チャールズ・クート (第7代マウントラス伯爵)
第7代マウントラス伯爵チャールズ・ヘンリー・クート(英語: Charles Henry Coote, 7th Earl of Mountrath PC (Ire)、1725年頃 – 1802年3月1日)は、アイルランド貴族。1744年までキャッスルクート子爵の儀礼称号を使用した[1]。
生涯
[編集]第6代マウントラス伯爵アルジャーノン・クートとダイアナ・ニューポート(Diana Newport、1696年頃 – 1766年7月14日、第2代ブラッドフォード伯爵リチャード・ニューポートの娘)の息子として、1725年頃に生まれた[1]。
1744年8月27日に父が死去すると、マウントラス伯爵位を継承、1753年12月19日にアイルランド貴族院議員に就任した[1]。
1761年、アイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[2]。
嫡子をもうけなかったため、1800年7月31日にアイルランド貴族であるキャッスル・クート男爵に叙された[1][3]。この男爵位は初代男爵の男系男子が断絶した場合、遠戚のチャールズ・ヘンリー・クートおよびその男系男子が継承すると定められた[1](ただし、チャールズ・ヘンリー・クートは初代男爵の男系継承者(heirs male)ではない[1])。
1802年3月1日に生涯未婚のままデヴォンシャーで死去した[1]。マウントラス伯爵は後継者がおらず廃絶、キャッスル・クート男爵は規定通りチャールズ・ヘンリー・クートが継承、マウントラス伯爵の従属爵位は1621年創設の準男爵位が遠戚のチャールズ・ヘンリー・クート(キャッスル・クート男爵の継承者とは別人)に継承されたほかは全て廃絶した[1][2]。遺産についてはイングランドの地所が母方の親族である第2代ブラッドフォード男爵オーランド・ブリッジマンに[4]、アイルランドの地所が父方の親族(クート家)に継承された[1][2]。
家族
[編集]生涯未婚だったが、メアリー・プレストン(Mary Preston)との間で庶子1人をもうけている[1]。
- チャールズ(1761年7月30日 – ?) - 1761年9月6日に洗礼
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 408.
- ^ a b c "Mountrath, Earl of (I, 1660 - 1802)". Cracroft's Peerage (英語). 17 November 2009. 2020年1月18日閲覧。
- ^ "No. 15281". The London Gazette (英語). 2 August 1800. p. 889.
- ^ Drummond, Mary M. (1964). "BRIDGEMAN, Orlando (1762-1825), of Weston Park, Staffs.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月18日閲覧。
アイルランドの爵位 | ||
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先代 アルジャーノン・クート |
マウントラス伯爵 1744年 – 1802年 |
廃絶 |
爵位創設 | キャッスル・クート男爵 1800年 – 1802年 |
次代 チャールズ・ヘンリー・クート |
アイルランドの準男爵 | ||
先代 アルジャーノン・クート |
(キャッスル・カフの)準男爵 1744年 – 1802年 |
次代 チャールズ・ヘンリー・クート |