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クート準男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クート準男爵(クートじゅんだんしゃく、: Coote baronets)は、準男爵位。1621年にアイルランドの準男爵位として、1774年にグレートブリテンの準男爵位として創設され、前者が現存する。

歴史

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1621年の創設

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イングランド出身の軍人チャールズ・クート英語版(1581–1642)は1600年にアイルランドに移ったのち、アイルランド九年戦争英語版で戦功を立て、1616年11月5日に騎士爵に、1621年4月2日にアイルランドの準男爵位を叙された[1]。2代準男爵チャールズ・クート英語版(c.1610–1661)は1626年6月4日に騎士爵に叙されたのち、アイルランド庶民院議員を務め、アイルランド同盟戦争英語版で政府軍に味方した[2]。1650年代に第一議会第二議会第三議会の議員を務めたが、1659年にチャールズ2世王政復古を支持したため、1660年9月6日にアイルランド貴族であるクイーンズ・カウンティにおけるマウントラス伯爵ロスコモン県キャッスル・クートのクート子爵キングス・カウンティキャッスル・カフのクート男爵に叙された[3]

2代伯爵チャールズ・クート英語版(c.1630–1672)はアイルランド庶民院議員を務め、3代伯爵チャールズ・クート英語版(c.1655–1709)ロード・ジャスティス英語版(摂政)の1人になった[4]。5代伯爵ヘンリー・クート(1684–1720)と6代伯爵アルジャーノン・クート(1689–1744)ホイッグ党所属のグレートブリテン庶民院議員を務めた[5]

7代伯爵チャールズ・ヘンリー・クート(c.1725–1802)は生涯未婚で嫡子がおらず、1800年7月31日にアイルランド貴族であるキャッスル・クート男爵に叙された[6]。この爵位には特別残余権(special remainder)が規定されており、チャールズ・ヘンリー・クートの男系子孫が断絶した場合、遠戚のチャールズ・ヘンリー・クート英語版(1754–1823)およびその男系男子が継承できるとした[6]。かくして、1802年に7代伯爵が死去すると、キャッスル・クート男爵位はチャールズ・ヘンリー・クートが継承、1660年創設の爵位は廃絶[7]、準男爵位はもう1人の遠戚チャールズ・ヘンリー・クート英語版(1792–1864)(初代伯爵の弟チッドリー・クートの来孫)が継承した[8]。7代伯爵の遺産のうち、アイルランドでの地所のみクート家が相続した[9]

9代準男爵以降はその男系子孫によって継承され[10]、2020年現在の当主は16代準男爵サー・ニコラス・パトリック・クート(1953–)である[11]

1774年の創設

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初代ベロモント伯爵チャールズ・クート(1738–1800)は1774年5月18日にグレートブリテンの準男爵位を叙された[12]。この準男爵位は特別残余権(special remainder)が規定され、チャールズ・クートの男系子孫が断絶した場合は庶子チャールズ・クート(1765–1857)が継承できるとした[12]。ベロモント伯爵の嫡子が早世したため、1800年に伯爵が死去すると、庶子チャールズ・クートが準男爵位を継承、それ以外の爵位は廃絶した[13]

準男爵位は以降息子、孫へと継承されたが[14]、1920年に4代準男爵サー・チャールズ・アルジャーノン・クート(1847–1920)が死去すると、準男爵位は廃絶した[15]

(キャッスル・カフの)クート準男爵(1621年)

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マウントラス伯爵(1660年)

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(キャッスル・カフの)クート準男爵(1621年、復帰)

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  • 第9代準男爵サー・チャールズ・ヘンリー・クート英語版(1792年 – 1864年)
  • 第10代準男爵サー・チャールズ・ヘンリー・クート(1815年 – 1895年)
  • 第11代準男爵サー・アルジャーノン・クート英語版(1817年 – 1899年)
  • 第12代準男爵サー・アルジャーノン・チャールズ・プランプター・クート(1847年 – 1920年)
  • 第13代準男爵サー・ラルフ・アルジャーノン・クート(1874年 – 1941年)
  • 第14代準男爵サー・ジョン・ラルフ・クート(1905年 – 1978年)
  • 第15代準男爵サー・クリストファー・ジョン・クート(1928年 – 2016年)[16]
  • 第16代準男爵サー・ニコラス・パトリック・クート(1953年 – )

準男爵位の法定推定相続人は現当主の息子ローリー・アラスデア・クート(1987年 – )である。

(ドニーブルックの)クート準男爵(1774年)

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  • 初代ベロモント伯爵・初代準男爵チャールズ・クート(1738年 – 1800年)
  • 第2代準男爵サー・チャールズ・クート(1765年 – 1857年)
  • 第3代準男爵サー・チャールズ・クート(1798年 – 1861年)
  • 第4代準男爵サー・チャールズ・アルジャーノン・クート(1847年 – 1920年)

出典

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  1. ^ Cokayne 1900, pp. 226–227.
  2. ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, pp. 357–358.
  3. ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, p. 358.
  4. ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, pp. 359–360.
  5. ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, pp. 360–361.
  6. ^ a b Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, p. 361.
  7. ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, pp. 361–362.
  8. ^ Cokayne 1900, p. 228.
  9. ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1936, p. 362.
  10. ^ Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 891. ISBN 978-0-97119662-9
  11. ^ "About". Coote & Co. (英語). 2024年3月25日閲覧
  12. ^ a b Cokayne & Gibbs 1912, p. 109.
  13. ^ Cokayne & Gibbs 1912, p. 110.
  14. ^ Cokayne 1906, p. 169.
  15. ^ Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 1 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 893. ISBN 978-0-97119662-9
  16. ^ "Death of Sir Christopher Coote Bt". Irish Genealogical Research Society (英語). 21 June 2017. 2024年3月25日閲覧

参考文献

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関連項目

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