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ノート:ヨーロッパにおける政教分離の歴史/過去ログ5

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投票の提案

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合意の強要などという発言が飛び出しています。議論は尽くしたと言えるでしょう。改名、分割について、案を整理し、多数決による投票により解決する段階に入ったんじゃないでしょうか。--ぽてから会話2017年3月8日 (水) 23:21 (UTC)

  • 賛成 同感です。このままなら、議論が堂々巡りするように思われます。IP氏お二人から同意が得られるなら、論点整理などを行っていただきたいですね。--Susuka会話2017年3月9日 (木) 17:01 (UTC)
  • 反対 そもそも何を調査投票するかが明確に提示されていないうえ、記事内容について多数決主義をとることはWikipediaの方針(WP:DEM)に明確に反しているように思われます(多数決による決定は検証可能性や中立な観点を直接的には満たしません)。出典に即した検証可能性の確認を第一に採用すべきで、多数決ではなく、合意と編集によって記事内容をブラッシュアップするのがつねに推奨されている解決方法と思います。--2001:268:C068:DCFF:D45E:80AE:1E05:4963 2017年3月9日 (木) 17:27 (UTC)
2001:268:C068:DCFF:D45E:80AE:1E05:4963さんは、実質、自分と異なる意見は一切認めない行動を取られてますので、記事の私有化を主張し論争の解決を拒否されていることになりますね? Wikipedia:論争の解決#ステップ3: 第三者を交えて議論するによる合意が出来ない場合、Wikipedia:論争の解決#ステップ4: 投票を行うことになりますが、Wikipediaのガイドラインによる解決方法を拒否されるということですね?--ぽてから会話2017年3月10日 (金) 00:54 (UTC)
調査投票を行う場合は方針に従えば、事前に何を投票の主題にするかなど基本的な事項について合意が必要です。そもそも投票自体がウィキペディアではあまり推奨される解決方法ではありませんが、それ以上にぽてからさんは調査投票の提案を適切に行っていません。そして「実質、自分と異なる意見は一切認めない行動を取られてますので、記事の私有化を主張し論争の解決を拒否されていることになりますね?」という決めつけがやっぱり出てくるのですが、このノートではこういう決めつけ行為が平然と行われているのは大いに問題です。はっきり言ってしまえば、このぽてからさんの発言は印象操作でしかありません。--2001:268:C068:DCFF:713D:B0F5:BFB8:C31D 2017年3月10日 (金) 02:13 (UTC)
  • 質問 では伺います。2001:268:C068:DCFF:713D:B0F5:BFB8:C31Dさんは、現状で対立を生んでいるこの案件について、よりよい成果を得るためにはどのような手法が期待されると思っておられますか?--Susuka会話2017年3月10日 (金) 02:16 (UTC)
私は当初から適切な記事名への改名により「政教分離」という用語に関わる問題は解決される(現状の分割議論はこの「政教分離」という用語を政教分離原則に強引に結びつけて主張されています)という点は明確に指摘しています(これに対する反論は現状全くないはずですが)。次に独自研究かどうかについてはすでに文献での確認と2次情報・3次情報の裏付けがされており、加筆によって歴史学的理解に基づく物であると明確化したことにより中立的な観点や特筆性の問題と合わせて解決されていること。残るは記事のブラッシュアップ(その過程で記事内の細かい独自研究問題は編集の進展によって解決されると思われます)と容量的な問題から世界の一体化のような分割を行う場合は文献情報の継承・細かい議論の拡散などの問題の危惧からブラッシュアップ後におこなわれるべきことを何度も言っております。--2001:268:C068:F936:B87D:2055:48DF:3EA0 2017年3月10日 (金) 02:54 (UTC)
コメント ぽてからさん、Susukaさん、私も投票には原則賛成ですが、いまの状態で投票しても、2001IP氏が納得されない場合(納得されない確率は100パーセントと思われます)、編集合戦になるだけのような気がします。また、2001IP氏をブロック依頼したとしても、管理者の方々の中には、議論に応じているので議論を続けるべきではないかという意見もあるかと思います。また、2001IP氏がブロックされた場合、この記事に非常な愛着を持たれているようですので、いずれはまた戻られるでしょう。ただ、「利用者の行為についてのコメント依頼」は検討してもいい段階には来ていると思います。ただ、一番いいのは、2001IP氏との合意形成です。私も急がないでじっくり2001IPさんとの合意を目指していこうと考えています。
2001IP氏へ。「世俗化過程」の加筆によって一部改善したのは確かですが、それ以外の記載についてはまだ確認がとれていません。しかし、ブラッシュアップには賛成します。ノートでの議論はまだ解決しそうにないので、平行してご自身のペースで構いませんので、加筆していってください。ただし、明確に「政教分離」との関連が書かれた情報源を出典に限定して欲しいです。たとえば、ビザンチンの歴史が「関連がある」という場合、「政教分離の歴史」に書くべきか、あるいはビザンティン・ハーモニーの方が適切であるか、検討してください。また、世界の一体化ですが、分割の先例としては参考にはなりますが、出典もこの記事よりも不十分で、記事の品質が高いわけではないです。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 09:05 (UTC)

また知ったかぶりですか。なぜかビザンティン・ハーモニーとリンク付けされているので上のような見当外れの話をしているんでしょうが、ビザンティン・ハーモニーは正教神学上の概念で必ずしも歴史学では一般的ではなく、その使用は非常に慎重に行われています。そもそもこの記事の内容は比較国制史の対象としてビザンティン帝国を挙げているのであって、神学論の視点は記述されていませんから、ビザンティン・ハーモニーの議論とは関係がありません。--106.161.157.192 2017年3月11日 (土) 12:01 (UTC)2001:268:C068:F936:B87D:2055:48DF:3EA0

だったら、「「ビザンティン・ハーモニー」も参照」を本文から削除すべきでしょう。「神学論の視点は記述されていません」といっているが、「神学論」を定義してください。その場合、独自の定義でなく、既存の事典や文献に書いていることで回答してください。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 12:27 (UTC)
正直全く何を言ってるのかわかりません。まず「ビザンティン・ハーモニーも参照」とある件について私が付け加えたわけでもないし、そこらへんはブラッシュアップで取り除かれるべきですが、私が指摘しているのはビザンティン・ハーモニーが何たるかもわからずに「ビザンチンの歴史が『関連がある』という場合、『政教分離の歴史』に書くべきか、あるいはビザンティン・ハーモニーの方が適切であるか、検討してください。」というような発言を軽々にする121.107.209.16さんのいい加減な議論姿勢です(これまでもずっとこの繰り返しです)。そしてビザンティン・ハーモニーの定義はビザンティン・ハーモニーを見ればいいのであって、そこには神学政治学上の概念であると書いてあります。要はビザンティン・ハーモニーはどちらかといえばイデオロギー論の範疇に属するもので、この記事に書かれているのは国制史上の問題ですから、関連性はあるかもしれませんが、別個の問題です。それと私が記事に執着しているということをやたらと繰り返すのですが、ここまで来るともはや個人攻撃ですよね?事実に反することも指摘しており、なぜか別の利用者と同一視されているのですが、いい加減やめて頂けませんか。匿名性のあるウィキペディアで誹謗中傷が成り立つか微妙です(人格権が成立するか微妙)が、明らかに言いがかりですよ。私はこの記事の121.107.209.16さんのあまりにずさんな分割を差し戻しただけでこの記事に対する編集責任などは発生しているとは思えませんし、記事の中で私が今まで編集に関わった箇所はかなり限定的です。そして記事の私有化なんて議論は当初は全くなかったうえに、私が編集を拒否した事実がないにも関わらず(そもそも121.107.209.16さんの加筆やタグ貼りだって一切差し戻したりしてませんよね)、差し戻したことを記事の私有化とする最近の121.107.209.16さんの主張は記事内容をこえて、単なるレッテル貼りに終始しています。これは明らかに問題ですよ。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 13:17 (UTC)
2001IP氏が書いたのでないなら、関連性が不明なもの、出典のないものをどんどん消してください。そして、現状を保存する意向を述べる前に、改善してください。無駄な議論です。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 13:44 (UTC)
以前私が出典が確認できた箇所だけは議論の間に脚注をつけると言ったら拒否した事実は棚に上げてこういうことをおっしゃるんだから困ったものです。ちなみに121.107.209.16さんも上で文献を調査したのならば、121.107.209.16さんが独自研究などと評していた記述の出典がそこにあったことは確認されていますよね?索引だけ調べただけで本文なんて読んでないでしょうから、いまだに独自研究だと思い込んでらっしゃるんでしょうけれども。ブラッシュアップはともかく、脚注の追加については認めて頂きたく思います。この期に及んで、まさか反対しはしないと思いますが、合意して頂けますか?--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 13:51 (UTC)
「脚注をつけると言ったら拒否した」?私がいつ拒否しましたか?--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 13:59 (UTC)
別に拒否していないということであれば、問題ありません。以前提案したときは反対されましたので、念のため確認したまでと思って頂ければ結構です。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 14:11 (UTC)
「念のため」で、「脚注をつけると言ったら拒否した事実」というのですか?「以前提案したときは反対」とはどの発言のことですか。提示できなければ明らかに発言の捏造なので、謝罪してください。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 15:30 (UTC)
謝罪を求められるということは、当然のことながらこれまでの121.107.209.16さんの私に対する個人攻撃とも思える印象操作、とくに記事の私有化を私が目的としているという主張についても明白に虚偽であることを認め、謝罪してくださるということでしょうか?私も適切な謝罪を示して頂けましたならば、相応の謝罪をすることにやぶさかではありませんが、いかがですか?ちなみに121.107.209.16さんに対する提案は「しきりなおし」節で二回おこなっており、両方ともに出典の追加を提案しております。しかし両方とも121.107.209.16さんは拒否されたわけですが、たとえば出典の追加をもし本当に121.107.209.16さんが賛成しているならば、出典の追加だけは認めるという意見を述べるのが当然と思われますが、結局のところそうした意見は見受けられず、私は編集合戦を恐れて出典の追加に踏み切れずにおりました。客観的に見て、文脈に即すれば出典の追加の容認はされなかったという事実確認ができるように思われますが、そうでないのならば私の誤解だったということでしょう。ちなみに拒否した事実を指摘しただけで、発言をねつ造しているわけではないので、この点については根本的な誤解があるように思われます。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 16:13 (UTC)
出典の追加は私にとっては大前提ですのでそれは誤解です。情報の合成や記事の私有化の話になったのは、「政教分離の歴史」という記事名における話であり、改名するならば話は変わります。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 16:40 (UTC)
つまり他人には謝罪を求めるが、自分の行為について謝罪はしないということでしょうか?記事の改名によって過去の個人攻撃発言がなかったことになると?じつに素晴らしいバランス感覚をお持ちのようですね。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 17:06 (UTC)

報告 現状の賛否集計。


確認と提案

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お二人に確認させてください。

  • まず、現在お二人がされている論争を、中立的な観点を守った上で記事(例えば、『政教分離に関する論争』)にすることはできないのでしょうか。正直なところ、私にはお二人の論争の論点を細かいところまでは正確には把握できていません。論争(認識の差)だけでそれなりの分量になるのであれば、単独記事として立項したらよいと思います。
  • 上にも述べたように、私は論点の細かい詳細は知りません。そういういわば「素人」の目から見れば、本記事の叙述は「西欧の歴史をダラダラと書いている」ように映ってしまいます。前にも述べましたが、「本項目の内容説明に関連がある幹の部分が枝葉で覆われてしまったら、これもやはり読者の理解の妨げになりかね」ないでしょう。これは特に2001:268:c068:d20d:2c1b:7bf5:53ca:be5bさんに対する意見なのですが、記事のスリム化を図ることは可能でしょうか。

--Susuka会話2017年3月11日 (土) 14:18 (UTC)

