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ノート:ゼーロン/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

「あらすじ」節について

日本語版にはen:Template:Plotに対応するテンプレートがないみたいなので、とりあえず、{{内容過剰}}を貼りました。あらすじは物語を要約したものであって、抄録ではありません。身体所作の細かい描写、比喩表現などは、ばっさり削ってもよいのではないでしょうか。また、Wikipedia:あらすじの書き方に反して、感嘆符や完了形が多いです。あらすじに「文体の特徴」を反映させる必要はないと思います。--123.224.107.136 2014年7月1日 (火) 14:45 (UTC)

Wikipedia:コメント依頼/みしまるもも 20140528の議論をふまえて編集されたのだと思いますが、上記の判断に賛成します。映画・漫画などの分野でも過剰なあらすじには{{内容過剰}}が使われています。
登場人物節も過剰だと思います。2、30頁の純文学の短編を解説するのに、登場人物の特徴をこまごまと書いた節などは必要ありません。登場人物の記述に関するガイドラインに明らかに反していますので、この部分にも後ほど私から{{内容過剰}}を貼付しておこうと思います。あらすじでは同執筆者の二流の人 (小説)なども同様の過剰さがあります(私も2回ほど読んでますが、100ページの中編でプロットも単線的、こんなに膨大な文章が必要な作品ではありません)。これもあらすじに対して後ほど同様の対処を行うつもりです。--新続頭痛会話2014年7月1日 (火) 19:39 (UTC)

ご意見を参考にし、ブラッシュアップしたいと思います。--みしまるもも会話2014年7月2日 (水) 02:39 (UTC)

ご意見を参考にし、昨日ブラッシュアップいたしました。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 00:59 (UTC)


(Gyulfoxさんへ) あらすじをさらに短くまとめていただいたのは、いいのですが、意味がまるで違うようになってしまいましたので、後で再び直させていただきます。主人公は盗賊団の一味ではありません。その他でも、元の話とだいぶ違うことになってしまったので、あとで手直しさせていただきます。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 03:49 (UTC)

もっとゼーロンとのやり取りに焦点を当てればよかったのかもしれませんが、筋としてはこんなものでしょう。ちなみに原作には「地主の家で買収した経川の「雞」を、私は森の拳銃使いの手先きとなって盗み出したことがある」の一文があり、仮に一時期にせよ一味だったことには間違いはないですよ。--Gyulfox会話2014年7月3日 (木) 04:22 (UTC)

一時的に手下になったことは確かですが、「一味」というと、その団員みたいになるので、ぱっと読んだ時に、やはりそこは誤解を生んでいました。あと藤屋も先輩であって、恩師ではなく、ゼーロンも「性格が捻じ曲がった」というより、怠惰な驢馬になったということなので、少しずつニュアンスが違っていましたので、ご理解お願いします。あと、最後に主人公が四人踊りの幻想を見るところは、この作品の一番重要なところで、そこをなくしてしまうと、あらすじが成立しなくなるので、一旦戻させていただきました。直す時は、Gyulfoxさんの要約も参考にいたしますので、ご了承願います。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 04:47 (UTC)

恩師ではなく先輩なのはわかりました。 ただ盗賊の手下になっても一味じゃないという論理は、みしまるももさんの主観であって(詭弁のように感じます)それから文学表現上重要な部分と、あらすじとして捨てられないのは別ですので、このシーンを含めるのは良いけれども、外国人が読んで理解できる程度に簡潔にするを心がけてください。あとはみしまるももさんの手腕にお任せしますが、いつまでもグズグズするようならむしろ戻して、修正する方を選んでください。--Gyulfox会話2014年7月3日 (木) 05:14 (UTC)

最後の部分はあらすじとしても捨てられない部分です。そこの部分は他の解説内の要約でも、省かれていないところですので、ご理解ください。Gyulfoxさんのおかげで、よりブラッシュアップでき、とても参考となりました。ありがとうございました。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 06:16 (UTC)

過去の版を見ていましたが、あらすじとしてはGyulfoxさんが編集された版[1]のほうが全然良いです。余計な叙述や修辞がなく、「筋」がよくわかるように書かれています。不足があるならこれをベースに必要な説明を付け加えたほうが改善されると思います。人物設定や背景などの説明も加えれば登場人物などの節を作る必要もなくなるでしょう。--新続頭痛会話2014年7月3日 (木) 09:26 (UTC)

細かい点以外にも、(「負ったまま行方をくらます道を選んだ」)など、筋としても違いましたので、やはりその「筋」は修正しなければなりませんでした。そして私は、Gyulfoxさんの縮小方法を大切にしながら、大事な最後の四人踊りや結末ところも押さえるようなあらすじにしています。あらすじ>キャラ ですから、人物設定や背景を入れるのはいいですよ。そうなると、現在、登場人物のところに書いてあることも入れ込むことになります。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 10:38 (UTC)

(Gyulfoxさんへ) どんどんと言葉を削るのはいいですが、例えば、「怖ろしい因果の稲妻」を、ただの「稲妻」にしてしまうと全然違いますので、そういう細かいところも気をつけてください。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 10:45 (UTC)

みしまるももさんへ 作業ご苦労さまでした。 縮小が目的ではなく、あらすじはあらすじであれば良く、けして作品のダイジェスト版ではないことに留意するようにするとうまくいきます。 WPでは作品のダイジェスト化は望まれておらず、下手すると著作権侵害に近づいてくるのでその点ご注意ください。--Gyulfox会話2014年7月3日 (木) 12:07 (UTC) 

Gyulfoxさん、共同作業どうもありがとうございました。ついつい、元の風味や持ち味を盛り込んでしまいたくなってしまうので、これからそういう点を気をつけていきます。Gyulfoxさんの方法はとても参考になりました。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 12:23 (UTC)

下にも描きましたが、登場人物に関する議論を踏まえたあらすじを書いてみました[2]。「登場人物」に関わって行った編集ですのでこれについてのご意見は#「登場人物」節についてのほうにお願いします。

現状のあらすじ節ですが、大分サイズダウンが図られたものの、本編の表現をそのまま使ってしまっているために説明不足となっている単語が見られるように思います。「ストア派」というのは普通古代ギリシャの哲学に対して使われるもので現代作家に使うことは稀ですから、あらすじで急に出てくると面食らうと思います。「吟遊作家」も造語的な表現だと思いますので、こうした表現は適宜省いたり、「」で入れて作家の特徴的な語なのだということがある程度わかるようにするのがよいと思います。「同人」というのも、「諸君」という作中の呼びかけとセットになって使われているものですから、「同人であった」だけだと何やら不分明です。--新続頭痛会話2014年7月3日 (木) 18:45 (UTC)

