Wikipedia:投稿ブロック依頼/硯箱
このページは以下にある投稿ブロック依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートページで行ってください。このページは編集しないでください。
注意: あなたが投稿ブロック依頼を提出しようとしてこのページを見ている場合は、依頼へのリンクを {{Wikipedia:投稿ブロック依頼/利用者名 (日付または依頼回数)}} のように書き換え、新しい依頼ページを作ってください。新しい依頼ページでは、過去の議論を参考にできるよう、該当の古い依頼ページへのリンクを作成してください。
議論の結果、ブロック見送り に決定しました。
被依頼者は、政教分離の歴史において、複数の別の利用者から指摘されてもいつまでも納得しないで記事を私物化し、「政教分離における歴史学的視座」等に関する独自研究を書くためだけにWikipediaで活動をされています。2ヶ月以上膨大な議論(387,778バイト)を続けましたが、ご自身の問題点の自覚がまったくなく[1]、「利用者の行動のルールを、複数の別の利用者からたびたび説明されても理解しようとしない利用者」であるため、ブロックを依頼します。
利用者:硯箱(会話 / 投稿記録 / 記録)さんは、アカウント取得前は、IP:2001:268:c068:dee0:c121:6510:9baf:29ce(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)やIP:110.132.106.234(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois) で活動されていました(詳細は#利用者の他のアカウント)。
2016年1月25日〜2016年2月25日に合意形成により分割が終了している記事を、そのおよそ10か月後の2016年12月18日に突然差し戻し(345,444バイト)、差し戻し合戦を展開[2][3][4][5][6][7][8][9][10]。差し戻しの理由は「記事の大幅な改変はまずノートで議論してからの変更をお願いいたします。」など、分割提案の合意を無視した身勝手な発言をされています。(被依頼者によると、この合意形成後およそ10か月たってからの分割作業の差し戻し345,444バイト分についても、正当な編集であるということです)
ノートの議論では、「政教分離の歴史の出典としての優位性については、本記事の趣旨に合わせて、国家と教会の関係に言及しているかに訂正」などと独自の主張をされて証拠を悪用し、自身の主観で第三者出典の優劣を決めて(基準が不明)、自身が支持する学者のみを利用し他を否定する行為を継続されています。「政教分離」は、一般的には「ヨーロッパにおけるキリスト教の教会と国家(en:Church and state in medieval Europe)」を指すため、記事名が独自研究である、既存記事との大幅な重複がある、などの理由により、改名が分割が必須であるにもかかわらず、複数の別の利用者からの問題点の指摘を受け入れず、投票による合意も拒否されています。
ノート:政教分離の歴史#投票の提案の集計結果は以下の通り。
2017年3月12日から意欲的に政教分離の歴史の執筆を開始されますが、自身の信念に合致する学者1名の出典のみを使用して1つの節を形成し、事実として記述する行為を継続されて、{{単一の出典}}と{{未検証}}のTemplateを「Template違反」だなどと主張し、Template剥がしを継続[11][12][13][14][15][16]。応急処置として「ベッケンフェルデは次のように提唱している。」などと提唱者の名前を入れてもことごとく差しもどされます[17][18]。
利用者:硯箱(会話 / 投稿記録 / 記録)さんによる「近代国家成立史として(国制史的側面)」、「キリスト教世界(res publica christiana)の歴史的展開」、「ドイツ中世国制における聖俗分離の展開」、「良心・霊性史として(宗教・倫理思想史的側面)」、「正教会の事情(比較国制史的側面)」などは、初出(独自)の研究にすぎず、教科書や注釈付文書でしかありません。つまり、分野によって「歴史学的な側面」、「宗教・倫理思想史的側面」、「比較国制史的側面」など自身が強く信じる限られた側面だけを、それぞれ単一の学者の説を利用して演説されているにすぎません。執筆意欲はおもちでしたので、Wikipediaの方針に従って頂けるよう、おそよ2ヵ月で387,778バイトもの分量を費やし、複数の別の利用者による説得が試みられましたが、方針無視は継続しており、「私物化という事実が客観的に存在しない」などと主観的な主張を続けられ、中立的な観点を否定されています。--ぽてから(会話) 2017年3月26日 (日) 22:07 (UTC)誤字修正と下線部加筆--ぽてから(会話) 2017年3月27日 (月) 11:09 (UTC)[返信]
関連リンク
- ノート:政教分離の歴史(議論の内容は387,778バイト)
- 利用者の他のアカウント
- 利用者:硯箱(会話 / 投稿記録 / 記録)
- IP:110.132.106.234(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)
- IP:2001:268:c033:3fa3:95e9:36c2:3e32:571a(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)
- IP:2001:268:c068:dee0:c121:6510:9baf:29ce(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)
- IP:2001:268:c068:fea9:e162:c800:96c2:63b8(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)
- IP:2001:268:c068:c252:ec34:af2a:ebb7:f6f8(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)
- IP:2001:268:c068:f634:616f:f309:54a6:f018(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)
- IP:2001:268:c068:f624:8426:f1ea:fb81:fcb(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)
- IP:2001:268:c068:d7de:59a3:b42c:a90e:b96e(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)
- IP:2001:268:c068:d264:3ced:1cf8:440b:28c8(会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)
など。
被依頼者のコメント
