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ノート:バルトーク・ベーラ

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記事名の姓名表記順の変更提案

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2005-09-02に当記事は「ベラ・バルトーク」⇒「バルトーク・ベーラ」へ改名移動されました(特別:差分/2863608)。次節《#Aphaiaさんの勝手な移動について》参照。--Yumoriy会話

基本的に人名はその出身地の言語慣習に即すべきだと思うのですが、いかがでしょうか。バルトークについてはある程度揺れがあることは承知していますが、専門書ではバルトーク・ベラまたはバルトーク・ベーラが増えてきているように認識しています。ハンガリー人の人名については、基本的に姓を先に持ってくるのが妥当ではないかと思いますが、いかがでしょうか。--Aphaea* 2004年11月18日 (木) 04:28 (UTC)[返信]

バルトーク・ベラがいいのではないかと思います。--竹麦魚 2004年11月18日 (木) 05:15 (UTC)[返信]
バルトークに限らず、マジャール人全体をどうするかという問題かもしれませんね。身近なところではフランツ・リストとか。--以上の署名のないコメントは、会話投稿記録)さんが 2005-03-01 04:02:21 (UTC) に投稿したものです。
リストはフランツ・リストでよいと思います。日本語文献の慣習に沿えば、いまのところはそうなります。結局どのような名前で本人が活躍していたということに依存するのだと思います。なおコダーイはすでにコダーイ・ゾルターンになっていますね。--Aphaea* 2005年3月1日 (火) 04:07 (UTC)[返信]
バルトーク・ベーラが良いのではないでしょうか。発音通りに --Sheynhertz-Unbayg 2005年3月1日 (火) 05:08 (UTC)[返信]
名称の移動とリダイレクト化に異存はありません。しかし一般CDでは普通に Béla Bartók と記載されています。英語版ウィキの見出しも en:Béla Bartók のままになっています。--Hhst 2005年3月1日 (火) 14:11 (UTC)[返信]
バルトークは後年アメリカで活動しましたので、「ベラ・バルトーク」が定着したのかと考えます。似た例にフリッツ・ライナーやアンタル・ドラティ、ヤーノシュ・シュタルケルなどがあります。バルトークは、ハンガリーでの活動実績も大きいので、どちらにすべき、とまでは言い切れませんが。--みっち 2005年3月4日 (金) 00:32 (UTC)[返信]
  • バルトーク・ベラまたはバルトーク・ベーラについては強い反対はなし。積極的な賛成が2人(提案者込みで三人)
  • ベラ・バルトークでもかまわないのではないかという指摘が2人。ただし積極的な支持を明快にしているわけではない。
というわけで移動により支持が集まっていると判断しました。ほぼ半年間に反対がなかったため、移動でコンセンサスが取れているものと判断してよろしいでしょうか。
あと一日まってとくに反対がないようなら移動しようと思います。--Aphaia 2005年5月1日 (日) 17:04 (UTC)[返信]

できれば…移動しないで、現状維持でいいと思うのですが。(間に合った) 私たちはついつい専門的な論議に走りがちだけど、一般のクラシックファンは「ベラ・バルトーク」の名前で親しみ、CDを買っていると思うから。(2ヶ月前の時も、本当は“明らかな反対”でいきたかったのですが、ウィキの皆様に逆らえない雰囲気だったので。)--Hhst 2005年5月2日 (月) 04:28 (UTC)[返信]

マジャール語版はBartók Bélaなのでそれでいいかもしれませんね。英国に帰化したもののドイツ語読みになっているゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの例もあるし。姓・名の順なら「ベーラ」かな。リダイレクトもあり、記事の中でも「ベラ・バルトーク」に触れていればそれでいい気が。-- [Café] [Album] 2005年5月2日 (月) 06:08 (UTC)[返信]
上のご意見をうけて修正しました。
  • バルトーク・ベラまたはバルトーク・ベーラについて積極的な賛成が2人(提案者込みで三人)、容認が1人。
  • ベラ・バルトークでもかまわないのではないかという指摘が1人。積極的な支持が1人。
私はバルトーク・べーラがよいと考えています(っさんもいれれば三人ですね)。ほぼコンセンサスが取れている状態だとは思いますが、現状維持を主張される方ひとりがいるので、いまは移動しないでおこうと思います。投票が必要でしょうか。--Aphaia 2005年5月2日 (月) 19:54 (UTC)[返信]
できれば、投票もしないで頂きたい…。本ノートにある「バルトーク・ベーラ」論議を今の記事中に書けばいいと思います。ウィキの記事が「日本のクラシック入門者にも調べやすい」ことの方が大事だと思うから。--Hhst 2005年5月3日 (火) 03:55 (UTC)[返信]
おなじく、この項目は「ベラ・バルトーク」でよいと思います。--Ligar 2005年5月3日 (火) 05:32 (UTC)[返信]

