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ニューかつら

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニューかつら
大阪港にて(2003年)
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 大阪高知特急フェリー
運用者 大阪高知特急フェリー
建造所 内海造船瀬戸田工場
母港 大阪
姉妹船 ニューとさ
航行区域 沿海
信号符字 JI3086
IMO番号 8017865
経歴
起工 1980年10月28日[1]
進水 1981年1月23日[1]
竣工 1981年4月20日[1]
就航 1981年4月
運航終了 2005年1月
最後 2014年インドで解体
要目
総トン数 6,772トン
載貨重量 3,249トン[2]
全長 140.0m
登録長 135.14m
垂線間長 130.00m
22.7m
型幅 22.70m
型深さ 12.70m
喫水 4.06m
満載喫水 5.67m
機関方式 ディーゼル
主機関 石川島播磨重工業12PC2-5V×2
最大出力 15,600ps
速力 23.5ノット
最大速力 23.6ノット
航海速力 19.7ノット
航続距離 3,800海里
旅客定員 1,000名
乗組員 38名
車両搭載数 8トントラック99台、乗用車48台
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ニューかつらは、大阪高知特急フェリーが運航していたフェリー

概要

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Sulpicio Lines時代

内海造船瀬戸田工場で建造され、1981年4月に就航した。大型フェリーとして初めて船尾双胴船型を採用したことで知られる。

共有建造制度を利用して建造された船舶整備公団(後に運輸施設整備事業団)との共有船である。

2005年1月、毎日運航から隔日運航へ減便されたことにより引退した。

2006年、海外売船され、フィリピンen:Sulpicio LinesPRINCESS OF THE SOUTHとして就航した。

2014年インドにスクラップとして売却され、回航の後、解体された。

就航航路

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大阪高知特急フェリー(1981年 - 2005年)

当初はフェリーなにわ、1990年からニューとさ、2000年以降はフェリーこうちと、ランニングメイトは変遷したが、2隻で大阪 - 高知間を毎日1往復運航した。航路休止となった高知シーラインにかわって、2001年12月10日からあしずり港へ航路が延長されたが、2004年4月10日に休止となった。2004年8月28日からは甲浦港に隔日で寄航した。

設計

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[1] 基本設計は日立造船が担当し、船社・内海造船との三者で検討が行われた。

車両甲板及びAデッキからDデッキまでの五層からなる中距離カーフェリーであり、車両甲板とAデッキ間に設置されたシーソー式の倉内ランプによってAデッキにも車両を収容する。Aデッキ前方にドライバーズルーム及び船員居住区、Bデッキにエントランス、スナック、二等船室、Cデッキに上等船室、Dデッキ(航海甲板)にゲームコーナーとオープンデッキを配している。また、車両甲板レベルでの乗降となる高知港の事情を考慮し、車両甲板からBデッキにかけてエスカレーターが設置された。夜行便であり、レストラン等の本格的な供食設備は設けられなかった。

スプリット船尾と称する船尾双胴船型は、推進効率の向上を目的に採用、公試運転時に19.7ノットの実測値で在来2軸船比約11%の馬力節減が確認され、以後他社にも波及した。

船内設備

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新造時の仕様。定員・等級呼称等はその後変化している。

船室

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  • 特等室(洋室) - 2名×4室、1名×2室 (Cデッキ)
  • 一等室(洋室) - 5名×16室、4名×6室 (Cデッキ)
  • 一等室(和室) - 4名×4室 (Cデッキ)
  • 特別二等室(洋室) - 8名×20室 (Cデッキ)
  • 特別二等室(和室) - 8名×10室 (Cデッキ)
  • 二等室 - 610名 (Bデッキ)
  • ドライバー室(洋室) - 90名 (Aデッキ)

公室

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  • スナック (Bデッキ)
  • 一等・特別二等喫煙室 (Cデッキ)
  • カードルーム (Bデッキ)
  • ゲームコーナー (Dデッキ)

脚注

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  1. ^ a b c d 世界の艦船 1981年8月号 新造カーフェリー「ニューかつら」について (日立造船株式会社・内海造船株式会社)
  2. ^ 日本船舶明細書 1997 (日本海運集会所 1996)