  • まず1点目についてはここでおこなわれているのは政教分離に関する論争ではなくて、歴史学的観点で教会と国家の分離を近代化論を射程に入れて書かれているこの記事を政教分離原則と関連づけたい人がいると言うことです。2点目に関わることですが、それをしてしまうと記事が無際限に大きくなる可能性があることを私は心配しています。さらに政教分離原則と結びつけたい人は政教分離原則に関わらない記述を分割するという仕方を一度とっていますので、それに対して異議を申し立てているだけです。その異議を申し立てる立場から言えば、基本的に政教分離原則#歴史に政教分離原則に関わる事柄を集めればよいのに、こちらに持ってきては見通しが悪くなるのではないかという話です。
  • 2点目に関しては私もこの記事の煩雑さを大いに問題だと思っています。それゆえにブラッシュアップが必要だと思っており、出典の確認をおこなっているのもそのためです。やっかいなことに、この政教分離の議論は世俗化論とも関わっており、そちらに手を伸ばすと、マックス・ヴェーバーからカール・レーヴィット、リチャード・ローティやユルゲン・ハーバーマス、ジョン・ロールズ、ホセ・カサノヴァなどの著名思想家に触れざるを得なくなる可能性があり、歴史学的議論に限定しないとむしろ膨張する恐れがあります(ちなみにこうした本流の思想家に比べると、ロジャー・ウィリアムズなどほとんど特筆しなくてもよいくらいです。帝権と教権の議論で中世において支配的で本流だった両剣論を1行を済まして、政教分離原則の影響でも傍流のロジャー・ウィリアムズに記述を割くべきという121.107.209.16さんの発言は根本的な理解が成り立っていないのです。わかりやすく言うと、両剣論はロジャー・ウィリアムズを含め中近世の思想家に多大な影響を残していますが、ロジャー・ウィリアムズの思想は現代の思想にほぼ継承されておりません。それを明確に論じたのが中山勉論文ですから、中山勉論文を頻繁に根拠とする121.107.209.16さんの発言は明らかにおかしいのです)。だからこそ私はこの記事にさらに政教分離原則関連の記述を増やそうとされてしまう立場には懐疑的で、それをおこなうとただでさえ流れの明確でないこの記事の無際限な膨張につながります。そのため加筆によって歴史学議論であることを明確にした上で、一般的にドイツで国制史的な政教分離がなったとされる1803年までに限定し、地域もヨーロッパになんとか限る形にすべきと思っています。森安達也さんの著作は確認したところ、ロシアまで射程に入れているので、本来のこの記事は必ずしも時代・地域的な限定をしていなかったようでありますが、その点は修正すべきと思っています。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 14:37 (UTC)
政教分離に関する論争でなく、ノートで議論されているのは政教分離の歴史に関する論争といえそうですが、そういう議論はあるのか、分かりません。事典類で立項はないでしょう。私の文献調査報告にある通り、私は「政教分離の歴史」に記載するのは、既存の文献で「政教分離」と明記されているものに限定すべきである、そして「中世からの教会と国家」(および「宗教改革」なども)分量のバランスや出典との整合性の観点から、別の記事にすべきであると主張しています。しかし、2001IP氏さんはなぜか全く理解しようとしません。中山論文については何度も回答しているのに、また同じことをいっていますし。「ドイツで国制史的な政教分離がなったとされる1803年までに限定」というにも、文献にあるのでしょうか。「流れの明確でないこの記事の無際限な膨張」と認めているのに、矛盾していますし、ドイツのことなら書いてよくて、アメリカについては書くな、というのは???です。ロジャー・ウィリアムズだけを書こうとしているわけではないのですが。ヴェーバー、レーヴィットなどは政教分離について明記してありますか?ヴェーバーの「政教分離論」では、佐野誠「ヴェーバーとナチズムの間 : 近代ドイツの法・国家・宗教」で使用例がありましたが、マックス・ヴェーバーは記事としてスカスカなのでそちらに書けばいいことではないでしょうか?
もう一点確認。#記事の内容整理の提案で2001IP氏は「別に「教会と国家の分離の歴史」でいいんです。」といっています。その後、私が「教会と国家の歴史」あるいは、「政教一致と政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」はどうかと再提案したのに、それには回答されないのも奇怪ですね。なぜ回答されないのですか?回答次第ではそれで解決するのですが。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 15:33 (UTC)
上のように全く議論の本筋がわかっていないのです。121.107.209.16さんの言っていることは要はグーグル検索ないしネット検索で「政教分離」と調べて出てきた文献で歴史記事を書きましょうという乱暴な議論です。私が言っているのはこの記事に書かれている内容から国家と教会についての歴史学的理解を確認できるので、その意味で記事内容をより明確にし、国家と教会の機構的分離、聖俗の思想上の分離を「政教分離」ということは一部を除いて一般的ではないので、「政教分離の歴史」という名前は上のようなググった議論をする手合いに文句をつけられる可能性があるので、さっさと改名しましょうということです。改名議論の推移も全く理解していらっしゃらないということでしたか。ググっている人は検索結果がすべてなので結局議論にならないのです。「『ドイツで国制史的な政教分離がなったとされる1803年までに限定』というにも、文献にあるのでしょうか。」については様々な文献で確認できますが、基本的な理解としては18世紀中に神聖ローマ帝国内の聖界諸侯は徐々に陪臣化と世俗化がおこなわれ、1803年帝国代表者会議主要決議において神聖ローマ帝国の国制は名目上も完全に教会の機構と分離し、世俗化することになります。という流れは別にドイツ史では常識的理解で、たとえば『ドイツ史研究入門』(p.98)などでも容易に確認できるわけですが、アメリカについて書くなについてはそもそもアメリカ合衆国ではその建国の時から国家機構と教会組織について分離が行われており、この記事でいうような分離の歴史がそもそもないという基本的事実をなぜ失念しているのか理解に苦しみます。おそらくググっても出てこないことはわからないのでしょう。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 15:59 (UTC)
もう一点については121.107.209.16さんがずっと議論を見落としていて、しつこいくらい返答し続けているのですが、「教会と国家の歴史」では教会と国家という枠に収まれば何でもよいと言うことになるから今以上に記事が際限なくなりますよね?ってことをすでに指摘しています。次に「政教一致と政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」ではむしろ何が何だかわからないうえ、結局「政教分離」という言葉が取り除かれていませんので、政教分離をググってどうこうする議論が後を絶たない現状が続くだけなので意味がありません。そのため、「政教分離」という言葉自体を別の言葉で置き換えるべきですが、しかしながらその際に国家と教会の機構的分離、聖と俗の思想的分離という現状の記事内容を適切に表現するために「分離」の後は外せないという議論をしているのです。これでようやくついてきてくれましたか?--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 15:59 (UTC)
ネットで確認すること、そして閲覧可能な論文を出すことに問題ありませんし、第一、私はネット調査だけで議論を進めていませんので、これも捏造です。神聖ローマ帝国うんぬんについては神聖ローマ帝国と重複になりますよね。神聖ローマ帝国を見ると、かなり出典が明記されていますが、「政教分離の歴史」とかなり内容も重複しています。「アメリカ合衆国ではその建国の時から国家機構と教会組織について分離が行われており、この記事でいうような分離の歴史がそもそもない」とは、アメリカとヨーロッパが歴史が違うのは当たり前ですが、何度もいっているように、この記事は「政教分離の歴史」という記事名なのだから、「政教分離」と明記されている文献を使用すべきです。「教会と国家の歴史」と「政教一致と政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」についてはお考えを尊重しましょう。それで、「教会と国家の分離の歴史」ならばよいのですね?--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 16:30 (UTC)
本当に何を言ってるのかわかりません。神聖ローマ帝国と記事内容とかなり内容が重複しているのははっきり言ってしまえば神聖ローマ帝国の歴史がとくに教会と国家の機構的分離が典型的に展開されたからであることはすでに言ったはずですが、記事内容が重複したらどちらかに記事を包摂させなければいけないという論理がどこから出てくるのかわかりません。「『アメリカ合衆国ではその建国の時から国家機構と教会組織について分離が行われており、この記事でいうような分離の歴史がそもそもない』とは、アメリカとヨーロッパが歴史が違うのは当たり前ですが、何度もいっているように、この記事は「政教分離の歴史」という記事名なのだから、「政教分離」と明記されている文献を使用すべきです。」という発言が本当にわからない。これは結局アメリカ合衆国に国家と教会の機構的分離過程がそもそもないからこの記事の内容には直接的にならないという私の指摘をそうだと言ってるのか、どうなのか意味不明です。「政教分離」と明記されている文献を使用すべきについては記事名に文献が拘束されるという理解がそもそもおかしいのですが、121.107.209.16さんにそれを言ってもおそらくもうわかんないんじゃないかと思っています。ネット調査云々についてはむしろネットで確認できる論文以外をほとんど使用していない、この記事の参考文献はなぜか調査しない、そして私から見て明らかにこの分野、および政教分離に関わる議論に必要な基本文献が一つも示されていない、という根本的な問題があるのですが、おそらく何を言っても無駄でしょう。マックス・ヴェーバーとかディルタイ、カール・レーヴィットにいたる近代化論の系譜についてもネットで検索しちゃうあたり、ほとんど何も知らないんだと思います。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 16:49 (UTC)
記事の重複についてですが、事典で「宗教改革」と「教会と国家」という二つの記事があった場合、「宗教改革」の詳細を「宗教改革」記事でなく「教会と国家」で書くべきでしょうか。「宗教改革」の詳細は「宗教改革」へ、「教会と国家」に書かれる宗教改革は簡潔に、というのが事典の記事関係における一般的な傾向であり、そのことは調査報告しています。ウィキペディアは百科事典です。したがって事典の立項状況を参考にするのは当然のことです。ヴェーバーは社会学者ですが、ディルタイ、レーヴィット、ハーバーマス、ローティ、ロールズも哲学者ですし歴史学者ではありません。やたらと思想家の名前を出しますが、それは「歴史学」というより「思想史」です。また、人名でなく、論文名で語るべきです。ヴェーバー以外が「政教分離」についての論文を書いているとは知りませんので。しかも、参考文献にさえ挙げられていないし、どうでもいい話です。自分が世界で一番の知識所有者であると思い込むこともどうでもいいことですが、「お前は何も知らない」と個人攻撃(Wikipedia:個人攻撃はしない「個人の経験を、利用者の独断で決めつけて攻撃する。」)する前に、本文にちゃんと出典を明記してください。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 18:05 (UTC)
「記事の重複についてですが、事典で「宗教改革」と「教会と国家」という二つの記事があった場合、「宗教改革」の詳細を「宗教改革」記事でなく「教会と国家」で書くべきでしょうか。」については「宗教改革」に関することは「宗教改革」の記事へ、「教会と国家」に関することについては「教会と国家」に書けば良いのであり、宗教改革期の「教会と国家」について詳しく記す必要があるときは「教会と国家」に書けばよい(宗教改革は宗教改革全体の総論的記事になると思われます)のではないでしょうか。どちらにせよこのようなことに一方的なルールを設けるのは紙の辞書ではないウィキペディアでは意味がないことのように思われますし、個々の記事の問題ではないでしょうか(一方がほかの記事より詳しいのはおかしいから削れというのは成り立たない)。並立しうる内容の場合、どちらかの記事にどちらかの記事を合わせるというような明確な方針はとくにないように思われます。ヴェーバー云々については「国家と教会」の記事名にすると…という話で出したのであり、率直に言って今はもう解決した話で説明する必要もないので、どうでもいいです(アメリカの政教分離原則が…なんて言ってる割に、現在のアメリカの政教分離論の議論をほんとに知らないようですから不思議でならないのですが。その人物らを挙げた文脈は歴史学以外の議論が紛れ込む可能性の危惧について述べていたということもわかってないようですし、無駄でしょう。「ヴェーバーは社会学者ですが、ディルタイ、レーヴィット、ハーバーマス、ローティ、ロールズも哲学者ですし歴史学者ではありません。やたらと思想家の名前を出しますが、それは「歴史学」というより「思想史」です。」なんて発言はこちらの発言の趣旨が全くわかっていない証拠です。今まで何度も言ってるんですけど、基本的に121.107.209.16さんは他者の発言をフォローできていないんですよ。だから議論がかみ合わないんです)。--2001:268:C068:D20D:D14C:9310:7979:4D36 2017年3月11日 (土) 19:06 (UTC)