記事名という物のとらえ方の問題だと思うのですが。私はリダイレクトがあり、記事の中でそれぞれに解説があれば、記事名にはそれほどこだわらなくていいと思うんです。ただ、どこにでも付いて回る物なので、なるべくならだれもが納得できる名前がいいし、そうなるとやっぱり「正式な」名前になるのかな、とは思います。最後は彼自身がどう自称していたか、なのでしょうね。ちなみに、ただいまチベット自治区西蔵自治区記事名投票中 -- [Café] [Album] 2005年5月3日 (火) 05:12 (UTC)[返信]

意見が拮抗しているようでもあり、話し合いでは解決がつかないように思います。ベラ・バルトークを支持される方は論点の提出をお願いいたします。--Aphaia 2005年5月3日 (火) 05:40 (UTC)[返信]

バルトークってマジャール人だったんですよね。音楽はよく知っていますが、本人のことは普段あまり意識しているわけではないので今回問題になって改めてなるほどと思いました。CDなどの表記はベラ・バルトークのものしか見たことが有りません。
個人的には記事の移動に賛成します。かれの活動の内容から考えてもマジャール人としてのアイデンティティは尊重されるべきだと思うからです。「ベーラ」か「ベラ」かという問題に関しては、僕には判断する材料が有りませんが、原語に近いほうを採用すべきと思います。
クラシック愛好家の間で「ベラ・バルトーク」の表記が普及していることは事実ですが、リダイレクトと本文中での言及によって十分に対応可能であると考えます。--yhr 2005年5月3日 (火) 06:33 (UTC)[返信]

マジャール人名だろうが、日本語で普及している方を選ぶべきです。それが百科事典というものです。ハンガリー語としての表記は現在のように記事中内での記述で充分です。--Ligar 2005年5月3日 (火) 07:43 (UTC)[返信]

記事名の付け方#その他の慣例人名をあらためて読んだら、日本人と「中国人、韓国人などで名前の表記が通常漢字である場合」を除いては「名(ファーストネーム)・姓(ファミリーネーム)の順。」となっています。(あら、カタカナ名の韓国人はこの順かしら)もし「バルトーク・ベ(ー)ラ」とするならば、ここの書き換えも必要ですね。-- [Café] [Album] 2005年5月3日 (火) 08:24 (UTC)[返信]

人名にでは確かにそうなっていますね。これに関する改定議論も行ったほうが良いでしょう。--yhr 2005年5月3日 (火) 08:37 (UTC)[返信]
これを書いた方には外国人の姓名はみな個人名が先だという固定観念があったのでしょうか。このルールを厳密に適応すると、ベトナムなどカタカナで書いて姓が先のアジアの人名なども逆にしなければいけないことになりますから、そういうことではないのでしょうが、表現はまずいですね。ただそれをすべて扱うと膨大な議論が必要になる気もしますので、ひとまず
マジャール人名に話を絞ったほうがよいように思います。
ちなみにこの項目中にもありますが、バルトークの著書の翻訳が出ていて、その表記は「バルトーク・べーラ」です。評論家の吉田秀和さんは順序は逆ですが(といっても昭和30年代のものなのでそのまま現在の慣行の資料として使うには問題があるでしょうが)べーラ・バルトークです。国会図書館のデータベースでもべーラを使っていて、その意味でもこのままの表記というのは問題があると思います。--Aphaia 2005年5月3日 (火) 11:13 (UTC)[返信]

マジャール人名については、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方の過去ログの方にはありました。そこでの議論は、姓・名の方向だったのに、表ページの方には反映されないまま過去ログ化してしまったようですね。-- [Café] [Album] 2005年5月3日 (火) 12:33 (UTC)[返信]

