コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

チャド・ブラッドフォード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チャド・ブラッドフォード
Chad Bradford
2008年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミシシッピ州ジャクソン
生年月日 (1974-09-14) 1974年9月14日(50歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
205 lb =約93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト13巡目
初出場 1998年8月1日
最終出場 2009年9月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

チャドウィック・リー・ブラッドフォードChadwick Lee Bradford, 1974年9月14日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ジャクソン出身の元プロ野球選手投手)。

略歴

[編集]

生い立ち

[編集]

1974年9月14日ミシシッピ州ジャクソンで生まれた。チャドが2歳になる少し前、父は脳卒中により障害が残った。チャドが7歳のころにはキャッチボールができるようになったが、利き腕が肩より上にあがらないので、サブマリン投法で投げ返した。これが少年時代のチャドの記憶に刻まれた[1]

地元のセントラルハインズ高等学校へ進学したが、野球部のムース監督にはピリッとしない怠け者で、友達とたむろしたいために部活をやっているように映り、試合に出られればいいほうで、「カーブの切れがとんでもなく悪かった。球威もない。ストレートは止まって見えた」と評している[2]

ハインズコミュニティー大学へ進学し、1994年末にはシカゴ・ホワイトソックスは来年の権利を獲得するために同年6月のドラフト34巡目で指名されたことを電報で知らせるも、財政的に苦しく指名されず、南ミシシッピー大学へ進学[3]1996年にホワイトソックスから13巡目での指名を受け、大学かマイナーリーグか悩んだ末に契約[4]

マイナーリーグ

[編集]

大学リーグで通用した140キロ弱のストレートが通用せず、18歳の時に結婚をしており、子供も生まれたため、大学を卒業したほうがよかったのではと、後悔がよぎった[4]1998年のスプリングトレーニングで球団からは結果が残せないとクビと言われ、首にならないことを目標に迎えたスプリングトレーニングの終わり頃には、今までよりさらに低い位置からボールを放つようになり、球に切れが出て、打者を手玉に取った[5]。その後2Aの打者も手玉にとり、6月末に3Aのカルガリー・キャノンズに昇格した[5]

3Aでチャドは生れて初めてサブマリン投法で投げるようになった[6]速球のスピードは130から135キロくらいだったが、キャッチャーのミットに収まる秒数は、普通のオーバースローの投手の151キロのと同じで、変化球は一度浮いてから沈むシンカースライダーを投げた[7]。試合はチャドの独擅場となり、打者は「打ちにくい」、「球筋が読みにくい」、「とんだ食わせ者だ」とこぼした[7]

メジャーリーグ

[編集]
オリオールズ時代

1998年8月1日メジャーデビューを果たした。その後シーズン終了までに32イニングを投げ、被本塁打は0だった。球団はチャドの活躍を評価せず[8]1999年2000年はシーズンの大半を3Aで過ごした。日本のほうが高く評価してもられるかもしれないと、妻には日本でプレーしたいと漏らした[9]

オークランド・アスレチックスポール・デポデスタGM補佐はこれほど強力な投手を3Aに置いておくとは信じられないと思い、ビリー・ビーンGMにトレードでの獲得を勧め、[10]。2000年12月にミゲル・オリーボとのトレードでアスレチックスへ移籍し、ビリー・ビーンから中継ぎエースをやってもらいたいと言われた[11][注 1]

2001年は背中の手術を受け、アスレチックスでの最初の登板は4月24日だった。その後35試合に登板し、防御率は2.70の成績を残した。2002年8月にはESPNから「メジャー屈指の中継ぎ投手」と大きく取り上げられたが、それ以後集中力を乱し[12]、9月の防御率は9.00だった[13]。シーズントータルでは自己最高の75試合に登板し、成績を分析した球団はチーム内で一番信頼できる投手であり、球界でも最高レベルの救援投手と結論付けた[14]

ニューヨーク・メッツ時代
(2006年9月)

2005年は成績が低下したが、2006年ニューヨーク・メッツで甦った。2006年11月30日ボルチモア・オリオールズへ3年総額1050万ドルで移籍[15]2008年8月7日に後日発表選手との交換トレードでタンパベイ・レイズへ移籍した[16]

2009年は肘や背中の故障でたびたび故障者リスト入りして満足に登板できず、10回1/3を投げて被安打22という成績に終わった。同年をもって引退し、2010年からは母校のセントラルハインズ高等学校で野球部のアシスタントコーチとなった[17]。2015年にはハインズコミュニティー大学のアシスタントコーチも務めた[18]