コメント では、いわゆる政教分離原則については『政教分離原則#歴史』に転記して、この記事は2001:268:c068:d20d:2c1b:7bf5:53ca:be5bさんがいうところの「歴史学的な政教分離」に限定する、という点では合意が取れたと見てよいわけですね?ならば、今の対立点は記事名だけということになります。--Susuka会話2017年3月11日 (土) 16:06 (UTC)

私は合意します。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 16:24 (UTC)
記事名が「教会と国家の分離の歴史」となるのか、他に適切な名称がある場合はそれも議論するということであれば、そして出典が今後明記されていくのならば、いいでしょう。ただし、政教分離原則#歴史には今後も加筆していきますので、分量が肥大していった場合は、「政教分離の歴史」として分割提案をするでしょう。その場合、「教会と国家の分離の歴史」と「政教分離の歴史」の二つの記事が存在することになりますが、それでいいと考えます。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 16:33 (UTC)

2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5Bさんに伺いますが、121.107.209.16さんが提案された『教会と国家の分離の歴史』という記事名への改名はいかがでしょうか。これにご同意いただけるなら、正式に改名提案を出そうかと思いますが。--Susuka会話2017年3月11日 (土) 16:57 (UTC)

こなれない名前ではありますが、とくに反対すべき理由もないと思います(個人的にはもっときれいに収まる名前がよかったのですが、しかたないでしょう)。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 17:10 (UTC)

報告 改名提案を出しました。--Susuka会話2017年3月11日 (土) 17:22 (UTC)

歴史学的知見のみに基づくというのがそもそもの誤りだと思いますね。政教分離の宗教学的知見、社会学(宗教社会学)的知見、政治学的知見を排したら、それらの知見はどこに書けというのですかね。マックス・ヴェーバーの名前を出されてますけど、なおさら、歴史的学的知見のみに基づくのはおかしいでしょう。歴史学の研究者じゃありませんよね。教会と国家の関係について、歴史学的知見を記述されるのはよいんですが、学説の一つとしてきちんと提唱者の名前を書いてほしいんですよ。Wikipediaは歴史の教科書じゃありませんので。「〜の歴史」とつけると、歴史学的知見のみにされそうなので、あえて、「〜の歴史」はつけないほうがいいんじゃないですかね。--ぽてから会話2017年3月14日 (火) 02:50 (UTC)
件の発言をした2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5Bですけど、ぽてからさんもどうして121.107.209.16さんと同じ私の発言の誤解をなさっているのでしょう?「国家と教会」というような限定性のない記事名にするとマックス・ヴェーバー以来の近代化=世俗化論のようなもの(傍流のロジャー・ウィリアムズなどよりよっぽど本流で影響力の大きい議論で、しかも現代公共政策論にまでつながる大きな流れです)を記載するべきという主張も出てきてしまうので、記事の一貫性が失われてしまうという議論なのですが。そしてぽてからさんの文献的根拠にもウィキペディアの方針的根拠にも乏しい主張に関しましては、ウィキペディアには「~の歴史」という記事は普通に多数存在しておりますという厳然たる事実を指摘しておきたいと思います。どちらにせよこれは現在の歴史記事の内容と関わりない話です。--硯箱会話2017年3月14日 (火) 09:33 (UTC)
「国家と教会」についての記事が既に存在し、歴史節だけが膨大になったら分割して「国会と教会の歴史」だけをわけるという順番になります。そういう意味で、この記事の一部を「宗教改革の歴史」に分割するというのはわかります。しかし、まずは「国家と教会」に「国家と教会の歴史」節を設けて書いてください。限定性のない記事が存在しなければ限定性のある記事への分割記事を作成することは認められませんね。なお、マックス・ヴェーバーの現代公共政策論につながる考察を書こうという人がいるわけでもないのに、心配無用です。ただ、本来、マックス・ヴェーバーは社会学(宗教社会学)的な支配の三類型などを提唱してますけど、これを「歴史学的視座」のみに限定した記事に書こうとすると、記事名と内容が矛盾しますよね。やはり、「国会と教会の歴史」にせずに「国家と教会」という記事名でないと、社会学的アプローチは書けなくなりますよ。なお、社会学(宗教社会学)の社会学的な面を一切書かない記事にすると、残りの社会学的な面を書ける記事がなくなってしまい、どう考えても、まずは、「国家と教会」という記事が必要になりますよね。--ぽてから会話2017年3月14日 (火) 16:12 (UTC)
もともと歴史記事であることを失念している意味不明な論理を展開しないでください。「国家と教会」という記事が必要ならば別にたててくださいませ。--硯箱会話2017年3月14日 (火) 17:29 (UTC)
「歴史記事」を書きたいという目的は十分理解してますが、結局、単一出典を用いて自身の主張に合う記述だけをされる行動は、ウィキペディアの目的外利用としかいいようがありませんね。自分が賛成することだけを合意が形成されたと表現し、逆に、自分だけが反対して合意形成を拒む行動は、記事の私物化に他なりません。当初は、国家と教会の記事名で議論が続いています。硯箱さんの行動がウィキペディアのルールから逸脱しているということは上記の発言から明らかなんですが、少しでも、ルールを理解してもらおうと議論を重ねてるんですよ。にもかかわらず、一切、行動を改める兆候さえもありませんね。--ぽてから会話2017年3月14日 (火) 23:34 (UTC)
まず記事の参考文献は記事に関係のあるものが採用されるべきであること、単一の出典はそれによって自動的に信頼性が損なわれるわけではないこと、そして何よりもそれぞれの文献は同一の歴史学的理解における歴史事実の出典であるということを理解して頂きたく思います。ぽてからさんは私が方針を無視しているように印象づけたいようですが、厳密に言えばぽてからさんの「○○の歴史」という記事を作るのには「○○」の記事が必要なんていう主張が方針文書に全く根拠がないものです。「国家と教会」についてぽてからさんにもし一家言があり、それについて記事を作りたいというのならば、こちらで方針を無視した議論などせずに、さっさと執筆なされば良いのです。ぽてからさんはこうした方針や文献に基づかない、単なる引き延ばしや妨害としか思えない議論を続けているのですが、一切、行動を改める兆候さえもありません。--硯箱会話2017年3月15日 (水) 02:11 (UTC)

改名提案

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混乱を避けるために、『Wikipedia:改名提案』からはこちらのセクションに誘導しました。改名に関する議論は以降こちらのセクションでお願いします。改名提案から参加された方々へ、ここに至る議論は上述で展開されています。--Susuka会話2017年3月11日 (土) 17:22 (UTC)

  • コメント  記事名は「教会と国家」に1票。その他、「キリスト教の教会と国家」でも良いでしょう。en:Separation of church and state(教会と国家の分離)についての記事を目的するということでいいんじゃないかと思いますが、記事名に「〜の歴史」と付けるのだけはやめてもらいです。歴史的視座とかに限った記事というのがおかしいわけで、宗教学や社会学(宗教社会学)、政治学など多様な観点を排除するのはいただけませんよね。--ぽてから会話2017年3月11日 (土) 21:12 (UTC)

条件付賛成(条件:独自研究問題の解決) 2001IPさん=硯箱さんが、加筆を開始されています。加筆による改善で独自研究問題がかなり解決してきたので感謝しますが、あくまで全体にわたって解決すべきでしょう。 ぽてからさんの意見について、私も事典等の調査と記事内容から「教会と国家」「キリスト教と国家」の方が適切であるとは思います。しかし、「政教分離」は英語でSeparation of church and state(ドイツ語はTrennung zwischen Religion und Staat)で、正確に対応させるなら「教会と国家の分離」となります。訳語の問題でもありますが、いわゆる近代国家における政教分離と、中世からの歴史としての「教会と国家の歴史(仮)」があるのはいいのではないでしょうか。理論的な解説は「教会と国家」、通史は「教会と国家の歴史」とした方がいいと思います。しかしこれまでの議論から、「政教分離の歴史」から「教会と国家」系統の記事名にまず変更することが先と思います。記事名変更したあとに再び分割提案も可能です。なお、英語版にはカテゴリーで

記事では、

などがあります。--121.107.209.16 2017年3月16日 (木) 14:14 (UTC)

この記事はそもそも通史的な「歴史」記事なのですから、教会と国家についての歴史学以外の理論は別に記事を立てれば問題です。現状通史的内容しか書かれていません。したがって「教会と国家の分離の歴史」が意味内容を適切に捉えており、そもそも歴史学事典で「教会と国家」とあるのは「教会と国家(の歴史学理解)」であることが含意されているために省略されていることは歴史学事典の記事内容からも明らかです。一般的な百科事典であるウィキペディアでは「歴史」という言葉は補われてしかるべきでしょう。繰り返しますが、そうしないとここで繰り返された、ググっただけの議論がまた出てきます。ここでの議論でほとんど証明されたように、基本的にググった議論は低品質になりがちです。「教会と国家」は必要であれば別で立てればいいのです。それこそ宗教社会学や政治学にお詳しいらしいぽてからさんが立項されればよいかと存じます(どんな内容を想定しているかは文献も示されないので私には全くわかりませんが)。--硯箱会話2017年3月16日 (木) 16:01 (UTC)
改名議論を継続したく思います。
  • A.「教会と国家の歴史」(私、以下敬称略)
  • B.「教会と国家」(ぽてから)
  • C.「教会と国家の分離の歴史」(硯箱)
の3つの候補がありますが、投票にしますか?私はCでも容認できますが、Aがベストだと思っています。Bについても容認できますが、Cは一般読者を考慮したものではない、あまりに特殊な記事名になっていますし、既存の百科事典でそのような記事は存在しません。また、「分離」といっていますが、一様に進化論的に分離したのではなく、複雑な要因があり、また教皇権と皇帝権の対立と相克があり、分離したりまた一体化したりを繰り返したのであり、現在21世紀の「政教分離」でさえ、国教制度のイギリスはもちろん、憲法上政教分離が規定されるアメリカ、ドイツ、イタリアなどでも厳格に分離されているかといえばそうでもないともいえます。また、「教会と国家の歴史」「教会と国家」という記事名にした場合にも、神聖ローマ帝国の消滅で終わりにするのも納得はいきません。なぜならいまも教会も教皇も国家も存続しているのですから。--121.107.209.16 2017年4月3日 (月) 15:46 (UTC)

加筆箇所

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一人の出典だけで一つの節を書かれてますけど、誰の学説か必ず書いてください。でなければ、独自研究としてケースEの削除するしかなくなりますよ。--ぽてから会話2017年3月14日 (火) 16:32 (UTC)