コミュニティの良識ある判断を求めます。ぽてからさんは検証可能な文献を議論で一つも示さずに「○○が提唱した」という情報の合成に当たる独自研究の記載を記事に反映させようとし、それが不可能と見るやその後は単一の出典テンプレートをやはり誤用して貼り付けるなど、問題のある行動をとり続けています。さらに私は編集権の主張などしておらず、明らかに誤用や独自研究と思われるぽてからさんの編集以外は拒否しておらず[1]、記事の私物化という事実が客観的に見出しがたいにも関わらず、こちらがいくら客観的な証拠を挙げて論じても記事の私物化であると一方的に決めつけてレッテル貼りを行っているように思われます。私はそもそも記事の編集に積極的に関わるつもりは無く、アカウントもこの記事の議論の推移で編集をおこなうためにとったものですが、記事の品質向上のために編集するとぽてからさんがすぐに独自研究の記述を追加してノートで私が独自研究と指摘して削除してもすぐリバートし編集合戦に持ち込み、議論を継続しなければいけないという事態が続いております。それが適正な文献を示して中立な観点と検証可能性に基づいた議論であれば良いのですが、ぽてからさんは文献を自ら挙げたりすることはありません。私が求めているのは中立的な観点と検証可能性、信頼できる情報源に基づく編集だけで、私の編集も全てそれらに基づいて行っています。それを正当な理由無く拒否あるいは改竄し、さらにはノートでの議論を無視して編集合戦に持ち込もうとするぽてからさんの行動は私は問題だと思っています。そして最後には議論は出尽くしたと主張し、多数決で解決しようとします。私の会話ページやぽてからさんの編集履歴もご確認ください。--硯箱(会話) 2017年3月27日 (月) 05:08 (UTC)[返信]
- (補足)ぽてからさんのこれまでの他での議論を見てもおわかりになるとは思うのですが、ぽてからさんには基本的に検証可能性や中立的な観点を含めた諸々の方針文書を曲解もしくは悪用し、自身の好む記述を追加し自身の好まざる記述は排除しようとする傾向があります。そのうえ、検証可能性の前提となる文献自体をご自身で確認することはほとんどないという根本的な問題も存在しているように思われます。--硯箱(会話) 2017年3月27日 (月) 05:11 (UTC)[返信]
- (補足2)一つ明らかにぽてからさんが事実誤認をしていらっしゃる点を指摘します。そもそもの議論の発端となった分割差し戻しについては[19][20]とあるように、議論参加者の間で分割前の状態において記事内容を検討するということは合意が取れており、私が強引に分割を差し戻し、議論参加者の説得を無視して強行したという一方的な指摘は些か事実と異なるように思われます。ノートを見れば事実誤認であることは明らかと思われますが、その後ぽてからさんがなぜか事実誤認と思われるところを下線強調されていましたので、この点についてはぽてからさんの思い込みによるノートの議論の読み違えによる根拠不確かな糾弾であることは明確にしておく必要があると思われます。--硯箱(会話) 2017年3月28日 (火) 12:02 (UTC)[返信]
- (補足3)ベッケンフェルデとリュッベの関係について雅ハルカさんのコメントはやや専門的な内容であるので補足いたします。まずこの記事は世俗化論の記事ではありませんから、世俗化論の論争自体がもしあったとして、それを記すのが適当かという根本的な問題があります。次に、雅ハルカさんのコメントを読むと、ベッケンフェルデとリュッベが世俗化論を巡って論争しているような印象がありますが、実際にはベッケンフェルデはリュッベを参照し、同一の論理線上に議論を発展させた提起をしています。これについては[21]を参照してください。これは記事にどこまで盛り込むかという編集方針についての論争の類いで、中立的な観点を拒否するという指摘は些か事実と異なるように思われます。リュッベを記すことは可能ですけれども、冒頭部分がかなり冗長になるのでは無いかと私は思います。またノートを見てもリュッベとベッケンフェルデの間に論争があるという事実は文献によって示されておらず(そもそも論争があるとさえ提起されていない)、同時にリュッベを記載すべきという論点も争点となってはいないように思われます。少なくとも議論参加者である私の印象はそうです。ちなみにリュッべの論点は近代以降、ベッケンフェルデは近代以前を主対象とした論展開をしており、その意味でも競合関係にあるわけではありません。「とりわけ19世紀の分析に関しては,世俗化の定義づけをめぐって最初に言及したリュッベの『世俗化された社会の定理』が,ベッケンフェルデの『国家成立論』のいわば続編とも見倣されうるような優れた論を構成しているといえよう。」([22])という記述を見ても、明らかであると思われます。補足として、この記事の叙述範囲は1803年の帝国代表者会議主要決議において神聖ローマ帝国の国制は名目上も完全に教会の機構と分離したという事実(ドイツ国制における政教分離の完成)までの記載を主たる対象としていますが、リュッベの議論はこの1803年の帝国代表者会議主要決議を出発点とした以後の議論であり、この点においても直接的に本記事の内容と関わるとは思われない、という点も明示しておきます。--硯箱(会話) 2017年3月29日 (水) 03:45 (UTC)[返信]
- (補足4)121.107.209.16さんと大和屋敷さんの関係について。ここでの大和屋敷さんのコメントを見て私は121.107.209.16さんと大和屋敷さんが同一人物であるかきわめて近しい関係にあると判断し、その点を提起いたします。まずノートでは中山勉「ロジャー・ウィリアムズ研究 : 政教分離論の虚実と代表的著作に見られる神学思想」という論文が議論される箇所があるのですが、最初は「「信教の自由のための制度的保障」「あらゆる宗教の信教の自由を目的にしているか否かが、政教分離が存在しているかどうかの判断基準」(中山勉)」という形で論文名を伏せて大和屋敷さんが提示されます。しかしとりあえず私はその内容がおそらく記事との関連性は薄いと提起して、その話はとりあえず終わります。その後しばらくして121.107.209.16さんが「その他の文献は、私がこれまで述べてきたように、フランス革命、アメリカ独立以降のものですが、中山勉は『http://hdl.handle.net/2261/59677 ロジャー・ウィリアムズ研究― 政教分離論の虚実と代表的著作に見られる神学思想 』(東京大学) では「政教分離論」が使用されていますが、「歴史学的」という曖昧な表記はされていません。」という発言をされ、「政教分離の歴史において重要なロジャー・ウィリアムズについて書かれたこの論文を出典に、人権、信教の自由、自由権、プロビデンス入植、千年王国論、そしてこの論文でも紹介されているティモシー・ホール『教会と国家の分離』(Hall, T. M., Separating Church and State, Urbana, University of Illinois Press, 1998.)をもとに合衆国憲法修正第1条とロック、ジェファーソン、マディソン、ウィリアムズの思想を、「政教分離の歴史」で執筆することに2001IP氏は反対はされないでしょう。」というふうになぜかアメリカ政教分離史の中心的論文として扱うよう主張します。この点についてはその後の議論で中山勉論文はそもそもロジャー・ウィリアムズの議論は制度的政教分離とは無縁なものだと結論づけている(p.216. および論文要旨)ということは明らかとなっており、121.107.209.16さんが端的な論文誤読をしていることを指摘していますが、問題はこの議論で挙げられている情報源の中でも中山勉論文はかなり内容的に特殊でアメリカ合衆国の政教分離の、それも必ずしも中心的とは思われない人物に関するもので、通常多くの人がこれに注目する内容ではないということです。にも関わらず、121.107.209.16さんと大和屋敷さんは共通してこれに注目し、さらに内容的によく読めば政教分離そのものを直接扱ったものではないことは明白なのですが、そのことにお二方とも気づいている様子がない。膨大な政教分離に関する論文の中からあえてマイナーな一つの情報源を中心的論文として扱うべきという主張は通常重なるとは思えませんし、さらにその根拠が内容の誤読に基づくと思われる点も含めれば、ここまで一致することは普通あり得ません。次に、ここのページで述べられた大和屋敷さんの「硯箱さんは実質的に利用者:Kanbunさんの別アカウント(ないし回避アカウント)だと思います」という点について、この主張はそもそも2001IP氏のこれまでの発言からKanbun氏と同一人物の可能性が強いという121.107.209.16さんの意見を踏まえていると思われますが、ノートでこのような主張しているのは121.107.209.16さんだけです。さらにしばらく関連議論に姿を現していなかった大和屋敷さんが突然このブロック依頼の場所に現れたのも、私が121.107.209.16さんに言及したすぐ後であるという事実も補足しておきます。121.107.209.16さんと大和屋敷さんの見解の一致傾向、ネット検索で文献を入手しておられると思われる傾向の一致など、私個人の感想としてはこのお二方は同一人物か関係者である蓋然性は高いと思われます。--硯箱(会話) 2017年3月30日 (木) 05:55 (UTC)[返信]
