コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

オットー・ブルンナー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

オットー・ブルンナー(Otto Brunner、1898年4月21日 - 1982年6月12日)は、オーストリア歴史家。専門は中世史。

人物

[編集]

ブルンナーはウィーン近郊のメートリングで生まれたが、早くに父を亡くし、その後は母の実家で育てられた。ウィーン、イーグラウブリュンで教育を受けたのち、第一次世界大戦に従軍。その後、1919年からウィーン大学のオーストリア歴史研究科で、歴史学地理学を学んだ。

1929年にウィーン大学の私講師、1931年には中世史の員外教授になる。オーストリア歴史研究科科長であったハンス・ヒルシュはブルンナーの研究を高く評価しており、その意向もあり、1940年にヒルシュが死去すると研究科科長の座を引き継いだ。1941年から正教授。

第二次世界大戦中のナチスへの関与から、戦後は一時的退職扱いとなっていたが、1954年ハンブルク大学に教授として招聘され、1960年には同大学の総長をも務めた。1967年に定年退官したのちも、『社会経済史四季報』の編集に関わり、また、ヴェルナー・コンツェラインハルト・コゼレックとともに大事典『歴史の基本概念』を編纂するなど、精力的な研究を続けた[1]

研究

[編集]

1939年に公刊され、その後も版を重ねた主著『ラントとヘルシャフト』では、実証的な地域史研究に基づいた新たな中世国制史研究を志し、高い評価を得た[2]

戦後、ブルンナーはその研究の方向性を更に発展させ、中世から18世紀ごろまでの「古きヨーロッパ」における諸現象の内部構造を解明することを試みた。このコンセプトは、コンツェおよびコゼレックとの共編事典『歴史の基本概念』にも影響している[3]

没後、1990年代後半からは、他の歴史家たちと同様、ブルンナーに対してもナチスへの関与が批判され、その概念やモデルへの影響についても議論の対象となっている[4]

その他

[編集]

ブルンナーの蔵書は、中央大学図書館が買い取り、全4,222点が収蔵されている [5]

脚注

[編集]
  1. ^ cf. 成瀬治「訳者解説」
  2. ^ cf. 成瀬治「訳者解説」, 相沢隆「ブルンナー『ラントとヘルシャフト』」
  3. ^ cf. クーヘンブーフ「イデオロギーの対立からコンセプトの万華鏡へ」388-394
  4. ^ cf. アルガージ「オットー・ブルンナー」
  5. ^ cf. 中央大学図書館貴重書・コレクション一覧(16)”. 中央大学図書館. 2011年11月24日閲覧。

日本語訳のある著作

[編集]
  • 『ヨーロッパ:その歴史と精神』、石井紫郎ほか訳、岩波書店、1974年 ISBN 4-00-002362-4
  • 「中世のドイツ諸領国における政治と経済:第19回ドイツ歴史家大会(1937年7月6日、エルフルト)での講演」 、千脇修(訳)、『西洋史論叢』26、2004年、49-64頁 NAID 40006599318
  • 『中世ヨーロッパ社会の内部構造』、山本文彦訳、知泉書館、2013年 ISBN 978-4862851567

参考文献

[編集]


関連文献

[編集]
  • 『中央大学図書館所蔵オットー・ブルンナー文庫目録』中央大学図書館、1986年

0