これも独自研究の方針文書の無理解です。記事が信頼できる文献に依拠しているかどうかが大事なのであり、文献の数ではありません。--硯箱会話2017年3月14日 (火) 17:33 (UTC)
硯箱さんは、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないに反した行動をとり続けておられます。その上、投票を拒むなどの妨害的行動や記事の私物化を続けられるようであれば、議論に参加されることは無理だと判断せざるを得なくなりますが。--ぽてから会話2017年3月14日 (火) 23:28 (UTC)
カルト#歴史をご覧ください。きちんと、提唱者の名前が書かれてるのがわかりますよね。このように書かなければ、独自研究でこの記事は削除するしかありません。何度も同じことを繰り返して言っていますが、そろそろ修正してもらえませんかね。--ぽてから会話2017年3月15日 (水) 00:58 (UTC)
ぽてからさんのやっておられることは独自研究でいう情報の合成です。信頼できる文献が歴史的事実として記していることを文献を確認せずに勝手に限定しています。投票を拒むのはぽてからさんが適切な投票の提案をしていなかったからであり、記事の私物化については完全な言いがかりであることはすでに申したはずです。文献に基づかない議論で攪乱し、妨害行動を行っているのは明らかにぽてからさんのほうであるように思われます。--硯箱会話2017年3月15日 (水) 01:46 (UTC)
ちなみにご存知ないかも知れませんが、単一の出典テンプレートを貼る意図としてたとえば「記事の記述対象の事物に対して、中立性を欠き偏った主張が書かれている出典が一つだけしか示されていない」とか、「その出典の著者の個人的主張が書かれた出典が一つだけしかなく、記事に特筆性があるかどうか怪しい」といったことを対象としていますよね。記事全体が一つの出典で構成されているあまりに極端な記事に対して使うもので、節ごとに小分けに使うようなものではありません。--硯箱会話2017年3月15日 (水) 02:33 (UTC)
問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為はおやめください。情報の合成ではなく、提唱者の名前を書いただけです。提唱者の名前を書かなければ中立性を欠きます。何度も何度も同じ事ばかり繰り返していますが、方針を都合が良いように解釈して、テンプレート剥がしなどの問題行動を続けられる予定でしょうか。--ぽてから会話2017年3月15日 (水) 07:48 (UTC)
文献の執筆者が提唱者であるという主張が完全に独自研究であり、事実を記載している内容に対してそれをその著者独自の見解であるとする、文献に直接基づかない情報の合成が行われております(ぽてからさん流に言えば、これは明白にケースEにあたります)。単一出典テンプレートは使い方自体がそもそも間違っていますが、それを指摘してもタグを繰り返し貼ろうとする端的な荒らし行為を行っています。こうした行為を文献や方針も確認せずにおこなっているぽてからさんは何度も何度も同じ事ばかり繰り返していますが、方針を都合が良いように解釈して、独自研究を記載するなどの問題行動を今後も続けられる予定でしょうか。--硯箱会話2017年3月15日 (水) 09:17 (UTC)

コメント 学説の提唱者を明示することはWikipedia:言葉を濁さないに明記してあるので、これに従ってください。また、タグ剥しは議論相手との合意後、また問題箇所が修正された後に行ってください。硯箱さんは2001IPさんでしょうが、加筆によって記事の水準がかなり上がっていますし、私も勉強になり、感謝します。しかし、ウィキペディアはウィキペディア独自のルールがあり、他の編集者の指摘を善意に解釈することも基本的な行動原理とされています(Wikipedia:善意にとる)。--121.107.209.16 2017年3月16日 (木) 13:03 (UTC)

たとえば教科書の執筆者を学説の提唱者とは言いません。歴史学的成果による事実を述べている著作の著者を何らかの学説の提唱者とすることは明らかに独自研究で、明確に削除されるべきです。Wikipedia:言葉を濁さないによれば曖昧な表現でも出典が明記されれば記載可能である点についてもぽてからさんが理解していらっしゃるとは思えません。ぽてからさんの単一の出典テンプレートにつきましては、基本的に記事全体の出典が一つの時に使うもので、節単位で使うのは明らかな誤用のですので、剥がしたのですからそもそも指摘される問題はなく、問題点は解決されております。私は無作為にタグ剥がしをしているのではなく、問題点が解決されたものから剥がしていることはこれまでの編集からも明らかであると思いますが。--硯箱会話2017年3月16日 (木) 13:11 (UTC)
「歴史学的成果による事実を述べている著作の著者を何らかの学説の提唱者とすることは明らかに独自研究」には同意できません。それならば、ベッケンフェルデと山田欣吾の節も「学説でなく事実」となりませんか。「学説」の意味が違うのでしょうが、ここは出典を明示的に明記するということで理解していただければ、議論する必要もないことでしょう。出典をみると、
  • 「近代国家成立史として(国制史的側面)」「古代中世の国家概念」「中世国家の特質」は、下野義朗「ヨーロッパ中世国家の構造」
  • 「キリスト教世界(res publica christiana)の歴史的展開」は、オットー・ブルンナー
  • 「ドイツ中世国制における聖俗分離の展開」は、池谷文夫「教皇権と皇帝権」とブライアン・ティアニー「自由と中世の教会」
  • 「中世都市の進展とその限界」は、ジョン・ハイン・マンディー「中世都市における自由」
などですが、今後の加筆を考えるとそれぞれ「下野義朗によれば(以下同様)」と書いておくと、どの出典でどの説明をしているかが本文でも明示されることになるので、後から他の人が加筆する場合でもやりやすいでしょう。
現在までの部分をみると、やはりひとつの記事に詰め込みすぎかと思いますが、いまこの点について議論したいのではありません。加筆がんばってください。--121.107.209.16 2017年3月16日 (木) 14:01 (UTC)
たとえば教科書は学説の成果を記しますが、その学説の提唱者が記述しているわけではありません。著作の著者に特定の観点が認められるにしても、一般的に著作の著者=提唱者とは普通言いません。まれに明らかに通説とは異なる見解を提示している場合がありますが、こうした事例も提唱といえるかは個々に検討すべき性格のもので、そもそも文献を確認せずに議論することは不可能に思われます。そして事実というものが何を指すかは哲学的な話になりますが、率直に言って事実とは真理ではないので、ある事柄をウィキペディアの方針に則って事実として提示する場合は出典を明記すればよいのです。そして出典の明記されている文脈に「~によれば、」という表現を付け加える編集はそもそも出典の明記が「~によれば○○である」の意味をなしているので、基本的に冗長表現ですから、可読性の点から特筆すべき場合を除いて使用されるべきでないのであり、加筆者は文献を確認すれば一目瞭然なわけです。以上のことからわかりますように、記載されているのは学説ではなく、(ある学問的見地からの)事実でありますから、これは学説を記載しているのではなく、事実を記載しているのです。--硯箱会話2017年3月16日 (木) 14:33 (UTC)
文例を示しますと、
  1. ベッケンフェルデによれば、国家の概念は学問的共有財産であるとともに、あらゆる社会に普遍的なものではない[1]
  2. オットー・ブルンナーによれば、現実の様態としては中世初期において、教会と国家はたがいに緊密に絡み合いながら現れた[2]
という記述は基本的には冗長表現です。
  1. ダントレーヴの国家論の定義に従えば、国家は3つの意味で日常的に用いられている[3]
  2. アウグスティヌスに拠れば、人間の不安な状態は理性と感性の対立とそれによる内心の分裂であるが、これは同時代の多くのキリスト教徒が抱いていた神への愛と現世への愛の衝突の経験であった[4]
という記述は冗長表現ではありません。--硯箱会話2017年3月16日 (木) 14:50 (UTC)
コメント あと、Template:単一の出典には節で使う場合もあるので、誤用とは言い切れません。--121.107.209.16 2017年3月16日 (木) 14:18 (UTC)
単一の出典は記事に使うもので節に使うものではありません。それは当該テンプレートのノートでの議論とテンプレートの説明を踏まえれば明確です。節に使っている場合は明確な誤用です。--硯箱会話2017年3月16日 (木) 14:33 (UTC)
テンプレート剥がしの荒らしを続けています。ブロックするしかないと思います。--121.114.42.96 2017年3月25日 (土) 05:38 (UTC)

横からすみませんが、硯箱さんのコメントでSfnテンプレが使われているため脚注が最下部に配置されてしまいます。もしよろしければ、refタグのgroupやnowikiタグを使うなり、脚注がほかの節に紛れ込まないよう変更していただけないでしょうか。--ネイ会話2017年3月26日 (日) 03:27 (UTC)

テンプレートの不正確な使用について

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短時間に複数のIPによって単一の出典テンプレートを繰り返し貼る編集が行われています。きわめて短時間に集中的に行われていることから、ソックパペットの疑いもあります。荒らし行為と思われますので、保護依頼いたしました。--硯箱会話2017年3月25日 (土) 05:42 (UTC)

テンプレートはがしはお控えください。適切な使用です。--ぽてから会話2017年3月25日 (土) 05:42 (UTC)
ぽてからさん、まさかとは思いますが、ソックパペットを使ったりはしていませんよね?それにテンプレートの不正使用については以前指摘したはずですが、返答頂いておりません。--硯箱会話2017年3月25日 (土) 05:44 (UTC)
憶測で悪者扱いしないでください。硯箱さんが、適切なテンプレートであるというコメントを無視されているだけであり、テンプレートに問題はないと確信しますね。--ぽてから会話2017年3月25日 (土) 05:47 (UTC)
ノートでの議論を踏まえてください。単一の出典テンプレートは単一の出典だから自動的に貼って良いというものではありません。記事全体において単一の出典であり、中立な観点に問題がある場合にのみ使用されるもので、基本的に節単位で使うものではありません(そのような使用が許されれば、節分けを勝手にして単一出典テンプレを貼ることが可能になってしまいます)。--硯箱会話2017年3月25日 (土) 05:49 (UTC)
横からすみません、ブロック依頼から来ました(上節とまとめてコメントします)。仰るように「単一の出典だから自動的に貼って良いというものではありません」が、節単位に貼っても問題はありません。本件は(貼ることが)適切だと判断します。なお、単一出典テンプレ貼るために節分けをするような利用者は、荒らしまがいと見なされブロックされるので御心配なく。歴史・宗教などでは学会で支持されている定説だとしても、自然科学と違い(場合によっては自然科学もそうですが)、それはWikipediaでは説・意見として扱うべきものです。つまり、誰の見解なのかを明記する必要があり、定説でないものは「〇〇は~と主張している」と書きますが(御存知ないかもしれませんが、論争の多い政治記事ではこの表記方法が定番です)、定説であれば「〇〇は~以下のように述べている」程度で良いでしょう。「定説なのに単一出典テンプレを貼られた」のであれば、その定説を別の出典により補えば良いだけです。なお、ぽてから様はソックパペットを使うような方ではないと思っていますし、少なくとも私は、ぽてから様とは別人です(まー私たちが同一人物と疑う人は誰もいないと思いますが)。--JapaneseA会話2017年3月29日 (水) 03:41 (UTC)
Template‐ノート:単一の出典の議論を踏まえればこのテンプレートは単一の出典の箇所に機械的に貼るものではありませんし、そのような利用は基本的にコミュニティに益があるとおもわれません。通例単一の出典が問題になるということであれば、おそらく信頼できる文献や中立的な観点が問題になると思われますから、別のテンプレートで置き換え可能ですし、そうしなければ何が問題かの論点が明確となりません。少なくともテンプレートは記事の改善を意図して利用されるべきもので、編集方針に関するテンプレートが一律機械的な運用をされるならば、記事の可読性も損なわれるものと思われます。また単一の出典テンプレートは節分け後に貼られております。逆に言えば、節を分けなければ単一の出典テンプレートを貼る根拠があるとは思えません。--硯箱会話2017年3月29日 (水) 04:25 (UTC)
つまりぽてからさんは中立的な観点や独自研究などほかの正当なテンプレートを貼る根拠を見いだせなかったので、結果として外形的・機械的に貼ることが容易な単一の出典テンプレートを選んだように思われます。そうでなければ適切な別のテンプレートを選択し、それに基づいてノートで論点を明確にした議論提起すれば良いのです。たとえば個々の節について複数の文献が存在すると立証できるならば、単一の出典テンプレートを貼ることに正当性を見いだせますが、現状そうした文献調査が行われてもおりません。--硯箱会話2017年3月29日 (水) 04:32 (UTC)
次に、事実と学説の混同が問題です。そもそもあらゆる認識に主観性が伴う以上、突き詰めれば何が事実で何が主観かという問題が存在するのは当然ですし、ことに同時代的な政治問題ではそうでしょう。しかし学問的蓄積においては一定の事実の積み重ねがあり、少なくとも学問的事実として大筋において異論の存在しないものを一部の学者の学説と矮小化して記述するのは中立的な観点に反します。また私は検証可能性と中立的な観点のスタイルを満たして記述しております。まず政治記事界隈で流行している、「○○は~と主張している」という記述がじつのところ基準が非常にあやふやですし、不毛な政治論争の果てに帰属化の方針文書を著しく極端に適用した特殊な慣例のように思われます。そうした一部記事で対立を回避するためにやむなく採用されている慣例を、他分野の記事にまで推し進めようという観点はあまり好ましいものではありませんし、ことに歴史学にそれを持ち込むと、不毛な論争になりやすいです。少なくとも私が執筆に利用している文献はまともに調べればわかりますが、いわゆる講座シリーズ(編集者だけなくその分野の権威的専門家が責任編集を行う専門家による基本論文集)や責任編集のついた翻訳、学会でもかなり主流で研究蓄積も豊富であり、かつその分野の第一人者もしくはそれに類する立場(たとえば専門文献案内や論文集の責任編集を担当するレベル)と認められており、専門家による書評も多いものを選んでおり、はっきりいってしまえば、個々の観点について文献を示せと言われれば外国語文献も含めていくらでも示せますが、利用の便を考えても概説部分は明確に信頼性のおける文献、それもなるべく邦文で利用の便が容易であるものを示すだけにしないと混乱を招きます。基本的に信頼性に劣る新聞記事や同時代著述家の批評類を利用せざるをえない、同時代的な政治記事とは異なり、歴史学では明らかに参照すべきと思われる一定の権威のある基本文献というものが存在し、多くの場合基準も明確とはいかないまでもかなり客観的に提起可能です。私はそもそも記事全体についてこれから手を入れていくつもりですから、個々の論点についての細かい文献はそこで両論併記を踏まえて書いていくつもりです。--硯箱会話2017年3月29日 (水) 04:42 (UTC)
一次資料のTemplateの使用はルールに則ったものであり、Templateを剥がす理由は合理性に欠けます。ぽてから様の一次資料のTemplate貼りに文句を延々と言われる時間を有効に使用し、他の出典を用いて加筆すればよいのではありますまいか。なお、この上の#加筆箇所から延々とここまで、硯箱様が「一次資料のTemplateは不正だ」と言い続けられていることについて、コミュニティを疲弊させていると判断いたします。--RXX-7979Ⅲ会話2017年3月29日 (水) 09:14 (UTC)
大筋において異論の存在しないもの」との事ですが、確かにWikipedia:中立的な観点には「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない。信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にウィキペディアの意見として記述されるべきです。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張が誰のものかを記述する必要はありません」と方針にもあります。「論争の余地のない」話なのかどうか私にはわかりかねますが、「定説なのに単一出典テンプレを貼られた」のであれば、その定説を別の出典により補えば良いだけでしょう。貴方が本当に定説について述べているのかどうか、その分野に詳しくない利用者を黙らせる(言い方は悪いですが)には、更なる出典を提示すれば良いだけです。なお、歴史こそ政治以上に揉める分野ですが、本件の範囲がその揉める範囲なのかどうかはわかりかねます。--JapaneseA会話2017年3月29日 (水) 09:31 (UTC)