- (補足5)利用者:はるみエリーさんのコメントは注目に値すると個人的に思います。「なお、大和屋敷さんなども含め反対投票者を、次々と、ソックパペット扱いするなど、個人攻撃も甚だしいことについては、怒りの気持ちしか感じません。」についてはよく確認して頂きたく思います。この発言は利用者:はるみエリーさんが少なくともノートを一部誤読していると思われる強い可能性を示唆しており、さらに相手をソックパペット扱いする発言の順番からいえば121.107.209.16さんないし大和屋敷さんの発言が先行しているという事実、私がソックパペットないし関係者であると当該ノートで特定しているのは121.107.209.16さんと大和屋敷さんだけであり、それもその指摘の初出はこのブロック依頼ページであり、ノートでの言及はそれを踏まえたきわめて最近のことですから、ノートの議論の大部分において私はソックパペット云々について話などしていません。したがって「次々と」という言葉が連想させる継続性、拡散性が見られるとは思えず、客観的な事実関係を踏まえれば、かなり歪曲した印象操作を目的とした表現と思われます。そして「反対投票者を、次々と、ソックパペット扱い」の反対投票者とは誰であるのか明確でありませんし、些か論理性に欠け、私個人が利用者:はるみエリーさんとほとんど接点がないという事実がありながら、なぜか大変お怒りである点を含めて著しく感情的になっているように思い、一方に必要以上に加担する観点が見られるように思われます。ここらへんは利用者:はるみエリーさんの一般的な編集傾向・発言傾向なども踏まえて、その意見が良識的に中立的であるか客観的であるか判断されることを期待します。この点については別の箇所での直前の発言から本件とは直接関わりない、利用者:森藍亭さんへの個人的対立感情を持ち込んでいる可能性もあることを指摘しておきます。--硯箱(会話) 2017年4月2日 (日) 04:35 (UTC)[返信]
- (補足6)関連して本ブロック依頼で主に言及されている政教分離の歴史の記事履歴において、 2017年3月25日 (土) 04:08から2017年3月25日 (土) 05:36のきわめて短い期間に複数のIPが私を他方の当事者として編集合戦をおこない、私の3RR違反を誘発しようとした客観的事実の存在だけは明示しておきます。私個人の感想としましては、このような行動を誰が取ったかという点は抜きにして、少なくともこの事実はソックパペットないしミートパペットがこの記事の編集に関与して議論や編集の正常な進行を妨害している客観的証拠であると思われます。--硯箱(会話) 2017年4月2日 (日) 06:16 (UTC)[返信]
- (補足7)なお、私の個人的な今このとき現在の述懐といたしましては、記事の議論に関わった当初とは異なり、少なくとも今のウィキペディアの状況で私自身が今後とくに記事執筆などで貢献する意欲はあまりないというのが本音です。あくまで私から見てという点にはなりますが、現状のウィキペディアには一定の党派対立的な利用者間の齟齬があり、敵意が必要以上に増大されている印象を持っています。それはここでの議論に直接は関係ないことですが、上記の複数IPによる編集合戦の誘発、一見目立たないようで明らかに存在する議論における主張の偏向、「[23]→[24]→[25]」という一連の流れで明らかになるような党派的利害か個人的恩讐に沿っていると思われるコメントの横行などあまり正常な環境とは言えないとは思っております。個人的にはこのような環境では自由な議論というのは展開されづらく、明示的にせよ潜在的にせよハラスメントが横行しやすく、コミュニティ全体が縮小、疲弊化する危険を感じます。そのため私個人は別に同様の記事執筆をウィキペディアに限られているわけでもなく、そもそも私が加筆した記述をあえてウィキペディアに持ち込む必要もない(観点としては善意で寄稿しているつもりでしたから)ので、すでにしてここでの執筆意欲はもうないという事実を持ってしても、実際はこのブロック依頼がどうなっても私としてはだいぶ興味関心はなくなっているというのが本音です。ただ明白に存在する問題点を指摘しておくこと判断材料となる各種証拠を残すこと自体は、このコミュニティの将来にとって一定の寄与をすると思われますから、そのために当面は関連議論を進めております。私自身はそもそもウィキペディアを利用することも基本的にないうえ、実際上の利用において私の日常活動ではウィキペディアの記載が逆に多くの不都合をもっていて使用に堪えないということもあります。これはなぜオープンであるはずのウィキペディアが適正な知の集積に失敗しているかという問題になるのですが、そうしたウィキペディアの問題の原因の一端と思われる事象を生身で体感できたことにより、個人的にはかなりの満足感を得ることはできましたので、私から見て明らかに不適切と思われる行動を取っている人も含めて関わってくださった方々には感謝している面のほうがむしろ多いというのが偽らざる本音です。--硯箱(会話) 2017年4月2日 (日) 07:15 (UTC)[返信]
- (補足8)雅ハルカさんについて。私は初めてこの方がこのブロック依頼現れたときの発言内容から、必要以上の情報の過多が見られ、そのことから特定観点の偏向が感じられ、編集履歴の上からも明らかな特定者との関連性が見られると内心判断しておりました。そのうえで、ここに改めて雅ハルカさんが登場し、この依頼に執着している傾向を見せていることから、個人的にはここに明らかな利害関心や党派的利害の存在は間接的であるにせよ、かなりの明確さで暴露されていると思っております。この点についてもこうした私の感触が事実として十分成り立つものかについてはコミュニティの良識に判断を委ねますが、よく留意してもらいたいというのが私の希望です。--硯箱(会話) 2017年4月2日 (日) 09:22 (UTC)[返信]
