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ニッポニア (小惑星)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニッポニア
727 Nipponia
仮符号・別名 1912 NT
分類 小惑星
軌道の種類 小惑星帯
マリア族
発見
発見日 1912年2月11日
発見者 アダム・マシンガー
軌道要素と性質
元期:2008年11月30日 (JD 2,454,800.5)
軌道長半径 (a) 2.569 AU
近日点距離 (q) 2.299 AU
遠日点距離 (Q) 2.838 AU
離心率 (e) 0.105
公転周期 (P) 4.12 年
軌道傾斜角 (i) 15.06
近日点引数 (ω) 274.14 度
昇交点黄経 (Ω) 133.11 度
平均近点角 (M) 260.72 度
物理的性質
直径 32.17 km
自転周期 5.07 時間
スペクトル分類 DT
絶対等級 (H) 9.62
アルベド(反射能) 0.2423
色指数 (B-V) 0.801
色指数 (U-B) 0.273
Template (ノート 解説) ■Project

ニッポニア[1] (727 Nipponia) は小惑星帯に位置する小惑星

日本で初めて検出された小惑星のひとつ[2][3][4]。1900年に平山信が東京で観測したが、軌道確定には至らなかった。その後、1912年アダム・マシンガーが軌道を確定して発見者となり、平山の提案をもとに命名された。

発見と命名

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1900年3月6日と3月9日、東京麻布台にあった東京天文台(現在の国立天文台)で、平山信がブラッシャー天体写真儀を用いて天体写真を撮影した[2][3][4]。この2つの写真からは小惑星候補が3つ検出され、うち2つ(本天体と (498) 東京)が未知のものであった[2][3][4]。本天体は日本で初めて検出された小惑星のひとつであるが[2][3][4]、2点のみの観測で軌道を確定できなかったため[2]、平山は「小惑星の発見者」とはなっていない。

その後、1912年2月11日にハイデルベルクのケーニッヒシュトゥール天文台アダム・マシンガー (de:Adam Massingerによって観測が行われて軌道が確定し、マシンガーが発見者となった[2]。マシンガーは命名について平山に相談し、平山は "Nippon" を提案した[2]。実際の命名は、これを女性形にした "Nipponia"となった[2]

2012年、東京天文台が麻布に所在していた時代(東京天文台は1924年に三鷹に移転した)の写真乾板が再発見され、ここに平山が本天体を検出した写真乾板も含まれていた[2]。それまで、当時の資料は関東大震災や1945年の東京天文台の火災によって失われたと考えられていた[2][4]

なお、日本(の古名・別名)に由来する命名が行われた小惑星として、他に (10727) 秋津島がある。

脚注

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  1. ^ 全世界の観測成果 ver.2” (Excel). 薩摩川内市せんだい宇宙館 (2018年3月3日). 2019年3月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 中桐正夫 (2012年3月16日). “100年以上前の天体写真乾板発見-その1-(日本人最初の小惑星検出乾板の発見)”. アーカイブ室新聞(第565号). 国立天文台・天文情報センター・アーカイブ室. 2019年3月1日閲覧。
  3. ^ a b c d 日本最古の星野写真の発見”. 国立天文台 (2012年3月16日). 2019年3月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e 日本最古の星野写真を発見 113年前の麻布で撮影”. アストロアーツ (2012年3月19日). 2019年3月1日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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