なんだかわからぬことになっていますが、まずぽてからさんは記事の記述に対して文献を示して適切な反論を示すことは一切しておりません。やっているのは「○○が提唱した」という根拠不明の記述の追加であり、この追加に方針的根拠はないように思われます。存在しない異論に配慮して不必要な帰属化を行うことは中立的な観点や言葉を濁さないの方針文書に基づけば適切でなく、むしろ独自研究と見なすべきです。なぜなら「○○が提唱した」「○○が主張した」という文章はその著者が新規にある事柄を提案したとか客観的な事実としては記していないという一定の事実を含意しますが、文献を確認すれば、著者は文献や既存研究に基づいて客観的事実として記述しているのですから、これは事実の歪曲です。もちろん有力な異論が信頼できる情報源から確認できれば、著者の記述は主観的であった点が確認できるのですから、適切に帰属化される必要があります。次に、単一の出典テンプレートについては節を分けた後に添付されたから外形的に単一な出典に基づいていると見えるだけで、節を戻せば根拠を失います。しかし可読性の面においてそれは問題ではないでしょうか。別にテンプレートを剥がすのに、出典を追加するだけでよいので簡単なことですが、まず不適切な使用であるという点については明確にすべきと思われます。--硯箱会話2017年3月29日 (水) 11:15 (UTC)

ちなみに年がら年中揉めているのは特定アジア圏諸国と日本のナショナリズムに関わる東アジアの近現代史や古代史、中世史の一部、一部の日本古代史的テーマであって、基本的に歴史学全般は政治の話題以上に揉めることはないと思われますが、そもそもありもしない揉め事に配慮しろというのも変な話です。--硯箱会話2017年3月29日 (水) 11:41 (UTC)
節の中で使用されている出典が単一であるので、Template使用は適当であります。適当なTemplate使用について、これ以上、無意味な抗議を続けられるおつもり、ということでございましたら、ますます硯箱様がコミュニティへ与えた疲弊の量が膨れあがるだけ、と申しておきます。--RXX-7979Ⅲ会話2017年3月29日 (水) 11:27 (UTC)
上記硯箱様による「ありもしない揉め事」という主張については、虚偽であると判断いたします。--RXX-7979Ⅲ会話2017年3月29日 (水) 11:45 (UTC)
では実際に検証可能な信頼すべき情報源に基づいて揉め事ないし異論の存在を立証して頂きたく思います。--硯箱会話2017年3月29日 (水) 12:16 (UTC)

記事の私物化について

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硯箱さんによる記事の私物化がなされているため、この記事の改善が出来ない状態に陥っています。改名や分割などを含め、この記事の将来について議論を続けて参りましたが、硯箱さんだけが自分が記述したいようにする、以外の意見を断固として反対され、かつ、出典を自分の都合の良いように勝手に解釈されるため、議論が継続不可能となってしまいました。この記事の今後を考えた場合、硯箱さんの考えを変えてもらう以外に独自研究の状態を脱することはできませんが、いかがお考えですかね。コミュニティ内で共同作業をされるおつもりはあるのでしょうか。議論は出尽くしましたので、次のステップとしては、各々の主張をまとめて投票するしか方法はないでしょう。--ぽてから会話2017年3月26日 (日) 12:29 (UTC)

そもそも記事の私物化という事実が客観的に存在しないということはすでにさんざん申し上げたとおりです。独自研究でないということもすでに十分立証されたはずなのですが、いまさらながらに自らの独自研究を展開するぽてからさんにコミュニティ内で共同作業をされるおつもりはあるのか逆に問い質したいですね。そもそもぽてからさんはこれまで一冊も文献を挙げることすらしておりませんし、テンプレートについては明らかな誤用を指摘されても編集を強行しております。ソックパペットあるいはそれに類する複数IPでのご自身の観点の編集の強行という疑いも見られますし、ぽてからさんには全般的に編集能力の欠如と協調性の無さを感じざるを得ないところではあります。共同作業というのであれば、しかるべき文献を挙げ、中立的な観点を守りつつ方針文書に順った当たり前の議論を期待したいところです。合意と方針文書に基づく文献に基づいた議論の在り方を無視して多数決にこだわるあたりもウィキペディアの方針に明らかに反していると思われますし、多数決にもちこもうという態度がどうもソックパペット的な考え方のように思われます。実際方針文書はソックパペットの可能性を指摘して多数決は基本的におこなわれるべきではないという立場を明確にするよう指示しています。議論は出尽くしたという自分勝手な結論の出し方も、そもそもぽてからさんの議論能力の欠如によって議論遂行が不可能になっただけのように思われます。繰り返しますが、ぽてからさんは一切ご自身の主張を文献によって裏付けられておりません。検証可能性を著しく喪失した主張を受け容れろというのはどだい無理な話です。いろいろウィキペディア内でのぽてからさんの議論を見ますに、ほかでも同様な方針文書の曲解や強引な議論姿勢が多々見られるところであることも付け加えておきます。--硯箱会話2017年3月26日 (日) 17:15 (UTC)

コメント Wikipedia:投稿ブロック依頼/硯箱を提出しました。--ぽてから会話2017年3月26日 (日) 22:12 (UTC)

最初から全部を読んではおりませんが、たまたま目に入ったところでは、硯箱様が121.107.209.16様を「ググった程度」とバカにして「結局議論にならない」などと、自分の主張だけを絶対視しておられます。これは、意見の対立というよりは、自分だけが正しく、他は全てググった程度だから相手にする気はないとおっしゃっているようにしか聞こえません。素人ですが、この記事を読んでも、「政教分離」やその歴史がどこに書いてあるのかさっぱり理解できません。書いてあることは意味は分かりますが、まず、「政教分離」がなにか、を簡潔に記されてもいないわけであり、なんのためにヨーロッパの歴史のうちの一部が、延々と書かれているのか理解に苦しみます。これは、百科事典向きの記事ではないということは言えますし、独自研究の塊、という多くのコメントに賛同するものであります。--RXX-7979Ⅲ会話2017年3月29日 (水) 09:08 (UTC)

上のように全く議論の本筋がわかっていないのです。121.107.209.16さんの言っていることは要はグーグル検索ないしネット検索で「政教分離」と調べて出てきた文献で歴史記事を書きましょうという乱暴な議論です。私が言っているのはこの記事に書かれている内容から国家と教会についての歴史学的理解を確認できるので、その意味で記事内容をより明確にし、国家と教会の機構的分離、聖俗の思想上の分離を「政教分離」ということは一部を除いて一般的ではないので、「政教分離の歴史」という名前は上のようなググった議論をする手合いに文句をつけられる可能性があるので、さっさと改名しましょうということです。改名議論の推移も全く理解していらっしゃらないということでしたか。ググっている人は検索結果がすべてなので結局議論にならないのです。「『ドイツで国制史的な政教分離がなったとされる1803年までに限定』というにも、文献にあるのでしょうか。」については様々な文献で確認できますが、基本的な理解としては18世紀中に神聖ローマ帝国内の聖界諸侯は徐々に陪臣化と世俗化がおこなわれ、1803年帝国代表者会議主要決議において神聖ローマ帝国の国制は名目上も完全に教会の機構と分離し、世俗化することになります。という流れは別にドイツ史では常識的理解で、たとえば『ドイツ史研究入門』(p.98)などでも容易に確認できるわけですが、アメリカについて書くなについてはそもそもアメリカ合衆国ではその建国の時から国家機構と教会組織について分離が行われており、この記事でいうような分離の歴史がそもそもないという基本的事実をなぜ失念しているのか理解に苦しみます。おそらくググっても出てこないことはわからないのでしょう。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 15:59 (UTC)

記事に挙げられている文献を確認せずにググって見つけた記事内容と直接関係ない文献を用いて議論をすることが基本的に問題であるという表明であり、記事の品質を論じるならば、まずその根拠となる文献を検討するということは「信頼すべき情報源」と「検証可能性」に基づけば適切な判断であるように思われます。--硯箱会話2017年3月29日 (水) 12:04 (UTC)

