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ノート:アラトリステ (映画)

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長期半保護の検討

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このページは実に2008年から、日本語版字幕における誤訳の有無やそこから派生する話題で独自研究中立的な観点に反する主張があるとの指摘があり、しかもそれらのほとんどはIPユーザー・新規アカウントユーザーによるものとなっています。現在は私とOCNを利用するIPユーザーの間でかろうじて対話が成り立っていますが、主張を変える意思はないようです。事ここに至っては、1年以上の長期もしくは期限を定めずにページの半保護を行い、この記事の編集を希望する人をアカウントの取得もしくはノートでの議論に誘導する以外にないと考えます。ご意見がありましたらお願いいたします。なお、本議論の性質上、IPユーザーや新規ユーザーのコメントは無視ないし除去される可能性があります。--VZP10224会話2016年6月5日 (日) 01:42 (UTC)[返信]

  • こんにちは、153.204.177.76です。半保護の方針では「深刻な荒らし被害に遭っているページのみ半保護にする」「論争を伴う事態が起こっているページを半保護しない」とされているので、いまのところ、『アラトリステ (映画)』の記事ページは長期半保護すべき状態だとは言えないと思います。いずれにしても、利用者:Miyelo45301会話 / 投稿記録 / 記録のような寝かせアカウントのソックパペットで半保護をくぐり抜けることが平然と行われているので[1][2]、半保護の効果は薄いと思います。--153.230.9.53 2016年6月5日 (日) 09:22 (UTC)[返信]
  • このページでのやりとりを長期にわたり注視し、Wikipedia:コメント依頼/61.192.170.63に関わったものとしてコメントいたします。半保護によって得られる効果は「IP利用者へアカウント取得を半強制的に促す」以上のものはないと思います。現在、記事本文をめぐる編集合戦は止んでいるとはいえ、利用者:Bompkin会話 / 投稿記録 / 記録をはじめとする「字幕誤訳告発派」の利用者がWP:SOCKまたはWP:MEATの常習者である疑いが極めて濃厚であるため、実のところ、半保護は期待したほどの効果を及ぼさないかもしれません。時期を見て、「手続き上必要なコメント依頼」を経る形で、「字幕誤訳告発派」について、チェックユーザー依頼を提出する等の対処がもっとも効果的かと個人的には思います・・・。(さすがに、「IPでの編集・議論参加を禁止」とか「アカウント作成から○年以上経過していない登録利用者の編集・発言は無条件差し戻し」みたいなローカルルールを定めるわけにはいかないでしょうし・・・)--Rienzi会話2016年6月5日 (日) 15:08 (UTC)[返信]
    • コメントこのページの状況は「アカウント利用者や固定IPが通常投稿ブロックとなる事例において、可変IPや捨てアカウントの使用により投稿ブロックの効果を発揮しない場合」にあると考えますので、半保護を行うことも検討課題に乗ると考えています。IP:61.192.170.63会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisについては、レンタルサーバーを踏み台にした投稿の可能性もありますが、ノートで対話に応じていただいているOCNユーザー以外にもYahoo BBから捨て台詞を残して荒らしていくユーザーもいます。実際問題、Rienziさんの言葉を借りれば「字幕誤訳告発派」の方はこの記事以外に関心はないようですし、半保護になればOCNユーザーの方もアカウントを取得して参加していただけるものと思っております。--VZP10224会話2016年6月12日 (日) 14:17 (UTC)[返信]
      • こんにちは。正直に言って、このページにアカウントでは意見を書けません。現在も、可変IPという、非常に手馴れていながら履歴を明かさないユーザーが、執拗に投稿を繰り返しています。このようなユーザーから荒らし扱いを受けたり、今後、目を付けられて報復の対象とされる危険を冒してまで、愛用のアカウントを晒すユーザーはいないでしょう。