紹介ありがとうございます。Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ2#個別の議論:バルトーク・べーラ にまとめを作りました。
上で探すのに困るというような意見がありましたが、リダイレクトが存在するのでサイト内検索では確実にヒットします。Googleランクは多少上下するかもしれませんが、名前の順序をかえることがウィキペディアで何か調べようとする人の妨げになるということは技術的にはほぼ起こりません。--Aphaia 2005年5月3日 (火) 20:50 (UTC)[返信]

中間集計

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上からC&Pしています。

姓名 5人
  • 基本的に人名はその出身地の言語慣習に即すべきだと思うのですが、いかがでしょうか。バルトークについてはある程度揺れがあることは承知していますが、専門書ではバルトーク・ベラまたはバルトーク・ベーラが増えてきているように認識しています。ハンガリー人の人名については、基本的に姓を先に持ってくるのが妥当ではないかと思いますが、いかがでしょうか。--Aphaea* 2004年11月18日 (木) 04:28 (UTC)
  • バルトーク・ベラがいいのではないかと思います。--竹麦魚 2004年11月18日 (木) 05:15 (UTC)
  • バルトーク・ベーラが良いのではないでしょうか。発音通りに --Sheynhertz-Unbayg 2005年3月1日 (火) 05:08 (UTC)
  • マジャール語版はBartók Bélaなのでそれでいいかもしれませんね。英国に帰化したもののドイツ語読みになっているゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの例もあるし。姓・名の順なら「ベーラ」かな。リダイレクトもあり、記事の中でも「ベラ・バルトーク」に触れていればそれでいい気が。--っ [Café] [Album] 2005年5月2日 (月) 06:08 (UTC)
  • 個人的には記事の移動に賛成します。かれの活動の内容から考えてもマジャール人としてのアイデンティティは尊重されるべきだと思うからです。「ベーラ」か「ベラ」かという問題に関しては、僕には判断する材料が有りませんが、原語に近いほうを採用すべきと思います。
    クラシック愛好家の間で「ベラ・バルトーク」の表記が普及していることは事実ですが、リダイレクトと本文中での言及によって十分に対応可能であると考えます。--yhr 2005年5月3日 (火) 06:33 (UTC)
名姓 2人
  • できれば、投票もしないで頂きたい…。本ノートにある「バルトーク・ベーラ」論議を今の記事中に書けばいいと思います。ウィキの記事が「日本のクラシック入門者にも調べやすい」ことの方が大事だと思うから。-Hhst 2005年5月3日 (火) 03:55 (UTC)
  • おなじく、この項目は「ベラ・バルトーク」でよいと思います。--Ligar 2005年5月3日 (火) 05:32 (UTC)
中立 1人
  • どちらにすべき、とまでは言い切れませんが。--みっち 2005年3月4日 (金) 00:32 (UTC)

8人の意見で、5名の賛成がありました。全体としてはバルトーク・ベーラに支持があるように思います。ほぼ半月議論が動いていませんので、いままでの議論の参加者からは新たな論拠の提出は望めないようにも思います。ご意見がとくにないようでしたら、バルトーク・ベーラクに移動ということでいいようにも思います。一方で、現代音楽に新しい投稿者の方が増えてきていることも事実ですので、1週間ほど様子をみてみたいと思います。みなさまご意見をよろしくお願いします。--Aphaia 2005年5月26日 (木) 13:31 (UTC)[返信]

中間集計を受けてコメント

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  • (条件付き賛成)前にも述べましたが、バルトークだけでなく、ハンガリー出身で名・姓の順で呼ばれる音楽家(音楽家以外にもあるかもしれませんが)の表記との整合性がつくのであれば、移動してもよいと思います。--みっち 2005年5月27日 (金) 00:35 (UTC)[返信]
(追加)他言語版を参考にする場合は、マジャール語版よりも、むしろマジャール語以外の言語の傾向を参考にするべきかとも思います。--みっち 2005年5月27日 (金) 00:44 (UTC)[返信]
コメントをありがとうございます。
表記との整合性ですが、これについては例が少ないうえに混交しているので、統一はどちらを選んでも得られないと思います。いまカテゴリCategory:ハンガリーの作曲家をみるとちょうど二つに割れています。もっとも数が増えても、本人がどこで活動していたか(そして主にどのような表記を翻訳者などが用いているか)にも表記が左右されますので、そうきれいに統一できないだろうと思います。たとえばリゲティやリストのようにドイツでの活動が長い人は姓名になることはまずないようです。一方ハンガリーが主な活動の舞台であるような人ですと、姓名をひっくり返すのは違和感があります。
他言語版を参考にする場合マジャール語以外の言語の傾向をというのは意味がないと考えます。というのは、これはきれいに「自国の習慣にあわせる」か「原音尊重」を取るかの二択で、どの方針を大方針とするかという問題です。自国の言語習慣や表記法に左右されるのであまり参考にならないと感じます。前者はたとえば日本人の姓名も名姓になります(近代以降)。またイタリア語のように大幅な固有名詞の現地化が行われる場合もあります。日本語ではこうしたことが明確ではない(わりと現地習慣を重んじる傾向はあるように思います)ので、どのような大方針がありうるのかという以上の参考資料にはならないだろうと考えます。--Aphaia 2005年5月27日 (金) 08:37 (UTC)[返信]