そもそもの発端は独自研究だという疑いだったので、私にはこの記事の論点は比較的見慣れた内容だったので、私はとりあえず自分の知っている文献(これは元の記事では利用されていない文献です)を提示して記事内容はそれと矛盾しないということを論じ、そのうえで一部についてはよくわからなかったので参考文献に基づいて記事内容を精査する必要はあると思いました。実際そのように提案しております。私は記事の文献を確認して記述が妥当か議論するという議論過程が方針文書に基づいて行われると思っていましたら、一部の議論参加者はそもそも記事の参考文献を調査することをせずに、記事の執筆に利用されているとも思われない、そして趣旨の上でも記事内容とほとんど関係のない論文を示して記事内容は独自研究だという議論を展開いたしました。こうした議論の仕方は明確に誤りですし、検証可能性という基本方針の軽視です。そもそも検証可能性に基づけば、記事内容は文献で確認できるからまず正当性を持つのであり、別の関係ない文献が言及していないから独自研究だという議論はそもそも不毛です。まず記事の出所と思われる文献を検討し、新規の文献が提示されるならば、その文献と記事内容の整合性がまず検討されるべきだというかなりまっとうな主張をしているだけです。--硯箱会話2017年3月29日 (水) 12:32 (UTC)
もう一つこの発言で注意していただきたいと私が思っているのが、「ドイツで国制史的な政教分離がなったとされる1803年までに限定というにも、文献にあるのでしょうか。」という121.107.209.16さんの発言です。議論があまりにも噛み合わないので、121.107.209.16さんは基本的に自分が議論に提起した論文を読んでないか理解していないんじゃないかという疑いを私はずっと持っていて、実際指摘してるんですけれども、ここでもそもそも121.107.209.16さんがネットで探してきた新保論文を読めば、「リュッベがその説を提唱するとき,それはあくまでも,1803年帝国等族代表者会議によって制定され,公然たる歴史上の事実となったあの教会財産没収という事件を念頭に置いていたのであって」という指摘があって、1803年が何を指しているか普通はわかるはずなんです。少なくともこの論文のテーマがわかっていれば、1803年が何の年かというのは普通にピンときます。でも、121.107.209.16さんはそこもわかってないので、結局論点が全く追えていないんです。自分が提示した論文にも書いてあるのに、相手にそれを記載した文献はあるのかと聞いているのは、自分の提示した論文を読んでいないか理解していない証拠です。通例相手が提示した情報源は相手が内容を理解して提示していると思うので、こっちもそれを前提に話をするんですけど、言ってることがわからない。なんで提示された論文の内容について話しているのにわからないのか、議論を進めていくと、どうも121.107.209.16さんは自分の提示した論文を読み込んで話をしているわけではなく、都合のよい記述だけ拾ってきてるんです。また私の発言についても理解しているとは思えないところが多々あり、さらには議論の途中で私が記事を執筆したから私物化しているとか、元の記事は山田欣吾ファンが書いた(元々山田欣吾『教会から国家へ』は私が議論の中で提示した文献で、元記事には利用されていないので明らかな虚偽)とか、単純に事実誤認ないし妄想としか思えないことを口走って、そこらへんが何を根拠に何を目的として話しているのか私にはよくわからない。思い込みが激しいとしか言い様がありません。121.107.209.16さんが繰り返し主張しておられる「アメリカが政教分離の歴史では重要なんです」という発言も、元記事にはそもそもアメリカについてほとんど記載されていないうえ、記載されていないのはこの記事の述べている歴史学的な文脈での政教分離(つまり、国家と教会の機構的分離)という意味では、そもそもアメリカは当初から国家機構の上で政教分離はほとんど完成されていたので、問題とならないという点について何度か指摘しても全く理解して頂けなかった事実を明記しておきます。--硯箱会話2017年3月29日 (水) 21:38 (UTC)

つまるところ、このノートが肥大化しているのも通例期待される検証可能性と信頼できる情報源、中立的な観点という三大原則に基づいた適切な議論がされていないばかりでなく、一部の議論参加者が自ら提示した論文を読み込みもせずに都合のよいところだけ切り取って議論をするため、正常な議論活動が阻害されているのみならず、ところどころに根拠不明な妄想も織り交ぜて語るので、参考文献の検討すらまともにおこなわれていない異常な状態に問題があるのです。そのうえさらにただでさえ以上のような議論が錯綜している中で、ノートでまともな問題提起もせずにテンプレートを貼って議論を攪乱させることを意図した編集行動を取ったり、文献的な根拠もなく独自研究を記事に反映させようとする者も出てきており、記事の改善を真面目に検討される気があるのか、議論をうやむやにして記事の破壊を目的とした行動を取られている人がいるのではないかという点について強い危惧を表明いたします。--硯箱会話2017年3月29日 (水) 21:56 (UTC)

話を蒸し返す理由が理解しかねますが、2017年3月11日 (土) 15:59 の硯箱(当時IP)さんの発言は、私が3月5日に公表した書籍とインターネットを用いた文献調査報告以降の発言で、私がネット検索だけで議論を進めたわけではないことがこの調査によって証明されていますし、第一、私は一度も「グーグル検索ないしネット検索で政教分離と調べて出てきた文献で歴史記事を書きましょう」などと主張していません。この硯箱発言の時点では、2017年3月11日 (土) 13:56の記事の状態は、ベッケンフェルデと山田論文が提示されているにとどまっていますし、第一、私が出典の明記を求めていたのは、脚注の付けられていない文章です。この発言は私に対する捏造と歪曲による個人攻撃です。以前にも言いましたが、インターネットで閲覧可能な論文も書籍も両方出典としては使用できるのであり、書籍だけが「信頼できる情報源」なのではありません。書籍であっても、信頼できる情報源としては認められない本は多数ございます。
また、「アメリカ合衆国ではその建国の時から国家機構と教会組織について分離が行われており、この記事でいうような分離の歴史がそもそもないという基本的事実」というのは修正第1条のことをいっているのでしょうが、アメリカ合衆国が突然建国されたはずもなく、それまでのイギリス本国の状況および国教会との関連した歴史があります。「この記事でいうような分離の歴史」という発言も、自分で一方的に記事を規定しておいて、それに合わないものを排除する、という態度が、皆さんから指摘されているような記事の私物化なのです。
改名作業に入るかと思えば、またテンプレートを剥して保護され、ブロック依頼になってしまいましたが、無駄なことをやめて出典を明記する加筆を続けてください。知識があるのは認めますが、硯箱さんはウィキペディアが共同編集体制であることを理解されていないとしかいいようがありません。また、ウィキペディアの査読システムは通常の学会とは異なり、非専門家であっても発言の自由がありますし、議論と対話によって妥協点をみつけ合意形成をしていくべきです。話が噛み合わない原因を私に押し付けていますが、まったく不当な言いがかりですし、硯箱さんの編集姿勢が問題とされているのですよ。記事の破壊などといっていますが、議論の結果、出典をつけられた部分については改善したわけです。まだまだ後半は出典もないですし、すでに申し上げたように、他にもまだ改善すべき問題があります。例えば宗教改革の記事があるのに、ここで詳細を書くのは、立項関係からいって不適切です。--121.107.209.16 2017年3月31日 (金) 13:40 (UTC)
なお、ブロック依頼で私と他の編集者を同一視されていますが、違いますので。--121.107.209.16 2017年3月31日 (金) 13:45 (UTC)
とりあえずWikipedia:投稿ブロック依頼/硯箱で私が述べた121.107.209.16さんと利用者:大和屋敷さんが同一人物ないし関係者ではないかという点について、何かしら弁明なりをして頂けることを期待します。議論と対話による合意形成も公正な行動によって成り立つものであり、一方の議論当事者である私がブロック依頼され、もう一方の121.107.209.16さんがソックパペットないしミートパペットではないかと疑われる今の状況ではあまり正常な議論は期待できないのではないでしょうか。そして121.107.209.16さんが頻繁な論文誤読をしていらっしゃることは意図的ではないとはいえ、証拠の悪用に当たりますから、その点については適切な反省をして頂ければと思います。適切な情報源に基づき、検証可能性と中立的な観点に基づいて正常な議論ができればよいのです。--硯箱会話2017年3月31日 (金) 13:53 (UTC)
弁明はもう済んでいると考えるものです。私も明らかに別人であろうと考えております。むしろ、同一人物であると考える理由を硯箱様がご提示されるべきではありますまいか。自分と異なる意見を主張する人物を、同一視しているだけの個人攻撃であるとしか考えられません。一連の硯箱様の行為については、無期限ブロック票を強く主張する根拠を与えてくれているだけである、と捉えております。--RXX-7979Ⅲ会話2017年3月31日 (金) 14:00 (UTC)
私自身は121.107.209.16さんと利用者:大和屋敷さんが同一人物ないし関係者ではないかという点について十分熟慮した上で当該ブロック依頼ページで十分立証責任を果たしたと思われますので、あとはコミュニティの良識に任せるのみであります。私自身は当初からこの記事の編集権を主張するつもりもなく、どちらかといえば巻き込まれて仕方なく執筆と議論に参加した立場でもあり、私がコミュニティに混乱をもたらすだけということであれば、ブロックされても全く問題ありませんが、今回わずかな期間とはいえ、ウィキペディアに参加して些か異常と思われる内情についてはよく看取でき、この点についてこのコミュニティの自浄作用が正常に働かないのであれば、とくにここにとどまる必要もないとは考えています。私自身はウィキペディアの充実と改善を望みますが、今回の私の行動がそもそも無期限ブロックに相当するのかについても当初から疑問でしたし、ウィキペディア上の私の発言と行動の周辺に利害関心を共有する一群の人びとないし複数のアカウントが存在することも看取されました。したがって私のブロック依頼やここ数日の私の周辺での不可解な出来事についてコミュニティが注視し、問題を感じないならばそれはそれで柔軟性と即応性、多様性を失った百科事典プロジェクトへの興味・関心など私にはありません。--硯箱会話2017年3月31日 (金) 14:12 (UTC)

コメント ともかく、硯箱さんはTemplateを貼る、貼らないで口論になるよりも、複数の出典を提示して堂々とTemplate貼付の根拠を消し去ったほうが得策であると考えます。本記事は4月25日まで保護されていますので、例えばご自身のsandboxページで個人的に編集されてはいかがでしょうか。Templateを貼る、貼らないのレベルの議論で誰かがブロックされるのは、Wikipediaにとって損失です。--Susuka会話2017年3月31日 (金) 15:47 (UTC)

文献を示すことについてはほとんど問題ありませんが、ページ数なども含めていくと物理的な作業量過多になる現実的な問題があります。私自身の休暇も終わるので、できればスピード感を持って一度全体を書き直した後、細かく文献を充填していくほうが早い。問題は現状のどこが問題なのか論点整理のためにまず独自研究テンプレートなどを整理したいが(そうでないと分割作業にさえいかない)、そうして既存の論点を整理しつくすまえに新しいテンプレートをその上から貼っていくのは作業としても不毛であるのみならず、結局改善が後回しになるという点です。テンプレートは進展している議論にまず基づいて限定されないと、議論の新規参加者にも議論参加者にもどこが争点であるか明確になりません。要はテンプレートを一つ一つ解決せずに、貼っていく行動は作業を妨害する効果があり、さらには必要に応じて節を分けた後で単一の出典テンプレートを貼るというのは正当性がないのでやめてほしいということです。相手が正当性が無いことを認めないならば、作業の間だけ節を戻せば良いということになりますが、作業効率が落ちます。ここのノートでおかしいのは普通記事改善を行う場合、議論参加者が個別に参考文献を検討して出典を確認するという作業などが分担されるはずですが、なぜか私しかやってないことです。私が最初に節単位で検討しましょうと言ったのはそういう意味です。本来節単位で文献確認や問題点を整理すれば作業は早いし大した後腐れ無く進んでいくはずです。しかしここでの議論はそうではなく、議論参加者の一部が好き勝手にあまり本筋と関係ない情報源を示して独自の主張を展開しているだけになっています。記事の参考文献を検討するという一番大切なことがここまでほとんど行われていません。記事内容がそもそも多いから、基本的に文献を確認せずに無際限にテンプレートを貼られすぎている点が問題です。--硯箱会話2017年3月31日 (金) 16:02 (UTC)
上の121.107.209.16さんのコメントを見ても、「まだまだ後半は出典もないですし、すでに申し上げたように、他にもまだ改善すべき問題があります。例えば宗教改革の記事があるのに、ここで詳細を書くのは、立項関係からいって不適切です。」などというのは既存の方針文書に全く根拠が見出せない主張ですしはっきり言って何を言ってるか私にはわからないのですが、そもそも実際の記事改善作業が行われている途中でこんなことを言ってもしょうがないでしょう、他にすることないのかということです。「硯箱さんはウィキペディアが共同編集体制であることを理解されていない」と言いますが、共同編集体制っていうのは記事内容を好き勝手に論評し、いちゃもんをつけることでは無いはずだと私は思いますが。「後半は出典もない」と思うのなら、参考文献が挙げられているのですから、私がほかの作業をしている間に参考文献の中から確認すれば良いと私は思うのですが、これって共同編集の考えとして間違ってますか?って話です。--硯箱会話2017年3月31日 (金) 16:25 (UTC)
少なくとも記事と関わりの無い文献を集めてきて文献調査なんてやっているなら、その労力を参考文献の出典箇所判別に使ってもらいたいというのが私の意見です。--硯箱会話2017年3月31日 (金) 16:33 (UTC)
テンプレートは大した問題ではないです。神経質に考えすぎです。出典が明記された後ならば、テンプレートを外しても「いちゃもん」をつけることはできませんし、もし誤ってつけられたテンプレートであれば他の編集者にも判断が可能です。「単一の出典」テンプレートについては、これまでに私も含めた三人(もしくはそれ以上)の編集者が妥当としています。加筆については、宗教改革で詳細を書き、こちらの記事では「教会と国家の分離の歴史(仮名)」の全体の分量とバランスを考慮したうえで最低限の記載にとどめるべきです。また、他の編集者の発言に対して「その発言の出典はあるのか」などといっていますが、これは冗談ですよね?冗談でなければ、もう議論は不可能でしょう。加筆については、準備はしています。しかし、この記事で加筆するかは分量の問題から不適切であろうと考えているので、他の記事に加筆する予定ですし、関連記事に加筆を続けています。それに、ウィキペディアでは、出典を示す責任は掲載を希望する側にあります。私はこの記事の分量を増やすつもりはないし、硯箱さんの記事の規定については批判もありますので、こちらで加筆するのは最終的に合意形成がなされるか、あるいは硯箱さんがブロックされるか否かに関わらず、編集をやめられた後でしょう。なお、私は投票権がありませんが、ブロックには条件つきで反対です。その条件とは、硯箱さんが他の編集者との議論を深め、罵倒するのでなく、誠実に出典を明記されていき、その作業が終了した時点で、再び分割提案などがなされた時にも、誠実に対応されるならば、という条件です。私は、出典が明記された箇所については、感謝しておりますし、硯箱さんが冷静に加筆なさってくださることは、多大な貢献と考えています。私がずっといっているのは、その加筆する場所です。例えば、私は「政教分離の歴史」を今書いていますが、その中で三十年戦争を解説していると、長くなりました。ですので私は三十年戦争に加筆する予定です。私が宗教改革についていったのも、ただこれだけの話です。なぜこのような常識的な話を理解されないのか、不思議です。--121.107.209.16 2017年4月1日 (土) 15:38 (UTC)