今回、私が書き込んだのは、表の記事の是非ではなく、最近のこのノートページについて申し上げるためです。
まず初めに、最近、表のページを荒らしているのは、いわゆる「加藤康生氏を支持する」側であるということです。管理者VZP10224さんが阻止して下さいましたが、表の記事を一方的に削除する等の目に余る暴挙に出たのは、加藤氏側の可変IPユーザーです。
可変IP153.さんも加藤氏側ですが、ロジックに一貫性がありません。保護を望まない(変更したい)のが加藤氏側であることは明らかですが、あたかも反対派に責任があるかのコメントは、理屈が通りません。自身が可変IPでありながら、反対派のアカウントを責める論調にも違和感を覚えますし、問題を「記事」から逸らして「荒らし」に留め置こうとしています。つまりは、他の方も言われた通り、「目くそ鼻くそ」なのです。
もちろん、荒らし行為を行った側は責められるべきですが、加藤康生氏の発言にも無理があり、この場合、論争の両派ともに沈黙すべきと考えます。当然、153.さんもです。「ヴィゴ・モーテンセンの発言」に関しては、雑誌記事の制作者は荒らしではなく、特筆性が認められるので、存続すべきです。
可変IP153.さんにはご自身のスタンスを再考され、他人に責任転嫁せずに自分自身が表のページをどうしたいのか、それは検証可能なのか。それとも意味もなく論争を長引かせることが目的なのか、はっきり語っていただきたいと思います。私は、出発点である61.192.170.63さんが、もっときっぱりと問題点を指摘していれば、この論争は何ヶ月も続かずに終結していたと考えますし、これ以上、続ける意味もありません。だらだらと話を長引かせることで、相手が根負けして手を引くという問題ではありませんし、管理者VZP10224さんも、とばっちりでお気の毒です。可変IPによる突然の削除など暴力が振るわれた以上、半保護によって、今後は確たる証拠を示せる方のみが、堂々と解除を申し出る状態に置くことが最適であると考えます。--113.40.163.218 2016年6月15日 (水) 11:15 (UTC)[返信]
むしろ、論議云々無関係に61.192.170.63もIP153.も同類と思うが?そもそも加藤康生とかモーテンセンとかの発言云々以前に「ルール無用で荒らしてる」事自体問題だが?--126.124.62.163 2016年6月15日 (水) 18:28 (UTC)[返信]
IPで宜しければ私も保護に賛成いたします。モーテンセンの記事は削除依頼も却下され、特筆性ありとされており、現在の表の記事は落ち着いた状態にあると思われます。にも拘らず力ずくで削除を行う人物が現われ、一人の管理者が掛かり切りになっている現状は由々しき事態です。加藤氏の発言は、誤訳に関する釈明なくしてはoutですし、荒らしの一派も去った模様です。すでに荒らしの論争は止んでおり、そこに拘る発言は無意味です。現在の問題は、荒らし問題にかこつけて「誤訳の記事」を消そうとする動きだと私は読み取りました。本当に躍起というかヒステリックだと感じるのですが……。もちろん、検証可能な事実を語れる第三の当事者が記事を消すべきと証明したならば、当然、表の記事は削除されるでしょう。そのような人物が保護の解除を依頼するまで、削除等の「不当な操作」からページを守ることは重要です。一人の管理者さんが絶えずチェックし続けるのは、負担が大きすぎます。
事実を知るのは当事者のみで、外野がいくら騒いでも問題は解決しません。保護に反対で、現在の記事を変えたい方は、何よりもまず、検証可能な事実を語れる第三の当事者を連れて来て、保護の解除を依頼されることです。--122.249.233.127 2016年6月16日 (木) 13:32 (UTC)[返信]
  • こんにちは。私は、「批評に対する反論を掲載しなければ中立性は保たれない」の「反論」が、加藤康生氏のTwitterではなく、将来的に現われるであろう第三者であるという意見に賛成。つまり保護に賛成です。
と言うよりも、この話は、もうとっくに終わっていませんか? 
何年間も掲載されていた「DVDで誤訳を直した」という自己宣伝記事への反論として、何年もたって最近になってから、モーテンセンが「誤訳がある」と発言したのですよね。それで悪い記事が駆逐されて現在の批判の記事になったのですから、この時点で「反論が掲載されて中立性が確立されて、まともになった」で、一件落着してますよ? ですよね?