皆さんが仰っているとおり、リダイレクトを使えばたどり着けるので、どちらでも構わないと思います。個人的には、より一般的に使われている呼び名を採用すべきだと思っています(「高雅で感傷的なワルツ」の議論も同じ)。たとえば、バルトークという人物を全然知らない人が、おまかせ表示であったり、リダイレクト機能であったり、リンクで飛んできたりして、この項目を読んだ場合、おそらく、項目名が正式な名前だと覚えるでしょう。そして、もっと詳しいことが知りたいと思って図書館の検索システムとかwebで調べものをする場合を想定してみましょう。どちらが便利でしょうか。たとえばgoogleで検索した場合、「ベラ・バルトーク」が722件、「バルトーク・ベーラ」が2,950件。(googleでは「・」の前後が入れ替わっていてもヒットしますので、「ベーラ・バルトーク」でヒットしているものもあるのですが)この結果からであれば「バルトーク・ベーラ」にしておいた方が利用者の利便性を考えたときには有利ではないかと思います。で、記事の中で「ベラ・バルトーク」という呼び方についても説明するとよいと思います。--汲平 2005年5月27日 (金) 00:33 (UTC)[返信]

ハンガリーを主な活躍の場としている音楽家で思いついたなかでは、ゾルターン・コチシュ(ピアニスト・指揮者)、ミクローシュ・ペレーニ(チェリスト)が「名姓」、ルカーチ・エルヴィン(指揮者)が「姓名」で、やはり統一はとれていません。どちらかというと「名姓」が多数派であるように感じました。現役の場合、本人がどう表記されたいかという意向も要素としてあるかもしれません。汲平さんのgoogle検索は、ベラとベーラの比較にはなっても、姓名と名姓の順序の比較にはあまりなっていないような気もします。もし考え違いでしたらお許しください。なお、この点では、名をベーラとすることについては説得力はあると感じました。私としては、以上から次のように考えます。
マジャール人名の表記について統一はできないが、バルトークについては「姓名」とするということであれば、それに足る根拠、つまり当初にAphaiaさんがご指摘の、専門書で姓名が増えているという事実や教科書、公的機関などがどうしているかを具体的にお示しいただければ、「条件付き」は取り下げます。また、「他言語版を参考にする場合マジャール語以外の言語の傾向をというのは意味がない」にはちょっと違和感があります。多言語でどういう大方針を採っているのかを見ることに意味がないとは思えません。百科事典の項目名としては、出身地の表記がどうなっているかより、世界的に(あるいは日本語で)どう表記され、知られているかの方がよほど意味があると思います。--みっち 2005年5月30日 (月) 01:30 (UTC)[返信]

ここまでの議論を拝見し、「ベラ・バルトーク」と「バルトーク・ベーラ」の二択になっていると思ったので、でしたらば後者をという意味でした。みっちさんのおっしゃるとおり、というか私の元発言でも言及しているとおり、googleの検索では「・」の前後を識別しませんので「ベーラ・バルトーク」「バルトーク・ベーラ」両方ヒットしています。この両者では、使用者の便宜性には差違がないと思われますので、正直どちらでも良いとは思います。ただやはりやや「バルトーク・ベーラ」よりと考えるのは、以下の理由によります。バルトーク自身は亡命後もアメリカでの生活になじめず望郷の念に駆られていたという点を考慮すれば、彼のアイデンティティはやはりハンガリーにあったと推測すべきではないかと思います。であればハンガリーで彼がなじんできたマジャール語の語順にした方が本人の意識に近いのではないかなと思うからです。ただし、これは私がそう思っているだけで何の根拠もないことです。したがって、どちらでもよいけれど、やや「バルトーク・ベーラ」よりという曖昧な結論に達したのでした。いずれにしても、本文中でどちらが姓でどちらが名かということは明記すべきではあると思います。--汲平 2005年5月30日 (月) 04:51 (UTC)[返信]

