クイズなっとく歴史館
おもしろニッポン!なっとく歴史館 ↓ クイズなっとく歴史館 | |
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ジャンル | 歴史系クイズ番組 |
司会者 |
原田大二郎 榊原郁恵 長野智子(当時:フジテレビアナウンサー。榊原の代理) |
出演者 |
解答者 丹波哲郎 五代目中村勘九郎(→十八代目勘三郎) ゲスト解答者3名 VTR 神田紅 鳥海ゆかり ほか |
国・地域 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作 | |
製作 | フジテレビ |
放送 | |
放送チャンネル | フジテレビ系列 |
放送国・地域 | 日本 |
おもしろニッポン!なっとく歴史館 | |
放送期間 | 1988年4月7日 - 1989年3月23日 |
放送時間 | 木曜19:00 - 19:54 |
放送分 | 54分 |
回数 | 40回 |
クイズなっとく歴史館 | |
放送期間 | 1989年5月4日 - 同年9月28日 |
放送時間 | 同上(初回のみ木曜19:00 - 20:54) |
放送分 | 54分 |
回数 | 17回 |
『クイズなっとく歴史館』(クイズなっとくれきしかん)は、1988年4月7日から1989年9月28日までフジテレビ系列局で放送されたクイズ番組。通算57回(40回+17回)。
概要
[編集]歴史上の人物の人生ないし出来事を、ドラマで仕立てて取り上げながらクイズを出題する番組である。番組開始時のタイトルは『おもしろニッポン! なっとく歴史館』だった。1989年5月4日放送分(唯一の2時間SP)から改題された。
これまでフジテレビの木曜19時台は前半30分枠はアニメ[1]、後半30分枠はドラマやバラエティの放送枠として放送されていたが、当枠が1時間のレギュラー番組になるのは、開局以来この番組が初めてとなった。
また、歴史にテーマを絞ったクイズ番組も同局では初めてだった。これまでは、1970年スタートの『クイズグランプリ』のジャンルの一つ「文学・歴史」で出題される程度だった。
放送開始日には、TBSの『クイズ日本昔がおもしろい』もスタート。放送時間帯もほぼ同じだった。これは、NHKの『クイズ面白ゼミナール』の終了を受けて人気コーナーだった「歴史クイズ」に的を絞って企画されたものと受け止められ「ポスト面白ゼミナール」、「ポスト歴史クイズ」の様相を呈していた。
放送時間は木曜19:00 - 19:54(JST)だが、プロ野球中継の時は休止された。また春秋の改編期や年末年始にも休止、特に『クイズ~』に変わる時には1ヶ月10日も放送されなかった。結果は1年半放送ながら1年1ヶ月分の57回だった。
番組恒例の決め台詞として、シンキングタイム前の「ロダ〜ンタイム!」(『考える人』にちなむ)、解答オープン前の「なっとくの“な”!でございます」があった。
ルール
[編集]クイズは一問一答の記述形式で、正解すると1点獲得。各解答者は答えを緑色のフリップに書くが、1問だけゴールドのフリップで解答することができる。ゴールドで正解すると2点獲得。
最終問題には「クイズごたくをならべて」という五者択一クイズが出題された。
解答席には、得点と同じ数の蔵のオブジェが置かれる。最終問題終了後、最多得点者にはトップ賞(主にその回のクイズに関連した賞品)が贈呈された。解答者にオブジェや賞品を贈呈するアシスタントの女性はバニーガールに扮していた。
出演者
[編集]司会
[編集]解答者
[編集]5枠あり、右から1枠は勘九郎、3枠は丹波で固定。それ以外はゲストという配置である。『おもしろニッポン!~』時代は司会者、解答者と共に席には自分の名前を書いた提灯が置いてあった。
VTR出演
[編集]放送リスト
[編集]回 | 放送日 | テーマ | 備考 |
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1 | 1988年 4月7日 |
織田信長 | |
2 | 4月14日 | 豊臣秀吉 | |
3 | 4月21日 | 勝海舟 | |
4 | 4月28日 | 徳川家康 | |
5 | 5月5日 | 坂本龍馬 | |
6 | 5月19日 | 武田信玄 | |
7 | 6月2日 | 徳川吉宗 | |
8 | 6月9日 | 新選組 | |
9 | 6月16日 | 伊達政宗 | |
10 | 6月23日 | 清水次郎長一家 | |
11 | 6月30日 | 西郷隆盛 | |
12 | 7月7日 | 上杉謙信 | |
13 | 7月21日 | 宮本武蔵 | |
14 | 7月28日 | 徳川光圀 | |
15 | 8月11日 | 大岡忠相 | |
16 | 8月18日 | (不明) | [2] |
17 | 9月1日 | 高杉晋作 | |
18 | 9月15日 | 一休さん | |
19 | 9月12日 | 真田幸村 | |
20 | 10月20日 | 夏目漱石 | |
21 | 10月27日 | 淀君 | |
22 | 11月3日 | 沖田総司 | |
23 | 11月10日 | 紫式部 | |
