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ノート:一休宗純

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2004年の話題

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水島新司の「一球さん」は、一休宗純をモチーフにしていると言えるんですかね?--以上の署名のないコメントは、218.231.251.133会話/Whois)さんが 2004年6月30日 (水) 03:10 (UTC) に投稿したものです。[返信]

「この道・・・」

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「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかる」が一休宗純の作であるという、根拠となる資料はあるのでしょうか。本文中に「本当。猪木と縁のないNPO法人の設立趣意書やベテラン登山者のサイトなどでも引用されている。」という記述が、コメントアウトされておりましたが、上記のサイト等を根拠とするのは、いくらなんでも乱暴でしょう。一休宗純を扱った(信頼の置ける)書籍、可能なら『狂雲集』のような一次資料の提示が望まれます。Azu 2005年8月18日 (木) 14:03 (UTC)[返信]

特に反応も無いようなので削除しました。Azu 2005年9月1日 (木) 23:22 (UTC)[返信]
  • 2次資料になってしまいますが、アントニオ猪木詩集『馬鹿になれ』の後書きに、「一休宗純の言葉」として、「道」が引用されています。根拠とするには弱いですが、アントニオ猪木自身が「一休宗純の言葉」と主張している証拠として、一応。--Doripoke 2006年6月24日 (土) 11:28 (UTC)[返信]

Info-jaにスキャン画像PDFで情報が寄せられました。それによると清沢哲夫『無常断章』収録の「道」という詩のようです。検索したところ、碧南市の図書館に禁帯出で一冊あるだけでした。お近くの方、ご確認いただければ幸いです。--miya 2006年9月25日 (月) 00:38 (UTC)[返信]

石川県立図書館蔵の『無常断章』を確認しました。たしかに「道」という詩があり、猪木氏が一休の言葉として引用している詩と酷似していますが、微妙に違っています。清沢哲夫の「道」の初出は、「同帰」という雑誌で、昭和26年10月発行のものです。初出誌と『無常断章』には、本文異同はありません。--以上の署名のないコメントは、61.127.163.29会話/Whois)さんが 2006年10月11日 (水) 03:50 (UTC) に投稿したものです。[返信]

義満との関係?

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本文中に「最近の研究により足利義満の子ではないかとも言われる」とありますが、寡聞にしてこのような説を見たことがありません。何か典拠があることなのでしょうか…「最近の研究」の内容を知りたいところです --トホホ川 2007年3月7日 (水) 21:33 (UTC)[返信]

改稿しました。私もAphaiaさんのご意見どおりだと思料いたします。なお井沢氏の異説は、参考、非表示として残しておきましたが、、。papamaruchan22 2007年4月17日 (火) 12:17 (UTC)[返信]

一休さんと一休宗純との区分けおよび当該項目をめぐる編集行為について

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先日、彩華1226とIPユーザーによる「一休を主題とした登場作品」をめぐる複数回の編集がありましたが、 私は、成人前の子供時代を描いた作品を「一休さん」、成人後の内容を扱ったものを「一休宗純」として扱うべきと考えますので彩華1226の編集を支持しますが 同氏による2度の編集(2012年6月18日 (月) 07:56)(2012年6月20日 (水) 14:56‎)において意図的か偶然かわわかりませんが成人以降の「‎一休宗純」を描いた内容も合わせて削除していたため今回一部差し戻しいたしました。

差し戻した内容 「日本史サスペンス劇場」宗純を子役ではなく加藤茶が担当し成人後の内容も扱っており番組ホームページでも確認が可能なため ただし、『クイズなっとく歴史館』の内容は確証が取れないため掲載は見送りましたが確証が取れれば再掲載する予定です。

もし、当該項目で再び編集合戦が繰り広げられた場合も上記項目の削除は行わないようお願いいたします。--ノーザン123会話2012年6月20日 (水) 19:51 (UTC)[返信]

  • コメント 私の感覚もノーザン123さんに近いです。私の理解では、「一休さん」は「一休宗純」が未だ「周建」であった筈の年齢時を舞台とした特に頓智話を中心としたフィクション及びその主人公であり、「一休宗純」は実在の人物を指すとの理解です。ですので、実際の一休はこうだったんだよ、という内容のドラマであれば、こちらに掲載しても差し支えないと思います。ただ、どの程度の作品を取り上げるかという問題は残りますが。--ろう(Law soma) D C 2012年6月21日 (木) 00:17 (UTC)[返信]
  • 歴史バラエティで歴史上の人物が取り上げられるのは当然のことであり、演じたタレントを含めて当該番組の放送リストに書くならまだしも、歴史バラエティで歴史上の人物が取り上げられたことをいちいち書くのであれば、論文、雑誌、ありとあらゆるメディアで当該人物が取り上げられたことがいちいち書かれなければいけないのでしょうか。歴史番組なんてそれこそノーザン123さんが指摘される『クイズなっとく歴史館』のみならずいくらでもあります。奇しくも『クイズなっとく歴史館』は、私の編集に対する反論が行われることを仮定した時に、それこそ雑多なリストになると指摘する材料として考えていたものです。--彩華1226会話2012年6月21日 (木) 15:59 (UTC)[返信]

