コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:ヒト

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

死肉食、骨髄食について

[編集]

死肉食、骨髄食は断定的にではなく、仮説であるとすべきでないか。死肉食は有力な学説なのかもしれないが、骨髄食は一般的な通説になっていないと思うが。(J)2003-10-5 --以上の署名のないコメントは、218.217.182.174会話/Whois)さんが 2003年10月5日 (日) 06:00 (UTC) に投稿したものです(Moviethick会話)による付記)。[返信]

秀逸な記事とするには書きかけ状態の改善が必要

[編集]

秀逸な記事に入っていますが、長らくアウト・オブ・アフリカのセクションが明らかに書きかけの状態にあり、また生物学的分類のセクションも構成を練る必要があると思います。人類学等に詳しい方に加筆修正をお願いいたします。一か月ほどして改善されなければ選考にかけようと思います。--電気山羊 2004年7月30日 (金) 15:43 (UTC)[返信]

クロマニョン人を絶滅種と明記する必要

[編集]

クロマニョン人も現世人類の直接の子孫ではなく、絶滅種であることを明記すべきでないか? --以上の署名のないコメントは、60.34.4.101会話/Whois)さんが 2004年9月4日 (土) 23:29 (UTC) に投稿したものです(Moviethick会話)による付記)。[返信]

遺伝子的位置付けのセクション

[編集]

遺伝子的位置付けのセクションですが、「人が進化の頂点にある」というのはヒトの POV というか、生物学的には一般的に認められていないのではないかと思います(ヒト研究の重要性とは別のはなしです)。進化的には現存するあらゆる生物は対等(というと少し語弊があるかもしれませんが)で、生物学の項目に書いたのが生物学者の考える進化におけるヒトの位置づけと理解しています。それから「遺伝子的位置づけ」の意味がよくわからないのですが、ゲノムサイズまたは遺伝子数ということでしょうか? これらも他生物と比較してヒトのそれが特別であるということはありません。とりあえず気になったことをコメントします。--電気山羊 2004年11月13日 (土) 17:09 (UTC)[返信]

こんにちは、Tanadesukaです。御指摘ありがとう御座います。私は生物学は素人なのですが、電気山羊さんの仰る事は理解しているつもりで御座います。一方素人の素朴な思い込みとして、「ヒトは進化の頂点にある。だからヒトの遺伝子さえ解析すれば、あとの生物の事は全部分かる」と言う物があるのではないかと存じます。これを否定したかったのですが、どの様に書けばよいか良く分からず素人なりに考えて、遺伝子はみんな一緒なんだから、ヒトのそれが特別ではないんだぞ、と言う意味で「遺伝子的位置づけ」と表現いたしました。「人が進化の頂点にある」事も否定するつもりでしたが、上手く表現できませんでした。そもそも記事「ヒト」に書くべき事ではなかったかもしれません。進化論よりも生物多様性の部分へ加筆した方が相応しいかもしれません。ゲノムサイズか遺伝子数かということですが、カエルやトウモロコシの方はゲノムサイズのつもりで書きました。遺伝子の数はまだ同定されていないのではないかと存じましたので。--Tanadesuka 2004年11月13日 (土) 21:58 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。了解しました。意見に相違はないように思います :) 今のところヒトは生物学・医学的な記述をする項目のようですので、進化的・生物学的に見ると、ヒトは「万物の長」ではないということにふれる文章があって良いと思いました。下の方よりもむしろ冒頭あたりにうまい具合に入れられる文章なのではないかと思います。
ちょっと余談:「遺伝子的位置づけ」ですが、先日ヒトの遺伝子数とショウジョウバエのそれが大差ないというニュースもありましたね。あやふやな記憶では線虫の方がハエよりも遺伝子数が多かったように思います。結局のところ遺伝子数もゲノムサイズも生物の複雑さや高等さ(?)に直線的な関係はないということでしょうかねぇ。。--電気山羊 2004年11月14日 (日) 03:17 (UTC)[返信]
御返事ありがとう御座います。「万物の長」。さすが専門家、いい表現をご存知ですね。では
1 生物学的分類
+1.3 人類の定義
+1.4 万物の長
と言う項目を立てて、「生態学的には万物の長だが、進化論的には他の生物と対等である」と言う主旨の内容など加えると言うのは如何でしょうか? --Tanadesuka 2004年11月14日 (日) 09:39 (UTC)[返信]

ヒトと人類への分割提案 2005年12月

[編集]

どうも、この項目の内容は人類ではあっても、ヒトではない気がします。ヒトという種についての説明が少ないように思うからです。たとえば種内分類としての人種のこととか、ヒト一般の体の構造のこと、直立歩行に関わっての体の構造のこととか、いわゆる「裸のサル」系統の話とか、書くことはあるんじゃないでしょうか。--Ks 2005年12月22日 (木) 07:23 (UTC)[返信]

そういうわけで、ヒト人類との分割を提案します。内容的には、この項目の大部分は人類へ行くべきで、最初の項目以降へ、種としてのヒトにだけかかわる記述を入れてはどうかと思います。--Ks 2006年1月11日 (水) 11:03 (UTC)[返信]

記事の「人類」への移動と生物種「ヒト」記事の分割提案 2006年3月

[編集]
2006-04-07に当記事は「ヒト」⇒「人類の進化」へ改名移動されましたが(特別:差分/5220207)、直後に「no consensus」として差し戻されました(特別:差分/5220362特別:差分/5220361)。--Yumoriy会話

あらためて表明します。この文の内容は、人のグループの進化に関する内容がほとんどであり、ヒイトという種に関するものとは思えません。ですから、その大部分を人類へ移動すべきと考えます。反論がない場合はやっちゃいたいと思いますので、反論をよろしくお願いします。--Ks 2006年3月19日 (日) 14:08 (UTC)[返信]

