ヘンリー・ハイド (第4代クラレンドン伯爵)
第4代クラレンドン伯爵および第2代ロチェスター伯爵ヘンリー・ハイド(英語: Henry Hyde, 4th Earl of Clarendon and 2nd Earl of Rochester PC、1672年6月 – 1753年12月10日)は、イギリスの貴族、政治家。1682年から1711年までハイド卿の儀礼称号を使用した。
生涯
[編集]初代ロチェスター伯爵ローレンス・ハイドとヘンリエッタ・ボイル(初代バーリントン伯爵リチャード・ボイルの娘)の息子として、1672年6月に生まれた[1]。1683年から1687年までイートン・カレッジで教育を受けた後、1687年から1690年までイタリア、ドイツ、オランダを旅し[1]、1700年10月7日にオックスフォード大学よりDCLの学位を授与された[2]。
1692年11月15日から1711年5月2日までローンストン選挙区の庶民院議員を務めた[1]。トーリー党員であり、1696年にジャコバイトの第3代準男爵ジョン・フェンウィックの私権剥奪に反対、1710年にはヘンリー・サシェヴェレルの弾劾に反対した[1]。
1711年5月2日に父が死去すると、ロチェスター伯爵の爵位を継承、さらに1723年3月31日に第3代クラレンドン伯爵エドワード・ハイド(ヘンリー・ハイドの伯父の孫にあたる)が死去すると、クラレンドン伯爵の爵位を継承した[3]。父からロチェスター伯爵を継承した以降、貴族院に移籍して引き続きトーリー党員としてふるまった[1]。
1710年10月19日から1714年9月まで枢密顧問官を務め、1711年から1714年までコーンウォール統監を務めた[3]。
1719年、王立音楽アカデミー社に出資した[4]。
1751年1月にハイド男爵の爵位を息子ヘンリーに譲ったが、ヘンリーが1753年4月26日に落馬事故で死去したため[5]、第4代クラレンドン伯爵はハイド男爵を再継承した[3]。同年12月10日、第4代クラレンドン伯爵が死去、後継者がいないため全ての爵位が断絶した[3]。
家族
[編集]1692年3月8日、第4代準男爵ウィリアム・ルーソン=ゴアの娘ジェーン(1725年没)と結婚、下記の子女をもうけた[1]。
- ヘンリエッタ(1710年7月5日埋葬)
- エドワード(1702年11月17日埋葬)
- ローレンス(1703年10月6日 – 1704年5月27日埋葬)
- アン(1709年11月2日埋葬)
- ジェーン(1694年 – 1724年1月) - 1718年11月27日、第3代エセックス伯爵ウィリアム・カペルと結婚、子供あり
- キャサリン(1701年頃 – 1777年7月17日) - 1720年3月10日、第3代クイーンズベリー公爵チャールズ・ダグラスと結婚
- シャーロット(1707年頃 – 1740年3月17日)
- ヘンリー(1710年 – 1753年) - 第5代ハイド男爵
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Hayton, D. W. (2002). "HYDE, Henry, Lord Hyde (1672-1753)". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年6月5日閲覧。
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Horrobin-Hyte". Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 748–784.
- ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 268.
- ^ Milthous, Judith; Hume, Robert D (January 1986). "The Charter for the Royal Academy of Music". Music and Letters (英語). 67 (1): 51. doi:10.1093/ml/67.1.50。
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 269.
外部リンク
[編集]イングランド議会 (en) | ||
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先代 ウィリアム・ハーボード バーナード・グランヴィル |
庶民院議員(ローンストン選挙区選出) 1692年 – 1707年 同職:バーナード・グランヴィル 1692年 – 1695年 ウィリアム・ケアリー 1695年 – 1707年 |
次代 グレートブリテン議会 |
グレートブリテン議会 | ||
先代 イングランド議会 |
庶民院議員(ローンストン選挙区選出) 1707年 – 1711年 同職:ウィリアム・ケアリー 1707年 – 1710年 フランシス・スコベル 1710年 – 1711年 |
次代 フランシス・スコベル ジョージ・クラーク |
名誉職 | ||
先代 ロチェスター伯爵 |
コーンウォール統監 コーンウォール首席治安判事 1711年 – 1714年 |
次代 ナ |
イングランドの爵位 | ||
先代 ローレンス・ハイド |
ロチェスター伯爵 1711年 – 1753年 |
廃絶 |
先代 エドワード・ハイド |
クラレンドン伯爵 1723年 – 1753年 | |
ハイド男爵 (繰上勅書により) 1723年 – 1751年 |
次代 ヘンリー・ハイド | |
先代 ヘンリー・ハイド |
ハイド男爵 1753年 |
廃絶 |