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ダニヤル・ウセノフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ダニヤル・ウセノフ1960年3月9日 - )は、キルギス共和国の政治家。同国首相(第14代)を務めた。二等国務国家参議官。キルギスタン人民(「エル」)党党首。

経歴

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フルンゼ市出身。キルギス人。

  • 1982年 - フルンゼ工科大学を卒業
  • 1982年~1984年 - ソビエト軍に将校として勤務。ウラル軍管区本部通信拠点長
  • 1984年~1990年 - キルギス鉱山(ウラン)コンビナート中央研究室機械化・生産自動化担当技師(カラ・バルタ市)
  • 1990年~1992年 - カラ・バルタ市執行委員会第一副議長、カラ・バルタ市行政府副長官
  • 1992年 - キルギス国立大学法学部を通信教育で卒業
  • 1992年~1993年 - チュイ州国家行政府長官補佐官、キルギス・イギリス投資会社執行役員
  • 1994年~1995年 - 金融・産業会社「エリダン」社長
  • 1990年~1995年 - カラ・バルタ市とチュイ州議会の代議員
  • 1995年~2000年 - ジョゴルク・ケネシ立法院代議員。税務問題委員会委員長
  • 2000年 - 「エリダン」社長に再任
  • 2000年 - 株式会社「INEKSIMBANK」代表取締役

2000年1月と4月、1996年の事件で起訴され、短期間逮捕・勾留された。同年3月のジョゴルク・ケネシ選挙から外され、不動産の未申告により起訴された。

チューリップ革命後

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2005年3月30日~10月4日、経済発展・貿易・投資担当副首相代行。同年4月18日からアスカル・アカエフ前大統領の財産調査国家委員会議長。同年10月10日~11月10日、第一副首相代行となったが、ジョゴルク・ケネシにより承認されなかった。

  • 2006年5月10日~6月26日 - 第一副首相代行に再任
  • 2006年6月26日~2007年4月2日 - 第一副首相
  • 2007年10月10日~ - ビシュケク市長代行
  • 2007年11月14日 - 2008年 - ビシュケク市長
  • 2008年7月7日~2009年1月 - キルギス共和国発展財団総裁
  • 2009年1月12日~10月21日 - 大統領府長官
  • 2009年10月21日から首相就任。
  • 2010年4月7日 内閣総辞職[1]

パーソナル

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妻帯、2児(ムラート、ウルマート)を有する。

「ジーンズ・クラブ」会員。

脚注

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  1. ^ “キルギス政権が崩壊 野党、臨時政府樹立を宣言”. 日経電子版 (日本経済新聞). (2010年4月8日). http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE2EAE2E2E48DE2EAE2E6E0E2E3E29C9CE2E2E2E2 2010年4月8日閲覧。 


公職
先代
イーゴリ・チュディノフ
キルギスの旗 キルギス共和国首相
第15代:2009 - 2010
次代
ローザ・オトゥンバエヴァ
(暫定政府代表)