反論がなければ、近日中に以下のような操作を行います。

  • この項目を人類に移動。
  • この項目を白紙化。以下、書き込む場合は、現生ほ乳類の1種であるヒトに関する記事のみとする。具体的内容は、
== 特徴 ==
大きさや体色、毛の様子とか、個々の部分の形など。あるいは内部構造の特徴など。
乳幼児を除いて、ほとんどの場合二足歩行を行う。」をもう少し身体障害者へ配慮したほうが良い思います。例えば、乳幼児を除いてを消すなどがいいと思います--Tfsy1272 2010年8月19日 (木) 09:26 (UTC)[返信]
胴体の説明の項で「加重ストレス」とありますが、「荷重によるストレス」「荷重による応力」が正しいのではないでしょうか。
== 習性 ==
社会を形成して生活、文化・言語持つこと。細部は民族によって大いに異なる。
== 分布 ==
ヒトという種のみに限った上での伝搬の様子など。

といったことを考えています。--Ks 2006年3月23日 (木) 06:37 (UTC)[返信]

お久しぶりです。一応秀逸な記事ということになっていますから、もう少し細かい骨組みを見せていただけないでしょうか。昔のことで忘れてしまいましたが、秀逸の記事の選考のときにも、似たような議論があったような気がします。ヒトと人類それぞれの内容というか構成が分かれば賛成か反対か意見を出せます。-Hareno 2006年3月26日 (日) 17:29 (UTC)[返信]
と申されましても、私にヒトなどという項目をある程度以上でも書ききる力量はありません。それに、「秀逸な記事」の対象を、ヒトから人類へ移せばよいだけではないかと思いますが。少なくとも今まで明確な反対はいただいておりません。今日当たりやっつけようかと思ってたのですが、意見もあったことですし、もう少し待ちます。とりあえず書き出しは
  • ヒト(Homo sapiens)は、ほ乳綱サル目ヒト科に属する動物である。
とかになるかと。まずは図鑑における単なる1種の動物としての記述から。人類の項目には、この項目の内容の2文目から後すべてを移す、という構想です。そっちは人類の進化を中心に、ということになるでしょう。--Ks 2006年3月27日 (月) 03:00 (UTC)[返信]
ヒトを別の名称の記事に移動、ヒトは生物の記事とするという編集に賛成します。項目の名称は「人類」よりも「人類の進化」を推します。メインページに秀逸な記事からという項目があることから、秀逸な記事の選考ページなどに移動したことを連絡しておくとよいでしょうね。白紙化は問題視される可能性がありますから、生物テンプレートは残し、定義のたたき台を加えていただけると助かります。---Hareno 2006年4月1日 (土) 16:19 (UTC)[返信]
題名に関しては、人類であっても違和感ないと、私は思ってましたが。他の方、ご意見ございませんか? あるいは反対意見とか。--Ks 2006年4月4日 (火) 04:53 (UTC)[返信]

改名と再選考について

[編集]

何だかわかりませんが、「人類の進化」の項目内容が消えたようです。どなたかフォロー願います。私にはもはやよくわからない。no consensusとか書かれてますが、このノートにおける2005年12月22日以降のやりとり(実際には返事ほとんどなかったですが)に基づくものです。反論がなく、十分な時間がたてば、これ以上なすべき事はないと思います。ですから、私が「人類の進化」の項目下に移動した記事内容の保証は、どなたかにお願いすます。--Ks 2006年4月7日 (金) 05:07 (UTC)[返信]

こんにちは。差し戻しの仕方というか説明(の不十分さ)には私も強く疑問を持ちますが、まあそれはさておいて、秀逸な記事ということになっているので自由にやりづらいみたいですね。内容も大幅に書き直されたようなので、ちかぢか再選考にかけようと思います。外すことに賛成でしたら票を入れておいてください。異論がある人もその場で意思表明をしてもらえばと思います。一回「秀逸」印を外しておいて、大胆に改名とか分割とかしてはどうでしょう。前の内容もどうにかした方が良いと思いますが、その辺はひとまず他の方にお願いします。人類の進化としてもいいですし、ヒトに組み込んでも良いと思いますが。--電気山羊 2006年4月10日 (月) 08:46 (UTC)[返信]
再選考に出しました。ご意見のある方はWikipedia:秀逸な記事の再選考/ヒトにて投票をお願いします。--電気山羊 2006年4月10日 (月) 11:48 (UTC)[返信]
報告 再選考の結果、秀逸な記事からの除去されることとなりました。--汲平 2006年4月27日 (木) 08:23 (UTC)[返信]

節:身体能力について

[編集]

私は誰にでも分かるように、編集したつもりですが、「特に根拠があるとは思えない」としてこのようにコメントアウト化され、殆ど元に戻されてしまいました。どのような点が良くなかったのか、どのように改変したらよいのか教えてください。--ピピヨン 2006年7月20日 (木) 12:59 (UTC)[返信]

もちろん、私がそう思うので、間違いがあるかも知れません。その場合はご意見を下さい。私が感じたのは以下の様な点です。まず、小脳が退化したと言う点です。類人猿に比べて退化していると言う話があるのでしょうか? 次に、肉食獸に素手では勝てないと言う事。そのような事実はどの程度確認できるのか? 現代人は既にひ弱になってますから、それを証拠として出しても意味はないと思います。また、人間は道具を持ち、なくても石や棒ぐらいは拾いますから、素手を条件に置くのは疑問です。道具を持つのは能力のうちでしょう。具体例としても、チーターは特殊すぎます。それと、大脳の発達と道具を直結するのも問題で、当然ながら手の発達を考慮しなければならない。このあたり、どちらが先かと言うような問題もありそう。ですから、まず大脳という表現を削除しました。言い換えれば、何よりも大脳の発達を優先する表現を押さえたような感じもあります。以上です。ご意見を伺いたいと思います。--Ks 2006年7月20日 (木) 14:57 (UTC)[返信]

