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マニー・フェルナンデス (プロレスラー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マニー・フェルナンデス
マニー・フェルナンデスの画像
プロフィール
リングネーム マニー・フェルナンデス
本名 エマニュエル・フェルナンデス
ニックネーム レイジング・ブル
雷鳥
身長 183cm - 184cm
体重 113kg - 118kg
誕生日 (1954-07-27) 1954年7月27日(70歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州の旗 テキサス州
エルパソ郡エルパソ
スポーツ歴 アメリカンフットボール
デビュー 1977年
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"ザ・レイジング・ブル" マニー・フェルナンデス"The Raging Bull" Manny Fernandez、本名:Emmanuel Fernández1954年7月27日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州エルパソ出身のメキシコ系アメリカ人

日本では「マニー・ルナンデス」と表記される場合もあるが、スペリングの通り、本項では原音に近い表記を使用する。

来歴

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少年期にエルパソからカリフォルニア州サンノゼに移住し、ハイスクール時代はアメリカンフットボールレスリングで活動[1]。大学入学前にUSネイビーシールズに入隊し[2]ベトナム戦争に従軍[1]。除隊後はウエスト・テキサス州立大学にてフットボールを再開し、NFLカンザスシティ・チーフスにも所属していたが[3]、当時テキサス州アマリロでプロレス団体(NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ)を運営していたザ・ファンクスディック・マードックブラックジャック・マリガンと邂逅、彼らに触発されてプロレスラーとなる[1]

1977年のデビュー後はアマリロ地区を経て、エディ・グラハムが主宰するフロリダCWFを主戦場に、メキシコ系アメリカ人のベビーフェイスとして活躍。キラー・カーンドン・ムラコバグジー・マグローレロイ・ブラウンスーパー・デストロイヤーニコライ・ボルコフディック・スレーターミスター・サイトーらと抗争を繰り広げ[4][5]1979年10月にはテリー・ファンクからNWAフロリダ・ヘビー級王座を[6]1981年にはバロン・フォン・ラシクから同TV王座を奪取した[7]

1981年下期からは故郷のテキサスに戻り、サンアントニオを本拠地とするサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングに参戦。旧敵スレーターを相手にサウスウエスト・ヘビー級王座を争い[8]、10月4日にはケン・パテラを破ってテキサス・ブラスナックル王座を獲得している[9]。タッグでは同じメキシコ系のチャボ・ゲレロとコンビを組み、ジノ・ヘルナンデス&タリー・ブランチャードのダイナミック・デュオと世界タッグ王座を争った[10]。その後は中西部NWAセントラル・ステーツ地区に入り、1982年9月16日にロジャー・カービーからフラッグシップ・タイトルのセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を奪取、翌年2月10日にデューイ・ロバートソンに敗れるまで戴冠した[11]

1983年8月、全日本プロレスの『スーパー・パワー・シリーズ』に初来日[12]。来日が待たれていた「まだ見ぬ強豪」の一人として注目されたものの、テリー・ファンクの引退試合に話題が集中し、ファンクス、スタン・ハンセンブルーザー・ブロディキラー・トーア・カマタ、同じく初来日のテリー・ゴディなど豪華メンバーが集結した同シリーズにおいては大きな印象を残すことはできなかった。

1984年からはジム・クロケット・ジュニアが運営するノースカロライナNWAミッドアトランティック地区に定着。フロリダ時代からの盟友ダスティ・ローデスのパートナーとなり、同年10月20日にイワン・コロフ&ドン・カヌードルから同地区認定のNWA世界タッグ王座を奪取[13]。11月28日にはブラック・バートを破りブラスナックル王座も獲得した[14]。その後はアーン・アンダーソンワフー・マクダニエルとの抗争を経て、1986年よりヒールに転向。ポール・ジョーンズマネージャーリック・ルードタッグチームを結成し(入場テーマ曲はクイーンの『ウィ・ウィル・ロック・ユー』)、12月6日にロックンロール・エクスプレスを破り再びNWA世界タッグ王座を獲得[13]ロード・ウォリアーズとも同王座を巡る抗争を展開した[15]

NWA離脱後の1987年10月、新日本プロレスに初参戦[16]。帰国後の11月2日にはテネシー州メンフィスCWAにて、ビル・ダンディーからCWAインターナショナル・ヘビー級王座を奪取している[17]。CWAではヘクター・ゲレロをパートナーに、ジェリー・ローラージェフ・ジャレットとも対戦した[18]。日本では新日本プロレスの常連外国人選手となり、1988年7月の来日からはバズ・ソイヤーとのコンビで活躍[19][20]1989年12月31日には新日本が主催した旧ソビエト連邦モスクワでの興行に出場、サルマン・ハシミコフの母国凱旋試合の相手を務めた[16]

