ジョン・ダ・シルバ
ジョン・ダ・シルバ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ジョン・ダ・シルバ マジット・アクラ |
本名 | John Walter da Silva |
ニックネーム | マオリの戦士 |
身長 | 191cm[1] |
体重 | 108kg[1] - 119kg[2] |
誕生日 | 1934年6月11日[1] |
死亡日 | 2021年4月8日(86歳没)[3] |
出身地 |
ニュージーランド オークランド地方プケコへ[1] |
スポーツ歴 |
レスリング[3] ボクシング[3] |
デビュー | 1958年[1] |
引退 | 1977年[3] |
ジョン・ダ・シルバ(John Da Silva、1934年6月11日 - 2021年4月8日[3])は、ニュージーランドのプロレスラー。オークランド地方プケコへ出身。
先住民族マオリの血を引くベビーフェイスとして、1960年代後半から1970年代にかけてのニュージーランドのマット界を支えた[2]。
来歴
[編集]オークランドのYMCAでレスリングのトレーニングを積み、1953年にはニュージーランド選手権で優勝[3]。ボクシングでも活躍し、1955年にオークランドのアマチュア・ヘビー級タイトルを獲得した[4]。 1956年にはメルボルン・オリンピックにレスリングのニュージーランド代表として出場[5]。1958年にはウェールズのカーディフで開催された大英帝国競技大会にも参加し、そのままイギリスに滞在してプロに転向した[6]。
1960年代に入ると英連邦のカナダに進出、トロントでは1960年から1961年にかけて、フレッド・アトキンス、マイク・バレンティノ、スタン・スタージャック、そしてバディ・ロジャースとも対戦している[7][8]。1961年4月はアメリカ合衆国本土を含む他地区も精力的に転戦し、バンクーバーではミツ荒川、 サンフランシスコ地区ではエンリケ・トーレス、ハワイのホノルルではエドワード・カーペンティアとも対戦した[9]。
その後も英国マットでの活動を経て、1968年にニュージーランドへ凱旋、3月18日にオークランドにてジョージ・ゴーディエンコを破り、新興団体のオールスター・プロレスリングが復活させたNWA英連邦ヘビー級王座を獲得[10]。以降はニュージーランドに定着し、同地のエースとなって活躍。フラッグシップ・タイトルの英連邦ヘビー級王座には、ゴードン・ネルソン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ブルドッグ・ブラワーらを下して、通算6回に渡って戴冠した[10]。1973年12月2日には、オークランドにてジャック・ブリスコのNWA世界ヘビー級王座に挑戦[11]。歴代のNWA世界王者ではホイッパー・ビリー・ワトソンやハーリー・レイス、同じくニュージーランド出身のパット・オコーナーとも対戦した。隣国のオーストラリアでも活躍し、レイ・スティーブンス、スカル・マーフィー、ブルート・バーナード、ロイ・ヘファーナン、ガイ・ミッチェルなどと対戦している[3]。
日本には1968年11月、国際プロレスに初参戦して、ゴーディエンコ、ビル・ロビンソン、ピーター・メイビアらと共に、IWAワールド・シリーズの第1回大会に出場[12]。ゴーディエンコと組んで豊登&サンダー杉山が保持していたTWWA世界タッグ王座にも挑戦した[13]。1974年9月には全日本プロレスに来日、ニュージーランドで抗争を展開していたブッチャーともタッグを組み、ジャイアント馬場やザ・デストロイヤーと対戦した[14]。1976年7月にはパキスタン出身のマジット・アクラ(Majid Ackra)として新日本プロレスのアジア・リーグ戦に出場[15]。予選でアントニオ猪木から不戦勝を得て決勝リーグに進んだが、戦績は振るわなかった[16]。
1977年、ドン・ムラコに敗れ英連邦ヘビー級王座を失い[10]、現役を引退[3]。以降は2005年まで青少年の更生保護活動に取り組み[3]、1994年にはニュージーランドの女王功績メダルを授与された[5]。
得意技
[編集]- ストマック・ブロック[2]
獲得タイトル
[編集]- NWA英連邦ヘビー級王座(ニュージーランド版):6回[10]
脚注
[編集]- ^ a b c d e “John Da Silva”. Wrestlingdata.com. 2013年12月20日閲覧。
- ^ a b c 『THE WRESTLER BEST 1000』P304(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c d e f g h i j “New Zealand great John Da Silva dies”. Slam Wrestling (2021年4月14日). 2022年3月23日閲覧。
- ^ “John Da Silva - Australian Wrestling”. Australian Wrestling.org (2021年8月16日). 2023年1月7日閲覧。
- ^ a b “Wrestling legend John da Silva dies”. RNZ News (2021年4月16日). 2023年1月7日閲覧。
- ^ “John DaSilva”. Online World of Wrestling. 2013年12月20日閲覧。
- ^ “The MLW matches fought by John Da Silva in 1960”. Wrestlingdata.com. 2013年12月20日閲覧。
- ^ “The MLW matches fought by John Da Silva in 1961”. Wrestlingdata.com. 2013年12月20日閲覧。
- ^ “Matches of John Da Silva in April 1961”. Wrestlingdata.com. 2013年12月20日閲覧。
- ^ a b c d “British Empire/Commonwealth Heavyweight Title [New Zealand]”. Wrestling-Titles.com. 2013年12月20日閲覧。
- ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1973”. Wrestling-Titles.com. 2013年12月20日閲覧。
- ^ “IWE 1968 The 1st IWA World Series”. Puroresu.com. 2019年10月17日閲覧。
- ^ “The IWE matches fought by John Da Silva in 1968”. Wrestlingdata.com. 2013年12月20日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by John Da Silva in 1974”. Wrestlingdata.com. 2013年12月20日閲覧。
- ^ 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P87(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ “NJPW 1976 Asia League Championship Series”. Puroresu.com. 2015年10月10日閲覧。