アマンゲリドゥイ・ムラリエフ
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アマンゲリドゥイ・ムラリエフ(Амангельды Мурсадыкович Муралиев、1947年8月7日 - )は、キルギスの政治家。暫定政府に引き続く「技術政府」の第一副首相。元首相。
経歴
[編集]- 1967年:カラバル砂糖工場の工員
- 1967年 - 1969年:ソビエト軍勤務
- 1969年 - 1970年:カラバル砂糖工場の職長
- 1970年 - 1973年:フルンゼ電気真空機械製造試験工場の設計技師。
- 1973年 - 1976年:収穫機材専門設計局の設計師、班長
- 1976年 - 1978年:党フルンゼ市委員会産業・輸送課指導官。
- 1978年 - 1982年:フルンゼ重電気機械製造工場「チャシュエレクトロマシュ」主任技師、社長。
- 1982年 - 1988年:キルギス自動車機械製造公団「キルギスアフトマシュ」社長。
- 1988年 - 1991年:フルンゼ市人民代議員会議執行委員会議長
- 1991年 - 1992年:国家書記官、国家経済委員会議長、内閣幹部会、大統領会議のメンバー。
- 1992年 - 1993年:経済・財務相、政府幹部会のメンバー。
- 1993年:キルギスタン産業・企業家同盟総裁。
- 1993年 - 1994年:国家経済委員会議長、政府幹部会のメンバー
- 1994年 - 1996年:国有財産基金役員会議議長(大臣格)、政府幹部会のメンバー
- 1996年 - 1996年、産業政策担当副首相
- 1996年7月 - 1999年、オシ州国家行政府長官(知事)
- 1999年 - 2000年、首相
2001年7月~2004年2月、株式会社「キルギス金融取引所」社長。2002年10月20日、ジョゴルク・ケネシュ (キルギス議会) 出馬。
2004年2月7日から2005年9月13日まで、経済発展・産業・貿易相代行となったが、議会の承認を得られなかった。
2008年6月から政治運動「統一キルギスタン」議長。同年12月24日から「統合国民運動」政治局員。
2010年7月14日、ローザ・オトゥンバエヴァを首班とする「技術政府」の第一副首相(首相職は空席)。
パーソナル
[編集]チュイ州カリーニン地区(現パンフィロフ地区)クム・アルイク村出身。
カラバルト食料産業専門学校(1967年)、フルンゼ政治大学(1976年)、ソ連閣僚会議附属人民経済アカデミー(1989年)を卒業。キルギス共和国工学アカデミー会員。国際工学アカデミーのメンバー。
妻帯、1男1女を有する。
キルギスタン共和国サッカー連盟総裁。キルギスタン統一党政治会議調整官。キルギス共和国功労産業労働者。
理想の政治家は、フランクリン・ルーズベルト。