チャールズ・ダグラス (第3代クイーンズベリー公爵)
第3代クイーンズベリー公爵および第2代ドーヴァー公爵チャールズ・ダグラス(英語: Charles Douglas, 3rd Duke of Queensberry, 2nd Duke of Dover PC FRS、1698年11月24日 – 1778年10月22日[1])は、スコットランド貴族、地主。スコットランド王璽尚書、スコットランド民事控訴院首席判事などを歴任した。
生涯
[編集]第2代クイーンズベリー公爵ジェームズ・ダグラスとメアリー・ボイル(第3代ダンガーヴァン子爵チャールズ・ボイルの娘)の三男として、1698年11月24日にエディンバラで生まれた[2]。1706年6月17日、ソルウェイ伯爵、ティベリス子爵、ロッカービー=ダルヴィーン=ソーンヒルのダグラス卿に叙された[2]。1711年7月に父が死去すると、兄ジェームズが精神疾患によりクイーンズベリー公爵の継承者から除外されクイーンズベリー侯爵しか継承できなかったため、チャールズ・ダグラスはクイーンズベリー公爵の爵位を継承した[3]。その後、貴族院議員になろうとしたが、貴族院がクイーンズベリー公爵に議会招集令状を受ける権利がないとの裁定を下した[2]。結局、クイーンズベリー公爵は1711年から1718年まで大陸ヨーロッパを旅行した[4]。また1715年には兄ジェームズが死去したためクイーンズベリー侯爵を継承した。1714年10月8日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1720年7月6日にDCLの学位を得た[5]。
1721年にダンフリーズシャーとカークーブリーシャー知事を、1720年から1727年までジョージ1世の寝室侍従を、1722年から1729年まで=スコットランドのヴァイス・アドミラル務め、1722年11月8日に王立協会フェローに選出され、1726年に枢密顧問官に任命された[4]。
1728年、クイーンズベリー公爵夫人の友人だったジョン・ゲイ[6]が『ポリー』の上演を拒否されたとき、クイーンズベリー公爵はゲイを支持したため、全ての役職を解任された[2]。以降は王太子フレデリック・ルイスを支持するようになり[2]、1733年から1751年にはフレデリック・ルイスの寝室侍従を務めた[4]。1760年にフレデリック・ルイスの息子がジョージ3世として即位すると枢密顧問官に復帰、スコットランド王璽尚書(在任:1761年 – 1763年)、スコットランド民事控訴院首席判事(在任:1763年 – 1778年)を務めた[2]。
1778年、ロンドンに向かう最中、馬車から降りるときに事故を起こし、そのときの怪我がもとで死去した[2]。継承者となる存命中の子供がいなかったため、ドーヴァー公爵とソルウェイ伯爵の爵位は断絶、クイーンズベリー公爵は第3代マーチ伯爵ウィリアム・ダグラス(第2代クイーンズベリー公爵の弟の孫)が継承した[6]。死後、ダリスディアで埋葬された[4]。
家族
[編集]1720年3月10日、第4代クラレンドン伯爵ヘンリー・ハイドの娘キャサリン(1777年7月17日没)と結婚、2男をもうけた[2]。
脚注
[編集]- ^ Sancho, Ignatius; Jekyll, Joseph (1782) (英語). Letters of the Late Ignatius Sancho, an African ...: To which are Prefixed, Memoirs of His Life .... J. Nichols
- ^ a b c d e f g h Vian, Alsager Richard (1888). Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 15. London: Smith, Elder & Co. pp. 288–289. . In
- ^ The genealogy of the existing British peerage: with sketches of the family, Edmund Lodge
- ^ a b c d "Douglas; Charles (1698 - 1778); 3rd Duke of Queensberry and 2nd Duke of Dover". Record (英語). The Royal Society. 2019年5月4日閲覧。
- ^ Foster, Joseph, ed (1891). Disbrowe-Dyve. Oxford: University of Oxford. pp. 406–439
- ^ a b Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 22 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 731.
- ^ Haden-Guest, Edith, Lady (1964). "DOUGLAS, Lord Charles (1726-56), of Kellwood, Dumfries.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年7月20日閲覧。
外部リンク
[編集]公職 | ||
---|---|---|
先代 ロシズ伯爵 |
スコットランド海軍卿 1722年 – 1729年 |
次代 ステア伯爵 |
先代 アーガイル公爵 |
スコットランド王璽尚書 1761年 – 1763年 |
次代 アソル公爵 |
司法職 | ||
先代 ツィードデール侯爵 |
スコットランド民事控訴院首席判事 1763年 – 1778年 |
次代 マンスフィールド伯爵 |
名誉職 | ||
先代 ウィンチルシー伯爵 |
首席枢密顧問官 1769年 – 1778年 |
次代 サンドウィッチ伯爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ジェイムズ・ダグラス |
ドーヴァー公爵 1711年 – 1778年 |
断絶 |
スコットランドの爵位 | ||
新設 | ロッカービー=ダルヴィーン=ソーンヒルのダグラス卿 1706年 – 1778年 |
断絶 |
ティベリス子爵 1706年 – 1778年 | ||
ソルウェイ伯爵 1706年 – 1778年 | ||
先代 ジェイムズ・ダグラス |
クイーンズベリー公爵 1711年 – 1778年 |
次代 ウィリアム・ダグラス |
先代 ジェームズ・ダグラス |
クイーンズベリー侯爵 1715年 – 1778年 |