現在のあらすじは,すじを全く理解できないつくりになっていると感じます。すじを説明するのに作風は不要です。仮に桃太郎の話を,三島由紀夫や村上春樹やその他のどんな作者が彼ら調の桃太郎を書いたところで,あらすじは,同じ文言で説明できるはずです。--Caserio会話2014年7月8日 (火) 03:02 (UTC)

  • コメント これを見て理解できないのは、私だけかと思っていましたがどうやら違ったようで安心しました。正直あまりかかわりたくない案件ですが、文学ド素人からの意見です。
    • 冒頭の3行目の「始末に負えぬ騎行」「ゼーロンが「ゼーロン」になり、」は、この本を読んだ事のない人間には理解できません(冒頭だけで完成した一つの文章にするのが望ましいってどこかに書いてあったような気が)。「ファンダジー夢幻の世界を創造」、これ誰かの意見ですよね。冒頭でなく、評価節にでも書くべきでは?
    • 作品舞台節。2段落目、これ誰かの意見ですよね。著作権的に大丈夫でしょうか?
    • 空想的な設定節と文体節、これ誰かの意見ですよね。以下同文。
    • あらすじ節。「同人」この時代の職業ですか?(ノートの次節見ないと理解できませんよ) 「借り出す」、「駆り出す」ではなく「借りた」のですね。あまり使わない表現ですね。「借りた馬と道中を共にした」とかじゃダメですか?「愛撫者」、意味はわかりますが、普通使わないと思います。可愛がっていた、じゃダメですか?「負い目のために」、どんな負い目ですか?借金に関係?像のモデルになった嫉妬?泥棒した事?それがわかるように書かないと閲覧者置いてけぼりです。「怖ろしい因果の稲妻に打たれ」、衝撃を受けて、じゃダメですか?「行く手はヤグラ嶽~」要は幻を見たんですね。で、難解なのがオチです。像がイヤになって沼に沈めようとしたら、「ゼーロンも私も魚になったようであった」つまり、水面に写る自分達が魚に見えた、で背中痛い。えっこれで終わりですか?
    • 登場人物節。わかりやすいですね。ただ、ここでも「同人」が出てきていますが。って登場人物節を読んでからあらすじ節を読んだ方が良いですね。順序反対の方が良いのでは?
    • 作品評価説は著作権侵害が懸念され除去されるかもなので、とばします。
    • 関連項目節。ダビデ、ペーガソス、ゴリアテが関連性不明です。
  • --JapaneseA会話2014年7月8日 (火) 14:02 (UTC)

 登場人物を先にすることに賛成します。--Gyulfox会話2014年7月8日 (火) 14:33 (UTC)

「登場人物」節について

執筆者からタグはがしがあったので差し戻しました。{{内容過剰}}は内容の整理を検討している記事に用います。自分は過剰ではないと思う、という判断で除去しないでください。過剰でないと思うのであればここで意見を述べ、合意を形成するべきです。
利用者:みしまるもも氏は以前にも関わった記事で独断によるテンプレート剥しがありコメント依頼で問題視されています(Wikipedia:コメント依頼/みしまるもも 20140302)。さらに繰り返されるようなら管理者伝言板に通告します。--新続頭痛会話2014年7月2日 (水) 17:39 (UTC)

ご意見を参考にし、昨日ブラッシュアップいたしました。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 00:05 (UTC)

万能細胞の件は、私以外の方からも「タグは無用」として剥されておりました。きちんとした冷静な査読をお願いいたします。

私がこの記事で「登場人物」節のタグを剥した理由は、あらすじと一緒にブラッシュアップした後、その後再び、短縮して整理いたしましたので、問題はクリアされたと思い剥させていただきました。ただやみくもに剥したわけではありません。

登場人物の節ですが、私が書いた登場人物は、ほぼ大筋にからんでくる人物です。地主や、牧場主の息子なども、主人公が道を迂回しなければならなかった理由に多いに関係しています。そしてその後、主人公は、牧場主の息子や地主、居酒屋の亭主の姿を道中で見かけて慌てるわけですから、これらの人物を主人公が恐れる理由として、登場人物の節にそのことを一筆書くことは、何ら過剰な性質のものではありません。

それと、個別の登場人物について、各々検討して、書く必要があるかないかを議論するなら、まだ話は分かりますが、「この節自体をなくせ」というのは、あまりに横暴だと思われます。登場人物の節を作ることは何ら方針上でも禁止されてはいません。適切な分量や記述にすれば、節を作ること自体は十分許容されていることです。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 00:05 (UTC)

ノートの見出し等一部戻しました。議論の時系列を無視して後からコメントや見出しをやりとりの間に割り込ませないでください。
「私以外の方」というのはこの方のことですか?
「方針やガイドラインで禁止されているか否か」などの話はしていませんし、意味もありません。ガイドラインの内容を踏まえた上で、作品の性質をかんがみこのような節を作って作品に登場する人物を羅列する必要性があるかどうかです。この記事の登場人物節にある情報は単なる細かな設定の網羅であり、この作品の性質や大要を理解するのに必要な情報ではありません。
大筋にからんでくる人物に関わるものであろうと、大筋に関わらない事物であるならただのトリビアです。--新続頭痛会話2014年7月3日 (木) 00:38 (UTC)

大筋に関わる事物ですので、トリビアではありません。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 00:59 (UTC)

登場人物の節があるのは別に結構ですけれど、全員分は必要ないですよ。新続頭痛さんの説は半分当たっています。 --Gyulfox会話2014年7月3日 (木) 04:28 (UTC)

