スーパーパワーズカップ
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スーパーパワーズカップ(Super Powers Cup)は、かつて行われていたラグビーユニオンの国際大会である。本項では2003年~2004年のスーパーパワーズカップと2005年のTOSHIBAスーパーカップを合わせて記述する。2006年にIRBパシフィックファイブネイションズ(現・ワールドラグビーパシフィックネイションズカップ)が創設されたことなどにともない、スーパーカップは廃止された。
2003年
[編集]2003年にIRBが、日本・米国・ロシア・中国の4ヶ国による1回戦総当たり戦として創設したが、SARSの流行のため中国がこの年の大会への参加を取りやめ、3ヵ国によって行われた。また、米国はロシア戦にフル代表ではなくA代表を派遣し、これを下したロシアが優勝した。米国が2位、日本は2敗で3位に終わった。
試合一覧
[編集]2003年5月17日 14:00 |
アメリカ合衆国 | 69 - 27 | 日本 | ボクサースタジアム(サンフランシスコ) レフリー: B・ククリンスキー(カナダ) |
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レポート |
2003年5月25日 14:00 |
日本 | 34 - 43 | ロシア | 秩父宮ラグビー場(東京都) レフリー: アル・クレンプ(アメリカ) |
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レポート |
2003年7月 |
ロシア | 30 - 21 | アメリカ合衆国A | クラスノヤルスク |
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2004年
[編集]2004年は、東芝の特別協賛となり、TOSHIBAスーパーパワーズカップとして日本で開催された。中国は他の参加国に実力が遠く及ばないため結局参加せず、替わってカナダが加わってのトーナメント方式となり、日本がロシアとカナダを破って優勝した。
試合一覧
[編集]1回戦
2004年5月27日 |
カナダ | 23 - 20 | アメリカ合衆国 | 旧国立競技場(東京都) |
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1回戦
2004年5月27日 19:07 |
日本 | 29 - 12 | ロシア | 旧国立競技場(東京都) レフリー: B・ククリンスキー(カナダ) |
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レポート |
3位決定戦
2004年5月30日 |
アメリカ合衆国 | 41 - 11 | ロシア | 秩父宮ラグビー場(東京都) |
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決勝戦
2004年5月30日 14:05 |
日本 | 34 - 21 | カナダ | 秩父宮ラグビー場(東京都) 観客数: 11679[1]人 レフリー: アル・クレンプ(アメリカ) |
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レポート |
2005年
[編集]2005年は前年同様、日本で4ヶ国によるトーナメント方式で開催されたが、ロシアに替わってルーマニアが参加し、「超大国カップ」という従来の名称と実態との乖離が大きくなったため、「TOSHIBAスーパーカップ」に改称された。 優勝したのはカナダで、米国と日本を破った。
試合一覧
[編集]1回戦
2005年5月25日 |
カナダ | 30 - 26 | アメリカ合衆国 | 旧国立競技場(東京都) |
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1回戦
2005年5月25日 19:06 |
日本 | 23 - 16 | ルーマニア | 旧国立競技場(東京都) レフリー: P・ドロレット(カナダ) |
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レポート |
3位決定戦
2005年5月29日 |
アメリカ合衆国 | 28 - 22 | ルーマニア | 秩父宮ラグビー場(東京都) |
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決勝戦
2005年5月29日 14:31 |
日本 | 10 - 15 | カナダ | 秩父宮ラグビー場(東京都) 観客数: 12097[2]人 レフリー: G・ブレン(アメリカ) |
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レポート |