それに対して、またまた反論したのが、加藤氏のTwitterだったわけですが、それは誤訳を隠したインチキの反論だった。並みの神経なら、このような反論は書けないと言うか、そもそも私なら最初の実名の記事を載せる勇気がありませんが。もう、加藤康生さんの反論は論じるまでもなく、誤訳を隠していると分かっているわけです。国の裁判なら「異議あり」で即、却下で、端から議論は起こらない。つまり荒らしの騒ぎ自体が不必要だったのです(・o・) (・o・)。
モーテンセンの記事が荒らしが載せたと言うのも、もう論ずる必要はございません。管理者さんが記事が掲載された雑誌を確認したと書いていらっしゃるし、消された記事を何度も戻されています。もう荒らしの作った記事ではなくて、管理者さんが載せた記事になっています。荒らしだと怒っておられる方は、ここの所を理解して下さらないと困ります。ヴィゴ・モーテンセンは、もう無実なのです。それでもモーテンセンを消そうという人は、とにかく理屈抜きに逆恨みで攻撃しているモーテンセン・キラーです。ページの保護に反対の方は、この先、管理者さんに代わって、ずっとこのキラー攻撃を監視して下さるのでしょうか? はっきり言って、頑なな保護反対派は、反対を装うキラーだと言ったら、異議を唱えられるでしょうか。
61.192.170.63さんは、何か月も反論に付き合う必要はなかったのです。これだけで十分だったのに荒らしと化して、文字通りミイラ取りがミイラです(☍﹏⁰)。 でも、だからと言って加藤は復活しないのです。この先、他の人が付き合う必要もありません。誰が再検証しても、加藤さんには誤訳を隠しているという大きな欠点があるのは、もう明らかですし、そこまで無かったことには出来ません。すぐに、そこまでは再検証されるからです。
ですから、結論として、荒らしに怒っている方は、もう荒らしは駆逐されて、今は表の記事を保護しなければ、問答無用のキラーを防げないという、そこに問題が移ったことを理解していただく必要があるわけです。保護しなければ、批判の記事をいじられるたびに、また何か月も続く無茶な議論を持ち出されることになります。保護すれば、まともな解除依頼だけを聞けば済みます。そして、逆恨みをしている人は、もうやめましょう。あなたの行動は、Twitterを引き合いに出した時から、と言うよりも、何年も前に誤訳を直したと言う最初の記事が掲載された時から、討論に値しない記事であったと私は思います。--211.125.188.150 2016年6月21日 (火) 00:00 (UTC)[返信]

「批判」節について

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Wikipedia:コメント依頼/61.192.170.63において2016年4月11日 09:11(UTC)に「当面は復帰をお待ちしながら、日本語版翻訳にかかわる部分には手を付けずに記事の改善をおこないます」と書きました。半年以上が経ちましたが、ブロック解除に向けた活動はなされないようで残念です。アカウントのブロックを解除された上での参加を希望します。

他の部分の記事改善が一段落したので、「批判」節の改善に着手します。まずは現在提示されている出典を基に、より詳しく記述します。また出典には、現在記述されている「という親愛の言葉で締めくくっている」に相当する表現が無いため、「と述べた」あるいは「と記した」に置き換えます。--Yhngv会話2016年10月26日 (水) 10:38 (UTC)[返信]

「批判」節の改稿を実施しました。--Yhngv会話2016年11月8日 (火) 10:14 (UTC)[返信]

「批判」節除去の提案

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「批判」節の除去を提案します。理由は2つあります。(1)出典として信頼できない情報源しか見つからないこと、(2)映画評論家等の指摘が無く、アメリカの俳優からの些細な言及であること、です。

信頼できない情報源
「日本語字幕に誤訳があった」とヴィゴ・モーテンセンさんはメールインタビューで発言しています[1]。インタビューを掲載したムービー・スター誌は信頼できるメディアですが、誤訳があると判断した人物が信頼できません。
モーテンセンさんは語学に堪能で、ローマ映画祭の記者会見では通訳を介さずイタリア語で直接答えています[2]。また本作品では全てスペイン語で主役を務めています。しかし日本語に関してはそのレベルに達していません。2008年のアラトリステ日本公開時の舞台挨拶はカンニングペーパーを見ながらでした[3]。モーテンセンさんは本作品の主役を務めましたからスペイン語でのセリフ及びストーリーを理解しています。しかし日本語のネイティプスピーカーに映画脚本の完璧な日本語訳を渡しても、限られたスペースで物語を要約して伝える字幕製作は困難です。ましてやカンニングペーパーに頼らねば日本語の挨拶も出来ないようでは、字幕の良否判定など全く無理です。以上より、モーテンセンさんの日本語能力からすると、彼が「日本語字幕に誤訳があった」と明言しても信頼できる情報源ではありません。