いや、全員必要ないと思います。筋を説明するのに必要な部分、語り手との関連性などは「あらすじ」で述べるべきもので、一見必要そうに見えるのは「あらすじ」の時系列や因果関係・関連性が整理されていないためです。
丸木小屋のいくつもの具体的な名前とか、盗賊団長が「すぐ癇癪を起す神経質さだが、人畜に重傷を負わせるほど獰猛ではなく」云々、といった注釈は作品を理解するうえで別に必要ではないですね。必要でない部分・些細な人物を除けば「あらすじ」で容易に触れうる記述しか残りません。各ガイドラインにあるように物語作品内の要素を網羅しようとする必要はないし、そうすべきではないです。--新続頭痛会話2014年7月3日 (木) 09:08 (UTC)
コメント コメント依頼より来ました。ウィキプロジェクトに明確に定められたルールならば即断できるのですが、こんな感じでやっていきましょうという方針的な決まりごとですと、各記事の現場では皆様それぞれの解釈がありますから全員一致というのはなかなか難しいものです。
今回は、修正を要請するテンプレートを貼った後に、主執筆者による(主執筆者が考える)修正が行われテンプレートは剥がされました。従いまして、主執筆者側としては修正を完了したことになりますので、これ以上主執筆者に要求することは無理なことと思われます。このような場合には、テンプレートを貼る側が(主執筆者の編集に不満をもたれるのなら)対案を示すべく希望される内容に編集してみてはいかがでしょうか? いちおうマナーとして主執筆者に敬意を払って議論に入る前に元の版に差し戻しましょう。幸い記事の全体量も少ないので比較的苦にはならないと思います。
2つの版が並べてあれば、比較も容易ですし、第三者が意見も出し易くなります。意見が揃えば、お互い歩み寄りも期待できるのではないでしょうか? --Triglav会話2014年7月3日 (木) 11:30 (UTC)

Triglavさん、Gyulfoxさん、ご意見ありがとうございます。すでに私は2度ほど、過剰なところを減らしましたが、さらに居酒屋の主人は削除いたしますので、やはり、タグは剥させていただきます。剥した後も、あらすじに組み込むなどを考慮しながら、減らしていきます。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 11:46 (UTC)

待ってください。タグを剥がすのは待ちましょう。貼った本人に納得してもらって、本人によって剥がしてもらいましょう。まずはコメントを待ちましょう。--Triglav会話2014年7月3日 (木) 12:44 (UTC)

Triglavさん、タグを戻しておきました。--みしまるもも会話2014年7月3日 (木) 13:11 (UTC)

私もGyulfoxさんと同じく、主な登場人物はあっても良いと思います。ただ、現在のリストから些末な人物を除けば良いというわけでもないようにも思います。というのは、この記事の登場人物での説明文は、他の小説で見られる登場人物の説明と、明らかに趣が異なるように感じられるのです。

実は、同様の印象は「あらすじ」にもあって、本記事のあらすじは、むしろ「抜粋」と呼ぶべきもののように思います。私は「ゼーロン」の本編を読んでいませんが、あらすじを述べるに当たって、普通なら省略されていてしかるべき些末な描写が多くあるように感じられるので、これはほとんど作中の言葉を継ぎ接ぎして構成しているかのように見えるのです。人物の説明も同じ印象で、果たしてこれは適正なあらすじだったり登場人物説明だったりするのでしょうか。私はどうも腑に落ちない気がいたします。

頭痛さんとみしまるももさんの主張のどちらが合理であるか、私には判断しかねますが、本記事を読んだ感想が議論の足しにでもなれば幸いです。--Nazox会話2014年7月3日 (木) 14:56 (UTC)

Triglavさんの提案を受け、あらすじにまとめたものを書いてみました[3]。「龍巻村の村人たち」などは文字通り「モブ」ですし、牧場主や地主も語り手が目を避けなければならない人物として3行くらいずつ言及されているだけです(出火するのも地主の納屋ですが、同じ地主だとしても「雞」に関わる細かい説明は大筋の説明には必要ないと感じます)。藤屋、経川と言った人物も状況説明的に言及されている人物で、作中の劇進行において「登場」する人物というわけではありません(だから重要でないというようなことではもちろんありません。節を設けて個別に解説するような必然性が低いという話です)。現状の登場人物欄は作品の解説のためというより、作中で言及されている人間をリストアップすること自体が目的となっているように見えます。これは同執筆者の他の記事も同じです。--新続頭痛会話) 2014年7月3日 (木) 18:06 (UTC)--新続頭痛会話2014年7月3日 (木) 18:51 (UTC)修正・追記

頭痛さんに書かれた「あらすじ」を見ましたが、概ね良いとは思います。これはGyulfoxさんが最初に直す直前の私の版の「筋」の流れや登場人物の背景説明とほぼ同じで、私の冗漫なところを整理した現在の版の、Gyulfoxさんの言い回しも生きているので、妥当な線だと思います。
ただ、冒頭の「転々とした生活を送っている」というのは、小説でそこまで言及されてないので余計です。そして主人公が「新しい原始生活」と呼ぶのは、主人公が現実(「これからの貧乏生活」)を幻想しようとする主題と関連している言葉なので(解説文などで指摘されている)、「怖ろしい因果の稲妻」などの文言と同様、私はあえて生かしているので、そこのところはご理解お願いします。それから、像を「保存してもらうことを思い立ち」というのもニュアンスが違います。藤屋は、何かあったら自分のところに持ってくるように前々から主人公に言っており、主人公はそこに預けるしかないので、そこはそのようにわざわざ書く必要もないです。その点などを修正して後ほど、頭痛さんの版を整理しておきます。
それから、登場人物の節ですが、あらすじで細かく言及するまでもないサブ人物であっても、彫刻家も、地主も、盗賊団長も一応は大筋にも絡んでいる人物ですので、あらすじに全部書くこともないような点は、補足的な意味合いの説明を、登場人物のところで言及するくらいは許容されていいと思います。主人公や馬の補足説明もいりますし、「登場人物の節」の全部を削除しろ、というのは、ちょっといくらなんでも勘弁してもらいたいです。頭痛さんはそれらの説明は一切不要だと考えたとしても、記事の立項者である私の考えも少しは尊重していただきたいと思います。--みしまるもも会話2014年7月4日 (金) 01:01 (UTC)
またタグを貼るの貼らないのと揉めることになるのは困るので、性急に編集を実行しないでもらえますか。取り急ぎ。--新続頭痛会話2014年7月4日 (金) 01:23 (UTC)
あと上の方で頭痛さんが、「同人」というのは、「諸君」という作中の呼びかけとセットになって使われているもの、とおっしゃっているのを今見たんですが、それは違います。「諸君」というのは、特に同じ寄宿の人への呼びかけではなくて、ただ漠然とした不特定多数の読者への呼びかけですので、この「同人」とは関係のないものです。この「同人」というのは、「ピエル・フォン」のもとで訓育を受けた「芸術家仲間」の「同人」という意味で、いわゆる同人誌とか、そういう意味の「同人」ですので、そのまま「同人」の方がやはりしっくりします。また、「ストア派」という語を省くのも、この主人公が自分をそう自称しているという、その人物像の個性の表われですので、やはり付けておくべきものです。「ストア派の吟遊作家」と囲えばいいことだと思います。--みしまるもも会話2014年7月4日 (金) 11:02 (UTC)
(報告)あらすじを文学的表現や婉曲表現をなくす方向に微修正。 馬がロバになるわけがないし、恐ろしい因果の稲妻だけでは読者にとって意味不明です。 父の像と称して売れるほど、自分と父の顔が同じという恐ろしい因果の稲妻に打たれて落馬したわけですから、その辺噛み砕いておく必要があります。 それから登場人物欄が要るか要らないかは別にどっちであるべきかは決まっていません。 どっちかに合意が手間取るのならば、いっそ登場人物を先に書いておいて、あらすじをより簡潔にという方法でも構わないですよ。--Gyulfox会話2014年7月4日 (金) 14:32 (UTC)

