもりであるのなら、コミュニティーを疲弊させる利用者と見られてもやむ負えないと考えます。--パールブリッジ 2010年11月9日 (火) 18:27 (UTC)[返信]
  • コメント Wikipediaでは畑違いの分野ではありますが、日本史も好きなので記事は良く閲覧しております。その中で本コメント依頼を見たのでつぶさに経緯、および三階菱さんの執筆記事や会話等々を熟読した上で意見致します。結論から申し上げると三階菱さんは自説に拘る余り意固地になっているような気が致します。私もWikipediaに参加し始めて暫くは三階菱さんと似た編集傾向だったこともあり、第三者の批判に対して意固地になり、意見の衝突もしました。ですがその時に仲裁して下さった方や対立した方の意見をよくよく熟慮して反映したことが、今となっては却って良い方向に行ったのだと思うようになりました。私の勝手な推測ですが三階菱さんは実はご自身の誤りを感じていながら、歴史に詳しいという自我が邪魔をしているのではと感じます。被依頼者における三階菱さんのコメントは「(依頼者を始めとした様々な方の指摘を)認めたいけど認めたくない」という意思の表れが皮肉めいたコメントになっているのではないか、そう思います。日本史関連記事は上手くまとめるのが難しい分野で、今現在秀逸な記事の選考にかけられている坂本龍馬はあれだけ出典や参考文献を列記しているのも拘らず指摘が多い状態です。「役」もそうですが特にマイナーな戦国武将では出典を詳細に呈示するのは大変だとは思いますが、やはり出典の明記という基本線は軽視すべきではないと考えます。「文責」という言葉の意味を是非三階菱さんには良く咀嚼して頂きたいですし、成人なのですからルールの遵守ともうすこし柔軟な対応を心がけることも必要なのではないでしょうか。また責任を他人に転嫁するのは良くありません。三階菱さんはご自身が勤められている会社で同じことが出来ますか。長くなりましたが心に留めて欲しいと思います。--河川一等兵 2010年11月19日 (金) 18:35 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者が著作権侵害について言いがかりとおっしゃるのでしたら、他の方の判断を仰ぐために、Wikipedia:著作権問題調査依頼を出されるのも、ひとつの方法かと思われます。現状では「伊丹親興」で検索すると「Web版尼崎地域史事典『apedia』」の「伊丹親興」の方が先にきてしまってはいますが。--ジャムリン 2011年1月12日 (水) 17:55 (UTC)[返信]
  • コメント リンク先に飛んで頂ければ分かる通り巨大掲示板は「発見のきっかけ」として挙げられているだけで全く「理由」とはされていません。もし「言いがかり」と主張されるのでしたら今からでも反論したらいかがでしょうか。それと、今でも基本的にご覧の通りの粗末な依頼なために、コメントする利用者も居ない状況ですね。依頼者はよく考えるべきでしたね。とお考えということで宜しいですか。違うのでしたら他の論点についてもお返事下さい。あなたの行為についてはいくつものページでコメント依頼をしていますので。--プリズム11 2011年1月13日 (木) 09:02 (UTC)[返信]

