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ティーガー級ミサイル艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ティーガー級ミサイル艇
基本情報
艦種 Sボート (ミサイル艇)
命名基準 哺乳類もしくは鳥類の名
運用者  ドイツ海軍
 ギリシャ海軍
 チリ海軍
 エジプト海軍
就役期間 ドイツ 1972年 - 2002年
同型艦 20隻
前級 ヤグアル級 (魚雷艇)
次級 アルバトロス級
要目
基準排水量 234トン
満載排水量 264トン
全長 47.0 m
最大幅 7.1 m
吃水 2.66 m
主機 マイバッハMD872
(MTU 16V538 TB90)

ディーゼルエンジン×4基
推進器 スクリュープロペラ×4軸
出力 14,000馬力
電源 270 kW
速力 35.8ノット
航続距離 1,600海里 (15kt巡航時)
乗員 士官4名+下士官15名+兵18名
兵装62口径76mm単装速射砲×1基
70口径40mm単装機銃×1基
エグゾセMM38 SSM×4発
C4ISTARヴェガ戦術情報処理装置
・PALIS戦術データ・リンク
レーダー ・トリトン 対空・対水上捜索用
・3RM20 航法用
・ポルックス 火器管制用
電子戦
対抗手段
・DR-2000電波探知装置
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ティーガー級ミサイル艇ドイツ語: Flugkörperschnellboot Tiger-Klasse)は、西ドイツ海軍および統一ドイツ海軍Sボート高速戦闘艇)の艦級。エグゾセ艦対艦ミサイルを搭載しており、ドイツ海軍初のミサイル艇である[1]。公称艦型は148型(Klasse-148)[2][3][4][5]

来歴

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国防軍Sボート以来、ドイツの高速戦闘艇には定評があり、第二次世界大戦後の海軍再建の際にも、魚雷艇は重要な兵力として位置付けられた。連邦軍(西ドイツ海軍)では、バルト海という狭くて浅い内海での行動能力が重視されており[6]、また特にその入り口にあたるスカゲラク海峡は狭く浅く、また霧や強風、潮流など航海の障害が多く、魚雷艇の作戦に適した海域と考えられていた[1]。まず国防軍のSボートの設計を踏襲した149型(ジルバーメーヴェ級)が建造された[注 1]。またその建造と並行して新設計の140型(ヤグアル級)の計画が進められ、1961年からは、小改正型の142型(ツォーベル級)も建造された[1]

一方、イスラエル海軍では、西ドイツのリュールセン(Lürssen)社の協力のもと、ヤグアル級をもとに多少大型化して汎用性を高めたサール型を開発し、並行して国内で開発していたガブリエル艦対艦ミサイルを搭載して、ミサイル艇として運用していた。政治的な事情から、艇の建造はフランスシェルブールにあるCMN社の造船所で行われたが、同型の建造中にあたる1967年10月に発生したエイラート事件を受けて、西側諸国でもミサイル艇が注目されるようになり、1969年のギリシャ海軍の発注を皮切りに、CMN社はサール型の準同型艇(コンバタント型)多数を輸出することになった[1][7]

イスラエルの計画を援助する一方で、西ドイツ海軍自身も1960年代中盤よりミサイル艇の計画を進めており、1966年10月にはリュールセン社に対して複合構造(鉄骨木皮)艇の要求仕様が提示されていたものの[5]、この時点では搭載する武器システムとして妥当なものがなく、開発は難航していた[8][注 2]。このことから、漸進策として、1970年12月18日、サール型の系譜となるコンバタントII型の建造が発注された。これによって建造されたのが本級である[9]

設計

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上記のとおり、本級はコンバタントII A4L型の設計を採用しており[9][5]、これはイスラエル海軍とリュールセン社が設計したサール型の発展型であった[1]。原型となった140型(ヤグアル級)では低磁性化の要請から木造船とされていたが、サール型ではイスラエル国内での建造を想定して鋼製船とされており[10]、これは本級でも踏襲された[9][5]

主機としては、140型(ヤグアル級)の一部艇で導入され、サール型でも採用されたマイバッハMD872(MTU 16V538 TB90)ディーゼルエンジンが踏襲された[2][3][5]電源出力は270キロワットであった[9]