誤訳があると判断したのは別の人物で、モーテンセンさんはその判断を聞いて腹を立てていた、ということも現実的にありえるケースでしょう。しかし、この場合は判断した人物がスペイン語翻訳と日本語字幕制作に関して造詣のある信頼できる人物であるということがメールインタビューでは明かされていません。よって信頼できる情報源ではありません。
些細な言及
百科事典であるWikipediaの項目に書かれるべきなのは、アラトリステという映画に多大な影響を与えた物事です。
日本語版の映画アラトリステに大きな間違いがあれば、映画評論家をはじめとした多数のメディアが伝えているでしょう。しかし本項目の改善のためにずいぶんと資料を調べましたが、刊行物に「誤訳があった」と記載されていたのはムービー・スター誌のメールインタビューだけでした。つまり日本の映画関係者は字幕の翻訳に関して記述すべきことを見出さなかったのです。そしてモーテンセンさんも「日本の観客はストーリーを理解してくれたと思う」[1]と推測しているので、日本語版字幕に正確でない部分があってもそれは些細なものであったのでしょう。
「日本語字幕に誤訳があった」と書かなくても、百科事典の読者は本作品について充分に理解できます。
  1. ^ a b 「ヴィゴ・モーテンセン「約束の地」独占メール・インタビュー」『ムービー・スター』第191号、株式会社インロック、愛知県瀬戸市西原町1-86、2015年8月1日、64頁。 
  2. ^ Joe Pascale. “The Rome Film Festival Debut 2006”. LinkedIn Corporation. 2016年11月19日閲覧。
  3. ^ 「アラトリステ」試写会&舞台挨拶”. 2016年11月19日閲覧。

以上はWikipediaの論理による除去の理由です。しかしヴィゴ・モーテンセンのファンであれば別の想いがあります。本項目の「批判」節では、ヴィゴ・モーテンセンは日本語が出来ないのに「日本語字幕に誤訳がある」と断言する変な人になっています。ヴィゴのファンであれば、日本語が出来ないことは当然知っています。ヴィゴとしては新作の『約束の地』を良い物にしてもらいたくて、つい筆が滑っただけだと思いますが、ただの一文を針小棒大に書き立てられて迷惑しているでしょう。「腹を立てた」を掲載し続けようとする方はヴィゴのファンではなく、ヴィゴ・モーテンセンの敵だと思います。--Yhngv会話2016年11月19日 (土) 07:59 (UTC)[返信]

コメント結論を短めに言うと「独自研究を否定するのに独自研究をしないでください。除去は新たな編集合戦を誘発し、荒れる要素になるので認められない」です。
まず、Yhngvさんの論理の組み立て方は特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に示されている「ロックバンドのガガガガーは」の例そのものです。2008年当時はカンペを読まなければ日本語を話せなかったのかもしれませんが、メールインタビューに応じた2015年時点でも日本語の能力が同じレベルにあるとの推定を裏付ける論拠は提示されていません。2つの事象を関連付ける確たる根拠がないのに、「この時こうだったから今でもこうだろう」という推論のもと、出典のある文章を単純に取り除こうとすることは、かつてこのページに何とかして日本語訳字幕に誤りがあることを書き込もうとしていた人たちと同じことを、立場を変えてやっているに過ぎないと考えます。
この考え方に立てば、ヴィゴ・モーテンセンは日本語が出来ないのに「日本語字幕に誤訳がある」と断言する変な人との勝手な決めつけは、ヴィゴ氏に対して失礼極まりない発言にしか読めません。7年もの時間は、1つの言語をある程度習得するのに決して短い時間とは言えません。また、仮に日本語を習得していなかったとします。その場合でも、自分が演じた作品が、翻訳も含めてどのように伝えられているか、気になる人もいれば気にならない人もいるでしょうが、自ら主演した作品の翻訳に対して、たとえ伝聞に基づくものであったとしてもわざわざ行った言及を「些細な記述」と切り捨てることはできないと思います。