コメント (インデント戻し)まずあらすじについて。

  • 「転々とした生活」については、「私の転々生活とともにその作品も持回られていた」という文言が最初のほうにあります。今のように「新しい原始生活に向け、ストア派の吟遊作家の「私」(マキノ)は・・・」というような切り出し方がされていると、未読の読者にはなんのことやらわからないと思います。「原始生活」「ストア派」「吟遊作家」いずれも特殊な使い方がされている言葉です。少なくとも「ストア派」省いたほうがいいと思います。ギリシャ的なモチーフに関連はしていますが、筋に大きく関連しているようには見えません。
  • 「同人」は「諸君は二年ほど前の秋の美術院展覧会で、同人経川槙雄作の~御照覧されたであろう」という、冒頭2行目あたりの文章で出てくるものですから、「諸君」が「同人たち」への呼びかけとは限らないにしても、「同人」がどのような範囲のものか分かっている者(したがって「不特定」ではない)に対する呼びかけというかたちにはなっています。「同人」の具体的説明を省略する文学的なレトリックのようなものと思われます。これも少なくとも今書かれている「経川は龍巻村の藤屋八郎の屋敷「ピエル・フォン」のもとで訓育を受けた同人であった」という、作中の表現をそのまま用いた説明だと「筋の解説」を行うべき文章としては不親切です。
  • わたしのあらすじの文例は別に完璧を期したものではなく、これをベースにするなら好きに修正していただければいいとは思いますが、上の例、またGyulfoxさんが編集されて以降のみしまるももさんの修正などを見ても、ご自分の「あらすじ」のどのような点が冗長とされていたのかをしっかり理解されているのかどうか、不安が払拭できません。
  • Gyulfoxさんにですが、「恐ろしい因果の稲妻」は確かに後ろでそのような読解が書かれていますが、作中ではそのようにはっきり「因果の否妻=自分が父に似ているということの衝撃」とわかるように(というか、説明的には)書かれていません。「因果」はもう少し広い範囲の事象を含んでいるようにも思われます。ここの部分は私の書き方を推します[4]

次に登場人物節について。

  • 登場人物に関するガイドラインには、「個々の作中要素の紹介は、適切な文脈に短い文章で組み入れられているのが理想であり、あらすじ中で一纏めに言及できるのであればまとめて記述してください。作中要素への言及はその作品の概要を理解する上で不可欠なものに絞り、大筋に絡まないような事物は作品記事内では記載しないことが好まれます」という指針があります。Triglavさんの言われるように「こんな感じでやっていきましょうという方針的な決まりごと」くらいの大雑把な指針ではあるにしても、どのようなあり方を目指すべきかということははっきり書かれているわけです。ならこの指針に沿って要るか要らないかを考えるべきで、「別にどっちであるべきかは決まっていない」から「どっちでもいい」と考えるのは短絡です。初版執筆者がそのほうが書きやすかったというような理由で特に必要でもない記事に「登場人物」節を設けようとうるさく言うようなことではないと思いますが、現在のように内容の過剰さが指摘され、コメント依頼まで出して整理にかかっている以上、作品の性質と指針に沿って議論が行われるべきです。
  • 私は「30頁にも満たない純文学の短編」などは、「登場人物」の個々の説明を要しない例として最たるものの一つだと思います(何事にも例外はありますが、「ゼーロン」は特に例外的な作品には見えません)。こうしたもので「別に決まってないからどっちでもいい」というような話にされると、では節を設ける必要のない作品とは一体どのようなものかとなってしまう。上のガイドラインの策定には私は関わっていませんが、きちんと議論した上で大筋の合意として設定されているもので、ないがしろにすべきものではありません。
  • Triglavさんの言われるように「それぞれの解釈」はありうるでしょう。しかしみしまるももさんはそのような「解釈」と言えるものすら提示されていないように思われます。 2014年7月4日 (金) 01:01 (UTC)のみしまるももさんのコメントから分かるのは「自分は作りたい」というような感情的なことだけです。登場人物節をつくるのであれば、上の指針をふまえた上でなぜ節をつくるべきなのか、私の文例ではなにが足りないのか、なぜそれはあらすじに加筆する形にできないのか、第三者にもわかるように順を追って説明されるべきです。説明責任も果たさずに「立項者のプライオリティ」のようなものを主張しないでください。記事は執筆者の所有物ではない、というコメントがつい最近Wikipedia:コメント依頼/みしまるもも 20140528‎で行われたばかりです。
  • ついでに付け加えておきます。私はこれまでにプロジェクトに大きな貢献しているいろいろな方を見ていますし、いろいろな意見対立も見てきましたが、「自分は主執筆者である」とか「自分はこれまでに日本文学の分野で貢献してきた」というようなことを一再ならず自ら主張され、それをもって自分の意見を通そうとするような利用者は私の知る限りみしまるももさんだけです。--新続頭痛会話2014年7月4日 (金) 18:44 (UTC)

ガイドラインは人物については「できるのならあらすじに含めるのが望ましい」ということであって、「ゴチャゴチャして筋が見え難くなっても無理してまであらすじに詰め込め」という意味ではないとおもいます。またこんな作品においては「純文学の短編だから」は人物欄の全削除の理由にはならなそうです。 また恐ろしい因果の稲妻について(父の像と称して売れるほど)という記述の直後であるし、一人の文学系の教授がまさにそれを指摘しており、もう一人の教授が「血の宿命」という評をしているわけであってその他に専門家の異論は見られず、その指摘が常識的に妥当なセンを突いておれば、あらすじから排除できる理由にはならないと思います。その解釈を含めることで読者に明快に説明できるようになるならなおさらです。 それから今回はあらすじに関する足し算側の意見ですが、読者理解のために現在のあらすじに含めるべき情報として、主人公の過去に関してですが、本人は作中で泥棒詩人を称しており、かつて繰り返し何かお宝を窃盗して呑み代にいたということと、その時に行動を共にしていたのが駿馬のゼーロンだったということは、読者理解に外せないポイントだと思います。--Gyulfox会話2014年7月5日 (土) 00:28 (UTC)