- (補足9)私が記事の私物化をしているという点について。まず記事の私物化の根拠とされていると思われる「歴史学的視座」節の加筆は、ノートで提案を受け、議論参加者で直接的に主張の対立していた121.107.209.16さんにも了承を取ってから行ったものであり、さらにその内容について121.107.209.16さんも基本的に問題ないことを表明されています。私自身の編集行動は基本的に議論相手の了承を取り、議論参加者のアドバイスを十分参考にしながら提案し一定程度の議論の蓄積に基づいてから慎重に行っています。一般的にウィキペディアで論争の多い議題についてはこのような慎重な行動を取ることは推奨されております。それに対し、議論相手が私が拒否しているという行動は、まずノートで提起されないまま好き勝手に貼られるテンプレートを剥がしたことであり、その後に私が議論相手がそのテンプレートを改善のために貼っているのならよいのですが、テンプレートを貼った後に改善に向けた具体的なアクションを起こしていないことを批判し、ご自身で多少なりとも改善に努力する気がないのなら、そのような行動は議論の攪乱になるので止めてくれと言ったことが排除だというのです。それも一律拒否しているわけでは無く、明らかに問題だと思われるものしか差し戻しておりません。一部記事内容を除去した部分についても、ノートで十分議論されて基本合意された後であり、その除去もきわめて限定的な範囲です。私としてはむしろウィキペディアの方針の精神を尊重して適切な議論誘導と論点整理、記事改善のために細心の注意を持って取った行動が、記事の私物化と言われるならば、それは不当であると思われますし、このような議論が成り立つようではウィキペディアに投稿する意味もないので、自ら去りますから、ブロックしていただいても全く構いません。問題はここでも記事のノートでも私の記事の私有化という事実が客観的に成立するとは思われないのに、それを主張し強調し繰り返すアカウントが多いことで、これは目が曇っているのか、何らか別の意図があって事実を歪曲しようとしているとしか思われないことで、改めてウィキペディアの方々を眺めてみると、こうした議論が実は日常化しているという実感を強くし、必要以上の編集者の不適切な排除や言論封鎖などが行われているのでは無いかという点に危惧を抱いています。私自身は正直ウィキペディアはどうなってもいいですし、固執するつもりはありませんが、ウィキペディアの実際の参加者の方はそうではないでしょう。だからよく考えてもらいたいと思い、結果的にブロックされるにしても、こうした問題点はなるべく細かい点も含めて気づいたことは明確に指摘し、証拠としてなるべく具体的体系的な判断基準の根拠となる直接的ないし間接的な痕跡を私の投稿履歴や関連ページの周辺に残しますから、後の議論に役立ててもらいたいと思っています。--硯箱(会話) 2017年4月3日 (月) 10:08 (UTC)[返信]
- (補足10)「110.132.106.234氏が「これ以上、勝手に合意をねつ造しようとしたり、方針文書の自己都合での解釈を強要したり、無用な議論を強要することをするような強引な行動を続けることは無益ですからおやめください。[32]」と発言されていることを、どのように感じていらっしゃるのでしょうか。」という雅ハルカさんの発言について。その発言は私がアカウント取得前に行った発言で、121.107.209.16さんが合意してもいないことを「合意されたと見なして」議論を進めようとするなど、あまりに強引な議論を展開するので私が苦言を呈したものであります。このような誤った抽出を行っている事実自体が雅ハルカさんの観点がそもそも偏っている証左であると私は思います。目が曇っているというのはこういうことです。私が議論相手に対しても指摘しているのですが、議論相手の発言にせよ出典にせよ、全体を踏まえずに、あるいは内容をよく確認せずに、都合の良いところを拡大して好きなように解釈する議論姿勢というのがウィキペディアでは横行しているのが端的な問題です。雅ハルカさんの問いかけに対する答えとしてはこれで十分ではないでしょうか。--硯箱(会話) 2017年4月3日 (月) 13:25 (UTC)[返信]
- (補足11)なお、繰り返しになるかも知れませんが、私個人としては今回のウィキペディアの私の編集や行動に対する意見の大部分はとても客観的とは思えず、第三者を装ったあまりにも一方的なものと思いますし、率直に言って私が何らかの特異な観点を広めようとしているなどという理屈ははっきり言って理解できません。実際に私の編集行為や発言の周辺に起こっているハラスメント行為についても許容しがたく、このような環境で執筆を続けることは端的に言って苦痛でしかありません。利用者の大半もそもそも専門的な内容を求めているわけでも無く、ウィキペディアの全体の精度の水準というものがよく理解できたので、私がたとえどんなに証拠を連ね何を言ってもその客観的裏付けを正当に評価してくれる第三者がいなければ、方針の文言とは異なり、方針を無視した議論が成り立つというのが私にはわかりませんし、それは異常なことだと思います。ウィキペディアの方針に則っての解決を優先したにも関わらず不当であるという判断が多いことなどを踏まえ、ウィキペディアの編集環境は私の執筆を許容できるレベルではないと判断しました。そのため適当な議論を終了した後は編集・議論などからは一切手を引き、以後ウィキペディアに関与するつもりは全く無いことを明言いたします。私自身はウィキペディアに記事投稿する必要はそもそもないので、現状はとてもこの百科事典の正常な発展も期待できないように思われますし、丁寧に執筆してもそれが正当に評価されず、適切なものと見なされないならば、私は正当な評価を与えてくれる執筆場所を他に持っているので、ここに拘泥する必要は無いからであります。少なくとも今回はその方針文書の精神に反して、多数決主義が横行していますし、方針の明確に禁じていると思われる不正行為の存在を指摘しても、誰も問題視することは無く、逆に指摘した私のほうを個人攻撃だと非難する流れになるのであれば、とても自浄作用が働いているとは思えず、それはもう多様な知の集積のプロジェクトという意味では正常な環境とは言えないでしょう。表面的な議論の字面などを追うだけで無く、記事編集の履歴やノートの参加者の推移、依頼提出などの実際に取った行動、主張の偏向性などを含め、客観的に見て排除的な行動(これこそ方針的な意味での記事の私有化)を取っているのはどちら側なのかということによく考えを致して頂きたい。それがこのコミュニティの今後に役立つはずです。--硯箱(会話) 2017年4月4日 (火) 07:52 (UTC)[返信]
審議
- 賛成 (期間:無期限) 依頼者票。--ぽてから(会話) 2017年3月26日 (日) 22:07 (UTC)[返信]
- 反対 単に主張が対立しているだけでここまでヒートアップするのはよろしくありません。第三者から見れば、依頼者が被依頼者を排除する目的で提起した依頼に見えます。双方ともに少し頭を冷やしては如何?--森藍亭(会話) 2017年3月27日 (月) 11:12 (UTC)[返信]
- 賛成 (期間:無期限) 合意形成により移動済みの記事を何ヶ月も経ってから突然全差し戻し、という一点だけを持っても、甚だしい方針無視であり、即ブロックとなってもおかしくないと考えるものです。ノートが長すぎてわかりづらいのですが、被依頼者のみが一人で記事の私物化を目的とされて、記事の発展が阻害されている状態であるという確信に至りました。被依頼者以外の議論参加者は、全員、被依頼者の説得を試みていますが、被依頼者が演説を続け、また、編集合戦を起こして必ず自分が書いた状態を維持されている、と理解をいたしました。そういうことは、ご自分のBLOGで行われてはいかがかと思います。(なお、上記で投票をされている森藍亭様におかれましては、ぽてから様が依頼者であるために私怨等による反対票を投じた可能性が強いと考えられるものであり、被依頼者自身の行動についての審議とは言えない可能性が強いと感じた次第でございます)。--RXX-7979Ⅲ(会話) 2017年3月28日 (火) 09:10 (UTC)[返信]
- コメント RXX-7979Ⅲ氏におかれましては、悪意ある決めつけ、解釈はおやめいただくようお願いします。悪意ではないというのであれば、明確な根拠を示してください。--森藍亭(会話) 2017年5月2日 (火) 11:23 (UTC)[返信]
