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ノート:ドーハの悲劇

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[1]の情報源は、[2]ですか?kaz 2005年12月4日 (日) 01:36 (UTC)[返信]

根拠以前に、「ドーハの悲劇」と直接関係の無いこのような文言が入れられていることに、非常に違和感を覚えます。218.217.192.145 2005年12月9日 (金) 02:41 (UTC)[返信]
では、ソースが不明ということに対し、返答がないことと、この項目との関係がないということから、削除しましょう。kaz 2006年3月18日 (土) 16:36 (UTC)[返信]
復活していましたのでとりあえずコメントアウトしました。この内容だと、本項目よりも1994 FIFAワールドカップサッカーイラク代表で記述すべきだと思いますが、どうしても本項目での記述が必要だと思われる方はその理由を下記に述べてください。--Yen80(Talk)(Rec) 2006年12月7日 (木) 04:16 (UTC)[返信]
コメント3年以上経過していますが、「日本対イラク戦」とその影響を取り上げるページなのではないのですか?--Joex 2010年3月21日 (日) 23:31 (UTC)[返信]

Jリーグ関係記事を関連項目とすることの是非

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表の使い方

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おかしいところを直しています。以前の版への「単純差し戻し」は著作権侵害に当たる場合を除いて絶対に行わないでください。--Goki 2009年4月28日 (火) 14:24 (UTC)[返信]

(補足)全角空白を使用してスペースの調整なども行わないでください。(どうしても行いたいならスタイルシートや表を使うこと。)--Goki 2009年4月28日 (火) 14:25 (UTC)[返信]

文書の中立性に対して

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私は韓国語wikipedia使用者です。

今、韓国語と英語のwikiの同じ文書では中立性に対する議論をしています。(NPOVが主題)

日本語wikiも議論をする方が良いと思いますが。。。Sinuikiru 2010年1月14日 (木) 09:12 (UTC)[返信]

改名

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他言語版でも議論されていますが「ドーハの悲劇」という記事名は日本代表を応援する人から見た視点でありWP:POVに反していると思います。Sinuikiruさんがおっしゃるよう日本国外の方では「悲劇」でもなんでもない話です。

韓国では「奇跡」と呼ばれているようなので改名案として「ドーハの悲劇・奇跡」を提案します。--AiriBON 2010年3月19日 (金) 03:16 (UTC)[返信]