まず小脳大脳の話ですが、私はその話を聞いた事がありそれに納得して書きました。小脳がほかの動物に比べて退化し、劣っている事を示す物として、「ネコは自分の身長(体長)よりも高いところに飛び乗ったり、あるいはそこから飛び降りる事がごく自然にできるという事」や、「他の哺乳類と比べた時に、走る速さ÷体の大きさ の値がヒトは小さい(=体の大きさのわりに走るのが遅い)という事」、「握力等の力はどんなに鍛えられたヒトも、類人猿にはかなわない(→チンパンジーは300kg以上の握力を持つと言われている)という事」などがあり、探せばもっと見つかるでしょう。大脳についてはその発達について表現を抑えたつもりはありませんが、もしそのように捉えられたのであれば、私は小脳のことについて多く書いていたので、仕方ないかもしれません。しかし、あえて言うのであれば大脳は身体能力よりも知的能力や学習能力に大きく関連する物ではないでしょうか。その点で私は書くことが見つからなかった事が多くて書けなかったという事があります。大脳の発達と道具の直結についてですが、ヒトの特色として大脳がとても発達している事で、ヒト以外の動物は自分たちで創造した道具は持たない(ヒトに与えられて使ったり、木の枝を折って使ったりはする)ことから、大脳の発達と道具は直結するといえると思います。

次に、肉食獣と素手の話ですが、道具を使う事は確かに能力のうちではありますが上でも述べたように身体能力とは言い難いように思えます。また、道具を使った時の話として、マサイ族の話が書かれていたので素手の時の話を書きました。これは、2つの対立する意見(論、説)が書かれていることこそ中立的な観点と言えると思ったからでもあります。この結果の確認ですが、これは実際にやってみないと分かりません。しかし、実際にやろうとしないのはヒトに危険であろうことからであると言えるでしょう。また、肉食獣ではありませんが、闘牛でヒトは訓練されているにもかかわらずヒトが必ず勝つわけではないこと(→もし同じ身体能力であったら訓練しているほうが勝つはず)や、ヒトは石器を発明しそれを付けた飛び道具(槍、矢など)を発明した事によってナウマン像などの大型動物やその他の肉食獣に立ち向かう事ができるようになった事からも言えます。具体例のチーターは、極端な例の方が想像し易いだろうと思って書きました。間違ってはいないはずです。

現代人はひ弱であると言う点については、これこそヒトの退化と言えると思います。もしそれに納得できないのであれば、アスリートなどを考えても良いでしょう。アスリートは時代と共に進化しています。しかし、どんなレスリングの選手も肉食獣とは戦おうとしません。もしたたったヒトがいて、それが肉食獣に勝ったとしてもそれは「アスリート」と言う特殊な例であり、これをもってヒトのほうが強いと言う事はできないし、肉食獣の方も鍛えさせれば違う結果になるだろうと思います。

手の発達についてですが、確かにほかの動物より遥にヒトの手は発達しています。しかしこれを道具を使うためのものとして考えては身体能力とは言い難いです。

長くなってしまったのでまとめますが、私が言いたかったのは

  • 小脳の退化については具体例がある。
  • 大脳や手、道具などは身体能力にはあまり関連せず、よりも知的能力や学習能力に大きく関連する。
    • だから身体能力を比べる時には素手である必要がある。
    • 大脳の発達と道具は直結するといえる
  • ヒトが素手で肉食獣に勝てないことの証明(実験)はできないが、その結果を推測できる例がある。
    • 事件実験をする際はヒト・肉食獣共にトップクラスの鍛えられた物である必要がある。

と言う事です。これに納得ができなかったり、私の説明に欠けている部分(質問に答えていない部分)があれば、お話を聞かせてください。--ピピヨン 2006年7月21日 (金) 09:01 (UTC)[返信]