コメント非常に問題のあるユーザと考えざるを得ない。

方針等の不理解
  1. 改名提案に当たり「関ヶ原の役という呼び方は、より学術的に正確」(2010年8月15日 (日) 12:19)、「「征長の役」への改名をしたいと思います。征伐とか征討だとかは差別的で不適切な用語だと思うので」(2010年8月7日 (土) 09:21)などと主張しているが、出典となるべき文献を提示するようにとの要請に応えず、方針文書であるWikipedia:検証可能性やその補足となるガイドラインWikipedia:出典を明記するの理解度に重大な疑問がある
  2. 出典提示を求めるコメントに対し、「戦いと役の違いについては戦闘や戦役のページに記載されているもので、Wikipediaでの合意を伴った見解である」(2010年10月9日 (土) 06:50)と主張するが、そうした合意が無条件に他の記事に適用されるわけではないと他の利用者に指摘されると、今度は「こうした見解には裏付けが有り、Wikipedia上でも合意が取れているということです」(2010年10月15日 (金) 04:52)と抗弁。出典を求められている ときに、ウィキペディアの記事や合意を引き合いに出したとしても、それらは何ら出典としての意味を持たないWikipedia:信頼できる情報源)ということを理解していない。
  3. 改名すべき理由として「中立的」という語を引き合いに出すが、その内容が「それは幕府視点の偏った見方ですね、中立的な観点でお願いします」(2010年8月28日 (土) 11:34 (UTC))というものであり、Wikipedia:中立的な観点とは何の関係もなく、出典も伴わない単なる個人的な信念であるに過ぎない。その点に対する勘違いを指摘されても、「そもそも、私は中立的観点について正しい主張をしています」(2010年9月22日 (水) 03:20 (UTC))と主張し、方針不理解を自覚していない。
言行の矛盾
被依頼者の言行は矛盾が多々見られる。
  1. 「教科書は最新の学説や研究結果を反映していないのであまり参考になりません」(2010年9月2日 (木) 03:10 (UTC))、「何より学校教育のレベルです」(2010年9月15日 (水) 07:02 (UTC))と主張して反対意見に反論するが、他の利用者が指摘するとおり、国立国会図書館の蔵書検索でも被依頼者の主張を支持するような検索結果は一切得られなかった(ただ1件だけあったものも明治26年発行の参謀本部編の戦史の新装本に過ぎない。この指摘に対し、被依頼者は何の反論もせず、具体的な文献を挙げることもしなかったが、明治26年刊行の書籍を最新の学説などとはとうてい呼ぶことは出来ないし、学校の教科書のほうが明治26年の書籍に依拠するよりはるかに新しい「学説や研究成果を反映」している。
  2. 地方史における研究成果等について、町史や地方史の史料集が自説の出典であると一方では主張する(2010年9月10日 (金) 07:51)かと思うと、「地方の教育委員会が出版したものなどだけで学術的なものは皆無です」(2010年9月10日 (金) 07:18)と主張する。この間の時間差、わずか33分。これほど短時間の間に何ゆえ見解が正反対になるのか理解不能。
  3. 地方史における研究成果についての矛盾する言動を他の利用者に突かれると、「地方の教育委員会が編集したもの=地方史ではないですから、これに関するスタンスの違いは矛盾するものではないです」(2010年9月26日 (日) 06:13)と主張するが、2010年9月10日 (金) 07:51に被依頼者が挙げた地方史の文献は高知市民図書館から個人が出版したもので、国立国会図書館にも所蔵されておらず、その性格や信頼性について論評は慎重であるべき(歴史家による使用実績がない限り、安易に使うことは控えるべき)類のものであり、教育委員会はダメで地方の(おそらく)アマチュアの研究者ならよいとする理由は全く理解しがたい。テーマによってはそうした文献以外に文献が無いものもあるかもしれないが、長州征討のような主要な歴史上の事件でそのようなことがあるはずがない。もしそれほど評価されているのなら、それを示す検証可能な出典を挙げるべき。
  4. 前項に関連して。書籍や自治体にもよるが、教育委員会や自治体が編纂した地方史であっても、大学や博物館等の研究機関から専門家を招請して編纂し、それにより査読誌掲載の論文で参照されるような重要な研究成果が地方史に収められる例も少なくない。そうした地方史編纂の事情について、被依頼者は知識がないと思われる。
  5. 別の記事では「マトモな反論は返って来ないようなので改名議論の早期終了をすべきです。項目名ばかりに拘るのは不毛です」2010年9月7日 (火) 09:36と主張しているが、本人はマトモな出典も返せないのに項目名に拘る不毛な行動を2つの記事1ヶ月近くも、しかも並行して継続しており、明らかに矛盾している。
  6. こうした矛盾は他の利用者からもさんざん指摘されているが、いっさい自覚していない。なによりも、「「征長の役」への改名をしたいと思います。征伐とか征討だとかは差別的で不適切な用語だと思うので」(2010年8月7日 (土) 09:21)と、自分自身の提案すら理由と提案内容が矛盾している
能力上の疑問
  1. 前出の被依頼者が唯一挙げた文献は史料集であって、歴史学者の研究の「材料」であり、出典として使えるのか疑問。また、別の一冊についても書誌事項を正しく伝えておらず、つまるところ文献を適切に扱う能力に疑問がある。
  2. 前項類件。利用者‐会話:三階菱#お教えくださるようお願い申し上げますでも参考文献の書名が不正確という致命的な誤りを露呈。不正確な書名標準的な書誌事項の挙げ方に従うよう要請されているが、出版者すらろくに明記しておらず誤りが少しも正されていない。誤っていることに自覚がないのだろう。
  3. 被依頼者が初版作成した記事に関する著作権上の疑念を指摘された際利用者‐会話:三階菱#出典明記のお願い)も、指摘の内容を完全に履き違えており、その誤りの指摘に対しても何の応答もしていない。
  4. ノート:九州の役でも延々と議論に参加しているが、独自の識見を提示することはなく、他の利用者の「尻馬に乗って」付和雷同しているに過ぎず、単に他の議論参加者に無用のストレスを与えているに過ぎない。
まとめ
方針等に対する不理解が見受けられるだけでなく、文献を適切に扱う技術や、他者の発言を理解した上で応答する能力に欠けるところがある。また、日本史に関する記事を主たる活動分野としているようだが、基本となるべき文献の性格を理解した上で取り扱う能力に欠けており(地方史編纂の事情を知らない、「史料」が何を意味するのか分かっていない、「明治26年」の書籍に依拠することが「最新の学説や研究成果」を反映することだと思っている)、理解不能の域すら超えている。にもかかわらず、被依頼者は自身の問題に何ら自覚を持つことなく(当然、改善することもなく)、それらの能力を大いに必要とする箇所に出入りを続けており、それによりコミュニティの消耗と電算機資源の浪費を招いており、活動を改めるか能力的な改善をする必要がある。--Watchdog daemon 2011年1月15日 (土) 17:03 (UTC)[返信]