装備

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ヴェガ・ポルックスPCE戦術情報処理装置を備えており、Cバンドのトリトン捕捉レーダーおよびXバンドのポルックス追尾レーダーを連接していた[2]。このヴェガ・ポルックスPCEは、艦対艦ミサイルを含む武器管制機能も包括している。また「シュトルヒ」では低空警戒・対水上捜索レーダーをトリトンIIに、追尾レーダーをケストールIIに更新したほか、後にピラーニャ電子光学装置を連接した。その後、1990年までに、全艇で低空警戒・対水上捜索レーダーをトリトンGに、追尾レーダーをケストールIIに更新した。また、PALIS(Passice-Active-Link)装置を搭載して、リンク 11への連接に対応している[9]

主兵装となる艦対艦ミサイルエグゾセMM38で、連装発射筒2基に収容されて、艦橋構造物直後に搭載された。艦砲としては、サールIII型と同様に、62口径76mm単装速射砲(76mmコンパット砲)を船首甲板に搭載した。船尾甲板の70口径40mm単装機銃は、当初は開放砲架だったが、1984年より、マウザー社のガラス繊維強化プラスチック製砲塔が搭載された[9]。また機銃を撤去して機雷を搭載することもできる[3]

同型艇

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一覧表

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 西ドイツ海軍 退役/再就役後
# 旧艦名 新艦名 造船所 就役 退役 再就役先 # 艦名
P6141 S41 ティーガー
Tiger
フランスの旗
CMN
1972年
10月31日
1998年
9月21日
 チリ海軍 LM-39 テニエンテ・ウリベ
Teniente Uribe
P6142 S42 イルティス
Iltis
1973年
1月8日
1992年
10月15日
 ギリシャ海軍 P-72 ヴォトシス
ΒΠ ΒΟΤΣΗΣ
P6143 S43 ルクス
Luchs
1973年
4月9日
1998年
8月27日
 チリ海軍 部品取りに利用。
P6144 S44 マルダー
Marder
1973年
6月14日
1994年
5月25日
 ギリシャ海軍 P-74 ヴラハヴァスII
ΒΠ ΒΛΑΧΑΒΑΣ ΙΙ
P6145 S45 レオパルト
Leopard
1973年
8月21日
2000年
9月28日
P-76 トーナス
ΒΠ ΤΟΥΡΝΑΣ
P6146 S46 フクス
Fuchs
ドイツの旗
リュールセン
1973年
10月17日
2002年
12月16日
 エジプト海軍 10月6日
P6147 S47 ヤグアル
Jaguar
フランスの旗
CMN
1973年
11月13日
2000年
9月28日
 ギリシャ海軍 P-77 サキピス
ΒΠ ΣΑΚΙΠΗΣ
P6148 S48 ルーヴェ
Löwe
ドイツの旗
リュールセン
1974年
1月9日
2002年
12月16日
 エジプト海軍 10月21日
P6149 S49 ヴォルフ
Wolf
フランスの旗
CMN
1974年
2月26日
1997年
8月27日
 チリ海軍 LM-36 グアルディアマリーナ・リケルメ
Guardiamarina Riquelme
P6150 S50 パンター
Panther
ドイツの旗
リュールセン
1974年
3月27日
2001年
9月27日
2003年に解体処分
P6151 S51 ハーヘル
Häher
フランスの旗
CMN
1974年
6月12日
1994年
6月24日
 ギリシャ海軍 P-75 マリダキス
ΒΠ ΜΑΡΙΔΑΚΗΣ
P6152 S52 シュトルヒ
Storch
ドイツの旗
リュールセン
1974年
6月17日
1992年
11月16日
P-73 ペゾポウロス
ΠΕΖΟΠΟΥΛΟΣ
P6153 S53 ペリカン
Pelikan
フランスの旗
CMN
1974年
9月24日
1998年
6月4日
 チリ海軍 部品取りに利用。
P6154 S54 エルスター
Elster
ドイツの旗
リュールセン
1974年
11月14日
1997年
8月27日
LM-37 テニエンテ・オレリャ
Teniente Orella
P6155 S55 アルク
Alk
フランスの旗
CMN
1975年
1月7日
2002年
5月13日
 エジプト海軍 10月23日
P6156 S56 ドメル
Dommel
ドイツの旗
リュールセン
1975年
2月12日
2002年
12月16日
6月18日
P6157 S57 ヴァイエ
Weihe
フランスの旗
CMN
1975年
4月3日
2002年
12月16日
4月25日
P6158 S58 ペンギン
Pinguin
ドイツの旗
リュールセン
1975年
5月22日
2001年
6月28日
2003年に解体処分
P6159 S59 ライハー
Reiher
フランスの旗
CMN
1975年
6月24日
2001年
1月27日
P6160 S60 クラーニヒ
Kranich
ドイツの旗
リュールセン
1975年
8月6日
1998年
9月22日
 チリ海軍 LM-38 テニエンテ・セラーノ
Teniente Serrano