私の文例はゴチャゴチャして筋が見え難いですか? 「できるのならあらすじに含めるのが望ましい」なら、まずあらすじに含めうるかを検討すべきですよね。その検討すらされずに登場人物欄を作っていいか悪いかみたいな話に落とし込むべきではない、ということです。
あらすじというか、作品内容については少し誤解されているように思います。「泥棒詩人」というのは縁家の酒蔵で酒を奪ったというようなことを幾分芝居がかって語っているところで出てくる言葉だと思いますが、これと窃盗団との関連性は不明でしょう。窃盗団の手先をしたことがあった、というくだりに気を取られすぎておられると思います。
文学作品ですから、解釈が開かれている部分はそのように書くのが良いと思います。そのうえで専門家はこのように解釈している、という説明を後述すればいいわけで。--新続頭痛会話2014年7月5日 (土) 00:46 (UTC)


(Gyulfoxさんへ)

  • おっしゃるように、確かに言われれば、「驢馬」では未読の方には何だか不明になるので、「駄馬」でいいです。「驢馬のように」とする方法もありますが、「駄馬」としておきます。因果の稲妻のあとにも()で補足しておいた方が解りやすいと思いますので、そうします。

(頭痛さんへ)

  • 確かに「私の転々生活と共にその作品も持回られていた」となっており、「転々生活をしていた」ことが書かれています。そこは見落としていました。すみません。しかしいきなり冒頭で、「転々とした生活を送っている吟遊作家」とすると、何か、ぱっと読んだ印象として、好き好んでそういう生活を常時しているような感じになっていたので、やはり、ここは無くすか言い方を変えたいと思います。こういう背景的なものは。登場人物欄に補足的にした方が適切だと思います。
  • 「ストア派の吟遊作家」も、ただの「吟遊作家」だと、主人公が自分を欧州の騎士に見立てているという、この作品の主題や大筋に関係するギリシャ的モチーフやドン・キホーテ的な「騎馬行」という大前提が損なわれますので、やはり入れておくべき言葉です。
  • 「諸君」という呼びかけは、この小説の読者を導入部において、「展覧会でマキノ氏像を観た人」という気分にさせるための、「小説的な技法の一つ」の表現方法です。そして、主人公は後段の方で、自分が「ストア派の吟遊作家」であることや、藤屋のことや自分がモデルになった経緯を事細かに説明をしていますので、諸君という設定は「同人」や、それに近い人々というわけではないです。「同人」という語も、同人ではない第三者に向っても、「○○氏は(私の)同人です」と、普通に使われている言葉ですので、「ピエル・フォン」のもとで共に訓育を受けた同人であった」というふうに、「共に」と付け加えるだけで、意味が通るので、その簡潔な文でクリアできる問題だと思います。
  • 登場人物のことについては、方針には「あらすじ中で一纏めに言及できるのであれば」と断り書きがされているので、ひとまとめに書き切れないものは、登場人物欄に補足しても許容されていることです。そして盗賊団長や地主などの人物も、主人公が出発する騎馬行という大筋に絡んでくる人物ですので、あらすじに言及できないものを登場人物欄に補足することも何らおかしいことではありませんし、方針違反でもなんでもありません。「あらすじ>キャラ」ということは推奨されてはいますが、あらすじが長くならないために、登場人物欄に補足するというやり方は、Gyulfoxさんもおっしゃっているように、何らおかしいことではありません。
  • そして、地主らの欄は、実際には「主人公」の行動理由や置かれている状況の補足説明となっているので、この作品の未読の読者に向けても、あらすじを読むにあたっての補助となるようにしてあり、無駄で余計な情報ではありません。私はこれらを、「作品の全体像」を知る助役としてちゃんと考えて構成しているので、少しは立項者である私の考えを尊重していただけますか? これは記事を所有物にしているのではなくて、作品の主題などを吟味して考えて整理改善努力をしているので言っているのです。いくらなんでも、登場人物の節までなくせというのは、方針上からもおかしいですし、それこそ頭痛さんの恣意だと思います。--みしまるもも会話) 2014年7月5日 (土) 01:21 (UTC)--みしまるもも会話2014年7月5日 (土) 02:31 (UTC)
あらすじ、登場人物いずれのご説明も理解しがたいです。「補足説明になっている」というようなことなら何にだって言えてしまう。
細かい点を論じても仕方なさそうですし、また鉤括弧の議論のような雲行きになってきましたので、しばらくテンプレートを貼ったまま様子を見ることを希望します。コメント依頼のほうで特定版削除が必要ではという話も出ていますし、平行してあまり版を重ねないほうがよろしいでしょう(仮に削除となると後で検証できなくなる)
あれだけはっきり書いたのに「立項者である私の考え」などと書くんですね。--新続頭痛会話2014年7月5日 (土) 01:32 (UTC)

このあらすじや登場人物の記述の話に関しては(解説ではなく)、著作権とは関係のないことです。版削除になるかどうかは別の問題として、話し合っていることですから、一応は立項者の考えというものも尊重されるべきでしょう。特に方針上でも違反などしていませんし、ある程度の自由な裁量の範囲で、執筆者が書くことはきちんと許容されています。--みしまるもも会話) 2014年7月5日 (土) 01:48 (UTC)--みしまるもも会話2014年7月5日 (土) 02:31 (UTC)

執筆者が執筆することも、その執筆の妥当性を検討し校正することも許容されています。あまり支離滅裂な主張を行わないでください。--新続頭痛会話2014年7月5日 (土) 01:55 (UTC)

みしまるもも様。立項者への尊重というのは相手が配慮するべきものなので、ご本人がガツンと言ってしまうのはあまりよろしくないと思います。それと著作権等の法律上の問題は、先輩方のアドバイスを素直に受け入れてください。
新続頭痛様も、プロジェクトの規約を強化してから相手の方に指摘してあげてください。主観に主観をぶつけても逃げられるだけです。意味がありません。
地理の者が出過ぎましてすみません。--Triglav会話2014年7月8日 (火) 13:42 (UTC)

整理議論

削除依頼および主執筆者の投稿ブロック依頼の審議中であったので様子を見ていたのですが、どちらも終了しましたので、前節までの議論を受けつつ記事内容の整理をしたいと思います。

