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ジェームズ・キング (第4代キングストン男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第4代キングストン男爵ジェームズ・キング英語: James King, 4th Baron Kingston PC (Ire)1693年1761年12月26日)は、アイルランド王国の貴族、フリーメイソン

生涯

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第3代キングストン男爵ジョン・キングとマーガレット・オカハン(Margaret O'Cahan、1662年頃 – 1721年4月29日、フローレンス・オカハンの娘)の息子として、1693年にフランスで生まれた[1]。1708年1月8日、イギリスへの帰化を求める請願を姉妹ソフィアとともに出した[1]

1728年2月15日に父が死去すると、キングストン男爵の爵位を継承、5月6日にアイルランド貴族院議員に就任、1729年4月24日にアイルランド枢密院英語版の枢密顧問官に任命された[1]

フリーメイソンとして1728年から1730年までイングランド首位グランドロッジ英語版のグランドマスターを[1]、1729年、1731年、1735年、1745年から1746年の4度にわたってアイルランド・グランドロッジ英語版のグランドマスターを務めた[2]

1761年12月26日、マーター・ワーシー英語版にある自宅で死去、ミッチェルズタウン英語版で埋葬された[1]。息子に先立たれ、爵位は廃絶した[1]。遺産は娘マーガレットが継承した[1]

家族

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エリザベス・ミード(Elizabeth Meade、1750年10月6日没、初代準男爵サー・ジョン・ミード英語版の娘)と結婚した[1]

1751年7月、イザベラ・オーグル(Isabella Ogle、1761年12月9日没、ナサニエル・オーグルの娘[3])と再婚した[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 298–299.
  2. ^ The Constitutions of Freemasonry (英語). Dublin: The Grand Lodge of Ireland英語版. 1858. p. 186.
  3. ^ Newman, A. N. (1970). "OGLE, Sir Chaloner (c.1680-1750), of Twickenham, Mdx. and Kirkley, Northumb.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年12月21日閲覧
フリーメイソン
先代
コルレイン男爵
イングランド首位グランドロッジ
グランドマスター
英語版

1728年 – 1730年
次代
ノーフォーク公爵
先代
ジェームズ・オブライエン英語版
アイルランド・グランドロッジ
グランドマスター
英語版

1729年
次代
ウィリアム・メイナード
先代
ウィリアム・メイナード
アイルランド・グランドロッジ
グランドマスター
英語版

1731年
次代
ネッターヴィル子爵
先代
バーンウォール子爵
アイルランド・グランドロッジ
グランドマスター
英語版

1735年
次代
ティロン子爵
先代
アレン子爵
アイルランド・グランドロッジ
グランドマスター
英語版

1745年 – 1746年
次代
サー・マーマデューク・ワイヴィル準男爵英語版
アイルランドの爵位
先代
ジョン・キング
キングストン男爵
1728年 – 1761年
廃絶