1980年代終盤は末期のAWA1990年代初頭はプエルトリコWWCで活動。WWCではインベーダー1号を破り、1990年1月13日にプエルトリコ・ヘビー級王座、1991年9月に北米ヘビー級王座をそれぞれ獲得している[21][22]1992年1993年にはケンドー・ナガサキが主宰していたNOWに来日、上田馬之助のパートナーを務めた[23][24]

セミリタイア後はベテランのジョバーとしてWCWのTVテーピングに出場[25][26]。トレーナーとなって後進の育成にも携わり、ネルソン・エラーゾ(ホミサイド)やロン・キリングス(K・クイック、R・トゥルース)などがフェルナンデスの指導のもとデビューを果たした[27][28]。引退後はかつての主戦場ノースカロライナに居住、各地のインディー団体にも単発出場している[2]

得意技

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獲得タイトル

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チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回[6]
  • NWAフロリダTV王座:1回[7]
セントラル・ステーツ・レスリング
  • NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:1回[11]
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
  • SCWテキサス・ブラスナックル王座:1回[9]
  • SCWサウスウエスト・ヘビー級王座:2回[8]
  • SCW世界タッグ王座:1回(w / チャボ・ゲレロ[10]
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • CWAインターナショナル・ヘビー級王座:1回[17]
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回[21]
  • WWC北米ヘビー級王座:1回[22]
オール・プロ・レスリング
  • APWユニバーサル・ヘビー級王座:1回[2]

脚注

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  1. ^ a b c Manny Fernandez still a raging bull”. SLAM! Sports (July 14, 2003). 2010年2月12日閲覧。
  2. ^ a b c Manny Fernandez”. Online World of Wrestling. 2010年2月12日閲覧。
  3. ^ Original Manny Fernandez Added to Pro Wrestling Event in Orlando, Florida”. Wrestle-Zone. 2010年2月12日閲覧。
  4. ^ The CWF matches fought by Manny Fernández in 1979”. Wrestlingdata.com. 2015年3月6日閲覧。
  5. ^ The CWF matches fought by Manny Fernández in 1980”. Wrestlingdata.com. 2015年3月6日閲覧。
  6. ^ a b NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。
  7. ^ a b NWA Florida Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。
  8. ^ a b SCW Southwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月27日閲覧。
  9. ^ a b SCW Texas Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月27日閲覧。
  10. ^ a b SCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月12日閲覧。
  11. ^ a b NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月27日閲覧。
  12. ^ The AJPW matches fought by Manny Fernández in 1983”. Wrestlingdata.com. 2015年3月6日閲覧。
  13. ^ a b c NWA World Tag Team Title: Mid-Atlantic version”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月9日閲覧。
  14. ^ a b NWA Brass Knuckles Title: Mid-Atlantic version”. Wrestling-Titles.com. 2012年6月8日閲覧。
  15. ^ The WCW matches fought by Manny Fernández in 1987”. Wrestlingdata.com. 2015年3月6日閲覧。
  16. ^ a b 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P23(2002年、日本スポーツ出版社
  17. ^ a b CWA International Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月27日閲覧。
  18. ^ The USWA matches fought by Manny Fernández in 1987”. Wrestlingdata.com. 2015年10月27日閲覧。
  19. ^ The NJPW matches fought by Manny Fernández in 1988”. Wrestlingdata.com. 2015年3月6日閲覧。
  20. ^ The NJPW matches fought by Manny Fernández in 1989”. Wrestlingdata.com. 2015年3月6日閲覧。
  21. ^ a b WWC Puerto Rico Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月27日閲覧。
  22. ^ a b WWC North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月27日閲覧。
  23. ^ The NOW matches fought by Manny Fernández in 1992”. Wrestlingdata.com. 2015年10月27日閲覧。
  24. ^ The NOW matches fought by Manny Fernández in 1993”. Wrestlingdata.com. 2015年10月27日閲覧。
  25. ^ The WCW matches fought by Manny Fernández in 1995”. Wrestlingdata.com. 2015年10月27日閲覧。
  26. ^ The WCW matches fought by Manny Fernández in 1996”. Wrestlingdata.com. 2015年10月27日閲覧。
  27. ^ Kwik to the Truth: A Look at the 23-Year Career of Ron Killings”. Last Word on Pro Wrestling. 2020年10月25日閲覧。
  28. ^ Homicide's style comes from the streets”. SLAM! Sports (April 6, 2004). 2010年2月12日閲覧。

外部リンク

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