- 「悪意ある決めつけ、解釈」がどの発言を指しておりますのかそのご発言ではどなたも正確に理解ができないのではないでしょうか。申し訳ございませんが、特定の因縁がある利用者へ反論をつけていくようなご発言は、依頼の場ではなく、会話ページやノートなどで行っていただき、コミュニティを巻き込まない配慮をお願いしたいと存じます。--雅ハルカ(会話) 2017年5月2日 (火) 13:27 (UTC)[返信]
- 反対 『ノート:政教分離の歴史』における対立は、あくまで編集方針の相違の範囲内であり、議論がかみ合っていないという印象を受けます。ここで硯箱さん一人を責めて追放するのは、多数決主義、アンフェアであると考えます。--Susuka(会話) 2017年3月28日 (火) 11:52 (UTC)[返信]
- 賛成 (期間:無期限) 明らかに目的外利用者。政教分離の歴史#政教分離における歴史学的視座にベッケンフェルデしか書かれていませんが、ヘルマン・リュッベも書かなければなりません。ベッケンフェルデとリュッベの世俗化論を両論記すべきでございます。世俗化論争の「論争」そのものを記述するべきであるところ、自身の信念に従って、ご自分が信奉される一つの真実だけを書こうされ、「論争」そのものの言及を避けておられます。この記事は「世俗化」として、世俗化論争を年代順に記述すればよろしいかと存じます(その他関連が薄い内容は分割する等)。自身の主張に合わない出典の利用を拒否されておられることから、研究員による自説に有利な記事の作成、もしくは、自身が信仰する宗教の教義に合致する記事の作成のみを目的とされているかのような行動をとっておられると確信いたします。自己の利益のためにだけのウィキペディア利用であり、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:独自研究は載せないに従っていない利用者であると思われます。--雅ハルカ(会話) 2017年3月29日 (水) 00:45 (UTC)[返信]
- Kanbun氏が学生さんのときに執筆されてこうなったのであれば、西洋中世史などのゼミで使用したテキスト本をもとに、大学で受けた講義内容をそのまま分野的な概説として記される、という行為を続けられて、この記事ができあがったのではないかと推測されます。たいてい1講義に1冊ですから、1冊のみを使用されて1節を記述されるという行動について納得した次第でございます。そのために、自分が習った範囲だけを詳細に書き、それ以外の分野を排除する目的で、最近執筆されたように「政教分離における歴史学的視座」などと限定して、それ以外を記述させない体勢で、Wikipediaの記事を書かれているのであろうと思われます。「とりわけヨーロッパの国家とキリスト教の関係史」と限定して、本来であれば、政教関係論に記述されるべきである、イスラム教の世俗主義を排除されている理由についても、納得いたしました次第です。宗教的自由と政教分離の歴史的形成といえば、アメリカのわりと新しい時代の事例研究などもまあまあ盛んですが、なぜ、ヨーロッパの中世のみを詳細に書いているのか、ということについても、中世西洋史等の講義で習ったことを詳細に書いただけであるとすれば、説明がつくと思われます。硯箱氏は、従来の世俗化論については批判も多く見直しも多いことをご存じのはずです。ですから、古典的な主張のみを重視した記事にできるように、「歴史学的視座」として書き、「歴史学的視座」だからこれで良いのだと、こう主張しておられる、ということでございますよね。Wikipediaは、そういう、一部分に特化して持論を記述する場所ではない、ということを、ご理解されていないと思います。政教分離の歴史については、なにについて書かれた記事なのか理解しがたいような独自研究的記事になってしまっておりますが、ノートを見ると、硯箱氏は、ぽてから氏というよりは121.107.209.16氏と論争を繰り広げているようにみえ、ぽてから氏やSusuka氏はむしろ、第三者として調整に回られています。私は、121.107.209.16氏がこの分野に関する知識をお持ちであることを認めますし、非常に妥当な主張をされていると思いますが、硯箱氏は理解しがたい独自なことをおっしゃられてことごとくはねつけられている、という印象を持ちました。しかも、私のみならず、全員が121.107.209.16氏の主張は理解できるが、硯箱氏の主張は理解出来ないと感じているというふうに思われます。以上のような状況から、特定の団体を悪く書くなどの大きな悪質性はないですが、優良な執筆者の限りある時間を理解しがたい主張を議論でされるなどで、無駄に奪って疲弊させているという問題については、硯箱氏がこのまま議論に参加され続けた場合、決して解決しないのではないかと思います。ただ、その問題を回避する手段として、もし、硯箱氏が、121.107.209.16氏の主張を受け入れて、分割や改名等を121.107.209.16氏やぽてから氏やSusuka氏や大和屋敷氏などに任せるというご意見を表明された場合には、無期限ブロック票は取り消すことを考えております。そうすれば、分割後、それを書くことが相応しい記事に、お手元の出典で加筆できるということになります。いかがでしょうか。分割や改名について、121.107.209.16氏やぽてから氏やSusuka氏や大和屋敷氏などに任せて、それが一段落したら、活動を再開される、ということをご表明なさりますでしょうか。--雅ハルカ(会話) 2017年4月2日 (日) 08:03 (UTC)[返信]
- 保留 反対よりですが(まず利用者のコメント依頼とすべきかと)、「全く問題はない」ではなく、「問題はあるが、検討の余地あり」です。後ほどノートに参ります。なお、ヘルマン・リュッベを消してベッケンフェルデだけにしたのであれば問題ですが、片方だけを書くのは問題ありません(Wikipedia:中立性)。--JapaneseA(会話) 2017年3月29日 (水) 03:17 (UTC)[返信]
- 中立 「コミュニティを疲弊させる」という理由では反対より、Kanbun様との多重アカウントは判断つかず、継続した暴言(自分に反対する者は、全員ソックパペット扱い)はブロック(ただし管理者伝言板行き)と判断します。パペットはバレれば即無期限ブロックを喰らいます。議論で劣勢に追い込まれた側が行うのであればともかく、多数側が行うにはメリットよりデメリットの方が大きいです。--JapaneseA(会話) 2017年5月5日 (金) 09:17 (UTC)[返信]
- 賛成 (期間:無期限) 硯箱さんは実質的に利用者:Kanbunさんの別アカウント(ないし回避アカウント)だと思いますので、ややこしいので硯箱さんアカウントはブロック頂けばいいんじゃないでしょうか。--大和屋敷(会話) 2017年3月29日 (水) 22:55 (UTC)[返信]
- 賛成 (期間:無期限) Kanbunさんの一冊の出典だけで何千バイトも加筆する編集傾向が[26][27]、硯箱さんの出典一冊だけで何千バイトも書く編集傾向[28][29]と一致、文体も共通。Kanbunさんも、「政教分離の歴史的背景に固執する発言」あり。121.107.209.16さんが、「むやみに読者を混乱させるKanbun版」「文献的な裏付けがないのはKanbun版」と発言されていますが、たしかに、なぜ、こんな長大な寄せ集め記事になっているのか、読めば読むほどと混乱します。ちなみに、Kanbunさんは2007年の時点で(西洋史を専門としない)大学生だったそうですが[30]、「個人的にウィキペディアの検証可能性と中立な観点について、多くの記事が守っていないのではないかというような疑問がありまして、そこらへんについて理想的な記事を提供したいという気持ちがありまして、とくにこの記事は出典について大変配慮したつもりです。」などと発言。できあがった記事を比較すると、もともと、方針を理解されていないままの記述であったと判断せざるをえません。硯箱さんが「多数決による決定は検証可能性や中立な観点を直接的には満たしません」「中立な観点に問題がある場合にのみ使用される」と、「中立な観点」という言葉を好んで使用されることもKanbunさんと共通しています。政教分離の歴史の記事の私物化という同一行動をとっておられる硯箱さんとKanbunさんと同一人物であると判断します(このような執筆だけを集中的にされる方は初めて見ましたが、執筆の癖といい、発言の癖といい、非常に特徴的だと思います)。よって、この記事の私物化を目的とした目的外利用者であると判断します(良質な記事であればまだしも、読めば読むほど混乱する記事の私物化は、害しかありません)。なお、大和屋敷さんなども含め反対投票者を、次々と、ソックパペット扱いするなど、個人攻撃も甚だしいことについては、怒りの気持ちしか感じません。現状のままでは、被依頼者が、Wikipediaになんらかの貢献をもたらすとは思えません。--はるみエリー(会話) 2017年4月2日 (日) 01:28 (UTC)[返信]
