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ノート:やや日刊カルト新聞

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あまりにも、やや日刊カルト新聞の宣伝ばかりでしたので、整理しました。 また、記載内容が公平性に欠け、やや日刊カルト新聞の執筆者側よりのところも削除しました。 ここは、やや日刊カルト新聞の宣伝をする場ではありませんし、寄付を募る場でもありません。 多数の記事を宣伝や寄付収集目的で貼り付けるのはやめてください。 出典として貼り付けるのは、第三者のものにしてください。よろしくお願いします。 --ぽてから 2011年12月28日 (水) 08:42 (UTC)[返信]

よくもこれほど悪意に満ちた編集ができるものだと驚いています。差し戻した方がいいかな。とりあえずタグ貼っておきますので。 -- NiKe会話2012年4月20日 (金) 11:27 (UTC)[返信]
中立的な記述に修正を試みました。「やや日刊カルト新聞」は、「新聞」を自称してるだけであり、単に、数人のブロガーが自説を書いたブログに過ぎないということは、記述するべきでしょう。また、世の中、真面目に宗教活動をしてる団体も信者もいるわけです。それを、一方的に、カルトと決めつけて、信仰の自由を小馬鹿にしたような筆致で煽る記述はいかがなものでしょうか。・・・という批判はありますよね。そうしたニュアンスはとどめておくべきでしょう。--ぽてから会話2012年10月5日 (金) 11:15 (UTC)[返信]

出典が無く、自ら調査検討した結果である文章で記事が構成されていると思われるので、{{独自研究}} を貼りました。方針にご留意願います。--Calvero会話2012年10月7日 (日) 14:22 (UTC)[返信]

ぽてからさんの怨念がよくわかりますね。この件についてもWikipedia:コメント依頼/ぽてからでしっかり報告します。--2001:3B0:10:1:0:0:0:66 2013年8月8日 (木) 18:23 (UTC)[返信]

主筆藤倉の記載が自説に過ぎないソース(本人の発言より)

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もともと、「やや日刊カルト新聞」の記載は、運営側らしき人物により、「やや日刊カルト新聞」の宣伝と思われる記載よりスタートしたものです。それを中立にしようと試みても、なぜか、「やや日刊カルト新聞」の記載をソースとし、「やや日刊カルト新聞」寄りの記述に差し戻しされてしまいます。 以下の記載に関し、ソースの提示を求められたので、いくつか第三者の意見が書かれたものを見つけてきました。その上で、記載についてご意見をいただければと思います。 「やや日刊カルト新聞」に関する出典は、ほぼないも同然なのでご了承ください。

「自説を述べたブログであるため、マスコミがとくに記事にせず、まったく相手にしないようなゴシップネタが多く、信憑性が疑わしい偏向記事も見られる。事実無根のいきすぎた記事に対して、名誉毀損罪の疑いにより同ブログに記事の削除を請求しても、応じることは極めてまれであり、さらなるネタとして晒されることになる。また、名誉毀損などや信仰の自由を侵害する人権侵害の疑いに加え、平気で著作権侵害を犯しても自らを正当化するモラルのなさ、無許可取材で路上で隠し撮りをする取材方法なども問題となっている。ブログコメント欄は開放しており、記事へのクレームやクレーム対応などを、運営側の言い分も含めてあからさまに暴露している。」


上記内容は、「やや日刊カルト新聞」を読めば、だれでもが理解できることです。説明はいらないでしょう。また、カルト新聞ブログ上で、自らが認める発言をしていますね。

また、下記のリンク先を見てもらえばわかるのですが、カルト新聞の主宰藤倉は、自ら、「データが事実であるかを問題視していない」と発言しています。これは、ジャーナリズムでもなんでもなく、もはや、単なる自説を述べたブログに過ぎないということはご理解いただけると思います。