ほかの言語版での傾向に関してですが、Aphaiaさんのおっしゃるように各言語、文化圏特有の事情がそれぞれにありますので、一般的に用いられているかどうかの判断は日本語文化圏内での頻度のみで考えたほうが"日本語版"の趣旨にそぐうものと思われます。--yhr 2005年5月30日 (月) 11:42 (UTC)[返信]
「意味がない」といわれたのに反発を感じて少し断定的に書きすぎたかもしれません。へそまがりなもので。あらためて他言語の状況を見ましたが、18言語中、エスペラント語、マジャール語、ロシア語 (?)が姓名で表記しており、他の15言語では名姓でした。この点に固執するつもりはありません。--みっち 2005年5月31日 (火) 03:20 (UTC)[返信]

百科事典の表記はもっとも保守的であるべきです。たとえ表記が変化しつつあっても、その流れに率先して対応すべきではありません。ウィキペディアは新しい考えの主張の場ではないのです。現在のマッカなどは最も馬鹿げた例といえるでしょう。現在の表記で何の問題もありませんので、無理に変更する必要性を感じません。--Ligar 2005年5月31日 (火) 17:46 (UTC)[返信]

Ligarさんのご指摘はもっともだと思います。しかし、ご指摘のマッカがバカげているのは、流れに率先して乗っているからではなく、ユーザーの利便性を考えていないと言う点においてだと思うのです。私は姓名の順はどうでもいいと思っているのですが、前述のgoogle検索の結果からすると、名については「ベーラ」にすべきであろうと思います。百科事典の表記はユーザーの利便性を優先させるべきだと思います。 --汲平 2005年5月31日 (火) 23:33 (UTC)[返信]
正直なところ、この議論でLigarさんがいなかったら、私は“孤立少数意見”扱いをされるのではないか、と感じておりました。「ウィキペディアは新しい考えの主張の場ではない」(もっとさかのぼって)「誰であろうと、日本語で最も普及している表記を選ぶべき」この点に全面的に同意します。「バルトーク・ベーラ」の表記なんて、このウィキのノートページに来るまで全く知らなかった私だし…。-Hhst 2005年6月10日 (金) 10:13 (UTC)[返信]

Aphaiaさんの勝手な移動について

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2005-09-02に当記事は「ベラ・バルトーク」⇒「バルトーク・ベーラ」へ改名移動されました(特別:差分/2863608)。前節《#記事名の姓名表記順の変更提案》参照。--Yumoriy会話

まだ項目名について論議されている中で勝手に移動していますので、議論無視と判断してよろしいでしょうか。--Ligar 2005年9月2日 (金) 01:33 (UTC)[返信]

勝手ではないでしょう。議論は数ヶ月のスパンで動いておらず、大勢は移動をよしとしていました。Ligarさんが反対されているのは知っていますが、その意見を支持する方も非常に少数でした。全員が納得するまで移動するべきではないというのは少数者の横暴でしょう。--Aphaia 2005年9月2日 (金) 01:37 (UTC)[返信]
私としてはバルトークの表記は旧来表記から変更すべき理由は弱いと思うのですが。数ヶ月議論が動かなかったのも私たちの反対意見に有力な反対意見をもつ人がいなかったからだと私は思います。少数意見は無視すべきかコメント依頼をしたいと思います。--Ligar 2005年9月2日 (金) 01:47 (UTC)[返信]
Ligarさんの意見は、移動が妥当とする意見(民族性の尊重や邦訳書などとの一貫性)に反論しておらず、たんに黙殺しているだけとみえました。ご自分は他者の意見に対して反論せず、たんに「弱いと思う」と繰り返される方に対して「議論」は不可能です。--Aphaia 2005年9月2日 (金) 03:34 (UTC)[返信]

あのですね、横から突っ込んで失礼しますが、今回の移動の妥当性は別として、バルトーク・ベーラのほうが一般的ではないですか? --たらこ 2005年9月2日 (金) 03:47 (UTC)[返信]