個別に論じましょうか。要は、立場の問題でして、見方を変えれば、というだけではありますが。
  • 小脳が退化したと言うにしては例が傍証に過ぎる事。また、多分大脳が発達したのに対して小脳が発達していない、という把握が可能かと。
  • 大脳の発達と前足の器用さの向上、といえば、実に身体機能その物です。
  • 大脳の発達と道具の使用、どちらが先か? ついでに、チンパンなんかは結構道具を使います。
  • ヒトは大部分の肉食獸に勝てます。勝てないのは巨大ネコ科などごく一部。キツネやタヌキ、イタチには明らかに勝てます。勝てない肉食獸はごく少数である事を認識して下さい。
  • これらが戦う場合を考えるのは、両者が戦う事象が起きた場合、その状況下で考えましょう。それが現実的です。動物とヒトが異種格闘技戦を行なうわけではありません。
最後の段については、論外です。現代人がひ弱なのは、進化ではなく馴化です。この違い、分かりますか? 要するに、ヒトはこの間に種としては変わっていないはずです。それを前提にしないと、生物学的な話はできません。--Ks 2006年7月21日 (金) 14:53 (UTC)[返信]
だいぶ遅くなってすみません。Ksさんの考え方を見て、上の6個目の考え方は自分が誤っていたなと思うのですが、正直なところ、殆どの事について「あぁ、なるほど。そんな考え方もあるなぁ。」といった感じです。例えば、1つ目の「…という把握が可能」だとか、2つ目では「…といえば…」など、少し強引な論(自分も余り人のことを言えませんが…)に思えるのです。3つ目については、チンパンジーの大脳は結構発達しているだろうし、4つ目は、例外を示さないのは良くないと思いますし、5つ目は仮定によって結果が変わってきます。確かにKsさんの考え方は間違っていないとは思うのですが、これだけが記事に載っていると、偏りがあるような気がします。もちろん、私の考え方は完全に正しいと言えるかどうかは微妙ですが、完全な否定もできていません。完全な否定ができれば良いのですが、できていない以上、仮定等を全て載せた上での考え方(つまり、以前の私の投稿では駄目ですが…)を全て記事中に表したほうが、中立的な百科事典を目指すウィキペディアとしては良いのではないでしょうか? (話をそらすような意見になってしまいましたが、納得がいかなければ意見を聞かせてください)--ピピヨン 2006年7月25日 (火) 09:47 (UTC)[返信]
確かに、私の作った文にはやや偏った点があります。というのは、ヒトの身体能力に対するステレオタイプな表現をできるだけ外してやろうとしているからです。そのこと自体は間違っていないと思っていますが、それによる偏りを生じているのも良くない事ではあると思います。そのあたり、様々な方面からの意見のすり合わせが必要ではあるでしょう。ただ、もう一つの方針として、詳細な論議はできるだけ個別の項目を立てるべきだと思います。そのあたりでいかがでしょう? --Ks 2006年7月25日 (火) 14:50 (UTC)[返信]
「個別の項目」というのは、「身体能力」の節に小見出しを作るということですか? それともここ(ノートページ)で上にある議論の内容について細かく分けてもっと話し合うということですか? 前者については私は大賛成です。なぜなら「ヒトは強いとする論」と「ヒトは弱いとする論」といった様な対立する2つの見出し(勿論、この例通りでなくても良い)があれば、読者は見出しを見るだけで直ぐに論が複数あることを認識できるからです。後者についてはあまり賛成できません。なぜなら、(他にも意見がある人がいるかもしれませんが、)私は自分の考えをできるだけ多く書いたので、これ以上の議論ができそうにないからです。Ksさんはどのような考えであったのか(前者か、後者か、その他か)聞かせてください。--ピピヨン 2006年7月26日 (水) 09:21 (UTC)[返信]
個別の項で、というのは、新たに別のページを作って、という意味です。これはこの身体能力の問題でなく、この「ヒト」という項全体への方針として考えてます。というのは、「ヒト」は人間の生物的面を書くわけですが、それは、人間の関わる活動の多くの部分にからみますから、ここに書き切れるわけがない、だから、入り口だけをここに示すのが筋だと思うからです。身体能力については、書く事多いですよ。たとえば様々な項目の世界記録とか、それぞれについて他の動物と比べるとか、格闘してどれが強いとか。最後のが今関わっている部分ですが、私自身も、文中にもちらりと書きましたが大山が人間が一番強いといったという部分は、も少し解説したかったのを、あえて書かずにおいてあります。恐らく、多方面で書きたい人がいると思うんですよ。もっとも、その下敷きになるものを書くのは私にはちょっと難しいです。--Ks 2006年7月26日 (水) 20:26 (UTC)[返信]

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────なるほど。私の解釈は全然違いましたね。項目を分けることは悪くはないと思いますが、良いともあまり思えません。現在の記事に書かれている事は、長くも短くもなく、少し偏った観点であるだけだと私は思うので、このような点を直すだけならこのままで良いと思います。しかし、もっと多く(独立した項目にした時に、少なくとも2つくらいの見出しが必要になる程度)加筆をするのであれば項目を独立させても良いかなと思います。また、細かい点についていくつか疑問が残ります。「項目全体の方針」はここだけで決めるのは良くないと思うし、世界記録などを書いていると書くことは無限に存在してしまうと思います。なので項目を分けるときは、その時に十分な議論の必要があると思います。それに、記事は複数の人によって完成されるべき物だと思うので、下敷きになるものは1人で書けなくても良いし、時間をかけてでも良質な記事を作るべきだと思います。ところで、これらの事を踏まえて、独立後の項目についてどれぐらいの量が予想されますか?--ピピヨン 2006年7月29日 (土) 07:48 (UTC)[返信]

もちろん、これは全く私の単なる考えでしかありません。皆さんに従ってもらうような気もないです。ただ、こういう項ではそんな形になるのではないか、とも思うんですよ。ですから、どんどん書き足し、書き直ししてください。わたしが納得できなければ手を入れますし、他の方もそうして下さるでしょう。今のところ、この内容で新しい項を作る能力ないですから、もし実否さんの加筆訂正の挙句に、ある程度の量になれば独立させる、と言う事ではいかが? --Ks 2006年7月29日 (土) 10:06 (UTC)[返信]
「必要に応じて」ということですよね。私もそれが良いと思います。ところで、元の議論(ヒトが強いとか弱いとか)に戻りますが、観点が偏っている記述を修正していくという方針でよろしいでしょうか? もしよろしければ次のように行うのはどうでしょうか? (あくまでも提案です。)
複数の考え方を示す
  • 考え方の結論を小見出しで示し、その理由・仮定・条件などを本文で説明する
  • 水泳などのことについては、別の小見出しを作る
いろいろと勝手に提案してしまいましたが、修正をするか否か、また、修正をする場合はどのような方法で行うのが良いか考えを聞かせてください。--ピピヨン 2006年7月29日 (土) 13:37 (UTC)[返信]
お示し下さった点は同意します。また、修正する場合ですが、この場で論議してから、というのもありでしょうが、面倒ですから、思い立ったら直接本文をいじりませんか? ややこしくならない限りはそこでのやり取りで行けるんではないでしょうか? そう言うわけで、よろしくお願いします。楽しみにしてます。--Ks 2006年7月29日 (土) 16:45 (UTC)[返信]
そうですね。それのほうが楽で良いかも知れませんね。ではこれも「必要に応じて」ということでやっていきましょう。こちらこそよろしくお願いします。--ピピヨン 2006年7月29日 (土) 22:02 (UTC)[返信]

