ノート:丙午
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マスコミの報道について
[編集]>丙午(1966年)生まれの川嶋紀子が秋篠宮妃に内定すると、その後、マスコミ上において「丙午生まれの女性>は-」といわれることは一切なくなった。
現在でもマスコミにおいて、丙午生まれに関する迷信や偏見について報道される例はあります。 秋篠宮妃以降、丙午に関する偏見や迷信に関する報道は無くなったという記事を載せたのは『週刊新潮』ですが、全く根拠のない情報ですので、削除させていただきます。--Korokorokuririn 2010年6月3日 (木) 10:22 (UTC)
- (コメント) あれ、その対処は変じゃないですか? Korokorokuririnさんの挙げられた『週刊新潮』というのは、充分な出典ですよね。所詮週刊誌だから信頼性は低いという部分には同意できますが、それを記述するだけの根拠は存在しているので、例えば、「一切なくなったと言われることもある。<ref>週刊新潮2XXX年13月号1024ページ</ref>」などと記述するべきではないでしょうか。あとはそれに反する事実について記述した出典と、それに基づいた記述をするべきではないでしょうか。少なくとも現状では、Korokorokuririnさんが「全く根拠のない情報です」という独自研究に基づいて記述を削除したということになってしまいます。--輪宝スダルサナ 2010年6月4日 (金) 05:29 (UTC)
- ◆まず、1990年の秋篠宮文仁親王ご成婚の後でも「丙午生まれの女性については(いまだに)迷信がある」という迷信を否定する意味での記事はメジャーマスコミにも簡単に見つけることができます。メジャーな新聞DBを調査して出典をつけることもできます。たとえば朝日新聞2006年2月18日付で丙午の迷信に関する記事があります。その意味ではKorokorokuririnさんの「報道される例はある」と書かれているのは正当だと思います。
- また、「丙午生まれの女性は夫を食う」という類の迷信そのものがマスコミで肯定的に報道されたかということですが、丙午生まれの女性が結婚適齢期となった1924年頃の朝日新聞・読売新聞では、啓蒙的に「そんなのは迷信だ」という否定記事が多く出ています。これも出典を付けることができますし、私が記事に加筆しています。つまり、迷信を肯定するような報道は、戦前の時点でさえメジャーな新聞(この時代のマスコミと同義)ではほぼ見受けられず、(一切なくなるというような事が、実際に可能かどうかは分かりませんが)「一切なくなった」のは、さらに戦後の人権問題重視や差別用語の使用停止という流れからであって、1990年の秋篠宮ご成婚を契機にというのはわかりやすく語られる一つの要因に過ぎないでしょう。
- ◆ある問題について、Aと見る見解と、Bと見る見解があって、AもBも双方の見解に説得力があり、Wikipediaの記事に記載しておくべきだと考えるのであれば、そのBの見解が存在することの出典として「19XX年XX月発売の週刊誌XXに報道された」とすることは私は有りだと思っています。その意味では輪宝スダルサナさんの意見も理解できます。
- 問題は、この文章を加筆されたIP59.141.248.151氏は、文仁親王妃紀子の記事にも同様の加筆をされていて、いわゆる「菊タブー」を書きたかったんだろうなと思うのです。ですから丙午#迷信という記事において、やや唐突な印象になってしまっているのだろうと思います。もし、これを加筆したいのであれば、上記のような「丙午についての迷信の報道の傾向」を丹念に追っていって、そして、とどめとして1990年の秋篠宮ご成婚があった、という記事の流れなら、上記の輪宝スダルサナさんも書かれているように「所詮週刊誌だから信頼性は低い」けれども、そういう見解を取っている人もいるよ、と記載する価値があるでしょう。
- ◆現時点での私の結論ですが、結論として削除は妥当だと思います。理由として(1)問題の加筆は「迷信否定の報道」か「迷信肯定の報道」か、何がマスコミ上から消えたのかわかりにくい文章である。(2)迷信否定の報道はご成婚後も存在し簡単に証明できる。(3)迷信肯定の報道が一切消えたとするなら、まずご成婚前に迷信肯定のマスコミ報道があったことを出典付き記載すべき。(4)週刊新潮XX月XX日号のXXX頁を出典とするというのは、本来IP59.141.248.151氏が示すべきものである(もちろん事前に要出典タグの付加が強く推奨されてはいるのですが)--竹富島 2010年6月5日 (土) 04:27 (UTC)
- 竹富島さん、了解しました。削除の妥当性について納得いたしました。懇切丁寧なコメント、ありがとうございました。--輪宝スダルサナ 2010年6月7日 (月) 12:29 (UTC)