コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

デパティエ・フレレング・エンタープライズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デパティエ・フレレング・エンタープライズ
元の種類
非公開
業種 アニメーション
その後 マーベル・エンターテイメントに買収され、マーベル・プロダクションズに改名。
前身 ワーナー・ブラザース・カートゥーン
後継 スタジオ:
マーベル・プロダクション
制作管理:
ウォルト・ディズニー・カンパニー
ワーナー・ブラザース・アニメーション
アマゾン・MGM・スタジオ (別名:ユナイテッド・アーティスツ)
設立 1963年5月 (61年前) (1963-05)
創業者 デヴィッド・H・ディパティエ
フリッツ・フレレング
解散 1981年 44年前 (1981)
本社
製品 テレビ番組
短編映画
テレビスペシャル
タイトルバック
テレビの広告CM
所有者 デヴィッド・H・ディパティエ
フリッツ・フレレング

デパティエ・フレレング・エンタープライズ(DePatie–Freleng Enterprises, Inc.)は、アメリカ合衆国アニメーション制作会社。1963年5月に元ワーナー・ブラザーズ・カートゥーンズのスタッフによって設立された。ミリッシュ兄弟およびジェフリー・プロダクションと共同制作された際では「ミリッシュ=ジェフリー=デパティエ=フレレング・プロダクション」(Mirisch-Geoffrey-DePatie-Freleng Productions)として、またDFEフィルムとしても知られている。このスタジオは1981年にマーベル[要曖昧さ回避]に買収され、マーベル・プロダクションに改名された。本社はカリフォルニア州バーバンクにあり、映画やテレビ向けのアニメーションを制作していた。

スタジオが手掛けた代表的な作品には、映画『ピンクの豹』(1963年)のオープニングタイトルとその続編シリーズ、ピンクパンサーを主人公にした関連の劇場用短編アニメシリーズ、1964年から1967年まで制作された『ルーニー・テューンズ』と『メリー・メロディーズ』の作品、1971年から1982年にかけて放送されたドクター・スースのテレビスペシャル、映画『スター・ウォーズ』(1977年)のライトセーバーの特殊効果、そして1970年代中頃にABCで放送された公共広告シリーズ『Bod Squad』や『Time for Timer』などがある。

歴史

[編集]

誕生

[編集]

デパティエ・フレレング・エンタープライズ(DFE)は、1963年5月にワーナー・ブラザーズ・カートゥーンズ(Warner Bros. Cartoons)がアニメーションスタジオを閉鎖した後、同社の元従業員であるフリッツ・フレレング監督兼作曲家兼プロデューサーと、エグゼクティブのデヴィッド・H・デパティ(David H. DePatie)によって設立された。[1][2]ワーナー・ブラザーズでは既に働いていなかったものの、ワーナーの幹部の好意により、フレレングとデパティはバーバンクのカリフォルニア通りにあった旧ワーナー・カートゥーンズのスタジオを、機材や資材を完備した状態で年間低額の賃貸料で借りることができた。当初、DFEの主な事業はコマーシャルや産業映画の制作でしたが、いくつかの幸運な出会いが新しいスタジオを劇場用アニメーション制作の道へと導いた。

映画監督のブレイク・エドワーズは、DFEに連絡を取り、新作映画『ピンク・パンサー』のためにパンサーキャラクターのデザインを依頼した。ホーリー・プラットのキャラクターデザインに満足したエドワーズは、DFEに映画のアニメーションタイトルの制作を依頼した。映画公開後、タイトルバックは大きな注目を集め、映画の興行収入の多くがDFEのタイトルバックの成功により生み出されたとされている[3]

その後、DFEはユナイテッド・アーティスツと契約し、ピンク・パンサーを主人公にした劇場用およびテレビ向けの短編アニメーションを制作した。1980年までに、100本以上の短編が制作された。また、1964年には、フレレングとデパティの長年の雇用主であるワーナー・ブラザーズがDFEと契約し、劇場公開用の新作『ルーニー・テューンズ』および『メリー・メロディーズ』の短編アニメを制作した。[4]

デパティとフレレングはすぐに仕事に追われるようになり、1950年代から1960年代にかけてワーナー・ブラザーズで働いていた多くのアニメーターが、DFEで働くために旧ワーナー・カートゥーンズのスタジオに戻ってきた。ピンク・パンサーシリーズの最初の作品『The Pink Phink』はフレレングが監督を務め、1964年にDFE唯一のアカデミー賞を受賞した。その後、1966年に『The Pink Blueprint』で再びアカデミー賞にノミネートされたが、受賞は逃した。

ピンクパンサーと他の作品

[編集]

