トニー・ポポヴィッチ
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ウェスタン・シドニーでのポポヴィッチ (2016年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | ポパ (POPPA) | |||||
ラテン文字 | Tony Popovic | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストラリア | |||||
生年月日 | 1973年7月4日(51歳) | |||||
出身地 | シドニー | |||||
身長 | 193cm | |||||
体重 | 88kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
シドニー・ユナイテッドFC | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1989-1997 | シドニー・ユナイテッドFC | 162 | (4) | |||
1994 | → キャンベラFC | 5 | (1) | |||
1997-2001 | サンフレッチェ広島 | 87 | (13) | |||
2001-2006 | クリスタル・パレス | 123 | (6) | |||
2006-2007 | アル・アラビ | 17 | (2) | |||
2007-2009 | シドニーFC | 27 | (1) | |||
通算 | 421 | (37) | ||||
代表歴 | ||||||
1988-1989 | オーストラリア U-17 | 7 | (2) | |||
1990-1991 | オーストラリア U-20 | 9 | (1) | |||
1992 | オーストラリア U-23 | 4 | (0) | |||
1995-2006 | オーストラリア | 58 | (8) | |||
監督歴 | ||||||
2008-2011 | シドニーFC (アシスタント) | |||||
2009 | シドニーFC監督 (暫定) | |||||
2011-2012 | クリスタル・パレス (アシスタント) | |||||
2012-2017 | ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ | |||||
2017 | カルデミル・カラビュックスポル | |||||
2018-2020 | パース・グローリー | |||||
2020-2021 | クサンティ | |||||
2021-2024 | メルボルン・ビクトリー | |||||
2024- | オーストラリア代表 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アンソニー・ポポヴィッチ(Tony Popovic、1973年7月4日 - )は、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州シドニー出身の元同国代表プロサッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。
来歴
[編集]現役時代
[編集]1989年、16歳の時にNSLのシドニー・ユナイテッドでキャリアをスタートする[1]。
1989 FIFA U-16世界選手権U-16代表、1991 FIFAワールドユース選手権U-20代表4位入賞、と各年代別代表を経験し、1992年エディ・トムソン率いるバルセロナ五輪U-23代表に選ばれ同大会4位入賞に貢献した。1995年2月8日親善試合対サッカーコロンビア代表戦でA代表デビューを飾る。
1997年、トムソンがJリーグ・サンフレッチェ広島監督に就任、それに伴いポポヴィッチも入団する[1]。守備の要[2] として活躍、上村健一およびハイデン・フォックスと組んだ[3]。一時はキャプテンを務め、PKも蹴っており[4]、監督やチームにとって絶対的な存在だった。 2001年、ヴァレリー・ニポムニシに監督が代わると2バック気味の4-3-3に戦術変更したなかでも主力として活躍した。
この間、FIFAコンフェデレーションズカップ2001代表などA代表に呼ばれ続けるものの、主力に定着できず、大陸間プレーオフ(メルボルンの悲劇など)に出場はかなわなかった。
2001年6月、欧州移籍を目指しイングランド1部リーグのクリスタルパレスFCに移籍し一時はキャプテンも務め、2003-04シーズンにはプレミアリーグ昇格を決めた[1]。
2005年、ワールドカップ予選大陸間プレーオフ2試合に出場し2006 FIFAワールドカップ出場に貢献、本大会ではグループリーグ2戦目のサッカーブラジル代表戦のみ出場している。
2006年7月、クリスタルパレスとの契約切れに伴いカタールQリーグのアル・アラビに移籍した[1]。 しかし、ホームシックに悩まされ退団を決意、一時は自らのルーツでもあるクロアチアの強豪チーム、ハイデュク・スプリトへの移籍を希望していたが金銭面で折り合いがつかなかった[5]。
2007年7月、シドニーFCへ移籍、キャプテンとして活躍する[1]。2008年11月をもって現役を引退する[1]。
指導者時代
[編集]2008年11月、シドニーFCでアシスタントコーチに就任した[1]。翌2009年、ジョン・コスミナ監督解任を受けて、短期間暫定で監督を務めた。
2011年2月、ドギー・フリードマン率いる古巣クリスタル・パレスFCのアシスタントコーチに就任した[6]。
2012年5月、オーストラリアに戻り、Aリーグに新規参入するウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCの初代監督に就任した[7]。同シーズンのレギュラーシーズンをいきなり優勝しグランドファイナルへ進出、結果準優勝(2位)で終わったことから、同シーズンのリーグ最優秀監督賞を受賞した[8]。就任3年目のAFCチャンピオンズリーグ2014では、決勝トーナメント1回戦で古巣広島を退け、決勝まで進出、Aリーグのクラブとしては初めてACL優勝に導いた[9]。
2020年、ギリシャ・スーパーリーグのクサンティFCの監督に就任[10]。シーズン終了後、退任した。
2021年4月21日、メルボルン・ビクトリーFCの監督に3年契約で就任[11]。2022年2月5日、2021FFAカップで優勝した。
2024年9月23日、オーストラリア代表監督に就任することをオーストラリアサッカー連盟が発表した[12]。
人物
[編集]1990年代から2000年代のオーストラリアを代表する屈強なセンターバック。空中戦に強く、セットプレーでの得点力も有する。各クラブおよび代表でキャプテンを務めるなどキャプテンシーもある[要出典]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
1989 | シドニーU | NSL | |||||||||
1989-90 | |||||||||||
1990-91 | |||||||||||
1991-92 | |||||||||||
1992-93 | |||||||||||
1993-94 | |||||||||||
1994 | キャンベラD | NSW-SL | 5 | 1 | |||||||
1994-95 | シドニーU | NSL | |||||||||
1995-96 | |||||||||||
