ディエゴ・デ・モラレス
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ディエゴ・デ・モラレス(Diego de Morales、1604年10月13日 - 1643年3月25日)は、江戸時代初期に来日したスペインのイエズス会宣教師[1][2]。
経歴・人物
[編集]カスティーリャ王国のソリア(現在はカスティーリャ・イ・レオン州ソリア県に所在)に生まれ[1]、1625年に東洋布教を志すためにメキシコに渡航する[2]。翌1626年にはスペイン領東インド(現在のフィリピン)に渡り[2]、マニラにてコレジオだったサン・ホセ学校の校長を務めた[1][2]。
その後は同じイエズス会士でイタリア人宣教師だったアントニオ・ルビノの一行らと共に[1][2]、ポルトガル人宣教師のクリストヴァン・フェレイラ(沢野忠庵)の回心のために彼らと共に1642年(寛永19年)に来日する[1][2]。しかし当時日本ではキリスト教禁止令下にあったことより、翌年捕縛され同年3月25日(寛永20年2月6日)に拷問を受け穴吊しの刑に処されて殉教した[1][2]。