以上から、ヴィゴ・モーテンセン氏はスペイン語と日本語の翻訳に関する専門家ではないが、自らが主演した映画の翻訳に関して有意な言及を行った時は些細な情報とは言えない。ましてや時期の全く違う2つの事象を根拠なく並列させて帰納的に結論を導くのは独自研究であり認められない、となります。よって、その結果得られた結論に基づく「批判節の除去」も、独自研究に基づく根拠のない行動になり、認められません。
別の観点から言うと、この記事は「誤訳があったことにしたい派」の人たちと、「誤訳なんてなかったことにしたい派」の人たちによる編集合戦などのさまざまな争いがあった記事です。この事実を知る立場から見ると、「誤訳があったことにしたい派」の人たちがヴィゴ氏に対して何らかの働きかけを行い、それにヴィゴ氏が深い内容を理解することなく応じたという可能性がないわけでもない(逆の立場からしたらそんなことする必要もありませんよね)のですが、それを裏付ける検証可能性を満たす情報もないわけで、やっぱり「ヴィゴ氏が日本の雑誌のメールインタビューに対して、(自らが主演を務めた)アラトリステの日本語字幕に腹を立てたことを述べた」という事実しか残りません。--VZP10224会話) 2016年11月24日 (木) 13:30 (UTC) 一部修正--VZP10224会話2016年11月24日 (木) 13:39 (UTC)[返信]
  • こんにちは、153.204.177.76です。まず、Yhngvさんが本記事を全体的に改善してくださったことに感謝申し上げます。
  • 「批判」節については、Yhngvさんの上記コメントの2点目、些細な言及であるという指摘は妥当なものだと思うので、除去に賛成いたします。ヴィゴ・モーテンセンは「日本語字幕に誤訳があったこと」が作品の受容や流通に影響を及ぼしたとは述べておらず、むしろ「日本の観客はストーリーを理解してくれたと思うし、感動してくれたと思うから、まあそれは良しとしよう」と述べている以上、日本語字幕云々は「些細な言及」と呼んで差し支えないものだと思います。わざわざ1つの節を設けて針小棒大に書き立てる必然性は感じられません。そういう記述は百科事典ではなくゴシップ雑誌に任せておけばよいでしょう。モーテンセンが「日本語字幕に誤訳があったせいで、自分の主演作品が日本の観客に正しく伝わっていない」とでも述べていたなら状況は変わってくるかもしれませんが、今までのところ、そのような趣旨の発言はなされていないようです。
  • 「除去は新たな編集合戦を誘発し、荒れる要素になる」として除去に反対されているのは、利用者:Bompkin会話 / 投稿記録 / 記録などを念頭に置かれた上でのことだろうと思いますが、再びブロック破りが行われたときは粛々と管理者伝言板に報告すればよいのであって、私たちがブロック破りの顔色をうかがいながら編集したり議論したりする必要はないと思います。--153.163.33.113 2016年12月4日 (日) 16:49 (UTC)[返信]
    • コメント以前出現していたOCNのIP氏がまた現れましたね。ヴィゴ氏の言及に対抗できる文書がないとなると、今度は「些細な発言」に矮小化して何とか消し去ってやろうという魂胆でしょうか。しかしながら、あいにくと私は自分が出演した映画のローカライズ版の翻訳の品質について、ここまで言及しているという事実をほかに知りません。映画俳優が、日本語含めローカライズ版の翻訳の品質について言及することがしょっちゅうあるのであれば「些細な発言」といえるかもしれませんが、普通はこのような形で翻訳の品質について言及すること自体がまれで、その発言を行った事実そのものが、その発言を検証した言及のあるなしにかかわらず、記述すべき価値のあるものではないかと考えております。Yhngv氏は言及がない事実を「日本の映画関係者は字幕の翻訳に関して記述すべきことを見出さなかった」と結論付けていますが、全く逆に「ヴィゴ氏の指摘に何ら反論できる要素がないから、沈黙をもって追認することしかできなかった」と解釈することも可能ですよね。この両極端な説のどちらをとるべきか、それこそ検証可能性を満たした言及によって結論付けられるべきでしょう。
    • で、ソックパペット云々の話ですが、通りすがり的に荒らしが現れたのであれば淡々と荒らしとして処理しておけばよいとは思いますが、この記事は足掛け8年ほど陰に陽に「日本語字幕に誤訳がある」と主張する一部の人たちによって手が加えられようとしてきた記事で、もはや淡々と処理できる限界を超えています。別にルールを無視して対応しようというのではなく、荒らし行為は荒らし行為として対応し、一方、記事に反映すべき情報は記事に反映すべき情報として盛り込むのは別に「ブロック破りの顔色った編集」でも何でもありません。むしろOCNのIPユーザーの方は、5月20日の発言にも垣間見える「ブロック破りの編集行為は全否定しなければならない」という考えを改めていただかなければならないのではないかと考えております。--VZP10224会話2016年12月15日 (木) 12:17 (UTC)[返信]