『ピンク・パンサー』の劇場用アニメ短編映画は、1969年9月6日に始まった『The Pink Panther Show』という土曜朝のカートゥーン番組の基礎となった。この番組には、劇場用短編映画の『クルーゾー警部』(1966年初登場)[5]や、最終的に『アント&アードバーク』、『Roland and Rattfink』(1968年初登場)[6]、『The Texas Toads』(旧題:『Tijuana Toads』)も含まれた。当時のほとんどのテレビアニメ同様、『The Pink Panther Show』にも笑い声の音声(爆笑トラック)とナレーションが使用されていた。さらに、アニメーションはテレビの放送基準と規制に適合させるために編集され、一部は再録音されることもあった。[7]

『The Pink Panther Show』は1970年代にいくつかの形式で放送された。この番組はNBCの土曜朝の編成で人気を博し、最初は30分番組として開始したが、数年後には毎週90分に拡大。また、DFEはジェームズ・サーバーのイラストを基にした1969年から1970年までのテレビシリーズ『My World and Welcome to It』のアニメーションシーケンスも提供した。さらに、DFEは1964年から1967年までに制作されたワーナー・ブラザーズカートゥーンの下請け業者の1つでもあり、他にはフォーマット・プロダクションも関与していた。

DFEによって制作された『ルーニー・テューンズ』および『メリー・メロディーズ』の短編アニメは、現代的な「抽象的なWB」オープニングおよびクロージングシーケンスによって簡単に識別できる(ただし、この「抽象的なWB」のオープニングとクロージングは、元々ワーナー・ブラザーズ・カートゥーンズが制作した3本のカートゥーンで最初に使われた)。しかし、1964年から1967年までに制作された一部の『ルーニー・テューンズ』および『メリー・メロディーズ』はファンや批評家から酷評され、特にルディ・ラリバが監督したカートゥーンに対して最も厳しい批判が寄せられた。[8]1967年初頭以降、DFEは1970年代後半から1980年代初頭にかけて制作されたテレビスペシャル(『バッグス・バニーのイースター』(1977年)、『バッグス・バニーのクリスマス』(1979年)、『渡り鳥だよダフィーくん』(1980年))まで、ワーナーのカートゥーン制作を続けなかった。

DFEはまた、NBCで1975年9月6日から11月29日まで放送された『Return to the Planet of the Apes』(20世紀フォックス・テレビジョンと共同制作)や、1975年9月6日から12月20日までABCの土曜朝に放送された『The Oddball Couple』を制作。同スタジオのテレビスペシャルの1つには『The Bear Who Slept Through Christmas』(1973年)があり、トミー・スモザーズが冬眠に向かう仲間のクマたちをよそに人間の世界でクリスマスを探しに行く小さなクマの声を担当した。また、DFEは『キャット・イン・ザ・ハット』や『グリンチ』などといった作品を含むドクター・スースの作品のテレビスペシャルも手掛けた。

その後

[編集]

1981年、フリッツ・フレレングとデヴィッド・デパティエは、DFEフィルムズをマーベル・コミックに売却。その後、フレレングは前年に再開したワーナー・ブラザーズ・アニメーションに戻り、新たな映像を加えたクラシックなワーナー・カートゥーンをフィーチャーした一連の劇場映画を制作。一方、デパティエはマーベル・プロダクションと改名されたDFEの責任者として移った。[9] 1982年3月、デヴィッド・デパティはアニメ番組の制作を開始したと発表しました。[10] その後、1984年には「DePatie-Freleng」の名前が名称のみで復活し、ハンナ・バーベラ・プロダクションによって制作された『ピンクパンサーわんぱく隊(Pink Panther and Sons)』に使用された。

マーベルは主にスーパーヒーローを題材にしたカートゥーンや、ハズブロの製品を含むライセンスの玩具をベースにしたアニメシリーズを制作したが、ピンクパンサーを主役とする新たな作品の制作も継続した。その中には、テレビスペシャル『Pink at First Sight』や、映画『Trail of the Pink Panther』および『Curse of the Pink Panther』のタイトルバックが含まれている。1993年には、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー・アニメーションがMGM、ミリッシュ=ジェフリー=デパティ=フレレング、ユナイテッド・アーティスツの共同事業として『ピンクパンサー』をリバイバルするテレビシリーズを制作。これは、DFEがマーベルと統合され、ミリッシュ/UAがMGMに統合されてから10年後のことだった。