1996-97 | |||||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | 広島 | 2 | J | 11 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 17 | 0 |
1998 | 18 | 25 | 4 | 2 | 1 | 3 | 1 | 30 | 6 | ||
1999 | J1 | 23 | 6 | 1 | 0 | 5 | 0 | 29 | 6 | ||
2000 | 21 | 3 | 3 | 2 | 2 | 0 | 26 | 5 | |||
2001 | 7 | 0 | 0 | 0 | - | 7 | 0 | ||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2001-02 | クリスタル・パレス | CS | |||||||||
2002-03 | |||||||||||
2003-04 | |||||||||||
2004-05 | 6 | プレミア | 23 | 0 | |||||||
2005-06 | CS | ||||||||||
カタール | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2006-07 | アル・アラビ | 19 | 1部 | ||||||||
オーストラリア | リーグ戦 | リーグ杯 | FFA杯 | 期間通算 | |||||||
2007-08 | シドニーFC | 6 | Aリーグ | 20 | 1 | ||||||
2008-09 | 7 | 0 | |||||||||
通算 | 豪州 | Aリーグ | 27 | 1 | |||||||
豪州 | NSL | ||||||||||
豪州 | NSW-SL | ||||||||||
日本 | J1 | 87 | 13 | 12 | 3 | 10 | 1 | 109 | 17 | ||
イングランド | CS | ||||||||||
イングランド | プレミア | ||||||||||
カタール | 1部 | ||||||||||
総通算 |
代表歴
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 58試合 8得点(1995年-2006年)[13]
オーストラリア代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1995 | 8 | 0 |
1996 | 10 | 0 |
1997 | 2 | 0 |
1998 | 2 | 0 |
1999 | 0 | 0 |
2000 | 7 | 1 |
2001 | 10 | 5 |
2002 | 0 | 0 |
2003 | 2 | 1 |
2004 | 5 | 0 |
2005 | 8 | 0 |
2006 | 4 | 1 |
通算 | 58 | 8 |
タイトル
[編集]選手時代
[編集]- オーストラリア代表
- OFCネイションズカップ:3回(1996、2000、2004)
監督時代
[編集]- ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC
- Aリーグレギュラーシーズン:1回(2012-13)
- AFCチャンピオンズリーグ:1回(2014)
- パース・グローリーFC
- Aリーグレギュラーシーズン:1回(2018-19)
- メルボルン・ビクトリーFC
- FFAカップ:1回(2021)
- 個人
- Aリーグ年間最優秀監督:2回(2012-13、2018-19)
- AFC年間最優秀監督賞:1回(2014)
ギャラリー
[編集]-
シドニーFC現役時代
-
シドニーFC現役時代
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g シドニー・モーニング・ヘラルド、2008年11月11日付
- ^ “待望の初白星、神戸に辛勝”. 中国新聞 (1997年3月20日). 2013年5月17日閲覧。
- ^ “サンフレ、反撃息切れ”. 中国新聞 (1998年9月28日). 2013年5月17日閲覧。
- ^ “PKゴール守り切り3連勝 地元最終戦飾る”. 中国新聞 (2000年5月20日). 2013年5月17日閲覧。
- ^ a b “移籍情報”. クロアチア・サッカーニュース (2007年7月9日). 2013年5月17日閲覧。
- ^ “Popovic To Quit Sydney For UK” (英語). FourFourTwo Australia (2011年2月24日). 2013年5月17日閲覧。
- ^ “Popovic named new Sydney club's first coach” (英語). FIFA (2011年5月17日). 2013年5月17日閲覧。
- ^ “Western Sydney Wanderers coach Tony Popovic named A-League Coach of the Year”. Adelaide Now. (2013年4月15日) 2013年5月17日閲覧。
- ^ “小野伸二の古巣が快挙!!創設3年目でアジア制覇”. ゲキサカ. (2014年11月16日) 2014年11月2日閲覧。
- ^ “ACL再開へ…豪州パース・グローリーはカタールで上海申花と対戦”. ゲキサカ. (2020年11月19日) 2020年12月3日閲覧。
- ^ “Victory appoints Tony Popovic”. Melbourne Victory FC (21 April 2021). 5 February 2022閲覧。
- ^ “豪州代表監督に元広島DFポポヴィッチ氏就任 来月15日のW杯最終予選で日本と対戦”. スポニチアネックス (2024年9月23日). 2024年10月10日閲覧。
- ^ トニー・ポポヴィッチ - National-Football-Teams.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- トニー・ポポヴィッチ - オーストラリアオリンピック委員会
- トニー・ポポヴィッチ - Olympedia
- トニー・ポポヴィッチ - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- トニー・ポポヴィッチ - National-Football-Teams.com
- トニー・ポポヴィッチ - Soccerway.com
- トニー・ポポヴィッチ - Soccerbase.comによる選手データ
- トニー・ポポヴィッチ - FootballDatabase.eu
- トニー・ポポヴィッチ - WorldFootball.net
- トニー・ポポヴィッチ - Transfermarkt.comによる選手データ
- トニー・ポポヴィッチ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- “Tony Popovic announces retirement” (英語). シドニー・モーニング・ヘラルド (2008年11月11日). 2013年5月17日閲覧。
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