彩華1226さん、それ位の事は最近の編集の流れからして読んでいました。推察お疲れ様です。改めて彩華1226さんはじめ、みなさんへ伺いますが、宗純を扱っており番組ホームページでも確認、検正が可能な「日本史サスペンス劇場」の記載はOKでしょうか?NGでしょうか?小生は雑多なリストには当たらないと判断しております。--ノーザン123会話2012年6月21日 (木) 20:08 (UTC)[返信]

  • コメント 最近のドラマだから取り上げられやすいだけで、テレビ放送が始まって以降の全てのドラマを知っているわけではないので一概にOKとかNGとか言えません。ただ、もっとドラマの主人公に取り上げられやすい人物(信長とか秀吉とか9なら、「日本史サスペンス劇場」のように主人公週替わりドラマまでは賛成しかねるところです。--ろう(Law soma) D C 2012年6月21日 (木) 23:29 (UTC)[返信]
  • 賛成 。バラエティー番組の記述・出典が認められない理由のひとつに出典内容を検証できないというところがある。しかし、ほかのページではバラエティー番組のDVDやホームページが出典材料になっているケースも散見する。今回のケースはは番組公式ホームページといういつでも検証可能な出典がある以上、出典に問題はなく番組名位の掲載なら問題ないでしょう。ただし、時が経つにつれて内容が膨大になりやすい項目のため注意は必要でしょう--鍵ハンター会話2012年6月22日 (金) 11:24 (UTC)[返信]
    • 「バラエティー番組のDVDやホームページが出典材料」となるのは当該の番組や当該の番組に出演した人物の記事でしょう。取り上げられた歴史人物の記事にいちいち羅列すべき特筆性を満たしているとはいえません。--彩華1226会話2012年6月23日 (土) 11:02 (UTC)[返信]

皇胤説

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肖像画から推測するに後小松天皇と顔が違いすぎるような気がします。後小松天皇は鼻筋が通ってかなりイケメンです。豊臣秀吉御落胤説のようなものでは??--183.72.130.28 2012年8月4日 (土) 07:29 (UTC)[返信]

このことについては、宮内庁が一休の墓を皇族のものとして管理しているという現状があります。単なる印象論ではなく、否定説を唱えている研究者の著書等を示した上でのご提案であれば、議論になると思います。--ろう(Law soma) D C 2012年8月6日 (月) 02:57 (UTC)[返信]

後小松天皇皇子 宗純王墓確認いたしました。高貴な御顔立ちの方から立川談志師匠[1]のような洒脱な顔の御落胤が生まれるということもあるわけですね。人間の顔は後年はその人の人格が滲み出てくるものですので、こんなこともあり得るのでしょうが、親子でこうも骨相が全く違うということが不可解ではありますが。--183.72.130.28 2012年8月6日 (月) 07:11 (UTC)を継承27.231.207.221会話履歴)による偽署名、投稿日時は2012年8月6日 (月) 07:13‎ (UTC)。松茸による書き加え(左2012年8月6日 (月) 12:25 (UTC)183.72.130.28継承者による加筆)[返信]

失礼かもしれませんが、Wikipedia:独自研究は載せないをお読み下さい。ウィキペディアでは信頼できる媒体において未だ発表されたことがない内容を記事に書き込んではいけません。ここは百科事典ですので、個人の感想を書く場所でも新たな発想を発表する場でもないのです。
なお、絵の技法や目的(似絵頂相など)により肖像画というものは同一人物であっても様々な描かれ方をするものです(例:朱元璋)。--ろう(Law soma) D C 2012年8月6日 (月) 08:14 (UTC)[返信]

私は貴兄が情報を示していただき、それに納得し、感謝したことを示したつもりですが。貴兄の書き込みを「失礼」とは感じていませんので、その点はお気になさらないでください。ただし「未だ発表されたことがない内容を記事に書き込」ではいませんのでご確認ください。--183.72.130.28 2012年8月6日 (月) 07:11 (UTC)を継承110.161.130.93会話履歴)による偽署名、投稿日時は2012年8月6日 (月) 12:03‎ (UTC)。また、その後IP:110.162.156.209会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisにより2012年8月6日 (月) 12:25‎ (UTC)に書き加え[返信]

了解です。貴方が記事本文に書き込んでいないことは分かっておりました。また、ノートページは記事の内容に関する疑義や質問も書き込める場所ですので、貴方の編集を批判したわけではありません。そのように受け取られたのでしたら、私の書き方が良くなかったのだと思います。--ろう(Law soma) D C 2012年8月6日 (月) 23:55 (UTC)[返信]
まず、IPの方、Wikipedia:署名は適切に行ってください。また、IPがたびたび可変するのが好ましくないと思うのであれば、アカウントを作成してください。
そして、件のことですが、一休宗純と後小松天皇の親子関係に肖像画から疑義を唱える、というのはいかがなものかと思います。なぜならば、どちらの肖像画も本当に本人そっくりであるかどうかなど確かめようがないからです(写真など無い時代ですし)。また、「似てないから親子ではない」というのもどうかと。個人的な印象のみで史料の記述を否定するのは独自研究に当たるので、否定するなら文章の出典を提示の上でお願いします。--松茸会話2012年8月10日 (金) 04:38 (UTC)[返信]

一休の出生地について

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英語版の話で申し訳ございません。英語版では出生地が佐賀県になってましたが、嵯峨野の間違いですよね?訂正してきましたが確証が無いので。--RJANKA会話2016年7月9日 (土) 17:41 (UTC)[返信]