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タンク・パットン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タンク・パットン
プロフィール
リングネーム タンク・パットン
ダグ・パットン
ブラック・テラー
ビッグ・マック
本名 ダグラス・グッドウィン・マクミチェン
ニックネーム 暴走重戦車
身長 194cm
体重 135kg(全盛時)
誕生日 1946年3月23日
死亡日 (1998-12-31) 1998年12月31日(52歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
バージニア州の旗 バージニア州
オーガスタ郡スタントン[1]
スポーツ歴 アメリカンフットボール
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タンク・パットンTank Patton、本名:Douglas Goodwin McMichen1946年3月23日 - 1998年12月31日)は、アメリカ合衆国プロレスラーバージニア州スタントン出身[1]。生年は1949年ともされる[2]

鉄兜を被ったコンバット・スタイルの巨漢ヒールとして、南部中西部地区で活動した[2][3]。日本での主戦場だった全日本プロレスでは、覆面レスラーブラック・テラーThe Black Terror)に変身したこともある[2][3]

来歴

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学生時代はアメリカンフットボールで活躍[2]スコット・ケーシーのスカウトでプロレス入りし[2]ビッグ・マックBig Mac)のリングネームフロリダジョージアミッドアトランティックなど南部NWA圏を転戦[1]1974年テネシー州メンフィスNWAミッドアメリカ地区にてダグ・パットンDoug Patton)名義で活動した後[3]ジョージ・パットンの率いたアメリカ戦車部隊にあやかったタンク・パットンTank Patton)を名乗り[2]ザ・ファンクスが主宰していたテキサス州アマリロのNWAウエスタン・ステーツ地区に登場。

1976年8月、同地区からのブッキングで全日本プロレスの『ブラック・パワー・シリーズ』に初来日[2]。シリーズのエース格ボボ・ブラジルのパートナーに起用され、8月26日に札幌中島スポーツセンターにてジャイアント馬場&ジャンボ鶴田インターナショナル・タッグ王座に挑戦した[4]。このシリーズでは、同じくアマリロから初来日したテッド・デビアスと組んで、グレート小鹿&大熊元司極道コンビが保持していたアジア・タッグ王座にも挑んでいる[4]。帰国後の11月には主戦場のウエスタン・ステーツ地区にて、テリー・ファンクNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦した[5]

1977年ロサンゼルスNWAハリウッド・レスリングにて、チャボ・ゲレロビクター・リベラザ・ハングマンロディ・パイパーキース・フランクスらと抗争[6]アンドレ・ザ・ジャイアントともシングルマッチで対戦した[7]1978年は4月から6月にかけてWWWFを短期間サーキット、当時アメリカに遠征していたストロング小林とも共闘し、4月25日にフィラデルフィアにて、ミル・マスカラスヘイスタック・カルホーンラリー・ズビスコのチームと6人タッグマッチで対戦[8]。5月30日にはスクラントンにてブッチャー・バションをパートナーに、ディノ・ブラボー&ドミニク・デヌーチが保持していたWWWF世界タッグ王座に挑戦した[9]。同年下期は中西部NWAセントラル・ステーツ地区に参戦、ジェシー・ベンチュラと組んで9月14日にロン・スター&トム・アンドリュースからNWA世界タッグ王座を奪取している[10]

この間、全日本プロレスには1977年8月の再来日を経て、1978年3月に覆面レスラーブラック・テラーThe Black Terror)に変身して『チャンピオン・カーニバル』の第6回大会に出場[11]。開幕戦の入場式においてアブドーラ・ザ・ブッチャーに喧嘩を売り、同日に行われたブッチャーとの公式リーグ戦では両者リングアウトの引き分けに持ち込むなど[11]、「リーグ戦荒らし」としての活躍を見せた[12]。ブラック・テラー名義では1980年5月にも全日本プロレスに参戦しており、ザ・デストロイヤーとの覆面レスラー同士の対立アングルも組まれた[13](同時期、素顔のタンク・パットンとして国際プロレスへの参加も予定されていた)。

1981年にはテキサス州サンアントニオのSCW(サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング)に参戦、4月24日にタイガー・コンウェイ・ジュニアを破り、同団体認定のブラスナックル王座の初代チャンピオンとなった[14]。SCWではブッチャー、タリー・ブランチャードバック・ロブレイケン・パテラなどと共闘し、ワフー・マクダニエルドリー・ファンク・ジュニアイワン・プトスキーマニー・フェルナンデスボビー・ダンカンブルーザー・ブロディらと対戦[15]。以後、1980年代前半はサンアントニオ地区を主戦場に活動した[1]

1998年12月31日のため死去[3]。52歳没。

得意技

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獲得タイトル

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セントラル・ステーツ・レスリング
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
  • NWAウエスタン・ステーツ・ヘビー級王座:1回[16]
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
  • SCWブラスナックル王座:2回[14]

脚注

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  1. ^ a b c d Tank Patton”. Wrestlingdata.com. 2014年5月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P74-75(2002年、日本スポーツ出版社
  3. ^ a b c d Tank Patton”. Online World of Wrestling. 2010年2月1日閲覧。
  4. ^ a b The AJPW matches fought by Tank Patton in 1976”. Wrestlingdata.com. 2015年2月22日閲覧。
  5. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1976”. Wrestling-Titles.com. 2012年1月7日閲覧。
  6. ^ The NWAHW matches fought by Tank Patton in 1977”. Wrestlingdata.com. 2015年2月23日閲覧。
  7. ^ The NWAHW matches fought by Tank Patton in 1977 (2)”. Wrestlingdata.com. 2016年9月28日閲覧。
  8. ^ The WWE matches fought by Tank Patton in 1978”. Wrestlingdata.com. 2015年2月23日閲覧。
  9. ^ WWE Yearly Results 1978”. The History of WWE. 2012年1月10日閲覧。
  10. ^ a b NWA World Tag Team Title [Central States]”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月23日閲覧。
  11. ^ a b The AJPW matches fought by Tank Patton in 1978”. Wrestlingdata.com. 2015年2月22日閲覧。
  12. ^ 『ゴング』1978年5月号P120-123「第6回チャンピオン・カーニバル総評」(1978年、日本スポーツ出版社)
  13. ^ The AJPW matches fought by Tank Patton in 1980”. Wrestlingdata.com. 2015年2月22日閲覧。
  14. ^ a b Southwest Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月1日閲覧。
  15. ^ The SWCW matches fought by Tank Patton in 1981”. Wrestlingdata.com. 2015年2月23日閲覧。
  16. ^ NWA Western States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月1日閲覧。

外部リンク

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