現行の版は主執筆者により一応著作権侵害のおそれのある部分が書き直された版となっています。前節までの議論はあらすじと登場人物に関してでしたが、現行の版にはそれ以外にも情報や文脈の未整理さという点でかなり問題を感じます。たとえば「私小説からの逸脱」という節は「ゼーロン」に必要な範囲の説明を逸脱して作者の中期の作風を詳述してしまっていますし、「文体」節の三島由紀夫のくだりは、出典を確認したところ「ゼーロンの文体」に直接言及しているのは「「ゼーロン」は中でも、かなり緊密な作品であるが、文章のぞんざいさは覆いがたい」という部分のみです。「執筆の背景」も計7段落もの説明がありますが、「ゼーロン」の背景というより作者の伝記的事実などの説明であって、この記事にこのようなことが詳説できるのであれば同時期の作品記事が立った場合どの記事にも書けてしまうようなものです。実際「潜在的な狂気を転換」の部分は牧野信一#潜在的な狂気の現行版とほとんど同じ説明が書かれています。それ以前にこの「執筆の背景」の節は大部分が岩波文庫の解説文をトレースするように書かれていて記事の質として問題を感じます。「作品評価」は本来は評価史などが書かれるべきところでしょうが、評論家や研究者のコメントの羅列みたいになっています。特に三島由紀夫の部分は、「」にしたり引用テンプレートにしたりと誤魔化してはいますが、実際には『作家論』中央公論社単行本で言えば87-88ページにかけての1ページ半を「文体」節の分と合わせてまるまる引き写しているだけです。

全体として外部の評者のコメント・文章の継ぎ接ぎで成り立っており、資料を基にして作品を解説するという基本的なことができていません。とりあえず全体の質に問題のあるものとして{{cleanup}}を貼り注意喚起を行っておきます。主執筆者はWikipedia:投稿ブロック依頼/みしまるもも20140708で審議の結果ブロックせずとなりましたが、当分自身の著作権侵害のおそれのある転載に対する処理に専念し他の活動はしない、と確言されていますので、さしあたり記事の整理は主執筆者抜きで行うことになります。上までの様子では主執筆者を交えた議論で意見がまとまるかどうか非常に怪しいですし、主執筆者に異論があれば上記の処理を終えたのちにまずノートに書いてもらう、という形にするのが良いでしょう。

出典に使われている資料はほぼ揃えてありますので、異論がなければ数日中に出典内容を確認しつつ大幅な刈り込みと整理を行う予定です。「あらすじ」に関しては現行のあらすじの問題点が指摘されていましたが、私が提示した文案には大きな異論は無いようでしたので合わせてこちらに変更します。登場人物欄は前節までの説明にもとづき除去しておきます。--新続頭痛会話2014年7月20日 (日) 12:56 (UTC)

頭痛さん、そのやり方と論法はさすがに問題あると思いますよ。みしまるさん、頭痛さんのやり方に対し真正面から反発感情を持たないよう注意して、頭痛さんのコメント依頼を管理者に相談しながら要件整理して立てた方が良いと思います。明らかに頭痛さんの方から付きまといで問題を複雑化しているようにしか見えませんし、管理者であるTriglavさんのこちらでのアドバイスも頭痛さんには通じていないようですから。それしか無いと思います。頭痛さんは、コメント依頼でみしまるさんに近寄らない方が良いと複数の方に言われている事を思い出して下さい。ブレイク明け早々に、これでは性急かつ偏執的行為と多数の方に判断されかね無いです。663h氏の指摘にも御留意の上ですか?--106.151.113.114 2014年7月21日 (月) 16:28 (UTC)