運用史

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建造は西ドイツのリュールセンとフランスのCMN(ノルマンディー機械製造)とで行われ、1970年代前半にCMNで12隻、リュールセンで8隻の合計20隻が建造されて西ドイツ海軍に配備された。当初は艦名はなく、NATOのペナント・ナンバーとSボートとしての番号だけが付されていたが、1981年に艦名が付された[5]。西ドイツ海軍では、ヤグアル級魚雷艇の後継として第3高速艇戦隊(3. Schnellbootgeschwader)と第5高速艇戦隊(5. Schnellbootgeschwader)に配備され、間もなく就役を開始したアルバトロス級ミサイル艇と共に、20年以上にわたって西ドイツ海軍および統一ドイツ海軍の戦力の一端を担っていた。

その後、冷戦終結後の軍縮の結果、1994年から逐次退役が始められ、2002年12月にはすべてのティーガー級がドイツ海軍から退役した。退役後のティーガー級は3隻が解体されたが、チリとギリシャが6隻ずつ、エジプトが5隻を引き取った。このうちチリでは2隻が部品取りとされたが、4隻がチリ海軍に再就役した。またギリシャにおいては、ECM/ESM装備などの近代化を行ったうえでラ・コンバタントIIa型として再就役させた。なお、ギリシャ海軍に引き渡された6隻のうち「ヴラハヴァスII」と「マリダキス」の2隻は、搭載する艦対艦ミサイルをRGM-84 ハープーンに換装している。

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ ジルバーメーヴェ級は連邦軍創設に先駆けて1952年に発注されており、連邦国境警備隊に配備される予定であったが[1]、再軍備に備えた意図が露骨すぎるとして、1955年に竣工した最初の3隻はさしあたりイギリス海軍が運用することになり、連邦軍創設後に返還された[6]
  2. ^ 発注は1972年までずれこみ[5]143型(アルバトロス級)として、1976年より就役を開始した[4]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f 戸田 1998.
  2. ^ a b c Moore 1975, p. 138.
  3. ^ a b c Sharpe 1989, p. 218.
  4. ^ a b Prezelin 1990, pp. 196–197.
  5. ^ a b c d e f g Gardiner 1996, pp. 150–151.
  6. ^ a b 青木 1998.
  7. ^ ラビノビッチ 1992, p. 223.
  8. ^ 海人社 1995.
  9. ^ a b c d e f Prezelin 1990, p. 197.
  10. ^ ラビノビッチ 1992, pp. 69–71.

参考文献

[編集]
  • Gardiner, Robert (1996). Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995. Naval Institute Press. ISBN 978-1557501325 
  • Moore, John E. (1975). Jane's Fighting Ships 1974-1975. Watts. ASIN B000NHY68W 
  • Prezelin, Bernard (1990). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 1990-1991. Naval Institute Press. ISBN 978-0870212505 
  • Sharpe, Richard (1989). Jane's Fighting Ships 1989-90. Janes Information Group. ISBN 978-0710608864 
  • 青木, 栄一「戦後ドイツ海軍の歩み (ドイツ軍艦の戦後史)」『世界の艦船』第542号、海人社、1998年9月、69-73頁。 
  • 戸田, 孝昭「高速艇 (第2次大戦後のドイツ軍艦)」『世界の艦船』第542号、海人社、1998年9月、84-87頁。 
  • ラビノビッチ, アブラハム『激突!!ミサイル艇』原書房、1992年。ISBN 978-4562022991 
  • 海人社(編)「世界の高速戦闘艇ラインナップ (特集・現代の高速戦闘艇)」『世界の艦船』第502号、海人社、1995年10月、76-83頁。 

外部リンク

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