ノート:北方領土問題
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北方領土の範囲について
[編集] 報告この章はもともと章立てされていなかったものを、蚯蚓(会話)がこちらの議論およびWP:TALKNEWに基づき章立てしなおしたものです。--蚯蚓(会話) 2018年2月17日 (土) 03:41 (UTC)
千島列島全部と樺太の南半分は日本の領土と主張可能なわけで、
自民党時代に「4島」という表現がされたからといって、北方領土問題が「4島」に
限られるわけではない。「4島返還」と主張したところで、交渉事は半分で決着
しようとなされるわけで、実際ロシアは小さい島の2島だけで決着させようという魂胆。某、青山氏が某テレビで繰り返し述べてるように、日本は
千島列島全部と樺太の南半分を北方領土問題として世界とロシアに提起すべき。
そして、このWikipediaのページも4島を限定するのは間違ってる。
--nos.(会話) 2012年8月22日 (水) 09:37 (UTC)
- 千島が日本領になったのは樺太千島交換条約であり、南樺太が譲渡されたのはポーツマス条約から。北方四島は歴史的な固有領土であり、それを裏付ける様にサンフランシスコ条約では千島と樺太は放棄させても四島の帰属は未定としていた(ロシアが実効支配してため)。これを根拠に日本政府は北方四島の返還を主張しているのであって、ならば北方領土が四島に限定した呼称であるのは当然の事。四島以北全てを返還対象とする主張は情緒的。--以上の署名のないコメントは、128.28.227.136(会話)さんが 2018年2月13日 (水) 20:15 (UTC) に投稿したものです(蚯蚓(会話)による付記)。
- Wikipediaのノートは公開討論の場ではありません。WP:NOTFORUMもご覧ください。(もっとも、この記事の冒頭で「北方領土問題=4島」という定義づけが行われていることに関する問題提起ととらえることもできるかもしれませんが、そうであればこのノートの末尾で行ってください。その際、見出しをつけることが必要です。WP:TALKもご覧ください)--蚯蚓(会話) 2018年2月15日 (木) 02:21 (UTC)
「ダレスの恫喝」記事作成について
[編集]適切なページが思い当たらないためこちらに書かせていただきます。 1956年8月にダレス長官が重光外相に4島返還要求を迫ったいわゆる「ダレスの恫喝」について、別個に記事を書こうと考えております(範囲としては、このページの「日ソ平和条約交渉と日ソ共同宣言」の項と一致するかと思います)。このページへの加筆でもよいのですが、一つのできごとについて割く分量としては多くなりすぎるかと思います。参考文献としては主に
- 松本俊一・佐藤優『日ソ外交回復秘録』朝日新聞出版、2012年
- 松本俊一『モスクワにかける虹』が手元にないため。
- 五百旗頭真・下斗米伸夫・A.V.トルクノフ・D.V.ストレリツォフ『日ロ関係史』東京大学出版会、2015年
- 河野康子『沖縄返還をめぐる政治と外交』東京大学出版会、1994年
- 久保田正明『クレムリンへの使節』文藝春秋、1983年
- 樋渡由美『戦後政治と日米関係』東京大学出版会、1990年
- 下斗米伸夫『日ロ関係 歴史と現代』法政大学現代法研究所、2015年
- 北岡伸一『自民党 政権党の38年』中公文庫、2008年
を予定しています。ご意見あればお願いいたします。--蚯蚓(会話) 2018年1月26日 (金) 12:38 (UTC)