寿命について

[編集]
2006-12-26に主ページ「#寿命」節の記述が改訂されました(特別:差分/9672480)。--Yumoriy会話

どうも120歳にこだわる方がいらっしゃるようですが、実際に日本のように衛生や栄養面でよい環境に合ってさえ、100歳に達することはまれです。もちろん、個人差もありましょうが、現在では実例のそれに近い数字でさえ疑問視されていることが多いです。ですからせいぜいよいところで90歳あたりが無難ではないかと思います。120歳を主張なさるのであれば、根拠をお示しください。--Ks 2006年12月12日 (火) 06:01 (UTC)[返信]

個人的には120歳説に賛成です。日本人でも、タバコなどで確実に寿命を減らしていますから。また、Web検索をすると、非常に多い数で120歳を寿命とする考えがヒットします。グーグルでの検索結果。また、逆に90歳を最大寿命とする根拠のほうがないように感じました。--こま 2006年12月25日 (月) 03:21 (UTC)[返信]
はっきり言って九十歳は私がカンで書いてるから、これにこだわる気はないです。しかし、120歳は無茶だと思いますよ。検索結果を示されてますが、ほとんどは根拠薄弱です。また、一般的な寿命ではなく、最大寿命としている場合も多いですね。確かに最大は120かも知れません。しかし、誰しもが完全な環境下ではこれをもつ、と考えるのは間違いでしょう。個人差がありますから。恐らく、特に長寿命が可能な体質の人が、特に良い条件にめぐまれた場合にこれが実現できるのかも。しかし、人類一般にこれが当てはまるとは思えません。現在の長寿国の事故死を別にしたものがそれにあたると考えるのが妥当でしょう。癌だって、人体に自然に発生するものである以上、これを事故のように見るのは誤りですし。そしたら、やっぱりせいぜい90くらいじゃないかと思うんですよ。--Ks 2006年12月25日 (月) 14:38 (UTC)[返信]
すいません。90歳の根拠をお願いします。私自身生物の専門家でもまったくないのですので、本来は何もいえる立場にはありません。ですが、私自身知りたいという気持ちもあり、お示しいただけると感謝です。また、本文中にも「各種の寿命を縮める要因のない状態」とあるわけですし、「実際には様々の要因により寿命はそれよりも短くなる。」この記述もある。また、実際の平均寿命も書かれているため、「120歳」の記述もあってよいと思います。このように書き換えてみればどうかと思います。「理想的な環境(非常に長生きすることに適したヒトが、各種の寿命を縮める要因のない状態)で現代のヒトの最大寿命はおよそ120歳程度と想像されるが、一般的なヒトの寿命は90歳程度と想像される。」--こま 2006年12月26日 (火) 00:54 (UTC)[返信]
最大寿命はおよそ120歳程度と想像される」なら特に異存ありません。--Ks 2006年12月26日 (火) 00:50 (UTC)[返信]
一応編集してみました。足らない部分あるかと思いますので補則があればお願いします。--こま 2006年12月26日 (火) 00:54 (UTC)[返信]

強さ関連

[編集]
2007-01-27に主ページの節「#身体能力」下にあった「ヒトはか弱い動物か?」「ヒトは強いとする説」「ヒトは弱いとする説」が除去されました(特別:差分/10266761)。--Yumoriy会話

また消されましたね。内容的に疑問を出されたこともある項目ではありますが、一応議論の末維持されて来た経緯もあります。議論抜きで一章丸々削除というのはいかがなものかと。復活すべきかどうかも含めてご意見を伺いたいと思います。--Ks 2006年12月28日 (木) 01:18 (UTC)[返信]