どうでしょう? みっちさんの「Aphaiaさんがご指摘の、専門書で姓名が増えているという事実や教科書、公的機関などがどうしているかを具体的にお示しいただければ」という問いに答えていないのはどちらのほうでしょうか。旧来の表記を守るのは百科事典として当たり前という私の意見は無視されるわけですね。自分と異なる意見を尊重できない方に対しても議論は不可能だと思います。邦訳書をAmazonで検索しても表記はわれていますし一貫性もなにもないでしょう。民族性の尊重というのも汎用的な原則にはなりにくいもので賛成しかねます。つまり、この項目を「バルトーク・ベーラ」と移動できるのはマジャール人名についてのガイドラインができてからだと思います。その上での移動でしたら何の文句もありませんが、議論を提案しておきながら、勝手に結論を決め、なんの告知もせずに名称を変更する行為を日本語でなんといったらいいのか、たぶんお分かりだと思います。--Ligar 2005年9月2日 (金) 09:22 (UTC)[返信]

移動を知って驚いています。Ligarさんのご指摘のとおり、私のコメントにお答え下さるよう求めます。これはAphaiaさんご自身が指摘しておられることです。それもなしに、「少数者の横暴」とは聞いて呆れます。撤回してください。--みっち 2005年9月5日 (月) 07:25 (UTC)[返信]

1つだけ。みっちさんは「具体的にお示しいただければ条件付きを取り下げる」というスタンスでいらっしゃいましたよね。逆に言えば、「条件付きを取り下げる必要が無ければ、具体的に示す必要も無い」と取ることも可能です。 ゆえに、「問い」ではなく、ただの「条件」と取られて、結果無視されたとしても仕方が無いかと。 Ligerさんの上記の「問いに答えていないのはどちらのほうでしょうか。」というくだりは、上記の理由よりさほど説得力を持つものではないと思います。横から失礼しました。--Yaky(/) 2005年9月5日 (月) 08:38 (UTC)[返信]
Yakyさんがおっしゃるとおり、私は「条件付き賛成」を表明しています。どちらかといえば、記事名をバルトーク・ベーラとする方がいいかもしれないと思っているからです。しかし、移動に反対の方がおられる以上、その方の理解を得るべく努めるのが筋道だと思います。少なくともウィキペディアにおいて、このことは軽視されるべきではありません。この点、3ヶ月前でも現時点でも移動のコンセンサスはとれていないし、その努力もなされていないと思います。また、私の「条件」は、移動に反対しておられる方も、これなら納得できると思えるようなことはないかと考えて提案したものです。Yakyさんは、Aphaiaさんが私の示した「条件」を無視したことはお認めのようですが、だとしても、それは無視されて当然の、取るに足らない「条件」だったといわれるのでしょうか。「問い」ではなく「条件」だから仕方がないというのも、よくわかりません。同様に、LigarさんやHhstさんのご意見も無視されて当然だとお考えでしょうか。また、Ligarさんも私も記事の移動をしてはいませんが、Aphaiaさんのいう「横暴」とは、だれに向けられるべき言葉なのでしょうか。--みっち 2005年9月6日 (火) 01:45 (UTC)[返信]
そうですね、反対の方の理解を得るように努めるのは筋道です。また、理解を得る方法としての「根拠の提示」は非常に有効な手段です。しかしながら、当時の書き方では、そういった意図があったことをAphaiaさんに明確に伝達できていなかったのではないでしょうか? みっちさんがそれだけの明確なスタンスを持ちながら、なぜ「条件付き賛成」という不明瞭な立場を取ってしまわれたのか、それが残念でなりません。「Ligarさんのご指摘のとおり、私のコメントにお答え下さるよう求めます。」と仰られるほどに返答を求めていたのであれば、「条件」といった曖昧なものではなく、「問い」として投げかけた方が確実なのではなかったのか、と思うのです。これが、「問いではなく条件だから仕方ない」という文意の理由です。ご理解頂けましたでしょうか?
であるが故に、Ligerさんを中心とする意見が無視されることは「同様」ではありません。これは、議論を続けて同意を得るべきことです。なお、「横暴」が誰に向けられるべきか、は、個人的意見となりますのでコメントを差し控えさせて頂きます。みっちさんと私の個人的な会話として、でしたらお答えできますので、お望みでしたら会話ページへお願いします。
皮肉にも記事移動によって議論が再発できたのですから、今後改めて議論を継続していただければ、と思います。移動はなされてしまっていますので(そして、また元に戻すのは編集合戦に通じるところがありますので)、今後は「旧表記に戻すか否か」という議論になるでしょうか。 なんにせよ、双方の主張や提示すべき部分に変わりはないと思いますが、いかがでしょうか。--Yaky(/) 2005年9月6日 (火) 02:54 (UTC)[返信]
「条件付き賛成」が不明瞭な立場であるということと、「条件」が曖昧で「問い」の方が確実というご意見は、私には理解できません。問いより条件の方が明瞭かつ確実な概念であると考えます。また、私の意図をよく理解させなかったということに対しても異論がありますが、もはや本筋ではないと思うので述べません。他のご意見については、Yakyさんなりのお考えは理解できますし、私のコメントの意図もこれで理解いただけたと思いますので、私の立場に関するご意見については終わりにしていただければ、と思います。--みっち 2005年9月6日 (火) 03:28 (UTC)[返信]

