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ニコ・トーマス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニコ・トーマス
基本情報
本名 ニコラス・トーマス
階級 ミニマム級
国籍 インドネシアの旗 インドネシア
誕生日 (1966-06-10) 1966年6月10日(58歳)
出身地 アンボン
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 58
勝ち 29
KO勝ち 18
敗け 23
引き分け 6
無効試合 0
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ニコ・トーマスNico Thomas1966年6月10日 - )は、インドネシアの元プロボクサー。元IBF世界ミニマム級王者。アンボン出身。インドネシアのプロボクサーでエリー・ピカルに次ぐ2人目の世界王者。

来歴

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1986年11月3日、トーマスは20歳でデビューを果たし6回判定勝ち。

1986年11月30日、6回判定負けで初敗戦、引き分けを挟んで3連敗となった。

1988年1月26日、WBCインターナショナルミニマム級王者で後のWBC世界ミニマム級王者ナパ・キャットワンチャイと対戦し12回1-2(113-118、115-113、110-118)の判定負けで王座獲得に失敗した。

1988年4月16日、インドネシアミニマム級王者ジョン・アリエフインドネシア語版と対戦し10回判定負けで王座獲得に失敗した。

1988年4月30日、大韓民国蔚山で元IBF世界ミニマム級王者李敬渕と対戦し初回にダウンを奪うも4回にダウンを奪われカウントアウトで試合終了。自身初のKO負けとなる4回KO負けで2度目の3連敗。

1988年10月26日、インドネシアミニマム級王者ナナ・スハナーインドネシア語版と対戦し8回KO勝ちで王座獲得に成功した。

1989年3月24日、ジャカルタゲロラ・ブン・カルノ・スタジアムIBF世界ミニマム級王者サムット・シスナルポンと対戦し12回1-0(117-117、117-113、115-115)の引き分けで王座獲得に失敗した。

1989年6月17日、サムット・シスナルポンと再戦し12回3-0(115-111、119-108、115-111)の判定勝ちで王座獲得に成功した。

1989年9月21日、ジャカルタのロカサリー・ホールで28戦無敗のエリック・チャベス英語版と対戦し5回2分14秒KO負けで初防衛に失敗した。

1993年3月14日、IBF世界ミニマム級王者ラタナポン・ソーウォラピンと王座挑戦として対戦したが7回31秒KO負け。

1993年12月17日、インドネシアミニマム級王者ピアン・ルムビアクインドネシア語版と対戦し4回KO勝ちで王座再獲得に成功した。

1994年4月2日、ロイ・ビマインドネシア語版と対戦し8回TKO勝ちで初防衛に成功した。

1994年5月8日、後のWBA世界ライトフライ級王者ピチット・チョーシリワットと対戦し3回TKO負け。

1994年8月1日、ムハンマド・サディクインドネシア語版と対戦し12回判定勝ちで2度目の防衛に成功した。

1994年10月8日、アルフルス・アンドリアンインドネシア語版と対戦し2回KO勝ちで3度目の防衛に成功した。

1994年12月10日、フィリップ・エルンガンインドネシア語版と対戦し2回KO勝ちで4度目の防衛に成功した。

1995年2月11日、スラッチャイ・サンモラコットインドネシア語版OPBF東洋太平洋ミニマム級王座決定戦を行い、12回判定勝ちで王座獲得に成功した。

1995年5月11日、スラッチャイ・サンモラコットと再戦し12回判定勝ちで初防衛に成功した。

1度防衛を挟んで1998年2月22日、岡山県倉敷市ウルフ時光と対戦し12回0-2の判定負けで3度目の防衛に失敗した。

1999年11月16日、グアム島WBCインターナショナルミニマム級王者で後のOPBF東洋太平洋ライトフライ級王者ファニト・ルビリアル英語版と対戦し6回KO負けで王座獲得に失敗した。

2000年7月4日、インドネシアミニマム級王者ムハンマド・ラクマンと対戦し初回TKO負けで王座再獲得に失敗した。

2002年8月1日、PABAミニマム級王者ポンサワン・ポープラムックと対戦し初回KO負け。

2006年4月15日、後楽園ホール黒木健孝と対戦し初回3分10秒KO負けを最後に現役を引退した。

獲得タイトル

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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前王者
サムット・シスナルポン
IBFミニマム級王者

1989年6月17日 - 1989年9月21日

次王者
エリック・チャベス