可変IPアドレスからの書き込みがありますが、去年くらいから私に個人的に粘着し何度もブロックを受けている者ですので各位相手にされないようにお願いします。--新続頭痛会話2014年7月21日 (月) 16:58 (UTC)
可変IPはコメント禁止されておりませんし、頭痛さんが繰り返されている御自分こそが粘着されているという被害者論法による批判回避では、永遠に問題解決に至らないと思います。頭痛さんとみしまるさんのコメント依頼で、私以外の方の多くからの忠告も無視された同一行動を継続されていませんか?頭痛さん主張される手法は恐らくSee alsoのノートで貴殿自身が排除され学ばれた事ですよね。色々と勉強されるのは良いですが、歪な形での模倣はお勧めしません。決定的に異なるのが賛同者の数です。御自分が正しいと思われるなら、まず賛同者を集めるように。みしまるさんのコメント依頼のノートで663h氏に賛同者を集めるようアドバイスや、コミュニティ疲弊ユーザーとして批判を受けていることも合わせて考えて下さい。且つみしまるさんが議論参加出来ない形での決着強行の予告も流石にどうでしょうか。確かご自身はSee alsoのノートで疲弊ユーザーとしてブロックを受けた際に同じ事を主張されています。ブロックされている自らが参加出来ない形での議論決着は不公平であると。であるならば性急に決着を急がれるべきではありません。粘着行為とダブルスタンダード、コメント依頼のアドバイス無視では色々と目に毒です。個人的には生憎頭痛さんへは全く興味も関わりたくもありません。但し頭痛さんとのコストパフォーマンスに見合わない論戦で、他の編集者が次々と疲弊されたり、Wikipedia執筆を控えられていくのは明らかに公益に反しています。コメント依頼が立てば正式に問題行為を体系的に指摘させて頂きます。
繰り返しますが、相手にされないようにお願いします。どう見ても記事内容の議論をしに来ている者ではありません。--新続頭痛会話2014年7月21日 (月) 17:46 (UTC)
IP氏を無視したにせよ、みしまるももさんはすでに指導をうけつつ編集を始めている最中です。 編集タイプが異なるのはわかりますが、頭痛さんはみしまるもも氏とあれだけ衝突したのですから、もうこれ以上みしまるももさんの編集のお尻を追っかけて、大幅に刈り込むだの登場人物欄をゼロにするだの一々刺激しないようにしてください。頭痛さんは頭痛さんでこんなところからは独立して文学作品分野などの新規立項など行い貢献された方が賢明だと思います。--Gyulfox会話2014年7月22日 (火) 12:39 (UTC)  
申し訳ないが日本の近代小説は私の編集分野なのです。感情的な反発や差し戻しを今後控える、そのために一定期間編集をしない、という条件で投稿ブロックを免除されているのですから、これまで「感情的な反発」を予想して長期間控えていた編集をこれ以上控えておく必要性はなくなったと考えます。単に削除しているだけではなく出典元の照合や手直しも平行しています。質や正確性に問題のある記事をこれ以上放置することはできません。
ここは「ゼーロン」のノートですので、記事内容の議論にしぼってのコメントをお願いします。--新続頭痛会話2014年7月22日 (火) 12:55 (UTC)
(追記。記事内容にしぼってと書いた矢先になんですが)コメント依頼などにも書き、私以外の方からの指摘もありますが、みしまるもも氏は記事の私物化の傾向があり、編集差し戻しの理由なども論理が飛躍していて話ができず、結果的に記事中の問題のある部分を放置するしかない、という面がありました。Wikipedia:コメント依頼/頭痛、みしまるももなどでも何度も表明しましたが、そうした側面を無視して「考え方の違う二者間の衝突」というふうに話を図式化しないでください。--新続頭痛会話2014年7月22日 (火) 13:10 (UTC)
別に頭痛さんが日本の近代小説で活躍されるのは結構ですが、新規立項されていいような近代小説は無数にあるわけだしセーロンのような衝突されたところは当面(1年間ほど)一々立ち入らずともいいでしょうと言っているのです。要領が悪かったり雑な感じがあることは、別に緊急事態でもないですよね。 お返事はこれくらいにしておきますが、あなたがしめしたあらすじは「登場人物欄」を消すために作成されたような印象を受け、良いとは思いませんでした(頭痛さんの提案された文案が今は巻き込まれ削除になって見れないのが残念です。)。またそもそも「登場人物欄」を削除するのは反対ですし、現状でもそれほど記述過剰状態になっているとも思えません。ですから過剰タグの除去を提案します。--Gyulfox会話2014年7月22日 (火) 13:18 (UTC)
登場人物については、Gyulfoxさんは別にどちらでもいいというようなスタンスであったと思いましたが何だか急ですね。異論があるのであれば登場人物欄は残しておいてもかまいませんが、「内容過剰」は記述内容ではなく欄自体に対して貼っているものですから除去には同意できません。「あらすじ」はいろいろ言われている現状よりはマシだと思いますのでこちらだけとりあえず変更ということでよろしいですか。
整理着手については資料の返却期限等もあるのですが。1年も放置する理由があるとは思えません。--新続頭痛会話2014年7月22日 (火) 13:24 (UTC)
問題のある記事の修正と、新たな記事の立項とは別の話です。どちらを優先すべきというような話ではないでしょう。--新続頭痛会話2014年7月22日 (火) 13:25 (UTC)
あらすじの文案は自分の下書きページに置いておきましたのでこちらを再度参照ねがいます。「「登場人物欄」を消すために作成された」ような不自然さがありますでしょうか。作成状況からくる印象ということはありませんか。--新続頭痛会話2014年7月22日 (火) 13:30 (UTC)
あらすじについては、あれだけ激しくやりあってる最中にどっちかの肩をもてなかったというのが本音です。そして「登場人物欄の存在」そのものを内容過剰とする(そしてタグの除去に応じない)のは、現状に対する逸脱行為になってしまっていると思います。またよっぽどマシと思われているのが頭痛さんお一人ですし、資料等の返却期限等をおっしゃるなら、あなたの会話ページのサブページにでもこんな風に変えたいと文案を提示されたのち、客観的に十分なクールダウンができるであろう期間を置いた後、それをもとに再提案されることも可能だと思います。--Gyulfox会話) 2014年7月22日 (火) 13:40 (UTC)新提案のあらすじについては、第三者にも提示されていることを確認しました。--Gyulfox会話2014年7月22日 (火) 13:44 (UTC)
「あらすじ」についてはそもそもその意見対立者のみしまるももさんも基本こっちでいいと同意されていましたが。なにをクールダウンせよと言われているのかわかりません。特定の記事の編集を1年も諫止される謂れはあるまいと思います。記事内容ベースで議論してもらえませんか。
少なくとも現状の「登場人物」はプロット上不可欠でないモブ的な人物まで含められています。議論が続いているのであれば正当な使用ですし、上記までの議論では「ガイドラインをふまえたうえでなぜさらに人物欄が必要か」という点についてろくに議論が行われていません。--新続頭痛会話2014年7月22日 (火) 13:59 (UTC)
頭痛さん、Gyulfoxさんの意見は理解できていますか?頭痛さんの主張や編集の進め方はこちらでは合意が取れていません。みしまるさんの記事に粘着しすぎです。そして頭痛さんの主張に付き合うことでGyulfoxさんも疲弊しつつあります。意見の収斂がなされない場合は、コメント依頼などに提出の上で、他の議論参加者を募るなど、頭痛さんの主張が支持を受ける形を作ってから、進めて下さい。尚議論参加者がこれ以上増えない、あるいはテーブルについてくれないと言うことであれば、論争や意見の対立を踏まえ、一度ペンディングとして少し気長にお待ちいただくしかないです。他の参加者や異論のお相手の理解に合わせて、ゆっくり合意や支持を得る。あるいはルールを作ってからとする。それが得られないのに進めるというやり方自体がWikipediaに好ましくないのです。性急な正確性を個人的に好まれるのは結構ですが、それが極端に強い願望である場合は御自分のメディアを作れば良いのです。意見が対立した際は丁寧にゆっくりと、支持を取り付けて下さい。複数の参加者がいて、複数の意見がある領域ではそれがWikipediaの本質なんですよ。自分の時間感覚やフィーリングのみで性急に何かを行うやり方は、複数の共同作業では排斥されます。ジャンルは関係ありません。--106.151.96.56 2014年7月23日 (水) 02:40 (UTC) 残念ながら、文学分野においては、頭痛さんよりも、みしまるさんのコミットメントの方が価値があります。まず記事がなければ、人に読まれません。記事がなければ他の人により修正がなされません。自分でゼロから作り上げようとする人は、多少のアラがあっても他人のやることをあれこれ批判修正する方よりも、支持されるのは、どこの世界においても普遍的ですよ。程度の差こそあれね。--106.151.96.56 2014年7月23日 (水) 02:49 (UTC)

可変IPアドレスからの書き込みで議論が妨げられてしまっていますが、あらすじを含め上記した記事内容の問題に関する具体的な指摘がみられませんので、折をみて「登場人物」以外の部分の整理を行います。--新続頭痛会話2014年7月25日 (金) 09:12 (UTC)