報告 Wikipedia:削除依頼/伊丹親興 2011-01-15は削除で終了。同依頼にて、出典として挙げられていた「兵庫県史 史料編 中世6」には伊丹親興は一切出てこなかったとの報告あり。著作権侵害に加えて、虚偽の出典提示の疑い。--Watchdog daemon 2011年1月21日 (金) 15:51 (UTC)[返信]

  • コメント 『兵庫県史 史料編 中世6』の件の説明を求めたく思います。単なる巻数の錯誤と思いたいところですが…。あと、伊丹氏にも同様の出典を挙げていますが、これについても説明を求めたい。私の時間上の都合により、当該巻掲載の「東寺文書」の全てを事細かに見たわけではない上(目次掲載の年号と、親興が出てきそうな末尾のものだけはチェックしました)、当該巻には索引がありませんでしたので確認できていないのですが、「鎌倉時代末期から各文書に名前が現れ始める」の部分は本当でしょうか。本当であるならば、その掲載ページ数・文書番号・文書の年月日・差出人と宛名の人物名・文書の内容などの詳細をご提示いただきたく思います。--松茸 2011年1月22日 (土) 03:50 (UTC)[返信]
  • コメント利用者:三階菱会話 / 投稿記録 / 記録氏は活動を停止しており、活動を再開しない限りはこれ以上の追及をするのはかえって酷であると考えます。しかし、ほとぼりが冷めたころを見計らったかのように「姿勢を改めずに編集を再開」したり、「責任を放棄した形で」IPや別アカウントで活動するようであれば、相応の対処が必要になると思います。--ShellSquid/履歴 2011年2月7日 (月) 01:56 (UTC)[返信]
    • コメント もともと被依頼者の活動のインターバルは長い。ほとぼりを冷ます自然な体裁を作るにはちょうどいい。コメント依頼を閉じればきっと活動再開し、「粗末な依頼」ごときで「いちいち問題行為かのように取り上げるのはやめてもらいたい」「こじつけで人を非難しないでください」とのたまうことだろう。応えるまで閉じる必要を認めない。--Watchdog daemon 2011年2月7日 (月) 14:51 (UTC)[返信]
      • コメントコメント依頼を閉じる必要は全くないと思います。三階菱氏が自分の問題を解決するか、あるいは皆様の我慢の限界に達して「コミュニティからの介入」という形で問題を解決させられるかまで、このコメント依頼は続けるべきだと私も考えています。私の稚拙なコミュニケーション能力から生じた語弊によってWatchdog daemon様に誤解を生じさせてしまい、すみませんでした。--ShellSquid/履歴 2011年2月8日 (火) 06:16 (UTC)[返信]

まとめ

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Watchdog daemonさんより「被依頼者の活動のインターバルは長い。」とのご指摘がありましたが、すでにこのコメント依頼より半年を過ぎたにも拘らず本人より有効な反論がないのでWikipedia:投稿ブロック依頼/三階菱を提出させて頂きます。--プリズム11 2011年5月6日 (金) 03:44 (UTC)[返信]

報告 一年間のブロックとなりました。--プリズム11 2012年1月10日 (火) 09:47 (UTC)[返信]