キャッスル・クート男爵
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キャッスル・クート男爵(キャッスル・クートだんしゃく、英: Baron Castle Coote)は、アイルランド貴族の爵位。1800年に創設され、1827年に廃絶した。
歴史
[編集]第7代マウントラス伯爵チャールズ・ヘンリー・クート(c.1725–1802)は1800年合同法を支持した褒賞として、また70代になっても爵位の継承者たる男子をもうけなかったため、1800年7月31日にアイルランド貴族であるロスコモン県におけるキャッスル・クート男爵に叙された[1][2]。この爵位には特別残余権(special remainder)が規定されており、初代の男系男子が断絶した場合、遠戚(初代マウントラス伯爵チャールズ・クート(c.1610–1661)の弟の玄孫)チャールズ・ヘンリー・クート(1754–1823)およびその男系男子が継承できるとした[1]。このチャールズ・ヘンリー・クートはアイルランド王国の政治家であり、アイルランド庶民院議員、聖パトリック騎士団付系譜学者、関税委員などを歴任し、第7代マウントラス伯爵の死後にキャッスル・クート男爵位を継承した[3](マウントラス伯爵などほかの爵位は廃絶した[1])。
2代男爵の死後はその息子エア・ティルソン・クート(1793–1827)が3代男爵となったが、妻との間で息子をもうけず、その死をもって爵位は廃絶した[3]。
キャッスル・クート男爵(1800年)
[編集]- 第7代マウントラス伯爵・初代キャッスル・クート男爵チャールズ・ヘンリー・クート(1725年ごろ – 1802年)
- 第2代キャッスル・クート男爵チャールズ・ヘンリー・クート(1754年 – 1823年)
- チャールズ・ヘンリー・クート閣下(1781年 – 1810年)
- 第3代キャッスル・クート男爵エア・ティルソン・クート(1793年 – 1827年)
出典
[編集]- ^ a b c Cokayne, Gibbs & Doubleday 1913, p. 83.
- ^ "No. 15281". The London Gazette (英語). 2 August 1800. p. 889.
- ^ a b Cokayne, Gibbs & Doubleday 1913, p. 84.
参考文献
[編集]- Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 83–84.