要約には"「ヒトの強さ」は、生物的な特徴に関する記述ではないので不必要。また記述内容も不正確なものが多い。"と記述されています。このことについて、まず、「ヒト」という項目は生物的な特徴のみを述べるための項目であるという前提での文章であり、このことが微妙。「ヒト」ではヒトの様子や生き様などについても述べるべきだと私は思います。もう一つは「不正確」の判断基準が不明です。「正確」という判断の基準もありませんが、正確・不正確は問題ではないと思います。--ピピヨン 2006年12月28日 (木) 11:22 (UTC)[返信]
まず、この項目の前提となる定義は、「ヒトとは、脊索動物門ほ乳綱サル目ヒト科に属する動物の一種である。(中略)この項では、ヒトの生物学的側面について述べる。」とあります。ということで、この項目は生物としての特徴を記載することが大前提になります。では、「強さ」という内容が生物的な特徴を示しているかですが、「強さ」に関する内容はあくまでも他者(他の動物)との比較によって成り立っています。すなわち生物としての特徴ではありません。ヒト以外の他の生きものに「強さ」という生物的な特徴を記しているものがあるでしょうか? ライオンはチーターよりは強いが「ライオンゴロシ Harpagophytum procumbrens」という植物よりは弱いなどと書いているでしょうか? クマムシは凍らせても焼いても真空でも死ににくいという性質があるからヒトよりも強いのでしょうか? 比較する対象や内容によって結果は変わりやすい「強さ」という観点は、ヒト Homo sapiensという生きものを客観的に説明するものではないと思います。
 正確性については言葉足らずでしたが、例えば、ネコの跳躍力に関して云えば、跳躍力が優れているのはイエネコなど一部のネコに限られています。例えばイリオモテヤマネコは自分の背の高さ程度のジャンプ力さえありません。そういった種による能力の差異を無視して、小脳が云々という話に繋げるのは不正確といわざるを得ません。また進化というのは機能の取捨選択に方向性があるものではありません。優れている・劣っているという尺度で捉えるのはあくまでも人間の感覚であって、生きものの性質を説明するものではありません。
 ピピヨンさんが書いた文章がおかしいとか、論点がずれているとか、自分の書いた文章を削られたくないとか、そういう次元の問題ではなく、項目を説明する内容として適切かどうかという判断すべきだと思います。できれば、もっとヒト以外の生きものについて見識を深めていただき、動物としてのヒトという観点でこの項目を捉えていただきたいと思います。最後に「正確・不正確」は百科事典たるWikipediaの存在意義そのものですので軽んじるべきではありません。--OpenCage 2006年12月28日 (木) 14:26 (UTC)[返信]
前提の部分について私は読み飛ばしていました。レベルの低いミスをしてすみません。しかし、(何だかKsさんを都合よく使ってしまいますが、)下でKsさんが言うことを考えると前提の部分を変える必要があると思います。正確さについて、「正確・不正確は問題ではない」と述べたのは書かれている事が全て「説」だからです。(表現が悪くてすみません。「問題にし難い」と書けば良かったかも知れません。)「説」である以上、極端な例や観点などがあり、正確さというものが非常に分かり難くなります。また、説は実験や確実な調査が不可能なために考えられるものであるため、「正確な説」というのは分かりません。(つまり、「不正確な記事を書いても良い」と言いたかった訳ではありません。)あと、何も自分の書いた文章を削られたくないからこの議論に参加しているわけじゃ… --ピピヨン 2006年12月29日 (金) 10:04 (UTC)[返信]
前提を変える必要はないと思います。動物としてのヒトから「強さ」に関係してくる部分はあると思いますが、それは生物個体の能力の話というよりは社会生活を行う動物としてのヒト、という側面が非常に大きいからです。前提はあくまでも他の項目との役割分担を定義している訳ですからフラフラと軸がぶれるのは良くないと思います。正確性に関しては、一つの説に捉われると「木を見て森を見ず」になりかねないと思います。説を紹介するのが目的ではありませんから。--OpenCage 2006年12月29日 (金) 18:35 (UTC)[返信]
おっしゃることは間違いないです。細部の問題点はともかく、普通の動物に強いか弱いかは論じないし、猛獣の最強は?といった議論は不毛です。ただ、私はもしかして人間にだけはこの論議があったほうが良いのではないかと思っている次第。理由はこの部分がヒトの進化の方向に関する議論と大きく関わるからです。良く言われることに、「人間は肉体的にはひ弱であるが、知恵を身につけることで他の動物と伍するように進化した」といった表現がありますね。これに対しての客観的な議論があったほうが良いのでは、という判断です。そう言う観点でどうですか? --Ks 2006年12月28日 (木) 16:19 (UTC)[返信]
ヒトという生物の個体の特徴と、社会生活性動物であるヒトという種の特徴を同列で取り扱ってしまっているのが混乱や疑問視される原因かと思います。「ヒトの強さ」というのは、どっちが強いかという生物間の比較ではなく、一人では太刀打ちできないマンモスを集団で狩猟する強さや、猛獣がひしめくサバンナで自分達を守る防御力の強さなど、他の生物に対する「優位性」を集団を形成することによって作り出しているという点であると思います。「ヒトの強さ」というよりは「ヒトの繁栄要因」として捉えた方が分かりやすいのではないかと思います。
弱さについては強さの対比で出てきたものと思いますがわざわざ記載する必要はないと思います。--OpenCage 2006年12月29日 (金) 18:35 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 私が論じてあったのは、まさにその個体としてのヒトの強さだったのですが。実際、哺乳類全体の中で、ヒトより確実に強い動物はそうないはずです(いますけど、多くないと思いますよ)。にもかかわらず「個体としてのヒトは弱い」と言うのは、一種の迷信ですが、それが結構まかり通っているのですね。それに、集団行動について言えば、集団で活動することはヒトの習性ですから、これを強さについて考える際に考慮するのは当然ですね。たとえば狼の恐さは群れを作ること抜きには語れません。また、石や棒一つ持たせれば、ヒトは強くなりますよ。武器は禁止などと、勝手なルールは自然界では通用しません。そのあたり、上にある論議もご参考に。いずれにせよ、OpenCage様は削除する前にその文章を理解することもしていらっしゃらないと思われます。それでは議論にもなりませんので、近々復活させます。もしご反対でしたら、読みなおしてからお願いします。--Ks 2006年12月30日 (土) 14:41 (UTC)[返信]