さらに、「藤倉氏の主張こそが勝手な思い込みであったことが判明。それでも、自分の間違いを認めず、詭弁を弄して、清水氏および私を中傷して言い逃れようとする藤倉氏」という旨の評価もあります。勝手な思い込みを書いてるだけのブログなのに、専門誌とは言えないでしょう。ふつうの新聞社や雑誌社が組織として掲載する内容を決定しているのに対し、単なる自説をそのまま無料ブログに書いてアップするだけなのだから、あくまでもブログに9人くらいの人物が自説を書いてる、という扱いにすべきでしょう。

また、「良いことをしても所詮カルトはカルトなので、それが良いことであったとしても、カルトは批判する。」という藤倉の発言より、藤倉が意図する「カルト」は、「カルトは反社会的団体を指す」という社会定義から大きくずれていることが理解していただけるはずです。反社会的な団体でなければ、「カルト」と呼ぶべきではないでしょう。「やや日刊カルト新聞」というタイトルではありますが、社会通念上は「カルト」と呼ぶべきではない団体、個人について、記載してるわけですね。(それ事態が、名誉毀損の疑いが高い行為ではなかろうかという懸念もあります。)


  • 「所詮、カルトはカルト」- やや日刊カルト新聞の危険な思想

http://humanrightslink.seesaa.net/article/275057038.html

  • プロローグ - 「やや日刊カルト新聞」の自由報道協会での記者会見

http://humanrightslink.seesaa.net/article/272666391.html

  • 心の腐った 「やや日刊カルト新聞」 主筆

http://humanrightslink.seesaa.net/article/273546778.html

  • 「精神薬の薬害を考える会」 幹事の内海氏と、「カルト新聞」 側(藤倉氏と紀藤氏)の質疑応答

http://www.ustream.tv/recorded/22769377

  • 「やや日刊カルト新聞」主筆・藤倉善郎氏の自滅

http://togetter.com/li/254441 (藤倉の主張が勝手な思い込みであったことが判明したにもかかわらず、間違いを認めることなく詭弁を弄し、相手を中傷して言い逃れをしようとするとの指摘)

  • 藤倉氏に関する解説

http://d.hatena.ne.jp/psw_yokohama/20120212/p1 --ぽてから会話2012年10月7日 (日) 14:50 (UTC)[返信]

とりあえず一番上のリンク先を読んでみました。「自ら、「データが事実であるかを問題視していない」と発言しています。これは、ジャーナリズムでもなんでもなく、もはや、単なる自説を述べたブログに過ぎないということはご理解いただけると思います」とのことですが、藤倉のコメントによれば「発言をさえぎらないでもらえますか? 事実でないことが、会見で語られたということを問題視する記事は書いてませんし、今日の記者会見の趣旨も、そういうのではありません。ですから、それが事実かどうかについてのコメントを求められても、それは会見の趣旨とは違うので、答えられないという答えしかできないです」と論点が違っているということの指摘ですから、「ジャーナリズムでもなんでもなく」、つまり事実でなくても裏付けを取らずに報道する、ということにはならないでしょう。
また「良いことをしても所詮カルトはカルトなので、それが良いことであったとしても、カルトは批判する」についてですが、これも藤倉のコメントによれば「カルト団体といわれるだけの人権侵害であるとか、違法行為をする一方で、信者獲得の時には、ものすごく優しい顔をして接してくるわけですし、社会にとけ込もうとして、とても良いことをする市民団体みたいなものを作ったりとか頻繁にある」、だから「そういう団体が良いことをやってるんだったら、上の上層組織がカルトだって構わないじゃないかという発想に立つことは僕らはない」とあり、つまり「いいこと」をしているのであっても一方でカルトと認定されうるだけの「悪いこと」をしているのであれば批判する、という趣旨、さらには「いいこと」を隠れ蓑にしているカルト団体を見逃さず追求する、という姿勢がうかがえる趣旨です。従って「藤倉が意図する「カルト」は、「カルトは反社会的団体を指す」という社会定義から大きくずれている」ということにはならないでしょう。
こうしてみると、藤倉に反論する者はその発言の一部を切り出して本来その意図するところから離れた解釈をしているように思われます。そうすると「上記内容は、「やや日刊カルト新聞」を読めば、だれでもが理解できることです。説明はいらないでしょう」というのも首肯しかねるという印象です。--Calvero会話2012年10月8日 (月) 05:10 (UTC)[返信]
ちょっと、説明不足であったところを補足します。まず、日本では「カルトと認定」する制度はないわけです。オウムのような反社会的な団体をカルトと呼ぶのは、社会通念上、一致した見解としましょう。しかし、そのほかの団体については、どこがカルトなのかということになると、主観の問題になるのだと思います。(ライフスペースが「カルト」か、ということも、社会通念上、一致した見解はないでしょう)やや日刊カルト新聞ブログには、カルトと言っていいか不明な(主筆藤倉が、独自にカルトと思った)団体が取り上げられていますよね。宗教団体ではないのに、カルトと言われてるとか、別団体と繋がってると断定された上で糾弾されるとか、違法行為のない団体だとか…。社会通念上、カルトと断定できない団体を「カルト」と断定して、「良いことをしても所詮カルトはカルト」と悪意に基づいた内容を、取材もせずに憶測で書くような手法を、報道といっていいものでしょうか。単なるブログではまあありなのかもしれません。しかし、ジャーナリズムとは言えないだろうということです。つまり、「単なる自説を述べたブログ」という範疇なら、あり、なのかもしれませんが、専門誌とか報道と一緒にカテゴライズすることは、とうてい出来ないということです。宗教の専門誌であるならば、少なくても、宗教学に精通した人が書くとか監修するとか、研究に基づいたものでなければ、おかしいでしょう。(宣伝に走る関係者らしき人物が、専門誌扱いしたがってるようですけれども、いかがなものかと思うわけです。)--ぽてから会話2012年10月9日 (火) 21:08 (UTC)[返信]