  • こんにちは、153.204.177.76です。VZP10224さんは若干ヒートアップしているようですので、冷静になることをおすすめします。
  • まず、「ヴィゴ氏の言及に対抗できる文書がないとなると、今度は『些細な発言』に矮小化して何とか消し去ってやろうという魂胆でしょうか」とありますが、これはいくら何でも悪意にとりすぎています。この節の冒頭でのYhngvさんのコメントを読んで、あらためて考えてみた結果、除去が妥当であると判断し、Yhngvさんの提案に同意した。それだけの話です。ウィキペディアのような共同作業の場では、当初の考えに固執せず、他の利用者の意見に耳を傾けて、考えを変えることも必要でしょう。せっかく考えを変えても、毎回「今度は『些細な発言』に矮小化して何とか消し去ってやろうという魂胆でしょうか」などと言われてしまうようでは、正常な議論が成り立たなくなってしまいます。
  • VZP10224さんが映画に詳しい利用者なのかどうか、これまでの作成記事[3]を拝見する限りでは判断がつきかねます。そのため、「普通はこのような形で翻訳の品質について言及すること自体がまれで、その発言を行った事実そのものが、その発言を検証した言及のあるなしにかかわらず、記述すべき価値のあるものではないかと考えております」というコメントの信憑性が定かではありません。そもそも、ある話題に触れることが「まれ」かどうかと、それがウィキペディアの記事に記載するほど重要かどうかとは、直截に関係があるわけではないので、このコメントに妥当性を見出すことはできないです。VZP10224さんの論理では、珍しい話題に言及している発言ならば何でも記載してよいことになってしまいます。正直なところ、「7年もの時間は、1つの言語をある程度習得するのに決して短い時間とは言えません」や「ヴィゴ氏の指摘に何ら反論できる要素がないから、沈黙をもって追認することしかできなかった」といった推測を経由しなければ除去に反対できないのか、というのが現時点での印象です。その発言が「記事に反映すべき情報」であるとする根拠を具体的に提示しないままなら、それは除去されても止むを得ないものと考えます。
  • なお、私は「ブロック破りの編集行為は全否定しなければならない」などと言った覚えはありません。今回の件に関していえば、Ks aka 98さんがWikipedia:コメント依頼/61.192.170.63で「『字幕に誤訳がある』かどうか、さらに、それを記事に書くかどうかについては、多重アカウントを使わない誠実さを持ち、記事に関心がある方が、ウィキペディアの方針に則るかたちで決めてください」[4]と述べておられることに私は従っているに過ぎません。このKs aka 98さんのコメントに異議があるならば、そちらで反論してください。
  • ブロック破りが何度も編集を差し戻すような事態になれば、通常、管理者によって投稿ブロックおよび記事の保護がなされます。それは、この記事でも同じだと思います。「ブロック破りが何度も差し戻しに現れるかもしれないから、ブロック破りの編集を尊重しよう」といった合意がなされた前例を私は知りませんし、そういう主張がウィキペディアで認められるとも思いません。ですから、私は「私たちがブロック破りの顔色をうかがいながら編集したり議論したりする必要はないと思います」と述べました。自分の意見に同調している者がブロック破りだけであるという状況で「ブロック破りの編集を尊重しよう」などと主張しても、それは他の利用者に不信感を抱かせるだけですから、お止めになったほうが良いだろうと思います。--153.202.238.132 2016年12月15日 (木) 17:54 (UTC)[返信]
IPの発言とごっちゃになってしまってはいけないのでこちらに書きますが、私は「「ヴィゴ氏の指摘に何ら反論できる要素がないから、沈黙をもって追認することしかできなかった」と解釈することも可能」と、単に解釈の余地がある可能性を指摘しただけなのに、私があたかも「ヴィゴ氏の指摘に何ら反論できる要素がないから、沈黙をもって追認することしかできなかった」と考えていると読まれている様子を見るにつけ、頭に血が上っているのはどちらかなぁ、と思います。下に別途指摘をしたIPユーザーをソックパペットと決めつけて報告しているに至っては、何を焦っているのかと思わざるを得ません。むしろOCNのユーザーの発言の矛盾点をする人が出てきたらタイミングよくソフトバンクのIPが出てくるあたり、見事な連携技だよなあ、という印象を持ちます。ただ印象だけではなんらかの管理者権限を行使するような対処に乏しいので何もしません。