選手としての特徴

[編集]
投球フォーム

サブマリン投法から196cmの長身を折りこむようにして投げる。リリースポイントが地面すれすれであるため、投球時稀に地面で手を擦る事もあるという。デビュー当初はサイドスローであったが、年々リリース位置を下げ現在の投法となった。晩年はストレートのスピードが落ちていたが、制球力で衰えをカバーしていた。

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1998 CWS 29 0 0 0 0 2 1 1 9 .667 125 30.2 27 0 7 0 0 11 1 1 16 11 3.23 1.11
1999 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 24 3.2 9 1 5 0 0 0 1 0 8 8 19.64 3.82
2000 12 0 0 0 0 1 0 0 2 1.000 52 13.2 13 0 1 1 0 9 0 0 4 3 1.98 1.02
2001 OAK 35 0 0 0 0 2 1 1 4 .667 154 36.2 41 6 6 0 1 34 0 0 12 11 2.70 1.28
2002 75 0 0 0 0 4 2 2 24 .667 311 75.1 73 2 14 5 5 56 0 1 29 26 3.11 1.15
2003 72 0 0 0 0 7 4 2 23 .636 322 77.0 67 7 30 9 7 62 0 1 28 26 3.04 1.26
2004 68 0 0 0 0 5 7 1 14 .417 251 59.0 51 5 24 9 5 34 0 0 32 29 4.42 1.27
2005 BOS 31 0 0 0 0 2 1 0 8 .667 104 23.1 29 1 4 1 3 10 2 0 10 10 3.86 1.41
2006 NYM 70 0 0 0 0 4 2 2 10 .667 252 62.0 59 1 13 4 0 45 0 0 22 20 2.90 1.16
2007 BAL 78 0 0 0 0 4 7 2 19 .364 289 64.2 77 1 16 3 6 29 0 0 28 24 3.34 1.44
2008 47 0 0 0 0 3 3 0 16 .500 160 40.1 41 2 7 3 1 13 0 0 17 11 2.45 1.19
TB 21 0 0 0 0 1 0 0 5 1.000 81 19.0 18 1 8 3 1 4 0 0 3 3 1.42 1.37
'08計 68 0 0 0 0 4 3 0 21 .571 241 59.1 59 3 15 6 2 17 0 0 20 14 2.12 1.25
2009 20 0 0 0 0 1 0 0 2 1.000 55 10.1 22 1 2 1 0 6 0 0 5 5 4.35 2.32
MLB:12年 561 0 0 0 0 36 28 11 136 .563 2180 515.2 527 28 137 39 29 313 4 3 214 187 3.26 1.29
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

[編集]
  • 44(1998年 - 2000年)
  • 53(2001年 - 2003年、2005年 - 2006年、2007年途中 - 2009年)
  • 54(2004年)
  • 52(2007年 - 同年途中)

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ これはマイケル・ルイス著の『マネー・ボール』を基にした映画でも描かれているが、映画で獲得したように描かれている時期には、実際にはすでにアスレチックスに在籍している。

出典

[編集]
  1. ^ ルイス 2004, p. 288.
  2. ^ ルイス 2004, pp. 290–291.
  3. ^ ルイス 2004, p. 294.
  4. ^ a b ルイス 2004, p. 295.
  5. ^ a b ルイス 2004, p. 296.
  6. ^ ルイス 2004, p. 297.
  7. ^ a b ルイス 2004, p. 298.
  8. ^ ルイス 2004, p. 300.
  9. ^ ルイス 2004, p. 301.
  10. ^ ルイス 2004, p. 302.
  11. ^ ルイス 2004, p. 322.
  12. ^ ルイス 2004, p. 324.
  13. ^ Chad Bradford 2002 Pitching Splits - Baseball-Reference PI” (英語). 2008年6月25日閲覧。
  14. ^ ルイス 2004, p. 285.
  15. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、87頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  16. ^ Rays add veteran Bradford to bullpen Submariner acquired from Orioles for player to be named”. MLB.com. 2008年8月12日閲覧。
  17. ^ Chad Bradford: From Major Leaguer To High School Coach”. wjtv.com. 2010年8月5日閲覧。[リンク切れ]
  18. ^ Hinds Community College Eagles - 2015 Baseball Coaching Staff - Chad Bradford”. Hinds Community College. 2018年4月9日閲覧。

参考文献

[編集]

マイケル・ルイス 著、中山宥 訳『マネー・ボールランダムハウス講談社、2004年。ISBN 9784270000120 

外部リンク

[編集]