ニコラス・ネッターヴィル (第5代ネッターヴィル子爵)
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第5代ネッターヴィル子爵ニコラス・ネッターヴィル(英語: Nicholas Netterville, 5th Viscount Netterville、1709年2月7日 – 1751年3月19日)は、アイルランド貴族。
生涯
[編集]第4代ネッターヴィル子爵ジョン・ネッターヴィルとフランシス・パーソンズ(Elizabeth Parsons、初代ロス伯爵リチャード・パーソンズの娘)の息子として、1709年2月7日に生まれ、ユトレヒト大学で教育を受けた[1]。
1727年12月12日に父が死去すると、ネッターヴィル子爵の爵位を継承、1729年2月25日にアイルランド貴族院議員に就任した[1]。
1731年2月28日、キャサリン・バートン(Catharine Burton、1712年5月25日 – 1784年5月24日、サミュエル・バートンの娘)と結婚した[1]。
- ジョン(1744年 – 1826年) - 第6代ネッターヴィル子爵
1732年、アイルランド・グランドロッジのグランドマスターを務めた[2]。
1743年、ミーズ県でマイケル・ウォルシュ(Michael Walsh)を殺害した容疑により裁判にかけられ、審議は1743年2月3日にアイルランド貴族院で始まった[3]。しかし、主な証人となる2人の人物ともに死亡しており、2人の宣誓証書の読み上げも不許可となったため、ネッターヴィル子爵は無罪放免となった[3]。アイルランド貴族院で殺人事件の裁判が行われたのは1739年の第4代サントリーのバリー男爵ヘンリー・バリーの裁判以来だった[3]。
1751年3月19日に死去、息子ジョンが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 10.
- ^ The Constitutions of Freemasonry (英語). Dublin: The Grand Lodge of Ireland. 1858. p. 185.
- ^ a b c Gilbert, John Thomas, Sir. A History of the City of Dublin (英語). Vol. 3. Dublin: James Duffy. pp. 95–97.
フリーメイソン | ||
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