ジークムント (オーストリア大公)
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ジークムント Siegmund | |
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オーストリア大公 | |
1470年頃の肖像画(アルテ・ピナコテーク蔵) | |
在位 | 1446年 - 1490年 |
出生 |
1427年10月26日 神聖ローマ帝国 チロル伯領、インスブルック |
死去 |
1496年3月4日(68歳没) 神聖ローマ帝国 チロル伯領、インスブルック |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 チロル伯領、シュタムス修道院 |
配偶者 | エレノア・オブ・スコットランド |
カタリーナ・フォン・ザクセン | |
家名 | ハプスブルク家 |
父親 | オーストリア公フリードリヒ4世 |
母親 | アンナ・フォン・ブラウンシュヴァイク |
ジークムント(Siegmund / Sigmund)またはジギスムント(Sigismund, 1427年10月26日 - 1496年3月4日)は、インスブルック出身のハプスブルク家のオーストリア公、後にオーストリア大公(前方オーストリア(Vorderösterreich)大公)。1446年から1490年までチロル伯。父は(前方)オーストリア公フリードリヒ4世、母はブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯フリードリヒ1世の娘アンナ。神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の従弟に当たる。大公位はフリードリヒ3世によって1477年に授けられた。
生涯
[編集]1446年、父の死により所領を相続した。幼くしてフランス王シャルル7世の長女ラドゴンドと婚約するが、婚姻に至らず死別。1449年にスコットランド王ジェームズ1世の娘エレノアと結婚したが、子供をもうけないまま1480年に死別した。1484年にザクセン公アルブレヒト3世の娘カタリーナと再婚したが、この結婚でも子供を得なかった。
浪費やバイエルン公アルブレヒト4世からの借金を返済しないなど、チロルの領民の反発を受けていたジークムントは、1490年までに領主権をフリードリヒ3世の息子マクシミリアン(後の皇帝)に譲渡した。
関連項目
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ジークムント大公(ヴォルフガング・キリアン作、1623年)
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ジークムント大公
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最初の妃エレノア・オブ・スコットランド
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二番目の妃カタリーナ・フォン・ザクセン
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