武器は禁止などと、勝手なルールは自然界では通用しませんの示すところが、生物としての「ヒト」が他の生きものに対して銃を撃っても構わないというのであれば、確かにヒトは限りなく強いでしょう。でもこの場合のヒトは「人間」ではないのでしょうか? 「ヒト」の項目はあくまで Homo sapiens という生きものとして捉えるべきだと思います。Homo sapiens が武器や銃器を使うという前提の場合は、「近代以降のHomo sapiens」と注釈を付けるべきでしょう。--OpenCage 2007年1月2日 (火) 13:58 (UTC)[返信]
いやいや、本当に文章を読まない方だ。私の文章では、武器使用もヒトの性質の内とは書いてますが、その場合の武器は石や棒程度を想定してますし、文章もそうなっているはず。少なくとも、ヒトの歴史が始まって以来、その最初の頃からの道具ですからね。その範囲でも、ヒトは必ずしも弱いものとは考えない方が良いとの論旨です。それに、最強と主張するつもりもありません。もちろん、トラ相手に少々の武器もって勝てるとは思いませんから。しかし、たとえば日本列島で、負けると殺される相手で、絶対に人間が勝てないのはヒグマだけだと思うんですよ。もちろんよそにはもっと恐いのもいるけどどこでもそういう恐いのはごく少数の筈です。改めて言います。批判するなら、その主張するところを理解してからお願いします。ちなみに、大山升達の主張は、確か以下のようなものです。「人間は地上最強の動物である。どの動物とでも素手で一騎打ちして勝てる。ただし、そのためには、それ相応の体格と技術をもった人間が、相手とする動物を良く熟知して、それに対する対策を講じて一定期間の練習をつめば」というものだったはず。したがって、これを一般化するのは無理なんですが、それでも人間をか弱い動物とする考えに対する対案としては重要だと思います。とは言っても、それでゾウに勝てるとも思えないんですが。--Ks 2007年1月2日 (火) 14:43 (UTC)[返信]
話が咬み合わず申し訳ない。他の生物と横並びに「ヒト」の項目を見た場合、「強さ」という内容に違和感が強かったことが発端なのですが、生物としての側面で誤解されやすい部分を客観的に説明するという点では納得です。削除の取り消しを行っていますので、内容は元に戻っています。--OpenCage 2007年1月2日 (火) 17:23 (UTC)[返信]
論旨をご理解いただきありがとうございます。もちろん問題の多い部分であるとは思います。次回はも少し生産的な議論をお願いします。--Ks 2007年1月3日 (水) 14:59 (UTC)[返信]

強さ関連について、私も今の内容に疑問を感じます。主に「全体のバランス」という観点からです。正しい内容・両論併記した内容であれば、どんな些細なことでも書いていいというものではないでしょう。世界のどこの百科事典に、「ヒト」の記事中に「ヒトの強さについて」の項目があるのでしょうか。私は内容のある程度わかる他国語版(英・中・西・露・仏・独)を参照したのですが、どこにも「ヒトの強さについて」などという議論はありませんし、私の主観から言わせていただければ、それが当然だと思います。

ただ、「バランス」ということになると主観の話になるので、ある程度の期間をかけて、このノートページで投票を取るのはどうでしょうか(もちろんログインユーザで。今回私はIPですが)。

もしもそれが必要ないということであれば、私は私の主観的なバランス感覚に基づき該当部分を削除します。--210.157.196.74 2007年1月17日 (水) 16:29 (UTC)[返信]

よそに無いからいらない、というものでもないでしょう。確かに普通はないかと思います。にもかかわらず、これをかいた理由は、先にも書いたとおり、「個体としてのヒトは弱い」と言うのは、一種の迷信ですが、それが結構まかり通っているという点と、それが結構ヒトの進化の方向性と結びつけられる傾向があるからです。もちろん、皆さんの意見で持って存続か否かを決めていただければよいわけですが。そういう事ですので、この部分についてはお任せします。ただし、しかる後にヒトは弱いから云々という文章が入れば、異論を出すくらいは許して下さいね。--Ks 2007年1月18日 (木) 02:39 (UTC)[返信]
IPで失礼しました。1/17の書き込みは私です。私はヒトの強さに関して特に意見はありませんが、ぱっと見たときに「なんでこんな内容がここに?」という場違い感を感じました。この部分がないほうが全体としての統一性が上がるのではないでしょうか。「ヒトは弱い」ということを前提にして書かれた部分があったことから今の状態になっているのはわかっていますが、「強さ」というあいまいなことを論ずることによる読者に対する益が感じられません。これまでいろいろないきさつがあったようなので、しばらく様子を見て、異論がなければ削除しようと思います。--竹田 2007年1月19日 (金) 17:22 (UTC)[返信]
削除しました。--竹田 2007年1月27日 (土) 05:37 (UTC)[返信]

ヒトは生物ではない。ヒトは無生物だ。

[編集]

ヒトは生物ではない。ヒトは無生物だ。--内森知子 2007年11月30日 (金) 06:34 (UTC) / この発言の当初の投稿日時は2007-11-28 12:06:01 (UTC)。--Yumoriy会話2024年1月27日 (土) 04:59 (UTC)[返信]

この項は生物学的角度からヒトについて扱うことになってます。その手の議論は他で願います。--Ks 2007年11月28日 (水) 12:10 (UTC)[返信]

私はヒトではない。

[編集]

この文章を読んでいるのは、おそらくすべてヒトである」とありますが、私はヒトではありません。
こういう場合どうなのでしょう。--内森知子 2007年11月30日 (金) 15:09 (UTC)[返信]

いちいち反応するのも馬鹿馬鹿しい題目ですが、「ヒトは生物でない」ことを立証してくれませんか。でないとあなたは単なる何かの狂信による荒らしでしかありません。--211.126.81.167 2007年11月30日 (金) 19:16 (UTC)[返信]
難しいですね。個人的には、「生きていないから生きていない」としかいいようがないです。あえて説明するなら、生物と比べて「不自然だから」「違和感があるから」「文明を築くから」「道具を作るから」「言葉を話すから」「環境を(ヒトが都合がいいように)作り変えるから」などでしょうか。ヒトのやっていることは、ロボット(機械)と大差ありません。--内森知子 2007年12月1日 (土) 02:00 (UTC)[返信]
ロボットは、ヒトがヒトの働きの一部をさせるために作ったものです。だからロボットにヒトと似ている部分があってもおかしなことはありません。ところで、ヒトに似たロボットがいるからと言ってあなたがヒトでないことの証拠にはなり得ません。--123.221.148.235 2008年1月17日 (木) 02:40 (UTC)[返信]
もう一つ、私がヒトでないというのは、私は人並みの生活を送れないからです。--内森知子 2007年12月1日 (土) 02:00 (UTC)[返信]
「おそらく」と書いてあるところで許してやってください。断定はしていないと言うことで。--Ks 2007年12月1日 (土) 14:44 (UTC)[返信]