1993年、マーベル・プロダクションズはニュー・ワールド・アニメーションと改名された。その後、1996年にニューズ・コーポレーションニュー・ワールド・エンターテインメントを買収した際、ニュー・ワールド・アニメーションサバン・エンターテインメントに吸収され、かつてDFEだったスタジオはその歴史を終えた。その後、マーベルはサバンとの提携を通じてアニメ番組を制作し続けた。この提携においてサバンは、最近Fox Kidsの50%の株式を取得していた。2001年、ウォルト・ディズニー・カンパニーFOXファミリー・ワールドワイドを買収する一環としてサバンを取得した。

その後の所有権

[編集]

2009年、ウォルト・ディズニー・カンパニーはマーベル・エンターテインメントを買収。これにより、DFEが制作したオリジナル作品とマーベル・コミックスを基にした番組が一つの企業のもとに統合される形となり、すべてのこれらの作品は現在、ディズニー・ABC・ドメスティック・テレビジョンが配給を担当している。

一方で、DFEが制作したドクター・スースのスペシャル番組は、ドクター・スース財団CBSメディア・ベンチャーズを通じ、現在はワーナー・ブラザーズ・ホーム・エンターテインメントによって配給されている。

テレビ番組のカタログではこれまでに何度も所有権が変わってきているが、劇場用アニメ作品は引き続き元々の配給元によって所有されている。「ザ・ミリッシュ・カンパニー(The Mirisch Company)」のアニメーション作品陣はユナイテッド・アーティスツ(現:アマゾン・MGM・スタジオ)が所有しており、「ルーニー・テューンズ」および「メリー・メロディーズ」のカートゥーン作品はワーナー・ブラザーズが所有している。

ワーナー・ブラザースとディパティエ・フレレングのスタッフたち

[編集]

デパティエ・フレレングは設立当初、ワーナー・ブラザーズ・カートゥーンズとほぼ同じ施設、スタッフ、そしてプロデューサーを有していた。しかし、チャック・ジョーンズは後にDFEで「キャット・イン・ザ・ハット」の制作に関わるが、ジョーンズと彼の多くのアーティスト仲間は最終的に「Sib Tower 12 Productions」に移籍した。ジョーンズは独自にMGM向けに「トムとジェリー」の新作アニメを制作した。

DFEの製品成功には多くの従業員が大きく貢献したが、特に注目すべきはストーリー・アーティストであり、その中にディズニーおよびワーナーでの経験を持つジョン・W・ダンがいた。ダンは、劇場公開用およびテレビ向けの新しいアニメ作品の殆どを制作した。これらの作品には、「アント&アードバーク(The Ant and the Aardvark)」、「Tijuana Toads」、「Here Comes the Grump」、「Roland and Rattfink」などが含まれる。

DFEの多くのアニメーション作品はダンによって脚本および絵コンテが作られており、特に最初のピンク・パンサー作品である「ピンクに塗ろう(The Pink Phink)」が挙げられる。ダンの描画スタイルにおいては、DFEのアニメーションにも大きな影響を与えている。

担当作品

[編集]

劇場短編作品

[編集]

オリジナルシリーズ

タイトル 制作年 備考
ピンクパンサー 1964–1980
クルーゾー警部 1965–1969
Roland and Rattfink 1968–1971
アント&アードバーク 1969–1971
Tijuana Toads 1969–1972 1976年に「Texas Toads」と改題。
The Blue Racer 1972–1974
Hoot Kloot 1973–1974
The Dogfather 1974–1976

下儲け作品

TVシリーズ

[編集]
タイトル 放送年 放送局 備考 Episodes
スーパー6 1966–1967 NBC 20
スーパープレジデント 1967–1968 15
Here Comes the Grump 1969–1972 17
The Pink Panther Show
* Misterjaw (短編製作年; 1976)
* Crazylegs Crane (短編製作年; 1978)
1969–1980 NBC/ABC ユナイテッド・アーティスツ・テレビジョンみりっしゅ・フィルムズによる共同制作。 190
ドリトル先生航海記 1970–1971 NBC 20世紀フォックステレビジョンによる共同制作 17
The Barkleys 1972–1973 バイアコムによる配給 13
それゆけ珍探偵ハウンドキャッツ 1972–1974
スピードローラー猛レース 1973–1975 CBS 16
それ行け!わんニャン 1975–1977 ABC バイアコムによる配給。
まんが猿の惑星 1975–1976 NBC 20世紀フォックス・テレビジョンによる共同制作 13
まんがウキウキランド 1977–1978
新・近眼のマグー 1977–1979 CBS UPAによる共同制作。 16
The New Fantastic Four 1978 NBC マーベル・コミック・アニメーションによる共同制作。 13
スパイダーウーマン 1979–1980 ABC 16