もうしばらく待っていただけないでしょうか。私が著作権関連の見直し作業が一段落ついて、再びここに参加できるまで、お待ちいただきたいと思います。あらすじに関しても、上記で言及したように、「ストア派の吟遊詩人」という文言を削られてしまっては、この主人公がそう自称して、自身を中世ヨーロッパ人だと空想しているという、この作品の大前提と、その妙味や可笑しみ、ドン・キホーテ的なモチーフが見えなくなってしまいます。そういったことを含めた整理全体のお話をこの場で、再開できるようになるまで、お待ちいただけないでしょうか。--みしまるもも会話2014年7月26日 (土) 00:10 (UTC)
ということで、一連の作業がひと段落して冷静に議論開始できる状態に回復するまで、1年かかるのか半年かかるかわからないが、(私も含め)特に頭痛さんはこの項目を引っ掻き回すのを当面の間やめるべきでしょう。--Gyulfox会話2014年7月26日 (土) 01:23 (UTC)
コメント この記事はみしまるももさんの所有物ではありません。みしまるももさんの著作権云々の作業は、御自分で播いた種を刈り取っているだけであり、その間、他者による記事の編集を制限する何の根拠にもなりません。現在、編集活動に制限がついているのは、他者ではなくみしまるももさんの方です。対象が文学作品だからと言って、百科事典のあらすじ等に文学性を盛り込む必要はありません。文学性云々は解説部分ですることです。みしまるももさんがブロック依頼で約半数の賛成票が集まった根本原因は、百科事典というものを理解していないことに起因します(だから茨城県のような羽目になるのです)。--118.6.71.92 2014年7月26日 (土) 10:01 (UTC)
百科事典である前にオープンシステムであるという前提は無視出来ないわけで、何故オープンであるかというWikipediaプラットフォームの設計理念を変えられない以上、参加者はその上で協調してやって行くしか無いんですよ。またオープンシステムにおいては、協調するというのは、何も見解や解釈を必ずしも一致させねばならないということではないんです。なぜ百科事典をこのようなオープンなシステムの上で動かすのか、その設計思想をキチンと理解することが必要で、それを理解していないと、結局は個人的な信念や思想、感覚を実現しようという努力や闘争は徒労に終わります。正しいか正しくないかの基準ではなく、他の参加者の自分とは違う異論に、リファレンスがあるならば、それはここでは存在しうるという現実と原則を認めなくてはなりません。そういった自分から見て異論の存在を長い目で受容できるかという基準で動いていることに早く気がついて下さい。全てのオープンシステムはそれが本質でして、狭義の百科事典の定義を持ち出したところで、オープンプラットフォームの上ではその定義自体に変容可能性が内在しているということよりも優先されるべきものではないのです。20年、30年経てば、やがては百科事典の定義も変わって行くでしょう。何かが変わらないとする暗黙の前提の上で、思考しようとするとおかしくなってしまうんですね。費やす時間を無駄に為さらなないよう、前提の前の前提を検討されることをオススメします。--106.151.123.249 2014年7月26日 (土) 12:18 (UTC)
118.6.71.92さんは諸事情にお詳しいようですが、この際アカウントを取得されてはどうでしょうか。--Vielen dank会話2014年7月26日 (土) 10:18 (UTC)
もう一度言いますが、1年もの間特定の記事の編集を差し止められる謂れはありません。まして議論における論理的な飛躍などの振る舞いの問題から「著作権関連以外」の投稿について制限を受けている利用者からであれば尚更です。「ストア派の吟遊詩人」などという言葉を「あらすじ」に入れなくとも中世的なモチーフに関しては主題を解説するセクションで十分解説できます。「あらすじに入れなければ解説できない」という意見に論理的根拠がまったくないし、またこのような論理的に飛躍した意見をさしはさんでいる時点でみしまるももさんはすでにWikipedia:投稿ブロック依頼/みしまるもも20140708で行った「著作権関連以外の活動はしない」という自分の宣言を逸脱しています。
みしまるもも氏が改稿にご不満をもたれたのであれば1年後なり半年後なりにその改稿された版の状態から改めて「冷静に」議論を始めればよろしいし、ブロック依頼における趣旨からしてもそうするのが当然でしょう。それで何か問題がありますか? Gyulfox氏も記事内容について議論されるのでないならこの上口を挟むのはやめていただきたいです。ここは利用者のコメント依頼やブロック依頼・会話ページではありません。記事のノートです。--新続頭痛会話2014年7月26日 (土) 16:24 (UTC)
残念ながら頭痛さんの理屈はどうあれ、頭痛さんの編集は内容的にも、その手法もこちらで支持されておりません。内容的にも頭痛さんの編集案が私もそれ程良いとは思えません。登場人物の説明があった方が手に取る前の私のような初心者にはわかりやすいですし、原著に近い記述が多い方が、私のような初心者は原著の雰囲気を掴みやすいです。御主張をされるのは御自由ですが、頭痛さんの考えに同意しない方が多いというのが現実である以上は、支持を受けずに自分が正しいと思う御自分の考えのみを持って主張や編集強行を続けWikipediaで衝突や軋轢を起こし耳目を集めるより、御自分のメディアを立ち上げられては如何ですか?頭痛さん以外の誰の合意も支持も必要ありませんから。頭痛さん個人で立ち上げたメディアが有用であればアクセスも集まるでしょう。Wikipediaは合意形成を持って編集を行う場です。みしまるさんの少し待って頂きたいという主張も極めて穏当でもありますし、そのお考えも尊重すべきとの他者意見は現実に存在しています。みしまるさんの記述は初心者にはわかりやすい編集でもありますが、Wikipediaはその多くは初心者が何かを調べる入り口になっています事はご理解されていますよね。細部に対して性急に拘りすぎる頭痛さんの指向性は、もはやWikipediaの読者が必要としている領域とは若干ずれた方向を向いているように私には見えます。論理には前提の前に前提があり、前提を間違えると正答は一転して誤答になります。合意を得てゆっくり改変して行くと言うのが、その本質ではないですか?頭痛さんの方こそ、焦っておられるし、御自分の意見に対する支持が受けられる時が来るまでユックリと待たれれば宜しかろうと思いますよ。支持を受けていないのに、何故焦って強行するのでしょうか?ユックリと待たれて、その間新規記事を立稿されていれば良いではないですか?誰も嫌な気分になりませんし、誰もそれを妨げはしません。御自身にとって他者が論理的でないように見えるというのは、御自身がそのようにマクロに視点を変え、視野を広げる事が出来ないからだと思います。その立場は立場として容認されるべきですが、このような様々な方が出入りするプラットフォーム上で違う視点に立つものを排斥したり、どこまでも同意を求めようとしたり、強行を性急に望まれるのは、御自身の能力的な限界として、他者に責を負わせるべきものではないと思いますよ。疲弊するのは御自分の実力以上の事を求められ、他者をそれに無理やり付き合わせているからではないですかね。--106.151.97.221 2014年7月27日 (日) 04:49 (UTC)