「私がずっといっているのは、その加筆する場所です。例えば、私は「政教分離の歴史」を今書いていますが、その中で三十年戦争を解説していると、長くなりました。ですので私は三十年戦争に加筆する予定です。」という発言が端的に言って何を言ってるのか意味不明です。少なくともある記述が「政教分離の歴史」の主題により則った記述であれば、「政教分離の歴史」の記事に書かれるべきですし、三十年戦争のほうに書かれるのが適切だというのであれば、それは元々関連性が薄かっただけで長さの問題ではありません。「なぜこのような常識的な話を理解されないのか、不思議です。」と言われましても、これが常識だと思っていることが私にはわかりませんし、どちらかといえばとても常識とも思えない、かなり特異な主張のように思われます。一方の記事が内容が足りないと思われる場合は足りない方を加筆すればよい、それだけではないでしょうか。記事の尺の大小は、記事内容そのものの過不足とは全く関係ない話です。そのようなことを推奨している方針文書もないように思われます。それにこれまでの議論を踏まえれば誠実に出典を示す行動など121.107.209.16さんは一度も取っていないように思われます。私が知っている121.107.209.16さんの行動と言えば、記事の参考文献から出典を見つけることなどせずに、ただ単に自分がよくわかってないところに独自研究テンプレートを貼り付けているだけのように思われます。これまでの議論で121.107.209.16さんがこの記事に挙げられている参考文献を調査し、一つでも記事の出典を誠実に調査したことなどありましたでしょうか。--硯箱会話2017年4月1日 (土) 15:52 (UTC)

私にとって一番不可解なのは、現状の出典を確認する作業をなぜか私の側に一方的に押しつけられているように思われる点です。むしろ記事に参考文献が挙げられている場合、ある箇所が独自研究であると思うならば、とりあえずその箇所に使用されたと思われる文献を調査し、出典を明らかにして論じられるべきでないでしょうか。検証可能性に基づけば、このような行動が普通予想されます。しかるに121.107.209.16さんは口では「共同編集」などと言いながら、実際において記事内容の真偽の判定、出典の明記などの作業において議論相手と協調する態度は一切示しておらず、やっていることは自分の主張に都合のよい文献を、それもよく読みもしないで一部だけを切り取った形で利用して、記事の論評をしているだけです。これが記事の改善に資する行動とはとても思えないのですが、いかがでしょうか。--硯箱会話2017年4月1日 (土) 16:01 (UTC)
補足として「また、他の編集者の発言に対して「その発言の出典はあるのか」などといっていますが、これは冗談ですよね?冗談でなければ、もう議論は不可能でしょう。」という発言は私のどんな発言を指して、何を目的として語られたのか理解不能だったうえ、議論とは関係ないそれこそ罵倒のたぐいのように思われますので無視しました。--硯箱会話2017年4月1日 (土) 16:27 (UTC)
さらに補足として、ようやくわかってきたのですが、121.107.209.16さんは個別脚注方式のみを出典の明記だと勘違いしている可能性があります。方針文書に基づけば、出典の明記の仕方には「
  1. 本文中に注釈を挿入する
  2. 個別参照法
  3. 記事末尾に参考文献を記載する
」の3種類があるのですが、これまでの議論から出典の明記の方針誤読をしているのではないかと思われる疑いが濃厚です。この記事は少なくとも参考文献形式は満たしているわけですが、そのうえで議論に必要な措置としてあるいは記事のブラッシュアップとして、実際の出典箇所を厳密に特定するというのは別の話です。--硯箱会話2017年4月1日 (土) 16:52 (UTC)
参考文献は実際に出典として使用した文献であり、「関連文献」とは異なります。現状の文献の多くは「関連文献」であり、また参考文献にしてもどの記述に対応しているのか分かない箇所が多いです。一般に独自研究として除外されるものは、脚注なしで書かれているのがほとんどです。なぜなら、出典を書こうにも書けないからです。出典に書かれていないことを出典として使われている場合もありますが、これは確認後削除するのが妥当でしょう。記事の品質のレベルを3つに分類すると、
  1. レベルA:本文中に注釈を挿入して、どの出典を用いているかを明示している。
  2. レベルB:参考文献と関連文献があるが、記述と対応されていない。
  3. レベルC:出典も参考文献も関連文献もないもの
となりますが、現状はレベルB+であり、レベルAにしてほしいと要求しているわけですが、これはこの記事にかぎらず、ウィキペディア総ての記事にも要求されることです。なぜそれが必要かといえば、記事の品質をあげるためです。この記事における「独自研究」の話と、分量と分割の問題は、たしかに別の話ですが、これまでの分割のための議論で強固に硯箱さん(当時IP)が反対されたため、議論が停止したので、まずは「独自研究」問題をクリアしてくださいという経緯となりました。話はその後も蒸し返しもあり、行ったり来たりとなりましたが、硯箱さんによる基本的視野での加筆で、「独自研究」問題がかなり解決はしたのですが、それに感謝をしめしたところ、再び、硯箱さんが猛烈に話を蒸し返して本を読んだのかどうか答えろなどという恫喝めいた尋問を開始されたので、驚いています。その後、本は読みましたし、そもそも山田欣吾の論文だってちゃんと文献調査に示しています。ブロック依頼で感情的になり、私と他の編集者を同一視して、ブロック依頼されたのも私のせいだといわんばかりの憤りを感じられたのかもしれません。しかし、私も罵倒が繰り返されるなか、我慢し、かなり配慮して議論を続けてきたのです。以前にもアルトクールさんの会話ページで私が「文献がネット上のものでないので、確認できないからこちらの言い分が信用できない」などと主張したと捏造を行っていますが、その後も何度もネットでの論文も書籍も研究者による情報源であれば使用できるといっているし、誰も書籍は出典として不可などとはいっていないのに、また言い出しています(2017年3月29日 (水) 12:04発言)。人をもて遊んでいるとしか思えません。何の悪意があって捏造を繰り返すのでしょうか。これまでの議論がここまで長大になり、いまだに合意もできないことを硯箱さんは私のせいにしていますが、私側からいえば、硯箱さんは自説を繰り返して他の編集者の意見を否定するばかりだからです。その後、アルトクールさんにも相談なさっていたようですが、改名提案の話はどうなったのですか。「教会と国家」に改名されれば、私はそれで終結です。--121.107.209.16 2017年4月3日 (月) 15:25 (UTC)
まず突然よくわからない記事のレベル付けをしているのもわかりませんし、この記事は明らかに参考文献と関連文献を分けており、実際私がまだ前半部のみですが確認すると明らかに出典は特定できるので、この記事の参考文献があやふやだと121.107.209.16さんが断言している理由が不明です。「参考文献は実際に出典として使用した文献であり、「関連文献」とは異なります。現状の文献の多くは「関連文献」であり、また参考文献にしてもどの記述に対応しているのか分かない箇所が多いです。一般に独自研究として除外されるものは、脚注なしで書かれているのがほとんどです。なぜなら、出典を書こうにも書けないからです。出典に書かれていないことを出典として使われている場合もありますが、これは確認後削除するのが妥当でしょう。」というのは実際に参考文献を確認して例証しながら話をされているのであれば納得できますが、これまでの議論で記事の参考文献を踏まえた独自研究の可能性の問題の検討は全く行われていません。こういうことであれば、これは文献の確認をしていない単なる怠慢でしかないでしょう。また山田欣吾『教会から国家へ』を確認されているのならば、独自研究であるという議論が成り立たないことはよくご存知だと思うのですが、それを何かと理由をつけて納得しないのは121.107.209.16さんのほうであるというのが私の認識です。文献調査についても、121.107.209.16さんが主張されている趣旨に沿った、記事に使われている参考文献・使われていないと思われる参考文献を明確化するような文献調査であれば誰も文句は言いませんが、事典類などを好き勝手に解釈して選んで自分に都合の良い形で都合の良い文献を選んでいるだけでとても調査とは言えないでしょう。そもそもその結論については論文誤読をして文献裏付けのない、全くおかしな主張を押しつけてくる(これこそ正しい使用法の意味での独自研究です)となれば、話を聞く気が多少なくなるのがわかりませんでしょうか。--硯箱会話2017年4月3日 (月) 15:38 (UTC)
私が文献調査で「好き勝手に解釈して選んで自分に都合の良い形で都合の良い文献を選んで」いると?おやおや、困ったものですね。ベッケンフェルデはフランス革命を画期としていますが、フランス革命について書かれていないのはなぜですか?--121.107.209.16 2017年4月3日 (月) 15:51 (UTC)
そんなことは私は知りません。私は記事にフランス革命が含まれるべきでないという主張はしませんし、必要と思うのであれば、ベッケンフェルデの趣旨に沿う形で私が加筆したっていいですし、些末なことにすぎません。それに上記の発言は私の指摘への答えに全くなっていません。--硯箱会話2017年4月3日 (月) 15:58 (UTC)
ならば、フランス革命については加筆してください。なお、イギリス、アメリカにおける教会(国教会)と国家の分離について私はいま加筆を予定していますが、イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史として新記事を作るか、また改名後の「政教分離の歴史」にするか、それとも、政教分離原則#歴史に書くかは検討中です。--121.107.209.16 2017年4月3日 (月) 16:07 (UTC)
とりあえず私のこれまでの121.107.209.16さんに関する上の指摘について何かしら返答をください。既存の参考文献が出典でないという主張をこれ以上続けるのであれば、記事の改善のためにも「121.107.209.16さんが主張されている趣旨に沿った、記事に使われている参考文献・使われていないと思われる参考文献を明確化するような文献調査」をして頂けますね?--硯箱会話2017年4月3日 (月) 16:15 (UTC)

分割に関する提案の募集

[編集]