で、123のOCNユーザーがソックパペットか否かにかかわらず、Yhngvさんにしても153の東京OCNユーザーにしても、ヴィゴ氏の発言についてあれこれ情報を合成したり推論を重ねたりして何とか除去しようとしているので、除去するにしても除去するだけの検証可能性を満たした理由を求めるのはあるべき姿だと思います。まあヴィゴ氏の発言が虚偽であるという文献が発見されたなら、それはそれでヴィゴ氏の発言を残す十分な理由にもなりえてしまう、というのが問題ではありますが。
コメント依頼でのKs aka 98さんの発言ですが、これは「誤訳があったかなかったか」記述するかどうかの話で、「ヴィゴ氏が誤訳があったと発言した」ことについてはどうかの話ではないですよね。話をすり替えないでいただきたい。--VZP10224会話2016年12月19日 (月) 14:36 (UTC)[返信]
とまあ、上記いろいろと書いたように、中身の議論をしたくとも、その前提条件が怪しかったり、推測に基づく話を重ねたり、果ては対立する発言者を片っ端からソックパペットとして報告されているようではまともな話はできないよね、というのが実情です。自分と異なる意見の人を荒らしのソックパペットにして体よく対話拒否しておけば、自分は楽かもしれませんが、この記事の問題の解決には一歩も進みませんよね。--VZP10224会話2016年12月19日 (月) 15:07 (UTC)[返信]
  • こんにちは、153.204.177.76です。
  • Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかは「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」としており、Wikipedia:検証可能性は「ある事柄が単に『検証可能』だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません」としている。このことをまず確認しておきたいと思います。また、検証可能性を満たす義務は、その記述を記事に載せようとする側が負います。少なくとも今回のように「些細な言及」を理由とした除去の場合は、「除去するにしても除去するだけの検証可能性を満たした理由」を示す義務は生じません。「単に解釈の余地がある可能性を指摘しただけ」では、その記述を載せるべきだという合意に至ることはないでしょう。
  • モーテンセンは「日本語字幕に誤訳があったこと」が作品の受容や流通に影響を及ぼしたとは述べておらず、むしろ「日本の観客はストーリーを理解してくれたと思うし、感動してくれたと思うから、まあそれは良しとしよう」と述べている。これは「情報の合成」や「推論」ではなく事実です。なぜ当の本人が「まあそれは良しとしよう」としか述べてないことを記事に載せようと固執されているのか、十分な説明がなされているとは言いがたいです。映画関連の記事を作成した様子が見られないVZP10224さんは、何を根拠に、この記述が重要だと考えておられるのか、私たちには分かりません。上述したように、モーテンセンが「日本語字幕に誤訳があったせいで、自分の主演作品が日本の観客に正しく伝わっていない」とでも述べていたなら状況は変わってくるかもしれませんが、今までのところ、そのような趣旨の発言はなされていないようです。以上の理由から、Yhngvさんが示された「些細な言及」という根拠は妥当なものだと考えています。記載を望む側であるVZP10224さんがWikipedia:検証可能性に従って新たな資料を提示しない限り、この節は除去されるべきだと思います。
  • 「誤訳があったかなかったか」の問題でも「ヴィゴ氏が誤訳があったと発言した」の問題でも、ブロック破りによる記事の編集や議論への参加を認めるかどうかという点では、本質的には同じでしょう。VZP10224さんの意見に同調する者がブロック破りだけであるという状況で「ブロック破りの意見に耳を傾けよう」と主張されても、説得力を欠くというものです。VZP10224さんの目には「IPユーザーをソックパペットと決めつけて報告している」「何を焦っているのか」「対立する発言者を片っ端からソックパペットとして報告されている」「自分と異なる意見の人を荒らしのソックパペットにして体よく対話拒否」と映るとしても、事実、それらのIPやアカウントはソックパペットとしてブロックされました。「見事な連携技だよなあ」とコメントされている点に関しては、ソフトバンクIPさんが私の編集を取り消しておられたことは履歴で分かるのですから、このようなコメントも(印象操作か勘違いか、いずれにしても)残念に感じるところです。