確かに議論は数ヶ月何の発言もありませんでしたが、収束していたわけではありません。議論がとぎれているのであれば、再度発言を促し、議論を熟成させるべきであったろうかと思います。まぁ、今回の移動がそのきっかけになったと思って、議論を熟成させてゆけばよいかと思います。移動の是非については、どちらでも可と思っておりますが、手順は踏むべきであろうかと思います。--汲平 2005年9月5日 (月) 08:08 (UTC)[返信]

議論が途切れているようですね。お互いに相手と連絡を取り合っている風でもありませんし、双方とも現状で満足、という事なのでしょうか。--Yaky(/) 2005年9月13日 (火) 08:07 (UTC)[返信]

バルトーク(ハンガリー人)の姓名順について

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今更のような気もしますが、当時参加できなかったので、私としての意見を置いておきます。私は現表記(バルトーク・ベーラ)を支持します。

私の知る限りでは、ハンガリー語以外の外国語の資料では名姓順になっています。ですが、これは世界的に用いられていると言うよりは、その言語の習慣に従って記述されていると言うほうが適切だと思います。日本人の名前にしても、海外では名姓順で表記される事が多いですし、日本人にしても、外国では名姓順で名乗ることが今現在では多いですから。(まあ、実にややこしいことにハンガリー人もそうなんですが) 音楽関連の書籍について、ハンガリー語以外の他言語からの翻訳書では名姓の順になっているものしか私は見たことがありません。もっとも、翻訳者がハンガリー人名の姓名順について知っていたのかどうかは疑問です。知らなければ、原書どおりに名姓順に、そして英語風の読みで表記したとしても不思議はありません。 いくつかのハンガリー関連の音楽書籍においては、ハンガリー人は姓名順で表記されているようです。『バルトーク―民謡を「発見」した辺境の作曲家』や『音のシンメトリー』など。また、日本で発行されているハンガリーの観光ガイドにおいても、ハンガリー人の姓名順での表記が見られます。外務省のサイトでも姓名順で表記されています。

専門性と、正式な表記を評価するならば、記事名は姓名順の方がよいでしょう。利用者の利便については、リダイレクトや検索で辿り着けるので問題はないと思います。 ハンガリー人の人名についてのガイドラインもあればよいと思うのですが…なかなか興味のある人がいないようで、難しいみたいですね。--szatoru 2006年4月2日 (日) 00:19 (UTC)[返信]

記事名の姓名表記順について

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基本的に人名はその出身地の言語慣習に即すべきだと思う

「即すべき」というのは理想、主張であって、Wikipedeiaはそういった理想を実現するための宣伝機関ではないはずですが? (私自身がその理想に反対というわけではありません。)
専門書で出身国本来の表記が増えているからといって、実際にバルトーク・ベラと呼ばれる機会が増えているようには思えません。その専門書とやらはどれぐらい売れて、実際に影響力があったのでしょう?
日本でバルトーク・ベラという表記が一般的であるという状況になってないのに、こういう表記を採用するのは時期尚早でしょう。現実にはベラ・バルトークが一般的なのに、自分たちの理想と違うから否定されるのはいかがなものでしょう?
表記の変更はバルトーク・ベラが普及してからにしてください。
どう表記するのが正しいか?ではなく、現実にどう表記するのが一般的なのか?がWikipedeiaでは尊重されるべき姿勢でしょう。--210.130.50.175 2011年11月3日 (木) 10:32 (UTC)[返信]