- 補足します。なお、「Kanbun版」に多くの苦情が出ているため、副アカウントの不適切な使用(多重アカウント使用が禁止される行為)の監視のがれ(投稿記録の分断)をした可能性があると思います。副アカウントの不適切な使用を考慮せずとも、適切なTemplate貼りへの文句だけで膨大なコメントを言い続ける姿勢(文句を停止して別の出典を追加すればいいだけ)、ノート:政教分離の歴史#事典等の立項状況、および諸論文での言及状況の調査:分割提案の理由としての調査結果を、「既存の事典等での立項状況を、無根拠な自説で無視(121.107.209.16さんの発言による)」して書きかえるなど、独自研究のゴリ押しでコミュニティを疲弊させており、共同作業が出来ない方であると判断しました。とはいえ、ノート:政教分離の歴史があまりにも膨大すぎて、あまり注目を浴びる分野でもありませんし、硯箱さんの問題(121.107.209.16さんほか全員のコメントを無根拠な自説で無視し続けていると言える行動と発言)が、すぐにはわかりづらいという難点があると思います。私が他分野で関わった別の方も、一見、話が通じるように見えて初回のブロック依頼でブロックせずとなり、その後、散々周囲を疲弊させた方がいますが、「自分の理想とした記事を死守する」という結論が決まっていて、話合いで記事を創り上げようという気持ちなどさらさら無い行動をとられていました。その方と、硯箱さんには共通点があると思いますが、残念ながら、一見、話合いが出来そうに見えるために、なかなか、問題が明らかになりづらいということも共通していると思います。ですから、コミュニティに問題点が理解されなかったり、まったく硯箱さんに反省が見られないにもかかわらずブロックとならなかったとしても、コメント依頼などで、硯箱さんが「自分の理想とした記事を死守する」ために参加されているだけであるかどうかについて、監視しつつ、経過を見たほうが良いと思います。硯箱さんが今すべきことは、方針の熟読です。方針上適切なTemplateであった、と認めることもできない、という行動一つとっても、Wikipediaの方針に従うつもりはなく、「自分の理想とした記事を死守する」ために参加されているだけなのだ、と判断せざるをえません。ちなみに、私が別の分野で関わった問題人物も、決してなにも反省せず、文句ばかり言い続けて、方針を案内しても無駄な方でした。しかし、一見、言っていることは素晴らしく話合いが成り立っているかのようにも見えたため、なかなか、問題がコミュニティに理解されることはありませんでした(ブロック依頼やコメント依頼でへんにかばう人が出たりなど、より複雑でしたが)。その部分について、硯箱さんが、同じような傾向をお持ちで有り同類の行動をとられていることは確実です(同じ方だとは言っていません)。少なくとも方針熟読をされていたり、大和屋敷さんなどにソックパペットなどと個人攻撃をするようなことがなければ、はるみエリーがブロック無期限に賛成することはなかったと思います。私が、なぜ、このブロック依頼で賛成票を投じたのか、硯箱さんが疑問視しておられたので、それについてここまで回答してきましが、ひと言で言えば、別の分野で関わった問題人物と共通する問題があることがすぐに分かったため、判断が容易であったからです。--はるみエリー(会話) 2017年4月2日 (日) 06:48 (UTC)[返信]
- もし、硯箱さんの態度が改まれば私も票を変えても良いと思っていましたが、あれだけの発言の中に、ひと言も反省もない状態では無理です。--はるみエリー(会話) 2017年4月3日 (月) 13:35 (UTC)[返信]
- 補足します。なお、「Kanbun版」に多くの苦情が出ているため、副アカウントの不適切な使用(多重アカウント使用が禁止される行為)の監視のがれ(投稿記録の分断)をした可能性があると思います。副アカウントの不適切な使用を考慮せずとも、適切なTemplate貼りへの文句だけで膨大なコメントを言い続ける姿勢(文句を停止して別の出典を追加すればいいだけ)、ノート:政教分離の歴史#事典等の立項状況、および諸論文での言及状況の調査:分割提案の理由としての調査結果を、「既存の事典等での立項状況を、無根拠な自説で無視(121.107.209.16さんの発言による)」して書きかえるなど、独自研究のゴリ押しでコミュニティを疲弊させており、共同作業が出来ない方であると判断しました。とはいえ、ノート:政教分離の歴史があまりにも膨大すぎて、あまり注目を浴びる分野でもありませんし、硯箱さんの問題(121.107.209.16さんほか全員のコメントを無根拠な自説で無視し続けていると言える行動と発言)が、すぐにはわかりづらいという難点があると思います。私が他分野で関わった別の方も、一見、話が通じるように見えて初回のブロック依頼でブロックせずとなり、その後、散々周囲を疲弊させた方がいますが、「自分の理想とした記事を死守する」という結論が決まっていて、話合いで記事を創り上げようという気持ちなどさらさら無い行動をとられていました。その方と、硯箱さんには共通点があると思いますが、残念ながら、一見、話合いが出来そうに見えるために、なかなか、問題が明らかになりづらいということも共通していると思います。ですから、コミュニティに問題点が理解されなかったり、まったく硯箱さんに反省が見られないにもかかわらずブロックとならなかったとしても、コメント依頼などで、硯箱さんが「自分の理想とした記事を死守する」ために参加されているだけであるかどうかについて、監視しつつ、経過を見たほうが良いと思います。硯箱さんが今すべきことは、方針の熟読です。方針上適切なTemplateであった、と認めることもできない、という行動一つとっても、Wikipediaの方針に従うつもりはなく、「自分の理想とした記事を死守する」ために参加されているだけなのだ、と判断せざるをえません。ちなみに、私が別の分野で関わった問題人物も、決してなにも反省せず、文句ばかり言い続けて、方針を案内しても無駄な方でした。しかし、一見、言っていることは素晴らしく話合いが成り立っているかのようにも見えたため、なかなか、問題がコミュニティに理解されることはありませんでした(ブロック依頼やコメント依頼でへんにかばう人が出たりなど、より複雑でしたが)。その部分について、硯箱さんが、同じような傾向をお持ちで有り同類の行動をとられていることは確実です(同じ方だとは言っていません)。少なくとも方針熟読をされていたり、大和屋敷さんなどにソックパペットなどと個人攻撃をするようなことがなければ、はるみエリーがブロック無期限に賛成することはなかったと思います。私が、なぜ、このブロック依頼で賛成票を投じたのか、硯箱さんが疑問視しておられたので、それについてここまで回答してきましが、ひと言で言えば、別の分野で関わった問題人物と共通する問題があることがすぐに分かったため、判断が容易であったからです。--はるみエリー(会話) 2017年4月2日 (日) 06:48 (UTC)[返信]