ケースE案件による削除も

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客観的なソースが皆無であり、「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの。」「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事。」である可能性が高そうです。 おは一番会話)様より、「新聞側のソースしか用意しにくい(と思われる)本記事は、新聞側の発表を中心に使って無難に書くか、或いは記事の作成は時期早々だったとして、記事ページを削除するべき」という観点のご提案がありましたが、それも検討してみてもいいかもしれません。 ただし、「新聞側の発表を中心に使って」書くというのは、中立ではないと考えます。この記事は、もともとが、カルト新聞ブログの運営と思われる人物により、カルト新聞ブログ寄りの宣伝めいた記載でスタートしていますが、いかがなものでしょうか。--ぽてから会話2012年10月7日 (日) 15:23 (UTC)[返信]

お名前を出していただいたおは一番です。こんにちは。ぼてからさんが紹介してくれたように「新聞側のソースしか用意しにくい(と思われる)本記事は、新聞側の発表を中心に使って無難に書くか、或いは記事の作成は時期早々だったとして、記事ページを削除するべき」というのが私の考えです。やや日側の視点に立った記述が中立性に反していると、WIKIの皆様が指摘されるならば削除すべきだと考えています。

ついでに、ぽてからさんが示した上記のソースの中に明らかな「統一協会」よりのサイトがありましたが、これも中立的とは言えないソースだと思います。--おは一番会話2012年10月7日 (日) 15:33 (UTC)[返信]

こんにちは、客観的なソースが皆無なため、これくらいしかなかったのです。とくに統一教会にこだわりがあるわけではありません。「やや日刊カルト新聞」の自由報道協会での記者会見と、「精神薬の薬害を考える会」 幹事の内海氏と、「カルト新聞」 側(藤倉氏と紀藤氏)の質疑応答の発言内容が、わずかなソースでしょうか(とはいえ、評価という点になると、独自研究の恐れも)。客観的なソースが皆無につき、独自研究の枠を出ることが難しい可能性もあるので、削除には賛成です。--ぽてから会話2012年10月7日 (日) 15:49 (UTC)[返信]
やはり第三者による情報源がなく、特筆性の基準を満たしていないように思えます。削除するのがよいかもしれません。--Calvero会話2012年10月9日 (火) 12:50 (UTC)[返信]