反対 WP:POV に反しているという点には同意しますが、その記事名は +1 を -1 して無理やり 0 にしたような滑稽さを感じます。英語版の議論にもありましたが「FIFAワールドカップ予選 日本対イラク戦(1993年 ドーハ)」のような形にして、記事名で用語として触れるのが妥当に思えます。しかし長いですね。手短な言い回しがあるといいですけど。-- Dahlia White 2010年3月19日 (金) 06:20 (UTC)[返信]
「記事名で用語として触れる」は「記事内で用語として触れる」の誤りです。失礼しました。-- Dahlia White 2010年3月19日 (金) 06:23 (UTC)[返信]
反対 日本語としては十数年かかって既に定着した言葉だと主観的に思う。
詳しく述べますと、韓国代表にとって喜ばしい出来事「奇跡」だったのは理解できます。で、韓国語版の奇跡というのも韓国語ユーザーにとっての(注・韓国人にとってでない)POVであり、日本語ユーザーにとっての(注・日本人にとってでない)「悲劇」もPOVだということも理解できますし、そう思います。で、「悲劇」という表現は不正確で日本語ユーザー(注・日本人ユーザーでない)の主観でしかない、ただし十何年か経って「ドーハの悲劇」はひとつの日本語となっている(「Category:サッカーの試合」を参照)。つまり日本語として書かれる時に、ひとつの単語として「ドーハの悲劇」は定着しているのであって、「悲劇・奇跡」と追加するのは不自然に思います。そして、コメントアウトから外したのですが、イラク選手にとっても「悲劇(投獄)」かもしれない。主観/客観論はキリがなく、ジョホールバルの歓喜はどうなる?とか挙げられます。むしろ、POVが気になるのなら「両論併記」と言いますか、ページ本体にいろんな側面を書くのが妥当ではないでしょうか。--Joex 2010年3月19日 (金) 06:59 (UTC) (修正しました--Joex 2010年3月19日 (金) 07:02 (UTC)[返信]
反対 まさかとは思いますが、このような提案が通ってしまってはいけないので。私は本項を『日本で定着している造語についての記事』と認識しております。国際的に呼び名が統一されているのであるならともかく(例えばTUNAMIとかね)、そこでタイトルについてJPOVを声高々に主張するのはナンセンスの極みであると思います。少なくとも呆れるほど乱立している「●●の悲劇シリーズ」とこれでは明らかに性質が違います。これでは、何のために多くの参考文献が出典として明記されているのかが分かりません。…逆に他の定着しているとは言いがたい悲劇歓喜シリーズの記事であるならば、削除依頼の場で賛成票を投じるのもやぶさかではないですが。--CHELSEA ROSE 2010年3月28日 (日) 03:54 (UTC)[返信]
コメント Dahlia Whiteさんの意見を支持します。Wikipedia:日本中心にならないようにがあります。記事名は試合名にしたほうがいいかもしれません。サッカーの試合の記事名の命名規則はどこかに無いのかな。--Widehawk 2010年3月30日 (火) 15:09 (UTC)[返信]
Wikipedia:ウィキプロジェクト サッカーを見てみましたが、個々の試合記事の命名規則は無いような感じです。で、記事名を考えてみました。Dahlia Whiteさんのものを参考にさせていただきましたが、「1994_FIFAワールドカップアジア最終予選_日本対イラク戦」(「_」は半角スペースに同じ)はどうでしょうか? これによって指し示される試合が2つ以上あればご教示ください。--Widehawk 2010年3月31日 (水) 05:03 (UTC)[返信]
賛成 Widehawkさんの記事名で良いと思います。--AiriBON 2010年4月1日 (木) 15:29 (UTC)[返信]
(反対)私自身、サッカーに興味がまったくなく、思い入れ等がない者としてコメントします。いかなる改名にも反対します。この言葉が生み出された背景を見ますと日本の視点であることは疑いのないものでありますが、参考文献がいくつか挙げられているように言葉の使われ方や浸透などを考えるとすでに一定の語として定着しているものと言えます。日本語ではあるものの和製英語に近い性格の語と言え、日本以外ではほぼ通用しない語と解釈すべきものでしょう。そのため、ごくわずかな視点を以ってJPOVと扱うのはおかしく、馬鹿げた話であると考えます。--Lapislazuli-star 2010年4月8日 (木) 02:46 (UTC)[返信]
同感です。冷静に考えれば、これがただのW杯予選の1つの試合であれば、はっきり言って単独記事にする必要すらないはずです(仮にW杯の決勝であれ、それは同じことでしょう)。世間一般で「ドーハの悲劇」と呼ばれているからこそ、そこに初めて特筆性が産まれるわけで。無論、それがコアなサッカーファンだけでであるなら問題でしょうが、スポーツニュースや談話などで未だにその名称が語り継がれていますからね。他のスポーツで例えれば、プロ野球の10.19江夏の21球なども、そう呼ばれることがなければ、今日に至るまでの扱いは大きく違っていたことでしょう。それ言ったら江夏の21球なんて、モロに広島側・投手側からの視点てことになってしまいますしね…。「バンビーノの呪い」もかな?ケチをつけ始めるとキリがないと思う。また、この場で別のWikipedia独自の名称で記事を作るということは、Wikipediaがその発信源となりうるわけで、百科事典は情報発信の場ではないという原則から外れる気もします。--CHELSEA ROSE 2010年4月10日 (土) 20:32 (UTC)[返信]
反対 日本語「ドーハの悲劇」は韓国語では「도하의 기적」(ドーハの奇跡)、それでいいじゃないですか。何も直訳して日本語、韓国語それぞれで一般的にほとんど使用されていない不正確な造語が生じる事の方を危惧します。北方領土についても然りと考えます。--As6022014 2010年4月14日 (水) 23:27 (UTC)[返信]

新たな改名案

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評判が悪いのでWidehawkさんの「1994_FIFAワールドカップアジア最終予選_日本対イラク戦」に変更しておきます。これでも賛同がなければ改名提案を取り消します。--AiriBON 2010年4月15日 (木) 07:50 (UTC)[返信]

  • (反対)改名はすべてにおいて反対。理由はすでに示した通り。改名そのものが失笑レベル。--Lapislazuli-star 2010年4月15日 (木) 07:55 (UTC)[返信]
  • 反対 Lapislazuli-starさんに同意。日本語として定着してる名称を、わざわざ存在しない呼び名を作り出してまで改名するなんぞ、馬鹿げた話。--Dr.Jimmy 2010年4月17日 (土) 02:05 (UTC)[返信]
  • コメントAがダメならBにしてみれば賛同者が出るかも?という話ではありません。私が申し上げたことをご理解してらっしゃらないようで、もの悲しいです。日本語として定着してる名称だから単独記事として存在が許容されるのであって、日本対イラク戦であるならばそれこそワールドカップ予選の一節で十分でしょう。どうもWikipedia:日本中心にならないようにの内容を勘違いしてらっしゃるように思われます。WP:NCなど色々と考えていただきたいことはありますが、既に上で触れられているノート:北方領土問題#改名の提案で散々指摘されていることであり、そちらを再度ご覧になられるとよろしいかと。勿論、記述内容においては、JPOVに注意を払うことは当然であると考えます。--CHELSEA ROSE 2010年4月18日 (日) 16:50 (UTC)[返信]