24 | 11月17日 | 福沢諭吉 | |
25 | 11月24日 | 源義経 | |
26 | 12月1日 | 葛飾北斎 | |
27 | 12月8日 | 忠臣蔵 | |
28 | 12月15日 | 遠山金四郎 | |
29 | 12月22日 | 鼠小僧 | [3] |
30 | 1989年 1月12日 |
紀伊國屋文左衛門 | [4] |
31 | 1月19日 | 春日局 | |
32 | 1月26日 | 石川啄木 | |
33 | 2月2日 | 平賀源内 | |
34 | 2月9日 | 武田信玄の秘湯 | |
35 | 2月16日 | 千利休 | |
36 | 2月23日 | 徳川家康(2) | |
37 | 3月2日 | 吉田松陰 | |
38 | 3月9日 | 豊臣秀吉(2) | |
39 | 3月16日 | 織田信長(2) | |
40 | 3月23日 | 服部半蔵 | [5] |
41 | 5月4日 | 戦国ヒーロー | [6] |
42 | 5月11日 | (不明) | [7] |
43 | 5月18日 | 坂本龍馬(2) | |
44 | 5月25日 | 田沼意次 | |
45 | 6月1日 | 男女7人露天ブロ物語 | |
46 | 6月22日 | 戦国オバタリアン | |
47 | 6月29日 | 戦国親子ゲーム | |
48 | 7月6日 | 白虎隊 | |
49 | 7月27日 | 松尾芭蕉 | [8] |
50 | 8月3日 | 大江戸スキャンダル | |
51 | 8月10日 | 城下町ミステリーの旅 | |
52 | 8月17日 | 紫式部(2) 清少納言 | |
53 | 8月31日 | 石田三成 | |
54 | 9月7日 | (不明) | [7] |
55 | 9月14日 | 太宰治 | |
56 | 9月21日 | 奇兵隊 | |
57 | 9月28日 | 大江戸アイデア商売 |
(参考:『下野新聞 縮刷版』下野新聞社、1988年4月7日 - 1989年9月28日。ラジオ・テレビ欄)
放送局
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
特記の無い限り全て放送時間は木曜 19:00 - 19:54、同時ネット。
脚注
[編集]- ^ ただし、1984年4月以降はローカルセールス枠となっていた。
- ^ プロ野球中継「西武×南海」戦中止に伴う。
- ^ 「昭和」最後の放送(「昭和64年」は放送されず)。
- ^ 「平成」初の放送。
- ^ 『おもしろニッポン』最後の放送。
- ^ この回から『クイズ~』に改題。唯一の2時間SP(19:00 - 20:54)。
- ^ a b プロ野球中継「横浜大洋×巨人」戦中止に伴う。
- ^ 1989年7月13日放送の予定だったが、「手石海丘噴火」関連報道特別番組のため中止され、この日に延期された。なおこの間の7月20日にはプロ野球中継「中日×巨人」戦が放送されたが、雨傘番組として編成された当番組は別の内容だった。
- ^ 『北海道新聞』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ a b 『福島民報』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ 『秋田魁新報』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ 『山形新聞』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ 『新潟日報』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)175pより。
- ^ 『山梨日日新聞』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ a b c 『北國新聞』1988年4月7日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『中日新聞』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ 『京都新聞』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ 『山陰中央新報』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ a b 『山陽新聞』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ 『愛媛新聞』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ a b c d 『熊本日日新聞』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ a b 『宮崎日日新聞』1989年3月各日朝刊テレビ欄
- ^ 『沖縄タイムス』1989年3月各日朝刊テレビ欄
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