習性 住居・衣服の使用 の項

[編集]
習性

住居・衣服の使用

人類は古くよりそれなりの巣をつくっていたようである。洞窟の入り口付近を生活の場にしていた例は、北京原人などに見られ、長期にわたってたき火を維持していた様子も見られる。

北京原人ホモ・エレクトス)はホモ・サピエンスではないですよね。当記事はホモ・サピエンスについての記事ですし、アフリカ単一起源説が主流の現在、北京原人は我々の祖先ではなく、近縁の絶滅種だという見解の方が主流ですから、ホモ・サピエンスに関する記事としては少々不適当で、なんらかの修正や表現の追加などが必要な箇所かな?と思います。IPユーザーでは手出しできないので修正お願いできたらと思います。--219.160.25.140 2008年10月13日 (月) 01:14 (UTC)[返信]

書き出しが人類になってますから、矛盾はないです。つまり、「ヒトを含む人類は、その祖先の段階から…」という論理展開になってます。--Ks 2008年10月13日 (月) 13:26 (UTC)[返信]
人類、ヒト、人種etcなどの単語を整理する節があったほうが分かりやすくなることを示唆する興味深い意見だと思います。--H335 2008年10月28日 (火) 01:53 (UTC)[返信]

半保護について:保護解除の提案 2008年10月

[編集]

かなり長い間半保護が継続している状態ですが、解除にむけた取り組みは行われているのでしょうか?
とくにないなら解除を提案します。--H335 2008年10月28日 (火) 01:59 (UTC)[返信]

半保護の原因は 利用者:内森知子会話 / 投稿記録 / 記録 さんや IP:218.251.16.196会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois さんの「ヒトは無生物」荒らしですから、半保護の是非は荒らし行為が再発するかどうかにかかっています。そのような場合での解除に向けた取り組みとは投稿ブロックやプロバイダ通報といった種類のもので、あとは時間が経つのを待って沈静化したかどうかを見極めるぐらいです。議論して合意を得るといった取り組みとは異なります。本記事の場合、最後の荒らしから 9ヶ月経っていることと、218.251.16.196 さんのブロックが解除されて 8ヶ月経っても活動の再開がみられないことから、Wikipedia:保護解除依頼 へ持って行ってもかまわないのではないでしょうか。--Su-no-G 2008年10月28日 (火) 05:29 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。やっぱりそうですよね。そういう場合は、誰かが対話を試み、しばらく応答がないならブロック保護解除依頼がだされ、解除しても再発したら個別にブロックするという流れが滞らずいくといいんですが、編集自体が停滞しているようなのであいまいなコメントをさせていただきました。--H335 2008年10月28日 (火) 05:38 (UTC)[返信]
私が上で「218.251.16.196 さんのブロックが解除されて 8ヶ月経っても」と書いたのは、そもそも 218.251.16.196 さんに最後にブロックをかけたのが私で、期間は 2008年1月13日 (日) 17:14 (UTC) から 1ヶ月、すなわち 2008年2月13日 (日) 17:14 (UTC) に自動解除になったことを述べたに過ぎません。記事の半保護の解除にあたって、荒らしユーザーのブロック解除依頼は不要です。--Su-no-G 2008年10月28日 (火) 05:43 (UTC)[返信]
すみません、単なる用語ミスでした。保護解除依頼を提出しました。--H335 2008年10月28日 (火) 05:47 (UTC)[返信]

リバートについて 2009年2月

[編集]

[1]の加筆をリバートしました。まず第一に出典が皆無でエッセイでしょう。第二にWikipedia:コメント依頼/YODAFONで指摘されているように、「自然科学の記事に過度の思想的・宗教的要素を持ち込むのは止めていただきたい」です。第三に「ホモ・サピエンスのオスは、・・・処女を良いメスとみなす」とか冗談としか思えないです。--fromm 2009年2月9日 (月) 15:29 (UTC)[返信]

主意には同意ですが、内容的に含蓄を含んだ力作で、そのまま削除は惜しいとは考えます。修正の方向での対応も可能かと思います。--ピノキオ 2009年2月9日 (月) 21:32 (UTC)[返信]
力作であっても検証可能性と中立性が確保されなければ、ウィキペディアの標準名前空間における使い道は限られます。また、本記事の枠組みは冒頭部に「ヒトの生物学的側面について述べる。」とある通りですので、そこから大きく逸脱するものも不適切です。ですので今回のご加筆についてはお気の毒ですが、検証可能性と中立性を確保した上で別の記事へ持っていくのが筋でしょう。--Su-no-G 2009年2月10日 (火) 03:29 (UTC)[返信]
進化心理学や進化生物学を学んでいないと、人の文化的側面が生物学的側面にかなりの程度強く規定されていることを捉え損ねます。氏と育ちという二者択一は、粗雑であり間違いです。「育ちは氏により規定される部分も多い」のです。また、私が記述した、処女選好や中絶・子殺し、戦争やレイプ、虐殺等の普遍性とそれを基礎付ける進化的・生物学的根拠については、典拠に挙げた進化心理学・進化生物学の本を読んでください。--YODAFON 2009年2月22日 (日) 08:31 (UTC)[返信]
[編集]

Since I am not Japanese, I might have to use English to express what I want to say.

you know, the taxobox, and the biological aspect of human are both in ヒト, but most of the external links of this meaning are in 人間. why? I wish some of you could correct it, ok? --Sky6t 2011年10月22日 (土) 01:18 (UTC)[返信]