終了提案

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最初に提案されてから1か月以上、新たな改名案が提示されてから1週間以上経過していますが、依頼者以外に改名に賛成する方はおらず、しかも反対の方は、どのような名前への改名にも反対、という方が多いようです。議論も出尽くした感がありますので、終了を提案したいと思います。--Dr.Jimmy 2010年4月24日 (土) 01:16 (UTC)[返信]

(終了に賛成)ほぼ意見動向は出たように思われます。如何なる改名にも反対で、記事本文の内容においてJPOVとならないよう注意を払うということでよろしいかと思います。--As6022014 2010年4月27日 (火) 08:02 (UTC)[返信]
(終了に賛成)記事本文での注意は必須ですね。なお、提案者の利用者:AiriBON会話 / 投稿記録 / 記録さんにもなんらかのコメントをと、声をかけておきました。--Lapislazuli-star 2010年4月27日 (火) 11:39 (UTC)[返信]
終了提案から10日が経ちましたが、賛成票のみで、提案者も含めて終了に反対する意見がありませんでしたので、本件は、いかなる改名も行わないということで、終了いたします。--Dr.Jimmy 2010年5月4日 (火) 16:08 (UTC)[返信]

座標情報を追加しました

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座標情報を追加しました。問題のゴールが北側、南側、どちら側のゴールでのイベントが分かる方が居られましたら、座標の微調整をしていただけると有り難いです。現在はグラウンドのほぼ中心となっております[3]。--Was a bee 2010年7月21日 (水) 15:01 (UTC) URL修正--Was a bee 2011年4月12日 (火) 11:33 (UTC)[返信]

記事の主従について

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改名案の結果について意義はありませんが、「ドーハの悲劇」という名前で記事を立てるなら、「悲劇」と呼ばれるに至った経緯や、その用語の訴求の仕方や用いられ方、「ドーハの悲劇」という用語への評価などが主であり、その発端である「1994_FIFAワールドカップアジア最終予選_日本対イラク戦」の説明が従となっていなければならないと思います。 冒頭に「ドーハの悲劇」についての概要があるとはいえ、主として単に「1994_FIFAワールドカップアジア最終予選_日本対イラク戦」自体の説明をする為の記事の名前が「ドーハの悲劇」ではやはりPOVとしての観が強くなるのではないでしょうか?

また、「ドーハの悲劇」という用語を「評価」するためには、韓国での呼称やノート冒頭でも触れられているイラク側の背景などについても説明される意義があると思います。--Bermithruxe 2012年1月25日 (水) 03:14 (UTC)[返信]

過去の議論になりますけど、「ドーハの悲劇」「ドーハの奇跡」それぞれのページを設ければ済む話かと思います。
そもそも、例えば「窮鼠、猫を噛む」でネズミの立場のことわざだけなのは一方的でおかしい、噛まれた猫の立場でのことわざも作らないと公平かつ中立的じゃない!……というのは、主観的・客観的というのとは異なる話であり、あまりに乱暴な考え方だと思われます。いかにも韓国人的なものの考え方ですね……。おっと失礼。--180.54.96.202 2022年12月2日 (金) 13:39 (UTC)[返信]

オフト監督とラモスの関係

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本文から最終予選中にハンス・オフト監督とラモス瑠偉の間に対立があったというニュアンスの記述を削除しました。以前、要出典タグを貼っておいたのですが、出典が示されないままタグも消されていたので、今回は削除しました。

チーム発足期にラモスがオフトのやり方に反発しマスコミ上でも批判していたこと、柱谷哲二主将がラモスの仲裁に苦労したことなどは報道で知られています(一志治夫著『狂気の左サイドバック』ほか)。ですが、日本代表の結果が出ることでラモスもオフトを認め、最終予選ではみんなが「オフトをW杯に連れて行こう」という気持ちだったとのことです。

参考:「ラモス瑠偉「あのドーハのメンバーを忘れてほしくない」」(web Sportiva 2013年10月28日付)

ふたりが最後まで対立していたという事実があるのであれば、出典付きで記載してください。--Nickeldime会話2016年2月2日 (火) 21:05 (UTC)[返信]