下儲け作品

テレビスペシャル

[編集]
放送日 タイトル 放送局 所有者 備考
1970年3月31日 Goldilocks NBC ビング・クロスビー シャーマン兄弟との実写とアニメーションの共同制作
March 10, 1971 ドクター・スースのおはなし CBS ドクター・スース
1972年2月14日 The Lorax
1972年11月12日 Clerow Wilson and the Miracle of P.S. 14 NBC クレロウ・ウィルソン コメディアンのフリップ・ウィルソンが主演、彼の多くのキャラクターがテレビスペシャルに登場。
他にはジェラルディン・ジョーンズレヴァレンド・リロイも登場する。
1973年1月6日 Luvcast U.S.A. ABC One-shot Episode of ABC・サタデー・スーパースター・ムービー
1973年2月7日 The Incredible, Indelible, Magical, Physical Mystery Trip ABC アフタースクール・スペシャルの作品の1つ
1973年10月15日 Dr. Seuss on the Loose CBS ドクター・スース
1973年12月17日 The Bear Who Slept Through Christmas NBC One-Shot 現在、ライオンズゲートが所有。
1974年4月3日 Clerow Wilson's Great Escape クレロウ・ウィルソン 「Clerow Wilson and the Miracle of P.S. 14」の続編
1974年5月15日 The Magical Mystery Trip Through Little Red's Head ABC One-Shot 「ABC アフタースクール・スペシャル」作品の1つであり、また「The Incredible, Indelible, Magical, Physical Mystery Trip」の続編でもある。
1975年2月19日 The Hoober-Bloob Highway CBS ドクター・スース
1975年12月14日 The Tiny Tree NBC One-Shot
1977年2月16日 My Mom's Having a Baby ABC ABC アフタースクール・スペシャル作品の1つ。
1977年10月29日 Halloween Is Grinch Night ドクター・スースー
1978年2月1日 Michel's Mixed-Up Musical Bird One-Shot
1978年12月7日 The Pink Panther in: A Pink Christmas ピンクパンサー制作チーム ピンクパンサーのクリスマスを描いた作品、第1作。
1980年2月22日 まんがおもしろオリンピック
1980年3月5日 Where Do Teenagers Come From? One-Shot 『ABC アフター・スクール』の作品。
1980年5月2日 Pontoffel Pock, Where Are You? ドクター・スースー
1981年5月8日 Dennis the Menace in Mayday for Mother NBC わんぱくデニス
1981年5月10日 The Pink Panther in: Pink at First Sight ABC ピンクパンサー マーベル・プロダクションが完全制作。
1982年5月20日 The Grinch Grinches the Cat in the Hat ドクター・スース

下儲けによるスペシャル作品

放送日 タイトル 放送局 備考
1977年4月7日 バッグス・バニーのイースター CBS ワーナー・ブラザース
1979年11月27日 バッグス・バニーのクリスマス
April 1, 1980 渡り鳥だよダフィーくん NBC

CM

[編集]

映画およびテレビのタイトルデザイン

[編集]

ピンクパンサー・シリーズ

その他の映画

その他のテレビシリーズ

脚注

[編集]
  1. ^ Bingen, Steven (2014). Warner Bros.: Hollywood's Ultimate Backlot. Taylor Trade Publishing. pp. 110. ISBN 9781589799622. https://books.google.com/books?id=vjGPBAAAQBAJ 
  2. ^ Beck 2005, p. 12.
  3. ^ Tracking the Many Sides of The Pink Panther
  4. ^ a b Baking the Baker: David H. DePatie interview, part 1” (19 December 2010). Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  5. ^ Beck 2005, p. 32.
  6. ^ Beck 2005, p. 40.
  7. ^ Beck 2005, p. 44.
  8. ^ Misce-Looney-Ous: That Wasn't All, Folks!: Warner Bros. Cartoons 1964-1969, https://www.intanibase.com/gac/looneytunes/1960sarticle.aspx 
  9. ^ Johnson, Derek (2013). Media Franchising: Creative License and Collaboration in the Culture Industries. NYU Press. pp. 81–82. ISBN 9780814743898 
  10. ^ “Animated shows in works”. UPI (The Citizen). (1982年3月12日). https://fultonhistory.com/Newspaper%202/Auburn%20NY%20Citizen%20Advertiser/Auburn%20NY%20Citizen%20Advertiser%201982.pdf/Newspaper%20Auburn%20NY%20Citizen%20Advertiser%201982%20-%206408.PDF#xml=https://fultonhistory.com/dtSearch/dtisapi6.dll?cmd=getpdfhits&u=ffffffff9204fe25&DocId=436202&Index=Z%3a%5cDISK%20F&HitCount=2&hits=cba+cbb+&SearchForm=%2fFulton%5fform%2ehtml&.pdf 2023年2月21日閲覧。 

外部リンク

[編集]