こんにちは。簡単に自己紹介をいたしますと、たまたまブロック依頼からこの記事の存在を知った者です。たまたま、以前、別の記事で関わったぽてから氏やJapaneseA氏などが議論に参加されていたので、目を通し、この記事は改善すべきであることと、硯箱氏が記事の私物化ともいえる行動をとられてその改善を阻止する存在となってしまっていることについて、認識いたしました。この「西洋中世史の教科書」ともいえるような記事を適切な記事名に変更し、分割することについて、これまで硯箱氏が妨害とも言える行動をとられていますが、今後の議論において妨害的編集をなさらなければ、ブロックする理由はない、ということになると思われます。ですから、硯箱氏が記事の私物化を目的とされているのか、それとも、Wikipediaの方針を理解されて行動を改められるのかを見極めるためにも、ノートはノートで議論を継続するべきではないか、という考えに至った次第でございます。

現在のこの記事に最も適切な記事名は「西洋中世史」ではございませんでしょうか。しかし、「西洋中世史」という学問についての記事であればまだしも、西洋中世史の概略的な記事(教科書のような記事)は必要ございません。まず、分割してスリムにした後で、「国家と教会」がいいのか「世俗化」がいいのかなどを話合ったほうがよろしいのではございませんでしょうか、という考えに基づき、第三者として、議論の調整に参加させていただければと思います。

まず、分割の案を募集いたします。一週間程度で案が出そろいましたら、それについて、議論を交わして頂ければと思います。これまで議論が活発に交わされておりますが、硯箱氏お一人が強硬に反対されてボツとなってしまっていると認識しております。そのような行動を継続されるということであれば、記事の私物化ということになりますので、方向性を変えてご自身でも案をご提出いただければと存じます。わたくしの考えといたしましては、政教分離の歴史#歴史的展開以降は、分割が適切であろうと考えておりますが、万一、案が集まらなかった場合に、提案を検討いたします。できましたら、これまで、議論に参加されていた方に案の提出をお任せし、第三者としての議事の進行役に徹するつもりで考えております。なお、この議論中における執筆活動は継続なさっていただいてかまいません。--雅ハルカ会話2017年4月3日 (月) 07:31 (UTC)

そもそもこのノートの議論の中で独自研究箇所をあらかじめ明らかにしてから分割されるべきであるということを踏まえて全体の方向性が進んできていた中で、分割提案を先行させる必要性について改めて主張される根拠は何でしょうか。その理由が上で述べる「目を通し、この記事は改善すべきであることと、硯箱氏が記事の私物化ともいえる行動をとられてその改善を阻止する存在となってしまっていることについて、認識いたしました。」ということであれば、私自身から見ればとても客観的な立場からの参加とは思えず、同時にこれまでの経緯を十分に確認されていないことからも、議論進行役としてせっかく立候補して頂いているとはいえ、不適格ではないかと思います。基本的にはここまで曲がりなりにも一定の方向性で進んできた議論を一方の主張に有利なように巻き戻す行為であり、それが十分根拠があれば納得できますが、理由の上でも一方に肩入れする主観性が見出されることから、議論の混乱を招くだけのように思われます。--硯箱会話2017年4月3日 (月) 08:53 (UTC)
また軽々に記事の私物化を持ち込んでおられますが、記事の私物化は記事の編集に対して排除行動をとることを意味しており、それは現状の記事内容を保護すべきか別の観点で書き換えるかという議論があるときに、現状の内容を保護すべきだという立場を一方的にレッテル貼りするためのマジックワードではありません。客観的に見れば、編集行動からの排除の動きは私の側に対して一方的に行われているようであり、客観的証拠の上からも私の編集行動のみを標的として妨害することを目的としたと思われる編集行為および発言の存在があることをWikipedia:投稿ブロック依頼/硯箱で私は丁寧に説明し、十分客観的に論証しているつもりであり、同時にそうした排除行動の一端として雅ハルカさん自身についても排除的な側に肩入れしているように見られる点を指摘しております。もちろんそれが事実であるかどうかはコミュニティの良識に任せる問題ですけれども、少なくとも「目を通し、この記事は改善すべきであることと、硯箱氏が記事の私物化ともいえる行動をとられてその改善を阻止する存在となってしまっていることについて、認識いたしました。」という記述は事実の歪曲であるように私には思われますし、「しかし、「西洋中世史」という学問についての記事であればまだしも、西洋中世史の概略的な記事(教科書のような記事)は必要ございません。」についてもこの発言はこの記事のノートで特定の利用者が繰り返し論じておられる主張に酷似しているのですが、そもそも教科書的というのは個人のイメージに過ぎず、厳密な方針の検討に基づく議論においてはノート中で決着は付いているとは言いがたいということも指摘しておきます。内容の取捨選択が必要という点において、私は当初から反対しておらず今も反対しませんが、その理由はむしろ記事の観点・論点を分野なども含めて極力明確化しそれに沿った史実と議論以外削ぎ落とすべきという理由であり、その手段として分割は必ずしも唯一の手段ではないですし、実際上私はこの記事の抱える問題点を分割という形で方々に拡散させるよりはまずはここで分割以外の問題点の改善を完了してから分割すべきということを論じており、それがそもそもの分割の差し戻し理由の一つでもありました(念のため補足しますが、理由はほかにもあったので、これが主理由ではありません)。雅ハルカさんの理由が「西洋中世史の概略的な記事」だからということであれば、その主張には明らかな偏向性が見られると思われますから、調停役として適切とは到底思われません。--硯箱会話2017年4月3日 (月) 09:10 (UTC)
はじめにお断りしておきますが、議論のための議論をするつもりはございません。議論のための議論としか思えず回答が不要であると判断した内容については、回答はいたしません。「中世西洋史」はWikipediaの何ではないか、に反するということ、また、中世西洋史の一部のみをピックアップする、そのピックアップの仕方が独自研究の一つである、ということから、分割の提案について議論を進めることが記事の改善にとってよろしいのではないかと考えた次第でございます。なお、硯箱氏の議論態度は、ブロック依頼における審議参加者による審議の対象となっていることをご認識ください。私としては、硯箱氏の議論態度が改善しさえすればブロックする理由はない、と明言した上での議論参加でございますから、頑張って協力的に作業できるということを証明されますように、願っております。なお、分割が必要であること、について異論がないものとし、分割提案の募集を停止はいたしません。--雅ハルカ会話2017年4月3日 (月) 09:33 (UTC)
雅ハルカさんの行動がノートでのこれまでの議論や他所での行動も含めて客観的に記事の改善に対して協力的な観点の申し出であるか、上の言動を見ても第三者的とは言えないように思いますし、調停者としてはとても受け容れられません。結果として有益な観点が提供されることもあることから、私は雅ハルカさんの行動自体をあえて積極的に止めようとは思いませんが、ウィキペディア上で同様の議論の進行が許されているのであれば、それは明らかにコミュニティを疲弊させる行動であるように思われるという点を指摘しておきます。--硯箱会話2017年4月3日 (月) 09:41 (UTC)
私は、硯箱氏が独自研究を理解されていないことが問題であり、4か月間の議論のほとんどが硯箱氏が独自研究を理解されてさえいれば多くが無用であったと考えております。それについて、この分野に関心のある人であれば、(硯箱氏をのぞけば)ほぼ同意見であろうと考えましたために、あえて、硯箱氏の主張に問題点があることを表明した上でノートで議論に参加いたしました。硯箱氏のこれまでの議論姿勢を正当化することは不可能でございますが、今このタイミングで改められませんか。全てはこれからの硯箱氏の行動如何でございます。--雅ハルカ会話2017年4月3日 (月) 12:40 (UTC)
  • コメント 硯箱さんは、編集行為やその内容の正当性など、いわゆる「大義名分」にこだわりすぎているように思われます。Wikipediaのコミュニティの存在意義は、編集行為の規則や手順を寸分の狂いもなく順守することにあるのではありません。あくまで、閲覧者に有意義な情報を提供することが主目的です。硯箱さんの現在の方針に対する風当たりも結構あるわけですから、これ以上手続き論を続けるのは全員にとって宜しくない事態です。--Susuka会話2017年4月3日 (月) 14:53 (UTC)
手続き論という観点で言われますと、むしろ手続き論的な話は私はこだわっていませんでしたが、議論参加者が方針文書を持ち出し、手続き論を展開するので、それならば手続き論をより明確に論じる必要があると思っています。「硯箱さんの現在の方針に対する風当たりも結構ある」という点に即して具体的に論じれば、私個人としては本来歴史学的な議論にとくに限る必要性は感じてませんでしたが、議論を踏まえる過程でむしろ帰属化・他の記事との差別化・閲覧者の便宜の面でも歴史学的議論に内容を限定し、そのうえで適切な改名をすることが最も適切であると考えてのことであります。利用者の閲覧の利便性を考えても関連する出典や議論が一つの記事にまとめられていることが便益に適うと思われますし、分割の是非については手続き論の問題だけを論じているのはないということはこれまでの議論でも丁寧に説明したと思いますし、直前に言ったとおりであります。--硯箱会話2017年4月3日 (月) 15:06 (UTC)
そのうえで改名後の跡地なりに「政教分離の歴史」として議論相手が満足する記事を書くことはそれはそれで結構ですし、私は否定してません。その場所として政教分離原則#歴史もあるのですから、今書く場所がないというわけではありません。問題は私から見ると、この記事に書かれているような議論、私が文献を補い明確化した議論を知らないと思われる人たちが好き勝手に記事の一部を切ったり貼ったり論評していることだと私は思っていて、そういう話をしていると結局どこが独自研究でどこが過不足しているのかという記事改善において最も中心的な点がいつまでたってもわからないでしょう、という話です。私が改名を先にした方がよいと思っているのも私自身が最初から主張しているのでは無く(私自身は当初は現状の記事内容と過去ログをざっと見て「中世の政教分離」とか「中世の国家と教会」とかなんかそんな感じでの改名を漠然と考えていましたが、議論の過程でそれでは不十分だということを認識しました)、そういう議論の流れから全体的に考えてのことです。そうした意味で丁寧に改名→分割という流れで話を進めてきたのに、今この時点での分割に固執するのはどうしてなのか私にはわからないということです。--硯箱会話2017年4月3日 (月) 15:14 (UTC)

分割提案

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雅ハルカさんの募集に応じます。分割よりも改名がなされるべきですが、しかし改名後に再度分割のための議論をするよりもいま平行して議論を進めた方がいいと思い、提案します。

もっと細かく分割するよりもこれくらいのヴォリュームで一括して分割すれば、一定の可読性もアクセシビリティも保持できます。--121.107.209.16 2017年4月3日 (月) 16:00 (UTC)

まず明確な問題として、参考文献のどこが出典であるかわからない現状で、文献確認を経ずに分割することが適切であるとは思えませんし、過去の121.107.209.16さんの分割では編集の過程で明らかに誤ったと思われる出典箇所が修正されずに分割継承されてしまっています。また121.107.209.16さんが本記事を独自研究であるという主張を今でも頑なに取り下げていない現状で、そもそも独自研究の疑いのある記述を分割してしまえば、結果として発生するのは独自研究議論の分散であり、労力の分散です。この記事のように錯綜した議論をされている記事を議論を解決せずに分割することは、改善作業の面からも明らかに現実的ではないということをどうして理解していただけないのでしょうか。--硯箱会話2017年4月3日 (月) 16:12 (UTC)
121.107.209.16さん、突然の議論参加であったにも関わらず応じていただきまして大変ありがとうございます。硯箱氏と121.107.209.16氏より、分割よりも改名がなされるべき、というご意見をいただきました。せっかく分割のご提案をいただきましたが、ここで、一度、分割提案をクローズさせていただき、新記事名の提案を先にさせていただくということに、方向を転換させていただきますこと、お許しください。私の目的の一つとしては、どうにか、この停滞している状況をすすめることができるかどうか、原因がどこにあるのかについて、最終的に確認をできればということでございます。硯箱氏が分割には100%反対、改名そのもには賛成だが候補の名称に不満、ということを認識いたしましたので、改名について、先に議論をすすめさせていただくことが得策でございますね。ということで、ご迷惑をおかけしますが、いったんここでこの件に関する議論はストップでお願い致します。--雅ハルカ会話2017年4月3日 (月) 16:34 (UTC)