サムット・シスナルポン
基本情報 | |
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本名 | サムット・シスナルポン |
階級 | ミニマム級 |
身長 | 160cm |
国籍 | タイ |
誕生日 | 1959年5月17日(65歳) |
出身地 | バンコク |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 48 |
勝ち | 34 |
KO勝ち | 18 |
敗け | 12 |
引き分け | 2 |
無効試合 | 0 |
サムット・シスナルポン(Samuth Sithnaruepol、1959年5月17日 - )は、タイ王国のプロボクサー。バンコク出身。元IBF世界ミニマム級王者。
来歴
[編集]1982年1月1日、サムットはプロデビューを果たし、2回KO勝ちを収めた。
1982年8月29日、後のOPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者プラユンサク・ムアンスリンと対戦し、初黒星となる4回KO負けを喫した。
1982年12月10日、サンクムパン・ブンテャビーと対戦し、4回KO負けを喫した。
1983年8月25日、サマート・サカダムと対戦し、5回KO勝ちを収めた。
1984年2月11日、兒子哦と対戦し、5回KO勝ちを収めた。
1984年4月10日、トーンテープ・ペッチシラチャと対戦し、6回判定勝ちを収めた。
1984年7月7日、ナロンチャワット・ナブマルアンと対戦し、4回KO勝ちを収めた。
1985年1月10日、プット・オユチャナコーンと対戦し、6回判定勝ちを収めた。
1985年6月29日、ナロンチャワット・ナブマルアンと1年2ヶ月ぶりに対戦し、4回KO勝ちを収めた。
1985年12月26日、タイミニマム級王者プット・オユチャナコーンと11ヶ月ぶりに対戦し、10回判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
1986年4月27日、東京都でOPBF東洋太平洋ミニマム級初代王座決定戦を小野健治と行い、12回判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
1986年6月20日、ジャカルタでリトル・ポノと対戦し、12回KO勝ちを収め初防衛に成功した。
1987年2月19日、河名紀一と対戦し、5回KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。
1987年6月1日、ジャカルタでジョン・アリエフと対戦し、12回引き分けに終わったが3度目の防衛に成功した。
1987年12月31日、デン・ソルチャニクルと対戦し、7回KO勝ちを収め4度目の防衛に成功し、試合後王座を返上した。
1988年3月24日、バンコクのラジャダムナン・スタジアムで李敬渕の返上に伴い設置されたIBF世界ミニマム級王座決定戦をプリティー・ボーイ・ルーカスと行い、11回2分11秒ルーカスの右目のパンチによる負傷TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。
1988年8月29日、黃英九とラジャダムナン・スタジアムで対戦し、15回3-0(147-144、146-142、146-144、)の判定勝ちを収め、初防衛に成功した。この試合が世界タイトルマッチで15回戦として行う最後の試合となった[1]。
1989年3月24日、ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアムでニコ・トーマスと対戦し、12回0-1(117-117、113-117、115-115)の判定で引き分けに終わったが、2度目の防衛に成功した。
1989年6月17日、ジャカルタでニコ・トーマスと3ヶ月ぶりに対戦し、12回3-0(111-115、108-119、111-115)の判定負けを喫し3度目の防衛に失敗、王座から陥落した。この試合を最後に現役を引退した。
獲得タイトル
[編集]脚注
[編集]- ^ The Last 15 Round World Title Boxing Bout Sporting Chronicle 2007年7月1日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]空位 前タイトル保持者 李敬渕 |
IBF世界ミニマム級王者 1988年3月24日 - 1989年6月17日 |
次王者 ニコ・トーマス |