  • このノートページでブロック破りに応答しない私の姿勢を「対話拒否」と非難されても、記事の問題の解決につながるとは思いませんし、姿勢を変えるつもりもありません。ブロック破りに対する私の姿勢を非難するばかりだと、都合が悪くなったので中身の議論から逃げているようにも見えてきます。Wikipedia:投稿ブロックの方針は「対話拒否」も投稿ブロックの対象に含めているので、そこまで執拗に非難されるならば、投稿ブロック依頼を提出しては如何ですか。--153.166.46.212 2016年12月20日 (火) 22:51 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼を見てきました。今回のはちゃんとした二次資料に基づく記述ですので、除去するならば、「除去したい」側が、「記事に反映すべきでない情報」であるとする根拠を具体的に提示す必要があります。その根拠が単なる推測に過ぎないので、「残したい」側も推測で反論しているだけですね。--123.222.198.182 2016年12月17日 (土) 00:35 (UTC)[返信]
それ以前にブロック破り[5]までしてやる価値があるのか理解できませんが?--126.82.93.22 2016年12月18日 (日) 05:52 (UTC)[返信]
上記ソフトバンクのIPユーザーが指摘しているのはこの差分と思われますが、この報告をしているIPがずっとここに張り付いている東京OCNのIPである以上、そのことを割り引いて考えなければなりません。--VZP10224会話2016年12月19日 (月) 14:36 (UTC)[返信]
yhngvです。
提案して1ヶ月ほど経ちましたが、有意な編集履歴を持つアカウントユーザーで除去に賛同して頂ける方はまだいらっしゃいません。私が近所の本屋さんにムービー・スター誌のバックナンバー取り寄せを依頼してから入手するまで20日ほどかかったので、そろそろ出典資料を参照した上でのコメントを頂ける頃かと思っています。
とりあえず、VZP10224さんの時系列認識には誤りがあるので指摘します。
2008年にプロモーションで来日した時のことに関して問いかけられて、モーテンセンさんは「日本で『アラトリステ』のプロモーションが出来たことは今でも誇りに思ってるし、」と書いています。この文節で、プロモーションをおこなったのは2008年、「今でも誇りに思ってる」の「今」は2015年です。同じ文の後段の文節で「当時は、日本語字幕に誤訳があったことで少し腹を立ててたんだけど、」と書いた「当時」は2008年です。そして「まあそれは良しとしよう。(後略)」と腹を立て続けているわけではないことを示しているのは2015年になります。2008年に腹を立てたことを2015年になって持ち出してきたのは、新作映画「約束の地」の日本語字幕を良い物にしてほしいという要望の引き合いとしてです。(3ページに渡るメールインタビューは「約束の地」に関するもので、モーテンセンさんがアラトリステに関して言及したのはyhngvが11月8日に記事本文の編集で引用した3文のみです)
まとめると、モーテンセンさんが日本語字幕に誤訳があると認識したのは2008年、「少し腹を立てた」のも2008年。2015年には腹は立てていないけれど、誤訳はあったと考えています。
という訳で2008年のモーテンセンさんの日本語能力を推し量れる舞台挨拶の様子を提示しました。--Yhngv会話2016年12月20日 (火) 06:38 (UTC)[返信]
yhngvです。
「批判」節除去の提案を取り下げます。
提案に対して、有意な編集履歴を持つアカウントユーザーで除去に賛同して頂ける方はおられませんでした。このため除去することで合意を形成するのは困難であると判断しました。
Wikipedia:コメント依頼にも出して広く意見を求めましたが、皆さんの関心を引く論点ではなく記載が有っても・無くてもどちらでも構わない、ということだと受けとめます。
以上で本項目に関して改善できることはおこなったので、Wikipedia:良質な記事に推薦してみます。--Yhngv会話2017年1月7日 (土) 10:16 (UTC)[返信]
良質な記事への推薦は残念ながら賛成票が入らず終了となりました。選考の過程で「あらすじや製作の節がちょっと簡潔かな」、「評価についても、もう少し幅広く書けないものだろうか」とのコメントを頂きました。
あらすじ節は意図して簡潔に記載しましたが、製作・評価に関しては出典資料の不足が原因です。日本語・英語による文献だけでは詳しく書こうにも現状が限界です。製作国であり一番多く観客を集めたスペインならば、映画誌に本作品の製作に関する情報や批評家による評価が豊富に掲載されていたでしょう。これ以上の改善にはスペイン語文献を入手し調査する必要があります。--Yhngv会話2017年1月23日 (月) 10:16 (UTC)[返信]