ジョン・ヒンチ
ジョン・ヒンチ John Hinch | |
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出生名 |
ジョン・フレデリック・ヒンチ John Frederick Hinch |
生誕 | 1947年6月19日 |
出身地 | イギリス バーミンガム |
死没 | 2021年4月29日(73歳没) |
ジャンル | ハードロック、ヘヴィメタル |
担当楽器 | ドラム |
活動期間 | 1972年 - 1975年 |
共同作業者 |
ジューダス・プリースト ヒロシマ |
ジョン・ヒンチ(John Hinch、1947年6月19日-2021年4月29日)[1]は、イギリスのドラマー。1973年から1975年までヘヴィメタルバンド、ジューダス・プリーストのドラマーとして活動した[2]。
経歴
[編集]バーミンガムの様々なバンドで活動し、1972年から1973年まではロブ・ハルフォードと共に「ヒロシマ (Hiroshima)」で活動した。
1973年5月、ヒロシマのライブを見たK・K・ダウニングとイアン・ヒルに誘われてジューダス・プリーストに加入。1974年にアルバム『ロッカ・ローラ』をレコーディングした。ヒンチはバンドの運転手兼マネージャーでもあった[3]。
彼のドラム演奏は、ジャズからロックまで、多くのジャンルスタイルをバスドラム1台でこなした。彼は常に、スネアドラム、シングル・バスドラム、シングル・タムタム、シングル・フロアタムという伝統的なジャズロック・ドラム・キットを使用しており、大型のキットや機材を使用する数多くのドラマーとは対照的だった。
しかし、グレン・ティプトンとの意見の相違や対立により1975年に脱退。脱退後は音楽マネージメントの道に進み、ウリ・ジョン・ロートらと仕事をした。
1987年7月、ジェーン・ダユスと結婚(2010年に離婚)。後に息子のフレイザーが誕生する[4]。
近年、彼は音楽伝記作家やインタビュアーのインタビューでジューダス・プリーストについて語ることが多い。また、バンドの伝記『Judas Priest Defenders of the Faith』の製作にも協力した。
2021年4月29日に死去、享年73。ハルフォードは「彼のドラムのスタイルは力強く、直接的でユニークだった。今日はロッカ・ローラを贈るよ!」と追悼を捧げた。ダウニングも追悼を捧げ、「ジョンはいつも頼れる存在で、今思えば欠点がないとしか言いようのないドラムの才能を含め、自分の能力を最大限に発揮してくれた」と語った[5]。
脚注
[編集]- ^ DiVita, Joe DiVitaJoe (2021年4月29日). “John Hinch, Drummer on First Judas Priest Album, Dead at 73” (英語). Loudwire. 2023年12月4日閲覧。
- ^ “Judas Priest Songs, Albums, Reviews, Bio & More” (英語). AllMusic. 2023年12月4日閲覧。
- ^ Irwin, Corey IrwinCorey (2021年4月30日). “Rob Halford Confirms Death of Former Judas Priest Drummer” (英語). Ultimate Classic Rock. 2023年12月4日閲覧。
- ^ “Fraser Hinch - Biography” (英語). IMDb. 2023年12月4日閲覧。
- ^ Evans, Harriet (2021年4月30日). “Former Judas Priest drummer, John Hinch, dies aged 73” (英語). www.expressandstar.com. 2023年12月4日閲覧。