- 反対 多重アカウントとしてのブロックであれば明確に反対とします。まず前提として「多重アカウントの不適切な使用」は主に履歴分断や多数派工作を装うことです。Kanbunと硯箱が同一人物であったとして、多数派工作については「硯箱」はKanbunさんと編集傾向が似ているとしてもKanbunさん自体は2012年に活動を停止していますから、たとえ「過去にKanbunというアカウントが主張していたことに賛成する立場であっても」すなわち多数派工作であったとはいえません。履歴分断についてはこれもKanbunさんが2012年に活動を停止していますから、2016年前後に活動をしている硯箱さんが履歴分断をしたとは言い切れません。政教分離の歴史でKanbunさんが最後に編集したのは2011年1月30日 (日) 09:56 (UTC)で、この記事で除去や加筆が活発になった始点ともいえるのが2016年1月25日 (月) 17:37 (UTC)、この間に5年もあって「多重アカウントの不適切な使用だ」と主張するのは継続的な荒らしでもなければ無理筋ではないでしょうか。同一人物であっても、現在の議論は「硯箱」のアカウントしか使っていませんから、これを「実質的な」などという言葉でブロックするのは乱暴です。両論併記にしても、「一方が書いたものを消して書く」という態度を取り続ければダメですが、両論併記するものを「一方の観点を持つ人がそれを書き、もう一方の観点を持つ人がそれを書く」ということをすれば自然と併記になります。それをノートで話し合えばいいのに、分割がどうのとか、書くべきではない・書くべきであると主張「だけ」するからどちらも意固地になっているともいえます。それを「最終的にどちらかをブロックしてしまえば解決」みたいにブロック依頼に持ち込まれても困ります。Wikipedia:中立的な観点は三大方針の一つですがこれは「記事の中立性」を求めているものです。WP:UNDUEの考え方からすれば、ある一つの考えをあたかも一般的な意見であるような記述を避けなさいというものです。補完することができるなら、別の利用者が補完すれば中立的な観点を満たすことは可能です。そのあたりの検討をせずに一方を抑え込むようなブロックには賛同しかねます。--アルトクール(会話) 2017年4月2日 (日) 05:44 (UTC)[返信]
- 反対 アルトクールさんの意見に賛同。--国道266号(会話) 2017年4月2日 (日) 06:15 (UTC)[返信]
- 賛成 (期間:無期限) 偏向著しくその偏向した立脚点からの他者に対する攻撃も観られるようです。今後ともWP:NPOVをご理解いただくことは極めて難しいと言わざるを得ません。そうである以上、目的外利用者として無期限ブロックを認める他ありません。--Criteriaire(会話) 2017年4月2日 (日) 09:43 (UTC)[返信]
- 反対 アルトクールさんと概ね同意見です。仮に「硯箱さん=Kanbunさん」であったとしても、間に5年の空白があるようでは「多重アカウントによる多数派工作」と言うのは難しいかもしれません。(他に、「2011年当時のKanbunさん」ではなく「現時点の硯箱さん」と類似するアカウントユーザーが見つかるようであれば話は別ですが・・・)また、一連の議論を傍観していましたが、特定の利用者一人をブロックすることで解決する問題ではないように思います。ノート:政教分離の歴史やWikipedia:井戸端/subj/会員限定配信記事の信頼できる情報源と検証可能性についてをはじめ、各所で現在進行中の、依頼者氏、被依頼者氏が関わっている議論は、WP:NOTをはじめ、各種方針文書・それに準ずる文書の解釈の違いから発生している問題のように思われます。特定の利用者をブロックして「幕引き」とする形ではなく、べつの着地点を模索する必要があるでしょう。個人的意見ですが、各所で進行中の議論を見るに、日本語版Wikipediaにも、調停委員会が必要になってきていると感じます。--Rienzi(会話) 2017年4月2日 (日) 12:01 (UTC)[返信]
- コメント ノート:政教分離の歴史#分割に関する提案の募集において、分割案の募集を提起いたしました。現状、当該記事が「西洋中世史の教科書」になっており、Wikipediaは何ではないか、に違反する記事でございますので、その改善のためにお役に立てればと思います。今後、硯箱氏が妨害的な発言を繰り返されることなく記事の改善に協力されるか、もしくは、記事の私物化を繰り返されるかが、Wikipediaの方針を遵守されるおつもりがあるのか、そうではないのか、の見極めのポイントとなってくると考えております。また、硯箱氏が、自らと異なる意見を持つ人に個人攻撃を行ったり、あるいは、121.107.209.16氏、大和屋敷氏、ぽてから氏をソックパペット扱いされる発言等を繰り返されるなどであれば、問題の所在が鮮明となると考えております。なお、党派的行動などと、わたくしもなにか疑いを掛けられているご様子ではございますが、まったくの見当違いでございますことを表明いたします。ぽてから氏とJapaneseA氏については、以前、別の記事の議論を活発に交わしたことはございますが、とくに、それ以上のものではございません。--雅ハルカ(会話) 2017年4月3日 (月) 07:46 (UTC)[返信]
- 分割が必要であるということについては、ノート:政教分離の歴史#事典等の立項状況、および諸論文での言及状況の調査:分割提案の理由としてによって明確に理由づけられていると考えております。その後、硯箱氏が、どのような理由によって判断されたのか理解しがたいような基準で、ノート:政教分離の歴史#変更案(2001:268:C068:D7DE:59A3:B42C:A90E:B96Eによる)を提唱されておりますが、この提唱内容に基づき、硯箱氏が主張されているのは「本記事の内容は独自研究ではない。政教分離原則とは別個に歴史学的な議論がある」ということでございます[31]。それは、分割が必要であるという反論(分割が不要であるという主張)ではございません。また、理解しがたいような理由によって分割そのものを阻止されようとしているととれる行動をされていることや、理解しがたい理由によるTemplate剥がしの継続等が記事の私物化、であると考えております。なお、私は、硯箱氏が、他の利用者と協力的に作業を行おうという姿勢が見られたら、ブロックの投票を取り消す、と申しております。硯箱氏にとっては、これまでの議論における、理解しがたい数々の行動を全て無かったことに出来るチャンスなのです。分割がどうしてもいやであるということでございましたら、政教分離の歴史#歴史的展開に、「西洋中世史」に関連する記事の索引や出典のない記述も多くございますね。それについてどうするか、ということをはじめにご提案されればよろしいのではございませんでしょうか。「本記事の内容は独自研究ではない。」ということを主張されているのが硯箱氏お一人でございます。複数の利用者が「本記事の内容は独自研究である」という主張をしているにも関わらず、複数の利用者の発言を全て否定することで「どこが、独自研究であるか教えてください」と言い続けている状況、ご自覚はございませんか。110.132.106.234氏が「これ以上、勝手に合意をねつ造しようとしたり、方針文書の自己都合での解釈を強要したり、無用な議論を強要することをするような強引な行動を続けることは無益ですからおやめください。[32]」と発言されていることを、どのように感じていらっしゃるのでしょうか。2016年12月23日に議論がはじまり、本日は2017年4月3日でございますから、4ヶ月以上、硯箱氏が独自研究の概念もご理解されないまま、いつまでも納得しないという状態であること、これを、改善なさればよろしいのではありませんでしょうか。私は、硯箱氏が独自研究を理解されていないことが問題であり、4か月間の議論のほとんどが硯箱氏が独自研究を理解されてさえいれば多くが無用であったと考えております。それについて、この分野に関心のある人であれば、(硯箱氏をのぞけば)ほぼ同意見であろうと考えましたために、あえて、硯箱氏の主張の問題点があることを表明した上でノートで議論に参加いたしました。党派的な行動などではまったくございません。硯箱氏のこれまでの議論姿勢を正当化することは不可能でございますが、今このタイミングで改められませんか。全てはこれからの硯箱氏の行動如何でございます。--雅ハルカ(会話) 2017年4月3日 (月) 12:37 (UTC)[返信]
- コメント ノート:政教分離の歴史#分割に関する提案の募集を一度取り下げ、ノート:政教分離の歴史#新記事名の募集を先に行うことといたしましたことをお知らせ申し上げます。--雅ハルカ(会話) 2017年4月3日 (月) 16:41 (UTC)[返信]
- ノート:政教分離の歴史#どの名前が良いかの議論を開始したことをお知らせ申し上げます。硯箱氏にとっては挽回のチャンスですので、異なる意見を述べている人に向かって、相手が合意無視なのだ、ソックパペットなどだ、などと悪く言うなどはいったん停止していただき、「どの記事名が良いか」ということに絞った議論を期待いたします。--雅ハルカ(会話) 2017年4月5日 (水) 15:34 (UTC)[返信]
- コメント ノート:政教分離の歴史#分割に関する提案の募集を一度取り下げ、ノート:政教分離の歴史#新記事名の募集を先に行うことといたしましたことをお知らせ申し上げます。--雅ハルカ(会話) 2017年4月3日 (月) 16:41 (UTC)[返信]
- 分割が必要であるということについては、ノート:政教分離の歴史#事典等の立項状況、および諸論文での言及状況の調査:分割提案の理由としてによって明確に理由づけられていると考えております。その後、硯箱氏が、どのような理由によって判断されたのか理解しがたいような基準で、ノート:政教分離の歴史#変更案(2001:268:C068:D7DE:59A3:B42C:A90E:B96Eによる)を提唱されておりますが、この提唱内容に基づき、硯箱氏が主張されているのは「本記事の内容は独自研究ではない。政教分離原則とは別個に歴史学的な議論がある」ということでございます[31]。それは、分割が必要であるという反論(分割が不要であるという主張)ではございません。また、理解しがたいような理由によって分割そのものを阻止されようとしているととれる行動をされていることや、理解しがたい理由によるTemplate剥がしの継続等が記事の私物化、であると考えております。なお、私は、硯箱氏が、他の利用者と協力的に作業を行おうという姿勢が見られたら、ブロックの投票を取り消す、と申しております。硯箱氏にとっては、これまでの議論における、理解しがたい数々の行動を全て無かったことに出来るチャンスなのです。分割がどうしてもいやであるということでございましたら、政教分離の歴史#歴史的展開に、「西洋中世史」に関連する記事の索引や出典のない記述も多くございますね。それについてどうするか、ということをはじめにご提案されればよろしいのではございませんでしょうか。「本記事の内容は独自研究ではない。」ということを主張されているのが硯箱氏お一人でございます。複数の利用者が「本記事の内容は独自研究である」という主張をしているにも関わらず、複数の利用者の発言を全て否定することで「どこが、独自研究であるか教えてください」と言い続けている状況、ご自覚はございませんか。110.132.106.234氏が「これ以上、勝手に合意をねつ造しようとしたり、方針文書の自己都合での解釈を強要したり、無用な議論を強要することをするような強引な行動を続けることは無益ですからおやめください。[32]」と発言されていることを、どのように感じていらっしゃるのでしょうか。2016年12月23日に議論がはじまり、本日は2017年4月3日でございますから、4ヶ月以上、硯箱氏が独自研究の概念もご理解されないまま、いつまでも納得しないという状態であること、これを、改善なさればよろしいのではありませんでしょうか。私は、硯箱氏が独自研究を理解されていないことが問題であり、4か月間の議論のほとんどが硯箱氏が独自研究を理解されてさえいれば多くが無用であったと考えております。それについて、この分野に関心のある人であれば、(硯箱氏をのぞけば)ほぼ同意見であろうと考えましたために、あえて、硯箱氏の主張の問題点があることを表明した上でノートで議論に参加いたしました。党派的な行動などではまったくございません。硯箱氏のこれまでの議論姿勢を正当化することは不可能でございますが、今このタイミングで改められませんか。全てはこれからの硯箱氏の行動如何でございます。--雅ハルカ(会話) 2017年4月3日 (月) 12:37 (UTC)[返信]
- 反対 本依頼に基づく投稿ブロックについては、上記のとおり未だ議論が続いている状況であることを鑑み、妥当ではないものと考えます。事態が推移し、投稿の制限が必要と判断される状況であることがある程度明らかになってから改めて議論することがよろしいかと。--WDS487(会話) 2017年4月18日 (火) 13:36 (UTC)[返信]
- 条件付反対 (条件:現時点では) アルトクールさんの意見には略賛同できますが、それ以上に現状論争が続いていることから、現時点でのブロックは辞めておいたほうがいいかなと思います。流石にブロック依頼のページが論争の状況に陥ってしまうと何が何だか分からなくなりますし。--Kokokok(会話) 2017年4月28日 (金) 10:43 (UTC)[返信]
- コメント ノート:政教分離の歴史#どの名前が良いかの議論において、被依頼者がこのような発言をされましたことについて誠に残念でございます。この発言やこの発言も、どのような観点から検討いたしましても、このブロック依頼における逆恨みでしかございません。被依頼者が、正常な議論進行が行われていないとする反対理由について、根拠の薄いソックパペット疑惑を持ち出されたり、すでに文献調査を発表されている121.107.209.16氏へいつまでたっても文献調査をしていない、と発言されるなどは、要するに個人攻撃でございますし、対人論法でしかございません。自分以外の議論参加者全員への強烈なダメ出しが事実に基づかないと考えますし、なにより、ご自身の提案通りにことが運んでいるにもかかわらず、「不適切」と判断なさるなどの行為から、被依頼者との対話は極めて難しいと思われます。したがいまして、無期限賛成票を撤回する可能性を考慮しておりましたが、確定といたしますことをお伝え申し上げます。論争でもなんでもなく、被依頼者が論敵へ個人攻撃を継続しているだけであり、議論を壊すことしかされておりません。私は、根拠のないソックパペットの言及を言い続けられたという理由のみでも、無期限ブロックに値する行為であると考えますし、そのような言及を論争相手に言うことは正常な議論で行ってはいけないことであると思っております。--雅ハルカ(会話) 2017年5月2日 (火) 09:02 (UTC)[返信]
- (終了)ブロックは見送ります。アイザール(会話) 2017年5月17日 (水) 10:17 (UTC)[返信]
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